17 北辺の僻邑
まごうことなき朝だ。
天気も上々。
朝日が眩しいぜ。
…結論。自力での仮眠からの起床はできませんでした。
初めは起こしてもらいながら起きなかった様を晒したかと思い、びくびくものだった。
が、朝、アルが近づいた瞬間すぐに目が覚めた。随分と気配に敏くなっているみたいだ。ということは昨夜、おそらくアルは自分を起こそうとはしなかったのだろう。
アルでなければ「よく眠れたようでよかった」と言われたら嫌味にしかならない。
彼にも確認したら、声をかけ忘れてしまったと。絶対ウソですね、それ。
というより言い出しておきながら、惰眠を貪ってすみません…。
彼も休んだとは言っていたが、おそらく暁闇から朝までのわずかな間だけだ。焚き火近くの地面はほんのり熱を持っていたから。
今回はだめだったが、次からは絶対交代制にしよう。長い旅になるかもしれないのに、そんな無理を強いることはできない。
汚名返上ではないが、率先して準備をし、手早く朝食をすませる。
何分自分はよく寝たため、身体も軽い。
地面に寝転がっていたわりには、節々が痛いこともない。
草の上だったのと、ヴィーを枕にしていたせいだろうか。
ゆっくり眠れた事はやはり大きい。
空気も美味しいし、ストレッチ代わりにラジオ体操でもすべきか?
そんな事を考えていたら、
「トウコ、準備はいいか? そろそろ出発しようと思うが。」
ヴィーに餌をやっていたアルから声がかかった。
おっと、火の始末はきちんとできているかな。
燃えカスを枝でほぐす。うん、問題なさそうだ。
「はい、大丈夫です。あ、アルヴィンさん、今日はヴィーには悪いけど二人乗りしませんか?」
「構わないが。どうした急に。」
「い、いえ。その。昨日は火の番を代わるって言っておいてできなかったし。まだ歩きよりはアルヴィンさんも楽じゃないかな…と、思いまして。」
うつむき加減でごにょごにょ言った後、アルを見ると少し困ったような笑顔があった。
「それは気にしなくていいと言ったろう。俺が起こさなかったんだ。」
ぶるぶる勢い良く首を振る。
(気にします!気にならない訳ないでしょうが!!)
自分はギヴ&テイクが身上。ギヴばかりでは帰るまでに返せる自信がなくなる。
それにこんな気遣いをされるのは慣れていない。姉でもあったし、どちらかというと面倒を見る側が殆どだった。それがこんな様では情けなさも倍増である。
「…ではトウコの要望に応えるとしよう。確かに今日中にはどこかの集落に行き当たりたいしな。」
アルが折れてくれ、ほっとする。
足の布地を巻きなおすように言われ、アルがしてくれたより少し雑だが、なんとか巻けた。
そうこうしている内にアルは既にヴィーに跨っていた。
あり? 自分、しゃがんで貰わないと乗れないのですが…。
視線を上げると、差し出された手があった。
「二人乗りだとこちらの方が乗りやすいからな。鐙に片足を引っ掛けて、手をこっちに。」
つまり、引っ張り上げてくださると。
いやでもな。自分、太っているとは言わないが、上背がある分体重あるんだよ…。
差し出された手とアルの顔を交互に見ていたら、
「ほら。心配せずとも落としたりしない。」
うぅ、気にしているのはそこではないのですが。これ以上もたついても失礼だしな。
「で、では。」
そう言って、足を引っ掛け、アルの手を握る。
途端、ぐんっと引っ張り上げられ、あっさりと高いヴィーの鞍の上にいた。
おぅ、力持ちですね!
おもわず固まっていると、アルから声がかかった。
「トウコ、少しだが早駆けする。揺れると思うので、俺に凭れてくれるか。その方が安定するから。」
「わ、分かりました。失礼しますね」
そう言いつつも全体重はかけないよう、とんと背中を預ける。
乙女心ってやつさ。
しかし、そんな余裕は走り出すまでだった。
(うっひぃぃぃ!! ど・こ・が「少しだけ」なんですか、アルヴィンさーん!!)
口に出して苦情申立をしたかったが、今やれば舌を噛み切りかねない。
前後、上下に激しく揺れる。頬にあたる風も切るようだ。
しかも、自分の全体重はなす術もなく後ろのアルにかけっぱなしの状態。
なんとか自力で支えようとするも、どこにどう力を入れたらいいのやらさっぱりだ。
鐙と手綱はアルが使っているし、自分は鞍の前部分に手をかけただけの状態。
しかもこの体勢だと、ヴィーの首とすごい速度で流れる足元しか目に入らず、怖いのなんの。
がっくん、がっくん揺さ振られて酔いそうだ。
これも乗り物酔いって言っていいのか?
少しだけでもいい、速度落としてくれぇと思っていたら、アルが気付いて速度を緩めてくれた。いや、まぁ自分が乗っている時とは比較にならない速さなんだが、今も。
「トウコ、大丈夫か?」
虚勢を張る元気もありません。
「そう、じょう、い、じょう、に、はや、かった、です。」
途切れ途切れなのは、揺れる合間でしか声を出せないからだ。
「すまない。久しぶりだったからか、ヴィーも張り切ったようでな。今の速さなら平気か?」
「なん、とか。」
かっくんと頷く。頷いたように見えたかな。始終揺れてるから分からなかったかも。
暫く間があいた。
どしたんだ?
「トウコ、悪いが身体を支えてもいいか?その状態だと辛いし、長く乗れないだろう。気分も悪くする。」
確かに。
この状態が続けば近い未来、胃の中のものを逆流させてしまう、確実に。
遠慮すべき場面ではない。
「おね、がい、しま、す。」
そう言うと、アルは一旦手綱を片手に握り、自分の身体を寄せ、左手で腰周りを支えてくれた。
どうやら不意打ちでない限り、人様に触られること自体が駄目になったわけではないらしい。まぁ最初の人事不省状態の時は別として。
それに腰の辺りは丈を調節したため布地が特に重なっている部分。手で触られてもそう問題はない。
これが直にぷにょっとした腹肉を触れる状態であったら、断固拒否したが。
ま、全裸見られているのに気にしても仕方ないか。
揺れが随分おさまり、楽になった。
変に力んでいた四肢からも力が抜ける。
おそらく揺れを御しているアルに支えられたおかげだろう。
ヴィーの高い背中から眺める景色はなかなかのものだったが、走っている状態ではまた違った印象だ。
見えた視界もすぐ後ろに流れていく。
過ぎる景色に散る色は点々と赤、青、紫、黄、緑など様々だ。
スミンの花以外も花があるのだろうな。
赤い枝の木々もあるぞ。色合いは雑多に近いのに、それでいて調和が取れて美しい。幻想的というのか。
過ぎ去る景色を堪能しながら、背中に感じるのはアルの体温。
今の状態になったとき、また初対面の頃のように失礼な態度を取ってしまわないかと不安だったのに、逆に安心している。不意に触られると駄目なのに、この状態で落ち着いている自分に呆れる。
喉元過ぎれば熱さ忘れるってやつか。
男らしいのに男臭さをあまり感じないせいもあるんだろう。
女にしてはでかい自分が凭れても、揺るがない。
小さな女の子になれた気がしてしまう。
ふふっと笑いが出た。
「トウコ、どうした?」
「いいえ、アルヴィンさんは理想のお兄さんだろうなと。自分に兄はいないから感じだけですけど。」
「そうか?」
「頼りになって優しいですもん。まぁ、本当に兄がいる友達なんかは『冴えないし、鬱陶しいし、性悪だし、口悪いし、最悪っ!』って言ってましたけどね。」
声真似も交えて話すと、
「おやおや、では俺も少し見習うべきか?」
「いえいえ、お兄様。可愛い妹は大事にしてくださいませ」
「そうだな、いい子にしていたらな。」
そんな風にお互い茶化しつつ、頬に風を感じながら進む。
***
馬上でも話ができることが判明したので、簡単ではあるが力について聞いてみた。
「アルヴィンさんが力を使う時、印でしたっけ。そういうのを唱えていたと思うんですけど、あれは決まり文句なんですか?」
「いや、あれ自体はどんなものでもいい。調律者であれば自分の口から願う形で紡ぐだけでも発現するにはする。ただ限られたものだな。音の力を借り、導くからには韻を踏んだ唱えやすいものを組み立てていくことが一番効率がいい方法になってくる、あとは、そうだな。外的要素として周囲にあるものが多ければそれに関連する力は顕現しやすい。」
なるほど。自分自身の力もあるが、それに付加されるのが印という加減装置と場の要素という事になる訳だ。
「火と風と、治癒っていうのは聞きましたけど、他にどんな形の力があるんですか?」
「…そうだな、過去視、未来視、遠目、遠耳、遠話、その世界に溢れるもの、風・火・水・土・木を増幅・制御するものといったところか。」
改めて聞くとすごいな。
そりゃ、制約も必要だろう。
悪用しようと思えばしたい放題だ。
「それなら制約が加えられるのは仕方ないところかもしれないですね。」
「そうだな。やはり調律者の力は特殊だ。だから私利私欲による使用は固く禁じられるし、力で罪を犯せば苛烈な制裁がある。まぁ、そんなに濫りに使える程、力のある者は少ないがな。」
「そうなんですか?」
「ああ。調律者は、音律堂の戒律によって外的に制約が成され、もう一つ、自身の生命力による内的制約がある。」
んん? 生命力ときましたか。
「具体的にはどう…」
「そうだな。力を使うにはまず強い意思、精神力がいる。集中しなければ駄目だ。それから世界に希う形で自分の口から音を紡ぐ。しかし、自身の許された枠を超えた力を扱おうとすれば昏倒するし、力が強くとも、それに似合う体力がなければついていけず、死に至ることもある。」
げげっ!まじですか!?
「だから、トウコ。使い方のコツや印は教えるから暫くは力を使おうとはしないでくれ。まだこちらの生活に慣れた訳ではないだろう。無理に使う必要があるほど逼迫した状況ではないからな。」
「そ、ですね。きちんと勉強してから使います。」
迂闊にやってみようとか思わなくて、本当によかったよぅ。
自分のチキンで疑り深い性格に、今回は感謝しておこう。
でもなぁ、探索の旅でもしかして自分が遠見だっけ、そんな能力があったら役に立てたかもしれないのに。
早くも恩を返すタイミングが遅くなりそうだ。
ふぅと溜息をついて、少し後ろを見遣る。ぐるっとは向けないからちらりとアルの顔を見上げる程度だ。
そうするとアルが手を翳し、遠くを見つめていた。
「畑が見えるな…。当たりだ。トウコ、今日は野宿せずにすみそうだ。」
アルの見ている方向に目を凝らす。
眼鏡をかけるほどは悪くないが、両目0.8くらいなんだよな。
自分の有効視界範囲内には、見えないぞ。どんだけ目がいいんだ、アルってば。
「ど、どこですか、アルヴィンさん!」
「ああ、あっちだ。」
腕を上げ、指差す先を見つめるけどやはり分からない。
ううむ、自分が想像している畦を作ってきっちり四角に植えられたような形をしてないのか?
でも、やっと人里だぁ。
アル以外の人に会うんだ。
…。
……。
あ、き、緊張してきた。
慌てて、設定を思い起こす。
(私は女優。寄る辺ない気の毒な少年役!仮面を被るのよ!)
自己暗示をかけつつ、そして祈る。
(どうか同じか少し年上で面倒見のいい、お姉さんかおばさんがいらっしゃいますように。)
なるべく女であることはばらしたくはないが、アルにはさすがに聞けない事もあるからな。
信頼できそうならば明かして、助けが欲しい。
速度を緩めたヴィーの足で、向かう。
知るべき事、身に付けていくべき項目を挙げながら前を見据える。
薄暮のせまる中、ようやっと辿り着いたのは本当に小さな集落だった。