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第二三部「消える命」第3話(完全版)

 文明ぶんめい一一年。

 西暦にして一四七九年。

 一〇年以上に渡って続いた応仁おうにんの乱は、この頃には実質的には終結していたと言ってもいいだろう。幕政ばくせいの中ではいまだその後始末が続いてはいたが、それでもすでに世の中の雰囲気は明らかに変化していた。

 スズ────金櫻鈴京かなざくられいきょう青洲せいしゅうの三つ子が産まれて一〇年。

 元々は戦乱の世をうれいたことで生まれた清国会しんこくかいは、最初の勢力の拡大の後にその勢いが止まったまま。幕府の中に影響を及ぼすことも出来ず、ただただながきに渡る騒乱の中に居続けた。当然のように清国会しんこくかいの存在意義自体が内部で議論され始めたが、それでも清国会しんこくかいを存続させられたのは金櫻かなざくら家の存在の力そのものに他ならない。

 結果として〝神〟としての金櫻鈴京かなざくられいきょうの立場は守られた。

 それに関しては誰も疑ってはいない。それだけスズの〝力〟は強力だった。その未来を見る力には誰もが平伏ひれふすしかないほど。

 もはや清国会しんこくかい発足ほっそく時の目的そのものが変わってしまっていたと言ってもいいだろう。

 みかどたてまつって世直しをするため────から、金櫻かなざくら家をたてまつって清国会しんこくかいもとの頂点とするため、に変わっていた。

 それを支持する雄滝おだき神社側の勢力と、それに疑問を持ち始めていた勢力。

 その反対勢力の中心に、恵比寿えびす神社があった。元々恵比寿えびす神社の遠藤えんどう家は清国会しんこくかい発足ほっそくする以前から大きな勢力を誇っていた。清国会しんこくかいくみしたのは決して初期ではなかったが、やはりその理由は金櫻かなざくら家の存在と、大きくなる新たな勢力の内側からの取り込み。そして恵比寿えびす神社が清国会しんこくかいに入ったことで、その派閥に入る神社も同時に清国会しんこくかいくみしていた。それでも参加したのが後続のためか、清国会しんこくかい内部での立場は決して上ではない。

 その恵比寿えびす神社の現当主、遠藤重富えんどうしげとみはまだ新しく当主になったばかり。よわいは二二。金櫻鈴京かなざくられいきょう傾倒けいとうしていた先代が急死したため、まだ若くして当主となっていた。

 重富しげとみ清国会しんこくかいでの権力を求めていた。しかし全国的にも有数の勢力を誇りながらも清国会しんこくかいいてはまだまだ新参者しんざんもの。低い立場でしかない。若さからか、他の神社からあなどられるのを恐れていた重富しげとみはすぐに動いた。

 恵比寿えびす神社よりも小さな神社でしかない御陵院ごりょういん神社を取り込もうとする。

 御陵院ごりょういん神社は清国会しんこくかいくみして一〇年余り。その力を着々と伸ばしていた。現在では二年前の改修工事で本殿も新しくなり、それに合わせるようにその名も知れ渡り始めることとなる。

 御陵院ごりょういん神社は雄滝おだき神社と同じくきもの専門の神社。

 その御陵院ごりょういん神社に、恵比寿えびす神社の遠藤重富えんどうしげとみおとずれていた。

 御陵院ごりょういん神社の当主、御陵院ごりょういん麻紀世まきよはこの時三三歳。

 麻紀世まきよ重富しげとみと同じように若くして当主となった過去を持っていた。当主となって一〇年。しかし世継ぎはまだいなかった。そのため、麻紀世まきよあせりがあったのは事実。

 世継ぎが欲しかった。

 まだ新しさの残る本殿の祭壇前。

 重富しげとみ麻紀世まきよに軽く頭を下げていた。清国会しんこくかいの上下関係としては確かに御陵院ごりょういん神社の方が上。しかし御陵院ごりょういん神社とてそれほど上位に位置している訳ではないからか、決してその程度の差をひけらかすようなことはしなかった。そのためか、御陵院ごりょういん神社、いては麻紀世まきよの評判は悪いものを聞かない。むしろ御人好おひとよしのような印象がうわさとして広がっている程だった。

 そこに重富しげとみは入り込もうとした。

 表向きはみずからが当主を引き継いだことによる挨拶あいさつ

 通されたのは本殿、本祭壇の前。まだまだ新しさの残る祭壇だが、御陵院ごりょういん神社の祭壇が一つだけでないのは伝え聞いていた。うわさでは秘儀ひぎに使用される隠された物もあるという。〝きもの〟を相手にしてきたということだけでなく、神社の規模だけで安易あんいあなどることの出来ない神社であることは重富しげとみも常々感じていた。


 ──……まこと御人好おひとよしなら有り難いが…………


 そう思いながらも、麻紀世まきよ巫女みこ姿の所作しょさは、その重富しげとみから見ても美しささえ感じさせるもの。

 麻紀世まきよ重富しげとみが当主になった話は伝え聞いていた。

此度こたびは新しき御当主となられたと伺いました」

 麻紀世まきよのそのやわらかい声に、重富しげとみは顔を上げて応える。

左様さようです。有り難きことなれど…………私にはまだまだ過ぎた立場ですよ」

「かようなことは御座いませんでしょう。同じ清国会しんこくかいとして期待しておりますよ。雄滝おだき青洲せいしゅう様も近々朝廷に取り入る御準備をしていると聞きます。いよいよ我等われらがその力を発揮出来ることでしょう。しかる時には遠藤えんどう殿の御力も重要なものとなるはず」

 すると重富しげとみは、少し声を落として返した。

「……しかしながら……あちこちであやしげな動きがあることも確か…………」

あやしげとは……おだやかではありませんね」

 麻紀世まきよは近頃の清国会しんこくかい内部での動きのことだと思った。少し前まで続いていた戦乱に乗じるかのように、清国会しんこくかい内部でも小競こぜり合いが起きていたからだ。その大半は勢力と権力を求めてのもの。清国会しんこくかい発足ほっそく時本来の目的から外れてしまった理由はそこにもあった。組織が大きくなると管理はそれに比例するように難しくなるもの。

 しかし重富しげとみの次の言葉は麻紀世まきよを驚かせた。

鈴京れいきょう様の……御子おこを欲しがっているやしろがあるとか…………」

御子おこを? 天照大神あまてらすおおみかみ様の血を欲していると言うのですか⁉︎ なんとおそれ多いことを…………」


 ──……………………


 すぐに重富しげとみが返した。

「しかしながら……もしその血を頂けたとすれば……確かに清国会しんこくかいでの立ち位置は安泰あんたい…………」


 ──………………………………


「しかしながら麻紀世まきよ様……金櫻かなざくら家の血を権力の道具にするなど許されざること……いかがでしょう……我等われらでその謀反むほんおさえては…………金櫻鈴京かなざくられいきょう様のために…………」

 重富しげとみっていた〝さく〟の通りに言葉を運ぶ。

 同時に思った。


 ──……生き残ってはいけぬ御人だな……うわさ通りの御人好おひとよしか…………


 しかし、重富しげとみのその読みは甘かった。

 麻紀世まきよの首筋を汗が伝う。

「え……ええ…………そうですね…………」

 麻紀世まきよのその声は、無意識に小さくなっていた。


 ──……ここは小さな神社……清国会しんこくかいでの立場もいまだ小さい…………


 ──……しかし……天照大神あまてらすおおみかみ様の血を手に入れられたら…………


 重富しげとみが言葉を繋ぐ。

「さすれば……滝川たきがわ家からの…………金櫻かなざくら家からの信頼も厚くなるというもの…………」


 ──……嘘だ…………遠藤えんどう家も〝血〟が欲しいはず…………


 ──…………私の真意しんいを探りに来たのか…………


 数日後、麻紀世まきよはおよそ三年ぶりに雄滝おだき神社を訪れていた。

 スズに直接会うことの出来る人間は限られている。全体から見ると早い段階から清国会しんこくかいに属していた御陵院ごりょういん神社は許されている所の一つ。それでも雄滝おだき神社をおとずれることが許されているのは当主のみ。

 麻紀世まきよは改めて雄滝おだき神社が小さな神社であることを感じた。小さな本殿があるだけ。その敷地ですら決して広くはない。


 ──……こんな小さな神社でも金櫻かなざくら家の血を引き継いだだけで…………


 スズはこの頃二〇歳ほどと言われていた。生年月日は不明。若く美しいという情報だけが先行し、それが益々〝金櫻鈴京かなざくられいきょう〟の神秘性しんぴせい拍車はくしゃを掛ける。

 三人の世継ぎもすでに一〇歳。

 男子おのこも二人の女子おなごも感情を表に出さない子供だった。まるで麻紀世まきよが初めて会った頃のスズのよう。

 その三人は雛壇ひなだんになった祭壇の一番上。中心に座るスズの隣に並んで座っていた。その一段下には青洲せいしゅう。それは金櫻かなざくら家の立ち位置を表しているかのようだった。

 とは言っても複雑な状況でもある。三つ子の二人、男子おのこ女子おなご一人はすでに夫婦めおととして滝川たきがわ家を継ぐことが決まっている。金櫻かなざくら家のみならず滝川たきがわ家の血を継いでいるというのは理解出来るが、兄姉きょうだい夫婦めおとというのは清国会しんこくかい内部でも驚きを持って受け取られていた。

 しかし、共に神の末裔まつえい。誰からも異論は出ない。

 そして、もう一人。一人の〝ひめ〟の存在が清国会しんこくかいを悩ませる。

 多くのやしろがその存在を欲しがっていた。

此度こたびは非常に重要な情報を得ましたゆえ謁見えっけんたまわりましてございます」

 麻紀世まきよは祭壇の前の板間で深々と頭を下げ続けていた。

 それに応えるのは青洲せいしゅう

「ほう……申してみよ。御陵院ごりょういん

 麻紀世まきよは僅かに頭を上げただけで応えた。

清国会しんこくかい内部に…………謀反むほんの動きがあります」

「それは聞き捨てならんこと」

 青洲せいしゅうはそう言うと眉間みけんしわを寄せて続ける。

御主おぬしはそれが誰か知っているのか⁉︎」

 僅かに声をあらげた青洲せいしゅうに対して、スズは微動だにしなかった。横の子供たちも同じ。

 麻紀世まきよは少しだけ間を空け、ゆっくりと応えた。

「…………恵比寿えびすの…………遠藤えんどう家………………」

 すると、スズの口角が少しだけ上がる。

 そして、その口が開いた。

「……大義たいぎだ…………御陵院ごりょういん…………」



      ☆



「……総て…………嘘だったと…………」

 さきの膝が力を失う。

 その体が落ちるのに合わせるように、背後の綾芽あやめは反射的に短刀をさきの首から離していた。

 さきは膝を着くと同時に、床に両手を着く。

 そして、床に向かって叫んでいた。

「────殺せ! 殺せ御世みよ‼︎ もう聞きとうない‼︎」

 この状況を予測出来ていなかった御世みよに対して、横で見ていた苑清えんせいおくすることなく叫んだ。

「なりませんぞさき様! 貴女あなた様は御陵院ごりょういん家の人間として……最後まで聞く義務がある!」

「黙れ苑清えんせい! まどわされおって!」

「逃げてはなりません! 真実は常に目の前にあったはずです!」

「信じてきた……ずっと信じてきたのだ……だと言うのに! 総てが嘘だったと言うのか!」


 ──……真実とはなんだ…………


 さきの頭に浮かぶのは、今まで〝何か〟に目をそむけていた自分自身。


 ──…………本当に何も気が付いていなかったのか…………


 ──……疑問を持たないフリをしていなかったか…………


 ──…………どうして……西沙せいさ清国会しんこくかいゆみを引いた…………


 さきは自分自身を疑った。

 もはや、自分を信じることなど出来ない。

 総ての過去をのろった。

 御世みよから語られた真実は、権力のための争いに自分の先祖が大きな加担かたんをしていた現実。

 もはや未来など見えない。

 まるで、さきの周りだけが、時が止まったような静けさ。

 その静けさの中。

 その時。

 その御世みよの声は小さくも、響いた。

「……綾芽あやめ…………さきに、介錯かいしゃくを────」

 その言葉に、西沙せいさの片足が動いた時。

 床の上で甲高い音が響いた。

 その場の空気を切り裂いたかのような、床に短刀の落ちる音。その光景に驚いた御世みよが目を見開くが、その後ろの西沙せいさはまるでこの展開を予想していたのか、動かない。

 口を開いたのは、立ち尽くす綾芽あやめを見つめる御世みよだった。

「……どうした…………早くさきを…………」

 御世みよの分身としての〝幻〟だった綾芽あやめが、今、御世みよの目を見つめている。

 御世みよき上がるのは疑問だけ。


 ──……どうして……私の言うことを聞かない……?


 綾芽あやめの後ろ。

 その綾芽あやめの頭の上には左手。

 その手に下がるのは、小さな水晶────〝火の玉〟。

 その水晶が、僅かな陽の光を反射させた。

 その光景に、御世みよが目を見開く。


 ──…………いつからそこに…………


 綾芽あやめの後ろの影の中、浮かび上がるのは────萌江もえの姿だった。

 御世みよが反射的に口を開く。

「……萌江もえ様…………貴女あなた様が綾芽あやめを…………」

「さてね」

 すぐに、そんないつもの萌江もえの声。

 その声が続いた。

「〝幻〟って、あまり長いと自我じがを持つみたいだね。だから幻のくせに記憶からは消えてくれない。それって、存在していたことと何が違うの?」

綾芽あやめは私そのものです」

 そう返していた御世みよの声には、明らかに気持ちの迷いが感じられた。

 萌江もえもそこに容赦ようしゃ無く入り込む。

「でも……綾芽あやめさんは〝自分の意思〟であなたに反抗した。どうして? 自分を生み出した御世みよの命令じゃなくて、自分を育ててくれたさきさんの命をとった…………どうして?」

 御世みよが何も返せないまま、萌江もえはその御世みよを見つめる目を鋭くさせ、続ける。

「これは……綾芽あやめさん自身の…………最大限の〝おもい〟だ」

 そして、まるでその言葉に応えるかのように、空気に溶け入る声があった。

 それは、綾芽あやめのもの。

「……母上…………総てを…………見て下さい…………」

 小さく、僅かに震えてさえいた。

 さきの耳にも届く。しかしまだ顔を上げることさえ出来なかった。誰もその表情をうかがい知ることが出来ないまま。

 やがて再び空気に広がるのは、萌江もえの言葉。

「歴史っていつもさ……権力者の都合つごうのいいように作られてきたんだよね……それは今も変わらない…………そうでしょ? 御世みよ

 その声に、御世みよの背後の西沙せいさの口角が上がる。

 萌江もえが視線を下げると、両手を着いたままのさきの横、そこには倒れて意識を失ったままの咲恵さきえの姿。


 ──……咲恵さきえ…………ごめん…………


 そう思った萌江もえの言葉が続いた。

「……私は過去を見られない……見れてもちょっとだけ。咲恵さきえにはかなわない。しかも時を超えられるわけでもないし…………でもね、私には未来の可能性が見える……それに関しては御世みよには負けない…………スズにもね…………」

 すると御世みよが、あわてたように声を張り上げる。

「…………スズは……スズは萌江もえ様の始まりの人です! 総てはスズが────!」

「スズはこうなることを望んだの? 可能性が見えていたなら……どうしてこうなる未来を選んだの? 誰かが誰かをうらんだり……誰かが誰かを殺したり…………」

「……それは…………」


「……私は…………スズじゃない」


 その萌江もえの言葉に、御世みよは声を詰まらせた。

 そして萌江もえが続ける。

「……だからさ…………こういうことは終わり…………」


 萌江もえの左手に下がる〝火の玉〟が揺れた。

 綾芽あやめのその身が、ゆっくりと薄れていく。

 しかし薄れゆく姿のまま腰を落とすと、四つんいになったままのさきの隣へ。

 綾芽あやめさきの肩に手を回した。

 そして、寄り添った。

 その姿が消える。

 あたたかかった。

 そのぬくもりを、さきだけが感じていた。

 それはさきの体の中心をあたためた。

 込み上げた何かがほおを伝う。

 止まらなかった。

 それはさきの体を震わせ、やがて床を濡らした。


 萌江もえが左手を下げて口を開く。

「確かに綾芽あやめさんは御世みよの作った〝幻〟。私たちでも見抜けなかった…………でもね、そこに意思いしのようなものは生まれていたんだと思う……それは感じたよ…………もう御世みよの分身なんかじゃなかった。だから、最後は御世みよじゃなく、さきさんに寄り添った…………その意味が分かる? もう終わりにしよう御世みよ……私には…………総てが見えたよ…………」



      ☆



 秋。

 青洲せいしゅうは着々と朝廷への繋がりを強めていた。

 何人もの公家くげに取り入り、しんの〝神〟が誰であるかを説き続ける。

 それは幕府を取り込むため。

 もと清国会しんこくかい掌握しょうあくするため。

 しんの〝神〟によってもとがまとまれば、平穏が訪れると考えた。

 それでも、敵は内側にいた。御陵院ごりょういん麻紀世まきよからの情報が真実であるかどうか、それを確かめられないまま日々が過ぎていく。

 疑惑の中心にいるのは恵比寿えびす神社の遠藤重富えんどうしげとみ恵比寿えびす神社が大きな勢力を持ったやしろであることは以前から分かっていたこと。それらの勢力を敵に回すことになるかもしれない不安はもちろん青洲せいしゅうにもあった。調べようにも、恵比寿えびすの勢力は当然のように遠藤えんどう家を守る。簡単に疑惑の一端いったんを見せようとはしない。

 しかし、朝廷への動きを早める青洲せいしゅうに危機を感じた遠藤えんどう家もあせっていた。

 そしてその動きは早かった。

 ある日の夜遅く、重富しげとみみずか雄滝おだき神社をおとずれる。

 御陵院ごりょういん神社も取り込めないままだった。その御陵院ごりょういん家の真意しんいも掴めないまま。


 ──……よもや御陵院ごりょういん家も…………


 誰かに先を越される訳にはいかなかった。何としても〝金櫻かなざくらの血〟が欲しかった。それによって得られる権力は想像を絶するものだと考えた。

 祭壇にはスズと青洲せいしゅう。スズの隣には三人の子供たち。

 その前で深々と頭を下げる重富しげとみに、スズが言葉を投げた。

重富しげとみ……〝けがれ〟が見えるぞ」

 突き刺さるようなその低い声に、重富しげとみは頭を下げたまま。

「そのような……おそれ多い御言葉…………」


 ──……本当に何かを見られているとでもいうのか…………


 まるで総てを見透みすかしているようなスズの言葉に、重富しげとみは恐怖しかない。重富しげとみ自身、金櫻かなざくら家にまつわる神話の総てを受け入れているわけではなかった。鈴京れいきょうそのものが神の末裔まつえいである証拠を重富しげとみが知っているわけでもない。それでも多くの神社を引き連れた形で先代が清国会しんこくかいに参加したのは、一重ひとえに権力のためだったと考えていた。そして、それは重富しげとみも同じ。もはや重富しげとみにとって〝神〟は権力を手にするための道具に過ぎなかった。

 その重富しげとみの言葉に返したのは、声から不安を見透みすかした青洲せいしゅう

「世継ぎか? 恵比寿えびすは最近代替(だいが)わりを済ませたばかり……しかし……元々恵比寿(えびす)は広い勢力を持つやしろではないか」

 青洲せいしゅうは言葉を選んだ。重富しげとみの言葉から何かを探ろうとしていた。どうして今夜ここに来たのか、その真意しんいを知りたかった。

 その重富しげとみも言葉を選ぶ。

「……おそれながら…………金櫻かなざくら様の血筋にまさるものはございますまい」


 ──……やはり遠藤えんどう家は…………


 青洲せいしゅうがそう思った時、その上からスズの声。

われの子が欲しいと申すか?」

 スズは言葉を選ばなかった。駆け引きをするようなことはしなかった。

 重富しげとみは頭を下げたまま。

 その体に汗がにじむ。

 同時に、気持ちの中の何かが震えた。

 スズの言葉は重富しげとみの予想に反するものばかり。

 そのスズの言葉が続く。

「〝血〟が欲しいか……だいそれた話よのう重富しげとみ…………ては清国会しんこくかいが欲しいのか」

「──いえ……そのような…………」


 ──……どうする…………


 更なるスズの言葉が重富しげとみを刺激した。

が〝予見よけん〟に遠藤えんどう家はおらぬ」

 その言葉に、重富しげとみの中の何かが音を立てる。


 ──……気付かれているなら……迷っている時間は無い…………


清国会しんこくかいの力は今や朝廷にも影響を及ぼすもの……歴史に名を残すことになりましょう……」

 そう言った重富しげとみが体を上げた。

 直後、本殿前の参道がざわつく。

 何人もの足音。

 その音が途端とたんに空気を揺らす。

 そこに現れたのは重富しげとみが引き連れてきた二〇名ほどの従者じゅうしゃ

 しかもそのいずれもが帯刀たいとうしていた。

 重富しげとみが続ける。

「これからは……遠藤えんどう家が金櫻かなざくら家をたてまつりましょう」

 そして片膝を立てた。

 その光景に、スズは顔色すら変えない。

 青洲せいしゅうが立ち上がって叫ぶ。

「────やはり貴様の謀反むほんまことか‼︎」

 それに返す重富しげとみは冷静をよそおった。

謀反むほんではございません。総ては天照大神あまてらすおおみかみ様の血筋をまもるため。滝川たきがわ家のやり方では生ぬるいと申しております」

 しかし、その背後で空気が揺れた。

 参道から聞こえるうめき声。

 かたな鍔迫つばぜり合いの音。

 予想外の音に重富しげとみが振り返ると、従者じゅうしゃの群れがうごめいていた。

 かたなの音と怒号どごう

 ざわつきが松明たいまつあかりで揺れる闇を埋め尽くしていく。

 重富しげとみが腰を浮かせると、その目に映るのは、かたなを振り上げた御陵院麻紀世ごりょういんまきよの姿。

 その背後には数十名の御陵院ごりょういん家の従者じゅうしゃたち。

「────御陵院ごりょういんか‼︎」

 重富しげとみが叫んでいた。

 小さく呟くのはスズ。

御人好おひとよしが……いさましいものだな」

 その口元に笑みが浮かび、やがて、みだれる人の波が本殿に上がり始めた。


 ──……やはり寝返ったか麻紀世まきよ…………!


 そう思った重富しげとみあせりを隠せないままに動いた。

 祭壇前の階段に足をかけたかと思うと、スズの子供の一人────女子おなごの腕を掴んだ。

 青洲せいしゅうが僅かに動いた直後、重富しげとみの体を一本のかたなつらぬく。

 重富しげとみの背後に近付いた、麻紀世まきよかたな

 麻紀世まきよがそのかたなを引くと、重富しげとみうめき声を上げながら絡み合う人の波の中へ。

「私がお守りを!」

 そう叫びながら麻紀世まきよがスズへ顔を振る。

大義たいぎ麻紀世まきよ────御陵院ごりょういんにはが子をあたえようぞ!」

 そのスズの言葉に、麻紀世まきよは振り返って声を張り上げていた。

鈴京れいきょう様を守れ‼︎ 裏切り者を殺せ‼︎」

 その目は、血走ちばしる。

 大きく見開かれていた。

 多くの人がみだれ、本殿が血に濡れていく。

 空気が怒号どごうに包まれた。


 その騒乱そうらんまぎれ、スズと青洲せいしゅうは姿を消す。

 麻紀世まきよはスズの指示通りに御陵院ごりょういん家に女子おなごを一人。

 残る二人の夫婦めおと滝川たきがわ家を継いだが、まだ幼く、しばらくは御陵院ごりょういん家が支えていくこととなる。

 雄滝おだき神社と御陵院ごりょういん神社の深い繋がりの始まりだった。

 重富しげとみかろうじて死をまのがれたが、御陵院ごりょういん家は金櫻かなざくら家の血を継いだことで力を増し、結果的に恵比寿えびす神社の遠藤えんどう家は清国会しんこくかいでの力を失う。しかし、元々の恵比寿えびす神社の派閥内で、清国会しんこくかいへの反発心が広がっていった。


 やがてスズと青洲せいしゅうは地方の小さなはい神社にきょを移した。

 そこは最初の〝唯独ただひと神社〟。

 そして、金櫻かなざくら家の血がつむがれていく。

 しかし、歴史の表舞台からは、姿を消すこととなった。



      ☆



「……結局……その後は雄滝おだき神社が加藤かとう家をき付けて恵比寿えびす神社を取り込みます…………」

 御世みよの声が空中に漂った。

 そこに、その背後から西沙せいさの声。

「それが蛭子ひるこ神社の原点か…………歴史なんて…………嘘ばっかりだ…………」

 それを萌江もえが拾う。

「……本当の歴史なんて誰にも分からない……そして私たちはその嘘に振り回された……滑稽こっけいだよね」

「しかし……」

 そう口を開いた御世みよの震える声が続いた。

「……萌江もえ様が金櫻かなざくら家最後の末裔まつえいであることは事実────」

「だから?」

 萌江もえが声のトーンを上げて続ける。

「だから何? それがなんだって言うの? もう終わりにしようよ…………こんなあらそいに何の意味があるの?」

「スズのために────」

御世みよ…………あなたはあの島で清国会しんこくかいに触れることになって……スズの存在を知って……スズのために清国会しんこくかいへの復讐を誓った…………そして……総てを終わらせようとした」


 ──…………スズは…………何も悪くない…………


 御世みよの頭にそんな言葉が浮かび、口が動きかけた時、続く萌江もえの声が空気に流れた。

「みんな殺せば……総て終わるの? 総てスズのため?」


 ──…………違う…………


 その御世みよの心の声は、萌江もえに聞こえないわけがない。

「……違うよね……そうだよね。これは御世みよの復讐でしょ? スズに利用されたわけでもない。あなた自身の復讐…………そのためにスズという〝神〟が欲しかっただけ。でも、ろくに顔も見せない神なんか……私はいらない…………私は99.9%……神なんか信じない…………」

 御世みよが言葉を詰まらせる。


 ──……まさか私も……スズを本物の神だと思っていたのか…………


 ──…………これでは…………清国会しんこくかいと何が違うと…………


 そして、参道から、小さな足音が聞こえた。

 参道に群がっていた従者じゅうしゃたちが道を開ける。

 全員が、反射的にその足音へ顔を向けていた。





          「かなざくらの古屋敷」

    〜 第二三部「消える命」第4話(完全版)へつづく 〜


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