1ー3 誕生と愛情
秋桐は、看護師に案内され病室に来る。花梨は、回復室から病室に移動していた。病室の前には、助産師が立っていた。秋桐は、部屋に入る前、息を吸い、吐く。そして、拳を軽く握りしめる。
「...こちらの病室に移動されたんですね」
「はい。花梨さんは、こちらの部屋にいらっしゃいます。産まれたてのお子さんは、ベッドの横にあるベビーベッドで今は寝ています。お子様に触れる場合は、必ずご相談ください」
助産師は、笑顔で答える。すると、助産師の言葉に看護師も付け足すように口を開いた。
「もし、何かあればすぐに私達を呼んでください」
看護師が病室の扉を開く。秋桐は、緊張しつつも、病室に立ち入る。秋桐の中では、子どもが生まれた喜びも感じつつも、花梨を心配する気持ち、父親になる不安も残っていた。
白を基とした無機質な部屋で、掃除が頻繁にされているようだ。他の患者はいない。消毒された匂いが鼻を包む。ベッドの上には横たわる花梨がいた。花梨は、外からの光に包み込まれている。ベッドの横には、小さな赤子がベビーベッドですやすやと眠っていた。助産師と看護師は、夫婦の時間を邪魔しないように、病室の外にいた。
花梨は、子供を産んだことが夢のように感じていた。だが、天井から少し頭をずらすと、秋桐との子どもが、そこにはいた。嬉しさが上回るが、まだ出産の疲れが取れていない。身体はまだ重い。足音が、病室の扉の方から聞こえてくる。私は身体を起こす。すると、真剣な表情の秋桐が立っていた。
「花梨。まだ、疲れているんだろ。無理して身体を起こす必要はない」
秋桐は、優しい声で呟く。そして、花梨の頬に、左手をあてる。その手のひらは、温かく、優しさを感じる。秋桐は、視線を横にずらす。そして、ベビーベッドで眠る女の子を見つめる。
「これが俺と花梨の新たな家族...だな」
秋桐は、少し腰を屈む。すやすやと眠る我が子を、愛しい表情で見つめた。
「そうね。この子の事を、何があっても私達で守っていかないとね」
花梨は、上半身を起こし、秋桐の手に自分の手を重ねる。ぎゅっと強く握る。そして、彼女も我が子を愛おしい表情で見つめた。秋桐の手は、温かい。その温もりに安心感を覚えた。白いカーテンが風に揺られ、まるで子の誕生をお祝いする、祝福の舞を舞っているかのようだった。
「...名前、どうしような」
秋桐は、目線を花梨に向ける。秋桐の表情には、父親になる嬉しさと不安が混ざっていた。花梨は、自分だけが親になる不安を持っていたと考えていた。だが、秋桐も、同じような不安を抱え込んでいるとわかり、少し安堵した。
花梨は、少し考え込むように目を閉じる。花梨も秋桐も、いくつか自分の中では候補があったみたいだ。花梨は、候補の中のあるひとつの名を口に出した。
「...紫月」
また、風が吹き白いカーテンが揺れる。秋桐は、口元に柔らかな笑みを浮かべる。花梨の名前の提案に、心から納得した。秋桐は、窓際へ行く。そして、白いカーテンを少し開ける。今日は、満月だ。
「紫月か...。紫の空で輝く丸い月...」
彼のロマンティックな言葉に、花梨は、吹き出す。普段の秋桐は、ロマンティックな事を言うような柄ではないのに。
「ふふ、急に何、詩人みたいなこと言ってるのよ。でも、そう言うこと言い出すところがなんだか、やっぱ秋桐ね。紫月って言う名前...。貴方が昔、趣味で書いてた絵から考えた。紫色に染まる空に浮かぶ月の絵。この子にも、貴方が絵を描くのを楽しみにしているように、自分の趣味を楽しんでほしい...。貴方のあの絵好きだった」
「花梨...」
秋桐は、花梨を見つめる。シーツを握っている花梨の手は、母親になるという、不安から少し震えていた。震える手の上に、秋桐は、そっと手を重ねる。まだ産後の痛みが残っているが、秋桐の手の温かさによりその痛みも、和らいでいる気がした。秋桐からの愛情と優しさに、何故だか涙が滲みそうになる。秋桐は、花梨に顔を近づける。
「...秋桐」
秋桐の顔が、花梨の顔に近づき、花梨は、目を閉じた。秋桐からの愛情表現を、花梨は、受け入れようとしていた。だが、紫月が目を覚まし、両手をバタバタと動かし、掠れた声で泣き始めた。口付けは、遮られてしまったのだ。
「あらあら、紫月が泣いちゃった。お預けね、ふふ」
「ママへの愛情表現させてくれよ...」
秋桐は、花梨への愛情を伝えれなくて、肩をガクンと落とす。だが、紫月を見て、父親になったと言う事を突き付けられる。助産師から紫月に触れる場合は、お声掛けくださいと、言われていた。その為、助産師と看護師を呼びに行った。
***
花梨は、抱っこの仕方、紫月が、満足空いた時や空腹時に見せるサイン、消毒方法や、ミルクを作る時の衛生的な手順の指導などの退院までに助産師から沢山のことを教えてもらっていた。秋桐は、仕事で忙しい為、毎日は一緒についてあげれなかった。だが、会えない日もメールで花梨に、様子を聞いていた。
《花梨の体調大丈夫か?紫月、何も変化ないか?》
《変わったことはないから、大丈夫》
《明日また病院行くからな。花梨と紫月の為なら仕事頑張れるから》
《紫月も私も貴方に会えるの楽しみにしてる》
と言うようなやりとりだった。秋桐は、病院に行けない日は必ず花梨にメールを送っていた。毎日、病院に行くことができない事に対してせめてもの償いだ。休みの日は必ず病院に行って彼女に付き添っていた。そして、助産師からの説明も真剣に聞いていた。
「こんな感じですか」
花梨が紫月を抱っこする。紫月が生まれた頃は、なかなか抱っこできずに、オドオドしていた。だが、助産師の話を聞いてしっかり練習したおかげで、しっかりできるようになっていた。
「そうそう。花梨さん。頭と首をしっかり支えることができてるわ。片方もしっかりお尻と背中も支えてる。最初の頃と比べてとても上達しているわ」
***
それから1週間が経過した。
花梨と紫月は、最終の健康チェックを受け、退院指導も受けた。秋桐も同行し、助産師からの説明を熱心に聞いていた。そして、秋桐は、退院の手続きをしている。花梨は、おくるみに包まれている紫月を抱っこして、椅子に座っていた。手続きが終わったようで、秋桐は、花梨の元へ行く。
「花梨、室内で待ってて。車を病院の入り口の近くへ持ってくるから」
「ごめんね、あなたも疲れてるはずのに、気遣ってくれてありがとう」
花梨が微笑むと、秋桐も、安心したようで微笑み返す。