第九話 ヘンギストの死
そのとき、Hengistの息子Octa、いとこのEbissaは戦場にいた。とても脱出の見込みはなく、ヨークへと避難した。
彼らは都市を強化し、男たちが救援に来るまでに、可能な限りのすべての準備をした。
他の者に関しては、様々な場所に隠れた。森と谷に、洞窟と丘に。
しかし、異教徒の力は壊滅し、多くのものが死んだ。そして生き残りは囚えられ、奴隷のように拘束された。
王は彼の勝利に喜び、神に栄光を捧げた。
彼は、負傷者の痛みを癒やし、疲れたものに幾ばくかの休暇を与えるために、まる三日間カーコナンに留まった。
その場で、彼は隊長たちを招集して会議を開いた。裏切り者Hengistをどのように扱うべきかを知るためだ。彼を牢獄に繋いでおくか、殺してしまうかにかかわらず。
Eldadは、彼を彼の足元に連れてきた。
彼は、正しい学問を収めた聖職者で、彼によって定められた司教だった。そして彼は――貴方も既に知っている――Eldof伯爵と血のつながった兄弟だった。
「王への私の助言は、」司教は言った。「裏切り者Hengist――我らの憎むべき敵――に対し、かつて聖Samuelが、捕虜となったAgag王にしたことを行うことです。Agagは誇り高く死んだ王子であり、アマレクの民の真に栄光ある王でした。彼は、ユダヤ人の悪事を見たときから、損害を与えるであろう彼らに争いをもたらしました。彼らは土地を占有し、彼らの物資を火で燃やし、そして、とても頻繁に、楽しみのために彼らを殺したのです。彼にとって悲しいことに、その日、Agag王は戦場で捕らえられました。彼はSaulの前に引き出されました。ユダヤ人が彼らの王になるよう求めていた人物です。SaulはAgagをどう扱うのが良いか考え、彼の足元に立つSamuelの手に委ねたのです。このSamuelは、イスラエルの聖なる予言者で、これ以上なく敬虔な、神に仕える聖者でした。彼は決して人々の息子たちの間で生活しませんでした。聖Samuelは、誇り高い王Agagを己がものとしました。彼は、彼の身体をバラバラに切り分け、そして、王国の彼の仲間に送りつけました。
聞きなさい。そして学ぶのです。SamuelがAgagを小さく切り分けている間、なにを言っていたのかを。『Agag、多くのものがそなたの喜びのために苦しめられた。多くのまっとうな若者がそなたに痛みつけられ、殺された。そなたは多くの魂をその肉体から引き出し、そして多くの母親を息子のために悲しませた。多くの赤ん坊はそなたによって父親を失った。しかし、おお、Agagよ。悪しきことも良きことも終わるのだ。今、そなたの母の営みを私は不毛にする。そして、そなたの魂は肉体より搾り出されるのだ』これにしたがって、貴方の捕虜を分け与えるのです。おお、王よ、これがSamuelが考えだした処置です」
グロスター伯Eldofは、司教が示した例に従い、動いた。
彼は会議の席を離れ、つかんだHengistを街の外へと引いていった。
そこでEldofは彼の剣でHengistの頭を打ち落とした。
王は、再びHengistの頭を彼の肩に置いて、その身体を異教徒方における儀式と様式に従い、ふさわしい形で埋葬した。
王はカーコナンには留まらなかった。しかし、執拗に彼の敵を追った。
彼は巨大な軍隊を率いてヨークに来た。そして街の前に陣取った。
Hengistの息子Octaと彼の何人かの親族は、街の中にいた。
もはや誰も敵に打ち勝ち助けにはこないだろうとOctaが知らされたとき、彼は自らの身を王に差し出して慈悲を請うべきであろうかと考えた。
もしも彼が己が手で運命を選び、王の哀れみを謙虚に嘆願するならば、すべては良くはからわれ、慈悲が与えられるだろう。しかし、もしも彼の祈りが嘲笑されたならば、彼は死から自身を守らねばならない。
Octaは、彼が考案したように、そして彼の親族が了承したように、そうした。
彼は、すべての貴族の仲間を引き連れて街の門の前にやってきた。
Octaは鉄の鎖で自分の手首を縛り、彼の仲間たちの先頭を歩き、王の前に最初にやってきた。
「閣下」彼は言った。「私は貴方の慈悲と哀れみを懇願します。我々が信頼していた神々は、我々が必要とするときに我々を裏切りました。貴方たちの神々は、彼らよりも強いです。我々が塵のように打ちのめされたときから、彼らは驚くべき仕事をして、貴方たちに力を与えました。私は打ち負かされました。そして、そなたのしもべとして所有されました。連なったそなたの奴隷を見てください! そなたの心のままに、私と私の部下を連れて行ってください。我々の持つすべての命と肉体は、そなたの喜びです。しかし、もしも王が良く我々の身体を守ってくれるならば、我々は彼の奉仕のために素速く、あるいはゆっくりと働きましょう。我々は彼の争いにおいて忠義を尽くして奉仕し、忠実な臣下となりましょう」
王は哀れみの心を持つ、信心深い男だった。
彼は、これらの事柄が、彼の貴族たちの考えと助言によるものだと思い、彼らを見て回った。
立派な司教Eldadは、賢い年長者として最初に話した。
「慈悲を求める彼に慈悲を示すことは、良きことです。過去においても。そして未来永劫においても。彼の侵入の罪を許さなければ、いったいどうして神が彼の罪を容赦するよう、彼が望むでしょうか? 彼らは大声で泣き、そなたに慈悲を求めています。そしてそなたは慈悲を持たねばなりません。ブリテンは偉大にして長く広い王国です。住むもののいない多くの土地があります。この獣たちを救うべきです。彼らが土を掘り、畑を作り、生活し、繁殖することを認めてやりなさい。しかし、彼らが忠義を尽くして奉仕するために、彼らの筆頭のものを人質にしなさい。そして、忠義の満足を彼らに与えてやるのです。我々は聖書より学びました。かつてギベオンの街の子らがイスラエル人に支配されていたとき、生命と仲間を探したことを。彼らが請い、与えられた平和、そして生命と契約は、彼らの泣き声に応えて与えられたものです。ユダヤ人が彼らの時代において証明したよりもなお、キリスト教徒は頑固であってはなりません。彼らは慈悲を切望し、彼らは慈悲を持たねばなりません。彼らの望みを死をもって裏切ることのなきよう」
王はサクソン人に土地を与えた。Eldadの助言に従い、多くはスコットランドを分け与えられた。そして、彼らは住むべき場所へと速やかに出発していった。
しかしその前に彼らは、もっとも誇り高い血統の人種の子供たちを、人質として王に引き渡した。
王が街に来てから15日後、彼は身内に議会の招集に応じるよう伝言を送った。
貴族と聖職者、修道院長と司教、彼らは宮廷に呼ばれた。
この議会において、相続権と命令特権について再確認が行われた。
彼は、ローマ人によって破壊された教会の修復を命じ、保証した。[1]
彼は兵士を解雇し家に返し、彼の封土を平穏に保つために子爵と市長を任命した。そして、彼らの収益と小作料を保証した。
彼は石工と大工を探し、新しい教会を建設した。
彼の王国の教会は戦争により傷つき損壊していた。王はそれらの地所を元に戻した。相応しい奉仕と神の誇りのために。
議会の後、王は市民が待ち焦がれるロンドンに向けて出発した。
彼は街の以前の輝きに陰が指しているのを見た。通りに人影はなく、家と教会は堕落し、腐敗していた。
王は、彼の美しい街が被った損害を大いに嘆き悲しんだ。
彼は新たに教会を建築し、かつての正しい慣例に従い神の奉仕へ参加するよう、聖職者と市民に宣言した。
それから王は、かつてHengistが愛した日に汚い手段で殺害された人々の墓に跪くために、アンブレスベリーの修道院の近くに赴いた。
彼は、精神的な崇拝へと昇華すべく、世界の終りまで持ちこたえる石碑のために、石工と大工と抜け目ない技術者の大集団を招集した。
[1]これは誤記でしょうか? 教会を壊したのはローマ人ではなくサクソン人のはずですが、どう解釈しても意味不明です。ちなみに英訳は次のようになってます。
He bade and assured that the houses of religion, destroyed by the Romans, should be rebuilt.
「修理するようローマ人に命令した」というならば筋は通るのですが、間違いなく「destroyed by the Romans(ローマ人によって破壊された)」と書いてあります。
戦いの攻防の中でローマ人が誤って壊してしまったとでも言うのでしょうか?
たまにこう言った記述にぶつかり、そのたびに頭を抱えています。




