12話 追想
しおりは自分が考える花図鑑作成の役割分担について、拓人と茜に話した。
「こういう出版物は、大きく分けて二つの役割に分かれると思ってる。一つは中身、すなわちコンテンツを作る側の人。もう一つはコンテンツを加工したり、全体の見栄えを決めたりする側の人。この分け方でいくとコンテンツを作るのは拓人の役割、これは間違いないと思う」
彼女の考えは論文制作の経験に基づいていた。共著論文の場合、その論文を主として執筆する人と、論文を添削して個々の議論や全体の構成に修正指示を出す人とに分かれることが多いからだ。
「茜はパソコンが得意って言ってたから、コンテンツの加工とか見栄えを決める側かな。印刷する頁をデジタルデータとして調整するのが合ってると思う。そうすると――」
「はい先生。私から提案がありまーす」
じっとしおりの話を聞いていた茜が、ピッと手を挙げた。
「……茜、どうしたの?」
「えっと、二つあるんだけど。一つは、図鑑っていう物を仕上げるわけだから、印刷した頁と背表紙をくっつける工作とかも必要になってくると思うんだよね。で、私の幼馴染がそういうのに強いからちょっと声かけてみようかなってのが一つ目。で、二つ目はね」
茜は言葉を切ると、真っ直ぐ人差し指を伸ばしてしおりを指してみせた。
「――先生には編集長をやってもらうのがいいと思うな。どうどう?」
「……編集長?」
突飛な茜の物言いに困惑するしおりへ、意外なところから声がかけられた。
「僕も夏川さんに賛成するよ。先生にこそ、花図鑑作りの編集長をやってほしい」
「いやいや……だってこの花図鑑の発案者は拓人なんだし、それなら拓人が編集長になった方が……」
ううん、と拓人は静かに首を横に振ってみせた。
「先生の言う通り、僕はあくまで中身を作るのが主な役割だよ。でも先生は、その中身を形にするためのレイアウト案を真っ先に考えてくれた。そういう熱意のある人にこそ編集長として、僕達をまとめてほしいって思う」
「うんうん。それに先生って大学生のアルバイトか何かでここにいるんだよね? 一番年長の人が編集長っていうのも自然でいいんじゃない?」
「……う……。ま、まあそんなところだけど……」
拓人の言うことは筋が通っているように聞こえるし、茜の言うことは勘違いも含まれているが否定しずらかった。
自分なんかが編集長でいいのだろうか、という思いがしおりを躊躇わせる。
「……編集長って、何をすればいいのかな?」
しおりが呟いた小さな疑問に。
拓人と茜は顔を見合わせて、おかしそうに笑ってみせた。
「な、なに、二人とも」
「あはは。だって……先生はさ、今さっき私と西園寺くんに役割をどう分けるかって話をしてくれたじゃない? それってまさに編集長の仕事だと思うけど?」
拓人も同意するように小さく頷いてみせた。
「……!」
その様子にしおりはハッとさせられる。
レイアウト案を作って、役割の提案について話す。それは誰かに言われてやったわけではなく、自分がこうしたいと思って出てきた行動だった。それに最も相応しい肩書がきっと編集長なのだろうとしおりは思った。
「……分かった。なら私は編集長として全体の方針を決めたり、皆の作業を調整したり補助したりするよ」
しおりの宣言に拓人と茜は大きく頷いた。そして、今度は拓人が手を挙げる。
「さっき工作の話が出たから、この花図鑑の作り方でこだわりたいポイントを伝えたいんだ」
拓人は手元のノートの一番後ろの頁を開き、そこに簡単なラフを描き始めた。
「この花図鑑は一度作って終わりじゃなくて、後から頁を追加したり簡単に並べ替えたりしたいんだ。だから製本はハードカバーみたいにきっちり背表紙と頁を固定しない、ビス止め式がいいと思ってる。追加はそんなに頻繁にしないけど、並べ替えの度にビスを外すのは大変だから、頁の並べ替えはもう少し簡単にできるようにしたい」
拓人は頁の四隅に小さな三角形を書き加えた。
「だから直接絵を印刷するんじゃなくて、台紙にフォトカバーを貼り付けてそこに絵を差し込む形にしたいんだ。そうすればビスを外さずに絵の並べ替えが簡単に出来るようになるから」
「……うんうん、なるほどねー。さすが西園寺くん」
茜は分かったような顔をしているが、細かい部分は分かったフリをしているのだろうとしおりは察した。
「ビス止め自体は台紙に穴を正確に開けるのが一番大事だから、夏川さんの幼馴染がやってくれると助かるよ」
「うん、そういうのアイツ得意だと思うから。声かけてみるね。先生にも放課後に工作室使っていいか聞いてみる」
「工作室……」
しおりはそこで単純な、だが意外と深刻な一つの問題に気付いた。
「……私も、学校行って一緒に作業出来たほうがいいよね。でも、私はあの学校と何の関係も……」
卒業生というわけでもないし、そのまま入ろうとすれば咎められるだろう。
編集長という肩書をもらっても、所詮は西園寺家の家庭教師に過ぎないのだろうか。そう落ち込みかけるしおりだったが――
「ん? あ、もしかしてどうやって先生が怪しまれずに学校で作業するかってこと? そんなの簡単じゃない?」
「えっ?」
あっけらかんと話す茜に、しおりはただ驚いた。
そして茜はさらっととんでもないことを口にする。
「私の家、お姉ちゃんが去年卒業したばっかりだから制服余ってるんだ。それ着てたら先生、うちの生徒にしか見えないよ」
「……で、でも、それって良くないことじゃない……?」
「えー、いいアイディアだと思うけどなー。だって誰も困らないでしょ? もし怒られたら私が謝れば済む話だし」
「それは、そうかもだけど」
茜の論理は筋が通っていて、しおりには否定しきれなかった。
何よりも、少し悪いことをしながら共同作業する――そのことになぜか胸がドキドキして。そんな自分自身に、しおりは困惑していた。
「じゃあそれで決定ね。お姉ちゃんと話つけたら制服持ってくるから、ちょっとサイズ合わなくても我慢してね」
「実際の絵はアート紙に印刷したいんだけど、ちょっと時間がかかりそうだから。しばらくは台紙作りかな」
「西園寺くん、フォトカバーでその辺で売ってるのかな? 良さそうなの見つけたらいくつか学校に持っていって、見てもらってもいいかな?」
「ありがとう。あまり詳しくないけど、多分売ってると思う。放課後に見せてくれると助かるよ」
「よしきた、任せて!」
学生らしい会話を進める拓人と茜の様子を見て、しおりは自身の学生時代を思い出していた。
――ずっと勉強を頑張っていたから、部活とか、友達と遊んだりとか、そういうことは一切経験してこなかった。飛び級でサイズの合う制服がなくてずっと私服で過ごしていたから、学校の制服をちゃんと着たこともなかった。
花図鑑の編集長として、私は間違いなく楽しい仲間の輪にいるけれど。どこか一抹の寂しさも感じてしまう。
普通に生きていれば経験するはずだった大事なことに……スキップボタンを押してしまったような気がして。
「……っていう感じでいけそうだね……って、おーい、先生?」
「……え?」
「ボーっとしちゃってたけど大丈夫? 頼りにしてるからね……編集長!」
誇らしげに花図鑑の構想を語る拓人と、明るく屈託なく笑ってくれる茜の顔を見て。
今をちゃんと楽しまなくちゃと、しおりは気持ちを立て直した。
「はいはい、大丈夫。まあ編集長である前に家庭教師でもあるから、茜の数学の面倒もキッチリ見るからね」
「えー! それは今日限りでいいってばー!」
こうしてこの日から、しおり達の本格的な花図鑑作りが始まるのだった。