第22話 狩りの現実
今日はちょっと暗い話です。
昨晩、俺たちは村長の家で村人たちからの歓待を受けた。
主役の俺とアリスが子供ということで、大人たちも大分控え目に酒を飲んでいた。俺は中年のおじさんとおばさんに大人気で話し相手を務め、アリスは若い女性たちとのお喋りに夢中になっていた。アリスは村人たちの歓待が貴族たちのパーティと随分違っているので最初は目を白黒させていたが結構楽しそうにしていた。
翌日、陽が昇ると俺は村人の案内で灌漑設備の補修を行った。あまり大きな村ではなかったので水路も溜め池も小規模なもので大した魔力を使わなかったが随分と感謝された。半刻(1時間)ほどで残りの作業を終えて、俺は次の農村に向かって馬を走らせた。
次の村は馬でゆっくりと歩いても半刻(1時間)ほどで着いてしまった。そしてやることは昨日と一緒。“豊穣”と灌漑設備の補修は昼を少し過ぎた時刻で終了して、昼食後は次の村へ。
としても良かったのが、これもいつものことで“お礼に一晩泊まっていきませんか?”となる。領民との交流も領主の息子にとって大事な事であり、相手の申し出を断らないようにしている。しかし、一つ問題がある。
つまり、暇なのだ。
まぁ、お決まりの行動としては子供たちの相手(チャンバラなど)することが多いのだが、今回はいつもと違った。
「ねぇ、あれ何?」
農村の中をぶらぶらしているとアリスから質問がとんできた。アリスの視線の先には狼の毛皮が干してある家が見えた。
「たぶん跳狼の毛皮だね。この辺りで良く獲れる狼の一種だよ。多分あの毛皮は商人に売るために干しているんだよ。」
「ふーん。」
「お母様は毛皮を着たりしないけど、他の貴族の人たちは結構着ていたでしょ?あれが毛皮のコートとか手袋になったりするんだよ。」
俺の説明に対して興味なさそうに聞きながらアリスはなんか考えている。いや~な予感しかしない。案の定、アリスは俺の方を向いて高らかに宣言した。
「ねぇークルス、狩りに連れて行ってくれない?」
「……急にどうしたの?」
「いいじゃない、どうせ時間はあるんでしょ。」
「まぁ……。」
あんまり無茶な注文じゃなかったけど、どうしよっかな。確かにアリスの実力は全く問題ない、おそらく魔獣が出てこようが一人で伸しちゃう可能性のほうが高い。それに良く考えてみれば今回の巡行への同行もこの前に魔獣退治が関係しているはずだ。あの時、アリスはかなり面白くなさそうな雰囲気を漂わせていたし。
うーむ。でも、いいか。怪我することもないだろう。
「分かったよ。この近くの森でいいよね。」
「ええ、楽しみだわ。」
「それじゃ、リリさんとノックスさんに相談しよ。」
「よろしくね、クルス。」
こんな時だけそんな満面の笑みを浮かべるなよ。まったくもう。
子供たちとチャンバラしていたリリさんに事情を説明すると最初はいい顔しなかった。しかし、リリさんは俺とアリスの実力を良く知っているので僅かに考えたあと了承してくれた。しかしリリさんも一緒に行こうか迷った素振りを見せたが、俺が切っ先を制して辞退してもらった。
実は俺が最初の狩りに出かけたときに、護衛としてリリさんがついてきたことがあった。ところが、このときにリリさんが随分鈍臭いことが判明した。少々動きが大雑把で、兵士をやっている間は問題なかったが隠密行動に全然向いていなかった。狩りの3日目にしてガルさんから戦力外通告を受け、それ以降俺の狩りには同行しなくなった。
本人は結構このことを気にしていたのでこれ以上傷口はえぐらないようにしておこう。そしてノックスさんは基本的に俺の行動を掣肘しないので、日が暮れる前には戻ってきてくれと言われるだけだった。
二人の説得が終わった俺は事情を村長に協力を求めた。俺の要請を村長は快く引き受けてくれた。そして村長は狩人から弓を都合してもらい、更に村長の奥さんから昼食も頂いてから俺、アリス、そして精霊の2体は森に向かった。
嬉しそうに前を歩くアリスを尻目に、俺はひとつの懸念を持っていた。だが、これも丁度いい機会なのだろうと思って、アリスを見守ることにしている。これは剣を持った人間の通過儀礼なのだから。
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森の中に入る前にまずは諸注意を確認しておく。
「これから森に入るからいくつか注意事項を言うね。」
「分かったわ。」
「まず、森の中では僕から離れないように。一人で動き回るのは迷子の危険性が格段に上がるからね。」
「分かってる、私も始めての場所で軽率な行動はとらないわ。ちゃんとクルスの言うこと聞くわよ。」
おっ、随分と殊勝な事を言ってくれる。
「ありがとう。それじゃ、もしはぐれた時はどうすればいいと思う?」
「うーん、クルスが来るのをじっと待つ?」
「それも正解だね。でも僕がいなかったときは?」
「それは自分で森の外に出るしかないわね。」
「どうやって?」
「どうやって言ったって……適当に探すしかないじゃない。」
「それじゃダメだよ。」
「じゃあ、どうすればいいのよ。」
と口を尖らせたアリスが俺を睨んでくる。
「まず、村と森の位置関係を覚えておこう。まず北はどっち?」
「あっちかな。」
アリスは太陽の位置から大体北北西の方向を指差した。
「大体合ってるよ。つまりこの森は村から北西方向にあるよね。」
「つまり、南東方向を目指せば森を出られってこと?」
「そういうこと。こういう森みたいな場所に入るときはまず位置関係を把握する癖をつけておいて。そうすれば迷っても慌てないで済むから。」
「そっか、でも夜になったらどうするの?」
「その時は星から方角を判断するんだよ。」
「ひょっとして覚えているの?」
「もちろん。」
アリスは俺の回答にびっくりしている。そんなに変な事言ったかな?
「どうしたの?」
「な、何でもないわ。」
「じゃ、続けるね。まず森に入ったら基本的には無駄話は禁止だから。森に入れば分かると思うけど森の中はかなり静かだから小声で最小限の会話で。」
「分かったわ。」
「これから森に入ったら獲物を探すけど、もし動物たちが僕らに気付いて逃げた場合は追わないから。」
「なんで?」
「一番の理由は迷わないようにするため。あと追いかけるのに夢中になって他の動物たちに囲まれたりする事態も考えられる。基本的に森は動物たちのフィールドだから無理はしない。」
「そっか。」
「あと動物たちは基本的に鼻や耳がいいから人に気付くと逃げると思うけど、反撃してくる動物もいる。そのときは剣を抜いてもいいよ。」
「分かったわ。」
「それとアリスは弓矢の訓練をしていないから獲物を仕留めるのは僕がやる。今回はまず森の中で慣れることに専念して。」
「分かったわ、今度来るときまでに弓矢も覚えておくわ。」
「そのときはちゃんと狩りもやってもらうよ。良し、取り敢えず説明はこんなところかな。いいね?」
「うん。」
「じゃ、入ろう。」
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森の中に入ってからアリスに森での歩き方、動物の探し方、気配の隠し方などの技術をひとつひとつ教え込んでいった。だが、この辺のことはさすがの一言でアリスは直ぐにコツを掴んでいった。歩速を落とさずに音を極力出さない足運び、動物の糞や足跡などの痕跡を探す観察眼、身体から漏れ出る魔力を抑え込んで見事に消した気配といった感じで初心者とは思えない技量だった。
そのため森に入って半刻(1時間)程で最初の標的を見つけることが出来た。見つかったのはやや小振りの野兎でこちらに気付いていない。木の根元で耳を掻く仕草を繰り返しており、大分リラックスしていると思われる。俺はアリスの方を見て“これから狩りをする”という意味を込めると、それが分かったのか短く肯いた。
アリスはいい意味で緊張感を持った表情をしている。
これが最後まで持てばいいが……こればかりは分からないな。俺は一呼吸入れて視線を野兎に戻す。先ほどと同じようにリラックスしている状態を確認してから俺は肩に背負っていた弓をゆっくりと構える。適度に生い茂った草木のおかげで野兎からこちらは見えていない。更に距離も近い(15m程)ので必中の距離と好条件だったので俺は迷わずに野兎に首筋を目掛けて弓を射た。
俺の放った矢は呆気ないほど簡単に野兎に命中した。そして野兎が倒れるのが見えた。
「行くよ。」
「……うん。」
アリスは感心半分、嬉しさ半分といったところだったので、俺は何も言わずに野兎のもとまで歩いていく。到着すると野兎はまだ死んでおらず、足や耳が小刻みに震えていた。そして野兎は弱々しい眼で俺たちのほうを見てくるような気がした。これにアリスの雰囲気が一気に強張っていくのが感じられたが、俺は敢えてこれを無視して作業に取り掛かった。
俺は持ってきた短刀で野兎が倒れている横に小さな穴を掘った。そして、その穴の中に野兎を入れてから短刀で首筋を切り裂く、すると次第に野兎から力が抜けていくのが分かった。首筋から血も吹き出したがほとんどは空けた穴の方に落ちていった。しかし、当然流れ出た血はクルスの手や野兎の体毛を汚している。
さっきからアリスが無言だが、俺も何も発言することなく淡々と血抜きの作業に集中した。そして血抜きの作業を終えてから穴を埋め戻して、“水玉”で野兎と俺の手を洗って最後にソロが俺の手と野兎を軽く乾燥させてくれた。全ての作業が終了してようやく俺はアリスの方を向いた。
「終わったよ、姉さん。」
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自分の目の前で繰り広げられている現実に私は只々圧倒されていた。
農村で毛皮が干されているのを見てから単純に狩りをしてみたいと思った。これまでも毛皮を見る機会は何度かあった。冬の王都では大きな毛皮のコートを着た貴婦人もいたし、貴族の屋敷には熊の毛皮で出来た敷物なんかもあった。だから毛皮を見てもなんとも思っていなかったのに。
……さっきまでは。
クルスの放った矢が野兎に命中したときは気付かなかった。だけど血を流して震えている野兎を見て気付いてしまった。私たちが野兎を殺そうとしていることに。
知識としては知っていた。毛皮にされた動物たちが生きていたことを。昨晩の夕食で食べた煮込み料理に動物の肉が入っていたことを。そして狩りとは“獲物を殺して、その肉を食べ、皮を剥いで利用する”ことだと。
私がこうして悩んでいる間もクルスの手は止まらない。野兎に止めを刺し、先ほど開けた穴の中にどんどん血を流し込んでいく。それを見ていると自分の胸の辺りが急にムカムカしてきた。そして自分の口の中に酸っぱい何かが迫り上がってくる感触に、私は咄嗟に両手を口元に押し付けた。絶対に吐きたくなかった。理由なんかよく分からなかったが、絶対に吐きたくないと目を閉じて念じていた。
どのくらい目を閉じていたか分からなかったけど、吐き気が一先ず引っ込んだので私は眼をそっと開けた。先ほどまでやっていた血抜きは終わったようで“水玉”の魔法でクルスは手や野兎の身体を洗っていた。そして血で満たされていた穴も塞がっていた。ここで私は正直言って大分ホッとした。
始めて血を見るのが怖いと思った。
これまでに血を見てきたことがないわけじゃない。模擬戦や訓練では打ち身がほとんどだが、切り傷や擦り傷を負って血を流したことはある。警備隊の人が結構深い傷を負って血を流している姿を見たこともある。なのに、さっきは怖くて仕方なかった。
そして目の前にいるクルスのことも怖い。
とっても怖い。私はクルスが矢を放ち、野兎の血抜きをしている様を横で見ていた。嬉しそうな表情はしていない、悲しそうな表情でもない、まるで感情を一切消してしまったような仮面をしている。クルスは私の前では困ったような表情をしていることが多かったが、こんな表情始めて。
こんなクルス、私は知らない。
急にクルスのことが分からなくなって、もう私の頭の中はパニックだった。けど現実は私のことを待ってくれなかった。“水玉”の水が弾けて地面を濡らし、クルスは両手と野兎の身体を乾かしている。もう作業が終わっちゃう。
どうしよう、クルスにどんな顔を向ければいいか分からない。怖くて怖くて考えが纏まらない。と更にパニックになっているとクルスが私の方を向いてきた。
「終わったよ、姉さん。」
このときにクルスが私に向けた表情は私が良く知っているクルスの微笑だった。
この微笑を見て、本当に安心した。
「…う、うん」
そして私はなんとか返事をすることが出来た。下を向きながらだけど。それを見てクルスが優しく笑ったのが分かった。
「怖かった?」
“怖くない!!”と反射的に言いそうになったが、自分が情けない顔してことだけは分かっていたので意地を張るのは止めた。
「ち、ちょっとだけ。」
「そっか。」
一杯一杯の私に対してクルスは妙に穏やかな顔で私の顔を眺めてくる。ものすーごく居心地が悪いけど私の口はちっとも上手く動いてくれない。
「クルスは怖くないの?」
「もう慣れちゃったかな?」
「慣れちゃうものなの?」
これには驚いた。あの光景を見て、慣れることできるなんて。そしてクルスは動揺する私に更なる追い打ちをかけてきた。
「少し、まじめな話をするよ。」
「えっ。」
先までの私を気遣った微笑が消え、鋭く真剣な顔つきを私に向けてくる。
「今日アリスを狩りに連れてきたのは、これを見せるためだった。」
それを聞いて私が思い浮かべたのは、農村で毛皮を見てから無邪気に狩りに行きたいと言った自分の言動だった。
「ごめんなさい。」
「違うよ、多分アリスが考えている理由じゃない。」
反射的に返事してしまった私の言葉をクルスは強く否定する。じゃあ、一体何の?
「それはアリスが腰に差している真剣のことだよ。」
「どういうこと?」
「剣は人を傷つけ、殺すための道具。」
「!!」
「そのことを知ってもらいたかった。」
私の頭の中は色々なことがごちゃ混ぜになっていて、クルスの言うことが理解できない。
「アリス、今日君は普段自分が口にしている食べ物がどうやって出来たか実感できただろう。僕たちは普段沢山の動物たちを殺して、その命を貰うことで生きることできる。」
「ほとんどの人がこのことを自覚していないけど、これが現実なんだ。そして、その剣も人を殺すための道具。例えばお母様はこの国の騎士として多くの人を守ると同時に多くの敵を殺してきた。これが綺麗ごとでは片付けられない現実なんだ。」
「アリス、その剣は人を傷つけ、人を殺すモノだけど、人を守ることも出来る道具なんだ。だからこれまで使っていた木剣と同じように思っちゃいけないよ。しっかりと覚悟をもたないといけない。」
「命を奪う覚悟を。」
私は激しく動揺しているがクルスの言っていることは少し分かった。けど、そんな覚悟を今の私ができるんだろうか?自信がなかった。自分がこの剣で誰かを殺している現実を想像できなかった。苦しかった、辛かった。
「姉さん、今すぐに覚悟を決める必要はないよ。ただ、今日は知って欲しかっただけだから。」
俯いていた私はクルスの優しい声を聞いて自分の顔を上げた。さっきまでの真剣な顔はなくなり、これまでに一度も見せたことのないような優しい顔を私に向けてくれる。その顔を見て少しだけ安心することが出来た。そして私は泣きそうになりながらも一つだけ質問した。
「どうやったら、クルスみたいに覚悟ができるの?」
「そうだな、まずは残さずに食べることかな。」
その言葉に私の中で何かがスットンと嵌るのが分かった。
こうして私たちの狩りは終わった。時間にして1刻(2時間)ほどの短いものだったが、私にとってはかつてないほど濃密な時間になった。
村に戻ってから村長の奥さんたちと野兎の解体作業に参加した。奥さんたちは私が参加することに驚いていたけど、クルスが説得してくれた。解体はまずクルスが上手に皮を剥いでいき、私も少し手伝わせてもらった。そして残った肉を腿肉や胸肉など部分に分けていった。肉切ったときの感触もあまり気持ちのいいものじゃなかったが、お腹の中の内臓を取り出す作業は想像を絶していた。
あまりの衝撃に思わず吐いてしまった。
なんとか外で吐いたが、正直言って自分の情けなさに泣いてしまった。そんな私の頭をクルスはただ撫でてくれた。奥さんたちも慌てたみたいで私のことを色々慰めてくれた。その時に教えてもらったのが、農村にいる大抵の女性たちは動物を捌くことが出来る。けど、女性の中には生理的に動物を捌けない人も一定数いるらしい。それに最初はみんなも泣くし、吐いたりするから気にしないでと慰められた。
私はなんとか自分を落ち着かせ、最後まで作業をすることができた。
その晩、村人が集まった豪勢な夕食になった。正直言って完全に復調したわけじゃなかったけど、それなりに楽しめたと思う。私が捌いた野兎のお肉も美味しかった。今日はお腹が苦しくなるまで一杯ご飯を食べた。
これまでも食事の前に祈りを奉げていたが、今まで以上に“感謝して食べる”ことを意識して食後に祈りを行った。動物たちの命を貰っているおかげで私は生きていけるのだから。
心から感謝した。




