第2話 姉弟
爽やかな朝日が差し込んで、ぼんやりと目を覚ました。真っ白な天井が視界に映り、意識がはっきりとしてきたので起きることにする。顔を洗って寝癖を直すためにノロノロと鏡の前まで歩いて踏み台の上に立つ。鏡に映る自分を見ながら思いを巡らす。
転生からもうすぐ5年になる。
今回の俺の名はクルス・ヴァンフォール。アルケリア王国のヴァンフォール伯爵の嫡男として生まれた。容姿は、美人の母と少々ゴツイ顔の父のおかげで顔は悪くない。髪は母親譲りの茶髪に少し赤みがかかっている。身長がやや小柄なことは不満だが、これからの成長に期待するしかない。
転生を繰り返してきた俺にとってもうすぐ6歳という状況はひとつの転機となっている。そもそも俺の寿命はあまり長くない。大体、20代後半になると原因不明の病にかかる。この病は頭痛と胸の痛みが突発的に起き、段々と身体を弱体化させる。そして俺は30歳前後で死ぬことになる。これまでに治療法は散々探したが、手掛かりはなかった。
したがって、転生の理由を突き止めるために幼少時から旅に出るがいつものパターンとなっている。ただし旅立つ年齢は6~12歳頃と幅がある。これには幾つか理由がある。これまで幾度となく転生を繰りかえした結果、成人時の俺の強さは正直神懸かっている。ただ転生直後の赤ん坊のときはさすがに弱い。身体能力として最低限の力を持ち、魔力のコントロールが実戦レベルに達する年齢が6歳というところ。
しかし、6歳児が一人旅をするのは傍から見て異常だ。また両親が許すはずもなく、旅立つときは絶縁しなければならない。両親から人並みの愛情を注いでもらっていた場合、さすがに不義理だと思うのでもう少し成長を待つことにしている。この年齢で旅立つときは大抵碌でもない両親に疎まれていたり、両親が亡くなって場合がほとんどだ。
今回の転生では、両親は俺に惜しみない愛情を注いでくれているので家出はしばらくお預けかなと考えていると、誰かが自分の部屋に近づいてくる気配を感じる。いや、この“誰か”が旅立ちを阻む最大の障害といえる。
少々乱暴に扉が開いて、一人の少女が入ってくる。
「何時まで寝ぼけているの、稽古の時間よ。」
俺の姉だ。
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準備が遅いと怒られながら急ぎで着替えてから中庭に向かう。俺の前を歩くこの少女は俺の双子の姉アリス・ヴァンフォールだ。母親の血を色濃く受け継いだ美少女で、街中ですれ違えば誰もが振り返ってしまうだろう。
幼さはあるが彼女の顔立ちは見る者を魅了する気品がある。また眼光の鋭さから気が強いこと容易に想像される。正直に言って父親の血は一滴も交じっていないと疑うほど父親と似ていない。ただ髪の色は父親と同じ赤毛でウェーブのかかったショートヘア。身長が俺よりも少し高く、正直羨ましい。更に後姿がなんともかっこいいので、我が家では俺よりも貴族の気品が備わっていると評判だ。……ちょっと落ち込む。
そんなことを考えている間に中庭にたどり着き、アリスが振り返ってくる。
「さあ、始めるわよ。」
「うん。」
まずは日課の千回の素振りから始める。お互いが横に並んで一心不乱に木剣を振る。素振りの際に生じる鋭い音のみが響いている。雑念の入った素振りは意味がない。形をなぞっただけの素振りも意味がない。ただ、無心に木剣を振るう。
俺は500回の素振りを終えて大きく息を吐く。そして横にいる姉アリスの素振りを覗き見る。気合の入った素振りで、正直俺の素振りよりも鋭い音が生じている気がする。素振り一つとってもこの技量の高さは五歳児ではありえない。このことは既に100回以上考えているが結論はでていない。ただ、推測はある。と考えているとアリスの素振りが“ピタッ”と止まった。“ヤバい”と思い、叱られる前に残りの素振りを始める。しばらくするとアリスの素振りも再開される。
素振り後、型稽古をこなして最後に実戦形式の稽古が始まる。
「クルス、いくわよ。」
「はい、姉さん。」
返事と同時にお互いが袈裟切りを仕掛け、中央で鍔迫り合いが生じる。俺はアリスを押し返すように力を入れるが、アリスは逆に後退して俺の力をいなして額に向けて突きを放つ。この突きを木剣ではじき、俺も少し距離をとる。
アリスは左足を前に出し、顔の高さに剣を構え、切っ先を俺に向ける。まるで馬上槍を向けられたような気迫が感じられる。この構えに対して、俺は中段の構えで防御に徹する。
アリスが一気に突っ込んでくるが、突きを警戒していた俺に対して上段左右への連撃をかましてきた。意表をつかれて防御が若干遅れるが、なんとか木剣で捌く。ただ、アリスの攻撃は止まらない、振りが小さく鋭い連撃でこちらに攻撃のチャンスを与えてくれない。そこで俺はアリスの切り上げの一撃に合わせて横薙ぎの一撃をお見舞いする。衝撃に手が痺れたがそれはアリスも同様だろう。気合でどうにかして、今度はこちらから仕掛ける。
上段の構えから袈裟切りを仕掛けるが、アリスが受ける構えを見せた。俺は袈裟切りの直前で木剣の右手の力を抜き、アリスに切りかかる。アリスに木剣を止められるが俺は勢いを止めず、右手の掌底をアリスの左肩にお見舞いする……つもりだったがアリスは左半身を下げ、更に俺の左手首に一撃いれてきた。
一本取られた。
俺は痛みに顔をしかめる。動きを読まれていたのだろう。アリスの戦い方は剣のみで戦うのに対して、俺は手も足も出して剣と格闘を織り交ぜる。俺が正面から突っ込んでくるので、警戒されていたのだろう。一つ息を吐き出し、気持ちを切り替える。前を向くとアリスが歩いて距離をとっている。そして……
「次、いくわよ。」
まだまだ稽古は続く…。
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俺は尻餅をついて空を見上げながら、乱れた呼吸を整える。稽古は10本中4本の有効打をとった。久しぶりの悪くない成績に、俺は内心でガッツポーズをとっていた。とにかくアリスは強い。俺の戦い方は転生を繰り返して得た圧倒的な経験に土台にしているが、アリスの力はセンスとしか言いようがない。
とにかく先読みのセンスが抜群で、初見の攻撃でもなかなか決まらない。おまけに俺よりスピードもパワーもある。正直最初は負ける理由が分からなくて、“まさか、俺と同じ転生者”と思ったこともあったが多分違うと思う。自信があるわけではなく、“なんとなく“としか言いようがない。ただ、確信したこともある。
どうも俺の能力あるいは才能がアリスに持ってかれたらしい……
前回の転生と比較して、今回持っている力は7~8割程度だ。アリスの存在があるため修練は普段の転生時より多めであること考えると、そう考えないと腑に落ちない。また、アリスの魔力量も常人に比べれば異常なほど多い。ただ、俺とは違って魔法の才能は限られたものであり、ある意味でその魔力を活かしきれていない。
俺たちの母は剣術と魔法のどちらにも才能があった、なかでも騎士であった頃は王国で5本の指に入る剣士として有名だったそうだ。これらを踏まえると、母親の才能を土台にして俺の持っていた力を姉と半分に分けていると辻褄が合う気がする。多分……。考え事をしている間に、一人の少女がアリスに近づいてくる。
「アリスお嬢様、どうぞ。」
「ありがとう、シルビィ。」
アリスはシルビィからタオルを受け取って汗を拭いている。シルビィはヴァンフォール家が雇っている侍女であり、年齢は13歳で2年前から住み込みで働いている。容姿は悪くなく、特に笑顔がいいと思っている。そして彼女は俺のほうにもタオルを差し出してくれる。
「クルスお坊ちゃまも、どうぞ。」
「ありがとう、シルビィ。」
正直、“お坊ちゃま”は止めて欲しいだが諦めるしかない。俺がタオルを受け取って、立ち上がるとアリスがこちらを向いてきた。
「クルス、最後の一撃は良かったわよ。」
「そうかな?」
「本当にあなたはお父様にそっくりね、もっと自信を持ちなさい。」
これには苦笑するしかない。我が家では女性陣の権威が強い。男性陣は良く言えば“優しい”だが、悪く言うと“頼りない”と母がよく言っている。父親の気質を受け継いだ俺の立ち振る舞いは半分演技だが、我が家の女性陣の気の強さに対抗するのは骨が折れる。そこで“優しい弟”を演じることは父親側につくことであり、処世術の一つと言える。しかしアリスは俺の性格を矯正できると思っているようで、時々突っついてくる。この話題を終わらせるために、
「姉さん、怪我を見せて。」
俺の露骨な話題転換に何も言わずに、アリスは長袖をめくって俺の前に来る。アリスの手首と前腕には幾つか痣が出来ており、この原因は俺の繰り出した一撃だ。アリスの綺麗な肌にこの痣は似合わないので、治癒することにする。目を閉じ、深呼吸をし、魔力を抑えて、慎重に詠唱を始める。
「大地のスプスンター 我は請う 汝の慈悲と寵愛を 大地の息吹よ」
詠唱を終え、魔法が発動する。痣の上にかざしていた俺の手がほのかに光ると、アリスの痣が徐々に小さくなって消えていく。魔法を三度繰り返し発動させ、全ての怪我を治癒した。俺の魔法の技量は未熟に見えるが、これは偽装の成果といえる。本気を出すと大人たちが恐れてしまうので、魔法を使う際にはかなり気を使う。普通は8~10歳ぐらいで魔法を覚えるので、また5歳の俺は異常だ。ただ幸運なことに母親が7歳で魔法を覚えていたため、「クルスには魔法の才能があるのね」の一言で片付けてくれた。
アリスの治癒が終わったので、今度は自分の怪我を直していく。自分の治癒が終わって、顔を上げるとシルビィとアリスが俺を見て感心しているようだ。
「クルスお坊ちゃまの魔法はいつ見てもお上手ですね。」
「ホントね、きっと将来はすごい魔法師になるわ。」
「照れるからあんまり褒めないでよ。」
「素直に褒められていなさい。」
とアリスは俺の頭を撫で始める。正直、恥ずかしい……。転生を繰り返した俺は数百年を生きたが、今は所詮5歳児。恥ずかしいものは恥ずかしいので、朝稽古を切り上げよう。アリスから一歩離れて
「さあ、着替えてご飯に行こう。」
「そうね。」
「はい。」
アリスは少し不服そうに、シルビィは“お坊ちゃまの照れている姿はかわいい”と言わんばかりの笑顔を浮かべている。そして俺は二人に背を向けて、屋敷のほうへ歩いていく……。
後ろにいるアリスの機嫌が元に戻っていくのが俺には感じることができる。
これまでの転生で兄弟がいることは当然あったが、双子は始めてのことだった。今回の転生では始めてこの厄介な能力“共感覚”が発現した。この能力を使えばアリスの居場所や感情といったものが目を閉じても“なんとなく”分かる。
最初は便利だなと単純に思っていたが、実は厄介な面があった。
おそらくこの“共感覚”は俺からの一方通行ではなさそうだ。
つまり、アリスもこの能力を持っている可能性がある
厄介だ……。