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第二五部「黒い点」第4話(完全版)

 滝川御世たきがわみよは、雄滝おだき神社を妹に任せると決めた。

 嫁に行くことを決め、明日、とつぐ。

 まだ時代は明治の初め。

 その、深夜。

 一人の使用人の女性が御世みよ居室きょしつに呼ばれた。

 フキ────親の、さらに親の代から雄滝おだき神社をまも滝川たきがわ家につかえてきた血筋。フキ自身はまだ若い。やっと二〇歳を迎えたばかり。それでも中等学校を卒業してからすぐに雄滝おだき神社で働き始め、当主でもあった御世みよ心酔しんすいしていた一人。

 御世みよ雄滝おだき神社のみならず、清国会しんこくかいの代表でもあった。それが小さな組織でないことはフキも知っている。そして雄滝おだき神社自体が、清国会しんこくかいの頂点。

 そんな立場でありながら、御世みよは決して傲慢ごうまんな人物ではなかった。まだ下働きの使用人にさえ人当たりがよく、誰にでも優しく接した。

 当然、使用人の誰もがそれを知っていた。それゆえ御世みよ心酔しんすいしていた使用人はフキだけではない。

「……私は明日…………とつぎます…………」

 分かっていたこととはいえ、御世みよから直接その言葉を聞くのはやはりさびしかった。

 小さな燭台しょくだいの上に蝋燭ろうそくが一本。その小さな灯りがさびしさを助長していた。

 それでも明日はやってくる。

 さびしい表情を浮かべて視線を落とすフキに、御世みよの言葉が続いた。

「立派な家柄の所ですよ。明治政府に関わる重要なお仕事をされている方です。そこで私は…………子供を二人産むでしょう」

 御世みよに未来を見る能力があったことは使用人の誰もが知っていること。それでも、続く御世みよの言葉は重かった。

「その家で……私は殺されます…………子供たちは私が守る……絶対に死なせません…………」

「誰が…………そんなこと…………」

 フキは反射的に口を開く。

 御世みよの返答は早かった。

「……清国会しんこくかいです」

 フキが予想もしていない答えだった。例え数年とはいえ、その清国会しんこくかいの代表だった御世みよをどうして清国会しんこくかい自体が殺そうとするのか。

 驚くフキに向け、御世みよの言葉が続く。

「私は清国会しんこくかいを裏切りました。清国会しんこくかいの神はいつわりの神…………金櫻かなざくらの血筋を守るために、清国会しんこくかいの人々の記憶を書き換えました。まだ清国会しんこくかいの人間はそのことを知りません。しかしいずれ気付く。そして私は殺されます。それは変えられません…………」

「…………そんな…………」

 フキは他に言葉を出せないまま。

「その後、あの子たちを守って欲しいのです。あなたに…………あなたと……他の八人に…………」

 フキを含めて計九名。

 その使用人たちは、御世みよとついだ先の家が火事で焼け、家人が子供二人だけを残して死亡したとのほうを受けてすぐに動いた。

 焼け跡から見付かった唯一の生き残りは二人の幼い子供。男の子と女の子。

 御世みよの、まだ幼い二人の子供。

 すぐにとつぎ先の親戚筋しんせきすじの家に引き取られたが、それを九人は影ながら守り続けた。

 滝川たきがわ家の使用人をめ、その退職金を元手に財力を増やし、御世みよの血筋を守るためだけに生き続けていった。

 そしてその九士族(しぞく)は、それぞれが、歴史の裏で清国会しんこくかいと戦い続けた。



      ☆



 川は深い。

 大きな川だった。

 流れもそれなりにある。

 にごりもひどい。

 高架線こうかせんからの高さ。体が回転したことで上下左右の感覚が鈍った。何が起きたのかを理解することも難しいまま、靖子やすこのどに川の水が入り込む。さらに鼻から入ってきた水が思考を遠ざけていく。

 さらには川の水のにごりは視界も失わせていた。

 最後の意識は母、耶絵やえさびしげな顔。

 しかしその表情は、どこか、何かの覚悟も感じさせた。

 そんな気がした。


 遠くなる意識と、それに反する、圧力。

 水の流れに反するような体の動き。

 突然、体が水圧から解放された。

 そして、自分の体が宙を舞う感覚から、背中を地面が打つ。

 急激に入り込む空気が、気管から異物である川の水を吐き出させた。

 き込む体に意識を集中せざるを得ない。

 何も考えられなかった。


 ある程度水を吐き出し、空をあおいだ時、その顔をのぞき込む一人の女の子。

 しかし、そのかえでの顔を、当然、靖子やすこは知らない。

 視界のはし、近くで腰を落とし、川に手を伸ばす女性。

 その姿は咲恵さきえ

 その咲恵さきえの腕を掴んで川から濡れた体を重そうに上がってきたのは、萌江もえだった。

「大丈夫?」

 咲恵さきえの不安そうな声に、息を切らした萌江もえはすぐには応えられず、大きく息を飲み込む。濡れて重そうな体で、つんいのまま、靖子やすこに顔を向けた。

 溜息をいてから声を掛けるのはかえで

靖子やすこさんは大丈夫ですよ」

 冷静な声。


 ──……まだ……生きてる…………


 靖子やすこがそう思った時、もう一人、川から上がってきた女性がいた。

 靖子やすこが落ちた直後、追いかけるように電車を飛び降りた士族しぞくの一人。

 ずぶ濡れのまま、不安気に萌江もえたちに近付いてきた。

 まだ若い。

 最初にその女性に声を掛けたのは咲恵さきえだった。

「さすがに素早い判断ですね。ありがとうございます。後はお願いします」

 咲恵さきえがそう言いながらやわらかい笑顔を向ける。

 それが少し気持ちをほぐしたのか、女性は小さく口を開いた。

「……あなたがたは…………」

 応えるのは立ち上がった萌江もえ

「助けただけだよ。ここからはあなたたちの仕事。靖子やすこさんを頼むね」

 そして、その三人の姿がきりのように消える。

 その信じられない光景に、女性はただ呆然とするだけ。例え清国会しんこくかいと戦っていたとしても、そんな体験などしたことがない。

 やがて、倒れたままの靖子やすこの姿に思考が戻った。

 駆け寄ると、まだ息の荒い靖子やすこを抱きしめ、耳元でささやく。

「……大丈夫……あなたは…………私たちが守る…………」



      ☆



 すでに暗い時間。

 祭壇前の大きな松明たいまつの灯りだけが揺れる。

 時が戻ると、体にまとわり付いていた川の水はもう無かった。それなのに、どこか川の水の冷たさを感じる。

 胸をで下ろす萌江もえに、祭壇前の背を向けたままのかえでの声。

「……突然、動かないでください…………」

 やはり冷静な声。

 萌江もえはいつもの声色こわいろで応えた。

「ごめんね。さすがに……だまってられなくてさ…………」

 しだいに小さくなった萌江もえの声に、さらにかえでが食いつく。

「何もしなくても、あの女性が助けたはずです。私たちはこれまで何も干渉かんしょうしてはいません。時は何も動いていないはず…………ならば靖子やすこさんはあの場でも助かります」

「そうだけど…………」

 弱々しい萌江もえの声に、かえでもついおさえていた何かがはじけた。

「ほんの些細ささいな、小さなことがどんな大きな変化を生むか……それは誰にも分からないんです…………もう少し、冷静に行動してください」

 萌江もえがそれを理解しているであろうことは分かっていた。しかし正直、かえでは怖かった。特に今回の場合、些細ささいなことが大きな問題に繋がりそうな気がしていたからだ。


 ──……この問題は……重すぎる…………


「分かった…………ごめんかえでちゃん……」

 そう応える萌江もえに、隣の咲恵さきえの声が投げられた。

「……萌江もえ…………もしかしてあなた…………変えたいわけじゃないよね……?」

 しかし萌江もえは応えない。

 返す言葉を選んでいた。

 それに気が付いた咲恵さきえが続ける。

「返答に迷うなんて萌江もえらしくないね…………何をしたいのか言って……あなたがしたいことは何? スズがどうして御世みよの血を欲したのかを知りたいだけ? それなら干渉かんしょうする必要はないはず…………違う?」

 すると、萌江もえは床に視線を落とした。

 まるで怒られた子供のように、逃げられる隙間すきまを探しているかのよう。咲恵さきえですら萌江もえの真意を測り兼ねた。過去にさかのぼって何かを確認するだけならしずくだけでいいはず。それなのに今回は萌江もえの判断でかえでが中心となった。咲恵さきえもそこに若干じゃっかんの疑問がない訳ではなかったが、萌江もえに考えがあるのだろうと思うしかない。

 相談も無しの干渉かんしょうに驚いたのもあり、ここで一度真意を確かめておく必要があると思った。

 しかし萌江もえは語ろうとしない。

 やがてその口から出てきたのは想定外な言葉。

「もしかして……最初からさっきの干渉かんしょうが決まってたとしたら…………」

 しかしかえでにとっては想定内の考えだった。

 すぐに返していく。

「いつでも……未来を決めるのは〝今〟です。その今が過去を作ります」

「……〝今〟っていつよ」

「いつも……ここにあるものです…………」

「私が過去を変えたら、今は変わるの?」

「……未来も過去も今も…………常に変わっていますよ」

 その会話に危険を感じたのは咲恵さきえ

かえでちゃん……それは多次元たじげん宇宙論みたいなもの?」


 ──……無意味だ……結論なんか出ない…………


 咲恵さきえの言葉に萌江もえが介入するのを防ぐかのようにかえでが即答した。

「いえ、そんなものは存在しません。時間は常に一つだけです。その中で私たちは時間を積み重ねてきました。未来も過去も、今も、同じ〝今〟の中にあるだけです。決めるのはいつも〝今〟だけです」

 萌江もえが顔を上げる。

 かえでの背中を見ながら口を開いた。

「〝神様〟の言葉はいつも抽象的ちゅうしょうてきだね。だから宗教って合わない」

 萌江もえらしい言葉でもあった。〝神〟や〝宗教〟を嫌う萌江もえの本音であることも事実。

 それでも絶対にかえでは振り返らないまま、その背筋を伸ばしたまま。

「……はっきりと言葉にしない方がいいこともあります。受け取り方は人それぞれですから」

 そのかえでの言葉に萌江もえが何かを言いかけた時、咲恵さきえが遮る。

萌江もえ、あなたが救うべきは誰? 絵留える? それとも絵留えるに殺された人たち? そういうことなんでしょ⁉︎」


 ──……本当の……萌江もえが望むものはなんだ…………


 そして、応える萌江もえは、再び視線を下げた。

「…………絵留えるが産まれなければ…………犠牲者が減るね…………殺された人たちにも未来が生まれる…………」


 ──……萌江もえ…………それは…………


 そこに返すかえでの言葉は、それまでより、少し強い。

「どんなに願っても救われなかった人たちがいます。運命なんて安っぽい言葉で表現したくないですけど…………その人たちがどうしてこの世に産まれてきたのかなんて誰にも分からないんです…………だから私は……人の生き死にだけは干渉かんしょうしてきませんでした…………」

 本殿を流れる黒い風が、冷たく感じられた。

 それに反比例する松明たいまつの暖かさ。

 その中、萌江もえの声が風に乗った。

「…………〝今〟って…………いつ、作られるの…………?」



      ☆



 靖子やすこはすぐに孤児院こじいんに預けられた。

 その時点で、九士族(しぞく)の人間から幼い頭の中に多くの説明が詰め込まれたが、やはり清国会しんこくかいのことなどは理解出来るはずがない。どうして母親が死ななければいけなかったのか、小学校に入学する前の子供に分かるものではなかった。

 理解出来たのは、自分が〝守られる存在〟だということ。

 同時に、誰かが自分を殺そうとしていること。

 ただ、怖かった。

 想うのは母親のことだけ。

 しかしその母親の最後の言葉は、まだ幼い靖子やすこには重過ぎた。


  〝 …………生きて………… 〟


 どう受け取り、それをどう解釈かいしゃくするべきか、答えは出ない。

 毎日を泣きながら過ごすしかなかった。


 そのまま、月日が過ぎていく。

 いつも孤独こどくだった。

 誰も信用することが出来ないまま、学校で友たちを作ることも出来ず、そんなままでは新しい親も見付かるはずがない。

 中学を卒業し、行政の援助で高校にも通うことが出来た。

 時は九〇年代。しだいに世相せそうが変わり始めていた時代。世界的にも不穏な空気が広がっていた。

 高校は公立の商業系。大学への進学を目指す生徒も多かったが、靖子やすこは迷わず就職することを選んだ。就職することで早く施設を出たかった。

 あの時、誰かに命を狙われていることを教わったが、あれ以来、特別そんな経験をしたことはない。ただただ静かな日々だった。

 自分の妄想だったのかと思うことが増えた。

 あやな人間が接触してくるわけでもない。


 ──……だったら…………どうしてお母さんはいないの…………?


 地元の小さな配送会社。

 その配送管理の仕事。

 高校卒業の直後、働き始める前に健康診断を受けてほしいとの指示。その会社ではいつも年度末に健康診断があるとのこと。そのため、新卒採用の場合は働き始める直前に受ける必要があった。

 健康診断自体は簡易かんい的なもの。もっと詳細な健康診断となると、その分お金もかかる。社員のそういったものも会社の経費。後にバブル景気と呼ばれる時代ではあったが、決して大きな会社ではなかった。

 それでも施設を出てアパート住まいが出来るだけの充分な給料は保証されていた。それだけでも靖子やすこにとってはありがたかった。仕事さえ形だけこなせれば、後は生活する上で誰かに気をつかうことはない。

 今さら誰かと親密になりたいとも思わなかったし、一人でいることには慣れていた。

 むしろ、そのほうが良かった。

 健康診断の結果はすぐに出た。靖子やすこが働き始めてすぐ。

 まるで想像していなかった〝再検査〟の文字。

 思えばそれまで、幼い頃の風邪かぜくらいでしか病院に行ったことがない。

 日々生活する中で、自分の体に関して不安というものを感じることは少なかった。若い頃のそれは特に顕著けんちょだろう。

 しかし、そこに突然、不安が差し込まれる。

 念のため、というものであることを職場の人間から聞かされた。初めての健康診断だったから知識と経験がないだけ。そんなものなのだろう。

 靖子やすこ自体もそれほど深くは考えないまま、再び病院を訪れた。

 古い総合病院。低い天井のせいか妙に暗く、圧迫感を感じる所だ。それは最初に来た時も少し感じていた。


 再検査の結果は最初よりも少し日数が掛かった。

 そして、やがて、その結果を持って再び病院を訪れることになる。


 〝がん〟という言葉自体は、まだ若いなりに知っていた。

 その頃のテレビや新聞、雑誌でもよく目にした。それは〝がん治療〟というものが急速に発展していた時代だからというのもあるのだろう。〝早期そうき発見〟という言葉も病院内のポスターに氾濫はんらんしてきた時代。

 そして、靖子やすこの場合も〝早期そうきの発見〟になるのだという。

 〝子宮癌しきゅうがん〟────女性が女性であることを強く意識する機関が、どこかから発生した悪性あくせい細胞さいぼうによっておかされた。

 腫瘍しゅようはまだ極めて小さく、他への転移てんいも見られない。

 今の段階で子宮しきゅう摘出てきしゅつすれば命には問題ない。


 命には問題ない。

 命は助かる。

 子宮しきゅうを取り出せば。

 女にしかない子宮しきゅう

 女が子供を産むために必要な部分。

 女が命を創り出すために、絶対に必要な所。

 その子宮しきゅうを取り出せば、命は助かる。


 ──…………私は…………子供を産めない…………


 目の前で医者が語るのは、今後の入院と手術の段取り。

 耳に残るのは、こんな言葉だけ。


 〝早期そうき発見で良かったですね〟


 ──…………よかった…………?


 書類を受け取って一度帰宅することになった。

 最低限の着替えなどを用意して、職場に連絡し、入院の準備をしなければならない。


 どこにも体の異変は感じない。

 痛みもない。


 入院は翌日。

 数日に分けて精密検査を繰り返し、手術。

 何かが苦しいわけではない。

 麻酔ますいが切れ、意識が戻ると手術は終わっていた。

 それから抜糸ばっしまで数日の入院。

 大した痛みも無かった。

 総てがなんとなく始まり、総てがいつの間にか終わった。


 ──……私は…………私の命をつなぐことを選んだ…………


 ──…………私は…………未来に命をつなぐことを諦めた…………


 ──……それだけ…………


 自分ではどうすることも出来ないことがある。

 靖子やすこはそれを感じていた。


 しばらくは通院が続く。

 思えば、入院と同時に仕事も休んだまま。

 靖子やすこの退院を喜ぶ家族もいなければ、心配してくれる友達もいない。

 誰にも、影響を及ぼさない人生。


 ──…………どうして…………生きるの………………?


 ──……どうして…………お母さんはこんな私のために…………


 何度目かの通院の帰り、そこは小さな公園だった。

 なぜか真っ直ぐアパートに帰る気にもなれず、おだやかな陽射しに誘われるように、昼前の静かな公園のベンチに腰を降ろしていた。

 目の前には小さな噴水。

 誰に見せるためでもなく、水が回り続けていた。

 少しだけ気温が高くなってきた季節。

 まだ夏というには早い頃。


  〝 …………生きて………… 〟


 母の最後の言葉が、聞こえた気がした。


 ──…………どうして…………?


 ぬくもりを感じるほどの陽射しの中で、こぼれる涙は冷たく感じられた。


 おさえられない感情がある。

 靖子やすこがそれを感じた時。

 その足音に気付くことはなかった。

 それでも、視界にその姿を見た時、靖子やすこは無意識に顔を上げていた。


「…………良かった…………」


 ──…………よかった…………?


「…………生きててくれて…………」


 ──……………………お母さん…………


 一〇年以上。

 その母の顔を見てはいない。

 しかし、あの時の、最後の顔を忘れたことはなかった。

 死んだと思っていた。

 その母の耶絵やえが、今、目の前にいる。

 どう考えればいいのか。

 どうすればいいのか。

 何も分からない。

 ただ、自分を抱きしめるその母のぬくもりは、まぼろしではなかった。

 あふれる感情を声にすることも出来ないまま。

 様々(さまざま)な感情が涙と共にこぼれていく。


 耶絵やえは生き延びていた。

 九士族(しぞく)の一つの仲間となり、共に、影ながら靖子やすこを守り続けてきた。

 自分だけでは靖子やすこを守れないことを知り、強くなろうとした。

 九士族(しぞく)が自分のことも守るということには反対だった。自分ではなく、靖子やすこだけを守って欲しかった。自分が靖子やすこそばにいる限り、自分が強くなれないばかりでなく、自分という存在は必ず邪魔じゃまになる。足手纏あしでまといでしかないと思った。

 だからこそ、守られる側ではなく、守る立場になることを選んだ。

 そして、靖子やすこを守るため、これまで何人かの命をもうばってきた。

 迷わなかった。

 総ては娘のため。

 靖子やすこのため。


 まるで子供のように泣きじゃくる靖子やすこの横に腰を降ろし、耶絵やえはその体を抱きながら、優しく声を掛け続ける。

「……もう大丈夫……もう誰もあなたの命を欲しがったりしない。あなたは解放されたの。病気のことも……手術のことも……もう清国会しんこくかいは知ってる。だから、もう誰もあなたを傷付けたりしない…………」

 その情報は、もちろん一族いちぞくの人間が故意こい清国会しんこくかいに流していた。

 靖子やすこは最後の血。

 そして、次に繋がることは、もうない。

「……もう…………自由だよ…………だから……こうして会いに来れた…………」


 その二人の姿を、離れた所から見ていた人物が三人。

なぐさめの言葉なんて……必要なかったね…………」

 そう呟くように言った萌江もえは、踏み出していた右足を下げて続けた。

「……どうして…………こうなったのかな…………」

 すると、隣のかえでが口を開く。

「私たちが何もしなくても……動いてきました。それが時の流れというものです」

 しかし、その声は少しだけ落ち着きがない。

 そして、二人の背後から咲恵さきえの小さな声が挟まった。

「…………何か……干渉かんしょうしたの? これがバタフライエフェクト? ……だって……靖子やすこさんが子供産めないって────」

 それをかえでが遮る。

「まだ……分かりません…………〝すべて〟を、見てはいないので…………」

 明らかに咲恵さきえかえでには動揺が見えた。

 靖子やすこ絵留えるを産むはず。

 そういう過去の積み重ねの上で、萌江もえ咲恵さきえ絵留える対峙たいじした。しかし靖子やすこは子供を産むことが出来なくなった。過去に対して大きく何かが干渉かんしょうして歴史を動かしてしまったとしか思えなかった。

 養子ようしということはありえない。養子ようしでは二人目の胎児たいじが存在し得ない。

 体外受精の線もあり得ない。そもそも靖子やすこには〝子宮しきゅう〟が存在しない。

 嫌な、そんな想像が頭をもたげた。

「ねえ、かえでちゃん…………」

 耶絵やえ靖子やすこの姿を見ながらの、萌江もえの声。

「……〝すべて〟って…………なに?」



      ☆



杏奈あんなちゃん、この間見付けてくれた病院……直接行ってもらってもいい?」

 萌江もえは過去から戻るなりすぐに電話を掛けていた。

「大丈夫? 念のために西沙せいさでも連れてけば心配ないよ。どうしても見たいの……牧田絵留まきたえる出生しゅっしょう記録…………」

 電話を切ると、大きく溜息をく。

 それから朝まで、報告が来るのを待つ間、誰も口を開こうとはしなかった。


 この季節は朝が遅くなってきた頃。

 だいぶすずしさも感じる。

 秋の終わり。

 冬の始まり。


 咲恵さきえはずっと落ち着かなかった。不安な表情を隠せないまま。それでも、何も語ろうとしない萌江もえに言葉を掛けることすら出来ない。

 咲恵さきえは、そのことが怖かった。何かを確かめることが怖かった。

 朝陽が本殿の中に入り込んできた頃、萌江もえは目の前のしずくの背中に向けて声をかけた。

しずくさんはどう思う? 見えてたでしょ? 靖子やすこさんは子供を産めない。子宮しきゅう移植いしょく出来るようなとんでもない技術でもない限り。それか子宮しきゅうそのものの再生か────」

「再生医療はここ最近の技術です」

 せきを切ったように返し始めたしずくが続ける。

「それでも、現在はまだ子宮しきゅうの再生にはいたっていないはずです…………出来てたら…………」

「そうだよね。私みたいな妊娠の出来ない女はいなくなる」

萌江もえ

 反射的に強い言葉を上げたのは咲恵さきえだった。

萌江もえ……例え自分のことでも…………そんな言い方しないで」

 そう言って視線を落とす咲恵さきえの目が震える。

 萌江もえはその咲恵さきえの横顔から再びしずくの背中に顔を戻して口を開いた。

「で? どうかな…………私たちはいつの間にか未来を変えたと思う?」

「……私は…………」

 小さく返るしずくの声が、宙に浮く。

 しずくの中でもその可能性は感じる。それがどういうことか、初めてのことだけに、少しずつ恐怖がふくらんでいた。

 挟まるのはやはり咲恵さきえ

かりに過去を改変したとしたら、人の生き死にに影響を及ぼしたことになる…………萌江もえ…………あなたは何も感じないの⁉︎」

「今さらだよ。咲恵さきえ

 冷たくも感じるその萌江もえの言葉に、咲恵さきえの神経が小さく縮まる。

 その声が続いた。

「その可能性も覚悟したからかえでちゃんなんでしょ? 過去を見るだけなら咲恵さきえだけでも良かったじゃん。どうして最初からそうしなかったのよ。咲恵さきえだって欲しかったんでしょ……絵留えるが死なない未来が欲しかった…………違う?」

「……そんな────」

「元々は同じ御世みよから受け継いだ血…………その一つの分岐ぶんきえる現場に立ち会った…………自分が子孫を残す気がないから…………代わりに絵留えるつないで欲しかった?」

「…………やめて……」

「どうせ滝川たきがわ家の血筋…………そんなに血筋なんかが大事なら…………自分で産みなさいよ! 私と違って子供が産める体なんだからっ‼︎」


 そして、かわいた音が本殿に響く。

 萌江もえ左頬ひだりほおで、西沙せいさの右のてのひらが、大きく立てた音。


 そして、その西沙せいさの低い声。

「……もう一度言ったら…………今度は私がひきいた清国会しんこくかい萌江もえつぶす…………なさけない……冷静をいて、私と杏奈あんなが本殿に上がってきたことにすら気が付かなかった」

 そして、萌江もえの背後から杏奈あんなの声。

西沙せいさ……もう充分だよ…………」

 杏奈あんな西沙せいさの隣まで来ると、腰を落とし、萌江もえの前に分厚い封筒を置いて続けた。

牧田絵留まきたえる……その分だけファイルから取ってきました。出生しゅっしょうの記録です。分かってますよ。この書類があったからと言って、過去が変わったかどうかの説明にはならない。過去が変わることで別の人から産まれたのかもしれない。もしくは同姓同名か…………だとすればスズにとっては関係のない血筋…………絵留えるは殺人者になる必要はなくなる…………」

「さすがオカルトライター」

 西沙せいさの声に、杏奈あんなは笑顔で応える。

「まあね。でも……みんなもう分かってるんじゃないのかな? 咲恵さきえさん……もうやめませんか? 何かを押し殺しながらの会話」

 咲恵さきえは下を向いて膝の上の自分の両手を見つめるだけ。

 そして、聞こえたのは萌江もえの声。


「…………わかってる…………」


 小さな、萌江もえの声。


「分かってるよ…………私が……靖子やすこさんを妊娠させるんだ…………」

「────やめて……」

 かぶさるような咲恵さきえの声に、さらに萌江もえが重ねていく。

「私が靖子やすこさんを妊娠させれば」

「やめて」

絵留えるが産まれる」

「……やめて」

「きっと……最初からそういうことだったんだ…………私が、絵留えるを作った────」


「────やめてっ‼︎」


 その咲恵さきえの言葉が紡がれる。

「……萌江もえの……萌江もえの命がけずられる…………それはダメ…………」

 咲恵さきえは自分の両手に落ちる大粒の涙をぬぐおうともしなかった。

「私にだって……少しは見える未来はある…………過去だけじゃない…………だから…………一日でも長く……生きて…………隣にいさせて…………お願い…………」


 すると、しばらく黙っていた結妃ゆいひの声。

 かえでの隣で口を開いた。

「どんな命にも人生があります……私のような命でも……例え短い人生でも……産まれた直後に死んだ命だとしても……その周りには必ず誰かの人生がある。それを忘れなければいいと、私は思っています。誰もが誰かの人生を背負って生きていくんです。だから……私はここにいます…………」

 僅かに震えるその声に、隣のかえでが繋ぐ。

「さすがはみなさん大人ですね。私はまだ子供なので人生の深みは分かりません……正直、萌江もえさんと咲恵さきえさんの気持ちを察することなんて出来なかった…………ごめんなさい…………でも分かりました……正しいかどうかなんて、決断をした人間にも分からないことなんだと思います。だから私は……〝へびの会〟のトップとして、お二人の決断を信じます」

 すると、さらに隣のしずくが娘の言葉を拾った。

萌江もえさん…………〝へびの会〟のトップがかえでであっても……いえ、だからこそ、私たちの中心はあなたです……そして、全員があなたの人生を背負います」

「…………わたしは…………」

 萌江もえのそんな小さな言葉の後、その目の前で、西沙せいさが膝を曲げて視線を落としていた。

萌江もえ……〝記録を見て自分の決断を知る〟か……〝記録を見ずに自分で決断する〟か…………自分で決めて」

 そして膝を伸ばして続ける。

「私はこれから恵麻えまに会ってくる。恵麻えまが〝カバネのやしろ〟でた情報を聞かなきゃならない…………それがなければ……この一件は終わらない…………」

 その西沙せいさが歩き始めると、すぐに萌江もえに声を掛けたのは杏奈あんなだった。

「……大丈夫ですよ……みんな萌江もえさんを信じられるから、隣にいるんです」

 そして西沙せいさの後ろを追いかける。


 再び、毘沙門天びしゃもんてん神社の本殿が静かになった。

 早朝のすずしい風が流れる祭壇前。


 萌江もえは、隣の咲恵さきえの手に自分の手を重ねる。

 そこから感じられる咲恵さきえの気持ちを確認して、それから口を開いた。

「……かえでちゃん…………行ける?」

 その言葉に、かえでの口角が上がる。





         「かなざくらの古屋敷」

    〜 第二五部「黒い点」第5話(完全版)へつづく 〜


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