第十九部「夜叉の囁き」第1話(完全版)
長い歴史で紡がれてきた
それは、間違った歴史
それは、悪魔の系譜
そして、神と悪魔は、いつも同じところに
☆
長い時の果てに、再び季節が訪れた。
そして、再び過ぎて行く。
どんなことも、過去になっていった。
時は戻らない。
分かっているのに、それを認識することは残酷だ。
もしかしたら、自分は逃げてきたのかもしれない。
何かから。
そう西沙は感じていた。
やっと、美由紀を墓地に納骨することが出来た。
小さなお寺の隣の、静かな霊園。
決して大きくはない。それでも落ち着いて眠れる場所だった。まるで、ここだけは時間がゆっくりと過ぎているのではないかと思えるほど。
街を見下ろせる丘の上。
周囲の木々からは緑の匂いがした。
すでに季節は夏。
夜の空気も湿度に覆われる頃。
しかしこの日は日中でもそれほど蒸し暑くはなかった。
穏やかな、緩い風。
その風が、夏の強い陽差しを遮る。
「ごめんね…………色々と手伝ってもらって…………」
線香の煙が周囲の空気に絡まる中で、墓石の前で腰を降ろし、手を合わせた西沙がそう言うと、すぐに返ってきたのは背後の萌江の声。
「……美由紀ちゃんのことは、みんなが責任を背負ってるからね」
それを掬い上げるのは咲恵。
「そうね……他人事じゃないもの…………西沙ちゃんが一人で背負っちゃダメだよ」
それに西沙は背中で応える。
「……でも…………お金までみんなに出してもらって…………」
「確かに最近の墓地の金額には驚いたけど、出さない理由にはならないよ。日頃の西沙ちゃんへの感謝の気持ち…………もう家族なんだから」
その咲恵の言葉に、西沙はすぐに。
「……変な家族だね…………」
その西沙を、後ろから抱きしめたのは萌江だった。
驚いた西沙の耳元に、萌江の柔らかい声が響く。
「……人生ってさ…………何が起こるかなんて……分からないよね」
「萌江がそれを言わないでよ」
西沙はそう返し、少し照れながらも笑顔のまま。背後から自分を包む萌江の手を握っていた。
萌江はいつでも未来を見ることが出来るわけではない。それはまるで、変えられない未来と不確定な未来の両方が同時に存在しているかのようだった。どちらなのかは萌江にも、それは分からないまま。ただ、見えた時には従う。従いたくない未来が見えないことをいつも祈った。
そんな萌江だからこそ、その言葉には重みがあった。
三人の会話を一番後ろで聞いていた杏奈の目に、自然と涙が滲んでいた。
その時その時で、多くのことを選んできた。そのいくつのことが正しかったのかと、やはり杏奈の脳裏にも浮かぶことはある。後悔が無いなどとは言えない。
過去は変えられない。
しかし、今の杏奈は何度も繰り返し思っていた。
──……今、こうしてここにいることは、間違いじゃない…………
もちろん予想など出来ていたわけではない。よもやこんなオカルト的な人生を歩むとは想像出来るはずもなかった。そして、それが想像していたものとは大きく違うものであることも間違いない。
それでもそれは誰にとっても同じこと。杏奈に分かっているのは、それだけ。
「これからも忙しくなると思うけど…………」
そう言って言葉を繋ぐのは咲恵。
「──ここが…………みんなが集まる場所になるといいね…………」
その咲恵の言葉を萌江が拾った。
「でもその前に────」
そう言いながら萌江が立ち上がって続ける。
「〝蛇の会〟の拠点も作らないとね」
蛇の会は元々西沙と立坂が〝対清国会〟のために立ち上げた組織だった。そこに満田が関わる形で協力し、今は萌江と咲恵、杏奈までも巻き込んでいるにも関わらず、その実態に中核になる部分が無い。拠点を作る必要性は立坂から出されたのが最初だった。情報をそこに集中させることで動きやすくなると考えたからだ。満田と立坂が個別に情報を持ち続けることは情報の漏洩に繋がる可能性もある。現在は確かに組織としてのネットワークが不完全なことも事実だった。
そして萌江の言葉に咲恵が繋げる。
「協力者も必要になるかもしれない」
それにすぐに返したのは西沙だった。
「でも……これ以上誰かを巻き込むのは、少し、怖いかな…………」
振り返った西沙の目には明らかに不安が浮かぶ。西沙には美由紀を巻き込んでしまった自責があった。こうなる結果を予測することは出来たはず。西沙は何度もそう考えていた。そして、それを阻止することが出来なかった。
咲恵もそれは常々感じている。しかし最近の立坂への内閣府からの接触が気になった。明らかに脅しと取れるその動きからは、見方を変えれば清国会側の焦りも感じられる。事実、清国会の拠点となる神社のいくつかが、萌江たちの動きによって清国会に背を向ける結果になった。これ以上荒らされては困るというのが本音なのだろう。
「……能力者が欲しい…………」
声のトーンを落とした咲恵が続ける。
「みっちゃんと立坂さんは、私たちでも守るのには限界がある…………後になって後悔するのは…………西沙ちゃんだけじゃなくて、みんな嫌でしょ?」
「……それは…………そうだけど…………」
小さく返す西沙の声に、萌江が返した。
「もちろん焦っちゃダメ。神社を潰しただけじゃ駄目なのは西沙も分かるでしょ?」
「うん…………そんな簡単なことじゃない…………」
それは、そう応える西沙にも当然のように分かっていること。
清国会はそんな根の浅い組織ではない。遥か昔からこの国の歴史に深く関わってきた。場合によっては国の歴史をも動かしてきたことだろう。
もはや、清国会に相対するということは、国を敵に回すことと同義。
誰もがその覚悟を持っていた。
そして、咲恵も西沙も萌江を守るためなら命ですら懸けるだろう。
だからこそ、次の萌江の言葉が二人に刺さった。
「……もう誰も犠牲にはしないよ…………あなたたちもね…………」
☆
決して大きな神社ではない。
それでも、その歴史は長い。
しかし、国の表の歴史にはほとんど存在しなかった。
毘沙門天神社。
その神社は現在では地図にも存在しない。
清国会がその神社を取り込んだのは明治元年。政府から神仏分離令が出された直後。
毘沙門天とは〝夜叉〟を率いる神。悪鬼、もしくは鬼神。
それは仏教の中の〝鬼〟。
かつてこの国の歴史の神道の中、その神道の中に仏教が様々な形で取り込まれてきた。いわば、融合してきたとも言える。その歴史は奈良時代までも遡る。しかし明治政府はそれを法律を使ってまで切り離した。それは国教を〝神道〟とする上で、その神道と天皇家の価値を上げることにあった。
そのために、神社仏閣の多くが歴史から消された事実がある。
毘沙門天神社も仏教の中の夜叉を取り込んでいた。明治政府から逃れようとする段階で清国会が近付いた。
〝鬼〟と言われる夜叉を、清国会は求めた。
当時、清国会は国の中枢にいない。幕府側としてこの国の中に入り込んでいた清国会は、倒幕側である新政府によって歴史の舞台から退いていた。
だからこそ。
だからこそ、清国会は〝夜叉〟を求めた。
清国会の代表になったばかりの滝川御世が、組織をまとめられないまま、組織を統率出来ないままの頃。
毘沙門天も、その清国会を利用した。
そして、毘沙門天は隠された。
そして、毘沙門天は〝夜叉〟と共に生きてきた。
武闘派と言われる由縁でもあり、その為か、清国会の中ですら他の神社から恐れられる場所でもあった。それもあり、入れる人間は少ない。清国会の人間でも容赦無く〝夜叉〟の攻撃を受ける。いつの間にか清国会でも操ることの出来ない存在とも言えるほどになっていた。
その神社を古くから護ってきたのは鬼郷家。
現在の当主は宮司でもある鬼郷佐平治。五歳下の妻の結妃は巫女として佐平治を支えていた。
長男で六歳の小富司と、長女の妃富司はまだ一歳。子供たちの名前はいずれも幼名だった。鬼郷家は代々一五歳で成人と見なされ、その時点で新たな名前を与えられる。
そんな特殊な仕来たりを持った鬼郷家では、雄滝神社の滝川家ですら歓迎されたことはない。
それでも御陵院家の人間は何度か許されていた。しかも人によるらしく、その一人が咲だった。認められた人間でなければ二つ目の鳥居を潜ることは出来ない。一つ目の鳥居から続く階段までだった。
その日、本殿の中央に位置する祭壇の前に通された咲を、佐平治と結妃が出迎える。
最初に口を開いたのは佐平治だった。
「貴女様がいらっしゃるとは…………お珍しいことですな」
佐平治はまだ二八歳。一つの神社を任せられるには一般的には若い。しかし通常の神社ではない。普通に参拝客が訪れるような神社ではなかった。本来なら誰に知られることもない、まるで密教のような場所。
「最近、色々と騒がしくなっておりまして…………」
正座しながらも気持ち的に身構えていた咲が低く返した。
御陵院神社は清国会の中では雄滝神社に次いで二番手。通常、清国会の仕来たりで雄滝神社、御陵院神社の人間に向かい合って座れる人間はいなかった。
しかし毘沙門天神社の鬼郷家は違った。
通常では真後ろに座ることすら許されない。斜め後ろで頭を下げ続けるのが通例だった。にも関わらず、佐平治と結妃は咲の正面に臆さずに座っていた。
毎度のことと咲も今更気にすることもない。
それほどに、清国会の中での特殊性を持っていた。
その佐平治が咲に応えた。
「そのようですな……御上からも伺ってはおりました」
〝御上〟とは、現在の毘沙門天神社に於いては内閣府のこと。定期的に情報の報告は受けていた。
その佐平治が続ける。
「しかし…………我々には関わりの無き事…………」
そして、それに返す咲の言葉が僅かに強くなった。
「いえ…………我らが敬うべき金櫻家からの阻礙を受けております」
すると、それまで黙っていた結妃が佐平治の隣で口を開く。
「それは清国会にとっての御話かと…………」
結妃は二三歳。その若さを感じさせないような妖艶な落ち着きを持ち合わせていた。
咲が前回結妃に会ったのは数年前。十代の終わり頃だったが、その頃よりも艶かしさが増している印象を受けた。
それに対し、さらに咲の声が大きくなった。
「こちらにも清国会の〝武闘派〟としての責務を果たして頂きたい」
言いながら、しだいに咲の目が鋭くなっていく。
しかし、結妃は口元に嫌な笑みを浮かべ、ゆっくりと。
「武闘派ですか…………しかしその武闘派ゆえに…………どなたも近付けないではありませんか…………清国会が何を求めようと、我らの身は自らで守ります」
その結妃の言葉に咲は次の言葉を探した。
しかしそれが見付かるよりも早く口を開いたのは佐平治。
「貴女様は礼儀を重んじる御方だ。だからこそ招き入れただけのこと…………清国会が天照大神を信仰されるのは自由ですが、我らにそれを強要される謂れは御座いません」
事実、清国会の中で唯一独自の信仰を持ち、だからこそ毘沙門天神社は独立を貫いてこれたとも言える。
「しかし…………矛先がこちらに向いている様子が御座います」
そう返す咲の声は、微かに小さくなっていた。
──……聞く気はないか…………
「なに、ここまで辿り着くのも難しかろうて」
小さく笑みを含めた佐平治のその言葉に、咲は気持ちを押される。
「相手は天照大神様とそれを護る者…………」
その咲の言葉を、佐平治は鼻で笑った。
「滑稽な話だ。咲様ともあろう御方が…………ここを護る真の神を知らぬわけではあるまい」
☆
「この間は久しぶりに職務質問を受けてな、まあ深夜だったが…………ナンバープレートの照合をしてから声をかけろと言ってやったよ」
そんな話をしながら運転席の西浦幸人が口角を上げていた。
暗い車内。
さらには隣のビルからの大きな影で黒い車そのものが大きく隠されていた。周囲に同じように路上駐車された車は見当たらない。街中からは距離があった。海に近い工業地帯の幹線道路。夜となれば通る車も少ない。
「それで遅くなっちまった。お前は子供がいるから時間も限定されるだろうし……この時間なら大丈夫か?」
そう言う西浦は総合統括事務次官の一人。内閣府が発足してからの古参でもあった。以前は公安に所属していたという噂もあるが、実際の過去は誰も知らなかった。すでに四八歳だったが家庭は無い。一〇年ほど前に離婚を経験してからは独りだった。前妻が引き取った息子が一人。離婚してからは会っていない。本人に言わせれば、仕事柄一人のほうが楽だということらしい。事実、離婚後に誰か特定の女性と付き合う素振りは見せなかった。
「そうは言っても夜ですよ。短時間なら構いませんが…………」
溜息混じりにそう応える助手席の大見坂雫も総合統括事務次官の一人。
雫は人差し指で下にズレていた太いフレームの眼鏡を上げた。
元々は警視庁のエリート監察官の一人だったが、その霊感体質を理由に三〇歳の時に内閣府に引き抜かれ、それから六年の歳月が経っていた。
産まれは代々政治家の家系。大学の政経学部を卒業後に自らの意思で警察学校に通った変わった経歴を持つ。キャリア組として通う必要のない警察学校。しかし雫は少しでも現場の世界を知っておきたかった。
クールな印象に見られることが多いが、幼い頃から厳しく育てられてきたせいか寂しがり屋な一面もあった。そしてそれは自ら自覚もしていた。それを隠すかのように他人に対しては強気に接することが多く、周りからは冷たくキツい性格に見られていた。そのためもあり、男性からは敬遠されることが多い。
警視庁に入ってから付き合った同じ警視庁内の職員との間に一〇歳になる娘が一人。しかし相手には家庭があった。実家の反対を押し切ってシングルマザーになることを選んだために、それ以来実家とは疎遠になったまま。もちろんシングルマザーとして妊娠と出産をしたことは警視庁内でも噂の的となり、実務にまで影響を及ぼしていた。
清国会から声がかかったのは、ちょうど警視庁に対して窮屈さを感じて悩みを募らせていた頃。同時に、理不尽な居心地の悪さを感じていた頃。
総合統括事務次官になってからは、主に毘沙門天神社を担当していた。
そんな雫でも、神社の詳細については知らないことのほうが多い。それだけ毘沙門天神社は清国会の中でも特殊で謎の多い場所だったと言えるだろう。
「最近の清国会がピリピリとしてるのは報告の通りだが────」
その西浦の言葉を雫が遮る。
「警戒は強めています。ただ、簡単に内部にまで入り込めるわけでは…………」
「相変わらずの言い方だな。確かに簡単に手の内を見せるような相手でもない…………どうせみんな、まともな人間たちじゃないしな」
──……それを言うなら、私だって…………
雫は物心がついた頃からの霊感体質だった。そのせいで幼い頃から変な目で見られ続け、親友を失ったことさえある。
総合統括事務次官の職員のほとんどは、いわゆる霊感体質と言われる人間が多かった。少なくとも直接担当の神社を受け持っている職員は能力者と決まっている。その七名は〝裏七福神〟と呼ばれた。職員の中で西浦のように、能力を持ち合わせていない者は少ない。
そして西浦は時々皮肉めいた言葉を使った。本人的に悪意はない。周りの職員は口が悪いだけだと思うようになっていた。
その西浦の言葉が続く。
「御陵院家のスパイはまだ泳がせているが、重要拠点ばかりが狙われているのは事実だ。次はお前の所の可能性も高い」
御陵院家のスパイ────御陵院家の税理士である立坂の事務所に内閣府が〝税務調査〟として立ち入ったのは少し前のこと。立坂が西沙と共に〝蛇の会〟を立ち上げていたことはすでに内閣府も掴んでいた。しかしそれで立坂の身柄を押さえるつもりはない。脅しに過ぎなかった。
「分母が減れば必然的にパーセンテージは上がります。理系の人間でなくても分かることですよ」
そう言う雫の冷ややかさに、西浦は一瞬だけ背中が冷たくなるのを感じた。
それでも強気に鼻で笑う。
「お前らしい言い方だ……まあ、何か動きがあれば報告を頼むよ」
西浦はそう応えるのが精一杯だった。
「あそこは私でも管理し切れる所ではありません…………裏が見えないからです。立ち入ることですら難しい時もあります…………」
僅かに緩む雫の口調に、西浦は入り込む。
「お前は、そのための人間だろ? 裏七福神の一人として…………」
☆
化粧台の鏡の前に、西沙は小さな骨壷を置いた。
中には〝喉仏〟だけ。
首の第二頚椎にあたる部分の骨。まるで座禅をして両手を合わせている姿に見えることから〝喉仏〟と呼ばれ、地域差もあるが仏教の世界では分骨されることもある部分だ。
その喉仏だけを西沙は手元に置くことを選んだ。
──……神社の娘だっていうのに…………
──……結局……生きてる人間の自己満足なんだよね…………
最初から分かってはいた。
それが宗教というもの。
一神教と多神教の違いこそあれ、神道の中で生き、宗教と接し続けてきた西沙に分からないはずがない。
背後からの足音に振り返ると、そこに立っていたのは咲恵だった。
「置き場所も考えないとね」
咲恵はそう言って西沙の隣に膝を降ろした。その手にはお香立てとガラスのお猪口。
その咲恵が続ける。
「とりあえずお線香立ての代わりになるかなって思って…………萌江もお水あげて欲しいって…………」
萌江も咲恵も、死者を弔うことの意味は西沙と同様に分かっていた。それでも、不思議なほどにこういうことを大事にしたがる。だからこそ西沙を受け入れたとも言える。
宗教は人間が作ったもの。その認識は変わらない。それでもその必要性も意味も理解していた。
二人は死者を粗末に扱うことを嫌った。
だからこそ西沙も萌江と咲恵に着いてきた。
咲恵の言葉に微笑みながらも、西沙の目には小さく涙が滲む。
咲恵は西沙の肩に手を置いただけで立ち上がった。
そこにリビングの杏奈の声が聞こえてくる。
「萌江さん、竹の子ってそれ以外にもまだあるんですか?」
「あるある。食べ過ぎなきゃ来年の春まではいけるよ」
その萌江の声に、リビングに戻りながらの咲恵が返した。
「みんなで頑張ったもんねえ」
家の裏は竹林。
普段入ることはないが、そこも家の敷地の一部。そのため、春には姫竹採りが出来た。
もちろん萌江が一人の頃は採れる量もたかがしれていた。自分の食べる分だけ。他に食べるとしても咲恵だけだった。もちろん保存用の分もある程度は採取したが、そもそも一人では取れる量が限られる。思った以上に重労働だ。しかし今年は四人で一週間に分けて採り続けた。小さい物は残して次の日以降に回す。竹の子は一晩で大きく伸びるからだ。だからこそタイミングを逃すと旬まで逃す。
茹でた竹の子の皮を剥き、すぐに食べる物以外は瓶に小分けして塩漬け。食べる時には塩抜きをする。
「皮付きの炭焼き美味しかったなあ」
気持ちを切り替えたような西沙の声がリビングに流れ、同時に西沙はリビングのソファーに腰を降ろした。
皮に切れ目を入れただけで七輪で炭焼きされた竹の子は旬でしか味わえない。縁側で七輪を囲んで四人で食べた日はほんの少し前のこと。それなのに西沙にはなぜか懐かしくさえ感じられていた。
ソファーで両腕を上げて背を伸ばした西沙に、台所の萌江の声が飛ぶ。
「来年また食べれるよ。採るのは大変だけどね」
それに応えるのは咲恵。
「腰が痛くなるのよねえ。もう若くないし」
そう言って咲恵はコーヒーメーカーへ。マグカップにコーヒーを注ぐと西沙に手渡した。
その西沙が返す。
「おばちゃん臭いこと言わないでよ…………でも楽しかったよ」
その笑顔を杏奈が掬う。
「そうですね、しかも美味しいし。今日もやっぱりマヨネーズですよね」
杏奈は台所に足を進めた。
その台所の流しで、萌江は納骨に出かける前に姫竹の塩抜きをしていた。水を張ったボールに入れて何度か水を取り替える。再度茹でれば塩は抜けやすいが、茹ですぎると食感が変わる危険もあった。帰ってきてからすでに何度目かの水の交換を繰り返していた。そのためか、今夜の夕食はいつもより少し遅い。
「今日はどうする? ワサビマヨ? カラシマヨ? オリーブ醤油にマスタードもありだね」
そう言いながら笑顔で調味料を出す萌江は、心底料理を楽しんでいた。しかも今は食べてくれる家族も増えた。
萌江も、一人の時の寂しさを知っていた。
それは咲恵と西沙、杏奈も同じ。三人にとっては毎日がご馳走だった。もちろんそれは料理の質だけではないだろう。新しい家族で食卓を囲めることが幸せだった。
普通の関係ではない。
もちろん本当の家族でもない。
しかし繋がっていた。
誰かと一緒に飲むお酒も美味しかった。
それでもそんな夕食を楽しんだ後は現実に戻される日々。
それはいつも全員でお酒のツマミ以外の皿を片付けてから始まる。
次のターゲットは〝毘沙門天神社〟。
最初の頃は場所も踏まえて近場から選んでいたが、今回は西沙の判断だった。なぜ毘沙門天神社を選んだのかは西沙自身にも分かっていない。
「西沙ちゃんが次に毘沙門天を選んだ理由は何?」
ウィスキーのロックグラスを片手に、咲恵がそう言って紙の資料を覗き込んだ。西沙と立坂の作った〝蛇の会〟の清国会に関する最初の資料。四人にとっては重要な手掛かりの一つでもあった。さらに今夜は満田から提供された新しい資料も加わる。
「……なんだろう……なんとなくかなあ…………」
冷酒を口に運びながらの西沙がそう応えるが、それは本音だった。
そして咲恵が返す。
「毘沙門天ってそもそも、神とは言っても背後に〝夜叉〟を従えてる存在なわけよね」
すると萌江もロングネックの瓶ビールを片手に挟まった。
「夜叉ってことは〝鬼〟か…………穏やかな相手と考えないほうが良さそうだね。しかもあまりにも分からないことが多過ぎる」
「そうね、総合統括事務次官に担当がいることが分かってるだけなんて…………」
そう言う咲恵に、ツマミのチーズを食べながらの西沙。
「立坂さんの話じゃ、他の清国会の人間ですら滅多に近付かないみたいだよ。しかもなぜか〝武闘派〟って呼ばれてるみたい…………」
それに返すように萌江が呟く。
「武闘派かあ…………」
武闘派という言葉をどう捉えたらいいのか、全員が戸惑った。清国会に所属している神社で物理的な武力とも思えない。
すると咲恵が杏奈に顔を向けた。
「杏奈ちゃん、やっぱり地図はダメ?」
杏奈もすぐに返す。
「ダメですね。どの地図サイトを見ても黒く塗り潰されてます。衛星の画像データ自体が修正されていると考えたほうがいいでしょうね。依頼をすれば要望には応えてくれるみたいですから珍しいわけではないですけど…………軍事施設とか…………」
その杏奈の言葉を拾ったのは萌江だった。
「清国会ならやれるか……でも神社で地図からの削除依頼なんて、理由が考えにくいな…………そう考えたら場所が分かっただけでも立坂さんは大したものだよ。そもそも神社庁に登録すらされていない神社なわけだし…………そもそもの情報源は何?」
萌江はそう言って西沙に顔を向ける。
西沙はすぐに返した。
「清国会の人間…………小さな神社にいる人みたい…………でも、もうその人とも連絡が取れなくなったみたいでさ…………」
「立坂さんの事務所に調査が入ったのはそこからだろうね…………しばらくは私たちだけで動くしかないか。それでいいよね」
そう返した萌江が全員の目を確認してから続けた。
「それより前から思ってたんだけどさあ……総合統括事務次官って、なんの部署か全く分からない名前なのはどうしてかなあ?」
その萌江は溜息混じり。
すぐに返したのは咲恵だった。
「元々公表されてる内閣府の組織図には存在しないし、他の内閣府の人間にも気付かれにくくしてるんでしょうね。長すぎて読みにくいし」
それを西沙が拾う。
「だったら内閣府である必要も無いのに…………どうして内閣府の中にひっそりと置いてるんだろ…………」
「リクルートのしやすさ?」
その咲恵の言葉に、萌江がさらに疑問をぶつける。
「内閣府は政府の指示で動いてるようで、いざとなれば政府を動かすことの出来る組織だよ…………その内閣府を作ったのは、誰なんだろうね…………」
そう言った萌江に、杏奈が新しいビールを手渡した。
「かなざくらの古屋敷」
〜 第十九部「夜叉の囁き」第2話(完全版)へつづく 〜




