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第二三部「消える命」第5話(完全版)(第二三部最終話)

 すでに高い陽が差していた。

 朝までの雪は姿を消し、太陽の熱が空気と土を暖めている。

 それでも冬ならではの薄い雲。

 それは空にかかるベールのように揺れていた。

 おだやかな風が、雄滝おだき神社の本殿をすり抜けていく。

 早朝までくすぶっていた松明たいまつの香りもすでにその風に流され、本殿を埋めるのは冬の匂い。

「……すっかりと……寒くなった…………」

 外に目をやった恵麻えまのその言葉に、さき苑清えんせいは何も返せなかった。

 〝こと〟の顛末てんまつを総て話した。

 御世みよ出自しゅつじ清国会しんこくかいの始まり。

 歴史の真実。

 総てを。

 それに対しての恵麻えまの返答は二人にとっても完全に予想に反したもの。

 さき苑清えんせいも、もちろん恵麻えまが素直に受け入れてくれるとは思っていなかった。激昂げきこうすることも覚悟していた。

 しかし今、祭壇を背に二人の前に座る恵麻えまに、いつものような威圧感いあつかんは感じられない。いつもの鋭い目はない。言葉で相手を押さえ付けるような〝強さ〟は見当たらない。それは祭壇横にひかえる恵麻えまの両親、麻人まひと陽恵ひえも同じ。

 まるで別人のように、おだやかだった。

 驚いた二人に、恵麻えまは視線を軽く落として続ける。

「…………面白い話だな…………御主おぬしはそれを信じるのか? ……さき

 さきなおも応えられなかった。

 恵麻えまの心情がまったく見えなかった。

 同時に、簡単に受け入れられない気持ちも理解出来る。さき自身も朝まではそうだったからだ。自分の信じてきたものが簡単に崩れていく。その怖さを味わったばかり。

 まるで目に見えないままに、長い年月をかけて積み重ねてきたものは、夢か幻のように姿を消した。

 それでも、さきは受け入れた。気持ちのどこかに小さく引っかかっていたとげが取れた感覚が間違いなく存在する。そのとげですら見えないフリをしてきた。気付かないフリをしていた。しかしずっと気になっていた真実は、その先にあった。

 まして恵麻えま清国会しんこくかいの頂点。誰よりも清国会しんこくかいを中心に生きてきた。肩に掛かる重責じゅうせきさきとは比べ物にならなかっただろう。

 恵麻えま自身、多くのものを噛み締めていた。

 自分の歩んできた時間だけではない。

 清国会しんこくかいの長い歴史。

御主おぬしは何を信じる…………」

 そう口を開いた恵麻えまが言葉を繋げていく。

「……私は金櫻かなざくら家の歴史を信じてきた…………長きに渡るこの国の歴史を信じてきた…………」

「…………はい」

 そう小さく応えるしかなかったさきの全身に、恵麻えまの重い言葉がおおかぶさった。そしてさらにその声が伸し掛かる。

「しかしさき……御主おぬしはどうしてその話を私に伝えに来たのだ…………私が素直に認めるとでも?」


 ──………………私は…………


「どうしてださき……清国会しんこくかい根幹こんかんが崩れる話を…………御主おぬしにも……御主おぬしの娘にも無理をいてきた私に…………応えてくれ…………御主おぬしが信じているものは何だ……?」

 僅かに、しだいに、その恵麻えまの声が熱を帯びた。

 真剣な、同時に純粋じゅんすいい。


 ──………私は……


「……未来を…………信じます」

 そう応えたさきの真っ直ぐな目に、恵麻えまが顔を上げた。

 さきが続ける。

「……私は……そのためにここにいます」

「そうか」

 意外にもすぐに返した恵麻えまが続けた。

「応えてくれたこと……嬉しく思う…………では、私の話も聞いてくれるか? 今朝……御世みよが来たよ」

 そう言う恵麻えまの表情がやわらかくなった。いつもけわしい印象しかないその顔に、小さく笑みが浮かぶ。

 そして恵麻えまは再び外に目を向けた。

 もるほど、というわけではないままに、周囲の葉を僅かに白く染めた雪に陽の光が反射する中、言葉を繋ぐ。

涼沙りょうさからも話を聞いた……あれは西沙せいさ幻惑げんわくだな。金櫻かなざくら家とのいくさけて欲しいと言ってきたよ。誰一人として犠牲は出したくないと言いおってな…………御世みよ滝川たきがわ家を裏切った分際ぶんざいで……萌江もえ様たちから再び命を頂けたと言っておった…………御世みよの魂の出自しゅつじがどこにあるのかなど考えもしなかった…………なるほど、清国会しんこくかいうらむわけだ……そんな理由があったとはな」

 恵麻えまは座ったまま体を少し回し、祭壇横の母、陽恵ひえに顔を向けた。

「母上、陽麻ひまはどこにおりますか?」

 陽恵ひえはその質問を予想していたかのように。

「先ほど遠方えんぽう神事しんじより帰ってきたばかり……もうすぐここに来ますよ」

「母上はどう思われますか…………さき苑清えんせいの話…………」

「そうですね…………」

 陽恵ひえは隣の夫、麻人まひとの顔を軽く見てから続けた。

さき殿のお話……嘘をついているとは思えません。少なくとも私の感覚はそう言っています。だから貴女あなたも真剣に聞いたのでしょう? もしかしたら……私たちも……何か〝幻〟を見せられていただけなのかもしれませんね…………」

 すると、陽恵ひえの隣の麻人まひとが言葉を拾う。

「おかしな感覚だな恵麻えま……真実とは何だ…………」

 それを陽恵ひえが繋げる。

「もしかしたら…………我等われらの中にも迷いがあったのかもしれません…………こうなってからではそれも都合つごうのいい話ですが…………しかしどうしてでしょうね…………不思議と嫌な感じがしません。とはいえ私も以前はあなたと同じ立場。清国会しんこくかい代表の前任者として、責任をあなた一人に押し付けるつもりはありませんよ」

 恵麻えまは、母である陽恵ひえの真っ直ぐな目に、小さくうなずく。

 すると、本殿の奥から、足袋たびが床をる音。

「これはさき殿に苑清えんせい殿、御苦労様にございます」

 そう言って恵麻えまの隣に腰を降ろしたのは恵麻えまの妹、陽麻ひま

「御二人がそろうとは珍しいことですね。定期報告にはまだ早いのではありませんか?」

 そう言いながらも瞬時に違和感は感じた。さきだけならいざ知らず、通常であれば苑清えんせいが頭を上げていることはなかったこと。しかもさきの隣で恵麻えまと向かい合っている。それは清国会しんこくかい仕来しきたりに反する。何か大きなことが起きていることは分かった。

 気が付くと、無意識に鼓動こどうが早まっている自分がいる。

 その陽麻ひまに返すのは恵麻えま

陽麻ひまこそ御苦労だった」

「何か緊急の動きでも…………」

 いぶかしんだようにそう言う陽麻ひまに、恵麻えまは唐突に切り出す。

「……陽麻ひま……お前は我々と違い……〝力〟が弱い…………」

姉様あねさま? どうされました?」

 突然の話に驚いた陽麻ひま恵麻えまに顔を向けた。

 陽麻ひま恵麻えまたちのような〝能力〟を持ってはいない。まったくではないが恵麻えまに比べると微々《びび》たるもの。滝川たきがわ家では初めてのことだった。もちろん恵麻えまと同じように修行はしてきた。しかし能力を開花することのないまま、陽麻ひまは自分の存在意義を見失った過去を持っていた。

 それでもその中で自分の立ち位置を求め、今では恵麻えまの一番の相談役でもあった。

 不思議そうな表情を浮かべる陽麻ひまに、恵麻えまが応えていく。

「それでもお前は自分の存在意義を生み出した。感謝している。今までずっと肩身の狭い思いをしてきたであろう。しかしお前がおかしいのではない…………我等われらのほうがおかしいのだ…………」

「…………姉様あねさま……」

「……清国会しんこくかいの真実を聞いた…………まことの歴史だ…………」

まことの……とは…………」

 当然のように陽麻ひまに理解など出来るわけがない。陽麻ひまも信じてきた。見えるものが無い分、純粋じゅんすいに信じることに邁進まいしんしてきた。そうしなければ自分の居場所がなかった。信じることで、自分自身を認められた。

 呆然とするその陽麻ひまに、恵麻えまは震える声で続ける。

「……するとどうだ…………何も見えない…………何も感じなくなった…………まるでがらのようだ…………私はずっと幻を見ていたのか…………」

 恵麻えまは背中を丸めて体を震わせた。

 その体に、反射的に陽麻ひまが身を寄せる。いつもとは違う恵麻えまの様子から何かを感じたのか、その両腕が恵麻えまを包んでいた。

 ただならぬものは陽麻ひまも感じていた。恵麻えまをここまでさせるものが何か、その全容ぜんようが見えない。しかし自分の唯一のどころである恵麻えまが体を震わせて恐れるほどのものが、間違いなく、今この本殿にある。それだけは分かった。

 そして続く恵麻えまの震えた声。

「…………さき…………みな……ここに来ておるのだろう?」

 しかしさきはすぐには応えられなかった。

 嫌と言うほど気持ちが伝わっていた。さきも目の前の光景に気持ちを揺さぶられる。それが清国会しんこくかい崩壊ほうかいに繋がるのか、どんな未来へ続くのか、それが見えないまま。

 ゆっくりと、そのさきが口を開いた。

「…………外に…………」

 参道に、足音。

 風が流れた。

 空気が足音を運ぶ。

 恵麻えまがゆっくりと顔を上げた。

 そこには、萌江もえ咲恵さきえ、二人の姿。



      ☆



 小さなやしろだった。

 敷地と思われる場所の入り口には鳥居とりいもあったが、決して大きな物ではない。木を組み立てただけ。それでも倒れてはいなかった。

 建物自体は堅牢けんろうな物。例え小さな集落の小さな神社とはいえ、そこは人々の生活の中心でもあったはず。古くから大事にされてきたに違いない。

 しかし今は誰もいなかった。そうなってからだいぶつのだろうか。おそらくスズと青洲せいしゅうとむらった武士たちが来るもっと以前に、この地の人々は離れてしまったのだろう。その人たちの亡骸なきがらは見付けられなかった。

 捨てられた集落。

 捨てられた人々のいとなみ。

 どんな所にも歴史があったはず。決して歴史の表舞台に出てこないような場所にも、そこには必ず時間が存在した。

 そしてそれは過去だけではなく、今もある。

 未来もある。

 スズも青洲せいしゅうも、それを見ていた。

 やしろの奥にある物をあさり、本殿の中を綺麗にし、周囲の草をった。

 小さいながらも祭壇もある。壊れかけていた燭台しょくだいを直し、そこにまきべていく。その火の暖かさは二人の気持ちを少しだけ楽にした。

 近くには小川おがわ。水には困らない。食べ物は木ノ実や、まだかろうじて残っていた山菜さんさいを中心とした。焼いた馬の肉はいぶして保存食とし、冬にそなえた。

 そうして、最初の〝唯独ただひと神社〟が始まる。


 集落に辿り着いて一月ひとつきった頃だろうか。

 屋根と食べ物を求めて、五人の野武士のぶしが訪ねてきた。宿主やどぬしを失い、国を失った放浪者。

 例え小綺麗こぎれいとは言えなくても仮にも狩衣かりぎぬ巫女みこ姿の二人の容姿に、スズと青洲せいしゅう神職者しんしょくしゃであることは明らか。えた野武士のぶしとはいえ、狼藉ろうぜきを振るうことはしなかった。

 二人は野武士のぶしたちに僅かな食事と水を振る舞う。

 そして青洲せいしゅうが言った。

「ここにすは天照大神あまてらすおおみかみ様の血筋を継ぐ金櫻鈴京かなざくられいきょう様だ。我等われらは訳あってこの地に逃れてきた身。御主おぬしたちも同じ境遇きょうぐうなれば、ここで共に暮らすがよい。如何いかがか」

 その言葉に、武士たちはいぶかしんだ。

 一番正面に座る武士が口を開く。

「……天照大神あまてらすおおみかみ…………ではみかどは────」

 すると突然、青洲せいしゅうが立ち上がった。

 床のかたなを手に取り、素早く抜くと、まさかのことにひるんだ武士にかたなを振り下ろす。

 後ろに倒れ込んだ武士の首にかたなを突き刺し、そのうめき声の中、青洲せいしゅうが叫んでいた。

「────あのようなまがもの! まことの歴史は我等われらにある!」

 かたなを抜きかけた残りの武士を、左手を伸ばしたスズが止める。

 そのてのひらからの言葉に出来ない圧力に、四人の武士は動けなかった。

 スズの表情は冷ややかなまま。

「……われ平伏ひれふせ…………これから新しい戦乱の世がやってくる……尾張おわりの小さな大名だいみょうが天下を揺るがしていくだろう……貴様たちはどうする? 天下てんかを取りたくはないのか?」

 のちに戦国時代と呼ばれる戦乱の歴史が、すでにこの頃から動き出していた。

 四人はスズに傾倒けいとうするしかないまま、二人に従うこととなる。

 集落の建物の修繕しゅうぜんを始めていく。

 やがて年をまたいだ頃、集落にはいくさによって住まいを奪われた放浪ほうろうたみが集まってくるようになった。

 そして春を迎えた頃には唯独ただひと神社を中心とした集落が出来上がる。

 畑もたがやされ、秋には食料だけでなく、四人の武士を中心とした武力までも備えていた。

 そしてスズと青洲せいしゅうの間に、女の子が産まれる。

 神の血を引く世継ぎとして、盛大せいだい神事しんじおこなわれ、そのうわさはしだいに周囲に広がっていった。

 しかしそんな独立性をともなった集落の存在を、こころよく思わない者がいた。

 しだいに大きくなっていく勢力に脅威きょういを感じたのは、その地、甲斐かいの国を治める武田信昌たけだのぶまさ

 しかも、そこには〝神の末裔まつえい〟がいるという。落武者おちむしゃが守る集落。しかもはん管轄かんかつを離れて独自の信仰しんこうを形成しようとしている。

 神の末裔まつえいみかどだけ────そう信じられていた時代。

 武田信昌たけだのぶまさからすれば、金櫻鈴京かなざくられいきょうの存在は危険なものでしかなかった。

 やがて武田信昌たけだのぶまさは、その集落に五〇名ほどの軍勢ぐんぜいを送り込んだ。



      ☆



 本殿をくすぐる風はおだやかだった。

 強くもなく、弱くもない。

 まるで傍観者ぼうかんしゃのように、ただよい、流れるだけ。

 祭壇を背に、恵麻えまが座ったまま視線を軽く落としている。

 その斜め後ろには陽麻ひま

 二人の正面。

 並んで座るのは、萌江もえ咲恵さきえ

 その後ろには距離を置いてさき苑清えんせい

 おかしな光景だった。昨日までなら間違いなくありえない光景だっただろう。

 しかし今、総てがここにあった。

 そこは清国会しんこくかいの頂点にして中心、雄滝おだき神社。

 国を動かし、歴史を動かしてきた。その清国会しんこくかい翻弄ほんろうし続けてきた金櫻かなざくら家の最後の末裔まつえい────萌江もえを中心に、ここに総てが集まっていた。

 さき苑清えんせいからの真実の話は、清国会しんこくかいのトップである恵麻えまの気持ちを揺らした。そして萌江もえ咲恵さきえからの総ての顛末てんまつが語られる。

 それは受け入れられるかどうか、というものではなかった。

 なぜなら、真実がそこにあったからだ。

 恵麻えまは耳ではなく、気持ちでその話の総てを聞いていた。

 そしてそれは、清国会しんこくかいにとってあまりにも残酷ざんこくな現実。

 外から冬の匂いがただよう。

 そんな中で、口を開いたのは咲恵さきえだった。

「────話を聞いた上で、恵麻えまさんはどうされますか? 清国会しんこくかいのトップとして…………」

 冷たい質問なのかもしれない、と咲恵さきえも思った。しかし逃げる気もない。相手は清国会しんこくかいたばねて国を動かしてきた滝川たきがわ家。その頂点にいる恵麻えまに、中途半端ななさけをかけるほうが失礼にも感じた。

 恵麻えまはすぐには応えない。

 しばらく身動きもせずに床に視線を落としたまま。

 やっと聞こえた声は、それまで聞いたこともないような弱々しさ。

「……話の真意しんいは理解致しました。私にも皆様同様に見えるものがあります……我等われら清国会しんこくかいとして皆様と意見をたがえるのは簡単なこと…………しかしながら、これ以上はお互いに望まないあらそいとなりましょう…………」


 ──……終わったのね…………


 そう思った咲恵さきえが返す。

「…………ご理解頂けて……」

「おかしなものですね……こうして向かい合うことになろうとは…………やっとここまで辿り着きましたか…………」

 恵麻えまはまるで遮るようにそう言うと、少しだけ目線を上げて続けた。

黒井くろい様…………黒井くろい様が信じておられるのは……何ですか?」

 恵麻えまの予想外なその投げ掛け。

 恵麻えまの中にも〝けがれ〟はあった。しかしそれは本人でも気が付かないままの、形をともなわないものでしかなかったのだろう。今、恵麻えまは必死にそこに手を伸ばしていた。

 咲恵さきえは思う。


 ──……今まで……どれだけこの人の存在を捕まえようとしたんだろう…………


 ──……常にアンテナを張ってた…………ピリピリとした感情…………


 ──…………でも…………もう違う…………


 ──……この人は……私たちの〝覚悟〟を知りたいんだ…………


「私は……〝私自身〟を信じます。金櫻萌江かなざくらもえを信じる自分を信じます。血筋ではありません。人生をともにする仲間がいます……私はそれを信じたい…………」

 咲恵さきえはそう応えながら、無意識にりんとした目を恵麻えまに向けていた。


 ──……だから私は……今…………ここにいる…………


「そうですか…………その上で、皆様が我等われらにお求めになるのは────」

 その恵麻えまの問いかけを、萌江もえが素早く遮った。

清国会しんこくかいもらい受けたい」

 一瞬、空気が張り詰める。

 外の音も消えた。

「────って、言ったら?」

 その萌江もえの言葉に、恵麻えまはすぐに。

「解体は望まぬと?」

清国会しんこくかいはすでにこの国を動かしてる。解体したら国そのものがかたむくよ。元々あなたが望んでいたのは私が頂点に立つことではないはず……自分が国を動かしたかっただけ…………そうなんでしょ? だからそのためだけに金櫻かなざくら家の血筋を求めてきた……〝神〟という存在を作るためにね。そして私を手に入れるために母を利用しようとした……そして御世みよはばまれた。そして聞かされた真実は信仰しんこうの根底をくつがえすもの…………結局スズって何者だったのかな……本当に特殊な能力を持っていたんだとしたら、いくらでも血筋の捏造ねつぞうは出来るのに…………スズはそれをしなかった。そしてあなたも、なぜかそれをせずに素直に私たちの前にいる…………どうして?」

 恵麻えまは身動きもせずに、何も応えない。

 咲恵さきえとは真逆まぎゃく

 萌江もえ恵麻えまを追い詰めた。

 その恵麻えまの後ろから、陽麻ひまつばを飲み込む音。

 そして、やっと恵麻えま

「……私の気持ちに〝けがれ〟があったとすれば話は簡単でしょう。しかし、現実的に我々は犠牲を生み出した……しかも命の犠牲です……これではうらまれて当然のこと。それは簡単には消せないはず。それでも清国会しんこくかいを取り込むと?」

 萌江もえは即答した。

「どうやら私はスズの血を引き継いでいるらしいけど……長い歴史の中で、そのスズのために失われた命って……何人だったんだろうね…………」

「人数の問題では────」

「──西沙せいさと…………」

 その遮る萌江もえの言葉に恵麻えまが息を飲み、萌江もえがそれを確認するかのように続ける。

「……杏奈あんなちゃんに、直接聞いてみる?」

「それは…………」

 さすがの恵麻えまも言いよどんだ。

 事実として、西沙せいさ杏奈あんな清国会しんこくかいとのあらそいの中でそれぞれ大事な存在を失っている。そういう深いねんが簡単に消えないことは恵麻えまも理解していること。だからこそ清国会しんこくかいはその〝ねん〟を求めてきた。

「二人とも確かにうらみはあるよ。特に清国会しんこくかいのトップである、あなたにね…………でも同じように別の人がトップだったら……その人をうらむだけ…………あの二人がうらんでるのは恵麻えまじゃない…………清国会しんこくかいを今の形にした…………〝私の血〟だよ…………」


 ──……これは……私が受け入れること…………


 すると、萌江もえの視線の先で、恵麻えまの頭がゆっくりと落ちていく。

 そして、萌江もえの低い声が続いた。


「……出てきな…………スズ…………」


 その萌江もえの声に、瞬時に周囲が暗くなる。

 まるで陽が落ちたかのよう。

 完全に項垂うなだれたような恵麻えまの体から、黒いきりのようなものが立ち登り始めた。

 それはしだいに恵麻えまの頭上でかたまりとなっていく。

 やがて闇よりも深い〝影〟へ。

「……やはりお前か…………久しぶりだね…………スズ…………」

 そう言った萌江もえの口角が上がる。

 その〝影〟は、萌江もえ咲恵さきえ京子きょうこの記憶で見てきた〝異形いぎょうの存在〟そのもの。

 金櫻かなざくら家を苦しめ続けた〝異形いぎょう〟────それがやっと目の前にいる。

 そして萌江もえの言葉に応える厚い声が、重くなった空気を震わす。

『……魔性ましょうの子よ……よく聞くがよい…………われの血を継いでいるのは貴様のみ…………滝川たきがわ御陵院ごりょういんも一度その血は途絶とだえておる…………これが真実だ…………』

 すでに誰もおくしてはいなかった。

 萌江もえ咲恵さきえの後ろにいたさき苑清えんせいも、黙って鋭い目を〝影〟に向け続ける。

 二人には恐怖と共に、不思議な安心感があった。目の前の〝異形いぎょうの者〟に対峙たいじしているのは、今まで自分たちが〝神の末裔まつえい〟と信じてきた萌江もえ。その歴史が例え嘘であったとしても〝神〟がそこにいるとしか思えなかった。

 そして応えるのは萌江もえ

「その血を途絶とだえさせたのはお前か……そして最後に母と私を殺そうとした。お前は母によって水晶に閉じ込められたわけじゃない…………結果的に金櫻かなざくら家を苦しめることになったお前は……常に水晶と共にいた…………最初から水晶の中にいた。なぜだ。なぜお前は自分の血を終わらせようとする…………」

 萌江もえは首に下がる〝火の玉〟を左手で握った。

 そこに〝異形いぎょう〟の声。

『……京子きょうこはどこだ……京子きょうこは貴様の中に閉じ込めたはずだ…………』

 すると、萌江もえの隣の咲恵さきえが口を開く。

「見えないでしょ? ここ……私の中…………」

『……馬鹿な……魔性ましょうの中にいるはずだ…………二人は一体いったいのはず……』

「あなたへの…………京子きょうこさんの抵抗……」

 その咲恵さきえの言葉を、萌江もえが繋ぐ。

「お母さんはね……あなたの監視を逃れて私を守るために、咲恵さきえの中にいたの」

 周囲の暗さが増した。

 空気まで小刻こきざみに振動を始める。


『────あの小娘が! われ邪魔じゃまするのか!』


 〝影〟がふくれ上がった。

 途端にその姿は大きな人の物へ。

 萌江もえ咲恵さきえの目の前に立ちふさがる。

 二人は動かない。表情も変えないまま。

 そして〝影〟の中に恐ろしい形相ぎょうそうの顔が浮かんだ。

 しかし直後、動きが止まる。

 〝影〟の背後にいたのは、恵麻えま

 片膝を立てた恵麻えまが、右手を〝影〟の背中へ。

「……二度も三度も死にたいのか…………スズ…………」

『馬鹿な……京子きょうこは私が魔性ましょうの中に閉じ込めたはずだ…………だから私が魔性ましょうの子を生かしたというのに…………』

 萌江もえが静かに応えた。

「笑わせないでよ。母が守ったから私はここにいる…………母は私の中に押し込められることで、私を守った。だからあなたは私を殺せなかった…………そして今は咲恵さきえの中にいる……私を守るため…………母親が子供を守る……愛情があれば当たり前のことでしょ? あなたは? あなただって母親だったんじゃないの? あなたにとって子供の存在って何だったの?」

『…………終わらせねばならんのだ…………が力を継承けいしょうするな…………』

「それが青洲せいしゅうさんの願いか……苦しかったのね……………………咲恵さきえさかのぼって」

 その萌江もえの声に、咲恵さきえが首に下がる水晶を右手で握る。



      ☆



 集落が〝火〟に包まれていた。

 周囲の山ごと燃えていた。

 武田信昌たけだのぶまさ軍勢ぐんぜいによって、集落の人間たちが次々と殺されていく。

 暗闇に響く悲鳴と怒号どごうを、軍勢ぐんぜいが取り囲んでいた

 響き渡るのは馬の鳴き声とひづめの音。

 唯独ただひと神社の周囲を囲む森も燃え続け、やがてやしろまでも煙で包まれ始める。

 しだいに炎の作り出す風のうねりが強くなっていた。

 外の様子ようすを伺い続ける青洲せいしゅうとは違い、スズは涼しい表情で本殿の中心に座っていた。

 そして、声を上げた。

青洲せいしゅう……ここを捨てる時だ」

 青洲せいしゅうは振り返って声を張り上げる。

たみはどうするのだ⁉︎ ここまで共に生きてきたのだぞ!」

 それに応えるスズの言葉は冷徹れいてつだった。

「……生きながらえるのは我等われらのみ」

「そんな…………」

「何を恐れる。総ては我等われらの血のため」

 しかし、それでも青洲せいしゅうは声を上げ続ける。

「ならん! 御主おぬしならたみを救えるはずだ!」

「救う理由は無い……武田たけだ軍勢ぐんぜいも焼き払う…………」

 周囲からは木が焼かれて割れる音。急激な温度変化で乾燥し、やしろの木材が亀裂を生んでいた。

 炎の熱がしだいに二人を取り囲んでいく。

 青洲せいしゅうが途端に声を落として返した。

「……よもや……この〝火〟も御主おぬしはなったものなのか…………」

「無事に世継ぎを産めた。すでにこの地に用は無い」

「…………スズ…………」


 ──……〝魔性ましょうの者〟か…………


 青洲せいしゅうがそう思った時、更なるスズの言葉が、青洲せいしゅうの中の何かを壊す。

「〝鈴京れいきょう様〟と呼べ────」


 ──……違う…………どうして…………


「────御主おぬしを…………御主おぬしを〝神〟にしたくて救った訳ではないぞ‼︎」

 叫んだ青洲せいしゅうは無意識にスズににじみ寄っていた。

 いつの間にか、その目がうるむ。

 スズは横に置いていたかたなを手にすると、さやから抜いた。

 その乾いた音と共に青洲せいしゅうの耳に届くのは、スズの冷たいだけではない声。

「……やはりわれを裏切るか…………」

 スズが青洲せいしゅうの体にかたなを突き刺していた。

 うっすらと見えていた。しかしスズはその未来を信じたくなかった。信じたくないまま、ここまで来た。違う未来を掴めると、僅かな糸にすがった。

 しかし、スズはその糸を見失う。

 そして、同時に、青洲せいしゅうの手にもかたな

 そのやいばはスズの胸をつらぬいていた。

 弱まる力の中で、青洲せいしゅうが声を絞り出す。

「……最初から…………こうしておけば良かったのか…………」


 ──…………どこで間違った………………


 震える体の中で、スズの胸になつかしい感覚がよみがえっていた。


 ──……こうするしか…………生きられなかった………………


 スズのほおを、何かがこぼれていく。

 やがて、痛みの苦しさは力を奪い、感覚をも弱めていく。

 その痛みが消えた。もはや感覚すら無い。

 そして、二人は折り重なる。


 やしろが炎の力で崩れ掛けた時、近くの川から突如とつじょとして〝水〟が溢れた。

 その大量の水は集落の火を押し消しながら、しだいに広がっていく。

 燃えさかろうとする炎とせめぎ合った。

 やがて、土に染み込み、木に染み込んだ水が炎の熱を弱め、集落が静かになったのは明け方。

 あちこちに煙がただよう中、水の引いた土地に死体が並ぶ。

 かろうじて生き残った武田たけだ軍勢ぐんぜいが数名。

 〝神〟と言われた金櫻鈴京かなざくられいきょう────スズを探していた。しかし神社の焼け跡にも見付からないまま時間だけが過ぎていく。

 焼けげた匂いの充満じゅうまんする神社の跡。

 その焼け跡で、武士の一人が泣き叫ぶ赤子あかごを見付ける。

 武士はすぐに抱き上げ、思わず呟いていた。

「……赤子あかごに罪はあるまい」

 その赤子あかごは、しばらくの間、泣き続けていた。

 そして、その赤子あかごの下には、小さな二つの水晶────。



      ☆



「最初の唯独ただひと神社を焼いた炎は〝火の玉〟に…………その炎を消した水は〝水の玉〟に…………こっから先は……蛇足だそくかしらね…………」

 そう声を落とした咲恵さきえが続ける。

「結果的に場所を変えて唯独ただひと神社は受け継がれた…………そこにスズさんの意思が介在かいざいしていたことは明らか…………でもどうして? それならいつでも血筋を絶つことは出来たはず……」

 目の前の〝影〟────スズは応えない。

 それを、萌江もえが拾う。

「二人で水晶に閉じ込められていたから? それだけじゃない。青洲せいしゅうさんとせめぎ合っていた…………〝火の玉〟のスズと……〝水の玉〟の青洲せいしゅうさんが……青洲せいしゅうさんはあなたを救おうとしただけ…………でも後悔こうかいがあったのは……スズも同じなんだよね…………」

 さらに咲恵さきえが繋ぐ。

「火は上に登るもの……水は下に落ちるもの…………歴史という流れの中には光と闇がある…………何が正しかったのかなんて誰にも分からない…………もしかしたら、私たちも一〇〇年後には悪者わるものかもしれない」

 大きな人の形になっていた〝影〟が、少しずつ小さくなっていく。

 やがてそれは、二つの人の形へ。

 そして、もう深い〝闇〟ではなかった。

 いつの間にか、白く周囲を照らしていた。

 その人の形は、青洲せいしゅうとスズの二人のものへ。

 その光を浴びながら、やわらかい表情を浮かべた萌江もえが口を開いた。

「……青洲せいしゅうさんに出会った時のこと……忘れないで…………それだけでいいから…………」

 スズが顔を上げる。

 萌江もえが続けた。

「……もう……終わりでいいんだよね…………私は……まだ生きていくよ…………ごめんね」

 スズは、小さくうなずく。

 その顔に浮かぶものは笑顔のようにも見えたが、萌江もえ咲恵さきえにははかりかねた。

 そして、二人が手を繋ぎ、その姿がきりが晴れるように消える。

 本殿の中を静けさが包んだ。

 もはや外の音も聞こえない。

 僅かに暖かい風が渡った直後、衣擦きぬずれの音。

 意識を失った恵麻えまの体がかたむく。

 一瞬緊張が走るが、その体を支えたのは、突然現れた西沙せいさだった。

「────間に合った」

 西沙せいさは目を開け掛けた恵麻えまに笑顔を向けて続ける。

「ごめんね。立坂たてさかさんとしずくさんを迎えに行ってたら遅くなっちゃった」

 その光景に、萌江もえ咲恵さきえも小さく息を吐いた。

 恵麻えま西沙せいさに抱かれながら呟く。

「……西沙せいさ…………」

「これからは仲良く出来そうだね」

 その西沙せいさの言葉に、返すのは咲恵さきえの明るい声。

「あら、西沙せいさちゃんが仲良くだなんて珍しい」

 すると、返す西沙せいさの声も幾分いくぶん明るい。

「失礼ねえ、これでも恵麻えまとは同じ日に産まれたんだよ。双子ふたごみたいなものなんだから。ね? 陽麻ひま

 突然話を振られた陽麻ひまは戸惑った表情を見せるだけ。

「え……ええ……まあ…………」

 そこに萌江もえが挟まる。

「いきなり現れて姉妹しまいって言われても……妹さんも戸惑ってるじゃん」

 その背後からはさきの溜息。

 しかし、次の咲恵さきえの声が全員の気持ちを高揚こうようさせた。

「……だったら…………〝仲間〟で…………」

 まるで後光ごこうのように、咲恵さきえの背後から陽の光が差し込む。

 そして恵麻えまの顔に、笑みが浮かんでいた。



      ☆



『娘の西沙せいさが迎えに行きます』

 そのさきの指示を電話で受けたのは総合統括事務次官の西浦にしうらだった。


 ──……西沙せいさ……?


 西浦にしうらも何か嫌な予感のようなものは感じていた。自分たちの分からないところで何か今までとは違う動きがあったのは事実のようだ。

 そう思うしかない今回のさきの指示。何も無いと考えるほうが不自然だった。


 ──……やはり何か動きがあったか…………


 さきの指示は〝立坂たてさかしずく釈放しゃくほう〟。

 しかも西沙せいさが迎えに来るという。


 ──…………清国会しんこくかい根幹こんかんが崩れてる…………


 しかしその説明は無い。言い知れぬ不安が西浦にしうらを包んでいた。

 やがて二人を迎えに来たのは、西沙せいさ杏奈あんな、そして満田みつたの三人。


 ──……何が起きた…………


 西浦にしうらは三人の姿を見ながら、そう思っていた。

 やがて満田みつた立坂たてさかしずくを乗せて御陵院ごりょういん神社のかえでの元へ。西沙せいさ杏奈あんなの車で雄滝おだき神社へ向かう。


 そしてことが終わると、さき西沙せいさ杏奈あんなの運転で御陵院ごりょういん神社の涼沙りょうさの元へ。

 その御陵院ごりょういん神社はすでに、うっすらと夕刻の始まり。

 開け放たれた板戸をくすぐるように、本殿の中にゆるやかな風が舞い込んでいた。

 そこには三人だけ。

綾芽あやめのことは……忘れないであげて…………」

 そう言ったのは涼沙りょうさだった。

 そばにはさき西沙せいさ。久しぶりに西沙せいさまじえて家族が集まっていた。

「まあ……御世みよわす形見がたみみたいなものだしね…………しかも最後は助けられた……」

 そう返す西沙せいさの表情には、やはりまだかげりはあった。あんな形で綾芽あやめと再開し、少し前までは想像もしなかった結果となった。西沙せいさも気持ちの整理が完全に出来ているわけではない。

 そしてそれはさきも同じ。

 三〇年近くに渡って実のが子同然に共に生きてきた。

 しかしその存在は、御世みよの作り出した幻だった。

「……元はと言えば……私も養子ようしであることを隠していました…………」

 さきは冷たくなった本殿の床に視線を落とす。そこは前日まで血溜ちだまりが出来ていた場所。しかし今はその痕跡こんせきすら見当たらない。総ては西沙せいさの作り出した幻。

 殺されたと思い込んでいた涼沙りょうさは、今、目の前で生きている。

 さきはそのことを西沙せいさに感謝した。


 ──…………さすがです…………西沙せいさ………………


 その西沙せいさが声を落としてさきに返していく。

御世みよがそうさせてたのかもよ。私と涼沙りょうさに信じ込ませるためにさ…………それに、綾芽あやめはやっぱり長女だったよ。今までの記憶まで御世みよは持っていかなかった……忘れたほうが楽なのは御世みよが一番知ってるくせに……でもそのほうが、私は嬉しいかな……でしょ? 姉さん」

 西沙せいさ涼沙りょうさに顔を向けると、僅かにうるんだ目で涼沙りょうさが応えた。

「……いいこと言うようになって…………西沙せいさも大人になったね」

「姉さんたちにきたえられたからねえ」

「口の悪さは変わってないけどな」

「何よ偉そうに」

 そこにさきが挟まる。

「……まったく……やめなさい二人とも」

 しかしさきはその顔に僅かに笑みを浮かべたまま。

 以前までとは何かが違う関係性に、自然と気持ちがほころんだまま続ける。

 それでも現実は目の前。

「それより大事なのはこれからのことです。この国を本当の意味で正しい方向に導くために、清国会しんこくかいを立て直す必要があります」

 それに、西沙せいさが目を鋭くさせて返した。

「内閣府はどうするの?」

「内閣府そのものは良しとしても総合統括事務次官は解体すべきでしょう……裏七福神など……この国にはもう必要ありません」

 そう言うさきの目に、西沙せいさは覚悟を感じていた。国のためと思って組織したものをみずからの手でこれから解体しなければならない。しかも内閣府の一部門だけとは言っても簡単なことではないだろう。清国会しんこくかいそのものを解体出来ない現実を改めて感じた。

「そっか……じゃあ、へびの会も解散だね…………」

 そう返しながら、やはり西沙せいさの中にもさびしさは残る。立坂たてさかと二人で立ち上げ、やがて大きくなったへびの会。西沙せいさは常にその中心にいた。総てを見てきた。


 ──……私は清国会しんこくかいをどうするつもりだったんだろう…………


 ──…………萌江もえ咲恵さきえがいなかったら、もしかしたら…………


 西沙せいさの表情に何かを感じたのか、さきが言葉を向ける。

「負けましたよ西沙せいさ……あなたが正しかった…………」

 しかし西沙せいさは表情を変えないまま。

「勝ち負けじゃないよ、お母さん…………歴史の流れの一部だっただけ…………未来の総てを見通せるわけじゃない。萌江もえの言ってた未来の可能性を掴むって、そういうことなんだよね。あるのは結果だけ。それには逆らえない」

 すると、明るい声で返したのは涼沙りょうさだった。

「やっぱり大人になったね」

「うるさいわね」

 反射的に返した西沙せいさに笑顔が浮かぶ。

 そして、さきが真剣な声を西沙せいさに向けた。

「……あなたが必要です……西沙せいさ…………滝川たきがわ家は清国会しんこくかいの未来を我々にたくしました。もちろん協力体制は変わりませんが、これからはあなたの力が必要です。戻ってきませんか?」

 それを涼沙りょうさが拾う。

「事実だね……くやしいけどさ」

 それでもその目は優しいもの。

 西沙せいさは本殿の外に目をやった。

 そしてゆっくりと応える。

「そうだなあ…………でも、私にれ込んだ女が一人いるからさ…………もう少し唯独ただひと神社にいるよ」

 その視線の先には、本殿に上がる階段に腰掛けた杏奈あんなの背中。

 杏奈あんな清々(すがすが)しい表情で、薄くオレンジ色になり始めた青空をあおいでいた。



      ☆



 陽が落ち始めていた。

 この時期は夜の訪れが早い。

 しかし萌江もえはこの静かな時間が好きだった。

 少しずつ空の色が変わり始め、やがてオレンジ色へ。真っ赤な時もある。同じ色は一日として存在しない。気温や湿度、様々な条件でいつも空の表情は変化してきた。それを一番感じられる時間。その時間を萌江もえは大事にしたかった。

 昔、人々は夜を恐れた。

 そのため、空が暗くなり始める時を〝大禍時おおまがとき〟と呼んで嫌った。夜の闇は〝〟の時。〝闇〟にまぎれるものの時間。そう考えられてきた。

 神社の鳥居とりいは文字通り〝鳥の居る所〟。朝の鳥の鳴き声を求めた。陽が登ると〝の時間〟は終わりを告げる。

 しかし歴史の流れの中で、夜は闇ではなくなった。

 いつの間にか、この時間も、夜も、時代と共に意味を変えていく。萌江もえはそれでいいと思っていた。それが時間の流れ。結果でしかないからだ。

 結果とは、受け入れるためにある。

 萌江もえはコーヒーメーカーからポットを外した。二つのマグカップに少な目にコーヒーを注ぐと、それを持って縁側に向かう。

 そこには咲恵さきえの背中。

 電話をしている咲恵さきえの声が聞こえた。

「ええ、色々とすいませんでした。立坂たてさかさんにも迷惑かけて……総て解決しましたから……ええ、これから忙しくなると思いますけど少し休んでください。次に集まった時にはよろしくお願いします。では────」

 通話を切った咲恵さきえの横に、コーヒーの香り。咲恵さきえが笑顔でマグカップを受け取ると、横に萌江もえが座った。

 その萌江もえの声には、明るくも疲れが見て取れる。

立坂たてさかさん大丈夫だって? まあ手荒てあらなことはしてないだろうけどさ」

「それは大丈夫。でも大きな仕事の途中で拘束こうそくされたから仕事が溜まってて大変みたいよ」

「そりゃ大変だ。でもしずくさんもかえでちゃんも無事だったし……二人には今回も助けられたね…………」

「そうだね……後で電話しておく。今は家族二人で休ませてあげなくちゃ」

「…………うん……」

 萌江もえにも咲恵さきえにも、もちろん安堵感あんどかんはあった。

 大きな懸案けんあんが解決したことは事実。それでもそれが望んだ結果なのかどうかは、正直二人にはまだ分からない。

 しかし、萌江もえにごすのを嫌った。

「色々な意味で、犠牲はあったね……結果はくつがえせない。それはこれからも消えることはないよ……受け入れたくないこともあるけどさ…………でも……だからこそ私は未来の可能性にけてきた」

 その萌江もえの真剣な横顔に、咲恵さきえも改めて萌江もえの〝強さ〟を感じた。

「……そうだね……でもだからこそ…………望む未来のために今を大事にしなきゃ…………」

「そんな咲恵さきえの〝強さ〟がやっぱり好きだな」

 萌江もえはコーヒーを口に運ぶ。空気の冷たさのせいか、その暖かさはまたたく間に全身を巡った。

 そんな萌江もえに、咲恵さきえの声が響く。

「……そんな萌江もえの〝弱さ〟が…………私はほおっておけないんだ…………」

 咲恵さきえはそう言うと、冷たい縁側の板の上で、萌江もえの手を握った。

 萌江もえはその手を握り返しながら返していく。

ほおっておかないでよ…………」

「うん…………これから忙しくなるしね…………まさか国の中枢ちゅうすうを建て直すなんて…………」

「そっちは清国会しんこくかいの仕事だよ。もう大丈夫……さきさんが中心ならね。滝川たきがわ家だって協力してくれる。もうみんな〝仲間〟だしさ」

「新しい仲間が増えたら……水晶が軽くなった気がするよ…………」

 咲恵さきえはそう言いながら、首に下がる水晶を胸元から取り出した。そしてやわらかい表情で見つめると、隣の萌江もえもその水晶────〝水の玉〟に目をやりながら返す。

「そうだね……キラキラしてた粒々(つぶつぶ)も消えたし…………」

「ちょっと寂しい気もするけど……」

「そう? でも…………咲恵さきえももう気が付いてるでしょ?」


 ──……やっぱりか……やっぱり…………


 咲恵さきえがそう思った時、萌江もえの言葉が続く。

「今さら咲恵さきえ誤魔化ごまかしがかないことは分かってるよ……だから話しておかなくちゃ…………色々と、これから〝見える〟んだろうね」

「それって、スズさんの…………〝置き土産みやげ〟なの?」

「多分ね」

 明確にいつからなのかは分からない。

 しかし、萌江もえに〝変化〟が現れていたのは事実。

 二人以外に気が付いていたのは西沙せいさだけ。

 しかし今までこの話をしたことは、まだない。

「……それに……どんな意味が────」

 そう言いながら咲恵さきえが顔を向けた時には、その体は萌江もえに倒されて縁側の板の上。

 咲恵さきえの顔を見下ろし続ける萌江もえに対して、咲恵さきえ自身は僅かに視線を外す。それでもすでに、唇には萌江もえの唇が軽く触れていた。

 咲恵さきえが、小さく。

「背中……冷たい……」

「…………暖めてあげるよ…………久しぶりに…………」

 萌江もえは再び、そのまま咲恵さきえに唇を重ねた。

 受け入れながらも、咲恵さきえの言葉は逆。

「……ここで?」

萌江もえ様が我慢が出来ぬと申しておる」

「バカ」

 こんな時に咲恵さきえが見せる子供のような笑顔が、萌江もえは昔から好きだった。

 しかし、二人の耳に聞こえる車の音。

 それは聞き慣れたRV車のエンジン音。

 二人の頭に西沙せいさ杏奈あんなの顔が浮かび、同時に小さく溜息。

 そして咲恵さきえ

「あら」

「あいつら……」

 萌江もえが言葉を漏らした時、聞こえたのは、もう一人の声。

「ちょっと!」

 そんな西沙せいさの声が空気を変えるように続いた。

「明るい内から何してんのよ!」

「夕方なんだからいいじゃん! 時間なんて関係あるか!」

 萌江もえが瞬時にテンションを西沙せいさに合わせる。

「見てるこっちが恥ずかしいのよ」

 西沙せいさはそう言いながら縁側に足をかけた。

「見ろとは言ってない…………ってコラ────」

 そう応える萌江もえの横で西沙せいさはリビングへ。

「とりあえず日本酒ね」

 西沙せいさのその声がリビングへと吸い込まれると、今度は杏奈あんなの声。

「私はビールで。萌江もえさんもビールですよね。咲恵さきえさんはやっぱりワインですか?」

 杏奈あんな西沙せいさを追いかけてリビングからキッチンへ。

 すると、萌江もえの下から咲恵さきえの声。

「あらあら……まだ空は明るいのに……」

 そう言って笑顔になる咲恵さきえの上で、萌江もえが軽く空を見上げながら呟く。

「〝仲間〟のやることだ……ゆるしてやるか」

 そして、笑みが浮かぶ。

 こんな時に萌江もえが見せる子供のような笑顔が、咲恵さきえは昔から大好きだった。

 その首に下がる〝火の玉〟が、夕陽を映す。

 そこに、光のつぶは、もうなかった。





        「かなざくらの古屋敷」

    〜 第二三部「消える命」(完全版)終 〜


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