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僕たちは主観でしかものを見れない

掲載日:2026/06/23

 客観って言葉あるじゃないですか。大辞泉という辞書だと次のように書いてあるんですが、一歩引いて別視点でものを見たり考えるってことですよね?たぶん。

 1.観察・認識などの精神活動の対象となるもの。かっかん。⇔主観。

 2.主観から独立して存在する外界の事物。客体。かっかん。⇔主観。

 3.当事者ではなく、第三者の立場から観察し、考えること。また、その考え。かっかん。

 「つくづく自分自身を―しなければならなくなる」〈梶井・瀬山の話〉


 それで思うんですよ、どうあがいても僕たちは一生客観的に人や物を第三者の立場で見ることはできないよなって。どうやっても他人の目で見れないし、他人の考え方を100%の再限度で理解はできないじゃないですか。いや同じ所から見るってことはできるとは思いますよ。でも見る視点が違うし、見るフィルターが違うんですよね。僕には僕のフィルター。AさんにはAさんのフィルター。BさんにはBさんのフィルター。宇宙に住む存在はそれぞれ個々のフィルターを持ってるわけです。ここでいうフィルターはいろいろあります。


 まずは視界で、離れ目や寄り目の人もいますが、人は大体同じ位置にありますが、失明をして両目が見れない人や片目が見えない人もいます。馬などの動物は広範囲の視野を持つために横についてますよね。トンボなどの虫には複眼といって人間にはない数千から数万のレンズを持つ種類もいるわけです。鳥は眼球が動かないから鳩とか鶏とか頭を前後に動かして見てますよね。(眼球が動く鳥もいるかもしれませんが一旦例外として考えてます。)

 色の見え方も違います。人間は大体三原色(赤、緑、青)ですが、紫外線を見る能力がある人もいるようですし、逆に先天的に一部の色が見えない人もいます。

 あとは体の大きさによっても見方が変わってくるでしょう。例えば蟻が野球のボールを見たら巨大な球体ですが、人が見ても小さい球体ですよね。

 視力によっても見え方が変わるでしょう。視力1の人と視力2の人だと遠くを見るときの見え方が全然違います。視界だけでも生物それぞれ個々の見え方が違います。

 

 では考え方は?人間の中でも考えが違うでしょう。国によって、地域によって、世代によって、性別だけでも常識が違う、知識が違うんです。

 職業が違えば大抵は詳しくは知らないでしょう。同じ職業の中でも役割が違えば求められる知識も違うでしょう。例えば家を建築する職人さんで考えると、設計する人、建築する人、外装する人、内装をする人、ガスや水道などの設備を整える人などいろいろいますよね。共通した知識もあるでしょうが、それぞれ知識は異なるわけです。

 宗教だと日本では神道、仏教、キリスト教、イスラム教大枠で考えたらそんな感じでしょうか。その中でも分派があって、詳しくないので多く知らないですが仏教だと天台宗とか真言宗とか浄土宗とか日蓮宗とかいろいろあるわけじゃないですか。もっと分派だと、ある意味有名な創価学会は日蓮正宗ってのが前身としてあるらしいですよ?キリスト教だってカトリックとかプロテスタントとかあるじゃないですか。宗教観という観点だけでも見方はそれぞれ違うでしょう。

 

 似たような環境で育っても信じるものも違うでしょう。神を信じる人も居るでしょう。宇宙人を信じる人も居るでしょう。未確認生命体を信じる人もいるでしょう。支配者を信じる人もいるでしょう。権力者を信じる人もいるでしょう。政治家を信じる人も居るでしょう。官僚を信じる人も居るでしょう。宗教家を信じる人も居るでしょう。逆に信じない人も居るでしょう。僕は神という存在を信じないし、権力者も宗教家の言うことも信じませんが、宇宙人はいると信じてます。

 

 このように僕たちはそれぞれ別のフィルターを持ってるわけです。それでそのフィルターを入れ替えることができるわけでもないです。なので、どんなに遠くから見ようと意識しても自分のフィルターを外しきることはできないんですよね。だからこその僕たちは主観でしかものを考えられないってことなんですけど、ではこのエッセイを通して僕が伝えたいことは何か。

 「他人が見て考えたものを否定するのはやめて行きませんか。」ってことです。

 「自分はこう考えるけど、あなたはそう考えるんですね。」でいいじゃないですか。相手の考えを受け入れなくてもいいですが、否定もしなくても良いと思うんですよ。まあこの考えも受け入れなくても良いです。読んだ結果自分はそう思わないよだったらそれでもいいと思います。なるほどって思う人は取り入れてくれたら嬉しいかなって思います。

 他人の創作物を悪くいう人いますが、合わないと思ったら離れればいいだけだと思いますよ。気に食わないんだったらなろうでは作者のブロックとかミュートもできますしね。

 

 

 さて、ここからは唯の投げかけでしかないんですが、最近思うんですよね、それぞれの見方が違うから対立煽りを受け入れちゃうのかなって、昔からですが、最近は特に分断工作されまくってるなって感じるんですよ。日中韓の対立煽りだったり、男女の対立煽りだったり、人種での対立煽りだったり。

 言っておきますが、対立煽りの結果として戦争が起こったとしても、戦いに行くのは庶民だけで権力者やその身内は行かないですからね?自分が戦いに行ったとして傷つくのはまた同じ庶民だけですよ?対立を煽られて、家族や親しい人を守れっていわれたとしても、相手の庶民にも家族や親しい人はいるんですよ?あの政治家が言ってる、専門家が言ってる、著名人が言ってる、有名人が言ってる、推しが言ってるから正しいことなんてないですよ。自分で肯定意見、否定意見、中立な意見の知識を得て、自分で考えて、そのうえで信じるっていうんだったらいいかもしれませんが、改めて考えたほうがいいと思いますね。これからの時代は依存ではなく自立が必要なんだと思います。他人の考えに依存するのではなく、自分の考えを持って自立していけば流されなくなります。

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