9 相互接触
繁みから出てきた人物は、手に野草の類 (根っこ付き)と果実のようなものを持って少し驚いた顔をして立っていた。
細かい数字は敢えて伏せるが、自分の身長は170cmを軽く超える。
有難くないことに。
今まで自分が仰向かないと視線が合わない相手に遭遇したのは片手で足りる程だった。
なのでその人物の高い上背に驚きはしたが、それも一瞬。
この人物も男。
つまり、あいつらと同じ輩かもしれない。
警戒心が頭を擡げる。
先ほどの苦い記憶。
思い知らされた男との力の差と遠慮会釈のない暴力。
行為のみしか興味のない獣じみた男の本能。
身体が勝手に震える。
あぁ、恐怖で震えるってこんな感じなのか。
でも視線は外せない。外さない。
長い前髪から見え隠れしているその瞳に自分の視線を合わせる。
向こうはすぐに何かしようとは思っていないようだった。先程から一言も発してこない。今まで森で採集に出かけており、戻ってきたところと考えるのが妥当か。
まぁ、もし目の前の人物が口を開いたとしても言葉が分からないのでどうしようもないが。
意思疎通の手段として言語は重要だ。向こうに敵意がないことを窺う事も、自分が全く状況が分からないと伝える事もできない。人に出会っても事態への改善には程遠そうだ。泣けてくる。
そんなことをつらつら思っていたら、声が耳に入ってきた。
「目が、覚めたのか。」
(っえぇぇぇ! い、意味が分かる! あいつらの話してる言葉は分からなかったのに!!しかもイイ声だっ!?)
驚きのあまり、思考が滑った。自分は声が良い男に弱い。目の前の人物から出たのは少し掠れていながらもよく響く、ハリのある低音。好みの特徴にどストライクだ。
「具合はどうだ。随分と体力を消耗していたようだ。1日半眠っていたぞ。」
警戒か、怯えか。
それとも両方と、自分が示す態度を捉えているのか。
それ以上は寄ってこようとせず、彼はゆっくりと言葉を伝えてくる。
記憶と今の状況から鑑みるに、介抱してくれたのはこの人物だ。
…おそらく。
何やらカンガルーもどきちゃんも嬉しそうだし。
自分の隣で、胸元で手をさすさすさせて鳴き声をあげている。…可愛いじゃないか。
向こうの言葉が理解できるのは正直、たいへん有難い。しかし、自分の話す言葉が向こうにも通じるとは限らない。加えて自分の世界のように言語が分かたれた世界でなかったとしたら。言葉が分からないなどと、バレた瞬間に異端か珍種扱いかもしれない。それどころか異世界から転がり込みましたなんてことまでが知れたら、排除の対象で追い回される可能性も捨てきれないではないか。
しかし、しかしだ。
(い、色々考え付いたけど、結局話してみないと何も進まないじゃんかー!……よし。向こうが聞き間違いか?って思うくらい小さく声を出そう。それで確認する。で、分かってくれたら会話。分かってないようなら誤魔化して、だんまりで通そう。意思疎通はジェスチャーで!それ以外ない!)
意を決し、されど気合は内心で入れつつ、小さく小さく声を出した。
「だいじょうぶ、です。」
すると目の前の男性、彼からの気配が和らいだ。存外好ましい性格のようだ。心配してくれたという事が伝わる。
「そうか。もしや喉も痛めていたかと思ったが。それ以外でどこか痛む箇所は」
さくりと草を踏む音。
自覚なしに肩が跳ね上がる。
自分でも抑えきれなかった、怯えていることが丸分かりな反応。
それを見たのか、彼は足を止めた。
少し逡巡したような仕草。
その様子にはたと気付く。
助けてくれたという事は、自分がどんな目に遭っていたかも知っているという事になる。
あの状態を見られた。
そのことに思考が辿り着いた瞬間。
居た堪れない、なんてものじゃない。羞恥で消えてしまいたい気分に襲われた。
(み、見られた…絶対。歩き回ってぼろぼろの格好!で、でも服はズタボロだったから私の服装がおかしかったとかは知られなくて良かったのか――ぃいやいやいや、でも素っ裸!真っ裸だよ!?あ、意味一緒だわ。それを彼氏でもない初対面の人にまるっと全部!?ひぃい!!何、その羞恥プレイ!というか、脱がせて、着替えさせてくれたのもこの人!?面と向かって聞けないけど!)
穴は掘れないが、暴走し出した感情から逃れるべく、合わせていた視線を外し足元に移した。
いや、何の問題の解決にもなっていないが、そうせずにはいられなかった。
そうすると彼の手元が見えた。
視線を上げられないままでいたら、彼は徐に手で束ね持っていたものを地面に置いた。それから腰に下げていたものも外していく。帯の両側に長いものが嵌め込めるよう作られたそれは地面に落ち、硬質な音を立てた。そうして手の平をこちらに見せ、顔の辺りまで上げた。いわゆるホールドアップの体勢だ。
「君に危害を加える気はない。難しいとは思うが、少しだけ信用してほしい。」
そう言った。
害意のないことを示すのって存外世界が違っても同じなのか。二足歩行で、手で得物を扱うからだろうか。意外な共通点を見た。私が女でさっきまで寝込んでいたとしても素性の知れない者を救い、目の前で武器を身から外し、他意のないことを示す。それどころかあの男達から助け、介抱してくれた。
ゆるゆる視線をあげ改めて見つめる。
艶のある濃紺の髪。ミッドナイトブルーだ。その長い前髪から覗く瞳も同じ色。
顔にかかる髪のせいで面立ち全ては見えない。
それでも荒んだ雰囲気はなく、すぐさま腕にものをいわせる性質とは思えなかった。
示してくれた態度も含めて。
人を見る目は割と自信がある。
良くも悪くも人見知りで、猜疑心の強い性格のおかげで。
それにもし、彼に翻意があったにせよ。
今この場で生きているのは彼のおかげなのは変わらない。
こくり、と頷く。
「失礼な態度を取ってすみません。」
続けて話す。意思疎通ができるのだ。これだけは言おう。
「助けて頂いて、ありがとうございます。」
きちんと目を合わせ、それから精一杯の謝意の証として頭を下げた。礼の仕草が通じるかは分からなかったが、日本人として感謝とともに頭を垂れるのは身体に染み付いている。彼に伝わればいいのだが。
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