21 集落の中で(4)
部屋を出て行ってしまったアルの背中に一抹の不安をおぼえながら、布団に入る。
しばらく寝たふりをしながら待ってみたが、扉の開く音は耳に入らないままだった。
***
差し込む陽の光が瞑った瞼越しにも感じ取れた。
目を細く開ける。
いつの間にか寝入ってしまったようだ。
目をこすり、のそのそ寝台から這い出る。
衝立の向こうをのぞいてみたが、そこに人影はない。
使った痕跡はあるが、きちんとたたみ直されている寝具。
脇机に置かれた、昨夜のものだろう、冷えてしまった飲み物。
(あー… セルマさんが持ってきてくれたんだ…)
まだぼーっとしている頭でそんな事を思う。
そして。
思考と現状が噛み合って、心臓が飛び跳ねた。
「今何時っ!?」
御厄介になっている身で寝過ごした!?
目覚ましにばかり頼って惰眠を貪っていた、過去の自分をおもいきり罵倒したい。
したいが、それどころじゃない!!
超速で寝台を片付け、見苦しくない程度に服を整え、その勢いのまま扉を開ける。
手摺りから下を覗くが、誰も見当たらない。
焦りつつ、階段を駆け下りる。
もう昼、という事はないと思いたい。
「アルヴィンさん、セルマさーん」
返事なし。
「トゥイミ、ミリアー…」
やはり返事なし。
( ぎ ゃ あ あ あ ぁ !! 大・失・態 ! ! )
慄いても、辺りをくまなく見ても人影はまったくない。
こうなったら外に探しに行くべく玄関に向かおうとしたら、勢いよく扉が開いた。
「っうわ! びっくりした!!」
心底仰天した顔をしていたのは、片手で籠を抱えたトゥイミだった。
こちらも驚いたので取っ手を掴もうとした体勢のまま固まっている。
「トウコかぁ。おはよう!よく眠れた?」
「お、おはよう?? というかまだ、朝? み、みんなどこに?」
疑問符ばかりの挨拶だ。
「朝だよ。まだ日が昇ってからそんなにたってないもん。おれも起きたばっかだよ。母さんとミリアは小屋に行ってる。アルヴィンさんなんかすっげー早起きでさ。水汲みに行ってくれてるよ。」
安堵のあまり、肺から勢いよく息を吐き出す。
よかった、昼とかじゃなくて。
しかし、誰より寝坊したのは間違いない。
一番早く寝て、一番遅く起きるってどうかとおもうぞ。
「ご、ごめん。こんなに休ませてもらっちゃって。」
「えぇ? 気にしなくていいよ。十分早起きだって。」
笑いながら言うトゥイミの手元を見遣る。
籠の中身は、葉っぱや泥付きの根菜のようだ。朝ごはんの材料だろうか。
「朝ごはんの支度?」
「あ、これ? そうだよ。」
「私にもできることあるかな?」
「んーと、そうだな。野菜はもういいし、水はアルヴィンさんが汲んでるし…そうだ、家畜小屋に行ってみなよ。まだ母さんとミリアが仕事してると思うから。って場所わかんないか。ちょっと待ってて!」
そう言って、籠を台所に置いて引き返してくる。
「案内したげるよ。こっち!」
あわてて、外に出たトゥイミを追う。
目に飛び込んできたのは、靄がかかった村の風景。まるで一幅の絵のようだ。
水を含んだ草木の香り。
涼やかな風。
澄んだ朝の気配。
野鳥の声もする。
手を動かしつつ大きく息をしていたらトゥイミが振り向いていた。
「…なにしてんの?」
「えっ、あんまり気持ちいいから深呼吸を…」
「トウコって変わってんねー。そんなに気持ちいいかなぁ?」
この空気が当たり前だったらわざわざしたいと思わないだろうな。でも、排気ガスやら光化学スモッグやら花粉なんかを大量に含んだ空気ばかり吸っていた自分からすると、身を清められるかのような清々しさだ。
いい空気を吸い込んで、気分も上向きになった。
(よしよし、この調子で名誉挽回・汚名返上といくぜっ!)
が。
そんな思いはシャボン玉より早く、はじけて消えた。
こちらの世界には、不思議な植物や動物がいるということはうすうす感じてはいたし、見てもいた。だがな、家畜で小屋って言われたら鶏か豚みたいな哺乳類に近しいものを想像した自分は悪くないと思う。思いたい。いや、絶対に悪くない。
しかし、目の前の小屋の中にいたのは。
私の知る常識の中では、トカゲ。
つまり、爬虫類。
外見上近いものなら、イグアナと呼ばれる生き物が該当するだろう。
それらが小屋の床一面にどこが頭か尾っぽか分からないくらいひしめき合って、ぎゅー、だの、ぎょえ、だの、と声を上げつつ、のたうっていた。
笑顔でエサをやるミリアの姿とそれに群がるイグアナもどき。
(絵面的におかしいだろう!ちっとも微笑ましい雰囲気じゃないよ!?)
自慢じゃないが、自分は蜂とゴキ以外は大概のものは平気だ。青大将見つけたって悲鳴も上げない。
だが、この光景はショックが大きすぎる。
ヤモリくらいのサイズならまだ許せた。
こいつらは軽く、全長1mはある気がする。
一瞬、気が遠くなりかけたが、持ち直した。
出した声が微妙に上擦っていたのは大目に見て欲しい。
「…何て生き物なのかなー?」
昨日、セルマさんが捌いていたお肉はコレだったら、悟りを開けるぞ。
「レバンだよ。こいつのエサやりと卵をとるのがミリアの仕事なんだ。」
トゥイミは答えながら、レバンの群れを足で掻き分けながら進む。
「ほらあった。これが卵。」
そうして見せてくれたものは、多分鶏卵より二周りほど大きい淡い緑色の殻をした卵だった。そういやイグアナも卵生だったっけ。いや、全然ちがう生き物だから関係ないか。
「レ、レバンって卵だけじゃなくお肉も食べるため飼ってる…?」
「ええ? 肉は食べないよ。卵だけ。あートウコ、こいつら怖い?」
及び腰になっている今の姿ではそう言われても致し方ない。
自分には爬虫類をペットとして愛でる度量はないことがはっきり分かった。
いや、ヤモリくらいなら尻尾掴んで逃がしてやったこともありました。
だが、こんなに大量に柵もなく至近距離で群がられるとなぁ。バナナワニ園も真っ青だよ。
「見かけはなんだけど、こいつら大人しいから平気だよ。」
確かに足蹴にされても噛み付いては来ないようだ。手足をつかってのたのた動いている。
理解はした、という意思表示で頷いてみせる。
「じゃ、卵を拾えばいい?」
「そだね。 ミリアー! トウコも手伝ってくれるってさ。」
こちらに気付いて駆け寄ってきてくれる。
「おはよう、おねえちゃん。もう、つかれてない?」
「うん、全然へっちゃら! ここではミリアの方がお姉さんだ。やり方教えてね。」
頼られて嬉しいのか、丸いほっぺが赤くなる。
きらきらした瞳を向け、力強く請け負ってくれた。
教えてもらったとおり、おっかなびっくりではあるが近づく。
確かにレバンは大人しいものだ。こんなに人が近づいても全く、ちっとも気にしてない。慣れてくれば獣臭くもないし、魚みたいに臭う訳でもない。小さい子でも餌やりや卵集めができるはずだわ。餌をもそもそ食べているのを尻目に、いそいそと卵を集める。
卵を籠に入れ、そこを後にする。村外れに行っているというセルマさんを3人で迎えにいく。
放し飼いにしている動物がいるらしい。その名はランディリオ。
どんなやつか説明してもらって、気持ちに準備をしておきたかったが、トゥイミとミリアの説明ではよく分からなかった。仕方ないよな、喩えようにも喩えに使うその動物も自分には分からないんだから。
「かあさーん!」
村の外れは、少し丘陵のようになだらかな曲線を描いていた。
そこに生えている草はかなり黄色い。
そこでまったり草を食むのは、恐る恐る見た自分を裏切る、可愛らしい生き物だった。
まるんとした毛の固まり。ハムスターのような外見。
サイズはちょうど豚くらいか。けっこうでかい。
つぶらな瞳をして、兎のごとく、口だけ忙しなく動かして餌を食べている。
「あら、おはよう! みんなでどうしたの?」
小屋の軒下で、セルマさんはほかの家の女性陣と餌の支度をしていた。
色とりどりの葉っぱがざくざくと大量に刻んである。
「トウコも起きてたんだ。せっかくだからランディリオも見せようと思って。」
「あのね、たまごひろいもしてくれたの。」
「おはようございます、セルマさん。」
3人一辺にセルマさんに話しかければ、近くのおば様方から笑い声がはじけた。
「おはよう!ヴィルトロんとこの子供たちは感心だねぇ。朝からまじめに手伝いかい。」
「うちんとこはまだ寝てるね、やーれやれ。」
「昨日、カーン様とやってきたってのはこの子? おやまぁ、背はあるのに細っこいねぇ。ちゃんとごはん食べてるかい!?」
「どーれ…あらやだ。セルマ、あんた女の子って言ってなかった!?」
「また、エルサのはやとちりだわ。どう見たって男の子じゃない。」
“女3人寄らば、姦しい。”
(世界が変わっても、格言どおりのことを感じるんだなぁ…)
機関銃のように浴びせられる声にどれにどう返事をしていいのか分からない。
せめて男の子と思われている誤解は解いておきたいが、口を挟む隙がないぞ。
「はいはいはい! いっせいに話し掛けないでちょうだい。 トウコだって困っちゃうでしょ!?」
見かねたのか、手を上げて、セルマさんが大きめの声を出す。
「トウコ、疲れは取れた? 昨日は顔色が悪かったけど…。」
「はい、すっかり。ぐっすり眠れました。」
笑顔で元気よく返す。
「そう…? それならいいけど、辛いときは何時でも言ってね。 …あー、折角だからみんなに紹介したいけど、いいかしら?」
後ろの人だかりの視線を気にしながら、セルマさんがこそっと耳打ちしてきた続きは、
「…早くしないと話に尾ひれどころか背びれと胸びれまでくっついちゃうわ。ここで自己紹介してれば昼までには、村中に広がるから。」
だった。
これには堪え切れずに笑ってしまった。
ランディリオは、あの家畜の総称らしい。豚とか牛と一緒だな。昨日美味しく頂いたお肉や旅のお供だったジャーキーくんの原料はこの仔。ありがとう、残さず食べてるから!
自分の血肉になってくれた彼らの冥福を心で祈る。なんとお乳も取れるらしい。毛も使えるということだし、いいこと尽くめだな。
絞った乳やら、卵やら増えた荷物をみんなで持って、家に戻る。
するとその途中で、遠目にも分かる長身の影。
走っていた影の足が止まり、ゆっくりこちらに向かってくる。
アルだ。
昨夜の背を向けた後姿を思い出してしまう。
今まで辛抱強く付き合ってくれていたが、どこかで彼の気に障ったのだろうか?
挨拶をしていやな顔をされたら。
でも、礼儀はきちんとしなければ。
少し固くなりつつも、そんなこと考える。
「あら、カーンさま!」
「汲んだ水は甕に移しておきました。」
「ありがとうございます。すみません、朝から力仕事を…。」
「これくらいは。」
アルの視線がこちらに動く。
(おはようございます、だ。 ほらさっさと!)
気持ちはそう思ったのに、口は中途半端に開いたまま声になってない。
「…おはよう、トウコ。」
振ってきた声は、いつもの柔らさ。
強張っていた口元から力が抜ける。
「おはよう、ございます。アルヴィンさん。」
さぞかし間の抜けた顔をしているだろう。
間近でそれを見たアルは、端正な顔を緩め笑ってくれた。