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第十八部「花と香りと罪」第2話(完全版)

 御坂圭みさかけいの両親が離婚したのは、けいが一〇歳の時。

 だいぶ物事の分別がつく多感な年齢。

 専業主婦だった母は生活の場を求め、とりあえず娘のけいを連れて実家に帰るしかなかった。

 そこは地方の山肌の村。そして村でも一番大きな地主の家だった。

 歓迎されたわけではなかった。出戻りという世間体せけんていもあったのかもしれないが、元々家の反対を押し切っての結婚だったこともあり、二人は小さな離れをてがわれただけで食事も母が母屋おもやまで取りに行く。しかも決して贅沢ぜいたくな食事ではない。母屋おもやの人間と顔を合わせることもほとんど無かった。

 家は村を見下ろせる一番上。そこで一週間程経った頃、母は毎日村まで降りて仕事を探した。しかし田舎の小さな村。出戻りの親子の話はすでに村中に広がっていた。

 学校にも通えない日々が続く。

 仕事が見付からないままに、母はしだいに衰弱すいじゃくしていく。フラフラとした足取りで咳き込むことが多くなり、そこで暮らし始めてから一年ほどで亡くなった。

 朝になっても起きない母から、いつもとは違う嫌な匂い。

 けい母屋おもやに走った。

 火葬だけはしてくれた。

 葬儀はなかった。

 二日後、けいは母の小さな骨壷こつつぼを受け取る。両手で包める大きさしかない。


 ──……こんなに小さいんだ…………


 墓には入れてもらえなかった。

 それからしばらくの間、使用人としての労働を強制された。

 例え娘の子供であっても、同時に嫌っていた男の子供。

 暴力は日常茶飯事だった。


 そのまま、どれくらいの日々が過ぎたのだろう。

 ある夜、けいはこっそりと離れを抜け出した。服のポケットに母の骨壷こつつぼを入れただけ。他には何も持ってはいない。

 山の森の中をただただ歩き続けた。明るくなっても歩き続けた。

 やがて大き目の道路に出るが、進む方向が分からない。出来るだけ村から離れたかった。

 その道路を歩き続けて、やっと足が疲れてきた。大きな道路とは言っても山の中。水の音を頼りに川を探す。小さな川を見付け、やっと水を飲むことが出来た。川沿いの石に座り、少し休むと、途端に眠気が襲ってくる。

 気が付いた時には、辺りはすでに夜。

 けいは再び歩き始めた。

 疲れる度に、母の骨壷こつつぼを触って元気をもらう。


 やがて辿り着いたのは大きな町。

 目的地があったわけではない。

 それでも気持ちがゆるんだ。

 体力は限界。

 服はボロボロで泥だらけ。靴底ががれて足の指が見えるほどに擦り切れたスニーカー。

 どこかは分からない。建物の横で座りこみ、やがて倒れた。

 そのまま病院に担ぎ込まれ、警察に保護される。


 何年かぶりの、まともな食事を食べた。もしかしたら普通の食事だったのかもしれない。それでもけいにとってはご馳走だった。

 警官から色々なことを聞かれた。

 しかし、けいが応えたのは〝けい〟という名前だけ。母からもらった大事な名前だと思えたからだ。

「君が持っていたのはこれだけだった…………これは骨壷こつつぼだよね…………」

 警官のその言葉に、けいは警官の手から骨壷こつつぼを奪い取ると胸に抱いた。

 そして驚く警官に向けて小さく言葉を投げる。

「……お母さん…………」

 ボロボロになって母親の骨壷こつつぼを抱きしめる少女。

 その姿に、警官の中にも何か感じるものがあったのだろう。

「……そうか……ごめんね……大事な物だよね…………」

 〝けい〟という名前から、すでに調査が進んでいた。

 しかし行方不明の届出などはない。

 やがてけいは行政に引き渡され、一時的という形で保護施設へ。


 それから実家がどうしたのかは、もちろんけいには分からないまま。

 少なくとも探してはいなかったのだろう。死んだことにでもされたのか。

 けいは保護施設で何年も過ごすことになる。

 おおよその年齢から仮の戸籍こせき再生が行われ、中学から高校へ。

 しかし施設でも学校でも問題行動が多かった。感情を暴力で表現することが多かった。警察の世話になったことも一度や二度ではない。

 それはまるで、それまで知らずに溜め込んでいた何かを吐き出しているかのようだった。

 高校の卒業と同時に就職した先は社員寮のある他県の工場。施設からも煙たがられていたけいにとっては、やっと自由になれるチャンスの一歩だった。

 けいは毎日の短調な日々の中でお金を貯め、アパートを借りて転職。とは言っても選べる職種は少ない。経験は工場での仕事ばかり。

 やっと見付けたのは夜の仕事。初めは難しくなかった。スナックで客の相手をしながらお酒を作ればいい。しかしその世界にはその世界なりの難しさがあった。それを学んでいく中で、やっとけいは社会のきびしさを感じていた。

 そんな頃に二つ年上の店の客に見染みそめられて付き合い、やがて結婚と共に仕事を辞めた。

 幸せだった。

 そんな日々が一年ほど続き、娘が産まれる。


 けい。二〇歳。

 やっと、人生に何かを求め始めた。

 やっと、この国が〝戦後〟という言葉を忘れ始めた時代だった。



      ☆



 咲恵さきえ隔週かくしゅうで店に顔を出していた。

 一週間出て、また一週間休む。そんな生活をしてすでに数ヶ月。

 咲恵さきえのいる週はやはり常連の入りは多いが、それでも最近は他の女の子たち目当ての客も増えた。元々自分の店とは言っても、そんな部分に咲恵さきえはホッとしていた。


 ──……そろそろ……このお店は一人歩きするのかな…………


 少しだけ、寂しい気持ちが無いわけではない。

 あまりにも多くの思い出があった。しかし今の咲恵さきえには、もっと大事なものがあるのも事実。

 その日は開店前に満田みつたが来ていた。

 以前はよく萌江もえも開店前に来ていたが、最近は満田みつたが裏の情報のり合わせに来ることがほとんど。

 咲恵さきえ満田みつたの目の前にボトルセットを並べ始めると、すぐに満田みつたの口が開く。

「内閣府が動いてる」

 しかし咲恵さきえは平然とウィスキーの水割りを作りながら返した。

「夏には衆院選でしょ。お忙しいことね」

「内閣府には関係無いよ。どうせ結果は見えてる。消化試合みたいなもんだ」

 満田みつたがいつもの濃い目の水割りを口に運びながらそう言うと、あくまで咲恵さきえも世間話でもするかのように応えていく。


 ──……前はこんな世間話で盛り上がれる頃もあったのに…………


「内閣府が動かなくたって……あの人たちが色々とちょっかいかけてくるけどね」

 事実、清国会しんこくかいに関わってからは目まぐるしい日々だった。そして、常に気持ちの張り続ける日々。咲恵さきえ萌江もえに溜息が増えてきたとも感じていた。精神的な疲労がいかに肉体をむしばんでいくのか、それが体現されているかのようだった。同時に咲恵さきえの不安も蓄積していく。

 その咲恵さきえの目の前で、満田みつたも溜息を吐いた。

「向こうからすればこっちが邪魔してると思ってるだろうさ。それに内閣府は表立っては動かんよ。今回も地味に立坂たてさかの事務所に税務調査だとさ。あいつは行政の人間ですら顧客にしてる税理士だってのに…………どんな冗談だっていうのかね」

 すると、咲恵さきえ満田みつたのボトルで自分の水割りを作りながら返した。それはいつものこと。

「脅し?」

「おそらくな…………前に殺された県警の刑事…………そいつの名刺を捜査員の一人がこっそりと置いてったそうだ」

 すると、さすがに咲恵さきえも目を細める。

「…………悪趣味なことするのね」

 満田みつたの言う県警の刑事とは、杏奈あんながかつて付き合っていた男。杏奈あんなの依頼で清国会しんこくかいを調査することで殺されたと見られていた。

「あれじゃ現代の秘密結社だ。まるでCIAだよ」

 そう言った満田みつたが再びの溜息。

 咲恵さきえも釣られるように小さく溜息をいた。

「神社を潰したくらいじゃ無駄ってことなの?」

 清国会しんこくかいの拠点とはいえ、決して神社そのものを無くしたいわけではなかった。それでも引き寄せられるようにいくつかの神社を巡っていたのも事実。

 そして、それにはいつも意味があった。

 それを咲恵さきえから感じたのか、満田みつたは慌てたように返す。

「そんなことはない。事実、それがあるから脅しに来たとも言える」

立坂たてさかさんもそうだけど、みっちゃんにも危険が及ぶことはないの?」

 自分たちなら、自分たちで身を守ることは出来るだろう。しかし実質的に別働隊のような満田みつた立坂たてさかを守るのは難しい。しかも咲恵さきえたちのような能力者でもない。いわば二人は〝へびの会〟の情報屋のような立ち位置だ。危険な立場になる可能性も高い。

 しかし心配する咲恵さきえに対して、満田みつたは相変わらずの明るい声で応えた。

「無くはないな。どうせ素性すじょうは割れてるだろうさ。もっとも俺たちだって覚悟の上だ。男ってのはいくつになってもカッコつけたいのさ」

 それに、少しだけ間を空けた咲恵さきえ

「…………バカ……」

「お互い様じゃないか……そっちだって命()けてるんだろ」

 その満田みつたの言葉に、咲恵さきえの目は無意識に鋭くなった。

「…………そうね…………でも、みっちゃんと立坂たてさかさんには家庭もあるでしょ」

「まあな……とは言っても俺たちも今さら足を引っ込めることは出来んさ。ま、今回は一応、報告と忠告だ」

「…………うん」

 咲恵さきえはなぜか寂しさを感じていた。

 もう、昔には戻れない。

「俺たちは後方支援しかできねえ。この国の救世主を守るのは……力のある人間にしか出来ないだろ」

 そう言った満田みつたは数枚のA4用紙を三つ折りにして咲恵さきえに手渡し、続けた。

「次に行く所の新しくかき集めた資料だ。一応な。いつも通りデジタルデータは消してる。俺が持ってると色々と厄介やっかいだ。ただ……毘沙門天びしゃもんてんは気を付けたほうがいい…………武闘派ぶとうはがいるようだ…………」

「穏やかじゃないのね。ま、いつものことだけど」

 咲恵さきえはそう返しながら、素早く用紙を鞄に入れた。

「内閣府が一番懇意(こんい)にしてる所らしい。あいつらが常に周りに張り付いてる…………」

 その満田みつたの言葉に、心なしか咲恵さきえは声を落とす。

「それだけ大事な場所?」

「多分な。それ以上はさすがに分からなかった…………後は頼むよ」

「いいわ。どうせ私たちの素性すじょうだって知られてるんだろうし」

「変な車とかにけられてないか?」

「任せて。私たちの存在は恵麻えまだって見付けられない…………」

 それは萌江もえの能力なのか、なぜか萌江もえたちの動きは清国会しんこくかいからは見えなくなっていた。家ですら見付けられずにいる。

 もちろんその謎の力によって助けられているのは事実。

 それでもその理由は分からないまま。



      ☆



 まだ夏祭りの時期には早い。

 少しずつスケジュールが発表されてはいたが、まだ先だった。

 それでも全国で一番早い花火大会が隣の県で開催されることは萌江もえ咲恵さきえも知っていた。夏の始まりを告げるようなお祭りでもある。もちろん全国から観光客が集まるのも毎年のこと。

「行かない理由はないね」

 お祭りのホームページを見ながらそう言う萌江もえの隣で、ラップトップのモニターを覗き込みながら西沙せいさが目を輝かせていた。

「いつなの⁉︎」

 明らかに興奮気味なその口調に、隣のソファーの杏奈あんな微笑ほほえましく感じていた。西沙せいさと出会った頃には見られなかった表情だ。

 最近は杏奈あんなにとっても精神的につらいことが多過ぎた。三人を信じてここまでやってきた。何が正しいのか、今の時点で結論を出すつもりはない。三人のためだけではない。自分で選択してきた。

 母親を捨てたのは自分。その気持ちを忘れたことはない。

 それでいいと思った。忘れて生きていくつもりもない。

 それを背負って生きていくだけ。そう思った。

 それでも、たまにあるこんな明るい日々が、杏奈あんなには何より嬉しい。

「二週間後…………ホテル取れるかな」

 萌江もえのその言葉に、西沙せいさはもちろん飛び付く。

「取れるよ。お願い」

「へいへい」

 なかばふざけて応えながらも、萌江もえも笑顔が消えない。

 思えば、清国会しんこくかい関係以外で四人で旅行というのも初めてのこと。

 意外にもあっさりと駅前のビジネスホテルが取れた。しかも四人部屋のファミリールーム。申し分なくことが進んでいく。


 ──……まるで何かに呼ばれてるみたい…………


 萌江もえはその時、何気なくそう思っていた。

 萌江もえですらそれを深く考えないほど、その時間は、幸せだった。


 そして二週間後。

 杏奈あんなの運転で隣の県まで四人で向かうが、さすがに道中の道路はどこも混み合っていた。調べると毎年ホテルの予約を取るのが大変らしい。前日入りする観光客がそれほど多いということなのだろう。

「よくホテル取れたよねえ」

 途中で寄った高速のサービスエリア。そこで買ったフランクフルトをかじりながら萌江もえがそう言うと、運転席の杏奈あんなが笑顔で返した。

「ホントですよねえ。日頃のおこないのお陰じゃないですか?」

「なんかいいことしたっけ」

 後部座席の萌江もえのその言葉に、隣の咲恵さきえと助手席の西沙せいさが同時に顔を向ける。

 それに驚く萌江もえが反射的に言葉を漏らしていた。

「……な……なによ……」

 西沙せいさが満面の笑みを浮かべて前に顔を戻す。

 口を開いたのは咲恵さきえだった。

「私たちは、あなたがいるからここにいるの…………みんな萌江もえには感謝してるってこと」

 それに繋げるのは杏奈あんな

「みんなに会えて、私は幸せですよ」

 萌江もえは窓の外に顔を向ける。

「……まったく…………」

 それでも、その微笑ほほえみは隠せていなかった。


 ホテルに到着した時はすでに夕方。

 天気はいい。まだ空は赤くない。ほのかに昼時よりも陽の光が傾き始めたのを感じながら、多くの人たちが夜の花火に気持ちをたかぶらせていた。

 そのためか、ホテルのロビーが観光客で埋め尽くされているほど。スーツ姿のサラリーマンの姿は見当たらない。大きなお祭り等の時にサラリーマンが出張を外すと言うのは本当らしい。ホテルは間違いなく満室だろう。従業員も忙しそうだ。

 四人はチェックインの時に夕食のことを聞かれたが、せっかくだからと外に食べに行くことを伝える。部屋に荷物を置くと、すぐにホテルを出た。

 駅前を歩きながら、従業員が勧めてくれた地元料理の食べられる店を目指した。


 そこは、駅の入り口の前。

 タクシーが何台も並ぶその場所で、突然、西沙せいさが足を止めた。

 他の三人も釣られるように足を止める。

 すぐに声をかけたのは咲恵さきえ

「どうしたの?」

 言いながら西沙せいさの顔を覗き込む。

 西沙せいさは呆然と正面を見たまま、その目からは涙が零れていた。

「…………あれ? …………なんだろ…………これ…………」

 すぐに咲恵さきえ西沙せいさの手を取った。

 意識を読み取る。

 同時に萌江もえも何かを感じた。

 途端に緊張が走る。


 そして、誰かが萌江もえの服のすそを引っ張った。

 萌江もえが視線を落とすと、そこには、まだ小学生にもなっていないような小さな女の子。


「呼ばれたか」

 そう呟いた萌江もえが走り出した。

 ブーツの甲高い足音と共に駅の中に入ると、改札近くの駅員に声を上げる。

「二番ホームの女の人! 青いジーンズに茶色のカーディガン! もうすぐ飛び込むよ!」

 驚いた表情のその駅員が走った。

 真意しんいを確かめるよりも早く、何かに突き動かされるように走った。


 二番ホーム。

 そこに、かおりがいた。

 電車がホームへ。

 飛び込もうとするかおりの腕をギリギリで駅員が掴む。

 周囲がざわついた。


 項垂うなだれるかおりの体を支えながら駅員が改札まで戻ってくると、そこにはホッとした顔の萌江もえ咲恵さきえ西沙せいさの姿。

 駅員が近くのベンチにかおりを座らせた。

 そこにペットボトルを持って駆け寄ってきたのは杏奈あんな

 杏奈あんながそれを萌江もえに渡すと、萌江もえは蓋を開けてかおりの手に持たせた。

「飲んで。もう大丈夫だから…………」

 そこにいまだ息を切らした駅員の声。

「危ないじゃないですか──どうして…………」

 それをなだめたのは杏奈あんなだった。

「すませんでした……勘弁かんべんしてあげて下さい。色々あったもので…………」

 とりあえずそんな言葉を並べて誤魔化ごまかす。

「こちらとしては助かりましたが……あなた方はこちらの女性の…………」

「まあ…………知り合いみたいなものでして…………」

 三人と違い、杏奈あんなには詳細は分からない。この場合は例えうその言葉でもいい。今までのジャーナリストとしてのくせのようなものが役に立った。

 しかし信じた。


 ──……これには必ず意味がある……だから大丈夫…………


 咲恵さきえが膝を落とし、黙ってかおりの手を取って目を閉じた。

 驚くかおりの前で、萌江もえ西沙せいさも手を重ねる。

 かおりの記憶が三人に流れ込む。

 自分の感情の奥底に誰かが入り込む不思議な感覚。もちろんかおりにとっては初めての感覚。

 そして、自然と涙が零れる。

 咲恵さきえが顔を上げ、優しい瞳を向けた。

「……うん…………分かりました…………誰もあなたをめたりはしませんよ…………」

 その言葉をすくい上げるのは西沙せいさ

「……子供たちも…………あなたをうらんでなんかいない…………」

 かおりの両目から、大粒の涙が落ちていく。

 萌江もえは水晶のネックレスを左手に絡めると、その水晶をかおりの額へ。

 そして、かおりの中の記憶が修正されていく。

 萌江もえの声が、ゆっくりとかおりの中に染み込んでいった。

「あなたの罪悪感が、あなたの死にたい気持ちを作り上げた…………苦しかったね…………ほら……見えるでしょ? 子供たちが懸命けんめいにあなたを守ってる…………私たちは子供たちに呼ばれたの…………」

 かおりの頭に光景が浮かぶ。


 〝 階段から落ちた時に、下敷きになるようにしてかおりの体を支える女の子 〟


 〝 駅のホームで、かおりの手を握る男の子 〟


 〝 そして、萌江もえの服のすそを引っ張る女の子 〟


 かおりの気持ちの中に、不思議な温もりが広がった。

「私は99.9%幽霊なんか信じない。でも……あなたの子供たちは信じられる…………」


 咲恵さきえが顔を上げた。

杏奈あんなちゃん……〝かおりさん〟を家まで送って行きたいの」

 杏奈あんなは即答する。

「いいですよ。車取ってきます」

 その杏奈あんなの瞳は、力強い。



      ☆



 いつの間にか、空は夕陽に包まれていた。

 目に見える物が次々とオレンジ色に染まっていく中、助手席のかおりの案内で、アパートを目指す。

 かおりは言葉の端々(はしばし)で、何度も「すいません」を繰り返していた。それでも四人の気持ちは晴れやかな感情しかない

 それは杏奈あんなも同じ。


 ──……やっぱり…………着いてきて正解だった…………


 赤信号で停まる。

 住宅街。

 斜め向かいの戸建ての家の庭が見えた。

 両親と、まだ幼い子供が三人。

 家族で花火を楽しんでいた。


 ──……私も……子供たちとあんな時間を過ごしてみたかった…………


 そう思ったかおりの脳裏に、古い記憶が蘇る。

 それは、僅かな母との思い出だった。


 何歳の頃のものかは覚えていない。

 母親がいた頃に暮らしていた小さな八百屋やおやの前。

 夜に二人だけで花火をした。

 楽しそうな母の笑顔を思い出す。

 一度だけの思い出。

 幸せだった。


 ──………………お母さん……………………


 アパートの前に車が停まる。

 かおりは助手席を降りて深々と頭を下げた。

「ご迷惑をお掛けして…………」

 後部座席の窓を開けた萌江もえが声を掛ける。

かおりさんの職場の利用者さんに……〝御坂圭みさかけい〟っていうおばあちゃんいるでしょ?」

 かおりは仕事のことは話していなかった。それどころか、ここに来るまで、誰もかおりに何も聞こうとはしなかった。

 それに驚きながらも、かおりが記憶を探る。

「……もしかしたら……最近新しく入った利用者さんの中に……確か…………でもどうして…………」

「明日、声掛けてみて…………あなたはもう大丈夫…………」

 走り去る車に、かおりは何度も頭を下げた。


 ──……私は…………生きててもいいの…………?


 ──…………子供たちが助けてくれた……それなのに私は…………



      ☆



 御坂圭みさかけい────七八歳。

 最近デイサービスを利用するようになった利用者だった。

 身寄りはいなかった。

 特別養護老人ホームから週に三回デイサービスを訪れる。もっともそれは本人の意思ではない。老人ホームがケアプランにのっとって作ったスケジュールに過ぎない。

 事実、かおりはその利用者の笑顔を見たことがない。他の利用者と会話をしているのも見た事がなかった。

 いつも、一人だった。

 数年前に腰椎ようつい骨折をしてから車椅子の生活。軽度の認知症にんちしょうということだったが、特別そういった素振りは見えなかった。


 ──……昨日の人は、どうして御坂みさかさんのことを知ってたんだろう…………


 昨夜の経験は、かおりにとってはただただ不思議なことという他なかった。

 しかし、大きく助けられたことは事実。

 そして、子供たちの本当の気持ちに気付くことが出来た。

 まるで〝神様〟にでも出会った気分。

 〝奇跡〟の中に自分がいた。

 そして、御坂圭みさかけいに声を掛けろというのが最後の指示だとすれば、信じてみようと思った。


 誰が話しかけても、いつも素っ気ない利用者。

 かおりはきっかけを探した。

 それでも、不思議なほどにかおりに迷いはなかった。


「……御坂みさかさん……今夜…………花火大会ですよね」

 今日は花火大会初日。毎年のことだが、この日はいつもより長目ながめの滞在時間になっていた。職員と利用者が一緒に庭で花火を眺められる日。庭の向かいに邪魔な建物が無いお陰で毎年綺麗に花火を見ることが出来た。

「…………花火…………?」

 か細いけいのその声に、嫌な印象はなかった。

「みんなで一緒に見れるんですよ。あそこの庭から────」

 かおりは大きなガラスの向こうの広い庭を指差した。

 ガラスに映るのは、二人の姿。

 すると、その光景に顔を向けたまま、けいが話し始める。

「昔…………私にも娘がいたの…………一度だけ……家の前で花火をしました……どうしても娘がしたがって…………お金も無くて立派な物は買えなかったんだけど…………でも…………幸せだった…………」


 ──…………そうか……………………


 けいの言葉が続く。

「最近ね、小さな子供が三人…………夜になると遊びに来てくれるの…………その度に、娘を思い出してね…………」


 ──……………………うん……………………


 そして、けいが話し始めた。





              「かなざくらの古屋敷」

      〜 第十八部「花と香りと罪」第3話(完全版)

                       (第十八部最終話)へつづく 〜


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