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17話 縁

 しおりが柊に過去を打ち明けた翌日の午後のことだった。

 家庭教師や花図鑑作りへ復帰したい気持ちと、今更顔を出すのが気まずい気持ちに狭まれ、しおりは自室のベッドで身体を左右に転がしていた。

「うー……」

 食欲もちゃんとあるし、悪夢を見るようなこともなくなってきた。あとはきっと自分の気持ち次第なのだが――どうにも決心ができない。

 そうしてしおりが身体を丸めていると、コンコンと扉がノックされた。

「雪村様、失礼致します」

 外からかけられたのは柊の声だった。ご飯の時間というわけでもなさそうだし、いつもならこの時間は拓人の家庭教師を務める時間だ。

 そろそろ家庭教師に復帰するようしびれを切らされたのだろうかと、しおりは入室してくる柊を見て身構えた。

「雪村様へお手紙を預かって参りました……どうかされましたか?」

「……あ、いえ」

 予想と少し違う内容にしおりは肩の力を抜いて、柊が差し出した手紙を受け取る。

 真っ白な封筒に差出人の名前はなく、中には薄い便箋がしたためられているのみのようだった。

「あの……この手紙は、誰から受け取ったんですか?」

 宛先や差出人の名前がないなら普通の郵便ではない。

 であれば、誰かから手渡されたのだろうとしおりは想像した。

「こちらは先ほど、拓人様から預かったものでございます……では、失礼致します」

 その名前を聞いて、しおりの胸が早鳴る。退室していく柊を横目に、どうしても庭園での一件を思い出さずにはいられなかった。

 拓人からの手紙なのだろうか。同じ家で過ごしていて、いつでも話せる距離にいるはずの彼が、このような回りくどい方法で伝えたいこととは何だろう。あの一件があったから、やはり距離を置かれているのだろうか。

「……っ」

 しおりは唾を飲み込むと、恐る恐る封筒を開封して便箋を取り出した。

『雪村先生へ』

 それは、どこか可愛らしい字体で記されていた。

『西園寺くんから先生が風邪で寝込んでるって聞いて、心配になって手紙を書いちゃいました。早く良くなりますように!』

「……茜」

 しおりは内容を読んで、すぐに手紙の主が誰なのかを理解した。

 そして拓人が、自分が学校に顔を出せない理由は風邪ということにしてくれたことも。

『花図鑑作りは順調だよ。ちょっと苦戦したけど、先生のレイアウト案をなんとかデジタルに起こせたよ。だから……元気になったら、一度見に来てもらえないかな? 編集長のゴーサインがないとこの先進められないからね』

「…………」

 しおりは、便箋を少し強く握り締める。

『ヒロもビス止めの仕掛けを作ってるよ。アイツは何も言わないけど、出来栄えを先生に見てもらいたそうにしてる。だから……ゆっくり待ってるからね――あなたの友人、夏川茜より』

 手紙を読み終えて、しおりはベッド脇のサイドテーブルにそっと便箋を置いた。

――私は何をずっと悩んでいたんだろう。

 自分がいなくても花図鑑作りは進むんじゃないかって、心のどこかで思っていた。学校に顔を出したら実は花図鑑は完成していた、なんてことをずっと恐れていて。編集長という肩書をどこか自分の中で信じきれてなくて……全部、思い違いも甚だしかった。

 しおりは寝間着から普段着に着替えると、部屋を出て拓人の部屋へと向かった。

 扉をノックすると、どうぞという小さな声が部屋の中から返ってくる。

「……先生」

 扉を開けて現れたしおりに、机に向かっていた拓人はやや驚いていた。

「拓人。その……色々と、ごめんなさい。みっともないところ見せちゃったけど……もう、大丈夫だから。拓人の家庭教師も復帰するし、明日の放課後からまた学校に顔を出すよ」

 しおりの言葉に呆気に取られていた拓人だったが、やがて安堵した表情を浮かべた。

「……うん、良かった。夏川さんたちにも感謝しなきゃね」

「明日茜たちにも元気になったって言うよ。それじゃ早速だけど……この後、家庭教師の時間をとっても大丈夫かな?」

 もちろん、と拓人は頷いた。


 翌日の放課後。

 しおりは学校の制服を着て工作室を訪れる。中にいたのは茜と篠杜の二人だった。

「……先生!」

 真っ先にしおりに気付いたのはノートパソコンに向かって作業していた茜だった。勢いよく立ち上がるとしおりの元に駆け寄っていく。

「もう平気なの? その、西園寺くんから風邪で倒れたって聞いたから……」

「うん、ごめんね心配かけて。手紙、嬉しかったよ」

 へへ、と茜は恥ずかしそうに微笑んだ。その後ろで篠杜も神妙そうな顔をしている。

「……俺も何か見舞いの品とか送ろうと思ったんだが、篠杜家に代々伝わる秘伝の漢方薬とか」

「重いよ! そんなの渡したって先生困らせるだけでしょ!」

「昔から俺はそれで風邪治ってたし、効くと思うんだがなあ」

 変わらない二人の軽口を見て、しおりは少し気分が軽くなった。

「って、ヒロの変な話はよくて早速先生にデザインを見てもらいたかったの」

 茜に手招きされて、しおりはノートパソコンの前に立って画面に表示されたデザインを見つめる。

 大きく映し出された花の絵が中央を占めており、絵の上下を小さく囲うように文字が配置されていた。花の名前が上に、それがいつ描かれたのか、どんな表情をしているのかが下に記載される形になっていた。

「……ありがとう、茜。すごく見やすくていいと思う」

「良かったー! ほとんど先生のラフの通りに起こしただけなんだけどね。フォトカバーに文字や絵が被らないように調整したってところかな」

「なら、次は俺の番だな」

 篠杜は手元の麻袋から何かを取り出した。全体的に白い色調で掌ほどの厚みがあり、大判サイズの四方を象った――

「……図鑑の中身?」

「まだ装丁前のサンプルだけどな。とりあえず中身を見てくれ」

 そう言って篠杜が表紙をめくると、頁の継ぎ目に二箇所のビスが打ち込まれ、台紙に相当する頁が何枚かビスで止められていた。表紙だけ見るとただのハードカバーのような見た目になっており、デザイン性にも優れている。

「最初はこの工作室だけでやろうと思ったんだが、やっぱ不安で……持ち帰って、親父に聞いたりしたんだ。大工だから本のことは詳しくないと思ってたけど、すぐに構造と作り方を教えてもらったよ」

 ビスに手をかけて、篠杜はビスの頭をクルクルと緩めていく。ビスで圧着していた台紙も緩み、新しく頁を足すのが容易であることも見て取れた。

「……ありがとう、篠杜くん。完璧だと思うよ」

 しおりの感謝の言葉に、篠杜は鼻をかいて見せた。

「ま、まだ完成ってわけじゃねえし調整したいところもあるからさ。実際の絵をつけた時の厚みも見てみたいしな」

「ヒロ、やるじゃん。ちょっと見直したよ」

 悪戯っぽく笑う茜に、篠杜は憮然とした表情を見せた。

「完成したらもっと見直すことになるぞ? あと表紙の装丁は茜、お前のデザイン待ちだ」

「はいはい。そっちは今やっててもうすぐ出来るから」

 絵の話が出て、しおりはふと気付いた。

「……そういえば今日、拓人は?」

 しおりの言葉に、茜と篠杜は一瞬顔を見合わせる。

「先生、ここに来る時に西園寺くんとすれ違わなかった? 何でも頼んでたスキャナーや印刷機が届いたから、今日は家で試し刷りしたいんだ、って言って帰って行ったよ」

「あ、そうだったんだ。なら行き違いになっちゃったのかも」

 以前、柊さんに伝えてもらった件がうまくいったのだと、しおりはホッとした。

「二人とも、ありがとうね。私も休んでた分の作業を進めるよ」

「あ、じゃあ先生はこれ手伝ってもらえるかな?」

 茜は絵を差し込む台紙とフォトカバーを机に並べた。

「絵の大きさに合わせて、台紙の両面にフォトカバーを貼っていかなくちゃなんだけど……地味で手がかかるし、なかなか進んでなかったんだよね」

「ああ、ちょっとのズレが出来栄えに響くから茜には任せたくない」

「ヒロうっさい!」

 図星を突かれたのか、茜は頬を膨らませて怒ってみせた。

「……えーと、どうやってフォトカバーの位置を決めて貼っていけばいいのかな?」

 しおりの疑問に、篠杜はアタリを決める手順を説明し始めた。

「そんなに難しくはないんだ。まず台紙の対角線を引いてもらって、各頂点から一定の距離のとこに点を打って……」

「わかった、絵の大きさはもう決まってるんだよね? 今のでイメージできたからやってみるよ」

 途中までの説明で納得したしおりに、篠杜は驚いた様子だった。

「……すげえな、流石は先生だ」

「ん? 篠杜くん、どうかした?」

 いや、なんでもと答えて自分の作業に戻る篠杜と、表紙の装丁について軽口を再開する茜を眺めながら。

 しおりはただ黙々と、台紙に線を引いてフォトカバーのアタリを付け始める。

 自分もちゃんと、花図鑑作りの一員として活動できているんだ。

 そんな、小さな喜びを噛み締めながら。

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