表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
65/97

第十九部「夜叉の囁き」第1話(完全版)

    長い歴史で紡がれてきた

    それは、間違った歴史

    それは、悪魔の系譜けいふ

    そして、神と悪魔は、いつも同じところに



      ☆



 長い時の果てに、再び季節が訪れた。

 そして、再び過ぎて行く。

 どんなことも、過去になっていった。

 時は戻らない。

 分かっているのに、それを認識することは残酷ざんこくだ。

 もしかしたら、自分は逃げてきたのかもしれない。

 何かから。

 そう西沙せいさは感じていた。

 やっと、美由紀みゆきを墓地に納骨することが出来た。

 小さなお寺の隣の、静かな霊園。

 決して大きくはない。それでも落ち着いて眠れる場所だった。まるで、ここだけは時間がゆっくりと過ぎているのではないかと思えるほど。

 街を見下ろせる丘の上。

 周囲の木々からは緑の匂いがした。

 すでに季節は夏。

 夜の空気も湿度におおわれる頃。

 しかしこの日は日中でもそれほど蒸し暑くはなかった。

 穏やかな、ゆるい風。

 その風が、夏の強い陽差しを遮る。

「ごめんね…………色々と手伝ってもらって…………」

 線香の煙が周囲の空気に絡まる中で、墓石の前で腰を降ろし、手を合わせた西沙せいさがそう言うと、すぐに返ってきたのは背後の萌江もえの声。

「……美由紀みゆきちゃんのことは、みんなが責任を背負ってるからね」

 それをすくい上げるのは咲恵さきえ

「そうね……他人事じゃないもの…………西沙せいさちゃんが一人で背負っちゃダメだよ」

 それに西沙せいさは背中で応える。

「……でも…………お金までみんなに出してもらって…………」

「確かに最近の墓地の金額には驚いたけど、出さない理由にはならないよ。日頃の西沙せいさちゃんへの感謝の気持ち…………もう家族なんだから」

 その咲恵さきえの言葉に、西沙せいさはすぐに。

「……変な家族だね…………」

 その西沙せいさを、後ろから抱きしめたのは萌江もえだった。

 驚いた西沙せいさの耳元に、萌江もえの柔らかい声が響く。

「……人生ってさ…………何が起こるかなんて……分からないよね」

萌江もえがそれを言わないでよ」

 西沙せいさはそう返し、少し照れながらも笑顔のまま。背後から自分を包む萌江もえの手を握っていた。

 萌江もえはいつでも未来を見ることが出来るわけではない。それはまるで、変えられない未来と不確定な未来の両方が同時に存在しているかのようだった。どちらなのかは萌江もえにも、それは分からないまま。ただ、見えた時には従う。従いたくない未来が見えないことをいつもいのった。

 そんな萌江もえだからこそ、その言葉には重みがあった。

 三人の会話を一番後ろで聞いていた杏奈あんなの目に、自然と涙がにじんでいた。

 その時その時で、多くのことを選んできた。そのいくつのことが正しかったのかと、やはり杏奈あんなの脳裏にも浮かぶことはある。後悔こうかいが無いなどとは言えない。

 過去は変えられない。

 しかし、今の杏奈あんなは何度も繰り返し思っていた。


 ──……今、こうしてここにいることは、間違いじゃない…………


 もちろん予想など出来ていたわけではない。よもやこんなオカルト的な人生を歩むとは想像出来るはずもなかった。そして、それが想像していたものとは大きく違うものであることも間違いない。

 それでもそれは誰にとっても同じこと。杏奈あんなに分かっているのは、それだけ。

「これからも忙しくなると思うけど…………」

 そう言って言葉を繋ぐのは咲恵さきえ

「──ここが…………みんなが集まる場所になるといいね…………」

 その咲恵さきえの言葉を萌江もえが拾った。

「でもその前に────」

 そう言いながら萌江もえが立ち上がって続ける。

「〝へびの会〟の拠点も作らないとね」

 へびの会は元々西沙(せいさ)立坂たてさかが〝対清国会(しんこくかい)〟のために立ち上げた組織だった。そこに満田みつたが関わる形で協力し、今は萌江もえ咲恵さきえ杏奈あんなまでも巻き込んでいるにも関わらず、その実態に中核になる部分が無い。拠点を作る必要性は立坂たてさかから出されたのが最初だった。情報をそこに集中させることで動きやすくなると考えたからだ。満田みつた立坂たてさかが個別に情報を持ち続けることは情報の漏洩ろうえいに繋がる可能性もある。現在は確かに組織としてのネットワークが不完全なことも事実だった。

 そして萌江もえの言葉に咲恵さきえが繋げる。

「協力者も必要になるかもしれない」

 それにすぐに返したのは西沙せいさだった。

「でも……これ以上誰かを巻き込むのは、少し、怖いかな…………」

 振り返った西沙せいさの目には明らかに不安が浮かぶ。西沙せいさには美由紀みゆきを巻き込んでしまった自責じせきがあった。こうなる結果を予測することは出来たはず。西沙せいさは何度もそう考えていた。そして、それを阻止することが出来なかった。

 咲恵さきえもそれは常々感じている。しかし最近の立坂たてさかへの内閣府からの接触が気になった。明らかにおどしと取れるその動きからは、見方を変えれば清国会しんこくかい側のあせりも感じられる。事実、清国会しんこくかいの拠点となる神社のいくつかが、萌江もえたちの動きによって清国会しんこくかいに背を向ける結果になった。これ以上荒らされては困るというのが本音なのだろう。

「……能力者が欲しい…………」

 声のトーンを落とした咲恵さきえが続ける。

「みっちゃんと立坂たてさかさんは、私たちでも守るのには限界がある…………後になって後悔こうかいするのは…………西沙せいさちゃんだけじゃなくて、みんな嫌でしょ?」

「……それは…………そうだけど…………」

 小さく返す西沙せいさの声に、萌江もえが返した。

「もちろんあせっちゃダメ。神社を潰しただけじゃ駄目なのは西沙せいさも分かるでしょ?」

「うん…………そんな簡単なことじゃない…………」

 それは、そう応える西沙せいさにも当然のように分かっていること。

 清国会しんこくかいはそんなの浅い組織ではない。遥か昔からこの国の歴史に深く関わってきた。場合によっては国の歴史をも動かしてきたことだろう。

 もはや、清国会しんこくかい相対あいたいするということは、国を敵に回すことと同義どうぎ

 誰もがその覚悟を持っていた。

 そして、咲恵さきえ西沙せいさ萌江もえを守るためなら命ですらけるだろう。

 だからこそ、次の萌江もえの言葉が二人に刺さった。

「……もう誰も犠牲にはしないよ…………あなたたちもね…………」



      ☆



 決して大きな神社ではない。

 それでも、その歴史は長い。

 しかし、国の表の歴史にはほとんど存在しなかった。


 毘沙門天びしゃもんてん神社。


 その神社は現在では地図にも存在しない。

 清国会しんこくかいがその神社を取り込んだのは明治元年。政府から神仏分離令しんぶつぶんりれいが出された直後。

 毘沙門天びしゃもんてんとは〝夜叉やしゃ〟を率いる神。悪鬼あっき、もしくは鬼神きしん

 それは仏教の中の〝鬼〟。

 かつてこの国の歴史の神道しんとうの中、その神道しんとうの中に仏教が様々な形で取り込まれてきた。いわば、融合ゆうごうしてきたとも言える。その歴史は奈良時代までもさかのぼる。しかし明治政府はそれを法律を使ってまで切り離した。それは国教こっきょうを〝神道しんとう〟とする上で、その神道しんとう天皇てんのう家の価値を上げることにあった。

 そのために、神社仏閣(ぶっかく)の多くが歴史から消された事実がある。

 毘沙門天びしゃもんてん神社も仏教の中の夜叉やしゃを取り込んでいた。明治政府から逃れようとする段階で清国会しんこくかいが近付いた。

 〝鬼〟と言われる夜叉やしゃを、清国会しんこくかいは求めた。

 当時、清国会しんこくかいは国の中枢ちゅうすうにいない。幕府側としてこの国の中に入り込んでいた清国会しんこくかいは、倒幕とうばく側である新政府によって歴史の舞台から退しりぞいていた。

 だからこそ。

 だからこそ、清国会しんこくかいは〝夜叉やしゃ〟を求めた。

 清国会しんこくかいの代表になったばかりの滝川御世たきがわみよが、組織をまとめられないまま、組織を統率とうそつ出来ないままの頃。

 毘沙門天びしゃもんてんも、その清国会しんこくかいを利用した。

 そして、毘沙門天びしゃもんてんは隠された。

 そして、毘沙門天びしゃもんてんは〝夜叉やしゃ〟と共に生きてきた。

 武闘派ぶとうはと言われる由縁ゆえんでもあり、その為か、清国会しんこくかいの中ですら他の神社から恐れられる場所でもあった。それもあり、入れる人間は少ない。清国会しんこくかいの人間でも容赦無く〝夜叉やしゃ〟の攻撃を受ける。いつの間にか清国会しんこくかいでも操ることの出来ない存在とも言えるほどになっていた。

 その神社を古くから護ってきたのは鬼郷おにさと家。

 現在の当主は宮司ぐうじでもある鬼郷佐平治おにさとさへいじ。五歳下の妻の結妃ゆいひ巫女みことして佐平治さへいじを支えていた。

 長男で六歳の小富司こふじと、長女の妃富司ひふじはまだ一歳。子供たちの名前はいずれも幼名ようめいだった。鬼郷おにさと家は代々一五歳で成人と見なされ、その時点で新たな名前を与えられる。

 そんな特殊な仕来しきたりを持った鬼郷おにさと家では、雄滝おだき神社の滝川たきがわ家ですら歓迎されたことはない。

 それでも御陵院ごりょういん家の人間は何度か許されていた。しかも人によるらしく、その一人がさきだった。認められた人間でなければ二つ目の鳥居とりいくぐることは出来ない。一つ目の鳥居とりいから続く階段までだった。

 その日、本殿の中央に位置する祭壇の前に通されたさきを、佐平治さへいじ結妃ゆいひが出迎える。

 最初に口を開いたのは佐平治さへいじだった。

貴女あなた様がいらっしゃるとは…………お珍しいことですな」

 佐平治さへいじはまだ二八歳。一つの神社を任せられるには一般的には若い。しかし通常の神社ではない。普通に参拝客さんぱいきゃくが訪れるような神社ではなかった。本来なら誰に知られることもない、まるで密教みっきょうのような場所。

「最近、色々とさわがしくなっておりまして…………」

 正座しながらも気持ち的に身構えていたさきが低く返した。

 御陵院ごりょういん神社は清国会しんこくかいの中では雄滝おだき神社に次いで二番手。通常、清国会しんこくかい仕来しきたりで雄滝おだき神社、御陵院ごりょういん神社の人間に向かい合って座れる人間はいなかった。

 しかし毘沙門天びしゃもんてん神社の鬼郷おにさと家は違った。

 通常では真後ろに座ることすら許されない。斜め後ろで頭を下げ続けるのが通例だった。にも関わらず、佐平治さへいじ結妃ゆいひさきの正面におくさずに座っていた。

 毎度のこととさきも今更気にすることもない。

 それほどに、清国会しんこくかいの中での特殊性を持っていた。

 その佐平治さへいじさきに応えた。

「そのようですな……御上おかみからもうかがってはおりました」

 〝御上おかみ〟とは、現在の毘沙門天びしゃもんてん神社に於いては内閣府のこと。定期的に情報の報告は受けていた。

 その佐平治さへいじが続ける。

「しかし…………我々には関わりの無きこと…………」

 そして、それに返すさきの言葉が僅かに強くなった。

「いえ…………我らがうやまうべき金櫻かなざくら家からの阻礙そがいを受けております」

 すると、それまで黙っていた結妃ゆいひ佐平治さへいじの隣で口を開く。

「それは清国会しんこくかいにとっての御話かと…………」

 結妃ゆいひは二三歳。その若さを感じさせないような妖艶ようえんな落ち着きを持ち合わせていた。

 さきが前回結妃(ゆいひ)に会ったのは数年前。十代の終わり頃だったが、その頃よりもなまめかしさが増している印象を受けた。

 それに対し、さらにさきの声が大きくなった。

「こちらにも清国会しんこくかいの〝武闘派ぶとうは〟としての責務せきむを果たして頂きたい」

 言いながら、しだいにさきの目が鋭くなっていく。

 しかし、結妃ゆいひは口元に嫌な笑みを浮かべ、ゆっくりと。

武闘派ぶとうはですか…………しかしその武闘派ぶとうはゆえに…………どなたも近付けないではありませんか…………清国会しんこくかいが何を求めようと、我らの身はみずからで守ります」

 その結妃ゆいひの言葉にさきは次の言葉を探した。

 しかしそれが見付かるよりも早く口を開いたのは佐平治さへいじ

貴女あなた様は礼儀れいぎを重んじる御方おかただ。だからこそまねき入れただけのこと…………清国会しんこくかい天照大神あまてらすおおみかみ信仰しんこうされるのは自由ですが、我らにそれを強要されるいわれは御座いません」

 事実、清国会しんこくかいの中で唯一独自の信仰しんこうを持ち、だからこそ毘沙門天びしゃもんてん神社は独立をつらぬいてこれたとも言える。

「しかし…………矛先ほこさきがこちらに向いている様子ようすが御座います」

 そう返すさきの声は、微かに小さくなっていた。


 ──……聞く気はないか…………


「なに、ここまで辿たどり着くのも難しかろうて」

 小さく笑みを含めた佐平治さへいじのその言葉に、さきは気持ちを押される。

「相手は天照大神あまてらすおおみかみ様とそれをまもる者…………」

 そのさきの言葉を、佐平治さへいじは鼻で笑った。

滑稽こっけいな話だ。さき様ともあろう御方おかたが…………ここをまもまことの神を知らぬわけではあるまい」



      ☆



「この間は久しぶりに職務質問を受けてな、まあ深夜だったが…………ナンバープレートの照合をしてから声をかけろと言ってやったよ」

 そんな話をしながら運転席の西浦幸人にしうらゆきひとが口角を上げていた。

 暗い車内。

 さらには隣のビルからの大きな影で黒い車そのものが大きく隠されていた。周囲に同じように路上駐車された車は見当たらない。街中からは距離があった。海に近い工業地帯の幹線道路。夜となれば通る車も少ない。

「それで遅くなっちまった。お前は子供がいるから時間も限定されるだろうし……この時間なら大丈夫か?」

 そう言う西浦にしうらは総合統括事務次官の一人。内閣府が発足してからの古参こさんでもあった。以前は公安に所属していたといううわさもあるが、実際の過去は誰も知らなかった。すでに四八歳だったが家庭は無い。一〇年ほど前に離婚を経験してからは独りだった。前妻が引き取った息子が一人。離婚してからは会っていない。本人に言わせれば、仕事柄一人のほうが楽だということらしい。事実、離婚後に誰か特定の女性と付き合う素振りは見せなかった。

「そうは言っても夜ですよ。短時間なら構いませんが…………」

 溜息混じりにそう応える助手席の大見坂雫おおみざかしずくも総合統括事務次官の一人。

 しずくは人差し指で下にズレていた太いフレームの眼鏡を上げた。

 元々は警視庁のエリート監察官の一人だったが、その霊感体質を理由に三〇歳の時に内閣府に引き抜かれ、それから六年の歳月が経っていた。

 産まれは代々政治家の家系。大学の政経学部を卒業後にみずからの意思で警察学校に通った変わった経歴を持つ。キャリア組として通う必要のない警察学校。しかししずくは少しでも現場の世界を知っておきたかった。

 クールな印象に見られることが多いが、幼い頃から厳しく育てられてきたせいか寂しがり屋な一面もあった。そしてそれはみずから自覚もしていた。それを隠すかのように他人に対しては強気に接することが多く、周りからは冷たくキツい性格に見られていた。そのためもあり、男性からは敬遠されることが多い。

 警視庁に入ってから付き合った同じ警視庁内の職員との間に一〇歳になる娘が一人。しかし相手には家庭があった。実家の反対を押し切ってシングルマザーになることを選んだために、それ以来実家とは疎遠そえんになったまま。もちろんシングルマザーとして妊娠と出産をしたことは警視庁内でもうわさまととなり、実務にまで影響を及ぼしていた。

 清国会しんこくかいから声がかかったのは、ちょうど警視庁に対して窮屈きゅうくつさを感じて悩みをつのらせていた頃。同時に、理不尽な居心地の悪さを感じていた頃。

 総合統括事務次官になってからは、主に毘沙門天びしゃもんてん神社を担当していた。

 そんなしずくでも、神社の詳細については知らないことのほうが多い。それだけ毘沙門天びしゃもんてん神社は清国会しんこくかいの中でも特殊で謎の多い場所だったと言えるだろう。

「最近の清国会しんこくかいがピリピリとしてるのは報告の通りだが────」

 その西浦にしうらの言葉をしずくが遮る。

「警戒は強めています。ただ、簡単に内部にまで入り込めるわけでは…………」

「相変わらずの言い方だな。確かに簡単に手の内を見せるような相手でもない…………どうせみんな、まともな人間たちじゃないしな」


 ──……それを言うなら、私だって…………


 しずくは物心がついた頃からの霊感体質だった。そのせいで幼い頃から変な目で見られ続け、親友を失ったことさえある。

 総合統括事務次官の職員のほとんどは、いわゆる霊感体質と言われる人間が多かった。少なくとも直接担当の神社を受け持っている職員は能力者と決まっている。その七名は〝裏七福神〟と呼ばれた。職員の中で西浦にしうらのように、能力を持ち合わせていない者は少ない。

 そして西浦にしうらは時々皮肉めいた言葉を使った。本人的に悪意はない。周りの職員は口が悪いだけだと思うようになっていた。

 その西浦にしうらの言葉が続く。

御陵院ごりょういん家のスパイはまだ泳がせているが、重要拠点ばかりが狙われているのは事実だ。次はお前の所の可能性も高い」

 御陵院ごりょういん家のスパイ────御陵院ごりょういん家の税理士である立坂たてさかの事務所に内閣府が〝税務調査〟として立ち入ったのは少し前のこと。立坂たてさか西沙せいさと共に〝へびの会〟を立ち上げていたことはすでに内閣府も掴んでいた。しかしそれで立坂たてさかの身柄を押さえるつもりはない。おどしに過ぎなかった。

「分母が減れば必然的にパーセンテージは上がります。理系の人間でなくても分かることですよ」

 そう言うしずくの冷ややかさに、西浦にしうらは一瞬だけ背中が冷たくなるのを感じた。

 それでも強気に鼻で笑う。

「お前らしい言い方だ……まあ、何か動きがあれば報告を頼むよ」

 西浦にしうらはそう応えるのが精一杯だった。

「あそこは私でも管理し切れる所ではありません…………裏が見えないからです。立ち入ることですら難しい時もあります…………」

 僅かにゆるしずくの口調に、西浦にしうらは入り込む。

「お前は、そのための人間だろ? 裏七福神の一人として…………」



      ☆



 化粧台の鏡の前に、西沙せいさは小さな骨壷こつつぼを置いた。

 中には〝喉仏のどぼとけ〟だけ。

 首の第二頚椎(けいつい)にあたる部分の骨。まるで座禅ざぜんをして両手を合わせている姿に見えることから〝喉仏のどぼとけ〟と呼ばれ、地域差もあるが仏教の世界では分骨ぶんこつされることもある部分だ。

 その喉仏のどぼとけだけを西沙せいさは手元に置くことを選んだ。


 ──……神社の娘だっていうのに…………

 ──……結局……生きてる人間の自己満足なんだよね…………


 最初から分かってはいた。

 それが宗教というもの。

 一神教と多神教の違いこそあれ、神道しんとうの中で生き、宗教と接し続けてきた西沙せいさに分からないはずがない。

 背後からの足音に振り返ると、そこに立っていたのは咲恵さきえだった。

「置き場所も考えないとね」

 咲恵さきえはそう言って西沙せいさの隣に膝を降ろした。その手にはお香立てとガラスのお猪口ちょこ

 その咲恵さきえが続ける。

「とりあえずお線香立ての代わりになるかなって思って…………萌江もえもお水あげて欲しいって…………」

 萌江もえ咲恵さきえも、死者をとむらうことの意味は西沙せいさと同様に分かっていた。それでも、不思議なほどにこういうことを大事にしたがる。だからこそ西沙せいさを受け入れたとも言える。

 宗教は人間が作ったもの。その認識は変わらない。それでもその必要性も意味も理解していた。

 二人は死者を粗末そまつに扱うことを嫌った。

 だからこそ西沙せいさ萌江もえ咲恵さきえに着いてきた。

 咲恵さきえの言葉に微笑ほほえみながらも、西沙せいさの目には小さく涙がにじむ。

 咲恵さきえ西沙せいさの肩に手を置いただけで立ち上がった。

 そこにリビングの杏奈あんなの声が聞こえてくる。

萌江もえさん、竹の子ってそれ以外にもまだあるんですか?」

「あるある。食べ過ぎなきゃ来年の春まではいけるよ」

 その萌江もえの声に、リビングに戻りながらの咲恵さきえが返した。

「みんなで頑張ったもんねえ」

 家の裏は竹林。

 普段入ることはないが、そこも家の敷地の一部。そのため、春には姫竹ひめたけ採りが出来た。

 もちろん萌江もえが一人の頃は採れる量もたかがしれていた。自分の食べる分だけ。他に食べるとしても咲恵さきえだけだった。もちろん保存用の分もある程度は採取したが、そもそも一人では取れる量が限られる。思った以上に重労働だ。しかし今年は四人で一週間に分けて採り続けた。小さい物は残して次の日以降に回す。竹の子は一晩で大きく伸びるからだ。だからこそタイミングを逃すとしゅんまで逃す。

 でた竹の子の皮を剥き、すぐに食べる物以外は瓶に小分けして塩漬け。食べる時には塩抜きをする。

「皮付きの炭焼き美味しかったなあ」

 気持ちを切り替えたような西沙せいさの声がリビングに流れ、同時に西沙せいさはリビングのソファーに腰を降ろした。

 皮に切れ目を入れただけで七輪しちりんで炭焼きされた竹の子はしゅんでしか味わえない。縁側で七輪しちりんを囲んで四人で食べた日はほんの少し前のこと。それなのに西沙せいさにはなぜか懐かしくさえ感じられていた。

 ソファーで両腕を上げて背を伸ばした西沙せいさに、台所の萌江もえの声が飛ぶ。

「来年また食べれるよ。採るのは大変だけどね」

 それに応えるのは咲恵さきえ

「腰が痛くなるのよねえ。もう若くないし」

 そう言って咲恵さきえはコーヒーメーカーへ。マグカップにコーヒーを注ぐと西沙せいさに手渡した。

 その西沙せいさが返す。

「おばちゃん臭いこと言わないでよ…………でも楽しかったよ」

 その笑顔を杏奈あんなすくう。

「そうですね、しかも美味おいしいし。今日もやっぱりマヨネーズですよね」

 杏奈あんなは台所に足を進めた。

 その台所の流しで、萌江もえは納骨に出かける前に姫竹ひめたけの塩抜きをしていた。水を張ったボールに入れて何度か水を取り替える。再度()でれば塩は抜けやすいが、ですぎると食感が変わる危険もあった。帰ってきてからすでに何度目かの水の交換を繰り返していた。そのためか、今夜の夕食はいつもより少し遅い。

「今日はどうする? ワサビマヨ? カラシマヨ? オリーブ醤油じょうゆにマスタードもありだね」

 そう言いながら笑顔で調味料を出す萌江もえは、心底料理を楽しんでいた。しかも今は食べてくれる家族も増えた。

 萌江もえも、一人の時の寂しさを知っていた。

 それは咲恵さきえ西沙せいさ杏奈あんなも同じ。三人にとっては毎日がご馳走ちそうだった。もちろんそれは料理の質だけではないだろう。新しい家族で食卓を囲めることが幸せだった。

 普通の関係ではない。

 もちろん本当の家族でもない。

 しかし繋がっていた。

 誰かと一緒に飲むお酒も美味おいしかった。

 それでもそんな夕食を楽しんだ後は現実に戻される日々。

 それはいつも全員でお酒のツマミ以外の皿を片付けてから始まる。


 次のターゲットは〝毘沙門天びしゃもんてん神社〟。

 最初の頃は場所も踏まえて近場から選んでいたが、今回は西沙せいさの判断だった。なぜ毘沙門天びしゃもんてん神社を選んだのかは西沙せいさ自身にも分かっていない。

西沙せいさちゃんが次に毘沙門天びしゃもんてんを選んだ理由は何?」

 ウィスキーのロックグラスを片手に、咲恵さきえがそう言って紙の資料を覗き込んだ。西沙せいさ立坂たてさかの作った〝へびの会〟の清国会しんこくかいに関する最初の資料。四人にとっては重要な手掛かりの一つでもあった。さらに今夜は満田みつたから提供された新しい資料も加わる。

「……なんだろう……なんとなくかなあ…………」

 冷酒を口に運びながらの西沙せいさがそう応えるが、それは本音だった。

 そして咲恵さきえが返す。

毘沙門天びしゃもんてんってそもそも、神とは言っても背後に〝夜叉やしゃ〟を従えてる存在なわけよね」

 すると萌江もえもロングネックの瓶ビールを片手に挟まった。

夜叉やしゃってことは〝鬼〟か…………穏やかな相手と考えないほうが良さそうだね。しかもあまりにも分からないことが多過ぎる」

「そうね、総合統括事務次官に担当がいることが分かってるだけなんて…………」

 そう言う咲恵さきえに、ツマミのチーズを食べながらの西沙せいさ

立坂たてさかさんの話じゃ、他の清国会しんこくかいの人間ですら滅多に近付かないみたいだよ。しかもなぜか〝武闘派ぶとうは〟って呼ばれてるみたい…………」

 それに返すように萌江もえが呟く。

武闘派ぶとうはかあ…………」

 武闘派ぶとうはという言葉をどう捉えたらいいのか、全員が戸惑った。清国会しんこくかいに所属している神社で物理的な武力とも思えない。

 すると咲恵さきえ杏奈あんなに顔を向けた。

杏奈あんなちゃん、やっぱり地図はダメ?」

 杏奈あんなもすぐに返す。

「ダメですね。どの地図サイトを見ても黒く塗り潰されてます。衛星の画像データ自体が修正されていると考えたほうがいいでしょうね。依頼をすれば要望には応えてくれるみたいですから珍しいわけではないですけど…………軍事施設とか…………」

 その杏奈あんなの言葉を拾ったのは萌江もえだった。

清国会しんこくかいならやれるか……でも神社で地図からの削除依頼なんて、理由が考えにくいな…………そう考えたら場所が分かっただけでも立坂たてさかさんは大したものだよ。そもそも神社庁に登録すらされていない神社なわけだし…………そもそもの情報源は何?」

 萌江もえはそう言って西沙せいさに顔を向ける。

 西沙せいさはすぐに返した。

清国会しんこくかいの人間…………小さな神社にいる人みたい…………でも、もうその人とも連絡が取れなくなったみたいでさ…………」

立坂たてさかさんの事務所に調査が入ったのはそこからだろうね…………しばらくは私たちだけで動くしかないか。それでいいよね」

 そう返した萌江もえが全員の目を確認してから続けた。

「それより前から思ってたんだけどさあ……総合統括事務次官って、なんの部署か全く分からない名前なのはどうしてかなあ?」

 その萌江もえは溜息混じり。

 すぐに返したのは咲恵さきえだった。

「元々公表されてる内閣府の組織図には存在しないし、他の内閣府の人間にも気付かれにくくしてるんでしょうね。長すぎて読みにくいし」

 それを西沙せいさが拾う。

「だったら内閣府である必要も無いのに…………どうして内閣府の中にひっそりと置いてるんだろ…………」

「リクルートのしやすさ?」

 その咲恵さきえの言葉に、萌江もえがさらに疑問をぶつける。

「内閣府は政府の指示で動いてるようで、いざとなれば政府を動かすことの出来る組織だよ…………その内閣府を作ったのは、誰なんだろうね…………」

 そう言った萌江もえに、杏奈あんなが新しいビールを手渡した。





           「かなざくらの古屋敷」

    〜 第十九部「夜叉の囁き」第2話(完全版)へつづく 〜


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ