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第二一部「堕ちる命」第5話(完全版)(第二一部最終話)

 八頭鴉島やずがらすじま

 その中心たる大黒天だいこくてん神社。

 この夜、その本殿にて〝予見よけん〟の祈祷きとうが行われていた。

 縦に長い本殿の中心が通常の祭壇。そしてその奥、本殿の一番奥にもう一つ、より大きな祭壇があった。そしてその祭壇が塞いでいたのが〝守神しゅしん〟の扉。

 この夜の祈祷きとうに使われていたのは中心の祭壇。誰にとっても慣れた場所でもあった。

 中心になるのは大神主おおかんぬし宮津守光歩みやづのかみこうふ

 光歩こうふの長男で内神ないかん一位の宮津守宇城みやづのかみうじょう

 他の神職しんしょく官吏従かんりじゅ一位の七尾美重季ななおみしげすえ官吏従かんりじゅ二位の高津宮延輝たかつのみやのぶてる、他、官吏社かんりしゃ従者じゅうしゃが三名。

 その場を取り仕切っていたのはもちろん光歩こうふだったが、実質的に〝予見よけん〟の中心となっていたのは宇城うじょう宇城うじょう自身も結果を出せていなかった近頃の不甲斐ふがいなさもあり、あせる気持ちをおさえながらも祈祷きとうおもむいていた。

 次男の宇道うどうが自分の立ち位置を狙っていることには以前から気が付いていた。そのためにみずからの派閥勢力を拡大させていることも知っている。次の〝大神主おおかんぬし〟の立場を不動のものとするためには、どうしても今夜の結果が必要だった。

 頭に浮かぶは〝黒いきり〟。

 まるで手探りの中、時間に比例して疲労だけが蓄積していく。

 すでに三時間程が経過していた。

 疲労もあるのか、祭壇の前に座っている自分の体が、すでに自分の物ではないような感覚すら覚えた。


 ──…………まだ……〝守神しゅしん〟がある…………


 閉じたまぶたの向こうからの松明たいまつらぎが神経を刺激していた。

 その炎の向こうには〝守神しゅしん〟の前にあるもう一つの祭壇。

 誰も中を見たことがない部屋────〝守神しゅしん〟の前。

 宇城うじょうが立ち上がった。

 その衣擦きぬずれの音に、横の光歩こうふと背後の全員が顔を上げる。

 宇城うじょうは祭壇の横を回り、奥の祭壇へ。

宇城うじょう様!」

 重季しげすえが声を張り上げると、宇城うじょうは振り返り、父である光歩こうふに顔を向ける。

「見ていてくだされ父上。私が〝見て〟みせます! 松明たいまつれへ!」

 その姿に、光歩こうふは口元に微かに笑みを浮かべる。

 守神しゅしんの大きな扉。その前に扉を塞ぐようにして置かれた大きな祭壇。その横には松明たいまつ燭台しょくだい従者じゅうしゃが慌てた様子でその燭台しょくだい松明たいまつを移した。いくつかのまきを追加すると、まるで生き物かのようにまたたく間に炎がうずを巻く。あまりの火の回る速さに、従者じゅうしゃたちは禍々《まがまが》しさだけでなく恐怖さえ覚えた。

 そして、全員が宇城うじょうの後ろに集まった。

 宇城うじょうは祭壇前の板間に膝を降ろすと、両手の指を絡ませて目を閉じる。

 先程までとは違う。

 形にならない〝異形いぎょう〟のものが見え始めた。

 しかしそれは、暗く、重々しい。

 やがてそれは、荒々しい炎のように荒れ狂う。

「……〝きょう〟……今宵こよい…………」

 宇城うじょうが荒い息で言葉を絞り出した。

 松明たいまつの灯りが激しくらめく中、空気がざわつき始める。

 返すのは延輝のぶてる

「…………今宵こよい……今宵こよい菊花きっかが咲くと申されますか…………」

 すると、宇城うじょうの背後にいる光歩こうふが低い声を響かせた。

「──良い。従者じゅうしゃに調べさせい。菊花きっかを見付けしだい報告を……」

 そして、三人の従者じゅうしゃが慌てて本殿を飛び出していく。

 外は闇。

 月灯りは薄い。

 重季しげすえの指示で各社かくしゃ松明たいまつが照らされ、しだいに集落は激しくれる灯りに包まれた。


 その頃、光歩こうふの次男────宇道うどうは十五(しゃ)の祭壇前にいた。

 他には官吏社かんりしゃ従者じゅうしゃが五名。いずれも宇道うどう信奉者しんぽうしゃだった。

「……宇城うじょう兄様あにさまには退しりぞいてもらうしかない…………そのためには貴様達が必要となるであろう。今宵こよい…………の刻……朝までには兄様あにさまの御屋敷をはいにする。良いな」

 宇道うどうは兄である宇城うじょうを失脚させる機会を以前からうかがっていた。

 しかも、例え命を奪うことになろうとも、とまで考えていた。

 そのために何人もの従者じゅうしゃを密かに引き入れ、まるで派閥のようなものを作り上げていた。そのために多くの金銭も回した。すでに人数はおよそ三〇人。父の光歩こうふですら平伏ひれふすであろう勢力になっていた。年齢的にも後数年で大神主おおかんぬしの交代があると思われた。その時の為に、宇道うどうは今動くべきと考えた。

 そして、やしろの周り。

 さわがしく人が走り回る足音が響き始める。

 従者じゅうしゃの一人が板戸を少し開けると、そこには松明たいまつを手にした者たちが何人も走り回っていた。驚いた従者じゅうしゃが立ち上がって板戸を素早く開け放つ。

「────何事なにごとであるか⁉︎」

 すると、外の従者じゅうしゃが駆け寄って片膝を着く。

 そこに本殿の奥から宇道うどうが顔を出した。

 それを見た外の従者じゅうしゃが声を張り上げる。

「二位様⁉︎ 一位様の予見よけんが出まして御座います!」

「一位の……⁉︎」

 宇道うどうはその言葉に、眉間みけんしわを寄せて続けた。

「話せ」

今宵こよい────」

「──今宵こよい⁉︎」

「〝きょう〟」

 その従者じゅうしゃの言葉に宇道うどうは外への階段を駆け降りていた。

「────父上も一緒であるか⁉︎ 確かめてくる!」

 黙ってはいられなかった。実際に今夜中に伝承でんしょうが起こるならば、宇道うどうの計画は総てがまた一からともなりかねない。これまで周到に準備をしてきた。信奉者しんぽうしゃを集め、宇城うじょうの派閥に入る従者じゅうしゃにも手を回していた。そして今夜は祈祷きとうの夜。宇城うじょうも父の光歩こうふも疲れ切って寝静まるはず。

 今夜しかないと思えた。


 ──……確かめなくては…………


 その時、遠くからの声。

「────菊が! ……菊が!」

「……馬鹿な……」

 宇道うどうは無意識の内に呟いていた、

 視線を向けた先、そこには一面の菊の花────。

 そして、その香りが風に乗り、一気に空気を埋め尽くす。

「……いつの間に…………」

 宇道うどうの足は、すぐには動かなかった。



      ☆



 すでに島の至る所が菊の花に包まれていた。

 その中を走る二人の姿。

 八重津佐江沙やえずさえさ高津宮延拍たかつのみやのぶはく

 夕暮れ時、お互いの関係がそれぞれの家族に発覚していた。家族に詰め寄られ、やはり許されない関係であることを再認識する。

 そしてまるで示し合わせたように二人は家を抜け出した。お互い確信があったわけではない。しかし自分の家族に発覚したということは相手もまた同じと考えた。

 先に取り決めておいた集落の門の外に先に来ていたのは延拍のぶはく

佐江沙さえさ殿────!」

 延拍のぶはくは走り寄る佐江沙さえさの手を取った。

 佐江沙さえさが息を切らしながら言葉を絞り出す。

「……やはり……延拍のぶはく様も…………」

「…………さすれば……迷ってはいられません…………」

 延拍のぶはくは唇を噛み締めていた。

 二人が手を繋いで向かったのは、広い丘にある小さなほこら。古いほこら。普段から人が立ち寄るような場所ではなかったが、そのためもあり、二人でよく会っていた場所だった。

「……伝承でんしょうは……本当でしたね…………」

 周囲が菊の花に包まれたほこらの前で膝を着き、息を切らしながら佐江沙さえさが口を開いていた。

「まさか今宵こよいとは…………されど……戻ることは叶いません……」

 延拍のぶはくも息を切らしながら応える。

 〝菊花伝説きっかでんせつ〟の伝承でんしょうの本質が何か、もちろん二人は知らない。その時に起こると言われる〝悲劇〟がどんなものなのか、二人には予測など出来るはずがなかった。

 しかし今の二人にとっての大事なものは違った。

 ただ、二人で一緒にいたかった。

 例え家族に否定されても、もはや気持ちにあらがうことは出来なかった。

「……はい…………気持ちはるぎません…………」

 そう応える佐江沙さえさの目を見ながら、延拍のぶはくが小さくうなずく。

 延拍のぶはくふところに手を入れると、二本の短刀を取り出した。

 その一つを佐江沙さえさへ。

 二人は同時にさやを取り、そのさやは地面で鈍い音を立て、菊の花弁かべんを散らす。

 お互いの関係が発覚した場合のことは、以前から二人で決めていた。

 島では絶対に受け入れてもらえない二人の関係。このままでは結ばれる可能性が無いことはお互いに理解していた。

 菊の花の香りが辺りの空気を包み込む中、二人はお互いの胸に短刀の刃先を当てる。

 二人は〝来世らいせ〟に未来を見ていた。

 そして佐江沙さえさが目をうるませ、ゆっくりと口を開く。

「……再び…………一〇〇年後に…………」

 無意識だった。

 佐江沙さえさ自身、自分のその言葉に驚いた。

「…………ふたたび……?」

 目を見開いて呟く。

 延拍のぶはくも驚いて返した。

「……佐江沙さえさ殿…………再び……とは…………」

「………………再び………………」

 その佐江沙さえさの目から涙が零れ落ちていく。

 〝何か〟が気持ちをさぶった。その〝何か〟は、自分のようで自分ではない。そしてあまりにも長い歴史が気持ちの中心でうずを巻く。

 佐江沙さえさは震える声で続けた。

「…………どうして…………いつも一緒には……いられないのですか…………登盛とうせい様…………」

 そして、言葉を漏らす延拍のぶはくも、無意識だった。

「…………ミヨ………………」

 そして、二人の頭に声が響く。


『……もう…………終わりにしよ…………』



      ☆



「────火をはなて!」

 宇道うどうが叫んでいた。

 その指示で、周囲を走り回る従者じゅうしゃたちが足元の菊の花に火を付け始める。

 しかし切りが無い。

 とても焼き払える量でもない。

 すでに宇道うどうはまともな精神状態ではなかったのだろう。

 兄である宇城うじょう退しりぞけるための計画は、今夜だった。

 長い間、待ち続けた時。

 しかしそれは〝悲劇を呼ぶ伝承でんしょう〟によってはばまれる。

 宇道うどうにもその悲劇の本質は見えていなかった。

 これから何が起こるのか────誰にもそれが見えないまま、菊の花を燃やす火が周囲の建物に移り始めた。

 もはやパニックとなっていた。

 広がり、大きく立ち登る炎がさらに広がっていく。

「燃やせ! 燃やせ!」

 そんな宇道うどうの声とは別に、多くの建物から人々が飛び出した。

 悲鳴や怒号どごうが広がっていく。

 井戸からの水を汲んで火を消していた従者じゅうしゃもいたが、その井戸の周りの菊も炎に包まれる。


 燃え広がる炎は、やがて本殿へと移り始めた。

 すでに光歩こうふ宇城うじょう、その他全員が本殿から外に避難していたが、空気の乾燥が進んでいる季節。あっという間に広がる炎になすすべもない。

 しかも広がる炎は、みずから風を巻き起こした。

 誰もが、ただ呆然と立ち尽くす。

 大黒天だいこくてん神社は島の中心。何よりも大事にされてきた場所。神にまもられた神聖なる場所。そこが今、目の前でその全体が炎に包まれていく。

 そして立ち尽くす光歩こうふたちの背後から、足音。

 全員が振り返ると、そこにいたのは二人の女性の姿。

 萌江もえ咲恵さきえだった。

 周囲に火のが舞う。炎が作り出す空気のうねりが、その火のを風に乗せた。

 光歩こうふたちは呆然と二人を見ているだけ。

 萌江もえ咲恵さきえも、炎に包まれる本殿を見ながら、それでも落ち着いた表情のまま。

 二人の髪が、火のと共にれる。

 最初に口を開いたのは、光歩こうふたちに視線を落とした咲恵さきえだった。

われらは金櫻かなざくら家の者…………本殿奥に安置あんちされている〝即身仏そくしんぶつ〟に会いに来ました」

 その咲恵さきえの声に、見たこともない人間であるにも関わらず、重季しげすえが声を張り上げる。

「……か……金澤かなざくらだと⁉︎ 馬鹿な……当にそんな血筋は────」

「血筋は途絶えてはいません…………我々の中にあります」

 そう応える咲恵さきえの低い声は、その場の全員を黙らせるには充分だった。

 そして、萌江もえの左手と咲恵さきえの右手が真っ直ぐ上がる。

 そこには〝火の玉〟と〝水の玉〟。

 光歩こうふが目を見開いて口を震わせた。何かを言おうとしているが、その言葉が出ない。

 そんな中で、咲恵さきえが続けた。

「ご存知ですよね…………大黒天だいこくてんが守ってきた三宝さんぽうの一つ…………でも、それはここにあります…………」

「馬鹿な!」

 反射的に叫んだ宇城うじょうが続ける。

まがい物だ! 我等われら三宝さんぽうなら守神しゅしんに古くから────!」

「────いな……」

 その声は宇城うじょうの言葉を遮った光歩こうふのものだった。

 その声がゆっくりと続く。

「…………偽物にせものではない…………」

 必ず、と言えるだけの確信が光歩こうふにあったわけではない。しかし光歩こうふは感じるままに言葉にしていた。

 そして、それを咲恵さきえが繋ぐ。

「扉の鍵を持っているのはあなただけです…………見てみたかったんですよね…………最近のはず…………何日前ですか? 鍵を開けたのは」

 全員が驚いた表情で光歩こうふに顔を向けた。


 ──…………父上…………


 光歩こうふは震える目で咲恵さきえを見続ける。

 咲恵さきえの言葉が続く。

「水晶なんて……どこにも無かった…………あなたは知っていたはずです……ですが、おかげで私たちはここの存在を知ることが出来た…………あなたが扉を開けてくれたお陰で、その中の〝即身仏そくしんぶつ〟が私たちを呼んだ…………あなた方が守ってきた〝結界けっかい〟が開いた…………」

「…………そんなことが……」

 そう呟いたのは宇城うじょう

 続く宇城うじょうの言葉が周囲に漂う。

「……誰も開けた者はいなかったはず……それなのに水晶が……まさか最初から…………」

「そうです」

 そう返した咲恵さきえが続ける。

金櫻かなざくら家と水晶を取り込めれば清国会しんこくかいに復讐出来ると御先祖は考えていた…………その時に水晶を安置あんちしようと思っていた…………でもそれが叶わないままにいくさに負けた…………自分たちの側に〝しん〟があると後世にも伝え続けるために、どうしても必要だった〝嘘〟……だから誰も部屋に入ることを許されなかった。本当にあったのなら水晶だけで良かったはず…………その嘘を〝結界けっかい〟で包むために〝即身仏そくしんぶつ〟を作った…………だから……それも二つ…………」

 そして、その言葉に、光歩こうふが膝を落とした。

 そして呟く。

「…………天照あまてらす様は……我等われらに…………」

 その言葉に反応したのは、咲恵さきえの横で黙っていた萌江もえだった。

「…………まだ……そんなこと…………」

 その声に、その場の空気が凍りつく。

「……会ったこともない神様なんか…………そのために二人の子供まで人柱ひとばしらにして…………お前たちは清国会しんこくかいか⁉︎ それとも八頭鴉やずがらすか⁉︎ 何が違うと言うんだっ‼︎」

 そして萌江もえは、震えた唇を噛み締める。

「……私は金櫻かなざくら家最後の血筋として二人の御魂みたまとむらいに来た……道を開けろ…………そこをどけ‼︎」



      ☆



 そこにはゆるやかな風が流れていた。

 菊の花の香りだけが辺りを包む。

 そして、短刀を握る佐江沙さえさ延拍のぶはくの手に添えられた小さな手。

 いつの間にか二人の横には、幼いかえでの姿があった。

「……もう……終わりにしよ…………私も、もう見たくないよ…………」

 佐江沙さえさ延拍のぶはくはお互いの目を震えた目で見ていた。

 佐江沙さえさの中の〝ミヨ〟。

 延拍のぶはくの中の〝登盛とうせい〟。

 六〇〇年、ずっと待ち望んできた。

 かえでの声が続く。

「……何度も出会って…………何度も引き離されて……もういいよ…………もう苦しまなくていい…………」

 そして、かえでとは違う別の手が、佐江沙さえさ延拍のぶはくの手から短刀を取り上げた。

 それはいつの間にか現れた西沙せいさ

 二人とも抵抗すらしない。

 驚いてもいなかった。

 そして、菊の花の中で膝を落とした西沙せいさが、短刀を後ろに置いて口を開く。

「……〝御世みよ〟…………あなたはもう充分に苦しんだ…………もういいよ……もう休んで…………」

 そしてその西沙せいさの背後から杏奈あんなの声。

「後は、私たちで……」

 すると、佐江沙さえさが小さく口を開ける。

「……もう……いいの?」

 そのほおを涙が伝う。

 佐江沙さえさ西沙せいさに顔を向けて続けた。

「…………八頭鴉やずがらすに私達の〝想い〟はおさえ込まれた…………どうして? 清国会しんこくかいがいなければ……清国会しんこくかいさえいなければ! ここで登盛とうせい様と…………死んでも生き続けられたのにッ‼︎」

 西沙せいさ佐江沙さえさの肩に手を乗せ、返す。

「もう大丈夫……二人はここで、これからも生き続けられる……というより、生きて…………もう苦しむ必要はないよ…………」

「…………私の……生きる意味は…………生きる意味を教えて下さい…………」

 すぐには、西沙せいさは応えられなかった。

 誰にもそんなものは存在しないと思っていたからだ。与えられるものではない。自分で見付けるもの。意味を持って産まれてくる者などいない。その意味を作り出すのは自分であり、自分の中にしか存在しない。それを生み出せる者もいれば、生み出せない者もいる。それが世の摂理せつりだと考えていた。

 だから誰もが、それを求める。

 そして、ミヨはそれを、六〇〇年の間求め続けていた。

 やがて、ゆっくりと西沙せいさが言葉を繋ぐ。

「…………生きて…………これからもここで生き続けて…………二人で…………もう、誰も二人を引き離したりなんかしない…………その未来を見た人のことを私は信じる……それが誰か……今のあなたなら、分かるよね」

 佐江沙さえさが目を細め、柔らかい笑みが僅かに浮かんだかと思うと、その両目から大粒の涙が溢れていた。

 西沙せいさかえでに顔を向ける。

かえでちゃん、二人が避難出来る場所は?」

 するとかえではすぐに応えた。

「あるよ。海の近くに洞窟があるの」

「ありがとうかえでちゃん。二人を案内してあげて」

 そこに杏奈あんなが挟まる。

「私と西沙せいささんは萌江もえさんと咲恵さきえさんを追いかけるから……後はお母さんに任せて」

「うん!」

 満面の笑みで声を張り上げたかえでが、佐江沙さえさ延拍のぶはくの手を持って促す。

 二人は立ち上がると、合わせて立ち上がった西沙せいさ杏奈あんなに深々と頭を下げた。

 そしてかえでに手を引かれて足早に海に向かいながら、それでも何度も振り返る。

 二人とも、その表情は柔らかい。

 それでもまだ不安はあるのだろう。この先の結果は、まだ二人には見えていない。

 西沙せいさ杏奈あんなに振り返った。

 そして小さくうなずく。

 そして二人が顔を向けた先には、燃え広がる炎の海。

 その朱色しゅいろが、空までも大きく染めていく。



      ☆



 松明たいまつの炎が激しく暴れる。

 周囲の壁や天井にも火が見え始めているからだろうか。まるで呼応するかのように風を巻き上げていた。

 萌江もえ咲恵さきえはその状況におくすることもなく、本殿の祭壇の裏へ。

 背後からは宇城うじょうの声が聞こえた。

「危険だ! 焼け死ぬぞ!」

 それでも二人は〝守神しゅしん〟の前へ。

 しかしその扉の前には大きな祭壇。

「誰か手を貸しなさい! これをすぐにけて!」

 あくまで冷静な萌江もえの声。

 しかし背後の従者じゅうしゃたちはその声に凄みを感じ、震える手で従った。

 五人の従者じゅうしゃが重い祭壇を横に動かすと、そこに現れたのはすすおおわれて黒くなった大きな扉。

 萌江もえがその扉の取っ手に手を掛けると、背後から光歩こうふの声がした。

「────鍵は私しか持っていない! どうやって開けるおつもりか⁉︎」

 すると、振り返ったのは咲恵さきえだった。

「問題ありません。鍵は内側から開けられるので」

「……内側……⁉︎」

 驚く光歩こうふを無視し、萌江もえが取手を引く。重々しい音。木と木がこすれ合う音。その強い抵抗は歴史の長さを感じさせるには充分なものだった。

 そして、途端に手に伝わる響きが幾分いくぶん軽くなる。

 扉の向こう、そこには、人影。

「お待たせ」

 その萌江もえの言葉に笑顔で返した人影は、しずくだった。

「五〇〇年待ちましたよ」

 しずくはその能力で時を超えていた。守神しゅしんの部屋が作られた時から、そこに忍び込み、この時をずっと待っていた。

 そのしずくが二人を中に促す。

 そして萌江もえが柔らかい表情をしずくに向けた。

「ありがとうしずくさん。もう少し付き合ってもらうことになるけど…………」

「問題ありません。娘はすでに戻りました。西沙せいささんと杏奈あんなさんもこちらへ向かっています」

「さすが千里眼せんりがん。じゃあ、ここで間違いないのね」

 言いながら萌江もえが足を進める。

 小さな部屋だった。

 採光さいこう用の窓でもあるのか、僅かに月灯りが差し込む。

 不思議と静かだった。部屋の外はすでに炎に包まれかけているというのに、この部屋の中ではその熱すら感じない。まるで別空間のようだった。

 部屋の中央には小さなほこらが二つ。

 それぞれ四本の木の足で床からは高い。どちらも観音開きの扉が閉められたまま。

 その前には小さな机があり、その上に鏡面きょうめんを上にした銅鏡どうきょうが一つ置かれているだけ。その鏡面きょうめんはとてもかがみとは思えないほどににごっている。

 咲恵さきえが口を開いた。

「……よく五〇〇年もこのままで…………本当にあの人が開けるまで誰も入ってないの?」

 しずくが応えた。

「ええ……誰も…………たまの掃除は私がしてました。時間を持て余してましたから」

 そうしずくが応えた直後、萌江もえほこらの扉に手を掛けた。

 その光景を見ていた咲恵さきえに緊張が走る。

 それでも、その気持ちにあらがうつもりはない。

 そして、扉がゆっくりと開けられていく。

 そこには高さが五〇センチほどのミイラ────即身仏そくしんぶつ

 ほこらには二つとも、同じくらいの大きさの即身仏そくしんぶつ座禅ざぜんを組んだような姿で納められていた。

 やがて、しばらくそれを見ていた萌江もえが、ゆっくりと呟く。

「……子供を殺してから…………この姿勢にしてミイラにした…………」

 萌江もえには何が見えたのか、その言葉に、咲恵さきえの中にその光景が浮かんだ。

 そして体が震えた。

 非情にも、萌江もえの言葉が続く。

「…………そんな簡単に出来るはずがない…………成功するまで…………何人殺されたんだろう…………」

 それに返すように咲恵さきえが重い口を開いた。

「……仏教の考えを取り込んでまで…………信仰しんこうなんかのために…………」

「…………でも…………生贄いけにえと何が違うっていうの…………」

 そう応える萌江もえの目に涙が浮かんでいた。

 月灯りを反射したその涙は、やがて床に落ちていく。

 萌江もえは二つの即身仏そくしんぶつに、右手と左手をそれぞれ添えて続ける。

「……ごめんね…………こんなに遅くなっちゃって…………」


 ──……ずっと……見付けて欲しかったんだね…………

 ──…………これからも……一緒だよ…………


 その直後、室内に甲高い音が響いた。

 見ると、机の上に置いてあったはずの銅鏡どうきょうが床へ。

 いくつにも割れたその姿は、まるで何かの答えのようにも見えた。

 それを見たしずくが呟く。

「……神の姿を映すかがみ…………」


 ──……何を……映し続けて来たんだろう…………


 咲恵さきえがそう思った時、三人の背後から声。

「…………すいません……」

 三人が振り返った時、開いたままの扉の所に立っていたのは杏奈あんなの姿。その背後には炎がうずを巻く。杏奈あんなは視線を落としたまま。

「……間に合いませんでした…………」

 その言葉に、三人は誰もがその意味を察した。それでも取り乱しもせず、三人は杏奈あんなを促して守神しゅしんの外へ。

 燃え盛る炎は足元、目の前を埋め尽くしていた。

 しかし、誰も慌ててはいなかった。

「ここを抜けるには人数が多過ぎます……私は先に戻りますね。後をお願いします」

 それだけ言ったしずくの姿がきりのように消える。

「相変わらず去り際が素敵ね」

 そう言った咲恵さきえの右手────〝水の玉〟から、水が溢れる。

 その水はまるで生き物のように周囲を飛び回り、三人の周囲の火を消し、道を作っていく。


 ──……これが現実の光景なんてね…………


 咲恵さきえがそんなことを思っている内、やがて三人は本殿の外へ。背後からの熱風に押されるように階段を降りると、そこには、西沙せいさが立ち尽くしていた。

 その足元に広がるのは、何人もの、倒れている狩衣かりぎぬ姿の男たち。

 そして広がる血の匂い。

「…………ごめん…………遅かった…………」

 そう言う西沙せいさが顔を上げた。

 男たちは誰もが小さな刃物をみずから首に刺し、すでに動かない。

 その光景を見下ろしながら、返すのは萌江もえ

「……こういう道しか選べない人たちがいる…………二人のせいじゃないよ…………これも一つの未来だっただけ……」

 それは、萌江もえに見えていた、一つの形。

 それでも萌江もえは両手のこぶしを強く握りしめていた。

 左手の中には〝火の玉〟。


 ──…………こんな……水晶なんか…………


 それに呼応こおうするかのように、本殿が大きく音を立てた。

 屋根が崩れていく。

 大きな火柱が上がる。

 そこに、呆然とした表情の男が近付いた。

 覚束おぼつかない足取りの宇道うどうだった。

 服のあちこちがすすにまみれ、もはやその目に生気せいきは無い。

 燃え盛る本殿を見上げながら、まるで呟くように声を漏らした。

「…………父上…………兄上…………三宝さんぽうが……燃える…………」


 ──……この人の未来も……同じか…………


 萌江もえの頭に、短い未来が見えていた。


 周囲は炎の海。

 いつの間にかそれは、すでに島のほとんどを埋め尽くしていた。


 四人は桟橋さんばしを目指して走る。

 菊の香りを炎の香りが追いかけた。

 海が見えた。

 すでに海岸線まで届いている炎もある。

 空が明るく照らされていた。

 崖の下。

 小さな洞窟が見えた。

 周囲を炎がおおい尽くしているにも関わらず、そこには波が打ち寄せ、炎におおかぶさるようにして打ち消していた。


 ──…………大丈夫…………〝水の玉〟が守ってくれてる…………


 萌江もえはそう感じた。


 その頃、桟橋さんばしの前で停泊している船があった。

 船の上には燃え盛る島を呆然と見上げる祥子しょうこの姿。


 ──……何が起きてるんだ……あいつらホントに巫女みこか…………⁉︎


 空が明るくなってくる時間とはいえ、それ以上に炎が空を明るく照らす。むしろその明るさで空が暗く見えるほど。


 ──…………まずいな……これじゃ海保かいほが駆けつける…………


 そして、桟橋さんばしに向かって走る人影を見付けると、慌てて船を着けた。

 祥子しょうこが叫ぶ。

「急げ!」

 四人が無言で船に乗り込むと、波を蹴るようにして船が走り始め、祥子しょうこが再び叫んだ。

海保かいほが来る! 飛ばすよ!」

 すると、その背後から落ち着き払った杏奈あんなの声がした。

「大丈夫ですよ……この船は見付かりません」

「どういうことだ⁉︎ 何を根拠こんきょに────!」

「不思議なことって…………あるんですよ…………」


 そして、船の後ろで息を切らす萌江もえに、咲恵さきえが声を掛けていた。

「……大丈夫?」

 純粋な気持ちだった。

 何かを解決したことで、同時に何かとの決別を余儀よぎなくされる。何度も二人はそんな経験をしてきた。それが正しい選択だったのかどうか、分かる者はいない。

 いつも残るのは結果だけ。

 萌江もえはゆっくりと応えた。

「……うん…………〝血〟より濃いものがあるって……あの子たちが教えてくれた…………私はあの子たちを絶対に忘れない…………それで、いいと思うんだ…………」

「私には、まだよく分からなくて…………答えなんか誰にも分からないんだろうけど、でも自分をどこまで信じたらいいのか…………」

 その咲恵さきえの声はあくまで優しかった。

 西沙せいさがその咲恵さきえの言葉に顔を上げる。

 誰もが不安だった。咲恵さきえのその珍しい弱気にも聞こえる言葉に、さらにそれが増幅される。

 それでも萌江もえは、咲恵さきえの声に、その手を握って言葉を返した。

「今はそれでいい…………あの島は若い二人に任せよう…………これから子供たちがいっぱい産まれるからね…………みんな何百年も待ってた…………もう……菊の花は咲かないよ」

 それは間違いなく、萌江もえが見た未来。

 その未来の光景が咲恵さきえの意識に流れ込む。

 そして、その萌江もえの言葉は誰もが待っていたものだった。



      ☆



 杏奈あんなの車が山の中を走っていた。

 咲恵さきえが翌日からの店への出勤に合わせて車を街中に置いてきたため、そこで西沙せいさ杏奈あんなと合流し、久しぶりに四人揃って杏奈あんなの車で移動していた。

 しかし、誰もが口数が少ない。

 確かに疲労もあっただろう。咲恵さきえはそのままマンションに戻ってもよかったが、やはり今の状況で萌江もえを一人にしておく気にはなれなかった。

 でもそんな中、なぜか杏奈あんなは寂しさと同時に清々《すがすが》しさのようなものを感じていた。もちろん杏奈あんな萌江もえたちのように過去の人たちの感情を感じられるわけではない。状況から理解出来たものは本筋の断片的なものに過ぎない。

 それでも何かが終わり、そして何かが始まろうとしていることだけは分かった。

 それは杏奈あんななりの、身の置き方でもあった。

 そんな中、ずっと寂しげな表情をしていた助手席の西沙せいさが口を開く。

「……少しさ……体が軽くなった気がするんだ…………」

 すると、返したのは後ろの咲恵さきえ

「……ちょっぴりだけ…………私はさびしいかな…………」

「でも良かったよ…………幸せになることは、罪じゃない……」

 そう言う西沙せいさの表情が、少しだけ柔らかくなっていた。

「……そうね…………少し肩の荷が降りたかな…………」

「……私も…………」

 西沙せいさがそう応えた直後、咲恵さきえのスマートフォンが鳴る。

 毘沙門天びしゃもんてん神社にいるしずくだった。

「お疲れ様です……かえでちゃんは大丈夫ですか?」

『ええ、ご飯を食べて今は眠っています。あの島のことなんか忘れてるみたいに……』

 そのしずくの言葉にホッとしたのか、咲恵さきえは軽く息を吐いてから返した。

「そうですか…………二人にはホントに助けられました。ありがとうございます」

『そんな……私たちは出来ることをするだけですよ』

「これからもよろしくお願いします。次の予定が決まったらまた連絡しますので、今はゆっくり休んでください。鬼郷おにさとさんたちにもよろしく伝えてくださいね」

『はい…………それで、私たちはかえでが目を覚ましたら帰りますけど……皆さんは……』

「直接帰ります。私たちも、今は次のためにゆっくり休みたいので…………」


 やがて、車が到着する。

 いつもの家。

 しかし、何かが変わった家。

 意外にも、先に車を降りたのは萌江もえだった。

 萌江もえはまっすぐ庭に向かうと、そこから縁側に視線を向ける。

 咲恵さきえ西沙せいさ杏奈あんなは少し離れた所で、なぜか自然と足を止めていた。萌江もえのその横顔をどうとらえていいのか、誰にも分からないまま。

 さびしげで、どこか鋭くも見え、誰もが萌江もえの心情をはかりかねていた。

 ことの中心にいたのは御世みよであり、同時に萌江もえ。想像していなかった展開が、痛々しいほどに萌江もえと歴史の繋がりを露呈ろていさせた。触れずに済むなら、そのほうが楽だったはず。しかし関わった。すでに関わり過ぎた。

 逃げることは可能だろう。しかし萌江もえ自身がそれを許さないように咲恵さきえは感じていた。


 ──……やっぱり……行って良かった…………


 咲恵さきえがそう思った時、細めていた萌江もえまぶたが大きく開く。

 そして大きく口が開いた。

 軽く息を吸い込む。

「────巫女みこの諸君」

 それはいつもの、そして明るい萌江もえの声。

 誰もが、その声に胸を熱くした。

 高揚こうようした。

 そして萌江もえが三人に笑顔を向ける。

「ようこそ────〝唯独ただひと神社〟へ────」

 その萌江もえの目が、僅かにうるむ。





        「かなざくらの古屋敷」

    〜 第二一部「ちる命」(完全版)終 〜

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