歓迎の夜
俺がこの御色町に来てから一週間が経った。
今、俺は部屋で教科書を開きながら勉強をしている。
部屋と言っても受付奥にある寮長室でだが。
俺がこんなところにいるのにはしっかりとした理由がある。
ルームメートのひみ――――フルネームは三笠見ひみだ――――とやら、俺を随分と子供扱いしやがる。
確かに俺は身長が小さいほうだが、異性の前で湯上り姿を見せるのはまだしも下着一枚はないだろう。
それに『お風呂、一緒に入ろっ!』なんて言い出す。
異性といるという実感は湧いていないのか。
正直、体液が沸騰する。
……ってなわけで俺はここに退散してきた。
寮長に普段の調子で話しかけたら驚かれたが、麻雀なんかをしているうちに仲良くなった。
今では酒(お茶)を飲み交わすほどの仲だ。
「……それでだ、源三。
頼んでおいた教科書類はいつ届く?」
「おう、そのことならば明日の午後には届くぞい。
……ていうかお前さん。
そんな勉強したいのなら中学生だと名乗り出ればよかろう。
何故せんのだ?」
寮長が自分の死滅している毛根をさする。
光を反射するおかげで、脂ぎっているようにも見えるから不潔だ。
「仕方ないだろう。
どうせ名乗り出ても信じてはもらえまい。
第一、学友ももうできてしまったのだ。
後戻りはできんよ」
そうこの下種……もとい柳が通っているのは中学校ではない。
見た目の小ささから小学校に入れられたのだ。
それも小学5年生に。
「源三……俺ってそんなに小さいか……?」
「うむ。小さいぞ。
誰が見たって小学生と思うほどにはのう」
「はぁ……欝になるぞ……」
「別に良いのではないかのう。
きっとお前さんの言うとおり、成長期がまだ来てないだけじゃろうて。
……まぁ、お前さんが高校二年にもなってそのままだったら目も当てられんが……」
「やめろ。
悲しい想像をするな。
泣きたくなるだろう」
柳はそう言いながらも教科書の問題を解いていく。
柳が今見ている教科書は中学三年生の数学だ。
平方根の基礎の部分だ。
……√(ルート)。
前の学校で少しずつ登場してきてはいたがこのような意味だったのか……
4の平方根は2。
8の平方根は2√2。
……なんだ、簡単ではないか。
柳が問題を解いていると視界が暗くなった。
「ほぉ、ルートをやっておるのか」
「ああ、随分と楽な章だ」
「そうじゃろうて。
しかしのう、ルートは適当にやると後で痛い目のみるぞい」
「例えばどんなのがあるんだ?」
「そうじゃのう……」
寮長が腕を組む。
何しろ、勉強したのは35年ぐらい前だ。
ぶっちゃけ忘れてる。
「確か……cosπ/4=1/√2とか、√5/√10=√2/2とかがあったのう……」
「な、なんだそれは……」
初めて聞いたcosや分からない等式に柳は混乱する。
……全く分からん……
二番目の方なら何とかして解けそうだが、最初のは何を言っているかさえわからん!
いつも冷静沈着であった柳が目を回している。
……ほほぅ、これが年の甲じゃよ……!
寮長は勝ち誇るついでにもうひとつぐらいルートがある公式をいってみたいと思った。
柳をこれ以上にあわてふためかせようと思ったのだ。
……自信はないが、どうせわからんじゃろ……!
「そういえばほかにもあったのう……」
「や、やめろ。
俺に余計なことを言うな!
頭がパンクする!」
「確か……」
「ああー!」
「x=b√b²-ac/aだったかのう!」
「うわああ!!」
「正しくはX=-b±√b²-4ac/2aだ。
子供に適当なことを教えるなよ」
柳と寮長が後ろを振り向くとそこには扉に手を掛けたイケメンがいる。
この寮に暮らす数少ない男子の中のひとり、羽賀龍太郎だ。
今日も陸上で流した汗が女子の視線を引く。
「龍太郎じゃないか、おかえり」
「おう、敬語使えよ柳。
俺はお前より年上なんだぜ」
「面倒くさい。
大体、敬語を使われたくば年齢以外で俺を敬わせろ。
俺は年齢が高いだけで威張り散らす奴が大嫌いなのだ」
「同感だな」
龍太郎は柳の隣に来ると、どかっと腰を下ろす。
遠くではわからなかったが、よく見ると彼の顔には痣ができており、青く腫れている。
寮長はそれを見ると部屋のタンスから救急箱を持ってくる。
「またやられたのか」
龍太郎が顔を腫らしてきたのは一度や二度ではない。
ほぼ毎日といっていいほどに顔を腫らしてくる。
彼は「ああ」と短く答えた。
「今度はどうしたんだ」
「部活内でイジメが起きてたから、止めたら殴られた」
「殊勝なことだな。
相手は何人だったんだ?」
「一人だ」
「それくらいならやり返せばよかったじゃないか」
「それができれば苦労しないんだがな……」
龍太郎は柳たちに湿布や絆創膏を貼られながら天井を仰ぐ。
「なるほど。
相手は『先輩』だったってわけか」
柳の言葉に龍太郎は答えない。
図星だろう。
「イジメなど見て見ぬふりをすればよいだろう。
実際、他のやつらはそうしているのだし、わざわざ止めて被害を被ることもあるまい」
柳の耳に痛い言葉が頭に響く。
一瞬、その言葉に沸点を突き抜けそうになったがなんとか自制する。
柳は別にいじめを肯定しようとして言っているわけではないのだ。
「……それができればどんなに過ごしやすかったんだろうな」
蛍光灯の色が眩しい。
思わず目をひそめ、手を翳す。
……俺も不器用に生まれてきたもんだ……
指や手に絆創膏を貼っていく柳を見る。
こいつはこの歳で随分と達観している。
それも俺なんか足元にも及ばないほどに。
そんな彼が目を伏せながら言葉を紡いだ。
「きっと過ごしやすくなどないだろう。
見て見ぬふりをすることでお前の心は助けてやれないという憤りと何もできない自分の無力さにに苛まれるだけだ。
決して幸せには生きられなかっただろうよ」
そう言って柳は龍太郎の背中を叩く。
音的にはぺちんっ☆って感じの可愛らしい音だ。
「龍太郎は龍太郎のままでいい。
人のために身体を張れるお前、俺は好きだよ」
柳はそう言って愛らしい笑みを浮かべる。
中性的な彼のその笑顔は男であろうと女であろうと惹きつけてやまなかった。
現に目の前の龍太郎が胸キュンしている。
「そうか、なら俺と付き合ってくれ」
「小学生に何言ってんだ。
胸を耕してから来い」
そう言って柳は救急箱を寮長に渡すと、寮長室を出た。
――――
「全く持ってけしからん。
私は同性愛者ではないというに……」
柳がぶつぶつと呟いていると、受付、左の入口が開いた。
「柳じゃないか。
ただいま」
「おかえり、芝太郎・薪の字」
「薪芝礼って言ってるじゃないか。
君はいつになったら覚えてくれるんだい?」
「いいじゃないか。
こっちのほうがユーモアが感じられる」
「そんなこと言ったって、僕には太郎って名前はないよ」
このピーチク喚いている男子は薪芝礼。
先ほど話していた龍太郎のルームメイトだ。
中性的な顔をしており、メイド服なんかを着せたら似合いそうな体つきをしている。
「おお、礼、帰ってきたのか」
寮長室から出てきた龍太郎が俺の頭の上に手を置いて言う。
邪魔だ。
部活帰りのお前はいつも汗臭いんだ。
臭うからさっさと風呂入れ。
「今帰ってきたとこだよ」
そう言う礼の手には一つの手提げ箱がある。
「なんだそれ?」
龍太郎がその箱を指差す。
「あ、これ?
これは部活帰りに立美先輩がくれたものなんだ。
前、手伝ってくれた時のお返しだって」
「ちなみに中身はケーキだよ」と付け加えて礼は言う。
「そっか。
なら食後のデザートにでも食べるか」
「あ、それもいいんだけどさ。
折角、ケーキをもらったんだから、この際、柳くんの歓迎会をしようと思うんだ」
「む?
俺は別にしなくてもいいぞ。
もう一週間も経ってるんだしな」
「大丈夫だよ。
そんなの皆気にしないよ?」
「ならお言葉に甘えよう」
「じゃあ、僕みんなにそのこと伝えてくるね」
礼が元気に駆け出す。
話し方といい動き方といい、かなり女子女子している。
「いつか……」
ポツリと柳が呟く。
「メイド服、着せるか……」
「そうだな」
柳は顔も見ずに龍太郎とがしっ、と握手をした。
――――
柳の歓迎会には寮生全員が集まった。
総計11名。内訳は男子3名、女子7名、寮長1名といった感じである。
圧倒的な女性社会。
全体的に姦しくなるのは仕方がない。
「僕みたいなものに歓迎会を開いてくださり、ありがとうございます」
柳が彼らに一礼する。
そんな柳に女衆から声が上がる。
「気にするな、若人よ!
これでこの寮の平均年齢も下がるってものよ!」
「だからってあんたの年齢は下がらないわよ、藍里」
「細かいこと気にしてもしょうがないのよ!
さぁ、あんたも飲みなさい!
もう飲める年なんでしょ!」
「ちょっ、やめて藍里!
一気飲みは死んじゃうわ!」
「そ、そうですよ……
流石に一気飲みはまずいですよ……!」
「おぉ~? 御子も言うようになったなぁ。
あんたも一杯いっとく?」
御子と呼ばれた少女が藍里と呼ばれた女から逃げる。
「ちょっと三柴先輩やめてください!
ホコリがたつじゃないですか!」
「そうだー、そうだー」
切り分けられたケーキを食べている他の女子が抗議の声を上げる。
しかし、言われても止めないのが年長クオリティ。
……騒がしい……
柳はそう思いながら男衆で身を寄せ合ってケーキをぱくついている。
そんな彼らのところに二人の女子が近づいてきた。
「ごめんね、柳くん。
騒がしいでしょ?」
全くだ。
「別に大丈夫ですよ、ひみさん」
「前みたいにひみお姉さんって言ってくれてもいいんだよ?」
そこに隣で座っている龍太郎が割って入る。
「お前のどこがお姉さんなんだよ。
身長152cm、圧倒的な絶望感。
ムリダナ×」
「そ、そんなことないよ!
こう見えても身長伸びてるんだよ!」
「ほぉ……?
じゃあ今、身長どれくらいだよ」
「ひゃ、百……」
「百?」
「五十二メートル……」
ぱちんっ
ひみのおでこに龍太郎のデコピンがヒットする。
「諦めて認めろよ。
最後の抵抗に単位を変えるんじゃない」
「だ、だってぇ~……」
ひみの泣き顔頂きました。
これでひみちゃんファイルが滞るな。
柳は椅子の隙間からカメラを回収する。
そんな時、ひみと一緒に近づいたもうひとりの女子が柳の服を引っ張った。
椅子に座っている柳より背は幾分か高い。
150cmあるか、ないかってところだろう。
「なんですか?」
柳の言葉を聞くとその少女は無言のまま、柳に手紙を差し出した。
ピンクで色づけられた可愛らしい手紙だ。
「これを僕に?」
少女はコクっと頷く。
前髪で目は見えないがきっと照れていることだろう。
……ふむ。
これがLove letterってやつか。
感慨深いな。
柳が彼女から手紙を受け取ると、その少女は向こうの女衆のもとへと戻っていってしまった。
愛い奴よのう……
俗愛をソソラレルゾ。
柳は早速開こうとすると前の席の礼が話しかけてくる。
「早速ラブレターかい?
東堂さんは奥手だからこんなことはしないと思ってたけど……
それでもさせちゃうなんて柳くんやるね!」
その言葉に寮長も近づいてくる。
「若いのぉ……
儂もあと30年も若ければ人生ばら色だったのにのう……」
「うるさい。
源三はまずその滾りに滾った無駄な贅肉を消費してからそういうことを言うのだ」
「ぐう……痛いところをつきよるのう……」
「そうですよ。
このまま運動しなかったらいつかポックリいっちゃいますよ」
「むむぅ……だからと言って運動は辛いしのう……」
「普通に時間あるんだからウォーキングでいいではないか」
「ふむ……考えてみるかのう……」
「……って、そんなことよりその手紙開けてみようよ」
こいつ忘れてなかったか。
「まぁ、いい。
開けるか」
柳が綺麗に折り畳まれた手紙の封を開けていくと内容が書かれているだろう本紙が出てくる。
それを半ば緊張しながら開ける。
三つ折にされたその手紙を開いていくと猫をあしらった可愛らしいマスコットが見える。
女子力高い。
いい雰囲気だ。
そして手紙を全て開けると手紙の真ん中に『ねこ』という文字が書かれ、その上に毛布らしき絵が描かれているのを発見する。
「なんだこれは……」
柳が愕然としていると礼が顎に手を指を当てながら推測する。
「……もしかして『ねこ』被ってるって言いたいんじゃない?」
「…………!!」
柳が東堂と呼ばれた女子の方を勢いよく向くと、彼女はこちらの視線に気づく。
「ドヤァ(`・ω・)b」
……ば、バレてる……
お、落ち着け、柳。
もちつくんだ! 柳、13歳、144cm!!
相手はコミュ障! っぽいじゃないか!
いけるいける。
どうせ喋れないって。
そうさ、俺も余裕の顔で返してみよう。
「b」
「チッ(・ д・)、」
ふん、ざまぁみろ。
コミュ障が余計な意地を張るからだ。
……そうだ……
柳は立ち上がると東堂と呼ばれた少女の元まで歩いていく。
東堂は突然の彼の行動に少し動揺する。
怒こったのだろうか。
彼女はそんなことを思う。
……んなわけない。
最後にやり込めたのだ。
そんなメンヘラ野郎じゃない。
……つまり、俺が行うのは追撃だ……!
柳は綺麗に折りたたんだ手紙を渡す。
東堂が柳に渡した物だ。
柳は彼女にだけ聞き取れるような小さな声でこういった。
「You too.(オマエモナー)」
東堂は呆然として手紙を取り落とす。
自身のコミュ障としての類い稀なる人間観察眼をもってしても、ここまで性悪とは見抜けなかった。
……ま、まさか、弱った相手に鞭を打つなんて……
ゆ"る"さ"ん"
バシンッと東堂が机を叩く。
その音に食堂に集まった皆が彼女に注目する。
「……よ、よくも……」
「よくもやったねー!!」
東堂が柳に襲いかかる。
ぽかぽか。
そんな擬音語が似合うほどの貧弱な殴打だ。
「あずまちゃんがキレた!」
「珍しいこともあるものねー」
遠巻きでは他の女衆がケーキを食べながら観戦している。
このコミュ障随分とおとなしい性格らしい。
……どこがだ!!
柳は涙目になりながら殴り続ける東堂を軽くいなしながら逃げる。
「お、落ち着いてください!」
「うるさい、うるさーい!
君なんか猫のくせにぃ~!」
「猫?」
「猫っていったわよね。
なんでかしら?」
「猫みたいに可愛いからじゃなーい?」
「うんうん!
柳くんって小動物っぽくて可愛いよね!」
柳は腕をどこかの海王みたいに回す東堂の攻撃を避けながら、そこらへんにいた龍太郎を盾にする。
龍太郎は突進してきた東堂を軽く受け止める。
身体が軽い彼女だ。
細マッチョな龍太郎には楽々止められてしまう。
「おい、落ち着けって」
その声に東堂は上を見上げる。
そこにはイケメンフェイスを携えた龍太郎がいる。
もちろん喪女である東堂には、イケメンに受け止められるという状況など初めてだ。
俗にいう『頭がふっとうしちゃうよぉぉ~~……っ!!』ってやつなのかもしれない。
ともかく、東堂は激しく赤面した。
周囲との温度差に湯気が見えるかもしれない。
「あ、あ……ああう……」
呂律すら回っていない。
パシャっ……
そんな彼女の耳に機械的な音が入った。
目の前のイケメンの肩らへんから音が聞こえる。
見ると、カメラのレンズがこちらを覗いていた。
あの位置だと、自分の赤面がバッチリ記録されただろう。
東堂は今度は別の事情で赤面した。
あんなものを公開されたら一生の恥だ。
東堂は龍太郎の脇を抜けて、柳を追いかけ始めた。
「君ぃー!
やめてよぉ! 消しってってばぁ~!」
「嫌ですー!」
柳と東堂の追いかけっこが始まる。
身長が低いものたちが織り成すこの茶番は、見るものをほんわかさせたことは言うまでもない。
「いやぁ、柳くんってばもてもてだねー」
「そうかぁ?
ただ墓穴掘ってるだけじゃねえの?」
男衆がコーヒーを飲みながら語り合っている。
微妙に哀愁が感じられるのは、この寮の先輩故なのだろうか……
今日も騒がしいうちに夜が過ぎていく。
大抵、この寮はこんなものだ。
しかし、そんな毎日が楽しい。
この寮はそういうところなのだ。
これはキャラ紹介をどこかに挟まないといけませんね。
いつになるかはわかりませんが……




