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第十七部「数珠通りの坂」第1話(完全版)

    それは嫌な隙間すきまだった

    誰にも見られたくない

    見せたくない隙間すきま

    しかし

    だからこそ浮き立つ





 数珠町じゅずちょう

 そこは坂の街だった。緩やかな山肌の街。

 上から「上数珠うわじゅず」「中数珠なかじゅず」「下数珠しもじゅず」と呼ばれる地区があった。

 遥か昔は正式名称だったが、現在は正式に地名としては使われていない。それでも地元では現在でも使われている当たり前の呼称こしょうだった。

 古くは上数珠うわじゅずの高台に城があった。しかし現在残っているのは石垣だけ。

 その上数珠うわじゅずは土地の値段も高く、高級住宅と古い風情ふぜいの残る歴史的建造物が多い。中数珠なかじゅずは中流階級、下数珠しもじゅず貧困層ひんこんそう

 それは昔から変わらない。上ほど物価も高く、下に行くほど治安も悪い。

 数珠町じゅずちょうの名前の由来は、安土桃山あづちももやま時代まで大きな仏閣ぶっかくがあったことに起因していた。寺で古くなった数珠じゅず供養くようしていたことが始まりだったと記録には残されている。時のいくさで城と共に寺が燃やされたことで現在その寺はもう無いが、町の名前だけが残った。

 当時から寺が管理する墓地は下数珠しもじゅずにあった。その墓地自体は現在でも残っている。しかし遥か昔に放棄され、今は訪れる人はいない。そして近々更地(さらち)にされる予定となっていた。

 山に囲まれた地域でもあるために、外部からの主要な交通機関の根幹こんかんは今でも列車だった。もちろん現代の地方経済の現実は車社会。それでも都市部までの道路は山間部をくぐる細い道だけ。そのため、二〇年越しでやっと動き出した再開発計画に期待が集まっていた。

 町の中心にある一番大きな駅は中数珠なかじゅずにある。路線は一本のみ。東に行くか西に行くか。新幹線の停まる駅までの距離もある。

 行政機関の多くも、その中数珠なかじゅずに集中していた。

 杏奈あんなが町で最初に訪れたのは、そんな中数珠なかじゅずの町役場。

 閑散かんさんとした受付で、声を張る。

「すいません。マスコミ担当の方がいらっしゃると伺ったんですが」

 受付の中にはオフィスデスクが敷き詰められているようなたりな光景。決して広くはない。


 ──古いパソコンばっかり並んでるなあ…………


 杏奈あんなはそんなことを思いながら受付の中を見渡した。

 その中で何人かが顔を上げ、その内の一人が立ち上がった。四〇前後くらいだろうか、くたびれたYシャツに経歴が見て取れる。胸ポケットの緩み方に清潔感は無い。白髪混じりの頭を指できながら、その男が溜息混じりに受付に近付く。

「えーっと、担当の木村きむらと申しますが……」

「お忙しいところすいません…………」

 杏奈あんなたりな言葉を並べながら名刺を差し出した。木村きむらと名乗った男は、それを受け取っただけで自分の名刺を出すわけではない。少なくとも本人には不名誉な担当なのだろう。

「フリーの方ですか…………」

「依頼は出版社からのものです」

 杏奈あんなはすぐにそう応え、クリアファイルに入ったままの依頼書を受付のカウンターに置く。

 そこに視線を落とした木村きむらは、少し間を空けてから応えた。

「……分かりました。別室になりますので」

 そう言ってカウンターを出ると、杏奈あんなを小さな応接室に通す。

 空気の動いていない部屋であることがすぐに分かった。湿度が高い。木村きむらは扉の側のスイッチを押して換気扇を動かしたが、空気が回るのには時間がかかりそうな弱々しい駆動音。

 それでもまるでそれを気にしないかのように、木村きむらは古いアルミ製の棚からファイルを取り出しながら口を開いた。

「アレでしょ? 〝幽霊マンション〟ですよね」

 いかにもとげのあるそんな口調にも杏奈あんなは慣れたもの。ソファーに腰を降ろしながら、横に置いたカメラバッグから手帳を出しつつ、こっそりボイスレコーダーのスイッチを入れる。

 木村きむら杏奈あんなの前に数冊のファイルを置き、向かい側のソファーに腰を降ろした。

 外からのマスコミの目的は他にはないのだろう。これといった産業もなく、観光客を呼べるだけの材料もなければ、長い間、それを作ろうともしてこなかった土地柄。そしてそれが当たり前となっている現実をただ受け入れているだけ。

 木村きむらの溜息混じりの声からもそれは伺えた。

「最近はあまり騒がれなくなりましたよ。もっともあまり騒ぎになってはこちらも困るんですが…………他の仕事もありますし……」

 上数珠うわじゅずに建てられて一〇年ほどになる四階建ての高級マンション。

 そこで幽霊騒ぎが持ち上がったのは二ヶ月ほど前のことだ。ラップ音や足音、金縛り、人影のようなものを室内で見た等、現象自体はよくある怪談話レベル。しかしほぼ全室からのうったえに、不動産屋も困り果てた所でマスコミが動き出した。そのニュースに飛びついた他県からのマスコミ対応のために町役場が動かざるを得なくなるまでは、それほど時間はかからなかった。

 もちろんマスコミは幽霊騒ぎとして騒ぎ立てたが、行政的にはこれからの再開発計画の絡みもあり、町のマイナスイメージに繋がるようなことは早く収まってほしいのが本音。

 マスコミとしては次に何か大きな展開が起きてくれることを期待した。しかしそれほどはなのある展開は起きないまま、世間の関心が薄れるのはすぐだった。

 杏奈あんなはファイルを開きながら、顔を上げずに質問を投げかけていく。

「現象が起きたのは二ヶ月くらい前からですか? 一応今でも続いてはいるんですね」

「一応、町民からのうったえでもありますし…………記録には残していますが…………」

「おはらいとか────」

「さあ、我々は関知かんちしていません」

 そう応える木村きむらの声には明らかに苛立いらだちが見て取れた。その声が続く。

「そういったことでしたら不動産屋に聞かれたほうがよろしいかと」

 しかし杏奈あんなは畳み掛けた。

「住人の方の情報は……さすがにここには載ってませんよねえ」

「個人情報ですから」

「個別に取材したいんですけど」

「それならテレビ局とかに聞いてみたほうが────」

「フリーって嫌な目で見られるんですよねえ」

 そう言って杏奈あんなは開いたファイルの下に手を差し入れ、木村きむらに見えるように小さく折り畳んだ紙を差し出した。

 木村きむらはそれを見るなり、視線はそのままで眉間みけんしわを寄せる。

 明らかに一万円札。

「名前と電話番号だけで…………パソコンならすぐですよね…………アクティブログだけ個別に消せば…………」

 木村きむらは一万円札を雑に受け取ると、立ち上がる。

「……五分で…………」

 そして部屋を出る。


 ──……初めてじゃなさそう…………

 ──……地元のマスコミにもヤバい奴がいるみたいだ…………


 五分後。

 リストを受け取った杏奈あんなは軽く頭を下げて部屋を出た。


 ──……とりあえずマンションに行ってみるしかないか…………


 職業柄か性格か、こんな地方の町役場でも、周囲に視線を配る観察力はくせのようなもの。杏奈あんなは常に何かを探していた。

 そして、あちこちの壁にしつこいくらいに貼られている再開発計画のポスターが目に入る。

 そこには開発地区が地図で示されていた。かなり大きな道路が出来るらしく、確かにこれなら人の動きも物の流れも変わるだろう。


 ──……これかあ……下数珠しもじゅずエリアがだいぶ削られるんだ…………


 観光客を見越してか、隣のポスターには商店街向けの説明会の案内。しかしその説明会は上数珠うわじゅず中数珠なかじゅず下数珠しもじゅずでそれぞれ行われるらしい。


 ──……小さな町なのに……これも田舎気質いなかきしつか…………

 ──…………好きじゃないな…………こういうの…………


 杏奈あんなも決して都会育ちというわけではない。それほど大きくもない地方都市で産まれ育った。

 その地方の良さを生かした所とは程遠い街。中途半端に都会を目指し、結果的に個性を失ったそんな街が、杏奈あんなは嫌いだった。元々ビジネスが下手と言われていた地域の気質は確かにあった。しかし外からの流入を嫌う気質でありながら、その流入を許さなければならなかった現実に、いつの間にか飲まれたようにしか、杏奈あんなには見えない。

 だからこそ、母が仕事の転職に合わせて引っ越したいと言われた時は嬉しかった。

 正直少しだけ、杏奈あんなの中には清清せいせいした気持ちもあった。それでも、父との思い出のある場所を離れるのは少しだけ寂しかった。

 それだけに、だからこそ、地方独特の田舎気質いなかきしつが嫌いだった。

 杏奈あんながそのポスターの前で大きく溜息をいた直後、途端に聞こえてくる若い女性の声。

 切迫した声だった。

「どうしてですか⁉︎ 私は担当の方に直接お話を聞いて頂きたいだけです」

 受付で身を乗り出してそう声を上げているのは、杏奈あんなもすでに見慣れた巫女みこ姿の女性。とはいえ、普通に考えたらそれは場違いな衣装だ。巫女みこ服を着ていても細身の体型なのが分かるくらいに線が細い。身長が高いのもそう思わせる理由だろうか。杏奈あんなも女性としては高い方だが、その杏奈あんなより僅かに高く見える。

 その巫女みこに、職員の中年男性が溜息混じりに応対をしていた。

「──ですから担当者は会議中でして…………」

「いつもじゃないですか⁉︎ お願いです。話を聞いて頂きたいんです!」

「でしたらお電話で予約をされてですね、それから────」

「いつも予約が取れないからこうして赴いているんです!」

 杏奈あんなはその声を背にガラスの自動ドアから外へ。


 ──……この町って、それこそ下数珠しもじゅずに神社が一つあるだけだったはず…………


 おはらいが行われたという地元ニュースを目にしていた。

 しかし調べると神社は一つだけ。

 さっき見た資料では、おはらいに関してはマスコミが取り仕切っていた。その時点で杏奈あんなには分かる。話題作りであり、例え本気で信じていなくても、外から呼ばないのは本当に収まってもらっては困るから。地元に唯一ある小さな神社に頼むくらいがちょうどいいのだろう。

 町役場の入り口の隣。

 角のびついた古い自動販売機。

 そこで杏奈あんなは甘めの缶コーヒーを二本買うと、一本を開けて飲み始めた。

 そこに、狙い通りに項垂うなだれた巫女みこ姿の女性がやってくる。

 杏奈あんなはその女性の前に缶コーヒーを差し出し、その足を止めた。

 予想通りの驚いたその表情に、杏奈あんなの表情がゆるむ。

「この町で、神社は一ヶ所と聞いてますけど…………」

 杏奈あんながそう質問を投げ掛けると、巫女みこは大きく溜息をきながら怪訝けげんそうに杏奈あんなに横目を向けた。しかし再び視線を前に戻し、ゆっくりと目の前の缶コーヒーを両手で包むと、再び軽く息を吐いた。

 そして杏奈あんなの顔を見ようともせずに小さく口を開く。

「……はい…………確かに私は布袋尊ひていそん神社の者です…………」

 それに、杏奈あんなはあくまで明るく返していた。

「まあ、私はご想像通りのマスコミの人間ですよ。うわさの幽霊マンションを調べてましてね。何度かおはらいがあったって聞きましたけど…………」

「…………はい……私が伺いました。うわさももちろん存じております」

 そしてやっと巫女みこは顔を杏奈あんなに向ける。

 だいぶ若い。まだ二〇才と少しという感じだろうか。ほとんど化粧もしていないように見えたが、それでもその肌は若さを表していた。

「私なんかにお話し出来ることなんて────」

 続く巫女みこの言葉を、杏奈あんなはすぐに遮る。

「──実は私……ホントのところでは幽霊とかのろいとか信じてないんですよ。でも……不思議な経験はしてきました…………何度も…………ですので、あなたのお仕事も否定はしません」

 なぜか杏奈あんなは、そんな本音を語った自分を不思議に感じた。初めて会った相手にも関わらずそんな言い方の出来た自分を、異質にさえ思った。

 しかし、そんな杏奈あんなの目に何かを感じたのか、巫女みこの目が、ゆっくりと変わっていく。

 そして、その下の唇が、小さく開いた。

「……よろしければ……神社にお越しになりますか?」

「助かります」

 意外な巫女みこの反応にも杏奈あんなは反射的に返していた。



      ☆



 昭和二二年。

 終戦から、まだほどない頃。

 国内情勢の安定にはいまだ遠かった。

 もちろんそれは政治、経済に於いても同じ。直接戦火の影響を受けていない地域でも、やはり物流などの滞りは想像以上だった。

 物が無い。お金も無い。

 結果的に犯罪は増えていく。

 雫川依定しずくかわよりさだがやっと海外の戦地から帰ってきたのは、そんな時代だった。

 遥か昔の先祖は元々数珠町(じゅずまち)の神社の宮司ぐうじをしていたが、現在はその神社は無い。遥か昔の神道しんとうと仏教の争いの中で城の御殿様が選んだのは仏教だった。

 町を離れた雫川しずくかわ家は離れた土地の神社と統合する形で雫川しずくかわ家の血を繋いできた。依定よりさだもその地から戦地におもむく、しかし依定よりさだが戦地から帰ってみると、その神社すらも空襲ですでに無く、身寄りは総てが亡くなった後。

 行く所は無い。

 どこにも行けないまま、山の中や街の片隅かたすみで夜を過ごし、炊き出しをしている場所を渡り歩いた。

 そうしている内に、父親が以前に話していた数珠町じゅずまちの話を思い出し、僅かな繋がりを求めて辿り着く。数珠町じゅずまちは戦火の被害をほとんど受けていなかった。

 中数珠なかじゅずに到着するも、依定よりさだの見た目は見窄みすぼらしい傷痍しょうい軍人。上数珠うわじゅずを目指しただけで石を投げられ、そのまま下数珠しもじゅずへ。

 古い墓地があった。そこは雑草だらけで、倒れた墓石がいくつもあった。それを見ただけで心が痛んだ。戦地で亡くした戦友をしっかりととむらってやることが出来ないたびに、依定よりさだは元々神につかえていた人間として戦争のごうの深さに気持ちを締め付けられるような思いを味わってきた。

 戦場でもないこの場所で死者が粗末に扱われている現状が許せなかった。

 もはや神道しんとうと仏教の違いなど関係がなかった。

 依定よりさだはその夜に寝泊まりできる寺の境内けいだいでもないかと探すが、寺の建物が見当たらない。

 やがて、背中に野菜の詰まった大きなかごを背負った中年女性を見付け、依定よりさだは迷わず声を掛けた。

「すいません…………」

 女性はボロ布のような依定よりさだを見ても怪訝けげんな顔はしていない。依定よりさだはたったそれだけのことで心が救われた気がした。

「……この……墓地を管理しているお寺があると思うのですが…………」

 それに応える女性の表情は柔らかかった。

「この墓地は古い所さ……悲しいことだけど誰も管理する人なんかいないよ。お寺も遥か昔に無くなったんだと…………」

「そんな…………」

「この町の人じゃないね」

「先祖が…………この町の出だったと聞いて……それでここへ…………」

 すると、女性は依定よりさだのその言葉で多くのことを察したのだろうか。

「行く所、無いのかい? …………着いておいで」

 依定よりさだはこの瞬間、仏教と神道しんとう垣根かきねを乗り越えようと誓った。墓地の下に眠る死者をとむらうため、神社を建てることを心に決める。


 ──……私はこのために生きて帰ってきたのか…………


 しかしもちろんお金は無い。

 依定よりさだは女性の経営する下数珠しもじゅずにあった小さな豆腐屋に転がり込むようにして職を得ると、てがわれた屋根裏で寝泊まりをする毎日。町自体に戦火の影響は無かったが、若い男手が戦地に動員された影響は大きかったのか、依定よりさだのような男手おとこでは喜ばれた。

 休みはほとんど無い。あっても午後だけということがほとんど。しかも給料は安い。

 それでも依定よりさだは文句ひとつ言わずに働いた。

 生きる目的が出来たからだ。

 戦地では何人もの敵兵を殺してきた。何人もの仲間の死を見てきた。

 依定よりさだにとっての贖罪しょくざいだったのかもしれない。

 時間を見付けては墓地に通い、雑草を取る所から初めていく。



      ☆



 確かにそこは真新しい墓地とは違う。

 古さはいなめなかった。

 それでも雑草はほとんど無く、墓石も綺麗にされ、所々欠けていることさえ気にならないほどに管理されていることが伺えた。

 しかも杏奈あんなが想像していたよりも広い。ちょっとした住宅街があってもいいくらいの広さだ。一般的な住宅なら一〇軒ほどは建てられるだろう。


 ──……なるほど……行政が欲しがるわけだ…………


 杏奈あんなはそう思いながら、その墓地の中、巫女みこの後を着いて歩いていた。

 雫川未沙しずくかわみさ────二二才。

 周囲には、神社がそばにあるとは思えないような線香の香りが漂う。

 通路状になっている所は砂利じゃりが敷き詰められているが、それはまだそう古くない物に見えた。

 長い時代の中で放棄されてきた墓地。すでに墓参りに来る先祖などいないのだと言う。先祖がまだこの町にいたとしても、忘れられているのだろうか。

 そんな場所を綺麗にして管理し続ける労力とはどれほどのものだろうと杏奈あんなは想いを巡らした。誰にも感謝などされない。どこにも認められることはない。みずからの想いのためだけ。よほどの気持ちがなければ出来ることではないだろう。

「再開発の話がありましてね…………いずれここも更地さらちにされる計画だそうです…………」

 未沙みさはそう言って寂しげな表情を見せた。

「ああ……さっき町役場で…………」

 杏奈あんながそう返すと、すぐに未沙みさも言葉を溢れさせる。

「はい……何度か直談判じかだんぱんに伺ってはいるのですが話を聞いてもらえません。暗い過去にはふたをしたいのかもしれませんが、それでは我々が何のためにこの墓地を守ってきたのか…………それでも神社がしていることはあくまでボランティアです。土地そのものは自治体じちたいの物…………そこを押されたら勝ち目はありません…………」

 杏奈あんな未沙みさの説明を聞き続けた。


 ──……神社って言っても、色んな人がいるんだな…………


「この墓地も、元々は〝うわ〟に仏閣ぶっかくがあった頃に作られたものです…………」


 ──……〝うわ〟? …………うわさ通りに地元ならではの呼び方だ…………


 杏奈あんながそう思いながら一瞬不思議そうな顔をするが、未沙みさは構わず続けた。

うわさのマンションは、その仏閣ぶっかくのあった場所だそうですよ」

「そうだったんですか……何か関係がありそうですね。おはらいの印象はどうだったんですか?」

根深ねぶかいものでした…………元々は最初の地鎮祭じちんさいの時から関わっております。一〇年ほど前になりますので父と母が伺っていますが…………」

 そう語る未沙みさの視線が下がり、表情が僅かに曇る。

 杏奈あんなはそれを見逃さなかった。よもやと言葉を投げる。

「ご両親は…………」

「……去年亡くなりました……交通事故です…………現在は私だけになりました…………」

「そうでしたか…………」

 こういう時に返す言葉は難しい。仕事の中で杏奈あんなは何度もにがい経験をしてきた。次の言葉が見付からないというのは、本来であれば仕事柄あまりいいことではない。

 すると未沙みさは落としていた視線を上げて続ける。

「何やら、父は……あの土地はのろわれた所だと申しておりました。どうやら仏閣ぶっかくは戦国時代に城と共に燃やされたそうなのです…………大勢が殺されたと聞いております。そののろいのせいか、その後はどんな建物も長続きしなかったようで…………そもそも、私としてはその仏閣ぶっかくの考え方には疑問もございます。仏閣ぶっかく自体は上数珠うわじゅずにあったのに墓地だけ下数珠しもじゅずにあるなんて、亡くなった方のお墓を〝けがれたもの〟と考えていたのではないでしょうか。いえ……違いますね…………もしかすると〝うわ〟に暮らす人々からの反対もあったのかもしれません」


 ──……古くから続く〝差別〟か…………


「私が最初に行ったのは、さわがれ始める少し前でした。お部屋の一つでみずから命をたれた方がいらっしゃったということで……おはらいではなくおきよめですね。その時に、確かに私も禍々《まがまが》しいものを感じました。テレビで騒がれる以前から確かに危険な場所だったかと思います。それからも一度おはらいに伺いましたが、間違いなく以前よりも空気が重いのです…………」

「やっぱり……そのお寺が関係してるんですか…………?」

「おそらく…………」

 未沙みさの目が、僅かに鋭くなった。



      ☆



 杏奈あんなが取材に出ていることで、山の中の一軒家には三人。

 明日は次の神社に向けて出発する予定を立てていた。

 西沙せいさの資料に載っている清国会しんこくかいの拠点となる神社は七ヶ所。いずれも名前は七福神の名前が付けられた神社。今まですでに四ヶ所を回っていた。

 明日の所で五ヶ所目になる。

 しかし萌江もえにも咲恵さきえにも、そして西沙せいさにも何も掴めてはいない。もどかしさだけがつのっていた。清国会しんこくかいの動きが見えない。特別動きがあるわけでもない。次にどう動けばいいのか、手探りの状態が続いた。

 それは〝へびの会〟としての満田みつた立坂たてさかも同じだった。ことが大きく動いてきたことで新たな情報を掴むのが難しくなってきたことは事実。二人は萌江もえたちからの報告待ちがほとんど。

 外はすでにだいぶ薄暗い。

 開け放った縁側から入ってくる風は、まだ夜になると涼しい季節。しかもそれは涼しさよりも清々(すがすが)しい印象だった。

「今日の夕ご飯は?」

 縁側で三匹の猫とたわむれながら、西沙せいさがそう声を上げる。

 台所から返ってくるのは萌江もえの声。

「猫の?」

「そんなわけないでしょ」

「一晩寝かせた手作りミートソースのパスタだよー」

「昨日は匂いだけでお預けだったミートソース…………日本酒に合いそうね」

 そこにワインの瓶を片手に持った咲恵さきえが挟まる。

「今夜は白ワインにしようよ。辛口からくちだから飲みやすいよ」

 咲恵さきえはそう言いながらグラスをテーブルに並べ始めた。

 しかし振り返った西沙せいさも負けてはいない。

「何言ってるのよ。ミートソースパスタと言ったら日本酒でしょ」

 西沙せいさは食べ物の好き嫌いは無いが、アルコールに関してはかたよりが激しい。

「いや、やっぱりワインね」

 咲恵さきえがそう応えると、台所でで上がったロングパスタをザルに上げた萌江もえが声を上げた。

「ビール」

「まったく、風情ふぜいがないわねえ」

 そう応える咲恵さきえの横を、黒いゴスロリの服に黒い猫を三匹ぶら下げた西沙せいさが通っていく。

「この子たちのご飯は? いつもの?」

 応えるのは萌江もえ

「うん、缶詰出してあげて。西沙せいさの好きな種類でいいよ」

「はーい」

 西沙せいさは台所の棚から缶詰を二つ出すと、猫用のご飯皿に向かう。最近はもっぱら西沙せいさの仕事になっていた。しかも西沙せいさも嫌がってはいない。

 猫の鳴き声がさわがしくなると、パスタ皿を並べた咲恵さきえが呟いた。

「子供たちも大きくなったよねえ……あ、西沙せいさちゃん、ソースねるから着替えてきたほうがいいよ」

「はーい」

 猫がご飯に集中すると西沙せいさが部屋に向かう。

 やがてその西沙せいさがスウェットに着替えてテーブルに戻ると同時にそこに並ぶパスタ。

 すると、咲恵さきえが強引に三つのグラスにワインを注いだ。

「まずはワインね」

「仕方ないわねえ。付き合ってあげるわよ」

 そう応えた西沙せいさがフォークを片手に続ける。

「出発は明日でいいんでしょ?」

 応えるのはグラスを持った萌江もえ

「うん。朝早いから夜更かしはダメだよ」

 すると西沙せいさはテーブルの端に置いた資料に目線を配りながら返した。

「昼間話してた所でいいの? 小さな所だけど…………」

 それに返すのはワインを一口飲み込んだ咲恵さきえ

「歴史もそれほど古くないし……清国会しんこくかいの拠点にしては小ぶりかな」

「関係があるだけで言ったら小さい所は沢山あるけど、ここは一応それなりの立ち位置にあるみたいなんだよね。でもその理由が分からなくて…………」

 西沙せいさがそう返しながら資料のデータをおぎなう。

 元々は西沙せいさが中心となってまとめた資料だ。

 咲恵さきえも資料だけでは分からなかった部分の多くを西沙せいさに求め、言葉を投げていった。

「資料の中でも一番情報が少ない所よね…………あやしげな雰囲気もないし…………」

「でも立坂たてさかさんの話だと、特にここ数年の清国会しんこくかいの人間の出入りが激しいのは事実みたい。定期的にお金も動いてるみたいだし」

「何かあるんでしょうね。名前もやっぱり七福神だし…………清国会しんこくかいが大事にする理由か……ねえ、また何か仕掛けてくると思う?」

 咲恵さきえはそう言って、今度は萌江もえに顔を向けた。

 萌江もえからになったグラスを置くと、目の前のワインの瓶を持ち上げて応える。

「どうせ何かあると思うよ。いつものことだよ。どんな所だろうと潰すだけ…………簡単でしょ」

 萌江もえは自分のグラスにワインを注いだ。

 それに西沙せいさがすぐに返す。

「負ける気はないしね」

 続く咲恵さきえ

「じゃあ確定でいいのね。地図のチェックしておく」

 三人の目の前の資料に書かれている神社の名前は〝布袋尊ほていそん神社〟。



      ☆



 依定よりさだは時間が出来ると廃墓地に向かい、雑草を取り、倒れた墓石を直した。

 そんな日々が三ヶ月ほど続いた頃だった。

 その日の午後も、依定よりさだは豆腐屋から墓地へ向かう。夏だった。止めどなく全身から汗が吹き出すが、豆腐作りの熱さに比べれば依定よりさだにとっては造作ぞうさもない。

 地獄のような戦地を生き抜いてきた。依定よりさだは自分が生きて帰って来れたのには〝使命〟があるからだと感じていた。

 その依定よりさだが声を掛けられたのは、墓石に水をかけて洗っていた時。

「あなたは…………仏閣ぶっかくの方ですか?」

 依定よりさだが振り返ると、そこにいたのは一人の神主かんぬしの姿。自分よりずっと年上の落ち着いた宮司ぐうじ。久しぶりに見たその服装に、依定よりさだは戦争に行く前の自分を思い出した。

 そして応える。

「いえ……私は…………」

 依定よりさだは、改めて自分が何者なにものでも無いことを知った。

 もはや軍人でもなければ宮司ぐうじでもない。ただ毎日を生きることに必死だった。生きていられることを神に感謝する毎日だった。

 言葉を詰まらせる依定よりさだに、目の前の宮司ぐうじが続ける。

「こちらの墓地には管理者がいないと聞きていましたが…………」

 その言葉に、依定よりさだの口から言葉が溢れた。

 これまでのことが、まるで数珠繋じゅずつなぎのように零れ出た。

 そして、依定よりさだは夢を語る。

「──私は…………自分の罪を少しでもつぐないたいのです…………」

 それまで、何かが張り詰めていたのだろうか。

 膝を落とした依定よりさだの涙は止まらなかった。

 その依定よりさだに、宮司ぐうじは優しく微笑ほほえんだ。

「私も気持ちはあなたと同じですよ…………仏教も神道しんとうも関係ありません…………ここに新しい神社を建てて、この墓地に眠る死者をとむらいたいのです」

 宮司ぐうじは泣き崩れる依定よりさだの肩に手を置いて続ける。

われらが神社を作りましょう…………しかしその神社はあなたの物です。あなたが盛り立てていくのです。われらは〝清国会しんこくかい〟…………私たちは共に生きていくのですよ」





           「かなざくらの古屋敷」

    〜 第十七部「数珠通りの坂」第2話(完全版)へつづく 〜


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