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後編

カウンター内に戻った鈴さんは手鍋に水を入れ、手際よく刻んだ椎茸や蒲鉾かまぼこなどを入れてオジヤを作り始めた。

「ねえ、鈴さん。ひとつ質問が有るんですけど、聞いても良いですか?たいした質問じゃないんですけど」

「回りくどいわね、何を聞きたいの」

聞くならさっさと聞けと言わんばかりだった。

「ここの店の名前は何と読むんですか?」

鈴さんは包丁の動きを止めて

「ふふふ、それか。今日は私も少し飲もうかな」


質問には答えずにコップにお酒をついで、ゆっくり一口飲んだ。

「あんたも、もう少し飲めば。面倒だからお燗はしないよ、その代り只で良いから」

返事をする前に冷酒をコップに注いでいる。

そんな仕種には、繊細な一面と豪放磊落ごうほうらいらくな一面とを相次いで垣間見せられたような感じがした。



「この店の名前は『すずかけのえだ』って読むのよ。鈴懸すずかけはポプラの事よ。

北海道では並木に良く植えられる木よ。だから鈴懸の枝はポプラの枝という事よ」

「ふ~ん。それで、何時いつ、誰がどんな意味で付けたんでしょうか」

「あんたはまるでルポライターだね」

どうやらぶっきらぼうな語り口は鈴さんの癖のようだ、怒ったように聞こえるのはそんな言い方が災いしている。現に今も笑みを含ましている。


「鈴さん、俺の事をあんたじゃなくて石山って呼んで下さいよ」

「別に、あんたはあんたで良いじゃないの」

「でも、このお店だって『鈴懸の枝』って、ちゃんと呼ばれたいでしょう?俺だって同じです」

「本当に理屈っぽいね。あんたはあんたで良いのよ」

俺はそれ以上の抵抗はしなかった。


「それで、名前の意味はなんですか?」

鈴さんはまた一口お酒を飲んで、何故か俺を睨みつけた。

「この店の名前は父が付けたんだよ」

「それで」

「あんた、ちゃんとお仕舞いまで聞く気あるの」

また睨まれた。

「もちろん」

鈴さんはまた一口お酒を飲んで咳払いをして話し出した。

「私が生まれた時に、大工だった父はお祝いに拳くらいの大きさの鈴を買って来て、鈴懸の枝にその鈴を針金でくくり付けたんだって。よほど嬉しかったらしくて酔って木に上って、天辺の枝に括り付けたんだって。大工だから高い所は平気だったみたい。それで私の名前も鈴になった。ところがね、何処どこの鈴懸の木に付けたか忘れちゃったのよ。酔って木に登る事は出来たし、鈴もしっかりと針金で括り付けたのに、肝心の付けた場所を忘れちゃったんだって。母はそんな事は気にしないで良いよと言ったらしいけどね。それでも時々父は、どこかの鈴懸の枝に鈴が付いているはずだと随分と探したらしい。でも見付からなかった。でね、私が大人になって家出同然に北海道を出ちゃった時に、父は母にこう言ったんだって『俺があの時に鈴を見失わなければな』って。馬鹿だよね、関係ないのにね。その後に父は現場の高い所から落ちて大工の仕事が出来なくなって、この店を始めたのよ。『いつか鈴が戻ってくるように』ってね。だから『鈴懸の枝』なんだって。私はそんな事知らなかったからね、私が店の名の由来を知ったのは、父が重病と知らされてからだった。でね、父が亡くなってからこの店を私が継いでやっているのよ。そろそろ四年目になる。あんた分かった?これでお仕舞い」


言い終えた鈴さんはまたお酒を飲んだ。

「あんたも、旅の途中なんて呑気な事を言っていないで、両親に親不孝を掛けちゃ駄目だよ」

そう言うと鈴さんはオジヤ作りに専念し無言のひと時が流れた。


俺は鈴さんの父親が残したものであろうか、お品書きの短冊や目の前のカウンターを見ると胸が熱くなった。俺は親不孝者か、それは間違いない。

店を継いだ鈴さんは親不孝者か、それは俺には分からなかった。


鈴さんは出来上がったオジヤをお椀に取り分けてくれて、二人掛けの小さなテーブルでオジヤを食べた。

「鈴さん、もう一杯お酒を頂けませんか。冷で良いです、お金もちゃんと払います」

「みみっちい男だな」

そう笑ってお酒を取りに席を立ってくれた。

「よし、今夜は飲もうね。あんたも付き合いなよ」

オジヤを食べながらお酒を飲んだ。

鈴さんの命令で俺が焼き鳥を焼き、お酒を飲んだ。

「邪魔者が来たら困る」と今度の鈴さんは何のためらいもなく、さっさと入口の鍵を締めた。


それから鈴さんの川崎での暮らしぶりを聞き、俺の旅先での思い出話をして、大いに笑い盛り上がった。

「鈴さんて美人じゃないけれど、味わいのある顔立ちですね」

「何よそれ、嫌なやつだね」

「怒らないでくださいよ、俺には美人よりも味わいのある顔の方がランクは上です」

「そんなセリフ、世間じゃ通用しないわよ」

「そうですか、じゃあ鈴さんにだけ通用すれば良いですよ。鈴さんは美人よりも美しい」


不思議と酔わなかった。

傍目に見たらどう写るかは分からないが、こんな事も有るのかと思えた。

一事が万事、出会いの不満も今のこの満たされた気分も、こんなことが有るのかと思えた。

俺はただ父に手紙を投函して帰るだけの筈だった。

偶然と必然の距離なんて案外と近いのかも知れない。


腕時計を見ると午前零時を過ぎていた。

「鈴さん、俺はもう帰るよ」

鈴さんは俺を車で送って行くと言い張ったが、いくら何でもお酒を飲んでしまっている。

歩いて帰ろうと入口の引き戸を開けて驚いた。雪が5~60cmも積っていた。

その上、吹雪は続いていた。

わずか数百メートルのアパートまでかえるに帰れない状態に、何故か笑ってしまった。

「まったく、北海道は恐ろしいところですね」

「ここは神奈川県じゃないからね、世界は広いって事よ」

「でもさ、これじゃあかえるに帰れない。鈴さんは除雪車を持っていますか?」

「馬鹿だね、そんなもん持っている訳ないよ。いいから泊まっていきなよ。明日、除雪が済んだら帰りな」

悩むも何も他に方法が見当たらない。


お店の二階が鈴さんの居室になっていた。その二階への細い階段を上がる。

寒い部屋の暖房を鈴さんが入れてくれた。

「布団は一組だからね、変な事をしたら表に叩き出すよ」と真剣とも笑顔とも言えぬ顔で言い渡された。

「鈴さんの名前って、良い名前ですね」

寝床を整える鈴さんにそう話しかけた。

「何よ、今さら急に」

「今さらって言われても、たった今そう思ったんです」

「お店の名前の鈴懸の枝も、良い名前だと思います」

「そうね、気に入っているわ。でも焼き鳥屋向きじゃないけれどね」

「でも、俺はその名前でこの店に入る気になったんです」

「どうして?」

「何て読んだら良いのか分からなくて、興味が湧いて」

「それだけで入って来たの?」

「そうですよ」

「あんたは、この吹雪の中をお店の名前だけで入って来たの」

「そうですよ、だから良い名前だと思います。お陰で鈴さんと出会えました。

親父さんの話も凄い話しです。俺、話を聞いていて、さっき泣きそうになった」

「嘘ばっかり」

「この店に入って、一度だって嘘はついていないですよ」

俺は真正面から鈴さんを見据えて目を逸らさなかった。

その目は鈴さんを睨んでいたかも知れない。

「分かったわ、信じる。ありがとう」


俺は上着のジャンパーだけ脱いで、鈴さんの方は見ないようにと壁際の方を向いて、布団に包まった。

部屋の明かりが消されて、背中合わせに鈴さんの身体を感じた。

「あんた寒くない?」

「背中合わせだと隙間風が入ります」

「じゃあ、どうすれば良い」

「俺が鈴さんの方を向きます。大丈夫です、叩き出されて凍死したくはありませんから」

俺はゆっくりと向きを変えて、鈴さんを後ろから抱くような形になった。

「これなら隙間風が入りません」

鈴さんは無言だった。

「鈴さん、人と人との出会いって不思議ですよね。俺は同じ誕生日の人と初めて会った。

鈴さんは俺とよく似た性分の人かもしれない、何となくそう思います。会えて良かったです。鈴懸の枝という店も、鈴さんのことも一生忘れられないでしょうね」

「うるさいから、黙って」

にべもなく黙らされた。


そのまま眠り込んでしまうのかと思ったら

「ねえ、おっぱいだけなら触っても良いよ」

驚きで声が出なかった。

「私だって今日の事は忘れない」

俺は恐る恐る鈴さんの胸を探した。

服の上から胸を触ろうとしたら、その手を掴まれて、鈴さんの胸に直接触れるように誘導された。

暖かな胸が手のひらにあった。

俺の口からは溜息とは違う、大きな息が漏れた。

「にぎって」

それからどれだけの時間が流れたか、眠りに入る直前にこんな声を聞いた。


「鈴懸の鈴は見つかったよ」

それが鈴さんの声なのか、お父さんの声なのか、俺には分からない。





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