表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
88/97

第二四部「繭の影」第1話(完全版)

    光が見えた

    光のある時

      そこには必ず影がある

     見間違うな

         影を生み出すのは光

   光を生み出すのは影



      ☆



 その街では一番の繁華街はんかがいだろう。

 平日の夜であっても常に人が行き交うような長く大きな通り。

 片側二車線の広い道路を挟むように、いびつな規則性を持って並ぶビル群。どの建物にも不思議と新しさは感じられない。街そのものが古い。しかし決して、この国を揺るがしてきたような歴史など持ち合わせていない、そんな地方の小さな街。

 時間としては二二時を過ぎた頃。

 街の熱気は季節的な気温の変化だけではないだろう。

 すでに季節は春。

 多くの生き物と同じように、人々もまた、動き始めていた。


 古いテナントビルの七階。

 最上階。

 ワンフロアの広いレストランバーがあった。

 そして明らかに、彼女のその存在は場違い。

 いわゆるゴシックロリータというファッションは、決してドレスと言われるような物ではない。ヨーロッパのロココスタイルをベースとしたロリータファッションは日本で独自に形成されてきた文化だ。

 その店はドレスコードを意識してもおかしくないような高級感を持った場所だった。もちろん客層も決して民度みんどは低くない。平均の客単価も街の中では高い部類に入るだろう。

 そんな店だからこそ、余計に西沙せいさのゴスロリファッションは際立きわだって見えた。

 それでも僅かに店の雰囲気を意識したのか、今夜は歩きやすいローファーではない。低めとはいえ西沙せいさにしては高いヒールの黒いパンプス。ピアスとネックレスの色も、いつもよりは明るい。全体的に黒い印象のゴスロリをそのワンポイントが引き立てていた。とは言っても、最近の西沙せいさのセンスが少しだけ変化してきているのは身近な人間たちなら気が付いてはいた。

 その西沙せいさが通り側の大きなガラスへ向かってヒールの音を響かせる。身長が低いせいもあるのか、性格を表すような大股での歩き方は変わらない。それに合わせて両腕も大きく前後に振る。

 西沙せいさが向かう先には、街の灯りを照らし出し、映し出す大きなガラス。天井から床までのそれは、さしずめ透明な壁。もしくは映画館のスクリーン。

 薄暗さを演出する間接照明の中、そんな窓際の丸テーブルに一人で座る女性。

 春用の薄手のコートを着たまま。

 座面の高い椅子に座る、萌江もえの姿があった。

 いつもより少し長くなってきた後ろ髪をコートのえりで包んだまま、相変わらず店の雰囲気などお構いなしなのか化粧けしょうは薄い。ハイネックのグレーのブーツが、細い足には不釣り合いなほどに大きな影を作り出していた。

 その萌江もえの背中に近付く西沙せいさの影。

 窓の外を見たままの萌江もえに、ヒールの音を止めた西沙せいさの声が向けられる。

「来たよ。準備出来た」

 すると、萌江もえは振り返りもせず、目の前のロックグラスに手を伸ばして返した。

「…………はいよ」

 グラスを持ち上げると、氷が揺れる音が耳をくすぐる。同時に嗅覚きゅうかくに絡みつくコニャックの香り。

 萌江もえはグラスの中身を一気に飲み干すと、音を立ててグラスを置き、立ち上がった。グラスもテーブルの素材も決して安くはない音を漂わせる中、すでに背中を向けている西沙せいさの背中に着いていく。まだくちびるに触れた氷の冷たさを感じながら。

 二人が向かったのは店の奥の個室。

 ここは最近何度か仕事で使用している所だった。

 〝へびの会〟の解散もそこそこに、西沙せいさが再び始めたのはやはり〝心霊相談所〟。それでも以前と違うのは株式会社として登記したことだろう。株主は西沙せいさ立坂たてさか満田みつたの三人。西沙せいさ以外の社員は杏奈あんなだけ。咲恵さきえにはいまだ自分の店があり、相変わらず萌江もえはそのアルバイトという表向きだけの肩書きなのは変わらない。

 現在は一連の裏の手続きは立坂たてさかが一手に引き受けていた。

 西沙せいさの相談所は以前と同じ場所に再び作られることになる。それは立坂たてさかがビルとの契約を続けていてくれたお陰だった。

 このレストランバーも立坂たてさかの税理士事務所の顧客。

 そして今夜ここを選んだのは地理的な理由。

 こんな店を、西沙せいさたちは何ヵ所か押さえていた。

 曇りガラスになった個室のドアを開けると、そこには黒い木目のテーブルが二つと、その向こうにテーブルを半分だけ囲むように設置されたソファーが並ぶ。ディナールームというよりはパーティールーム。

 すぐに萌江もえの目に入ってきたのは、そのソファーに座り、大きく項垂うなだれた女性の姿。膝の上で組んだ筋張すじばった両手が僅かに震えていた。上品ではあったが決して派手な服ではない。その素材や色からも年配の女性であることが伺えるが、如実にょじつなのは白髪混じりの髪の毛だろう。明らかに分かる中途半端な白髪染め。僅かに手入れをしていた後も見えるが、ここ最近はあまり手間を掛けている感じではない。

 その横に座るのは杏奈あんな

 その杏奈あんなが顔を上げて口を開いた。

「お疲れ様です。こちらのかたが────」

 杏奈あんなもやはり店の雰囲気に合うような服装ではない。相変わらずの動きやすいボーイッシュスタイル。それでも最近はボディラインの分かりやすい服装になってきたように萌江もえは感じていた。

 その杏奈あんなの声を、隣の震える声が遮る。

「────やめて…………やめて…………もうやめて…………」

 明らかに涙の混じるその声の女性を、萌江もえは黙って見下ろしていた。


 ──…………みつけた…………


 その萌江もえの背後で、静かにドアを閉めるのは西沙せいさ

 女性の隣に座っていた杏奈あんなは、ソファーの上で腰をスライドさせて場所を開けた。女性はそのことにすら気が付けない様子ようすのまま体を震わせ続ける。

「…………私が…………私が悪いの……」


 ──……やっと見付けたよ…………御世みよ…………


 そこにいる誰にとっても、女性がまともな状態でないのは簡単に理解出来た。

 萌江もえは女性の左側に腰を降ろしていた。同時に首のネックレスを外し、左手に絡める。そこにはチェーンに下がった萌江もえの持つ水晶────〝火の玉〟。

杏奈あんなちゃん、しずくさんは? もうさかのぼってる?」

 その萌江もえの言葉に、まるで予想していたように杏奈あんなは即答した。

「はい、先に」

「分かった…………」


 ──…………いけるか…………


「……私が…………」

 女性が呟いた時、萌江もえは下を向いたままの女性の顔にすくい上げるように左手を当て、その頭を強引に押し上げた。同時に右手で後頭部を支える。

「……顔くらい上げてよ……あなたのことを教えて」

 少し強めにも感じる口調の萌江もえはそう言って目を閉じた。

 女性の体はもう震えていない。顔は萌江もえの左手でおおわれたまま。両手は力なくソファーの上に流れるだけ。まるで意識を失ったかのように力を感じさせない。抵抗もなかった。

 萌江もえの反対側に西沙せいさが座る。女性の右手を左手で、右手は女性のお腹へ。

 先に口を開いたのは萌江もえ

「……うん、聞いてた通りだね。私と〝同じ〟…………」

「……完全に自己催眠じこさいみんだ」

 西沙せいさの低い声が返る。

 逆に萌江もえは声のトーンを僅かに上げた。

「そ、悪霊あくりょうのろいのたぐいだと思ってる……最悪だ……」

「でも……嫌だな…………何か……」

 西沙せいさが言葉をにごすと、萌江もえ毅然きぜんと。

「そうだね。隠れてる部分がある…………西沙せいさならどこをつつく?」

「娘」

「────だね。西沙せいさ、この人はウチで預かろう。さきさんに伝えて」

 萌江もえは強い目を西沙せいさに向けた。

 西沙せいさも強く視線を返す。

「分かった」



      ☆



 室町むろまち幕府の時代。

 文明ぶんめい一三年。

 西暦にして一四八一年。


 〝金櫻鈴京かなざくられいきょう〟────スズと、青洲せいしゅうが姿を消して二年。

 二人には三つ子がいた。


 一人は楠維くすつな

 一人は世妃よひ

 一人は羽妃うひ


 よわいは一二。

 楠維くすつな世妃よひ夫婦めおととして清国会しんこくかいの頂点────雄滝おだき神社の滝川たきがわせいを引き継ぐ。

 羽妃うひ唯一ゆいいつ御陵院ごりょういん家の養子ようしとなった。

 それは総て、スズ────〝金櫻鈴京かなざくられいきょう〟の指示。

 清国会しんこくかいの中で〝神〟と言われた鈴京れいきょうの指示に、当然誰も疑問など持たなかった。持つことも許されなかった。

 〝神〟である〝金櫻かなざくら家の血〟を手に入れた御陵院ごりょういん神社は、こうして清国会しんこくかいの二番手となった。それでも雄滝おだき神社を継いだ楠維くすつな世妃よひはまだ幼い。成人するまではと御陵院ごりょういん家が雄滝おだき神社を管理していた。

 御陵院ごりょういん神社の当主である麻紀世まきよは、実質的に清国会しんこくかいを手に入れたと言ってもいいだろう。

 〝金櫻かなざくら家の血〟を巡って謀反むほんを働いた恵比寿えびす神社の清国会しんこくかいに対する反発は依然激しく、世の中の騒乱が落ち着いていた時代にあっても清国会しんこくかい内部では各地で小競こぜり合いが続いていた。まして金櫻鈴京かなざくられいきょうが姿を消したといううわさが広まると、その内乱に拍車はくしゃが掛かる。どの神社も権力を欲していた。

 雄滝おだき神社は元々従者(じゅうしゃ)と言っても身の回りの世話をする程度の者たちしかいなかった。そのため、雄滝おだき神社の警護けいご御陵院ごりょういん神社から帯刀たいとうした従者じゅうしゃが常に十名ほど張り付くことになる。

 そんな中にあっても、麻紀世まきよは翌年には養子ようし羽妃うひのために婿むこを取ろうと考えていた。もはや御陵院ごりょういん家の血などどうでもよかった。早くに次の〝金櫻かなざくら家の血〟が欲しかった。御陵院ごりょういん家が金櫻かなざくら家の血で満たされれば、いずれ御陵院ごりょういん家は〝神の家系〟になれると考えた。

 そして今は、まだ保険のようなもの。

 しかし、そんな御陵院ごりょういん家の衰退すいたいを狙って恵比寿えびす神社も動いていた。


 その日、御陵院ごりょういん神社に出入りの薬問屋くすりどんや────粕谷かすや隆法りゅうほうが訪れる。地元では一番の薬問屋くすりどんや。その勢力ははんからも信頼を得ているほど。これまでも御陵院ごりょういん神社へは定期的に訪れていた。

此度こたびは珍しき薬を明朝みんちょうより仕入れましたゆえ是非ぜひ見て頂きたく…………」

 粕谷かすや麻紀世まきよの前に小さなつぼを差し出す。それは明らかに大陸の装飾がほどこされた物。

明朝みんちょうからと……何にく薬だ⁉︎」

 少し前のめりになる麻紀世まきよに対し、粕谷かすやは冷静をよそおって声色を落とし、応えた。

滋養強壮じようきょうそうに良く…………子種こだねを多く残せるという逸品いっぴんとか…………」

 麻紀世まきよは迷わなかった。

 言われた通りに食後にその薬を羽妃うひに飲ませ、薬の半分は雄滝おだき神社に送った。

 しかしそれから二月ふたつきもした頃から羽妃うひは体力を失い始め、しだいに床から起き上がるのも難しくなっていく。

 麻紀世まきよは毎日祭壇に向かった。

 いのり続けた。

 〝金櫻かなざくら家の血〟を失うことは、みずからの〝力〟と〝未来〟を失うこと。

 しかもまだ婿むこですら迎え入れてはいない。

 やがて雄滝おだき神社の楠維くすつな世妃よひも体調を崩していく。

 そんな頃、粕谷かすやの悪いうわさが聞こえ始めてきた。

 そしてその粕谷かすやが、夜、御陵院ごりょういん神社に呼び出される。

「……最近……恵比寿えびすに出入りしているようだな…………」

 麻紀世まきよのその低い声に、微かに粕谷かすやは体を後ろに下げていた。

 不安気に座布団ざぶとんはしに目をやりながら、いつの間にか言葉が泳ぐ。

「……よもやそのような……御陵院ごりょういん様と……恵比寿えびす遠藤えんどう様との御噂おうわさは聞いておりましたゆえ…………」

 麻紀世まきよの耳に届いていた悪いうわさ

 それはかつて清国会しんこくかいに対して謀反むほんを起こした恵比寿えびす神社の遠藤えんどう家に、粕谷かすやが出入りしているというものだった。

うわさ? 諸大名しょだいみょう同士の小競こぜり合いでもあるまいに……粕谷かすや……なぜ御主おぬしが知っている…………」

 清国会しんこくかいの内部事情は決して表に出ているものではない。

 恵比寿えびす神社の当主である遠藤重富えんどうしげとみとて、外部に内輪うちわめ事を漏らすような事はしないはず。

 麻紀世まきよの声が空気を震わせた。

「…………買われたか…………隆法りゅうほう…………」

 何も返さない粕谷かすやに、麻紀世まきよは背中を向けたまま。

「……いつからふところ刃物はものを忍ばせるようになった……?」

 その声に、粕谷かすやは僅かに右手を動かす。

 麻紀世まきよは祭壇に目を向けたまま。

 そこには横にして置かれたかたな

 そのさやを左手で握ると同時に、右手でを握っていた。

 燭台しょくだい松明たいまつの灯りがかたなつばに反射する。

 体をひるがえしながらかたなを横から後ろへ────麻紀世まきよ粕谷かすやに切りつけていた。

 反射的に上げた腕を切られた粕谷かすやは後ろに倒れながら血を飛び散らせ、その首筋に、麻紀世まきよは迷うことなくかたな切先きっさきを突き刺していた。

「…………重富しげとみ…………」

 麻紀世まきよは言葉を絞り出すと、何度も粕谷かすやの体にかたなを突き刺す。

 やがて鮮血せんけつに染まった麻紀世まきよの元に、一人の従者じゅうしゃが駆け寄った。

 それは雄滝おだき神社に行かせていた従者じゅうしゃの一人。その従者じゅうしゃは息を切らせながらも当然目の前の光景に驚く。

「……麻紀世まきよ様…………」

「────何用なにようだっ‼︎」

 麻紀世まきよの声が空気を止める。

 従者じゅうしゃは震える声を隠せないまま。

「…………楠維くすつな様と…………世妃よひ様が…………」

 それは、雄滝おだき神社の楠維くすつな世妃よひの死亡を告げるもの。

 翌日、羽妃うひも亡くなる。

 麻紀世まきよは〝神の血〟を失った。

 恵比寿えびす神社の遠藤えんどう家へのうらみをつのらせながらも、清国会しんこくかいが〝金櫻かなざくら家の血〟を失った事実が知られることを恐れた。

 雄滝おだき神社と御陵院ごりょういん神社に同じ位の年齢の子供を養子ようしとし、三人の死亡を隠蔽いんぺい。三人共、情報の漏洩ろうえいを恐れた麻紀世まきよまずしい家に大金を払っての強引な養子ようしだった。

 一度は死んだとのうわさが流れた直後だけあって、その新たなうわさはますます金櫻かなざくら家の血筋の神格化しんかくかを高めた。

 そして麻紀世まきよ清国会しんこくかいを存続させるため、みずからの権力を真実にするため、密かに〝金櫻かなざくら家の血〟を探し続けた。





 まだ年が明けてすぐ。

 それでも二月の終わり。

 すでに周囲に雪は無い。

 日中ともなると春の香りを感じるような頃。

 この日、西沙せいさが来たのもそんな陽の高い時間だった。

 御陵院ごりょういん神社には、定期的に西沙せいさが訪れていた。清国会しんこくかいの状況の進捗しんちょく確認と、萌江もえたちとの情報共有のため。

 本殿、準祭壇前。

 そこは本殿内の正面にある本祭壇の裏。二番手の祭壇と言っても決して小さい物ではない。

 元々がきもの専門という神社の特色のためか、その相談内容は多岐たきに渡る。祭壇によっても向き不向きというものがあるため、現在のような特殊な構造になっていた。

「内閣府の整理は終わりました。三月の年度末には〝裏七福神〟は正式に解体されます」

 そう言って西沙せいさに向けられたさきの表情は、晴れ晴れとしつつも疲労が見え隠れする。

「非公式な部署なのにこういう時は正式な手続きを踏むんだね。まあ仕方ないか」

 そう応えた西沙せいさも疲れた表情をしていた。

 年末から年明けにかけての〝へびの会〟の解体準備と株式会社の設立。新しい相談所の開設。しかも相談所の仕事は想像以上に多忙を極めていた。正月休みどころではない。

「内閣府的には正式な部署でしかありませんよ。世間に公表するかしないかは私たちしだいでしたから…………」

 応えたさきの顔にはさびしさも見える。

 清国会しんこくかいのため、金櫻かなざくら家のために国を動かし、内閣府を作り、その中に組織された専門の部署────総合統括事務次官。〝裏七福神〟と呼ばれた職員を含め、さきは自分で作ったその部署を自らの手で解体した。

「……反発は無かったの?」

 その西沙せいさいに、さきは小さく息を吐いてから応える。

「淡々としたものでした……行政らしいと言えばそれまでですが、職員各自の移動先もそれなりの所です。不満は無いものと考えています」

 すると、その言葉に繋げたのはさきの隣の涼沙りょうさだった。

しずくさんがどうするか心配してたんだけどね……」

 それに西沙せいさが応える。

「まあ、現実問題として生活のこともあるしさ。とりあえずしずくさんは、まだウチで責任を持つよ。せっかく株式会社に登記までしたんだしさ。まだ社員になるかどうかは迷ってるみたいだけど……」

立坂たてさかさんならお金の流れはどうとでも出来るか」

 すぐにそう返した涼沙りょうさの言葉をすくうのはさき

「それに関しては私に口を挟む権利はありません。立坂たてさかさんにはここのお金に関しても上手く整理して頂きました…………これで西沙せいさも晴れて元の家業に復帰ですね」

 それに西沙せいさは笑みを浮かべて返した。

「まあね。それもこれも立坂たてさかさんと満田みつたさんのお陰だよ。前の相談所の場所を押さえててくれたのは驚いたけど」

「依頼はもう来ているんですか?」

「うん、もう何件か……どんな小さな依頼でも断るなって萌江もえが言うからさ」

萌江もえ様が……?」

「結局はいつも幽霊の仕業なんかじゃないしのろいもたたりも存在しないような依頼ばっかりなんだけどさ。大口おおぐちの客でもないのに…………」

 いかにも経営者のような口振り。

 その西沙せいさの疑問に挟まったのは涼沙りょうさだった。

「そんなに稼いで……まさか唯独ただひと神社に鳥居とりいでも作る気かな」

「それは確かに〝まさか〟だね」

萌江もえ様が〝かたちのある物〟に固執こしゅうするとも思えないけどね」

「それもそうだ」

 すると、足音が聞こえた。

 三人が同じタイミングで顔を向ける。

 さきの夫であり、涼沙りょうさ西沙せいさの父でもある祐也ゆうやが珍しく祭壇前に顔を出した。

「予約のお客様が来たよ。例の緊急の…………」

 その祐也ゆうやの言葉に、すぐに返すのはさき

「分かりました。本祭壇にお願いします」

 立ち上がったさき西沙せいさを見下ろして続けた。

西沙せいさ、せっかくです。付き合っていきなさい」

「? んー……そうだね」

 西沙せいさのその返答に、さきは微かに口角を上げる。西沙せいさも口元に笑みを浮かべた。

 理由が分からないままに、さき西沙せいさを引き止める。

 西沙せいさも分からないままにそれに応えた。


 ──……まあ、何かあるんだろうね…………


 この時、西沙せいさが感じたのはその程度だった。

 本殿内で一番大きな祭壇、本祭壇に三人が移動する。

 日中の気温が陽の昇るごとに上がってくる季節。すでに正面と左右の板戸は開け放たれていた。

 その中心には座布団ざぶとんに正座する年配の女性。そのまま背中を丸めて視線を落とし、体を小刻みに震わせていた。


 ──……あれ? …………この人…………


 そう思った西沙せいさの頭に、なぜか萌江もえの顔が浮かぶ。


 ──…………どこかで、会った?


 さきが祭壇を背に腰を下ろす。その隣に涼沙りょうさが続く。

 西沙せいさは女性の斜め後ろ。だいぶ距離を空けて座った。

 陽差しの高い時間。

 風は緩やか。

 本殿の板戸を開け放しているにも関わらず、それでも外の音はなぜか聞こえない。

 静かだった。

 小さく衣擦きぬずれの音だけ。

 その空気を最初に揺らしたのはさきだった。

 さきは両手を床に着き、深々と頭を下げ、口を開いた。

御陵院ごりょういん神社をおさめております……さきと申します。隣は娘の涼沙りょうさ……後ろにおりますのは末娘すえむすめ西沙せいさです」

 涼沙りょうさも頭を下げる。

 さきが頭を戻すと、続けて頭を上げた涼沙りょうささきの言葉を繋ぐ。

「……高柳たかやなぎみさお様ですね。御電話で簡単に御話は伺いましたが、今一度御相談の内容を御伺いしてもよろしいでしょうか」

 さき涼沙りょうさも落ち着いて見えた。

 しかしなぜか西沙せいさは落ち着かない。妙な胸騒ぎがしだいに大きくなってくるのを感じていた。


 ──……この光景…………見た…………


 その女性────高柳操たかやなぎみさおは、小さく、ゆっくりとした口調で応え始める。

「…………その……娘の……娘の優花ゆうかのことなんですが……結婚して五年になります。もう三〇になりますが…………いまだに子供が出来ません…………」

 さき涼沙りょうさも余計に口を挟んだりはしない。ただ子供が出来にくいというだけならここには来ないことが分かっているからだ。しかもここはきもの専門の神社。

 何かがあると判断するのも自然なこと。

 みさおの言葉が続いた。

「病院でも免疫めんえき異常の可能性が高いとは言われましたが正確な原因は分からないと…………実は……そのことで…………古くからののろいのようなものではないかと思いまして…………」

「そう思われるには何か…………」

 すかさず返したのは涼沙りょうさ

 みさおもすぐに応えた。

「私も同じなんです…………優花ゆうか養子ようしです。私も、その……子供を産めませんでした……遺伝の可能性も一つの病院では言われましたが…………しかし……私の母も子供を産めない体なんです…………」

 少しだけ、涼沙りょうさが間を空ける。

「……つまり…………」

「私も養子ようしなんです」

 みさおのその言葉に、涼沙りょうさは言葉を詰まらせた。

 その隣でさきが小さく息を吐くが、それに気が付かないままにみさおが続ける。

「私も知りませんでした……優花ゆうかのことを母に相談したら話してくれました…………母は自分がどうなのかは聞いたことがないそうですが…………ただ…………」

 みさおが唾を飲み込む音が響く。

 そしてその声が続いた。

「……高柳たかやなぎ家に言い伝えられてることがあるそうで…………高柳たかやなぎ家は、のろわれているそうなのです…………」

 それに涼沙りょうさが小さく。

のろいですか……それは…………」

 次の言葉に繋げられないままに、みさお

高柳たかやなぎ家は元々武家だったそうなんですが……それ以上は教えてもらえませんでした…………」

 すると、やっとさきが口を開いた。

「なるほど……そうでしたか…………」

 さきは軽く顔を上げるように西沙せいさに目を向け、続ける。

西沙せいさ、あなたは何か」

「一つ確認なんだけど」

 西沙せいさはまるで待っていたかのようにすぐに返していく。

 そして、すでに何かを見ていた。

高柳たかやなぎ家の本当の血筋はすでに絶たれてるってことなんでしょ? みんな養子ようしなのに不思議とみんな妊娠にんしん出来ない……遺伝な訳がない。それでも〝のろい〟の話が昔から伝わっていた……でもすでに血が絶たれてるなら、どうして? 血がのろわれていたとしたら、すでにその血は存在しないはず。誰が誰をのろってるっていうの?」

 いつも通りの西沙せいさの口調。しかし決して高圧的なわけではない。なぜかそう思わせない声の響きを持っていた。そしてそれは、西沙せいさの仕事の上での武器でもある。

 みさおは顔を上げない。

 ずっと視線を下げたまま、誰の顔も見ようとはしない。

 それでも構わずに西沙せいさが続けた。

「今、不妊ふにんに悩む人が増えてるのは知ってる。というより、病院で正式に不妊ふにん治療を受ける人が増えたって結果でもあるんだよね。実際の数がいきなり爆発的に増えたわけじゃない。数字として統計に上乗せされるかどうかだけだよ。男性が原因の不妊ふにんが増えたってのも同じ。昔は男性に原因があるなんて誰も考えなかった時代があっただけ。いざ調べてみたら結構な割合だった……とは言っても、すでに分かってるだけで三世代か……しかも、もしかしたら次も養子ようしになるかもしれない…………」

 少し感情が際立きわだったことは西沙せいさ自身気が付いていた。

 萌江もえのことがあったからだ。萌江もえも子供を作ることが出来ない体。しかもそれが原因で一度結婚生活に失敗した過去は、咲恵さきえだけでなく西沙せいさ杏奈あんなも聞いていた。

 なぜかみさおの話を聞く前に萌江もえの顔が頭に浮かんでいた。それだけに萌江もえを関わらせることには確かに抵抗があった。


 ──……でも…………これは萌江もえじゃなきゃダメだ…………


 はたから見ると追い詰めるような相変わらずの西沙せいさの口調。しかしさき涼沙りょうさも顔色一つ変えなかった。西沙せいさの行動や言動には必ず意味があると信じていた。

 みさおが両手で顔をおおう。

 その両手から声が漏れた。

「…………やめて……お願い……あの子は何も悪くない…………優花ゆうかは何も悪くない…………」

 嗚咽おえつを含んだ泣き声が響く。


 ──……これは……誰の言葉…………?


 そう思った西沙せいさが立ち上がった。

 ゆっくりと歩き、みさおの隣で膝を着くと、その背中に手をかける。

のろいでも……そうじゃなくても、そんなこと…………どうだっていい」

 西沙せいさのその言葉に、みさおが僅かに頭を上げた。

 そのみさおに、西沙せいさの声が降り注ぐ。

「娘さんを救いたいのね。分かった」

 西沙せいさは目の前のさきに顔を向けた。

「この光景、昨日の夢で見た。言葉も全部覚えてる」

 さきが口角を上げ、西沙せいさの強い目が言葉を繋ぐ。

「これは……萌江もえ咲恵さきえ案件あんけんだ」

 西沙せいさのその言葉に、さきが声を張った。

西沙せいさ、これは御陵院ごりょういん神社から〝御陵院ごりょういん心霊相談所〟への正式な依頼いらいです。お金ならいくらでも払います。高柳たかやなぎ様を……お願いします」



      ☆



   助けて下さい……萌江もえ様…………

     救わなくてはなりません

       救わなくてはならない人々が

               まだ………………



      ☆


 およそ三ヶ月前。

 年が明けたばかりの頃。

 その夢の声は、御世みよ

 しかし目覚めの嫌な印象ではなかった。

 少なくとも、萌江もえはそう感じていた。





          「かなざくらの古屋敷」

    〜 第二四部「まゆの影」第2話(完全版)へつづく 〜


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ