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第十九部「夜叉の囁き」第5話(完全版)(第十九部最終話)

 それは、しずくが内閣府に誘われた夜。

 条件は確かに悪くなかった。

 警視庁から内閣府へ。キャリアアップとしても申し分ない。確かに将来は保証されたようなものだ。

 しかし、内閣府の総合統括事務次官について説明してもらえたことは神道しんとうに関わりがある部署であるということだけ。

 自分に何が求められているのかすら分からなかった。

 確かに幼少期からかんのいい子供と言われてきた。それが霊感というものであると意識したのは高校生の頃。この世ならざるものが見えるだけでなく、見えないはずの未来まで見えるようになると決して気持ちのいいものではない。一番自分の力に恐怖を感じたのは、他人をコントロール出来るようになった時。それはもはや霊感というよりは超能力のようなもの。

 それでも、それからは自分なりにその〝力〟と上手く付き合ってきたつもりだった。年齢と共に力を調整することも出来るようになった。そして警視庁に入ってからは、事件解決に力を活用したことも何度か。

 他人に話したことはない。

 しかしなぜか内閣府の人間は知っていた。どこまで自分のことを調べられていたのかは分からなかったが、あまり気持ちのいいものではない。学生の時の同級生でも知っている人間はいない。同時に友達と呼べる相手もいなかった。


 ──…………どうして知ってるの…………?


 ──……私のことを……どこまで知ってるの…………?


 他人、ましてや見知らぬ組織に自分のことを知られているというのは恐怖でしかない。

 相談の出来る人間はいなかった。

 自分の能力を活用出来る内閣府の部署とはどういう部署なのか、想像すらも追いつかない。

 その日の帰宅は決して遅くなかった。

 まだ夕方の六時前。

 マンションの前まで来ると、途端に娘の顔が頭に浮かぶ。その顔を思い浮かべるだけでいやされた。

「ただいま」

 出来るだけ明るく声を上げながら玄関を開けた。

 リビングのドアから漏れる明かりにホッとする。

 いつも帰りが遅くなることで家政婦に無理を強いていた。それでも長く働いてくれていることには感謝している。世代的にもしずくよりずっと上。四五歳。二人の息子はどちらもすでに成人していた。

 まだ四歳のかえでの保育園の迎えから夕食。土日にしずくが仕事の時にまで対応してくれた。もちろんそれなりの給料を支払ってはいたが、それでもその家政婦がしずくの要望を断ったことはない。

 しずくがドアを開けて最初に視界に入ってきたのは、その家政婦の姿。


 その、背中。

 しずくの開けたドアに足を向け、フローリングに倒れた姿。


 視界の奥、倒れた家政婦の頭の向こうには、かえでが立ち尽くしていた。

 呆然とその光景を見ながら動けなくなるしずくに向けて、かえでが静かに口を開く。

「〝…………私を殺そうとした…………〟」


 ──…………だれ…………?


 それはかえでの声ではない。

 四歳の女の子の声でもない。

 大人の女性の声。

「〝…………清国会しんこくかいが私の存在に気が付いた…………この女をあやつったのだろう…………〟」


 ──…………しんこくかい? 何を言ってるの…………?


「〝…………だから、殺した…………〟」


 ──……殺した…………?


 無意識に、しずくが口を開く。

「────誰だ…………」

 そう言ったしずくは視線を足元に落とし、握った両手にいつの間にか力を込めていた。

 そのしずくが再び低い声を絞り出す。

「……誰だ…………お前は誰だ…………」

 そしてそれに対して返ってきたかえでの言葉に、しずくは神経を刺激された。

「〝お前は清国会しんこくかいの一員になるだろう…………そして毘沙門天びしゃもんてんまもれ…………いずれお前の力が必要になる時が来る…………その時、お前はわれらの一員となる────〟」

「────誰だっ!」

 まるで反射的に、しずくは叫んでいた。

 自然と体が震える。

 かえでの中に〝誰か〟がいた。

 間違いない。

「私の娘を返せ! 力ずくでも引きずり出すぞ!」

「〝自分の力も扱い切れていない者が何を言う…………恐ろしい程の力を持ち合わせながらも内に込めたままの愚か者が何を言うか!〟」


 ──……恐ろしい程の…………ちから…………?


「〝自分の力に気付け…………お前は…………その力で娘を守ることになる…………〟」


 しずくは無意識の内に、倒れたままの家政婦の横を歩いていた。

 かえでの正面で片膝をつく。

 そして、左のてのひらかえでの顔にかざした。

 途端に力が抜けて倒れかけたかえでの体を支え、そして強く抱きしめる。意識を失っているかえでの体に、しずくの震えが伝わっていた。

 いつの間にか、しずくの両目から大粒の涙が溢れる。

 怖かった。

 かえでを失うかもしれない恐怖が押し寄せた。


 ──……私には…………かえでしかいない…………


 ──…………絶対に奪わせない…………


 しずくはジャケットの内ポケットからスマートフォンを取り出すと、同時に取り出した名刺に視線を落とす。今日もらったばかりの内閣府の名刺。しずくはその名刺を見ながら電話をかけた。

「本日のお話ですが…………お受けします…………」

 微かに震える声。

 そしてしずくは倒れている家政婦の体に視線を移しながら続ける。

「……ただ……条件があります…………一つだけ…………内密に処理して頂きたい事案があるんです…………」

 しずくは、かえでを抱きしめる手に力を込めた。



      ☆



 西沙せいさしずくの手を離した。

 しずくの目は大きく見開かれたまま震え続ける。

 西沙せいさの〝強い目〟から離れられずにいた。

「思い出した? 忘れてたでしょ? でもそれはあなたのせいじゃない」

 淡々と、しかしそう言葉をかける西沙せいさの語尾には柔らかさが覗く。

 それに、しずくは言葉を漏らすかのように返していた。

「…………どうして…………」

「あなたの記憶を消したのは恵麻えま…………ズルい女だよ…………」

 西沙せいさはそう応えると小さくしずくの目から視線を落とした。

 そこに、本殿の中からの咲恵さきえの声。

「ここの担当になったのは娘さんの力」


 ──…………かえでが…………どうして…………


「……娘は…………」

 しずくの呟くような小さなその声に、今度は萌江もえの声が響いた。

「娘さんの中にいるのは…………水乃蛇みずのへび神社の藪沖音水やぶおきねすい…………彼女が娘さんを経由してこの神社の〝仕来しきたり〟を終わらせようとした…………」

 清国会しんこくかいが子供を誘拐することで〝仕来しきたり〟を繋げてきたという点に於いて、毘沙門天びしゃもんてん神社と水乃蛇みずのへび神社は同じ歴史を持っていた。

 呆然とするしずくの耳に、さらに萌江もえの言葉が続く。

「……代々あの藪沖やぶおき家はこの神社を気にしてたみたいね…………ここと同じように間違った仕来しきたりで生きてきた…………今、彼女は私たちと共にいる…………だから分かった。少し人見知りな子だけどね」

 代々女系だけで血筋を繋ぎ、清国会しんこくかいの連れてきた〝男根おとこね〟で歴史をつむいできた水乃蛇みずのへび神社の歴史を終わらせたのは、神社をまもってきた藪沖やぶおき家の音水ねすい。最後の継承者であるみずからの血を絶つことで神社そのものを終わらせた。

 しかし終わらせようと思ったきっかけは、形は違っても〝間違った仕来しきたり〟を継承していた毘沙門天びしゃもんてん神社の存在を知ってからだった。

 それはみずからの婿むこ入りが数年遅くなるとの清国会しんこくかいからの報告を受けた時のこと。音水ねすいは使者の思考を読み取ることでことの真実を知ることが出来た。

 音水ねすいにとって、それは〝悪魔の所業しょぎょう〟でしかない。

 どんな人間にも、必ず血を繋いだ親がいる。家族があるはず。その家族の不幸を作り出してまで自分の命が存在することが許せなかった。

 そしてそれが藪沖やぶおき家だけではないことを知った。

 音水ねすい鬼郷おにさと家も救うべきだと考え、それを萌江もえたちにたくすことになる。

 しずくも総合統括事務次官として水乃蛇みずのへび神社の顛末てんまつは聞いていた。しかし子供の誘拐のことまではもちろん聞いていない。

 そして今、両家の〝仕来しきたりの歴史〟が西沙せいさを経由して自分の体に流れ込んできた。

 体が震えた。

 込み上げてくるのは、怒りだけ。

 そして萌江もえの言葉が続いた。

「……清国会しんこくかいの真実がこれで分かった? …………実際、地獄だよ…………なんとしても終わらせたかったんだろうね…………御世みよ音水ねすいも…………でも、あなたにそれを気付かれるのを清国会しんこくかいは恐れた…………恵麻えまはこの神社をまもってきたのが第六天魔王だいろくてんまおうじゃないことは分かってたはず。でも〝そのまま〟にした……あなたが娘さん経由でことの真相に辿り着いたら面倒だと思ったのかな。だから恵麻えまがあなたの記憶まで操作した」

「……でも…………私の代わりなんていくらでもいるのに…………」

 しずくが低い声で返すと、萌江もえの返答は早い。

「あなたたち親子の能力の強さは恵麻えまでも捨てがたかったんじゃない?」

「…………強さ…………?」

「あなた自身が気付いてないだけ…………娘さんもね…………この神社をまもるには、その力が必要になる…………」

 すると、それに返すしずくの声が低く響いた。

「…………勝手すぎる…………好きでこんな人生を送ってきたわけじゃないのに…………私は娘と生きていきたいだけなの!」

 過去がぎる。

 両親や兄弟からも避けられ、幼い頃から友達を作ることも出来なかった。見たくもない他人の深層心理が頭に浮かび、表面上だけで人と関わることも出来ない。擦れ違う人間ですら自分に敵意を向けているように感じて生きてきた。

 ただ、子供の頃、一人だけ、すぐ隣に友達がいた。

 まだ幼い女の子だった。

 名前は、


 ──………………かえで………………


 それは、記憶の奥底に置き去りにされた過去。

 ただ忘れていただけなのか、それでも溢れ始める。


 ──……かえでが産まれる前から……私は〝あの子〟に会ってた…………

 ──…………どうして忘れてたの…………?


 その記憶の真意も、理由も、理解の範囲を超えていた。

 耳に届くのは萌江もえの声。

「会ってたでしょ? 物心がついた頃から…………〝娘〟さんと…………思い出してあげて……あなたを支えてくれたはずだよ…………」

 しずくの両目から無意識に涙が溢れる。

 萌江もえの言葉が続いた。

「選択はあなたしだい…………強要はしたくない……でも、背中は向けないで…………あなたと娘さんの力は…………〝時を超えられる〟…………それには意味があるはず。私たちの中には何人もの人たちの〝想い〟が存在する。私たちは向き合ってきた…………絶対に逃げない」

 膝を落としかけたしずくの体を、西沙せいさが抱えた。

 そしてしずくの耳元で西沙せいさささやく。

「私たちは宗教じゃない…………むしろ宗教に楯突たてつものたち…………だから…………信じるのは自分たちだけ…………」

 そこに繋げられる萌江もえの声。

清国会しんこくかいは私たちの力を利用しようとしてきた…………長い年月をかけてね…………しかもそれは、自分たちの権力をこの国で維持させるため。でも、利用されるつもりはないよ。私たちもしずくさんと同じ。普通に生きていきたいだけ…………生きることをおびやかされたくないだけ…………」

 西沙せいさしずくをゆっくりと座らせた。

 しずくは参道の石に両手を付いて肩を震わせる。

 どうすればいいのか、結論を出すことが出来なかった。

 その耳に届く声は、続く萌江もえ

「私は血を繋いでいくことが出来ない…………子供を作れない体だからね…………だから清国会しんこくかいあせってる。私は最後の直系…………私が死ねば終わる…………清国会しんこくかいは次の〝神〟を探すだけ…………でも、仲間を残しては死ねない…………次の犠牲者も作らない…………私の望みはそれだけ」

 そして続くのは、本殿からの咲恵さきえの声だった。

結妃ゆいひさん…………あなたの記憶の修正も必要よね…………」

 咲恵さきえいま結妃ゆいひの頭の上に左のてのひらをかざしたまま。

 そこから結妃ゆいひの中の記憶が暴かれていった。

 結妃ゆいひは視線を落としたまま。

 そして咲恵さきえの声が続く。

「あなたのお母さんが…………あなたが正しい記憶に辿り着かないように記憶を操作した…………でも完璧じゃなかった。罪の意識かしら…………今、萌江もえ佐平治さへいじさんの記憶も修正してる。総て分かったでしょ? もうどこにも代々の鬼郷おにさと家の血なんか存在しない…………あなたも誘拐されてきた…………総てはまやかし…………」



      ☆



 利平治りへいじ禹妃うひの間に長男が産まれた。

 後は、無事に五年後に長女が産まれれば〝仕来しきたり〟通り。

 しかし五年後。

 長女は産まれなかった。

 あせる二人の元に、清国会しんこくかいの使者が言った。

「長男はすでにいるではありませんか…………血筋はすでに繋がれております…………いずれ長男と交わる女系じょけいの血など…………」

 そして程なく、その使者は女の赤ん坊を連れてきた。

 禹妃うひはこの時、初めて利平治りへいじの記憶を操作する。

 これにより、無事に二人の間で〝仕来しきたり〟が守られた。

 しかし、長男は七歳でやまいわずらい、すぐに命を落とした。

「どうすれば…………これでは代々(つむ)がれてきた〝仕来しきたり〟がわれらの代で途絶えてしまう…………」

 利平治りへいじは長男の亡骸なきがらを見下ろしながらそう言って声を震わせた。

 しかし総てを知る禹妃うひはこう思っていた。


 ──……我が子の命より…………〝仕来しきたり〟…………


 ──…………私たちは…………何の為に生きているの…………?


「長女はすでにいるではありませんか…………血筋はすでに繋がれております…………いずれ長女と交わる男系だんけいの血など…………」

 清国会しんこくかいの使者は、前回と同じように言うだけ。


 ──…………何かがおかしい…………何かが間違っている…………


 やがて男の子が連れてこられた。

 到着早々に、禹妃うひは男の子の記憶を操作する。

 続けて利平治りへいじの記憶を操作し、禹妃うひは長女の記憶も操作した。長女はまだ幼かったが、何かのきっかけで深層心理を思い出しかねないと判断したからだ。

 受け入れるしかない現実。

 他に選択肢の無い現実。

 知らないままのほうが幸せだと、禹妃うひは思った。

 そして、自分にも〝のろい〟をかけた。

 覚えていたくなどない。

 忘れてしまいたかった。


 ──……これ以上……苦しむのは…………いや…………


 しかし、どこかに、迷いがあった。


 ──…………誰か…………


 ──……助けて…………終わらせて…………



      ☆



「どうしようもなかったんだよね……だからお母さんを責めないであげて…………その想いに応えたのが御世みよ音水ねすい…………誰かが心配してくれてるなんて…………想像もしなかったでしょ?」

 萌江もえのその声が空気に流れると、ゆっくりと周囲が明るくなった。

 そして萌江もえの言葉が続く。

水乃蛇みずのへび神社もここも…………関係のない子供を誘拐してきてまで〝仕来しきたり〟を続けようとしてきた……そのシステムを支えてきたのが清国会しんこくかい。〝の念〟が作り出す〝鬼〟が欲しかっただけ…………」

 いつの間にか、結妃ゆいひの体が小刻みに震える。

 咲恵さきえ結妃ゆいひの頭の上から左手を降ろすと、膝を落としながらその手を結妃ゆいひの肩に添えて口を開いた。

「……あなたは鬼郷おにさと家にしばられなくていい…………何の責任もない…………あなたは何も悪くないの…………」

 結妃ゆいひの涙が、巫女みこ服の膝を濡らしていった。

 参道では、萌江もえに真実を見せられた佐平治さへいじが座り込んだまま呆然と視線を落としていた。

 その前で、しずくに寄り添って片膝を落としていた西沙せいさが立ち上がる。

 黙って立ち尽くしていた陽麻ひま対峙たいじする。

 陽麻ひまは視線を落としたまま、唇を噛み締めていた。その伏せた表情からは明らかにくやしさが見てとれる。

 その表情を見つめながら、西沙せいさが口を開いた。

「元清国会(しんこくかい)の人間として…………私は絶対に清国会しんこくかいを許さない…………」

 そして鋭い目線を陽麻ひまに向ける。

 西沙せいさの左足が一歩前へ。

 右足が動いた時、

 突如、西沙せいさの視界が遮られた。


 白と朱色しゅいろ巫女みこ服────。


 節目がちの顔に、長い黒髪────。


 若い────。


 そして、最初に口を開いたのは西沙せいさ

「…………何よ…………邪魔する理由はないでしょ?」

 その西沙せいさの後ろから気の抜けたような萌江もえの声。

「あらあら…………珍しいじゃない…………人見知りの〝音水ねすい〟ちゃん」

 さらにその後ろの本殿から咲恵さきえの明るい声。

「邪魔する理由があるみたいよ」

 しかし西沙せいさの表情は硬いまま。

 その西沙せいさの目の前の音水ねすいの顔が少しだけ上がる。

 西沙せいさが繋げた。

「……あなたの気持ちが間違ってるとは言わない…………でも…………」

 そして、音水ねすいの声が空気を震わせる。

「……貴女あなた様はみずからの御家族をも敵に回しました…………それが如何程いかほどの御気持ちのものか、私たちにとっては真摯しんしあたいするもの…………だからこそ、その貴女あなた様ならお分かりのはず…………嫌悪すべきは陽麻ひま殿ではありません。清国会しんこくかいそのもの…………その為ならば、私は総ての力を惜しむつもりは御座いません。貴女あなた様は私たちを受け入れて下さいました。その御恩ごおんは必ず返さねばなりません」

 そう言った音水ねすいは表情をまるで変えなかった。

 そして、それは西沙せいさも同じ。西沙せいさにも音水ねすいの言うことは理解出来た。陽麻ひまに感情をぶつけたところで何も解決はしない。中に存在するはずの御世みよ西沙せいさを止めなかった。それはつまり、音水ねすいに任せたということ。西沙せいさはそう思った。


 ──…………信じていいんだね…………


「まったく……私を依代よりしろにしておいてよく言うよね…………」

 西沙せいさはそう言うと音水ねすいのすぐ目の前まで。

 音水ねすいはそれに応えるように顔を上げ、西沙せいさの目を見ながら口を開く。

「……皆様が求めているのは清国会しんこくかい崩壊ほうかいではないはず…………救いたいはず…………さすれば、貴女あなた様の望みも叶えられます…………」

 その音水ねすいの声に、西沙せいさは何にもさまたげられていない〝純粋な目〟を向け続けた。

 そして、小さく。


まかせた」


 途端に、音水ねすい西沙せいさに背中を向ける。

 視界に入った陽麻ひまに右腕を伸ばし、てのひらを向けた。

 まるではじかれたように体を浮かせた陽麻ひまは、突然のことに目を見開くが、次の瞬間にはその体はきりのように消えていく。


「あれ? 陽麻ひまって幻だった?」

 それは萌江もえの声だった。

 それに応えるのは冷静な西沙せいさの声。

「まさか……物理攻撃しか出来ない陽麻ひまに幻はないよ…………不思議なものを見せられただけ…………そんなこともあるよ。でしょ?」

 すると、まるでその西沙せいさに応えるように音水ねすいが振り返る。


 柔らかい笑顔を向けた。

 そして、ゆっくりとその姿が消えていく。


 その向こうに、階段を登る足音。

 すぐに鳥居とりいの下に姿を現したのは杏奈あんなだった。

 息を切らしながら。

「集めてきましたよ! やっぱり階段にありました!」

 そう声を上げた杏奈あんなが左手に持ったレジ袋を高く掲げる。

 陽麻ひまの動きを察知した時点で、あちこちに〝何か〟を仕掛ける可能性を全員が感じていた。杏奈あんなにその発見と回収が託されていた。

 本殿の中から、立ち上がった咲恵さきえの声が飛ぶ。

「ありがとう杏奈あんなちゃん。やっぱり火薬系?」

「たぶん」

「いいわ。その辺に置いといて」

 そして、いまだ座り込んだままのしずくの前で、西沙せいさが膝を落としていた。

しずくさん…………あなたにも協力してもらいたいの…………」

 それに、しずくうつむいたまま反射的に返す。

「……しかし…………」

 そこに聞こえるのは、咲恵さきえの声。

「一度清国会(しんこくかい)を裏切れば内閣府にもいられない…………それでも、あなたたち親子の身は、私たち〝へびの会〟が保証します」

 それに萌江もえが続ける。

「私たちには、私たちなりの身の守り方があってね。あなたの役目はこの神社を真っ当な神社に立て直すこと。そうすれば…………鬼郷おにさと家は私たちを守ってくれる存在になる。そして、あなたの娘さんの力は強すぎる…………あなた以上なのはもう気が付いてるんでしょ?」

 そして、しずくの耳元で西沙せいさささやいた。

「……普通の人生は歩めない…………」

 それは西沙せいさもよく分かっていた。

 今から救えるなら、そのほうがいいと思った。


 ──……私みたいに苦しむ必要はない…………


 萌江もえの声が続く。

「私たちは普通に暮らせなかった。だからって…………それは同じ人間を増やす理由にはならないよ…………しいたげられない人生を求めることは、罪じゃない」

 しずくまぶたらした顔を上げた。

 再び萌江もえ

しずくさんもね。もう娘さんのことはさっきの音水ねすいちゃんが守ってる。あの子は強い…………これから清国会しんこくかいだけじゃなくて内閣府の監視からも娘さんは守られる。だから安心して」

 そこに再び足音。

 同時に荒い息遣い。

 鳥居とりいの下に姿を現したのは────肩で息をする満田みつただった。

「年寄りにこの階段はキツいぜ」

 その満田みつたに返すのは明るい声の萌江もえ

「みっちゃんごめんね。大事な顔合わせだから勘弁してよ」

「……仕方ねえ…………俺はお前らを信じるしかねえからな。それこそ頼むぜ」

 満田みつたは昨夜の内に連絡を受け、その上で萌江もえたちを信じた。疑う理由は何もない。

 その満田みつたは何かの覚悟を改めて確認するかのように続ける。

「…………これからなんだろ?」

「うん…………これから…………」

 そう返した萌江もえの声は、なぜか、どこかさびしげ。

 そこに咲恵さきえりんとした声を上げた。


「みんな、本殿へ」


 しかし、次に声を上げたのはしずくだった。

「────私は……どうすれば…………」

 そこに、冷静な咲恵さきえの声。

「これから説明します。後は…………あなたが信じるだけ…………」

 そのしずく西沙せいさが立たせると、次に聞こえるのは萌江もえの声。

「さて」

 萌江もえ項垂うなだれたままの佐平治さへいじの前に移動すると、膝を落として続ける。

「私は99.9%宗教なんて信じない。所詮しょせんは人が作ったものだからね…………それでも、ここを立て直して。それがあなたと結妃ゆいひさんの使命…………清国会しんこくかいに利用された分の人生を取り返すの…………お願い……協力して…………あなたをあやつっていた黒い影も、もういないよ」

「……協力…………?」

 佐平治さへいじはまるで呟くようにそう言うと、僅かに顔を上げた。

 萌江もえはゆっくりと返していく。

「ここを〝へびの会〟の拠点にしたい。詳しくはこれから説明する」

 萌江もえはそれだけ言うと、本殿へ。

 その本殿で、咲恵さきえ結妃ゆいひささやいていた。

「……もう自由…………あなたたちをしいたげる者はもういない…………」

 それに返す結妃ゆいひの声が震える。

「……どうして…………私たちのためにこんな…………」

「私たちの中の……〝夜叉やしゃ〟がね…………ささやくの…………ただ、私たちが身の安全を保証する分、協力してほしいだけ」

 清国会しんこくかいに背を向けることがどういうことなのかは、結妃ゆいひも分かっていた。

 今までの〝強気な態度〟は不安の表れでしかないことも自覚していた。

 ずっと〝仕来しきたり〟にしばられてきた。そうするしかないと思い込んできた。くさりを断ち切ることが出来ないままに、見えない何かにすがり続けてきた。

 西沙せいさしずくうながしながら本殿へ。

 萌江もえ杏奈あんな満田みつたも続く。

 すると、その横を、突然立ち上がった結妃ゆいひが擦り抜けていく。

 それを全員の視線が追いかけた。

 結妃ゆいひは本殿から参道への数段の階段を駆け降りると、真っ直ぐ佐平治さへいじの前へ。

 膝を落とし、その手を取った。

 顔を上げる佐平治さへいじに、結妃ゆいひははにかんだような笑顔を向けながら、目には涙を浮かべる。

「…………信じましょう…………やり直せます…………」

 佐平治さへいじは、ただ、大きくうなずいた。





        「かなざくらの古屋敷」

    〜 第十九部「夜叉の囁き」(完全版)終 〜

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