第二一部「堕ちる命」第1話(完全版)
深い秋。
紅葉した葉が落ちていく中、赤く染まった山々。
雪に包まれる直前のほんの少しの間だけ、見慣れた木々の葉一枚一枚が、それでも大勢で山の色を大きく変えていた。
そんな山々の中に〝毘沙門天神社〟はある。
そこに、連日連夜張り付いていた西沙がいた。
祈祷を続けてすでに五日。
だいぶ陽が短くなってくる時期ということもあるが、暗くなっても祈祷は続けられていた。
そこは〝蛇の会〟の拠点として守られている所でもある。西沙の〝幻惑〟の能力が中心となっていた。その能力の高さから、決して清国会に見付かることはない。
それを最大の利点として、その上で西沙は清国会の歴史を探っていた。今まで清国会が護ってきた裏七福神としての神社をいくつも調べてきたが、その残りは〝蛭子〟と〝大黒天〟を残すのみ。
蛭子神社は一度行ってはいたが、その牙城はまだ崩していない。おそらくは裏七福神としては頂点に位置すると思われた。
しかしそれに対しての一番謎の場所は、むしろ大黒天のほうだった。
その場所は立坂のまとめた資料にも詳細は載っていない。分かるのは名前と僅かな痕跡だけだ。しかもそれは能力者だけが感じられる小さなもの。どうしてもその存在の場所を見付けることが出来ずにいた。大黒天は元々インド・ヒンドゥー教の戦闘を司る神。清国会がその存在を無視するとも思えない。しかも清国会は裏七福神を冠した神社に何かしらの意味を持たせてきた。
必ずどこかにあるはず。
見付からないということは、清国会のよほど強力な防御が、蛇の会に於ける毘沙門天のように存在する可能性もある。だとすれば厄介だと蛇の会は考えていた。
──……歴史の中に……何かあるはず…………
西沙はそう考えた。それでも西沙は咲恵ほど過去を見ることが出来るわけではない。だからこそ大黒天だけに対象を絞って調べていた。
そのサポートを鬼郷家の佐平治と結妃が支える。二人は祭壇の前から動かない西沙と意識を共有することで、西沙の能力を増幅させることに集中した。
能力としては佐平治よりも結妃のほうが上。結妃は重圧とも言える責任を感じていた。もちろんそこには清国会の呪縛から自分たちを解き放ってくれた蛇の会に対する恩義もある。
しかしさすがに五日目ともなると、結妃の目の前の西沙も疲労が隠せなくなっていることが伺えた。朝から時には深夜まで。形にならない存在が波のように押し寄せては、もう少しのところでその姿を眩ませる。その繰り返しの時間の連なりに、余裕の削られていく感情がさらにその傷跡を広げていった。
そしてこの日。
額から汗が流れ続ける西沙の姿に、結妃が口を開いた。
「西沙様……御身体の負荷が大きくなっております……しばし御休憩を────」
「────まだ…………」
そう即答した西沙は、僅かに息が荒い。
そして言葉が零れる。
「……〝邪魔〟をしてるのは……誰だ…………」
西沙の体調を害しているのは肉体的な疲労だけではなかった。むしろ形の違う疲労と言ったほうが正しいだろう。
明らかに西沙の意識は何かを感じていた。
──…………目の前にあるのに…………
西沙は苛立っていた。初日から気持ちが落ち着かない自分がいた。そして目の前の〝何か〟を掴めないもどかしさ。鬼郷家の二人のサポートがありながら、それでも結果を出せない悔しさ。これほどの屈辱を味わったことはなかった。
──……私とは……この程度なのか…………
そんな気持ちが悪循環を生んでいるのも事実。その能力だけではなく、清国会に於いて重要な御陵院家の血を引く者として、西沙自身にとっても自分がすべきことの大きさを感じていた。
その西沙の後ろから、佐平治の小さな声。
「西沙様……〝接触〟してくる者がいます」
「────こんな時に……」
西沙がそう呟いた時、三人の控える本殿の空気が変わる。
目に見えない〝何か〟に包まれた。
突然別の空間に入り込んだような違和感の中、声が響く。
『────何をしている……西沙…………』
それは西沙の姉である涼沙の声。
声だけ。
響くのとも違う、空気に溶けるような声。
西沙は驚きもしないまま。
「……相変わらず…………姉妹揃って私を探してるんだね……お暇なことで……」
『そこがどこなのか、教えるつもりはないのであろう?』
涼沙の低い声が空気を震わす。
「そりゃあね……私たちの間柄で聞く必要なんてあるの? お互いまともな体質じゃないんだからさ。自分で調べなさいよ」
強気な言葉を発しながらも、西沙の汗が止まらない。
結妃は意識の〝切断〟をすることも考え始めていた。
『お互い様だ……お前とて我らの動きを掴めずに苛立っているではないか……元々はヒルコ様の産まれ代わりと言われたお前が情けないものだな……ただの能力者でもあるまいに…………』
「どうだかね…………簡単に他の誰かが成り代われる産まれ代わりになんか私は興味ないよ。どうせ今は涼沙辺りに交代かな?」
『お前のことだ……分かっておろうが…………』
「まあね、神話の中の架空の人物の産まれ代わりになりたいなんて…………涼沙はそんなに〝神様〟になりたいの?」
『もちろんだ…………私はそのために清国会にいる…………』
二人の会話を聞いていた結妃の首筋を、一筋、汗が流れ落ちた。
──…………切る…………切らなければ…………
しかしその体はなぜか動かない。まるで両肩を誰かに押さえ付けられているかのように重い。
「清国会にとっては天照の直系であるはずの萌江が最高神じゃないの? ヒルコはその次?」
『分かったようなことを…………私が天照大神様に成り代わる。萌江様はその気がないのであろう?』
「……どうかな……でも私たちの抵抗は終わらないよ。清国会の思想自体が許せないからね。萌江のことはどうする気?」
『蛇の会と共に…………私が潰す…………』
「……なら…………私は涼沙を潰すよ…………」
空気が変わった。
まるで広がるかのように、本殿の中心を風が流れていく。
そして、結妃の肩が軽くなった。
☆
伝説の始まり
歴史が回る
深淵の海の中へ
☆
この国には誰も知らない島があった。
外周が僅か三里ほどの小さな島。
行政に登録されていない島。
その島を認知しているのは古くから清国会のみ。
八頭鴉島。
室町時代後期────今からおよそ五〇〇年前。
密教として組織された〝八頭鴉〟。
その八名が、すでに京都御所に入り込んでいた清国会によって〝危険な組織〟として無人島に島流しにされたことから、島の歴史が始まった。
そして現在の人口は百人にも満たない。全員が島の中枢を担う〝大黒天神社〟の関係者でもある。
神社を中心に集落が形成されて多くの民家が建ち並ぶが、その建物は古い物ばかり。長い歴史は島だけで完結してきた。日本本土との交流は一切無い。文化は昔ながらのものが続いていた。
多くは室町時代の文化を継承したまま。衣服も和装のみ。現在まで電気やガスなどあるはずもない文明を継承してきた。
密教とはいえ八頭鴉への信仰から島に渡った者は神職関係者のみならず、その信仰を支えていた多くの一般の庶民もいた。大工、農家、漁師、鍛冶屋、料理人。長い歴史の中で神職からそういった職業に鞍替えした者もいる。そうして社会基盤が作られていった。
現在の島民はもちろん海の外の世界など知る由もない。清国会の力の影響で外から隠され、それでも何不自由なく世代を繋いできた。
島の信仰も変わらないまま、その中心は大黒天神社であり、それに誰も疑問を持つ人間はいなかった。
〝神〟は大黒天のみ。
その大黒天神社の現在の大神主は宮津守光歩────五五歳。
現在は神職と同じ意味で用いられる神主という呼び名は、元々は神職に於ける最高位を表すものだった。そのため、島の外との交流が数百年に渡って無かった八頭鴉島では古い呼び名がそのまま使われていた。
そしてその夜、大黒天神社の本殿に集まっていたのは光歩の他、
内神一位 宮津守宇城────三二歳
内神二位 宮津守宇道────三一歳
官吏従一位 七尾美重季────四七歳
官吏従二位 高津宮延輝────四八歳
他、官吏社の従者が六名。
あくまで一月に一度の定例の会議。
光歩の長男である宇城は大神主の次の位である〝内神一位〟。当然次の大神主を継ぐ立場でもある。それを助けるのが〝内神二位〟である次男の宇道。
後継を支える立場として官吏が常に数名指名されてはいたが、その選考基準の多くは血筋。
「今年は〝菊花伝承〟の年なれど、未だそのような〝予見〟は現れておりません」
官吏従一位である七尾美重季の報告に宇城が応えた。
「何ぞ起こるかは伝えられぬのが仕来り…………天変地異でも起きねばよいが……」
不安を含んだ宇城の言葉に、数名の小さな溜息。
島には〝菊花伝説〟と呼ばれる伝承があった。
丁度一〇〇年毎、島を黄色い菊の花が埋め尽くす時に悲劇が訪れるというもの。
今年はその年と言われていた。そのため島には常に張り詰めた空気があったのも事実。毎日の菊の花の調査と悲劇の始まりを見逃さないようにと神社での祈祷が続いていた。過去のその年に何があったのかは、一切記録と言えるものは残されていない。伝聞で伝えることも許されていないまま、七〇を過ぎれば長寿と言われる島で、前回の伝承の実態を知る者は一人もいなかった。
神事に於ける〝予見〟とは、いわば未来を見通すこと。島ではその予見によって多くの事柄が決められ、行動の規範となってきた。
宇城の隣の宇道が微かに口角を上げて口を開く。
「宇城の兄様とも思えぬ御言葉……〝予見〟をなさればよいではありませぬか」
嫌な笑みを含んだような物言いはいつものこと。
父である大神主の跡を継ぐのは長男の宇城。次男の宇道は今のままでは大神主になることは出来ない。そのため、次男の宇道としては長男を敬うどころか、以前よりその立場を奪い取ろうとしていた経緯がある。事あるごとに足を引っ張ろうとしていた。総じて仲が悪いのは神職に就いている者たちなら誰もが知っているほど。
そこに官吏従二位の高津宮延輝が声を上げる。
「恐れながら……先だっての神事にても〝凶有之〟との予見。さすれば急がれるのが〝吉〟かと…………」
高津宮家の先祖は代々朝廷の帝に仕えてきた由緒ある血筋。島には最初期にやってきた。そして神職とは違うとはいえ、八頭鴉の信仰を底上げすることに代々貢献してきた歴史があった。それ以来、官吏の名簿から高津宮家の名前が無くなったことはない。
それに乗るのは七尾美重季。
「我も同じく。大神主様の御力を拝借出来れば造作も無きこと」
七尾美家は神職の家系。高津宮家よりは少し遅れて島にやってきたとされているが、まだ生活基盤が整備されていなかった頃でもあり、その力が存分に発揮されたとの記載が文献に残っている。
その重季の言葉に、祭壇の前で全員に背を向けていた光歩が低い声を発した。
「良い。日取りを……補佐は内神一位」
その言葉に宇城が顔を上げる。
しかし次男の宇道は当然面白くない。
その宇道が思わず口を開く。
「しかしながら、一位は先だっての神事の際にも最終的な予見の出来ぬまま────」
「否」
そう言ってすぐに遮った光歩が続ける。
「予見は一位で執り行う。もし穢れや迷いがあると思しき時は…………〝三宝〟の御力を借り受けようぞ」
大黒天は戦闘を司った神ともされるが、同時に三宝を守護する神でもあるとされる。
そして八頭鴉の大黒天神社に於ける三宝は本殿の奥────〝守神〟と呼ばれる部屋にあった。
一つは、島で研磨されたとされる〝水晶〟。
一つは、神の姿を映すとされる〝銅鏡〟。
一つは、島を魔物から守るとされる〝即身仏〟。
本来即身仏というのは神道ではなく仏教の考えに則したものではあったが、八頭鴉には設立当初から仏教の概念が絡んでいた歴史があった。歴史的にそういう神社は事実として存在したが、八頭鴉の場合、それは設立時の相談役の人物の影響でもあり、同時に既存の神道とは違う密教という大きな〝器〟にするために必要なものでもあった。
その〝三宝〟はこの島でこの神社が作られた時に納められ、その時以来数百年の間、その部屋は開けられたことがない。部屋を封印している錠前の鍵ですら専用の木箱に入れられ、その木箱ごと代々宮津守家で受け継がれてきた歴史があった。
決して誰も中に立ち入ることの許されない〝守神〟。
その扉の前。
そこには特殊な祭壇が設けられていた。過去にも重要な神事の際のみにその祭壇は使われてきたと言われている。光歩はその〝守神〟を使う可能性を示唆したことになる。
──……〝三宝〟…………〝守神〟を使うのか…………
宇道は光歩の言葉に何も言い返せないまま、その身を硬くした。
そこに再び光歩の声。
「他の者たちは日取りを決めるように」
光歩としては、近頃神事で結果を出せずに自信を無くしていた長男の宇城に自信を取り戻して欲しいという気持ちもあった。次男の宇道の感情を理解していないわけではない。
同時に、その行動には目を光らせていた。
☆
八頭鴉島の神社建設に大きく貢献した宮大工の家系────八重津家。
八重津家の先祖は代々の宮大工の血筋として島にやってきた。初期の頃という時期的なこともあってか、神社のみならず多くの建物を建築することに貢献してきた。現在は神社関連の社の修繕が主な役割。
その八重津家の娘、佐江沙────一七歳。
美しい娘として島でも有名だった。
そんな佐江沙が運命的な出会いをしたのは二月ほど前。
第三社の補修工事の時だった。工事の棟梁を務めていた父と大工の者たちに食事を運んだ時。
たまたま工事の進捗を見にきていた高津宮家の長男、延拍────二三歳。
お互いに一目で惹かれ合った。
そして二人は急速に間柄を深めていく。
しかしそれは、決して許されることのない恋だった。
八頭鴉の世界には厳格な位が存在した。
その中でも高津宮家は元々が帝に仕えていた由緒ある血筋だったこともあり、八頭鴉の中でも島に渡った直後からすぐに実質的な二番手の位である相談役として即位した。島流しとして島に幽閉された初代の八頭鴉の八人を追いかけるようにして島にやってきた最初の一陣の中の一家族。まだ組織が完全に出来上がっていなかった頃でもあり、高津宮家のような存在は歓迎された。
八重津家も高津宮家と一緒に渡った一陣の血筋だったが、元々の生業は宮大工。もちろん神社を作ることには重宝されたが、高津宮家とは当初から位の時点で大きな開きがあった。
帝に仕えていた血筋と宮大工の血筋では、例え古くから八頭鴉に関わっていた血筋同士でも位が違い過ぎた。
それでも二人は例え短い時間だけでもと、毎日のように逢瀬を続ける。
そしてそんな二人の気持ちを、菊花伝説が押し上げた。
「今年は菊花伝説の年と言われています……何が起こるのか誰にも分からぬことですが…………」
何度か逢瀬を重ねていた海沿いの小さな洞窟で、延拍が不安を口する。
佐江沙は少し間を開け、いつものようにゆっくりとした口調で返した。
「……私は構いません…………ただ……その時は延拍様と一緒に居とうございます……」
「私もです佐江沙殿。何があろうと……私は佐江沙殿を見付けます。もしもの時にはこれを…………」
延拍はそう言うと、佐江沙の手を取った。
小さな巾着袋を取り出すと、その掌に乗せたのは小さな〝水晶〟────。
佐江沙が驚いて目を見開く。
「…………これは…………」
その水晶は洞窟の中に逃げ込んだ陽の光を反射し、呟いた佐江沙の顔を柔らかく照らした。
延拍が佐江沙のその表情を見つめながら話し始める。
「二日程前のことです……夢で……菊花の伝承の日に、この水晶が助けてくれると…………目を覚ますと手の中にありました」
「……神の御告げ以外にはありません…………しかしこれは延拍様が────」
そう言って水晶を差し出しかけた佐江沙の手を、延拍は両手で包むように押し返した。
「……なりません…………私は命を賭けても佐江沙殿を守ると誓った身…………己にも貴女にも…………嘘はつきとうない」
二人は真剣だった。
そして、まだ誰にも二人の関係は見付かっていない。
しかしいつまでもこのままではいられないことも、お互い分かっていた。たまにそんな話をすることもある。それでも解決策は導き出せないまま。諦めそうになる気持ちを押し隠すほどに、その気持ちは大きく膨れ上がっていった。
洞窟の穴の向こうに見える穏やかな波を見ながら、やはり思うのはそのこと。
──…………どんな未来になるのだろう…………?
延拍との時間を過ごす度に、いつも佐江沙はそう思う。
──……でも…………過去も未来も……今も、ここにある…………
その二人の視界に、突然の人影。
驚いて身構えた二人の目に映るのは、一〇歳程の女の子だった。しかし和装ではない。二人にとっては見たことのない真っ赤なパーカーと黄色いミニスカート。
呆然とする二人に向かい、やがて、その女の子が言葉をかけた。
「ずっと、あなたたちを見てきた…………今までは見てることしか出来なかったけど、やっと会いにこれた。これで終わりに出来るよ」
反射的に佐江沙が返す。
「……終わり…………何を終わらせるのですか……?」
しかし女の子は笑顔を浮かべるだけ。
すぐに延拍が腰を上げて声を張り上げた。
「貴様は魔なる者か⁉︎ 菊花の使いか⁉︎ 答えろ!」
「菊花って……あの伝説? ああ……最初に作り出したのはあなたたちだけどね」
その女の子の言葉に延拍もすぐに。
「……おかしなことを…………」
延拍は佐江沙に視線を向けると続けた。
「佐江沙殿、この者は私が本殿に連れて行きます」
しかし二人が視線を再び戻した時、女の子の姿は霧のように消えていく。
☆
毘沙門天神社。
祈祷中に意識を失った楓を、不安気に雫が抱き抱えていた。
二人は西沙の依頼で昼前に到着したばかりでもあった。
すでに時間は昼過ぎ。
祈祷の中心になっていた西沙が、祭壇の松明の前で息を切らす。
──………………繋がった…………さすがは雫さん…………
──…………あそこか…………
「……あの島…………清国会なのですか?」
その雫の震える言葉に、額に大粒の汗を浮かべた西沙も疑問を口にした。
「清国会によって島流しって…………それじゃ清国会に恨みを抱いててもいいはず…………」
「……あそこは…………清国会に管理されてはいないかもしれません…………」
雫はまるで誰かに言わされたかのように、思うと同時に言葉を漏らす。
それに西沙は反射的に声を荒げた。
「…………バカな……! 清国会じゃなきゃアクセス出来るはずが────」
「……清国会が隠してた場所…………」
「楓ちゃんの言葉には必ず意味がある…………楓ちゃんは〝今までは〟と言った…………あそこに関わったのは、きっと、あの瞬間だけじゃない…………」
西沙は体が僅かに震えるのを感じた。
──……あの二人は誰だ…………過去を、見たい…………
結妃が慌てて西沙に駆け寄る。
西沙の額にフェイスタオルを当てて汗を拭った。
「……二人を、呼ぶ…………」
西沙はそう呟くように言うと、側のスマートフォンを手にした。
☆
「────島? なかなか面白い話だね」
リビングで西沙からの電話を受けた萌江はすぐにスピーカーに切り替える。
『……何か……言葉で説明出来ないけど、変なんだ…………』
その西沙の声に何かを感じたのか、萌江の隣に座っていた咲恵がソファーから立ち上がり、ハンドバッグから車のキーを取り出した。
その咲恵と目を合わせた萌江が小さく頷いて立ち上がり、二人の間に西沙の声が挟まる。
『……何かあるよ……あの島…………気持ちが騒ついて仕方がない』
萌江はいつものサッチェルバッグを手にすると縁側から外に出た。そして口を開く。
「分かるよ……その感覚…………西沙が感じるなら間違いない。何かあるね。雫さんたちを呼んだのは正解だよ」
咲恵に続いて萌江が車の助手席に乗り込むと、素早く車が動き始めた。
「場所の特定まではまだ難しいんでしょ?」
『うん、ごめん…………それはまだ…………でも楓ちゃんはまだその島にいるみたい……意識を失ったままだし……』
「あの子なら大丈夫だよ。簡単に誰かに悟られるような子じゃないしね。清国会にだって簡単には見付からないよ。雫さんもいるんだから大丈夫。今のその場では、西沙が一番の能力者だよ。あなたなら私は何も心配してない…………だから、もう少しだけ耐えて。もう向かってるから」
『……ごめん……心配かけた…………待ってる』
「うん……頼む」
萌江が通話を切ると、最初に口を開いたのは運転しながらの咲恵。
「珍しいね……西沙ちゃんが…………」
「そうだね…………何か…………大きなところに足を踏み入れたかな?」
そう応える萌江の声にも、咲恵は不安のようなものを感じた。
「どうしたの? 萌江まで…………あなたは私たちを引っ張ってく立場でしょ。その覚悟はしたはずだよ。しっかりして」
「そうだった……分かってるはずなのにね……ごめん」
萌江はそう返して小さく笑みを浮かべる。
萌江が咲恵にしか弱音を吐かないことは、もちろん咲恵しか知らない。咲恵自身はそれでいいと思っていたし、そのことには何の不満もない。しかしこの時の咲恵は、鼓舞させるような強い物言いをしてしまった自分を少し悔いた。
──……なんだろう…………私にも余裕がないの…………?
車を運転しながら、目の前の空気のような〝何か〟が濃くなっていく。
──…………なんだ……この騒つき…………西沙ちゃんを困らせるほどの…………
咲恵の首に下がった〝水の玉〟が熱い。
車で約三時間────。
すでに辺りは薄暗くなっていた。
二人が毘沙門天神社に到着する。
車を降り、長い階段の前の鳥居で二人は立ち止まった。
「……濃厚だね…………」
階段の先にある鳥居を見上げながらそう言う萌江に、隣の咲恵が応える。
「……〝深い〟ことになりそうね…………」
そして無意識に、咲恵は萌江の手を握っていた。
「かなざくらの古屋敷」
〜 第二一部「堕ちる命」第2話(完全版)へつづく 〜