2 大突入! 異変と不安が襲い来て!?
「リョーコちゃーん、待ってってばー」
氷川マコトの声は、よく通り、よく響いた。少し遅れて入ってきた新戸シンジの耳にもしっかりと聞こえたし、隣の天上カレンにももちろん聞こえただろう。そして、さらに先を行く嘉神リョウコにも届いているはずだ。
門の向こう側に広がっていた通路は、狭いわけではない。ふたりが横に並んで歩いてもかなりの余裕があり、リョウコとマコトの合流後は四人で並んで歩くことも可能だろう。天井も高く、とても地下空間とは思えない。そもそも、旧校舎の地下へ至る階段の高さを考えると整合性が合わないのだが、きっとシンジが思い違いをしているのだと結論づけていた。
空気はあるが、風はないようだ。全体的に暗いのだが、闇というほどではなかった。目がなれないうちは困るだろうが、慣れれば、走ることくらいはできそうだ。
「リョウコさん、はしゃぎすぎじゃありませんこと?」
「はしゃいだわけじゃないと思うけどね」
あきれたようなカレンの言葉に相槌を打ちながら、周囲を観察する。通路は、しばらくは真っ直ぐ続いているようだ。既に十メートルほどは歩いているが、果ては見えない。こんな広大な地下空間があるのなら、世間で話題になっていてもおかしくはないのだが、シンジの記憶にはそんな話はなかった。
シンジがいくら休日中は家に引きこもってゲームばかりしている人間でも、学校での話題についていけないほどではない。というより、聞き耳をたてなくても、大声でしゃべるような連中は多い。それに、シンジが知らなくても、リョウコやマコトが知っているはずだ。女子の情報量は男子の比ではない。それなのに知らないということは、旧校舎の地下空間の話は、噂にも登っていなかったということだ。
胸がざわめいたが、シンジにはどうすることもできない。とりあえず、リョウコたちとの合流を優先しなければならなかった。
「おーい! 新戸くーん、天上さーん!」
前方からマコトの大声が響いてくる。やたら元気な声は、この地下空間の暗さを吹き飛ばすかのようだった。
「リョーコちゃん捕まえたよー!」
「いや、捕まってはいないが」
決して大きくはないリョウコの声も聞こえたということは、それほど遠くはないということだ。シンジはカレンと頷きあうと、駆け足になった。
リョウコとマコトがいたのは、通路を抜けた先の広い空間だった。正方形の空間は、六畳くらいの広さはあるだろうか。相変わらず明かりもなく薄暗いので、正確な広さを認識することもかなわないが。
その広い空間の真ん中で、長身の少女と小柄な少女が待っていたのだ。
ともかく、リョウコとマコトの無事を確認できたことにほっとする。
「遅かったね」
「ふたりが早いんだよ」
にっこりと笑うマコトに、シンジは肩で息をしながら返した。急に走ったのが原因にせよ、運動不足がたたっているのは間違いない。ゲームばかりしているからだ、というリョウコの声が聞こえてきそうだった。
「そうですわ。危うくシンジ様と恋の逃避行に至るところでしたわよ」
「危うく、なんだ」
シンジは適当にツッコんだだけのつもりだったが、カレンにはそうは受け取られなかったようだ。手を取られ、あまつさえ両手で握りしめられて、見つめられる。
「もちろん、お望みとあらばいつでも逃避行いたしましてよ」
「い、いまは遠慮しておくよ」
カレンに気圧されて、シンジは少し後ずさりした。
カレンの様子がおかしいのは、いつものことではない。以前は新戸様と呼ばれていたし、こんなに親しげに接してくることもなかったのだ。なにが原因なのかはわからないものの、嫌われているよりは余程ましだろうし、問題があるわけではない。
「さて、四人揃ったな」
もっとも上背のあるリョウコが胸の前で腕を組み、かっこよくリーダーシップを取ろうとしたそのときだ。
「ちょっと待った!」
声を上げたのはマコトだった。身長差のあるリョウコの前で挙手して、詰め寄っている。リョウコはたじろいだようだった。
「な、なんだ?」
「リョーコちゃん、ごめんなさいは?」
マコトがいうと、リョウコは冷静な顔に戻った。
「なんでわたしが謝らなきゃ……」
「勝手に飛び込んでごめんなさい、は?」
シンジからはマコトの表情は見えなかったが、リョウコが困惑しているところを見ると、相当おっかない顔をしているのが想像に難くない。リョウコは四人の中で一番身長が高く、運動能力もあり、リーダーシップも発揮する人物ではあったが、いろいろと一番小さいマコトには頭が上がらないという逆転現象が起きていた。もちろん、リョウコに非があるときに限るのだが。
リョウコは、いろいろと諦めたように組んでいた腕を解いた。そして、シンジとカレンに向かって深々と頭を下げる。
「かってにとびだしてごめんなさい」
声音こそ平坦そのものだったが、一応、謝罪は謝罪だといえるだろう。
「よろしい。いいよね?」
「あ、ああ」
マコトの嬉々とした態度に彼女の本性を垣間見た気もするが、シンジは追求しなかった。藪蛇になるだけだ。シンジはいまのところマコトの被害にあったことはないが(というより、彼女の牙はリョウコにだけ向けられている気がする)。
と、カレンが、慈母のような顔で鷹揚に頷いてみせる。
「ええ、それでよいのです。自分の過ちを認め、反省することこそ、人間として生まれたわたくしたちの特権。ああ、なんて素晴らしきかな人生……」
「天上は置いておくとしてだな」
「リョウコさん、それはあまりにも失礼ではなくて?」
「おまえがひとり別世界にいってるからだ」
「あらま」
カレンとリョウコのショートコントを見守っていると、マコトがとことこをシンジに近づいてきた。手招きするので顔を寄せると、囁くようにいってくる。
「あのふたり、案外仲いいよね」
「じゃなかったら一緒に行動しないよ」
「そうだね」
シンジは、マコトと一緒にくすりと笑った。すると、カレンの冷ややかな視線が突き刺さってきた。
「おふたりとも、随分と仲がよろしいようで」
「新戸、マコトに手を出したら沈めるぞ」
シンジの扱いの悪さに定評のあるリョウコの発言はとどまるところを知らないようだった。
「なんでそうなる」
「そうだよ。それにボクの意思はどうなるのさ」
「マコトさん……まさかあなた」
「マコト、目を覚ませ」
「リョーコちゃんひどい」
笑いながら指摘するマコトもいい性格だとシンジは思ったが、あえてツッコんだりはしなかった。女三人集まれば姦しいとはよくいったもので、彼女たちのやりとりはいつだってシンジを置いてけぼりに加速するのだ。とはいえ、稀に気にかけてくれることもあるので、存在自体を黙殺されているわけでもない。いまの話題だって中心近くにいたことは間違いない。だからどうだという話だが。
シンジは、このままでは埒が明かないと思い、わざとらしく咳をした。三人の注意がこちらに向けられる。
「で、どうするんだ?」
「どうするもこうするも、探索するんだけどさ」
マコトが当たり前のようにいうと、リョウコが補足するように続けた。
「まず、この部屋の周りを見て欲しい」
「どうかなさったんですの?」
カレンが疑問符を上げる中、シンジはいわれるままに周囲を見回した。薄暗い中、四方に通路が伸びているのがわかる。来た道を除けば、取るべき進路は三方向にあるということだ。だからリョウコはここで立ち止まり、シンジたちの到着を待ったのかもしれない。
通路の先は見えなかった。暗いことを考慮しても、ある程度は長いということだ。
「旧校舎の地下……にしては広すぎませんこと?」
カレンが当然の疑問を口にする。
「そうなんだよね。こんな地下空間があったらさ、噂くらいにはなると思うんだけど」
「だれにも知られずにこんなものが作れるとは思えないな」
「かといって、昔からあったとも考えにくいよね」
「疑問は尽きないけど、考えてたって答えは出ないぞ。進むか、戻るか、ふたつにひとつだ」
シンジが告げると、三人は顔を見合わせた。シンジにしてみれば、その話題は既にシンジの脳内が辿ったものであり、目新しさはなかった。三人のうち、だれかが新情報でも持っていない限り、繰り返し話題にするようなものでもない。
「戻るにしても、もう少し探索してからでよくない?」
「わたくしもマコトさんに賛成いたしますわ」
「よし、行こう」
「俺の意見は無視か」
シンジが非難の声を上げると、前方に向き直ろうとしていたリョウコがこちらを一瞥してきた。流し目には、色気がないこともない。
「ん? 戻りたいのか?」
「いや、そういうことじゃなくて」
「だったらいいだろう。聞くだけ無駄だ」
「……そりゃそうだけどさ」
「よしよし」
シンジが肩を落とすと、マコトに頭を撫でられた。背伸びをして懸命に頭を撫でる少女の姿は、可憐ですらある。
「行くのはいいとして、どう行く? 二組に別れて行動してみる? あ、でも連絡手段が……」
「携帯……繋がるのか?」
「どうでしょう?」
「試してみる」
地下ではあるが、場合によっては繋がるかもしれない。二組にわかれるかは別として、調べておくのに越したことはない。こんな不審な空間だ。なにか事件が起きたときのために連絡手段を確保しておくのは大事だろう。
シンジはスマートフォンを取り出すため鞄を開き、硬直した。
「どうした?」
「どうしました?」
「どったの?」
三者三様の問いにどう答えるべきか迷い、シンジはひとまず鞄を床に置いた。携帯ゲーム機といくつかのゲームソフト、スマートフォンに、適当なものを入れていたはずの鞄の中には、見たこともない小瓶が五つ入っていたのだ。容量300ミリリットルほどの小瓶には透明な液体が満たされており、一見、市販の飲料水に見えなくもない。それをひとつずつ取り出すと、リョウコたちが怪訝な声を発した。
「なんだそれは?」
「新戸くんって、喉乾きやすかったっけ?」
「わたくしたちの分も用意してくださったのですか?」
「俺、鞄にこんなの詰め込んだ記憶がないんだけど」
スマートフォンは無事見つかったが、携帯ゲーム機は見当たらなかった。教室に置き忘れたような記憶もないが、その可能性もなくはない。カレンに遮られてからの記憶があやふやだ。そして、そのときのことを思い出すと、鞄の中には小瓶が入っていた記憶はなかった。
「どういうことだ?」
「俺にわかるわけないよ。誰かのいたずらじゃないよね?」
シンジは三人を見回したものの、リョウコたちにもまったく心当たりなさそうだった。
「心外ですわね。わたくしでしたら、そんなものよりも恋文を入れておきますわ」
「天上さんじゃないのは確かだね。ぼくもやってないし……リョーコちゃん?」
「なんでわたしがそんなくだらんいたずらをしなければならんのだ。それに、どうやって新戸に気付かれず、新戸の鞄に触れるんだ?」
リョウコのいうことももっともだった。シンジは彼女の至近距離にいたわけでもないし、鞄は肌身離さず持っていたのだ。シンジの隙を突いて鞄の中身を入れ替えるなど、神業以外の何物でもない。
「それもそうか」
納得するマコトをよそに、シンジは小瓶を眺めていた。赤い蓋の小瓶。透明な小瓶に満たされた謎の液体。ただの水のようにも見えるし、そうでもないようにも思える。薄気味悪く感じるのは、正体が不明だからに違いない。
「原因は不明だし、気味悪いし、ここに置いておくか」
「それがいいかもね」
「ここに置いておくのでしたら、目印にもなりますわね」
マコトとカレンの後押しを受けて、シンジは小瓶たちを床に置いたまま立ち上がった。手にした携帯電話の電源を入れる。シンジは普段、携帯電話を使う用事がないので、電源は切ったままにしているのだ。親に持たされただけのシロモノなのだ。起動画面が出る。ふと見ると、ほかの三人もそれぞれ携帯電話を取り出したらしい。
特に変更してもいないために無機的な待ち受け画面の上部を見ると、電波が届いていないことを示すアイコンが表示されていた。バッテリー残量は十分あるが、それだけでは意味がない。シンジが確認するのと同時くらいにマコトが声を上げる。
「あー、やっぱだめかー」
「こっちもだ」
「全滅みたいですわね」
カレンが肩を落とす。通信インフラが整ってきた昨今ではあるが、なんの設備もない地下にまで届くということはないのだろう。予想していた通りではあったので、シンジは別段ショックを受けることもなかった。が。
「あら?」
カレンの反応に、シンジたちは彼女の携帯電話の画面を覗きこんだ。
なぜかシンジの写真が乱舞している待ち受け画面には、「新たなデータの受信中」という表示があり、それが「ダウンロード開始」へと変わった。リョウコが後ずさり、悲鳴を上げる。
「趣味悪っ」
「そこじゃないだろ」
シンジはリョウコの態度に辟易しながらも、カレンの待ち受け画面に映る自分の写真に奇妙なものを感じずにはいられなかった。あくびしていたり、寝ていたり、大口を開けて笑っていたり、シンジにしてはめずらしい表情ばかりだ。いつの間に撮っていたのだろう。カレンに尋ねようとしたが、マコトの声でその機会を失った。
「待って、ぼくの携帯もなにかダウンロードしてる」
シンジは透かさず自分の携帯電話の画面を見た。「ダウンロード中……残り50%」と表示されているのだが、電波状況に変化はない。通信はできていないのだ。なのに、なにかを勝手にダウンロードしている。通常ならばありえないことだ。四人の携帯電話が同時になんらかのウィルスにかかったわけでもあるまい。機種も違う。
なにもかもがおかしい。
「わたしのもだ。なんだこれは?」
「ぼくが聞きたいんだけど」
「さっきからおかしなことばかりですわね。これも幽霊の仕業ですの?」
「だったらやだなあ」
シンジは携帯電話の電源を落とそうと試みたが、徒労に終わった。まったくいうことを聞かなくなっていた。壊れたのかもしれない。
「電源、落ちないぞ」
「えー、もうどうなってんの」
「こんなところに来たのがいけなかったのか?」
「まだ探索も始めていませんわよ?」
カレンが半眼になって、リョウコを一瞥した。カレンは案外度胸が据わっているのかもしれないし、一方でリョウコは怖がりなのかもしれない。一見すると逆のタイプに思えるのだが、人間、見た目で判断はできない。もっとも、リョウコが怖がりだというのが事実だとしても、シンジには到底信じられなかったが。
「ダウンロード完了……だって。インストール開始ー」
「なにが起きているんだ?」
「その原因を突き止めるのではなくて?」
「そうだっけ?」
「ここを探索するってことは、そういうことになるのかも」
シンジはインストールの完了を待ちながら、カレンの意見に同意した。異変が起き始めたのは、旧校舎の地下の門を潜ってからだ。いや、あの門そのものが異変だったのかもしれない。そもそも、地下への階段なんてなかったというのが共通認識だったのだ。入ってこなければよかったのかもしれない、と思わないこともないが。
左からの衝撃にシンジははっとした。見ると、カレンが腕に抱きついてきていた。豊満な胸の感触に意識が持って行かれそうになる。
「さすがシンジ様ですわ」
「新戸を買いかぶり過ぎじゃないか?」
「リョウコさんがシンジ様を評価していないだけですわ」
「ぼくはその中間ってことで」
「おまえなあ」
「まあ」
マコトのしれっとした発言に、リョウコとカレンのふたりは毒気を抜かれたようだった。しかし、シンジは左腕から意識を遠ざけるのに苦心しており、それどころではなかった。カレンの肢体は想像以上で、健全な男子の本能を呼び覚ますには十分すぎるのだ。しかもワンピースだ。感触がダイレクトに襲いかかってきていた。
「あ、インストール終わったみたい」
「いったいなんだったんだ?」
「えーと」
シンジが画面に意識を戻すと、見たこともないアプリが追加されているのがわかった。DMDと表記されたそれをタップすると、アプリが起動した。ダンジョン・マルチ・デバイスへようこそ、という文字は初回限定の案内なのかもしれない。
「ダンジョンマルチデバイス?」
「なんだこれは」
「どうしてこんなものがインストールされたんですの?」
文字を飛ばすと、シンプルな背景に、マップ、ステータス、アイテム、モンスターといった文字が大きく表示された。ゲーム画面のようにも思えるが、たいして凝ってもおらず、素人が作ったソフトとしか考えられない。かといって、素人にこんなだいそれたことができるはずもない。
「ねえ、マップ見てよ」
「ん?」
マコトにいわれるまま「マップ」をタップすると、黒背景の画面が表示された。そこに書きかけの地図のようなものがある。まるでダンジョン探索系ゲームのオートマッピングのような画面に、シンジは軽くめまいを覚えた。いろんなゲームに手を出してきた彼にとっては見慣れた光景だ。そして、マップを埋めるために歩きまわって、思わぬところでゲームオーバーになるというお約束を思い出す。が、いまは関係ない。現実とゲームを一緒にしてはいけない。
「これ、さあ」
「わたくしたちが歩いてきた道……なわけないですわよね?」
「まさか」
三人の発想は、それこそゲームだったが、彼女たちがゲーム好きという話は聞いたことはない。そういうことが思いつくほど、マップに記された地図は精巧だった。木造の迷路を進んでいるような地図なのだ。そして、その地図は、長い一本道から広めの空間に出たところで止まっており、そこから三方向に道が伸びているのが薄っすらとわかるようになっている。
「そんな馬鹿なこと、あるわけないよ」
シンジはそういったものの、少しだけ不安に駆られた。カレンがいつの間にか離れていたことを確認すると、左の通路に進んでみる。
「新戸くん!」
「確認するだけだよ」
マコトの呼びかけを振りきって通路を進む。そして携帯のマップを見ると、広い空間から道が一本、伸びていた。ほんの僅かだが、シンジが歩いた距離を考えれば妥当な長さだろう。シンジは、自分の目で見たものが信じられなかったものの、急いで三人の元に戻った。
シンジは報告するために口を開こうとしたが、携帯の画面に目を落としていた三人の表情で理解する。彼女らのマップにも変化があったのだ。
「これはいったい……どういうことですの?」
「新戸が歩いた分だけ書き足されているな」
「なんなの……これ」
「オートマッピング。ダンジョン探索系ゲームなら、ありがちな機能だよ」
とはいったものの、ツッコミが来ることもわかっていた。
「これはゲームじゃないぞ」
「そうですわ、わたくしの感じたシンジ様の体温は現実でしたわ」
「そうだよ、新戸くん。いくらなんでもゲームって……」
ひとりだけまったく関係のないことをいっている気もしたが、シンジは予想通りの三人の抗議を受けて口を尖らせた。
「だから、ゲームだとありがちな機能っていう話だよ。現実では実用化されてないし、される必要もないものだ。大体、地図なんていくらでもあるし、自分で歩いた部分だけ記録されるなんて面倒なことこの上ないだろ」
「そうだな……アマゾンの奥地に行くわけでもあるまいし」
確かに、未踏の地に行くのなら、多少は役に立つ機能ではあるのだろうが。
「リョーコちゃんがアマゾン奥地で無双する姿が幻視できる……」
「どういうことだ」
「ひゃん」
「アマゾンはさておき、まったく理解が追いつきませんわね。ここに入ってきてからというもの、おかしなことばかりですわ。シンジ様の鞄に小瓶が入っていたり、勝手にアプリが追加されたり、オートマッピングなるものがあったり……」
カレンが嘆息するのもうなずける。異常事態の連続だったし、理解し難いことばかりだ。かといって、恐怖を感じるたぐいの異変ではないのが困ったところかもしれない。恐ろしいことなら、すぐにでも逃げ出そうという気になるのだが。
シンジは、恐怖よりも、好奇心がくすぐられているのが現状だった。
マコトを羽交い締めにしたリョウコが、カレンを見た。
「戻るか?」
「ご冗談を。天上家の名にかけて、この怪現象の正体を突き止めてあげましてよ」
なにやら拳を突き上げるカレンの姿は頼もしくはあった。
「威勢がいいのは結構だけどさ、本当にどうするんだ」
「もう少し進んでみて、本格的に怪しくなってきたら戻ればいいんじゃない?」
「そうか。マップがあったな」
「出入口も載っている……あれ?」
マコトの言葉に反応してマップに視線を戻すと、ここに至る一本道の終点――つまり旧校舎地下の門辺りがぼやけていて、踏破していないかのような表示になっていた。
「どういうことだ?」
「そもそもさっきインストールされたアプリが、この一本道まで記録しているのがおかしいんだよ」
「そういうものなのか?」
「ゲームじゃ都合上、オートマッピング機能入手前のマップまで記録されることもあるけどね」
「じゃあ、そういうことだろ?」
「いやでも……うーむ」
リョーコの言葉を否定しきれなかったのは、このアプリがどうやって歩いた道を記録し、マップに書き記しているのかもわからないからだ。シンジたちの記憶から抽出するなど、たかが携帯電話できるはずがない。そんな高度な技術があるならとっくに発表されているだろうし、世間もその話題で持ちきりだっただろう。いろいろと活用できそうな技術だ。
記憶から抽出された地図だとして、出入口が不鮮明なのは引っかかるところだ。あれほどわかりやすく、記憶に残った場所もない。もちろん、アプリの不具合という可能性もあるし、マップに一度に書き記される範囲外だったかもしれない。
とはいえ、だ。
シンジは携帯電話を鞄に入れると、三人に提案した。
「一度、戻ってみないか?」
「そうだな……確認しておいたほうがいい」
「ぼくもさんせー」
「異論はございませんわ」
そうして、シンジたちは来た道を引き返すことになったのだが。
「これはいったい……」
長い通路を進んだ先で、リョウコが愕然とつぶやいたのも無理はなかった。
門が開いていたはずの場所には壁があり、シンジたちは、旧校舎に戻ることもできなくなってしまったのだ。