第二三部「消える命」第4話(完全版)
風があるのか無いのか、それすら誰も意識出来ずにいた。
不思議な空気が参道から本殿に流れ込む。
「…………どうして……」
小さな咲の呟き。
しかし同じことを、御世も思っていた。
萌江は笑みを浮かべ、西沙は目を見開く。
西沙のその目は、驚きのみならず、僅かに潤んだ。
未だゆっくりと落ちてくる粉雪をまるで掻き分けるように、参道を真っ直ぐに。
いつもの丈の短目のコート。
お洒落よりも機能性重視のデニムパンツ。
歩きやすさだけで選んだ底が厚めのショートブーツ。
決して長くはない髪を後ろで小さく一つにまとめる。
「…………杏奈…………」
西沙が無意識に呟いていた。
それは見間違えるはずのない、杏奈の姿。
しかも今までに見たこともないような、堂々としたものに見えた。今までは常に誰かの影にいた。決して正面に出過ぎることはなかった。
それは本人もそれを良しとしてきたこと。
誰に強制されたわけではない。自分でそれを望んだ。それが自分の役目だと思っていた。
──……私には何の能力もない…………
杏奈は参道を歩き続けた。
周りの従者たちが、なぜか道を開ける。
誰も刀を抜ける者はいない。
それは言葉で説明の出来るものではなかった。圧力のようなものとも違う。
〝幻〟の中で生きている者には、決して理解など出来ない〝力〟。
杏奈の気持ちが、周囲を黙らせる。
──……私には何の能力もない…………
──……………………それがどうした………………
杏奈は本殿の前まで来ると、階段に足をかけて口を開いた。
「私の母を焚き付けたのは、咲さんですよね。綾芽さんを使って母を操った…………つまりは、御世さんの計画。私たちをバラバラにするために…………」
ゆっくりと階段を登り始める。
「でも私の母を舐めないでください。母は、お父さんのことも……私のことも信じてる…………どんなに離れててもね。久しぶりに会っておきながら…………大事な人の側にいなさいって…………凄い母親を持ちましたよ」
杏奈の声に、西沙は視線を落としていた。
まるで表情を隠すように。それでも震える手は隠せない。
さらに杏奈が続けた。
「雫さんが唯独神社に置き手紙を残してくれてました。おかげでこの場所に来ることが出来ましたよ。さすがは時を超える能力者」
杏奈は階段を登り切ると、西沙の隣で足を止める。
西沙の視界に入った杏奈のブーツは、西沙の黒いパンプスよりも大きく見えた。
西沙の中の何かが疼く。
そして杏奈は、咲へ、自信に満ちた目を向けて口を開く。
「ごめんなさい咲さん────娘さんを頂きにきました。もう離れるつもりはありません」
その言葉に、西沙は顔を下げたまま、震えた声で呟いた。
「……あんたもそっち?」
杏奈は視線はそのままで、小さく西沙に囁く。
「総てが終わるまで……あなたの力で母を守って欲しいの…………西沙…………」
「一生かけて守ってやるよ」
即答だった。
迷いのない声。
その西沙の言葉に、杏奈の顔に笑みが浮かぶ。
そして再び声を張り上げた。
「色々と面倒臭くて私みたいな普通の人間には訳が分からないことばっかりだけど……私はサポート役。みんなが主人公じゃ、物語はつまらないでしょ」
その頃、蛭子神社の駐車場には満田の車があった。
満田は蛭子神社に萌江と西沙を送った後、萌江の指示で唯独神社に一度戻っていた。距離を考えると時間的に厳しいことは予想出来たが、雫の置き手紙を見た途端にその意味を理解する。
『 杏奈さんを蛭子神社に連れて行ってあげてください
彼女は必要な存在です
今、彼女は苦しんでいます 』
それもまた、御世を惑わすため。
満田は街で杏奈を拾い、車のアクセルを踏み続けた。杏奈の車では出せないスピードだっただろう。そして杏奈は蛭子神社の駐車場から参道を走った。
開いた運転席の窓から立ち昇る煙草の煙が、空気に舞う雪を溶かしていく。
「こんな役回りの奴もいないとな」
満田は溜息を吐いていた。
そして今、その蛭子神社の本殿に緊張が走っていた。
空気が止まる。
倒れていた、咲恵の体が動く────。
ゆっくりと上半身を起こしていた。
驚いた表情を浮かべたのは萌江だけではない。目の前の咲も反射的に上半身を起こして驚愕する。
しかもその首筋には、姿を隠していたはずの〝水の玉〟が光っていた。
咲恵は目を閉じたまま。
細く溜息を吐いた。
そして小さく口を開く。
「……まったく…………困った人たちね…………」
しかしその声は咲恵のものではない。
〝京子〟の声────。
萌江にとっては母親である、京子の声が続く。
「……水は下に落ちる物……火は上に登る物……その意味を感じて……萌江……」
目を開いた咲恵は、萌江を見上げて続けた。
「あなたにも大事な人がいるでしょ……そしてあなたにはまだやることがあるはず……行きなさい…………総て終わらせて」
──…………お母さん………………
目が閉じられた、かと思うと、咲恵の体が傾く。
その体を、反射的に萌江が支えていた。
咲恵は再び意識を失う。
「……私も…………あなたをもう離さない…………誰も犠牲になんかしない…………」
その萌江の言葉を、視線を落とした咲が噛み締めていた。
板の上で、金属が立てる音。
その甲高い音が、御世の動きに重なった。
綾芽が床に落とした短刀。
いつの間にかそれを手にした御世が、姿勢を落として咲に向けて床を蹴る。
空気が張り詰めたその瞬間、咲の頭の中に声が響いた。
『 ────西沙を……信じてください──── 』
──…………涼沙……⁉︎
しかし直後、御世の手を西沙が掴んでいた。
西沙は体全体を使うように御世の足を止める。
緊張感の中、呆然とする御世の横で、西沙が口を開いていた。
「誰も犠牲にしないって言ったでしょ」
西沙は御世から短刀を取り上げると、それを後ろへ。そして杏奈が素早く受け取る。
御世は膝を落として床を見つめた。
そこに降りかかる西沙の声。
「御世……あなたはまだ気が付いてないの? あなたは綾芽として涼沙を殺した……でも…………それが私の作り出した〝幻惑〟だとしたら?」
「────馬鹿な……!」
御世は反射的に返していた。
──……それじゃあ…………最初から綾芽は…………
西沙が続ける。
「あの力はあなただけのものじゃない。昨日の内に御陵院神社に……楓ちゃんが連れて行かれたでしょ…………」
──……………惑わされていたのは……私だったのか…………
「お母さんと綾芽がもうここに来てる時間にね。今…………誰と一緒にいるのかな…………」
「…………そんな……それじゃあ……私の邪魔をしていたのは…………」
呟いた御世が体を震わす。
そして西沙の声。
「……綾芽…………姉さんは……あなたの操り人形でいることを拒んだ…………」
そして、本殿の空気を埋める声。
『 ……西沙……もう終わらせて…… 』
それは間違いなく、涼沙の声。
西沙は口元に笑みを浮かべながら返した。
「まったく……偉そうに言わないでよ」
その西沙は膝を落とすと、御世の肩に手を置いて続ける。
「……御世……もう休んで…………清国会は私たちが変えてみせる……これだけは信じて」
その言葉を、咲恵を抱いたままの萌江が拾った。
「あなたは、あの島で幸せになってよ」
さらに西沙。
「今まで……私たちをここまで連れてきてくれて感謝してる…………ありがとう、御世……」
すると、ゆっくりと御世の体が薄れ始めた。
西沙を見上げる。
やがて西沙に向けられたその笑顔は、ゆっくりと消えた。
薄れていくのは、霧のような、無数の光の粒。
西沙が無意識に視線を落としていた。
御世の依代としての過去が頭の中を巡る。思えば、ずっと御世と一緒にいたような気もしていた。
──……ずっと……一緒だったんだろうな…………
当たり前に自分の中に存在していたものが、突然消える。
受け入れられるかどうかではなく、それが事実。
何かが心の中に穴を開けるというより、もう一人の自分が消えたような感覚だった。
「……ホントに行っちゃったみたい…………私の中から……いなくなっちゃった…………」
そう言う西沙を、背後から杏奈が両腕で包んだ。
「これからは……私がいるでしょ」
その杏奈の声に、思わず西沙は笑みを浮かべてから応える。
「……仕方ない……我慢してやるか」
西沙は顔を上げた。
咲に向くと、真剣な眼差しを向けていた。
「お母さん……行くよ」
咲はその西沙に目で返すかのように、大きく頷いた。
もはや今の自分がどう感じているかどうかではない。目の前の事実が総て。
大きく、自分という存在が崩れてしまったかのような、そんな感覚が咲を襲う。体の中に入り込む不可思議な感覚。寒気とも違う。鳥肌が立つ感覚とも違う。
それでも、何かが、大きく自分の中で変わっていった。
そして咲は立ち上がり、姿勢を正すと、その目を苑清に向けて口を開く。
「…………終わらせましょう…………」
いつの間にか、咲の巫女服を染めていた鮮血も消えていた。
その姿に、苑清も真剣な表情を返していた。
そして頷く。
そして天井を見上げた西沙の声。
「────涼沙、聞こえたでしょ? あんたも行くよ。まだ警察庁に二人いるんだから」
すると涼沙の声が天井から降り注ぐ。
『命令しないでよ』
いつの間にか、外の雪が止んでいた。
☆
二人は御陵院神社にいた。
祭壇前で並んで座ったまま、二人同時にやっと両手を下ろす。
そして小さく息を吐いた。
「……ありがとね、楓ちゃん……私だけじゃ難しかったよ」
涼沙はそう言うと、隣の楓に笑顔を向けた。
すると、楓から向けられた言葉は思ってもみないものだった。
「……お姉ちゃんに…………また会いたい?」
その言葉に、涼沙は言葉を詰まらせながらも返した。
「…………んー……どうかな…………」
ずっと姉だと思って生きてきた。
それを疑う理由はどこにもなかった。
共に母である咲を支え、清国会のために邁進してきた。にも関わらず、今回の一件で、一瞬でその感情が覆された。その西沙の能力も去ることながら、やはり涼沙にとっても〝真実〟は残酷すぎた。
──……私は……どこかで西沙を信じていたのかもしれない…………
──…………あんなに恐れてきたはずなのに…………
「いつでも会えるよ」
楓の言葉に、涼沙に何かが込み上げる。
その言葉が続いた。
「私ならいつでも協力するから……でもこれで、お母さんにはまた会えるね」
楓が満面の笑みを浮かべ、涼沙は祭壇に視線を戻して返す。
「……うん…………西沙にもね…………」
涼沙は、頬を伝う涙を拭おうともしなかった。
☆
雄滝神社。
そこは清国会の中心にして頂点。
長い歴史の中で、雄滝神社の滝川家はこの国を動かしてきた。
そのトップに立つことの難しさは、もちろん現代表の恵麻自身も感じていたこと。総てが思い通りになどいくはずもなく、国の中枢にいながら未だに金櫻家を手中に納めてはいない。その抵抗に翻弄され続け、やがては内側にも敵を作ることになった。
御世の存在はやはり大きかった。
直接対峙すれば、勝てる補償のない相手。
恵麻は御世を恐れていた。
生と死を超越した存在。
いつの間にか、本当の敵が誰なのか分からなくなっていた。
もはやこの国から清国会を取り除くことは出来ないはずと恵麻は考えていたが、それでも金櫻家はそれを受け入れようとはしない。
そして、ここ数日落ち着かない日々が続いていたことも事実。御陵院家からの報告があるわけでもない。しかし恵麻も何かを感じ取っていた。
──……何かが…………大きく動いている…………
気持ちが騒つく。
──……この、わだかまりは何だ…………
恵麻は自分の中に〝穢れ〟があることに気が付いていた。
しかもそれは、それまで感じたことのないもの。
その夜は眠れないまま。
外が明るくなったことに気が付いたが、恵麻は祭壇の前を離れようとはしなかった。
夜に開けたままの板戸が風に音を立て、そこから朝の匂いが本殿に入り込むが、不思議と恵麻は眠気も感じない。祭壇の松明はすでに微かな煙を立ち登らせるだけ。その匂いを朝の風が散らした。
──……この〝影〟は何だ…………蛭子で何が起きている…………
頭に浮かぶのは蛭子神社。
確かに御陵院神社の咲に指示は出していた。
〝萌江様を餌に、京子様を手中に納めろ〟と。
京子が頂点だと考えた。総ては京子の手の上のシナリオ。京子を手に入れることこそが、清国会が〝神〟を得る時。そのためには他の者たちの生死は問わない。他の神社に対する蛇の会からのアクセスを考えると、もう猶予はないと思った。清国会が追い詰められていたのは事実。
だからこそ咲に任せた。おそらく恵麻と同じレベルの危機感を持てるのは、清国会二番手の御陵院神社だけだろう。恵麻の中の不安があるとすれば、それは咲が娘である西沙を退けることが出来るかどうか。この一点にあった。
一度決別したことはもちろん恵麻も報告は受けている。しかしそれから何度も関わってきた。そこに気持ちの揺らぎの可能性があることは、子供を持っていない恵麻でも想像が出来ること。
──……それならば…………なぜ咲に任せた…………
──…………私は…………何を期待している…………
炭となった松明の僅かな灯りが、その周囲に闇を作り出している。
しかしその向こうに、さらに深い何かが蠢いていた。
それは闇よりも深い。
──……まともな相手ではないな…………
「何者だ……姿も見せられぬとは……随分な小者だ……」
恵麻は背中に広がる汗を隠すように虚勢を張っていた。
闇の中に〝何か〟がいた。
『────姿だと? そんなものを必要とするほど〝低く〟はない』
「我を清国会を預かる者と知ってのことか」
──……この気持ち悪さは何だ……誰の手前だ…………
『清国会か……それは言わば我が虚構より作られしものに過ぎぬ…………ここだ……ここで〝京子〟を葬れ』
──……京子様を…………⁉︎
『金櫻京子を……その〝命〟の存在を消し去れ…………それが己が使命』
それに恵麻は毅然と応えた。
「駄目だ……京子様を手中に納める事こそが我等の使命……さすれば萌江様も我等に従ってくださるはず…………」
『〝魔性の子〟か……一度、葬り損ねた…………あの〝血〟は貴様の命を取るぞ…………』
「だからこそ京子様を…………」
『まだ分からぬのか……萌江は京子そのものだ……あの〝血〟は存在してはならん…………京子を葬れば萌江も消える…………』
──……迷い事を…………
恵麻が声を張り上げる。
「────何者だ!」
『……清国会が惜しければ…………京子を葬れ…………』
そして、影が消える。
静かだった。
外の音が聞こえなくなっていたことに、恵麻はやっと気が付く。
やがて、小さな音が微かに聞こえた始めた。
恵麻が外に顔を向けると、そこには細かい雪が舞い始める。
──……咲…………どこにいる…………
気配を感じた。
背後。
距離を置いて頭を下げている。
恵麻はすぐに口を開いた。
「……何用だ…………涼沙…………」
その気配は間違いなく涼沙のもの。涼沙は恵麻に向かって深々と頭を下げていた。
いつの間にか、という表現しか恵麻には出来なかった。どうやって本殿に入ってきたのかも気が付かなかった。
それは西沙の作り出した幻。
その涼沙の声がゆっくりと空気に漂う。
「……蛭子神社で……〝事〟が起きております…………」
恵麻は嫌なものを感じながらも冷静を装った。
「私が感じていたものはそれだったか…………咲もそこか?」
「はい…………綾芽も…………西沙も…………」
涼沙はゆっくりと応えていた。
まるで何かのタイミングを計るかのような話し方。
何かを感じ取った恵麻は、慎重に返していた。
「…………話せ」
しかし、
「────終わらせに来たよ…………恵麻…………」
それは、御世の声。
すぐ横から。
恵麻が目だけを動かす。
そこには巫女服のまま短刀を逆手に振り上げる御世。
振り下ろされる刃先が恵麻の目の前。
しかし直後、弾かれるようにしてその短刀は床で音を立てた。
甲高い音が広がり、すぐに消える。
呆然とする御世に声を向けたのは、涼沙だった。
「……まだ分からないのか……御世…………」
涼沙は片膝を立て、右腕を真っ直ぐ、掌を御世に向けたまま。
「今、蛭子神社の光景が見えた……たった今、母を殺せなかったようだな……昨日は私のことも殺せなかった…………」
──……涼沙は何の話をしている…………
そう思いながらも、恵麻は表情を変えなかった。
汗の滲む手を膝の上で握り、目だけで御世を見上げる。
涼沙が言葉を繋いだ。
「……西沙の言葉を聞け……萌江様の言葉を聞け……お前はもうあの島へ戻るべきだ…………これからは……憎しみだけで生きるな…………」
御世は立ち尽くすだけ。
何を思うのか、天井を見上げる。
しかし、その袖を引っ張る感覚に、顔を下へ向けた。
そこには、楓の姿。
「帰ろうよお姉ちゃん。みんながあの島で待ってるよ」
その声に、御世の目に涙が浮かんでいた。
震える声が広がる。
「……私は…………萌江様たちに再び命を頂いた…………スズが見えた…………放ってなどおけなかった……助けたかった…………スズの人生に……どんな希望があったというのだ…………」
両手を強く握りしめていた。
その手が小さく震える。
その御世に、再び涼沙が声を掛けた。
「西沙を信じろ……西沙に任せろ……我々が西沙を支えてみせる……西沙は強い……だから依代にしたのだろ? 御主も分かっているはずだ……だから……信じろ。絶対に私たちが清国会を変えてみせる」
──…………涼沙……? 何を………………
恵麻がそう思った直後、御世と楓の姿が薄れていく。
御世は顔を上げた。
小さな笑顔を涼沙に向けると、頷く。
そして、その姿が消えた。
静かになった祭壇前で、涼沙は座り直し、再び頭を下げる。
「────〝事〟の顛末を、御話し致します」
恵麻の鼓動が音を立てて全身を駆け巡った。
☆
甲斐の国。
その中の小さな集落跡地に、スズと青洲は辿り着いた。
戦乱の世が落ち着いたとは言っても、こんな小さな集落でも小競り合いの舞台になっているのが現実。騒乱というものは決して綺麗に収束するものではなかった。
ほとんどの建物が焼かれ、崩れ、人の気配は無い。
まだ燃えた煤の匂いが周囲に漂う。
数人の甲冑姿の武士の遺体。数頭の馬の亡骸。
血の匂い。
二人が集落にやってきたのは丑の刻頃だろうか。
二人は共に、世の中の現実に直面していた。清国会の内紛に寄りかかっている間にも、世の中は荒んだまま。乱世が終わったと伝え聞いても、それで真実が見える訳ではなかった。
そしてスズには、これから始まる更なる戦乱の世の中が見えていた。
スズは武士の亡骸を見下ろしながら静かに口を開いた。
「青洲……この者たちを弔ってやろう…………この者たちは加害者でありながらも被害者でもあることは事実であろう…………」
青洲はそのスズの言葉に、少し気持ちが安堵する自分を感じていた。
意外な言葉に思えたからだ。常々スズからは感情の起伏を感じることがなかった。感じるのは冷たい印象だけ。人としての感情を感じなかった。人の死にも気持ちを揺るがされることのない冷徹とも言える部分があったのは事実。
そのスズが赤の他人である見知らぬ武士を弔おうと言う。
〝神〟とは違う〝人間〟としての部分を初めて見た気がした。
しかしそれが〝神〟としてなのか〝人間〟としてなのか、そこまでは青洲でも測れないまま。
二人は崩れかけた家屋に、見付けられた数人の武士の遺体を運ぶと、その家の中にあった火打ち石で建物ごと火を着けた。
満月。明るい月灯りのお陰で、作業は難しくはない。しかも空気が乾燥してくる季節。周囲から掻き集めた枯葉に、火は簡単に着いた。
その火で馬の亡骸も焼いた。
そしてやっと二人は馬の肉を食べ、食事を取ることが出来た。
二人で、明るくなるまで眠った。久しぶりに寄り添って眠った。途端に疲労が押し寄せた。
朝、近くの川で水を飲んだ。
──……まさかこんな生き方をすることになろうとは…………
そんな青洲の気持ちを見透かしたのか、川の側の石に腰を降ろしたスズが口を開いた。
「……貴様は……後悔しているのか?」
「いや…………そんなことは…………」
青洲は咄嗟にそう応えながらも、流れる川の水に視線を落としていた。その川面が朝日を照らしている。青洲には眩しくさえ見えた。
なぜスズがあの騒乱の中で雄滝神社を捨てたのか、まだ青洲は聞けていない。あのまま残ったとしても、おそらくは麻紀世が事を収めただろう。三人の子供たちを捨ててまで逃げる理由はなんだろうかと、青洲の中で考えが巡り続けていた。
そんな青洲にスズが言葉を繋げる。
「我にはこうなることが見えていた……だから後悔は無い。ここでこれから貴様と新しい社を作り、金櫻の血筋を繋げていく。しかしいずれはこの地も離れることになろう」
「ここで? そうか…………」
少し驚いたが、青洲はその話を受け入れていた。今までスズの〝予見〟が間違っていたことはなかったからだ。
しかし続くスズの言葉は濁る。
「……しかし見えぬこともある…………己の最期だ…………」
珍しい弱音のようにも聞こえたが、青洲はさほど驚かずに返した。
「運命に逆らわずに受け入れる……それが人の世の習わしだ」
この世界の初心に戻ったような不思議な感覚を覚えながらも、青洲は自分の感覚に憤りを感じた。
──……こんな当たり前の事すら忘れていたかのようだ…………
それにスズは淡々と返すだけ。
「貴様の命も同じなのか?」
「もちろんだ。総ての時で最善の選択をしてきた……後悔は無い」
──……本当にそうだろうか…………
スズは青洲のその気持ちを読んだのか、すぐには返さなかった。
やがて、ゆっくりと口を開く。
「これからこの地に作る社を〝唯独神社〟と名付ける」
「……ただ……ひと……?」
それに、スズは立ち上がって応えた。
「そうだ…………唯一の……ここだけの社だ…………他とは似て非なる社…………」
朝日の作り出した木漏れ日が、スズを照らす。
まるで後光が差し込んだようなその光景を、青洲はしばらく眺めていた。
「かなざくらの古屋敷」
〜 第二三部「消える命」第5話(完全版)
(第二三部最終話)へつづく 〜




