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11話 来訪

 家庭教師の教材を準備する傍ら、しおりは花図鑑のページレイアウトのラフを描いていた。

「真ん中に大きく花の絵が載るのはいいとして……花の名前とか、いつ描いたものだとか、そういう情報も欲しいよね」

 文字を頁の上にまとめるか、それとも下側にまとめるか。それだけでも印象が変わってくる。何よりもまずは絵を見てもらいたいから、文字は下に寄せる方がいいかもしれない。そういったことを考えながら、しおりは筆を進めていった。

 もう少しで家庭教師の時間という頃になって、しおりの部屋の扉がノックされる。

「雪村様、少々宜しいでしょうか?」

「柊さん? そろそろ向かおうと思ってたところだけど……どうしたの?」

 家庭教師の教材と書きかけのレイアウト案を手元でまとめながら、しおりは扉に向かって呼び掛けた。

 扉が少し開かれ、柊が顔を覗かせる。

「はい、本日はその……拓人様だけでなく、ご学友の方もいらっしゃっておりまして」

「ご学友」

 ついオウム返しになってしまったしおりに、柊は説明を続けた。

「はい。そのご学友は女性のようなのですが……本日、わたくしは引き続き帯同していた方が宜しいでしょうか?」

「あ……」

 最初に交わした約束のことを、柊は気にしてくれているのだとしおりは気付いた。今日は拓人と二人きりという状況ではなく、拓人と同世代の女の子が……。

 待て、としおりはようやく気が付く。学校での拓人は西園寺であることを目立たせないようにしているはず。きっと誰かを西園寺の象徴みたいなこの家に呼ぶなんてことは滅多にしないだろう。しかも、女の子。

 どういう子なんだろうとしおりは疑問に思いつつ、柊の質問に答えた。

「えっと……それなら私だけで大丈夫だと思います。もしあれば、柊さんお手製のお菓子だけ用意してもらえると嬉しいかなー……なんて」

 しおりの言葉に、柊は珍しく微笑んで見せた。

「ご心配には及びません。ご学友の方にも、雪村様にもお喜びいただける菓子を万事整えてございますので」

「わ、私は別にいいの。せっかく来てくれたんだから、その子も喜んでくれたらいいなってだけで」

「素敵なお心遣いでございます。では、参りましょうか」

 しおりは柊と共に拓人の部屋へ移動し、扉をノックして中へ入る。

 中にはいつも通り書斎机に向かう拓人と、横に椅子を並べて座る制服姿の少女が待っていた。

「……あれ」

 しおりはその少女に見覚えがあった。どこだろうと記憶を手繰り寄せていると――

「おねーさん、久しぶりだね!」

 少女はしおりに向かって明るくはにかんで見せる。その呼ばれ方でしおりは完全に思い出した。

「……あの時、キーホルダーを拾ってくれた……」

「そう! 私、夏川茜っていうんだ」

 足の先をパタパタと揺らしながら夏川茜――茜は目を輝かせる。

「この前、西園寺くんと校門の前で話してるの見かけてさ。おねーさん、えっと……」

「雪村しおり、です」

「うん、雪村さんの服装ってちょっと独特だったから覚えててさ。それで西園寺くんに、雪村さんとどんな関係なのか聞いちゃったんだ」

「独特……」

 茜の言葉に、しおりは少しショックを受けていた。

――確かに、プレゼントとして渡されたものを適当に組み合わせただけで、自分の嗜好とは関係がない。雪村しおりだと誰かに気付かれなければそれで良かった。そもそもファッションにあまり興味ないのもあるけど、人にこう面と向かって言われると、ちょっと辛い。

 しおりの気落ちした様子に気がついたのか、茜は慌ててフォローを入れ始める。

「あ、ごめん! 悪い意味に思ってほしくなくて……覚えやすかったってこと。雪村さん、持ってたキーホルダーもちょっとレトロで面白そうな人だなって思ったから、一度お話してみたかったんだよね」

 それから茜はチラリと、静かに二人の話を聞いている拓人に視線を投げた。

「それで、西園寺くんに聞いてみたら……雪村さんは西園寺くんの家庭教師なんだって教えてくれて。今日も帰った後に授業の時間があるって聞いて、強引についてきちゃった」

 へへ、と茜は少しバツが悪そうな顔をする。

「夏川さんとは今日初めて話したんけど、先生と知り合いかもって話してくれて。それなら家に来てもらっても良いかなって」

「ごめんね西園寺くん、いきなり頼んじゃって……迷惑、だったよね」

「ううん、そんなことないよ」

 拓人の言葉に茜はホッとしたような表情を浮かべた。

 しばらく歓談の様子を眺めていた柊は、何も言わずに電話口の横へ手製のお菓子をそっと携え、退室していく。

「それで雪村さん、私からさっそくお願いがあるんだけどいいかな?」

「?」

 疑問符を浮かべたしおりに、茜は少し悪戯げな笑みを浮かべて見せた。

「ちょっと恩着せがましいけど私、あの時にスマホのキーホルダーを拾ったからさ。そのお返しに今日、これから西園寺くんと一緒の授業受けさせてほしいなーって……ダメかな?」

「えっ……」

 茜の意外なお願いに、しおりはどうしたらいいか分からなくなる。宗一郎の依頼は、あくまでこの家で住み込みの家庭教師を務めてほしいということだった。雇用契約書の中身を思い出しても、教える相手を制限するような項目はなかった。

 なら、問題ないのだろうか。しおりが決めかねていると、

「先生、僕もそれがいいと思う。せっかく家に来てもらって、夏川さんだけ僕達の授業を眺めていても退屈だろうから」

「……分かった、拓人がそう言うなら」

「わ、私は眺めるだけでも……じゃなくて。うん、嬉しい!」

 何やら少し慌てた様子で、茜はスクールバッグの中身を広げ始めた。筆記用具と教科書とノートを一通り机の上に並べ終えた後、ふうと一息つく。

「じゃあよろしくね……先生。私のことも茜でいいよ」

「……うん。それじゃよろしくね、茜」

 こうして少し奇妙な、一対二の家庭教師の時間が始まるのだった。


 端的に言ってしまうと、茜は勉強が苦手な方だった。しおりは彼女のノートを見てそのことをすぐに理解した。

「うー」

 数学の問題としばらくにらめっこした後、茜は持っていたシャーペンを机の上で転がして、何やら閃いたという顔で問題を解き進める。しおりにとってそれは理解不能な行動であり、茜の頭をすぐにでもかち割って覗いてやりたいと思わせた。

「茜、この数式はどこから出てきたの?」

「えっ? えーと……宇宙?」

「…………」

「先生、そんな冷たい目で見ないでー! だって数学って何書いてあるのかよく分かんないんだもん」

 開始十分で茜は匙を投げてしまい、椅子に背中を大きく預けてギブアップする。

 本当にこの子は自分の授業を受けたかったのだろうか……としおりは訝しんだ。

「とりあえず、茜は中学の数学から復習した方がいいと思うよ。はいこれ」

 しおりは手元の教材から一番易しい内容が書かれたものを茜に渡した。

「やっぱそうだよね。うん……」

 渋々といった様子で、茜は力なく渡された教材の問題に目を通し始めた。

「はぁ……これでもちょっと自信ないな」

 弱気な発言を続ける茜の横で、拓人は黙々と問題を解いている……と思いきや。

 彼が手を止めて、別のことに気を取られていることにしおりは気付く。

 拓人の視線の先にあったのは……しおりが授業が始まる直前に書いていた、花図鑑のレイアウトのラフ案だった。

「……先生、これって」

「うん。早速ちょっと考えてたんだ」

「見てみてもいい?」

 いいよ、としおりが返すと、拓人はレイアウトのラフに手を伸ばしてじっくりと眺め始める。

「僕も同じイメージだよ。花の名前と、いつ描いたか……あとは図鑑らしく、植物の分類について書いてあってもいいかもね」

「……二人とも、何話してるの?」

 中学数学の復習も早々に諦め、椅子にもたれて休憩していた茜が興味津々といった様子で会話に参加してきた。

「うん、実はね……」

 拓人は茜に花図鑑を作りたいという話を紹介した。自分が昔から書き溜めた絵があって、それを一冊の図鑑にしたい。先生には図鑑の頁のデザインのレイアウトをどうするかを早速考えてもらっている――と。

「……面白そうじゃん!」

 茜は大きな一声と共に賛同した。そしてまくし立てるように喋り始める。

「ね、私もそれ参加していいかな? 何ができるかは分からないけど、紙のデザインをデジタルに起こすのは得意かも。結構パソコンは使い慣れてる方だから。あと表紙とかの装丁もちょっと興味あるな……って、ごめんねいきなり」

 茜の様子に目を丸くしていた拓人は、彼女の熱意が本物であることを確かめようとした。

「……いいの? 学校の部活動とか同好会ってわけじゃなくて、僕の個人的な趣味に夏川さんを付き合わせていいのかなって……」

「大丈夫! 部活や同好会とは関係ない……むしろ、その方がなんか面白そうだし、何より先生が一緒だもんね」

「ありがとう。じゃあ……夏川さんも、よろしくね」

 拓人は茜に柔らかな眼差しを向ける。その視線に耐えきれず茜は目を逸らしつつも小さくガッツポーズをした。

「茜も入ってメンバーが三人になったんだし、誰が何をやるって分担を決めた方がいいと思うんだけど、どうかな」

 しおりの提案に二人は迷いなく頷いて。

 家庭教師の時間を使って、花図鑑の分担について話し合う時間が始まるのだった。

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