16 野営と四方山話
本日の寝床は、黒い幹の樹の下だ。
楠のような形状をしていて、広がった枝葉の下は過ごしやすいことだろう。
アルが火を熾してくれたので、その後の火の番を仰せつかった。
採った果物や野草の類の処理の仕方は分からないので、これぐらいしかできることがない。
アルが処理していく様を目で捉えつつ、火が消えないよう気を配る。
組んだ焚き火の形を崩さぬよう、枝を足す。
乾いた枝を拾ってはいたので、煙も出ず上々だ。
生木を燃やすとなかなか火が点かない上、点いたら点いたで自分が燻製になる!というくらい煙が出ることがある。昔、遊びで生の杉の葉を放り込んだときはもっと酷かったが。
簡単な食事をしている間、揺らめく焔に視線を落とす。
影が落ちたアルの表情はこちらからは読めない。
それが逆に落ち着いた。
「トウコが手馴れていて助かった。」
そうぽつりと声が落ちた。
「いえ、大したことはできませんでした。」
「君は…学生といったか。」
「そうですね。専門は法学です。」
「法学というと…」
「人の集合体、国等を成さしめる為の規律を専門とした学問と思って頂ければ。それの成立の過程や歴史。運用やどの罪がどう裁かれたか例を比較しながら、今後どう運用すべきか。人を害した場合はどんな判決を、罪に対する罰を与えるべきかなどを考える学問ですかね。」
口にしながら、漠然とした学問を専攻していたんだな、と痛感する。
ここが立憲君主制や民主主義でない限り、役に立ちそうにない。
というか、絶対王政、弱肉強食の戦国時代だったら、基本的人権もへったくれもないな。
法の下の平等とか言ったら不敬罪で首と胴体が泣き別れ、という可能性もある。
やれやれ。
「…なんというか、随分専門的なものなのだな。」
「そうですね、我ながらきちんと説明できているかは自信のない所です。」
肩を竦めるしかない。
それよりも。
「アルヴィンさん、ちょっとお聞きしたいのですが。こちらの世界には人と人には階級や区別、差別がありますか。」
「単刀直入にものを言う。」
硬い声が返ってきた。
「…俺、君もだな。調律者は基本、貴賎の別なく扱われる。またシーギ・ルドナは自給自足が原則ではあるしな。誰かを使役するという関係はない。」
「ということは、この国以外ではそうではない、ということですね。貴賎の差があり、それによって虐げられる者もいるし、使役する側、される側がいると。」
階級制があり、差別がありうる世界か。
どこの世界でも変わらないな。
くだらなくも、どうしようもない人の性。
「察しがよくて助かる。」
ふぅ、と一息おいてアルから説明が続いた。
「基本、シーギ・ルドナに厳密な階級はない。役職はあってもな。竜騎兵も指揮系統はあるが階級ではないな。ただ、他国は君主制であることが殆どで身分制度がある。王侯・貴族・豪商・庶民・奴婢といったところか。力ある者がのし上がり、国の首領となるところもある。まぁ国毎に言い回しが異なるが階級が厳にあることには変わりない。」
絶対王政か、弱肉強食かよ…。参るな。
御伽噺のように、王に后、姫に王子、騎士やら侍従やらがいて、召使もいると。
これじゃ本当に自分の知識は表に出さないほうが賢明になってきたぞ。
「では、シーギ・ルドナはかなり異色なんですね。しかし、その場合、他国から迫害された者が逃げ込んできたりするのを止められないのでは?」
「そうだな。やはり難民のような形で流れてくるものもいるが、基本対外不干渉を貫いているので、調律者としての力が必要であれば施すが、それ以上の保障はない。流れ込んでくる全ての民を救うことは不可能なことだ。生まれた国を離れる事はその国の庇護を失うことにもなる。我が国とて勝手に籍を渡せるものでもない。無尽蔵に土地や食物があるわけではないからな。」
そりゃそうか。
難民問題は深刻だ。
国連という世界組織がある自分のいた世界でも揉めに揉め、拗れてしまい、郷に帰ることもできない人々もいた。感情面では救いたいが、財政的、対外的にもそれは難しいのだろう。
「話は変わるが。トウコは元の世界では庶民だったか、そんな風に言っていた記憶があるが」
首肯する。
「私の国は基本身分制度のない国です。最低限の生活の保障や、思想や信仰の自由を誰にでも認められています。ま、かなり物流に特化してしまった世界だったので、貧富の差はありましたが。」
「しかし、そんな高等な教育を受けられるとはかなり裕福だったのではないか?」
「うーん、生活に困ることはない家庭では育ちましたが、日本としては多分平均的な部類とは思いますよ。基本日本では、6つの頃から9年は無償の教育が受けられますし。識字率も高かったです。」
アルが驚いた顔をする。
「随分と教育に力を入れている国なのだな。」
「あー、日本は島国でして。国土も狭く資源も少なく、食物を諸国に売れるほどは作れない。ないない尽くしだったが為にココ、頭を鍛えて、持ち前の手先の器用さと模倣の上手さで物を作ったり、目新しい方法を考案したりして金を稼ぐ国ですから。」
自分のこめかみ辺りをとんとん、と示しながら話す。
学ぶことで諸外国と対等に渡り合い、考案した手段や物、効率のよい方法を売る。
これに手を抜いたら、立ち行かなくなるお国柄なのだ。
最近は、もうやばいが。
「こちらでは教育は一般的なものではないのですか?」
「そうだな、読み書きができるのは裕福な庶民以上だ。トウコのいうような専門的な学問は学者でもない限りは学ばない。宮廷作法や礼儀、教養としての歴史や読み書き等を教えるところもあるにはあるが、それは豪商の子供か貴族などの特権階級くらいだな。まぁ、もっと上になると雇った学者から直接学ぶ場合もあると聞いた。」
「へぇ、でも学べる場所はあるんですね。しかし裕福でないと駄目ってことはお金がかかる訳か…」
「そうだな。ゆえに共通言語文字も読めないものも多いぞ。それに学者になるにも学院と呼ばれる所で研鑽を積み、学位を拝受してからだ。その学院も狭き門だしな。」
「そうなんですか?」
「あぁ、高度な学院に入るには優秀な成績が必要で、多岐に渡る知識が必要になる。故に金と教養のある上流階級が殆どになる。」
「なるほど。」
確かに生活に密着した知識でないなら、無理に金払ってまで行くのは阿呆らしいし、そうなると学問への探究心は薄れるのかもな。技術職とかは徒弟制度も生きている世界っぽいし。
「しかし、トウコは印象が随分違って驚いた。初めはとても礼儀正しく振る舞いも落ち着いたものだったから。いい所のお嬢さんかと思ったぞ。」
笑い混じりだ。しかも過去形。
今は違うってことですね、アル。
「印象が変わってしまったのは残念至極なんですが。どこの辺りで?」
思わず聞いてしまうじゃないか。
「おやおや、自覚がないのか。まぁ言葉遣いや、労働を日課としない手。ここら辺は貴族のご令嬢や裕福な商家のお嬢さんかと思った。だが、それにしては体力はあるし、自分で動くことを厭わない。草を引っ掴み、薬草を集めるのも平気。好奇心が強く、理解も早い。野宿でも構わないと言うし、物怖じせずに話す。健啖家でもあるしな…そう変な顔をするな。小鳥のようにしか食べない女性は好みではないし、トウコの美点だと思うぞ。美味しいと顔に良く出てる。」
くくくと笑われる。
いや、確かに食い意地は張ってるし、基本的な目上の方への礼儀以外は一般庶民だし。虫は嫌いだが野宿で死ぬことはないしな。ここ暖かいから。場所が変わってもどこでも眠れる長所は既に確認済みだ。
…うん。印象が変わるというより、アルは初めに随分好意的に判断してくれていたのだな。
まだ笑っているアルをジト目で見やる。
ほろりと音がして、焚き火の炎が揺れた。
薪にしていた枝が燃え尽きたのだろう。
座ったまま、手元の枝を放る。
いかん、ちっとも女性らしくない。こんな風だからせっかくの好印象もパーにしてしまうのだな。よっく分かったぞ。
「思わず長話してしまったな。トウコは先に寝るといい。これを使え。」
ヴィーに括ってあった、毛布のようなものを受け取る。
「え、でも。アルヴィンさんの分では。私はこの格好で眠れるので平気ですよ?」
「…気にせず、受け取れ。火の番をしなくてはならないから、交代で眠ることにしよう。それなら構わないだろう?」
「そっか、そうですね。じゃあお先に休ませていただきます。でも、適当なところで必ず起こして下さいね。」
アルなら絶対、無理に自分を起こさない。
しかも自分は寝穢い。目覚ましがないと、夜中なんぞに起きられる自信が薄い。目覚ましもないし。きっと朝日が昇るまで爆睡コースだ。
念を押し、自分にも起きるんだぞーと自己暗示をかける。効くかは未知数だが。
「分かった、分かった。樹の近くのほうが下草も柔らかい。そこで眠っていてくれ。ヴィーも一緒に。」
頷いて立ち上がると、疲れているのは自覚できた。筋肉痛にはもうならないだろうが。ハクの森で歩き回ったおかげで既になったからな。
ヴィーの手綱を引いて、樹の下に寄る。肢を折ってくれたヴィーのお腹辺りに凭れて毛布を広げる。
包まると自然と瞼がゆるゆると落ちた。
視界に最後に入ったのは、空を白く輝かせるほどの無数の星の瞬きと、揺れる木の葉だけ。
世界が変わっても、起きて、食べて、動いて、食べて、寝て。
やっていることに変わりがないのが逆に怖い。
家族はどうしてるだろうか。
あまり心配していないといい。
それ以上は深く考えないようにした。
更新、遅くなりました…。
段々、地金が出てきてしまっている主人公。まだ大分ネコ被っているんですけどね、これでも…。