考察(笑)
「提出期限は今日までです」のレポートには欺瞞がある。大抵は23:59が締め切りであり、24:00までの一分間は「今日」ではないらしい。かといって「明日」だなんて言うのも愚かしいだろうから、どこにも属さない時間なのだと思う。私としては、うるう秒のような不安定・不確定な存在だと解釈している。
……と、くだらない話を考えるほどには追い込まれている。学生実験のレポートは、悪名高き「23:59まで」。そして今は23:19、締め切り四十分前である。
不思議と焦りはなかった。おそらく経験からして、三十分前にならねば実感が湧いてこないのだ。そうして締め切りギリギリで提出するか、「提出遅れ」の赤文字が表示されてから、過去の自分を恨むこととなる。同一の体を引き継いでおきながら、あたかも他者へと向ける視線で。
私の指はキーボードの上で停止していた。原因は「考察」の欄だ。異なる液体中で球の落ちる速度を測り、ストークスの法則から粘度を導出する。その違いがなぜ生じるのか、大学一年生風情が述べなければならないらしい。
教員たちは何を求めているのだろう。考察とは何だろうか。結果をそれらしく言い換えたものか、それとも、既に分かっていることを遠回りに書く作業か。少なくとも、今の私にとっては締切を前提にした文章である。何の実りがなくとも出す、自分らしい発見がなくとも出す。ここに義務感極まれりだ。
第一、真面目に考えた所で馬鹿らしいのだ。原理はすでに一度、実験前のオリエンテーションで説明されている。おそらくは、将来的な論文執筆に備えさせるためだろうが、答えを前提にして問題を解くのと、未知の答えを探し求めるのとは話が違う。それに考察内容が間違っていたら赤をつけてくるじゃないか。だったら、最初から穴埋めプリントにして出題してくれ。いちいち殴打されるキーボードの気持ちを考えた方がいい。
……とはいえ、何も書かないで出す勇気はなかった。白いキャンバスを現代アートと言い張るような奇人ではないのだ。私は画面をぼうっと見つめ、それから適当な一文を打ち込んだ。
『球の落下速度の違いは、液体の粘度の差によって生じたと考えられる。』
打ち終えて、少しだけ笑ってしまった。そんなことは実験をする前から分かっている。いや、そもそもレポートの最初の「目的」欄に書かされたではないか。
それでも指を止めるという選択肢はなかった。私には単位という人質が取られている。
粘度が大きいほど抵抗が増し、終端速度が小さくなること。測定値にばらつきが見られたのは、ストップウォッチの操作や目視による誤差が含まれるためであること。壁面の影響や温度変化も、無視できない要因であること。
どれもこれも教科書的で、模範的で、そして驚くほど空虚だった。私はこれをするために大学へ来たのか? これが本懐でないと言うのなら、今やっていることはなんだ?
──これを考察と呼んでいいのか。
私が当大学を志望した理由は、数年前のNHKスペシャルで、武田先生に関する特集を見たからだ。彼は宇宙物理学を専門とする研究者で、ブラックホールに関する研究では目覚ましい業績を上げていた。志望理由書には、「彼の研究室でぜひとも学びたい」と強い筆跡で書いた。
高校二年のとき、興味本位で彼の論文を覗いてみたことがある。PDFファイルの中には細かなアルファベット群がぎっしりと詰まっていた。私は写真翻訳でなんとか食らいつこうとした。しかし、同じ言語のはずなのに、どう読んでも理解が追いつかなかった。とりわけ考察の部分は凄まじかった。数多の論文を精査し、自身の結果を疑い、数値・数式を比較、将来性の評価…………行き着いた先は覚えていないが、圧倒された記憶だけがある。
あの名文と、今書き殴っている落書きとが、同じ名称で表されるらしい。……ひどく惨めな気分になった。
今の世間で「考察」という言葉は安い。使用頻度は食卓のもやしより上だろう。世の中にはくだらないことをもっともらしく語る「考察」が溢れているのだから。Xでの「総理は別人と入れ替わっている!?」も、Youtubeでの「ワンピースの正体」も、全て同じ言葉で呼ばれている。結局は言ったもん勝ちなのだ。そこに論理の飛躍があろうと、どんなに根拠が欠けていようと。
ならば、今ここで私が書いているものも大差ないのでは? 締切に追われ、既知の答えをなぞり、疑わしさの中にもっともらしさの欠片を付け足す。違いがあるとすれば、「考察」する人間たちに採点されるか否かだけだ。それはうざったいが、ある種の救いなのかもしれない。
時計を見る。23時58分。どうやら「今日」はまだ終わっていないらしい。私は最後の句点を打ち、提出ボタンを押した。
哀れな武田先生。
どうか私が、あなたの元へ行きませんように。




