第十話「帰る場所」
モーテルでのやり取りから、一日がたった。
倉庫街の前で、ダンと最後の会話を交わす。
ダンの隣には、見知らぬ二人組が立っていた。
がっしりした体格に、腕のストーンウェアが光っている。
先日、エルナがガレスに連絡を入れ、ダンを紹介し手配してもらった護衛だ。
ガレスは通信越しに「まさか。新しい依頼を持ってくるとはな。」とぼやいていたのが忘れられない。
それでも、信用できる人間を二人、わずか一日で用意してくれた。
この仕事の速さから、ガレスの手腕が伺える。
「本当に、お世話になりました。」
「えぇ…。本当にね。」
ダンが深々と頭を下げ、エルナが短く答えた。
ダンは気まずそうに、ははっと笑う。
「ジュディ。」
ダンがこちらを見た。
「はい。」
「リアを、よろしくお願いします。」
「もちろんです。任せてください。エルナがなんとしても守りますよ。」
「あ、あんた……。よくもまぁ、そんな自信満々に…。」
「冗談だよ。」
「冗談に聞こえないわよ!」
聞こえないかな?
そりゃー、先日の奇襲時、あの体たらくじゃそうなるか。
帰る手段を探すのはもちろんだが、そもそも生き残れるようにならなきゃな。
ダンはこちらを見て、ははっと笑っていた。
今度は気まずそうではなかった。
ダンは、リアの方を見た。
リアも、ダンを見ていた。
「リア。」
「うん。」
「元気でな?」
「……うん。」
「何かあったら、すぐに連絡するんだぞ?」
「……うん。」
リアは少し考えてから、クマかっちゃんをダンの方に差し出した。
ダンの目が、一瞬揺れた。
「……クマかっちゃん。いらないのか?」
「ううん。でも、パパ寂しいだろうから。」
ダンは、クマかっちゃんを受け取った。
両手で、ゆっくりと。
「ありがとう。リア。」
リアが僕の隣に来た。
手を、ぎゅっと握ってきた。
「ジュディ。ありがとう。」
また、このお礼だ。
なんのお礼か、今回も分からなかった。
でも今度は、返事ができた。
「こちらこそ。」
リアはダンの方を向いて、一度だけ小さく手を振った。
ダンも、手を振った。 クマかっちゃんを胸に抱いたまま。
僕たちは、歩き出した。
振り返らなかった。
でも、ダンがずっとこちらを見ていることは分かった。
—
カルディアへ戻る貨物列車の中、リアはずっと暇そうにしていた。
クマかっちゃんはもういない。
でも、リアの手はきちんと膝の上に置かれていた。
何を考えているのか、分からなかった。
「リア。」
「ん?」
「ハリー・ポッチャリーの続き、聞きたいか?」
リアはぱぁっと目を見開き、こちらを向いた。
なんだか、リアは列車に乗ったあたりから元気だ。
年相応になってきて少し安心する。
何か、吹っ切れたのだろうか。
「聞きたい!」
「よし。えっと、どこまで話したっけ。」
「えっとね~。ムカチョウの騎士団が出てきたところ!!」
「よく覚えてるな。」
「覚えてるよ。」
「え~っと、そうだな……。」
話を始めようとしたところで、違和感に気づく。
斜め後ろから、誰かの息遣いが聞こえる。
僕は振り返って、その人物を見た。
「エルナ、近いんだけど?」
「……近くないわよ?」
「そんなバレないように聞き耳立ててないで、素直に正面にきたらどうだ?」
「……聞き耳、立ててないわよ?」
さっきから、オウム返しのように否定してくる。
なんなんだ…。
先日の列車の中で、あれだけ興味を持っておいて…。
「往生際が悪いぞ。エルナ。」
「……往生際、悪くないわよ?」
……うっぜー。
「エルナも、ここに来る?」
リアが、自分の隣をポンポンと叩く。
素直なその言葉に、エルナが「っう」とたじろぐ。
「一緒にお話、聞こう?」
「…………。しょ、しょうがないわね~。リアがそこまで言うんなら。」
こ、こいつ……。
そう言って、エルナはリアの横……
ではなくリアを抱きかかえるようにして、座った。
少し意外な行動に、僕は驚く。
「っわ。」
リアも意外だったのだろう。少しだけ声を上げる。
「長丁場になるでしょ。この体勢の方が楽だわ。」
「…………長丁場、ならないよ?」
そこまで長く話すつもりはなかったのだが……。
思わず、先程のエルナと同じようにオウム返しをしてしまう。
「なにその返答。キモいわよ?」
こ、こいつ……。
「くふふ。」
リアは鈴の音がなるように笑った。
……。まぁ、いいか。
僕は、うろ覚えの続きを話し始めた。
長いようで、短い夜が始まる。
アイラには、リアを連れて帰ることを伝えていない。
明日、アイラはリアを見てなんと言うだろうか。
そんな、不安が胸の中に燻っていた。
—
アイラ・ベルンは、部屋の中で待っていた。
ただ、ぼーっと窓の外を見ていた。
カルディアの、灰色の街並みが見える窓だった。
————これは、後悔なのだろうか。
リアを二人に預けたあと、
胸の内に暗い感情があることだけが分かった。
もう、感情の名前すら正確には分からなかった。
————疲れた。
そう、疲れたのだ。
何もかもに。
ダンとリアと、三人で暮らしていた時は、幸せだった。
あれは、確かに幸せと呼べるものだったはずだ。
しかし、ダンのバイオストーンへの出向が決まり、全てが変わってしまった。
最初は、ダンがいない中でもやれていたように思う。
リアという守るべきものがあるのだ。
当然だ。
ダンが私たちのために働いてくれている。
私は、ダンが帰ってきたときのために、この幸せを、リアを守るのだ。
そう決意していた。
『————会社で不祥事を起こしてしまった。悪いがもう仕送りはできないかもしれない。』
ダンが出向して二年が経ったことだろうか、そんな連絡が突如届いた。
ダンが出向してから、一度もダンとは会えていなかった。
ダンの勤め先であるアルカナに掛け合っても、機密情報を扱う仕事をしているのでと一蹴された。
日に日に、ダンから振り込まれる金額は目減りしていった。
————不祥事。
夫は大丈夫なのだろうか。上手くやれているのだろうか。
メッセージを送っても、会社の検閲があるためすぐに連絡が取れるわけではない。
ダンは、出向をしている。
メッセージの検閲にはアルカナ、バイオストーン二社の介入があるため、文章も簡素的なものしか送れなかった。
私が守らなければ、この場所を、夫を。
できることは少ないかもしれないが、守らなければ。
私は、仕事を始めた。
以前住んでいた家も引き払い、月々にかかる費用を抑えながら生活をした。
日に日に減るお金。
日に日に減る食べ物。
日に日に増える仕事。
————日に日に痩せていくリア。
夫へのメッセージは届いているのだろうか。
夫からのメッセージは、『なんとかする。すまない。大丈夫だ。そちらは平気か?』そんな言葉の羅列だけ。コミュニケーションなど、取れていなかった。
ダンに会いにいこう。
そんな決断をしたこともあった、何度アルカナに伝えても夫と会わせてくれなかった。
なんで。なんで。なんで。なんで。
なんとかするしかない。
私が守るんだ。私が。私が。私が。
リアを。ダンを。
とうとう、表の仕事では生活が立ち行かなくなった。
とっくに、ダンからの送金はゼロだった。
私は、小さな娼館の仕事も追加してなんとか生活を安定させるように務める。
日に日に減るお金。
日に日に減る食べ物。
日に日に増える仕事。
日に日に痩せていくリア。
日に日に。日に日に。日に日に。日に日に。
ひにひにひにひにひににひににひにひににひににに。
————守るんだ。私が守るんだ。私がリアを守るんだ。
………………。
…………。
……何のために?
ある日。
バイオストーンの社員だという人から連絡が来た。
あなたは、ダンに騙されているという。
ダンは、よく行く飲み屋の女に入れ込み、自身に多額の保険金をかけるよう女に唆されたと。
このままでは、あなたが余りにも不憫だと。
ダンが女性と酒を飲んでいる映像。
証拠にそんなものまで送られてきた。
————なんで?
バイオストーンの人を信じたわけではない。
でも、バイオストーンの人がこちらに連絡してきた事実が、ただショックだった。
連絡は、やろうと思えばできるはずだったのだ。
汚い。私も。ダンも。
「————ママ?」
リアが、心配そうにこちらを見上げていた。
ダンに似た、大きい瞳がこちらを見る。
そう。ダンに似ていた。
「大丈夫よ。」
もう娘を抱くことはできなかった。
その時点で、私はもう事切れていたのかもしれない。
「どうすればいいですか?」
バイオストーンの社員に返信をする。
誰かに指示を仰ぐ、もう何も考えなくていいその安心感だけが、
私の胸の内にはあった。
—
突如、扉をノックする音がした。
立ち上がれなかった。
もう一度、ノック。
「アイラ。いないの?」
女性の声だった。
リアを預ける際に聞いた声。
凛としたその声に、私は多少苛立ちを覚える。
できないことなどない。
折れたことなどない。
そんな声。
もうどうでも良かった。
ダンとリアとは、すでに通信で話をつけてある。
正直、その時のこともあまり良く覚えていない。
画面の向こうで、ただ夫と娘がいた。それだけの感覚。
私は、何を言っていたのだろう。
謝罪。それだけしか記憶にない。
どうせ、依頼の話だろう。
———どうでもいい。
望みがあるなら、そちらで適当にやってほしい。
もう、文句など言う気にもなれない。
「……。アイラ、開けるわよ。」
扉が開いた。
足音がした。 小さな足音が、部屋に入ってくる。
「……ママ。」
聞き馴染みのある声。
アイラは、思わず振り返った。
リアがいた。
大きな目で、こちらを見ていた。
その目が——笑っていた。
————笑っていた。
そう笑っていたのだ。
リアは。
もう何年も、その顔を見ていなかった気がする。
瞬間、目が覚めたように感情を思い出す。
これだ。
私の守りたかったもの。私の幸せ。
私の全てはこれなのだ。
黒い感情の濁流に飲まれただけで、
そんな事も忘れてしまうなんて。
疲れていた?
それが何だというのか。
それが理由になるのものか。
「……リア。」
声が出た。 震えていた。
リアが、駆け寄ってきた。
アイラは、床に崩れ落ちるようにしゃがんで、リアを抱きしめた。
小さくて、温かかった。
——なぜ私は、投げ出そうとしたのか。
娘が死んでいたと知ったら、私は自分で命を絶っていただろう。
それくらい、大切だったのに。
生きる意味だったのに。
それすら見失って、投げ出して。
「ごめん。ごめんね、リア。愛してる。大好きよ。リア。」
謝罪と愛、ただ感情から出た言葉をそのまま吐き出す。
許してください。ごめんなさい。お願いします。
どうか、この子を愛することを、許してください。
ごめんなさい。
どうか…。どうか…。
「……お母さん。ごめんなさい。」
なぜ、娘が謝るのか。
「わたし、わたしね。お母さんのしてほしいこと、できなかったの。」
何を言っているのかが、分かった。
この子は…。知っていたのだ。
リアは、アイラの胸の中で静かに涙をこぼす。
「わたし、、、、、お母さんといたっくて、、、、ごめんなさい。」
そう言って、アイラの背中に小さな手を回した。
アイラもリアも、ただただ抱き合いながら泣いていた。
どのくらいそうしていたか、分からない。
………………。
…………。
……。
「アイラさん。」
男の声がした。
顔を上げると、入口のところに若い男が立っていた。
依頼の時、女と一緒にいた少年だ。
まだ顔に幼さは残るのに、目だけが妙に落ち着いていた。
アイラは、リアを離して少年の方へ向き直る。
「……はい。」
————ガンッ。
突如、少年に胸ぐらを捕まれ、壁へぶつけられる。
なんだか、その痛みがアイラには心地良く感じた。
その行動は、リアを思っての行動だと感じとれたからか。
リアは、驚きながら少年を見上げている。
「よく聞いてください。」
少年は静かに言った。
「あなたのしたことは最低です。僕が今、あなたを殺してしまいたいくらいには。」
アイラは、何も言えなかった。
「これは、償いではありません。当たり前のことを言います。」
少年が、アイラをまっすぐ見た。
「親をやれ————。いいな?」
アイラは、しばらく男を見ていた。
それから、頷いた。
言葉は出なかった。 でも、頷いた。
少年は、それだけで踵を返した。
————親をやれ。
本当に、当たり前のことだ。
ただ、アイラはその言葉を深く胸に刻みこんだ。
—
エルナと外に出ると、灰色のカルディアが出迎える。
なんとなく、今初めて帰ってきたのだと安堵した。
「終わったわね」
「あぁ、終わった。これで一旦は依頼完了…。だよね?」
「ふふ。えぇ、依頼完了よ。」
僕がアイラを恫喝した後、
エルナが仕事の話を気まずそうにまとめ、伝えてくれた。
ごめんね。
アイラとしては、これで良かったと。
深々と僕らに頭を下げていた。
正直、リアとアイラに関して状況は何一つ好転していない。
これからも、苦しい日々が続くだろう。
また、アイラの心が折れる時が来るかもしれない。
————いや。それはないな。
なんとなく、そうはならないと確信できた。
なんの裏付けもない確信。
僕は、なぜだかそれだけは信じられた。
「よかったの?あれで。」
エルナは少し歩き出した。 僕も隣に並んだ。
「何が?」
「————親をやれ。ってやつよ。」
エルナが少しからかうように、こちらを見ている。
やめてくれ。恥ずかしい。
「あの時、僕に言える精一杯だった。許す気はない。でも、リアにはあの人が必要だ。」
「うん。そうね。きっとそう。リアが自分で選んだんだもの。」
エルナは僕の言葉に目を細めた。
きっと伝わったわよ。と呟く。
しばらく歩いた。
カルディアの空は、今日も灰色だった。
ネオンが、夕暮れの中でちらちらと光り始めていた。
「なぁ、エルナ。」
「なに?」
「この後、どうする?」
エルナが少し笑った。
最小限の、でも確かな笑いだった。
「とりあえず、ガレスに依頼完了の報告ね。」
それだけだった。
二人で、カルディアの街を歩いた。
ここまで読んでいただいだ方、ありがとうございます。
とっても嬉しいです。
第一章はこちらで完結です。
ストックが続く限りは、毎日更新を続けようと思います。




