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光の彼方の音  作者: magnolia
2章 -邂逅-
20/30

20 集落の中で(3)



用意されたお風呂は何というか…ひのきの風呂桶を大きくしたようなものだった。

木々は豊富に手に入るらしく、薪でがんがん湯を沸かし、それを水で適温に薄めたものを張る仕様だ。


人手がいるというのもよーくわかった。

薪をくべるのも、沸いたお湯を運ぶのも人海戦術なのだ。

どうやら普段は村の人々も、水浴びが殆どらしい。


お湯を使うのは、祝い事や潔斎(けっさい)の必要な儀式の時だけ。

それを聞いて恐縮してしまったよ。随分、贅沢ぜいたくな行為だというわけだし。

しかしなぁ。

自分もいで湯、お風呂の国の人。湯船に浸かれる誘惑には抗いきれなかった。


台所など水場は住居の一箇所に固めてあるらしく、そこの土間のあいた箇所に桶を置いて準備完了。

目隠しは、折りたたみのできる衝立のみ。

覚悟はしていたが、心許無いしだいぶ恥ずかしい。

現代のお風呂文化って偉大だったのね……寒くないだけいいか。

準備をして下さった人々には丁重にお礼を伝えた。


しかし、この段階でやっとこさ判明した事実。


頭を下げるお辞儀。彼らには随分たいそうな事らしい。軽く目礼程度は行うが、四十五度腰を曲げてのお辞儀などは他国などではよほど目上の方にしかしないとな。ところ変われば品変わるってか。まぁ、礼を失した行いでなかっただけマシだ。






  ***






で、問題の入り方はというと。

岩盤浴のように服を着て、なんてことはもちろんなく。


「さ、その服を脱いじゃってちょうだいな。洗っておくから。代わりは私のものでよかったら貸して上げられるから、心配しなくても大丈夫よ。」


やっぱり脱ぐしかないんですね・・・。

足に擦過傷さっかしょう程度は残っているが、酷い状態じゃない。

湯に浸かっても激しく沁みることはないだろう。


ここまできたら脱ぐしかあるまい。


それでも、勢いをつけては無理で、もそもそ脱ぐ。

そして脱いだ服で身体を隠してしまう。

温泉とかみんな裸なら気にしないんだけど、自分だけじゃなぁ。

しかし、それもひょいっと入ってきた、セルマさんに取られてしまった。


「まぁまぁ、大きめの服を着ていたからちっとも分からなかった。綺麗な身体つきだこと!磨き甲斐があるわねぇ!!」


腕まくりして張り切るセルマさんに腰が引ける。


(そっちは服を着ているなんてずるいです!)


しかも声が大きい!

別室にいるアルたちにまで声が届いてそうで参ってしまう。彼には既に見られているわけだから、気にするだけ無駄なのかもだけど。


「じゃ、そこの椅子に掛けて。身体の傷の様子を見て、湯船に浸かるか決めましょうね。悪化したらいやでしょう?」


頷いて、腰掛けた。掛けられた少し温めのお湯が気持ちいい。

身体がざっと濡れたら、セルマさんはさっきミリアに摘みに行かせたものだろう。薄紅色の紫蘇しそのような葉を、茎で縛ったのをお湯に浸し、それを手にとっていた。


「傷なんかにもよく効くのよ、これ。沁みたりしたら言ってね。使い方はこう。」


成程、タオル代わりになるんですな。

傷が酷かった足から順に軽く擦っていく。

意外にも柔らかく、すっとする香りがして気持ちがいい。

泡は立たなかったけど。


「こんな感じですか…?」


「そうそう。うん、傷も大丈夫そうね。身体を洗い終わったら掛け湯して入って。髪は私が洗ったげるから。」


ん?

髪を洗えるのは嬉しいけど、シャンプーなんかはないよな。

何で洗うんだろう。まあ今よりは綺麗になるのは確実だ。


「はい。」


もう、好きにして、という境地に至りつつ、湯船に入る。

足は伸ばせないけど、深さはあるから肩くらいまで浸かれる。

じんわりと熱が伝わる感触は、えもいわれぬ気持ちよさ。


( くぅううう~、ったまんないわぁぁ )


羞恥心しゅうちしんも、その心地よさにぶっ飛ぶ。

あやうく「極楽、極楽ぅ」と鼻歌まじりに言いたいくらい。


「湯加減はよさそうね。じゃ、首を縁にかけてね。」


「ふぁい。」


目を開けてるのもなんだし瞑ってされるがまま。

洗う材料は、ちらっと見たがクリーム状に練ったもの。

これは作り方を聞いておきたいな。

あの身体を洗った葉っぱも。野生でも生えてるかな。


「よいしょっと」


頭近くに椅子を持ってきたセルマさんはそれに腰掛けたようだ。

かぽんと手桶の音がする。髪を手にとって、湯で湿らせていく。



「トウコも災難だったけど、ここでは安心していいからね。私は調律者の方の御力とかは分からないけど、力になれることがあれば言ってちょうだい。 ―――記憶だって、過ごすうちにきっと思い出していけるわ。それにね?分からないことがあれば聞いたらいいだけよ。遠慮なんかしなくていいいんだから」



セルマさんは私の頭を洗いながら、ゆっくりと話す。


優しい手つきと声が一緒になって、そのまま溶けていく。



アルに対しては少しかしこまった話し方をしてたのか。

身分のへだたりはないということだったが、調律者は敬意を払われ、有難がられる存在らしい。


私も調律者(自覚はうすいが…)だが、襲われ、攫われ、記憶も無くして、ときてはお母さんであるセルマさんには、庇護ひごの対象にしかならなかったみたいだ。態度からそう感じる。



「――でも。トウコの家族も、きっと心配してるわね…。」



ふいに耳に落ちた言葉。


つきりと胸が痛んだ。


(わず)かの間で遠くなってしまった自分の家への郷愁(きょうしゅう)なのか。

こんなに良くしてくれる人を(たばか)っている事への呵責(かしゃく)なのか。

どちらとも分からずに。



こちらに来てから数日は確実に過ぎている。

たった数日、と思うべきなんだろうか。

しかし、いくら一人暮らしとはいえ、大学の友達は変に思っているだろう。

必須単位の講義にも出てこないんだから。

このままだったら留年か。

それは嫌だ。


いやいや、それより親に連絡がいくだろう。

実家の妹にはマメにメールしてたし。返事がなかったらおかしく思うはず。

『女子大生、謎の失踪!?』とか地方紙に載るんだろうか。

…嫌すぎる。


今まで考えないようにしていた事にまで頭が回りだす。考えまいとしても、ずるずる出口のない思考の底に沈んでいってしまう。


(単位のことなんか心配する必要はないのかも…。だって、帰れる保証なんかどこにもない。)


大体どうやって来たかも分からない場所で誰が帰り道を教えてくれるというのか。

身を守り、路銀を稼いで、衣食住をなんとかしつつ、正体は隠したまま、手段を探すのか?

バックパッカーだってそんなことしないぞ。どんなサバイバルだ。


ついさっき考えた目標は、冷静になればなるほど、最低限の条件なのに、不可能のようにも思えてくる。

人生薔薇色の真逆は、人生何色だろう。

明るくないことだけは確かだ。



「…でも綺麗な髪ねぇ。指通りがよくて艶があって。洗っていても気持ちがいいわ。遠い国から来たみたいってカーン様が仰ってたけど、トウコっていいところのお嬢さんだったのかもね?」


ご機嫌でお手入れしてくれるセルマさん。さっきより声のトーンが上がったのは、私が黙ってしまったせいかもしれない。ずぶずぶと(はま)っていた思考から浮上する。


「い、いえ。そんな立派な生まれじゃないと思います。覚えてない、ですけど、きっと。」


「そぅお?」


「だって、野宿も平気でした。」


「あははっ、そうだったの?」


「はい。」


「そっか…よし、終り! うん、きれいになったわ。髪流しちゃうからそのままでいてね」


お湯をかけてもらいながら、自分の思考回路を切り替える。

考えても自力で解決できないことは一旦放置。

それよりも、目下の課題を優先しなくては。

目指せ、この世界での一般的な調律者!だ。



それには誤解を解かなければ。高貴な生まれだなんて設定は御免蒙ごめんこうむりたい。

生活の術を教えてもらわないといけないのだから、一般庶民の出というのが一番いいはずだし。



「あっあの、セルマさん!しばらくご厄介になります。私、名前しか思い出せなくて・・・色々失礼なこととかしてしまったらごめんなさい。おかしいところがあったら言って下さい。それと、よかったら暮らしのこととか教えて下さい。ご面倒をおかけますがよろしくお願いします。」


拭くもの、拭くもの、と近くの籠から布を取り出しているセルマさんが振り向いたところでそう伝えた。

言った後で、何も風呂桶に浸かったまま顔を出していうことじゃなかったと思い至るけど。


見つめた先には、大判な布を両手に抱えたまま、ぱちくりと瞬きひとつしたセルマさん。

それからにっこり笑顔が返ってきた。

何故に笑顔?


「ええ、もちろん!」


快諾の声にこちらの声も自然、大きくなる。


「ありがとうございます!!」


「でも、私にそんな堅苦しい言い方はなし。でも名前で呼ばれるのは嬉しいからそのままね」


えぇ。でも年上だろうしなぁ…。というか自分いくつに見られているんだ?アルですら年を間違えていたし。東洋人は若く見えるってのは俗説なのか。それとも自分が当てはまらないだけか。


「すみません、言葉遣いはこれが一番使いやすみたいで…。ところでセルマさん、私いくつに見えますか?」


「え、そうねぇ。最初は、声と背格好から16、17くらいの少年と思ったわ。でも今見た感じ、大体だけど、20前後じゃないらいかしら。」


ぎ、ぎりぎり!

でも一応自分の年に近い辺りに見えて嬉しい。

20才前後ということで押し通そう。


「そうですか・・・それならきっと、私はそれくらいの年なんですね。」


「まぁ、目測で、だけどね。そんなに大きな差はないと思うわ。」


はい、と渡された布は、パイル地のタオルに慣れた現代人にはざっくりとした手触りだが、お日様の匂いがして、(くる)まるとほっとした。髪を重点的に拭いて、身体も(ぬぐ)う。


セルマさんからは女物を薦められたが、おそらく旅路の間は男装を続けることになるので、着方だけ教えてもらった。下着事情も分かりましたよ。でも下着以外は大変恐縮ではあるが、旦那さんのものという男物を拝借しました。なぜって? セルマさんのものだと、丈が足りなかったから。


女性ものの着方は、上は男物と一緒、下は帯が両端についた胴回りよりかなり大きめの円筒上のスカートだ。両側から中央に引っ張り合わせ、帯状のリボンでくるっと腰で一回転させて前で蝶結びする仕様。足元はなめした皮のショートブーツ。着方は慣れればそう難しくない。コルセットとかがなくて正直助かった。貴婦人ばりにウェストを締め付ける構造ならギヴアップしただろう。



お湯につかったことで心も身体もほこほことした温もりの中にいるみたいだ。

自然と顔も緩んでいたのかもしれない。

居間に戻ると自分を見たアルは穏やかそうに笑ってくれた。


「疲れ、とれたようだな。」


「はいとても。あ、先にお湯使わせて頂いてありがとうございました。」


「いや、構わない。村長どのにも会えて、明日にでも時間を取っていただけるということだったしな。」


「そうですか、よかったです。」


そうそう、アルのお仕事があるんでした。情報収集ですな。


「上手い具合に、話が聞けるといいが、な。」


「なかなか難しそうですか?」


「正直、手詰まりな状況だからな。噂や昔語りでもいい、何か足掛かりになる話があればいいといった所だ。」



「あ、お待たせしました、カーン様の分もすぐ支度しますから、お湯使われてくださいな。」


「あぁ、ありがとうございます。」


セルマさんと受け答えした後、こちらに向いたアルは


「トウコ、良かったら子供たちと話をしてみるといい。トゥイミには事情も伝えてある。色々教えてくれるだろう。大人と話すよりは気は張らなくていいから。」


「あ、分かりました。私もセルマさんにお手伝いできることはさせて下さいって話してますので。」


「そうか。あまり無理はするなよ。」


「いえ、まあ、そうは言っても何ができるかさっぱりなんですが…。」


「はは、いいさ。名前と性別以外は何も分からなくなっているということにしたし。遠慮なく聞いてもここの人なら答えてくれるだろう。…ただ、調律者の能力は話さないままで。トウコ自身もよく分かってないから話のしようがないと思うが。」


確かに。力があるというのは事実みたいだが、自分は例外的な部分が多い。

調律者以外の人に聞いても埒があかないし、ぺらぺら話して変な形で目立ちたくはない。


「そうですね、ぼちぼち様子見ながらやってみます。」


安心させるため、少し笑ってみた。


「ああ。」


そういってアルは、あの体躯に見合わない静かな動きで部屋を出て行った。


この年になって親以外にこんなに気遣ってもらうのは気恥ずかしいものだ。でも不思議と嫌じゃない。アルも変な同行者ができてしまって、しなくていい苦労をしてる筈なんだが、面倒がる素振りをちらとも感じさせない。自分がアルと同じ年になったときあんな振る舞いができるようになるんだろうか。


そんな事を考えつつ、布を頭から被ったまま突っ立っていると、くいと服が引かれた。

下を向くと服の端を掴む小さな手。

ミリアだ。目線を合わせるべくしゃがむ。


「おねえちゃん、おふろきもちよかった?」


「とっても。ミリアが摘んでくれた葉っぱも気持ちよかったよ。ありがとう。」


こんなに小さい子と話すのは久しぶりだなぁ。妹とは年そんなに離れてないし。人見知りがちのようだが、存外自分を気に入ってくれたことが嬉しい。ほっぺを林檎色にしたミリアはとても可愛らしいのだ。


「ううん、それならいいの。よかったぁ」


お互いほにゃっと笑う。


「ほら、ミリア。しゃべってないで部屋の案内しろよ。さっき自分でするって言ったろ?」


トゥイミが話しかける。

ミリアに視線を向けたから、一緒にしゃがんでいる私とも目があった。

少しバツの悪そうな顔をして、もにょもにょ口を動かしている。


「あ、あの。さっきはごめん…。」


さっき?

あぁ、男と間違えたことか。

いやー、こちらの常識だと間違うなっていうのが無理みたいだしなぁ。

それに。スカートじゃなければ今までもよく間違われていたし。髪が短かった頃はトイレ行こうとしたら「男性はあちらですよ?」と言われることもあったなぁ…。

過去の傷に思いを馳せたあと、トゥイミを見る。十才って言ってたっけ。間違えてもそれをきちんと謝ることができるのは見所があるぞ、少年。


「いいよぉ、気にしなくて。よろしくトゥイミ。呼び捨てで構わないよ。アルヴィンさんから話を聞いたと思うんだけど私、自分のこともよく思い出せないんだ…色々なことを教えて欲しい。お願いできるかな?」


「うん!そんなのは全然。カーン様から聞いたよ。トウコは遠いところからわざわざこの国に来たのかもしれないって。昔のことを忘れてるってのも。分からなかったらなんでも聞いてよ。おれにわかることなら答えるからさ。」


「ありがと。それと、もし失礼なことをしている時やしちゃいけない事は遠慮なく言ってね。」


「わかった!まかせといて。じゃあ部屋に案内するよ。ミリアいっしょに行こう。」


こくん!と頷いて、ミリアが手を引いてくれる。腰を曲げなきゃいかんですがせっかくのご好意。甘んじてその体勢でついていきましょう。


「ねぇ、トゥイミ。この村はなんていうの?」


「ベゼルの村だよ。村っていうほどでっかくもないけどさ。」


「ふぅん、そっか。どれくらいの人が住んでるのかな。」


「そうだなー。大体30人くらいかなぁ。いや、ルンヴィクさんとこに双子が生まれたからも少し増えたかな。」


「え、でもそんなに人は見かけなかったけど…」


さっき、お風呂の準備をしてくれたのは恰幅のいいご婦人方と少しお年を召した男性ばかりだった。セルマさんくらいの年の女性はいたのに、それと釣り合う年頃の男性が少ないなぁとは感じたんだ。


「あぁ今ね、父さん達は森に行ってるんだよ。三日くらいかけて薬草とか食べられる木の実とか集めたりするんだ。もちろん狩もするよ。だから帰ってきたらごちそうかも。明日には帰ってくるからトウコも食べていきなよ。」


ほほぅ。採集と狩が生業か。薬草を取ってくるってことはそれを売ったりとかもするのか。じゃぁ、若手の皆が山に入っていると。農繁期のうはんきではないようだったから、畑の世話は女性や村にいた男性にまかせているのかもしれないな。


キシキシと踏み板を軋ませ、階段を上り、2階へ。


「採った薬草とかはどうするの?外の畑…でいいのかな。食べ物も作ってたみたいだけど。村で全部食べちゃうの?」


「えっとね、畑のやつはセトワートっていうんだ。山で採ったものと合わせて、たくさん取れたときは、まとめて街に売りにいったりもするよ。さ、ついた。ここがトウコたちの部屋だよ」


トゥイミはそう言って扉を開けた。ミリアも手を離し、トゥイミも隣で「どうぞ」と真似っこをしている。


「ありがとう。」


そう言って入った部屋は、雰囲気だけならハイジの屋根裏部屋。

上は天井板を張らずに外観と同様斜めになっている。ハイジの部屋よりも家具もあるし、布団はわらじゃなく、きちんと寝台だけど。トゥイミが奥へ行って、木窓を開け、つっかえ棒で支えている。すこし薄暗くなってきているが、この部屋にも手縫いの織物がふんだんに使われているのが目に取れた。


「素敵な部屋だね。」


「え、そう?それならよかったけど。灯りは暗くなったら持ってくるよ。ここが寝るところ。夜でもそんなに寒くないから窓は開けてても大丈夫だと思う。今着てる服で寝ていいって母さんが。」


丁寧に説明してくれる。寝るだけならなんとかなりそうだ。もう野宿もしたから暗いのも慣れたしね!しかも今日はベッドで眠れる。嗚呼、素晴らしきかな文明生活!


「トゥイミー!ミリアー!手伝ってー!!」


セルマさんの声だ。


「わかったー!今いくよー!」


「じゃ、下に戻るね。ご飯まで待ってて。呼びにいくから。」


おっと!


「あ、私もいくよ。手伝わせて。」


「え、でもお客さんだから気にしなくていいよ?な?」


「うん。おねえちゃん、まってて。」


ミリアも自分を見上げながらそう話す。


「ううん。…アルヴィンさんと違って私は何かできるわけじゃないけど、もしかしたら手伝っているうちに思い出せることもあるかもしれないから。」


殊勝にもそう話した。

まぁ、記憶の引き出しには思い出せることなど何も入ってないんだが。

ただ、待ってるだけってのも暇だしな。


「…そっか。じゃあ、トウコも下に行こう。多分夕ご飯の支度だから。母さん張り切ってるよ。」


明るく返してくれるトゥイミに礼を言いつつ、来た道を逆戻りだ。


階下に降りて、セルマさんにも同じ言い訳で手伝いを申し出た。

使ったことのない道具や調理方法に多少まごついたが、なんとかなる。

いってしまえばキャンプと一緒だ。

水を汲み、火を熾し、材料の下拵え。


セルマさんが気を利かせてくれて、それはこれくらいに切ってね、お水を汲んできて、調味料はこれとこれ。この食材は煮たら美味しいわ、でもこっちは生のほうが歯ごたえがいいから千切ってお皿にもってね、などできる仕事を見極めて自分に割り振ってくれる。


火種は貴重らしく、どこかに火を絶やさぬようにして、そこから火口を使って、竈に火を入れる。

アルは、私に調律者の力を見せるため、薪に火を点すのに力を使ったが、あれは自分に力を理解させるための手段だったんだろう。それ以降は普通に火を熾していたし。私利私欲で力を使うことは禁じられているということだったしなぁ。でもその基準は、自分にとってはいまだ曖昧なままだ。旅を続けるうちに徐々に教えてくれるかとは思うけど。



椀の中で、セトワートの粉に水を入れて捏ねる。結構楽しい作業だ。

その横ではお客をもてなすためにとわざわざ家畜を潰して、セルマさんが肉切り包丁で捌いている。褐色の色をした肉は正直、どんな味なのかすら想像できないが。さすがにこれは手伝わせてくれとはいわなかった。つましい暮らしをしているこの村で、お肉は貴重品だろう。自分が手伝って台無しにしたら申し訳が立たない。それに内臓とかどうなってるのか分からないしなぁ。でも臓物と血の色は見慣れたものだった。緑色とかの色でなくてほっとしてしまった。



だが、なぜだろう。

その赤い血の色を見つめると眩暈めまいに似た違和感がある。

血の匂いに酔ったのか。

そんな繊細な性格じゃないんだが。

あの色を見ると、漠然とした思いが胸を焼く。

魚は捌けるし、血の匂いが駄目な訳でもないのに…。


そんな自分の身体をいぶかるしかなかった。









 ***










くつくつ音を立てる鍋の中。


テーブルに響く、食器の物音。


弾んだ子供の声。


よい香りに満ちた温かい空気。





和むはずの風景が、ぼやけてゆらゆらと揺れる。

気付かれないように鍋を覗き込んで瞬きを繰り返した。


「トウコ、そのお鍋そのままこっちへ持ってきてくれるー?」


「あ。 は、はい!」


セルマさんの声を受けて、慌てて返事をする。

涙腺をほどいている場合じゃないだろう。

しっかりしろ。


できあがった食事を皆で囲んだ。

決して豪華なものではないだろう。

でもご馳走だ。心尽くしの。


セルマさんとアルが世間話をしたり、トゥイミが旅の話などをせっついたりしているのを、笑いながら聞く。のどかな夕食だった。


「ご馳走になりました。」


「いいえ。お口に合ったようで嬉しいわ。トウコはどう?食べられたかしら?」


「はい、美味しかったです。ありがとうございました。」


「ううん、手伝ってくれて大助かりよ。…でも少し疲れさせちゃったかしら?」


「あ、や、大丈夫ですよ。」


ぎくりとする。

顔に出ていたのだろうか。別にひどく疲れた訳じゃない。たださっきからの自分の感情のブレに戸惑っただけだ。自分からかってでた手伝いだ。セルマさんにそんな風に思われるのは申し訳ない。


「いや、今まで自覚してなかった疲れがでたのかもしれないな。トウコ、先に休むといい。すみませんが…」


アルにまで言われてしまう。


「えぇ、ええ。もちろん大丈夫ですよ。後で温かい飲み物と灯りを持っていくから。先に寝台に入ってなさいな。」


「ありがとうございます。では彼女を部屋に連れていきます。」


そう言ってアルは椅子から立ち上がる。

とまどいながらも、自分も席を立つ。ここで固辞しても失礼なだけか。


「すみません、セルマさん。」


「いいのよ、いいのよ。」


「…おねえちゃん、つかれちゃったの?」


「だよ、ミリア。トウコは旅してきたんだから。お話はまた明日な。トウコ、ごめんな。」


心配げな視線を送る二人に首を振る。


「ううん、私が手伝いたいって言ったんだから。えと、じゃ、おやすみなさい。」


「うん、おやすみ!」



 ***



先程、案内された部屋に着く。

お風呂にも入り、美味しいものも食べた。

出会った一家の人達も親切だ。

この状況はかなりいいと言っていい。

なのに、これみよがしに気遣われる態度を取るなんてどうかしてる。



顔を伏せ、寝台に腰掛ける。


「…辛いか?」


はっと、顔を上げる。迂闊だ。アルがいたのに。


「や、平気ですよ。こんなによくしてもらって。アルヴィンさんも本当にありがとうございます。」


慌てて取り繕う。

辛いわけじゃない。

最初は酷い目に遭いかけたけど、そのあとは人の縁に恵まれているといっていい筈なんだから。

そう思って言った言葉に返ってきたのは、ふ、という溜息にも似た音。

座ってしまった私に、目を合わせるため反対側にある寝台に彼も腰掛けていた。


「君は…。いや、とりあえず服を着替えるといい。」


続けるはずだった言葉を飲み込んだかのように、彼は立ち上がり部屋の隅にあった衝立を持ってきた。

寝台と寝台の間にそれを立てる。


「しばらく、出ているから。」


そう言って、きぃと音を立てる扉を閉め、アルは部屋を出て行った。

着替えなくてもいいと言われていることすら口に出せなかった。





読んでいただき、ありがとうございます。

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