第九話「彼女の答え」
翌朝。
エルナがダンを呼んだ。
リアも一緒に、モーテルの一室に集まった。
「ダン。昨日話せなかったことがある。聞いてほしい。」
エルナが静かに切り出した。
ダンは頷いた。 リアは、クマかっちゃんを抱いて隣に座っていた。
「リアには爆弾が仕掛けられていたの。あれはバイオストーンが仕組んだものだった。アイラはそれを利用したの。」
おい!エルナ直球過ぎるだろ!
リアもいるんだから、もう少しソフトに…。
ダンの表情が、固まっていた。
一方、リアの表情は変わらない。
強い子だ。本当に。
「……どういうことですか。」
「ダンへの保険金も、メッセージの握りつぶしも、全部バイオストーンが手を回していた。アイラは追い詰められて、差し伸べられた手を掴んだ。リアを道具にする形で。」
ダンは、しばらく何も言わなかった。
「アイラが……リアに……。」
声が、かすれた。
「なぜ……なぜそこまで追い詰められていたんだ。俺は、俺はちゃんと仕送りを——」
「握りつぶされていたのよ。少なくともあなたのメッセージはね。アイラにはあなたの気持ちが届いていなかった。仕送りを減額していたのは本当でしょう?」
「……でも、それでも問題ないってメッセージでは…………。」
「握り潰すどころか改ざんしていた。思ったよりも最悪ね。」
ダンの拳が、膝の上で握られた。
「俺の、せいだ。」
「そうじゃ——」
「俺が早く帰れていれば。俺が、ちゃんとアイラを守れていれば。」
エルナは、何も言わなかった。
ダンの目から、涙が落ちた。
リアが、父親の手をそっと握った。
ダンは、リアを見た。
リアは何も言わなかった。ただ、小さな手で父親の手を握り続けていた。
「これで尚の事、アイラさんと一緒に暮らすことはできませんね。」
「どういう事です?」
ダンが訝しげに僕を見る。
「事情はどうあれ、娘と夫を殺そうとしたんです。普通はそう思うでしょう?」
「それは……。そうなりますね。」
ダンは、正直実感がないのだろう。
話として聞いたとしても、実際に拳銃で撃たれそうになったわけでもない。
敵意を感じなければ、人は鈍感なものだ。
しばらくして、ダンが深く息を吸った。
目を閉じて、また開いた。
「一つだけ、お願いがあります。」
ダンが静かに言った。
「アイラと、話せますか。」
「もちろんよ。元々、そのつもりだったわ。」
エルナは当然でしょとばかりに答える。
「でも、その前に、まずは『あなた自身のこと』を決めなければならないわ。」
ダンは顔を上げた。
「昨日も話したように、バイオストーンへの正式入社。これが今できる最善の選択だと思う。アルカナから離れて、ヴェーラに根を張る。」
「……はい。」
「でも、それも他の道よりは多少マシって程度で、正直安全とは程遠いわ。なんせあなたを殺すために、メッセージの改ざんから保険金、リアに爆弾を仕込むことまでやってのけるんだから。」
「…………。」
矢継ぎ早に、エルナがダンへと伝える。
昨日の工作員との会話を思い出す。
————他に選択肢がないだけさ。バイオストーンに所属している以上、ある程度の地位まであがったら命令は絶対だ。逆らえない。逆らえば家族が危険にさらされる。仕事を続ければ、家族は守られる。それだけだ。
……正直、所属したとしてもまともな道になるとも思えない。
今すぐ死ぬか、もうすぐ死ぬか。この状況となってしまってはその程度の違いしかないように思える。
そんな中、ダンはあっさりと答えた。
「……アルカナに務めた時点で、覚悟はできています。バイオストーンでも企業という枠組みでは同じこと。上手くやってみせますよ。」
この人も、強いな。
妻に殺されかけ、企業に貶められても、その目に迷いはない。
リアのために生きるという確固たる決意があるからなのか。
「契約が成立するまでの間、護衛が必要ね。」
エルナも、ダンの覚悟を感じたのだろう。
そのまま話を続けた。
「貯めていた資金があります。それを使います。」
「ガレスに連絡を入れるわ。信用できる人間を紹介してもらえるはずよ。」
「分かりました。ありがとうございます。……本当に。」
そう言って、ダンは深々と頭を下げた。
「いいのよ。乗りかかった船だし。」
エルナは事も無げに言い放ちながら、僕を見た。
依頼でいえば、リアはもうダンの元へと届けている。
これは、僕の行動に対しての言葉だと自覚する。
「アイラと通信をつなぐわ。少しだけ待ってて。」
そう言って、エルナは部屋の隅にある情報端末へと向かった。
—
情報端末に、アイラの顔が映し出された。
目が赤かった。眠れていないのだろう。
先日と同じ、乱れた髪。
でも昨日とは少し違う目をしていた。
「ダン……。」
アイラの声が、震えた。
「……生きていたのね。」
「ああ。」
二人の間に、沈黙が流れた。
リアは、画面のアイラを見ていた。
アイラは、リアを見ていた。
「…………。」
「…………。」
長い沈黙。
ダンもアイラも、それ以上は言葉を出せなかった。
殺そうとした人、殺されそうになった人。
かつて愛し合っていた二人でも、この状況では何を言うべきか分からないのだろう。
「…………ごめんなさい。」
それだけ、ぽつりとアイラが呟いた。
リアは何も言わなかった。 ただ、画面を見ていた。
「アイラ。」
ダンが口を開いた。
静かな声だった。
怒っているようでも、責めているようでもなかった。
「リアにしたことを、聞いたよ。」
「…………。」
「全部ね。」
アイラは、口を開かない。
ただじっと、ダンの言葉を聞いていた。
その態度に、僕は少しだけ苛立ちを覚える。
「なぜそこまで追い詰められていたか。それも聞いた。俺のメッセージも、仕送りも、届いていなかったんだな。」
「ダン、私は——」
「俺のせいだ。早く帰れなかった俺の、せいだ。」
「違う。私が——」
「どちらのせいでもある。」
ダンの声は、震えていなかった。
「でもね、アイラ。リアにしたことは、許せない。それだけは、どうしても許せないよ。」
アイラの目から、涙が落ちた。
「……ダン。ごめんなさい。うう。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。」
——ごめんなさい。
壊れた人形のように、アイラはその言葉だけを繰り返した。
そんなアイラを見つめて、ダンは静かに言葉を続ける。
「俺はここに残る。バイオストーンに籍を置くことにしたよ。カルディアには、もう戻れないかもしれない。」
「…………ごめんなさい。ごめんなさい。」
「でも生きてる。リアも生きてる。それだけは、覚えておいてくれ。」
「…………。」
その言葉を聞いて、アイラを嗚咽を抑えながら目をつむる。
それから、静かに頷いた。
「……うん。」
ダンが、リアに視線を向けた。
「リア。アイラに、何か言いたいことはあるかい?」
リアは少し間を置いた。
それから、画面のアイラをまっすぐ見た。
「……ママ。元気出して。……ね?」
母親を純粋に気遣う言葉。
リアは、全部知っているはずだ。
それでも、ただただ母親を心配していた。
アイラが息をのんだ。
「リア……。……ごめんなさい。」
それに対しての母親の言葉は謝罪だった。
自分のしてしまったことへの罪悪感。
アイラは、先程から謝ることしかしていない。
いや、それしか出来ないと言うべきか。
「リアも、このまま僕の元で暮らしてもらおうと思っている。君には、間違ってもリアを預けるわけにはいかない。」
これまでの言葉よりも一層強く、ダンはアイラに言い放つ。
娘を殺そうとしたのだ。
子を思う父親としては、当然の判断だろう。
「————えぇ。」
アイラも、それは分かっていたのだろう。
特に反論もなく、それを受け入れた。
「アイラ。」
二人の会話が落ち着いたころを見計らい、エルナが口を挟んだ。
「はい。」
「私とジュディは、カルディアに戻ってもう一度あなたに会いにいくわ。話があるの。」
「……わかりました。」
アイラは、すんなり了承した。
「じゃあ、通信を切るわね。何があったかは直接会って話しましょう。」
「………………リア、ダン!」
アイラが通信を切ろうとした時、突然アイラが声を上げる。
これまで聞いた中で、一番大きな声だった。
リアとダンが、揃ってアイラを見つめる。
「…………。愛してる。」
そう言って、通信は途絶えた。
————愛してる。
おそらく、本心だろう。
ただ、彼女のしてしまった事を思えば、疑心を拭いきれない。
そんな、言葉だった。
「…………。俺もだよ。俺も、愛したいよ。」
停止した画面に向かって、ダンは呟く。
それは、誰に向けての言葉だったのだろう。
—
アイラとの通信が終了した後。
モーテルの一室にはそのまま四人が集まっていた。
今後の方針は、もう固まった。
後は行動のみだと思った矢先、
ダンはまだやることがあると僕達をこの場に留めた。
…………。
しばらくして、ダンが深く息を吸った。
目を閉じて、また開いた。
「……リア。」
「うん。」
「パパに、正直に教えてくれるか。」
リアは頷いた。
「パパとママはね。一緒に暮らせなくなっちゃったんだ。」
「…………うん。」
リアは、文句を言わない。
六歳の子供なのだ。この時点で駄々をこねても誰も文句は言わない。
でも、リアは静かに受け入れ、ダンの言葉を待つ。
「ママはね。やっちゃいけないことをしたんだ。リアも、もうママとはいられない。」
「…………。」
「このまま、ここで、パパと暮らさないかい?」
リアの大きい瞳が、さらに大きく見開かれる。
そして、考え込むように俯いてしまった。
………………。
…………。
……。
長い沈黙。
でも、リアを急かそうとはしない。
リアは考えている。
一生懸命に、全力で。
クマかっちゃんを両手で抱きしめながら。
「……ママのそばにいる。」
静かな声だった。
その言葉に迷いはなかった。
——っ。
理解ができない。
自分を殺そうとした母親だぞ。
ダメだ。それだけはダメだ。
なんとか、言いくるめてダンの方に。
決心をして口を開く。
「リア。あの——」
「ジュディ。やめなさい」
エルナに静止される。
構うものか。
あの母親だけは、ダメだ絶対に。
「リア。でも、お母さんは——」
「ジュディ!!」
エルナの声が、一際大きく響く。
エルナのこんな声は初めて聞いたかもしれない。
「やめなさい。」
分かっている。
でも、止められない。
こっちも引くわけには行かない。
リアの幸せを願うからこそ、こちらも不義理を通さなきゃいけない。
「でも、自分を殺そうとした相手だぞ。そんな相手の元に——」
リアの前だと言うのに、思わず配慮に欠ける言葉を使ってしまう。
「——ジュディ。」
もう一度、エルナが呼んだ。
今度は、少し違う声だった。
「大人だからという理由で、子供の意思を捻じ曲げることはダメよ。」
その言葉が、胸に刺さった。
「それじゃあ、アイラと同じことをしているわ。」
——あ。
そうだ。 アイラは、リアの意思を無視した。
自分の都合で、リアを道具にした。
今、僕がしようとしていたことは——。
「……ごめん。リア。」
リアは、こちらを見ていた。
何も言わなかった。
でも、その目が少しだけ柔らかくなった気がした。
「ママのそばにいたいんだな。」
「……うん。」
「………………………。分かっ、、、た。」
長い時間をかけて、その言葉だけ絞り出す。
ダンは、目を閉じていた。
それから、ゆっくり頷いた。
「……分かった。」
僕とエルナの問答を聞いていたのか、
ダンもその言葉を紡ぐ。
到底納得はできていない。そんな声で。
「パパ——」
「ありがとう。リア。正直に言ってくれて。」
ダンはリアの頭に手を置いた。
「パパはここにいる。でもリアのことをずっと考えてる。それだけは、分かっておいてくれ。」
「——うん。」
申し訳なさそうに、ダンを見上げるリア。
「パパ——。大好き。」
「うん。うん。俺も、大好きだよ。リア。」
ダンはリアを抱いた。
壊れないように、優しく。
でも、愛を伝えるように、強く、しっかりと。
僕は、そんな二人をただ静かに見つめていた。




