表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
41/97

第十二部「幻の舟」第2話(完全版)

「案内しますので……運転、お願い出来ますか?」

 そう言ってさき杏奈あんなを自らの御陵院ごりょういん神社へと案内した。

 病院からは思ったよりも遠かった。

 そして想像以上に大きな神社を前に、神道しんとうに詳しくない杏奈あんなですら圧倒されたのは事実。

 通された本殿の祭壇前も広い部屋だった。広い板間に厚い座布団。当然のように杏奈あんなは初めての環境に落ち着かない。

 やがて現れたさきの姿に再び杏奈あんなは驚くことになる。最初に会った時もりんとした印象があったが、巫女みこ服に身を包んださきの姿は神々(こうごう)しくも感じる。

 そのさき杏奈あんなの向かいの座布団に正座をすると、深々と頭を下げて口を開いた。

「改めまして…………御陵院ごりょういん神社代表……さきと申します」

「…………あ……どうも……水月みづきです……」

 そんな言葉しか返せないまま、杏奈あんなは名刺を差し出す。

 それを受け取ったさきは名刺を見ながら返した。

 顔色は全く変えないまま。

「フリー……ですか…………」

「ええ…………まあ…………」

「なるほど…………」

 その声色から、杏奈あんなさきがマスコミに対してあまりいい印象を抱いていないことは経験から感じ取れた。


 ──…………説教、とかじゃないよね…………


 そんな疑念を抱いた杏奈あんなに、さきは鋭い目を向けて続ける。

「今回の〝騒動〟について取材されているのですね?」

 まるで自分の気持ちの奥底まで見透かされるようなさきの目に、杏奈あんなは身を硬くした。鋭さだけではない。強さと柔らかさが同義語であると思わせるかのような、そんな不思議な感覚も覚えるほど。

 そんな目を床に移したさきは、ゆっくりと返していく。

「…………まったく…………こんなことになるとは私も予想出来ませんでした……情けないお話ですが、最初にそれはお伝えしておきましょう。私は代表の田原たはらさんを教団の設立以前から存じております」

 言いながら、少しずつさきの目が優しいものに変化していくように杏奈あんなは感じていた。

「法人の相談役というのは…………」

 そう言う杏奈あんなに目を合わせたさきが続ける。

「私です……私は最初から教団と病院を見てきました。それをお聞きになりたいのでしょう?」

「……どうして……私に…………?」

 そう応えた杏奈あんなは、自分の言葉がまるで自分のものではないような不思議な感覚を覚えていた。

 その杏奈あんなに、妖艶ようえんな目を向けてさきが応える。

「……さあ……どうしてでしょうね…………」

 その声に、不意に杏奈あんなは何かがはじけるように返した。

「教えてください…………今のマスコミの報道は……何か変な感じがするんです」

 ジャーナリストとしてだけの問い。そう杏奈あんなは思いたかった。しかし何かそれだけの感情とも思えない。

 それを聞いたさきの目は変わらなかった。

 そして口を開く。

「……田原たはらさんが神道しんとうの世界に熱心だったのは、若くしてご両親を失われたことともご関係がお有りなのでしょう。ご本人のお話では養子なので血の繋がりはないそうですが……しかし…………だからこそ、だったのかもしれません。心のどころを求められたのか、全国の主要な神社は巡られたようですよ。ここにいらした時に少しお話をしまして、奥様も素晴らしい方ですよ。お嬢様はすでに社会人になられているようです」

 その代表の田原たはらには、義理の両親の残してくれた土地と建物があった。一〇年ほど放置されていたその土地は親戚が保有、管理していたが、田原たはら自身が医科大学を卒業して総合病院に勤めるようになったタイミングで本人に引き継がれた。もちろんそれを売ることも出来たが、すでにその頃から田原たはらは漠然とした目標を持っていた。

 それはホスピスの開業。

 大学の頃に終末期医療に興味を持った田原たはらは、同時にそこに神道しんとうの世界を重ねていた。決して一神教ではない。学生時代からいやしのようなものを求めて全国の神社を巡ってきた。そしてさきに出会ってから、田原たはらの中のイメージはほとんど出来上がっていたのだろう。

 信仰のいやしと終末期医療を重ねたかった。

 病院で働きながら、両親の残してくれた土地に教団の施設とそれに連なった小さなホスピス用の建物を建て始める。

「小さな病院でしょ? 私は医学の世界は分かりませんが、一度に入院出来る患者さんを最高一〇人までとしたのには、田原たはらさんなりの〝想い〟もあるみたいですよ…………そこは副院長の奥様も同じようです」

「奥さんもお医者さんなんですか?」

「ええ、働いていた総合病院で御一緒だったそうで……便宜上は最初の教団の信者とも言えるでしょうね。宗教法人として申請を出すにも色々と条件がありまして…………もちろんここの神社は出来上がった状態で私が引き継ぎましたが、新しく設立するとなると以前よりも条件は厳しくなってきました。そこで私が協力した形です。珍しく教義の中心が神道しんとうということもありますし、私も田原たはらさんには協力をするべきだと感じていました」

「職員の皆さんは……」

「教団の職員と言いますか信者さんですが……一〇名程です。ホスピスと兼用の方が数名いらっしゃいますが、ホスピスには信者ではない看護師や介護士の方もいらっしゃいますよ。信者であるかどうかは関係ありません。御布施おふせもありませんが、とどのつまりは団体と病院の代表である田原たはらさんの考えに共感してくれるかどうかだけです」

御布施おふせが、ない…………?」

「はい。病院の利益だけです。まあ、最初は私がこの神社からとして少しだけお手伝いをさせていただきましたが…………」

 杏奈あんなの中で何かが変わっていく。

 それでも、もう一人の自分がいた。


 ──…………これは、本当の話なの…………?


 感情論で物事を見てはいけない────報道の世界では当然のことだ。あくまで冷静な目で目の前の現実を追求しなくてはいけない世界。

 そして、杏奈あんなが口を開く。

「……代表の…………田原たはらさんにお会いすることは出来ませんか?」

 本人に会いたかった。周囲からの印象や評価ではなく、杏奈あんなみずから本人に話を聞きたかった。

 真っ直ぐにさきを見つめるそんな杏奈あんなの目線を、さきは外して応える。

「……田原たはらさんは……しばらくご自宅を出ることも出来ていません…………ご存知でしょ? マスコミの方々が常にアパートの前にいるので…………相談役の私も電話でしか連絡を取れていません」

「本当に────」

 杏奈あんなはいつの間にか軽く腰を浮かせ、続けていた。

「何か隠されていることはないんですか? 悪魔祓あくまばらいのうわさって────」

「私は病院の経営までは分かりません。私が…………田原たはらさんを信じている以外の事実はありませんよ」



      ☆



 杏奈あんながまとめた途中経過の報告書は、決して編集長の岡崎おかざきを満足させるものではなかった。

 マスコミ業界が求めているのは〝真実〟ではない。

 世間の話題の中心となる〝ネタ〟。

 求めているものがシナリオとしてすでにある。

 いざという時の〝逃げ道〟が欲しいだけ。

 杏奈あんなは今回の仕事で、改めてそれを感じることになった。

 杏奈あんなの報告書にマスコミの求める〝派手〟な演出はない。

 雑誌社の古いビルを出ると、そのビルの出入口を出た所に古い自動販売機。いつもは視界の中に入ってもそこで足を止めたことはなかった。しかし杏奈あんなはそこに硬貨を数枚入れ、甘めの缶コーヒーを買い、その隣で栓を開けた。

 冷たいコーヒーが体の芯に染みていく。

 目の前には片側二車線の道路。午前一一時。時間的には車通りも人通りも少ない時間ではないはずだが、この日はそれほど多くはない。道路沿いに等間隔で常緑樹じょうりょくじゅの細い木が植えられていたが、景観のためのそんな景色も今の杏奈あんなには冷たい印象しか感じられない。薄曇りの白い空がそれを増長させるのか、同時に季節の変わり目を感じさせるだけ。

 杏奈あんなは寒い季節の訪れに、自然と気持ちが落ちていく自分を感じていた。

 そして缶コーヒーが空になる頃、杏奈あんなは気持ちが抜けていたのか、自分に近付いてくる人影に気が付かなかった。

「────ちょうど良かった」

 それが自分に向けられた言葉と気付くのにも時間がかかる。

「雑誌の出版社なんて入ったことないし…………」


 ──……出版社…………?


 声に振り返った杏奈あんなの目に映るのは、身長の低い、若い女性。

 首が見える短さのストレートの黒髪のボブカット。派手な柄の黒っぽいインナーにショート丈の赤いジャケット。やはりショート丈の黒いスキニーデニムに白い厚底サンダル。肩から下げているのはピンクの小さなショルダーバッグ。


 ──…………派手…………


 しかし直線に切り揃えられた前髪の下の鋭い目線には、なぜか見覚えがあった。

 その若い女性は口角を上げて口を開く。

水月みづきさんでしょ? 協力してあげる」

「…………は?」

「まあ、いきなりで驚くのも無理はないけど…………」

 女性は自動販売機の前────杏奈あんなのすぐ隣まで近付くと、胸ポケットから派手な柄の小銭入れを取り出し、硬貨を数枚入れ、ミネラルウォーターのペットボトルを下から取り出した。

「下から出てくるってどう思う? 女性向けじゃないよねえ…………ミニスカートじゃなくても下着のラインとか考えたらしゃがみたくないしさ」

「…………まあ……」


 ──……考えたこともないけど…………


「古い自販機だから仕方ないか。新しい自販機だと手元に出てくるのもあるんだよね。デザインしたのって女性なのかなあ」

「……さあ…………」


 ──……何なの? …………だれ?


 女性はペットボトルの水を喉に流し込むと、さらに続ける。

「別にお母さんから頼まれたわけじゃないよ。私が自分で〝未来〟を見ただけ。お母さんに連絡したら納得してたけどさ。だから名前も分かったの」


 ──…………お母さん?


「昨日、お母さんに会ったでしょ? 娘の西沙せいさです。よろしく」



      ☆



 吉原美優よしはらみゆが兄の優作ゆうさくを亡くしたのは三歳の時だった。

 優作ゆうさく────五歳。

 先天性の血友病けつゆうびょうの症状が分かったのは二歳の時。それからはほとんど病院のベッドの上での生活。体内の出血に幼い体が耐えられないままに亡くなる。

 一般的な子供としての生活はもちろんなかった。

 二歳年下の美優みゆにとっては、残念ながら兄の記憶はほとんど無い。おぼろげなものだけ。

 小学校に入る頃に両親の憲一けんいち優子ゆうこから説明を受け、やっと仏壇の写真の意味を知った。

「あなたには、二つ年上のお兄さんがいたのよ」

 母の優子ゆうこは、もう理解出来る年齢だろうからと、美優みゆ優作ゆうさくのことを話し始めた。

「お仏壇に男の子の写真があるでしょ? まだ五歳だったのに…………病気で亡くなったの…………あなたが三歳の時…………二歳の頃からずっと病院だった…………」

 遠くを見るようにして話し続ける母の顔を、まだ幼い美優みゆは見つめ続けるだけ。

「……外で遊ばせてあげることも出来なくてね…………あなたが元気に育ってくれて……それだけでもお母さんは嬉しいの…………」

 まだこの時の母の感情を理解出来る程、美優みゆは精神的に大人ではなかった。

 死因となった血友病けつゆうびょうのことを理解出来たのは高校を卒業して社会人になった頃。父方の親族に過去に血友病けつゆうびょうで亡くなった者が数人いることを知る。

「……お前もいつかは誰かと結婚して子供を産むだろう…………」

 いつもの夕食の席で、父の憲一けんいち優子ゆうこと目配せをしてから話し始めた。

「お前のお兄さんのことだ…………血友病けつゆうびょうだったって話は前にしたと思うが……あれは遺伝性がある病気なんだ。とは言っても滅多に出るものではないらしい。実はお父さんの家系に何人かいてな…………お父さんは大丈夫だったし、お前も問題ない…………でも、お前の未来の子供に無いとは言えない。おどかすわけじゃないけど…………記憶のどこかには覚えておいてくれ…………」

 父のその時の表情を、その先も美優みゆは忘れたことはない。

 もちろん父に責任が無いことは分かっている。例えそこに責任を押し付けたとしても、むしろ自分の息子をその病気で亡くしている時点で充分だと美優みゆには思えた。

 社会人になってすぐ、両親を安心させたい感情もあって美優みゆは病院で検査を受けた。結果、美優みゆにその兆候は見られなかったが、血友病けつゆうびょうには後天性のものもある。社会人になってこれから家庭を持つに当たって、一応、覚悟だけはした。

 地元のスーパーマーケットを数店舗経営する会社の事務員として働いていた美優みゆは、二一歳の時に結婚して専業主婦となった。夫は同じ会社で働いていた男性。兄と同じ二歳年上。無意識の内に記憶の中で作り上げていた兄の面影を重ねていたのかもしれない。

 美優みゆに他に兄妹きょうだいがいないことから婿むこ養子になることも夫から提案されたが、夫も一人息子。娘への負い目もあったのか、憲一けんいち優子ゆうこ美優みゆが嫁に行くことに反対はしなかった。

 そして夫の実家は何代も前からのキリスト教徒。強制されたわけではなかったが、美優みゆは迷わず改宗かいしゅうを決める。両親も反対はしなかった。決して怪しげな新興宗教でもない。元々多くの日本人と同じように、それほど深く宗教というものを考えたことがない。

 子供が産まれたのは二三歳の時。男の子だった。

 そしてすぐに、血友病けつゆうびょうが発覚する。先天性のものだった。

 そのまま二歳の誕生日の直前に亡くなる。

 悲しむ間も無いままに、夫の両親から責められる毎日が始まった。

「遺伝の可能性があるのを隠していたのね…………葬儀の時にご両親から頭を下げられたわ」

 義理の母からのその言葉は、美優みゆに絶望感を与えるには充分なものだった。

 意図して隠していたわけではなかったが、美優みゆは専門的な知識まで持ち合わせていたわけではない。自分にその兆候が見られない中で、自分の子供に先天性のものが現れる可能性はゼロに近いと思い込んでいた。ゼロではないというだけだと思っていた。

 そして、最初は美優みゆのことをかばってくれていた夫にも責められ始める。もしかしたら、この時点で美優みゆはしだいに精神的におかしくなっていたのかもしれない。この頃の記憶がほとんどないくらいだ。

 夫だって精神的にはキツかったはずだ。美優みゆはそう思いたかった。そんな状態の生活に疲れた結果だったのだろう。子供を亡くして悲しんでいたのは美優みゆだけではない。

 しかしその時の美優みゆに、そう考えられる精神的な余裕はない。

 美優みゆが離婚をして実家に戻ったのは二六歳の時。

 そして美優みゆは、しばらく実家にこもり続けた。

 両親は美優みゆを優しく受け入れる。その優しさだけは、美優みゆは理解することが出来た。

 それでもやはり、すでに美優みゆの中で何かが変わっていた。両親から見ても、嫁に行く前とはまるで別人のようなその印象に悲しさが込み上げる日々。

 両親は娘に対して負い目を感じ、娘は両親に頭を下げ続けた。

 いつの頃からだろう。

 家の中には暗さしかなかった。

 その暗さが呼んだのか、美優みゆはしだいに、落ちていく。



      ☆



 杏奈あんな西沙せいさは出版社の近くのファミレスに場所を移動した。

 確かにちょうどお昼過ぎ。店内は平日とはいえ、ほとんどの席が埋まっていた。

 そして杏奈あんなは、西沙せいさの注文した料理の量に驚く。

 西沙せいさは身長が低いだけでなく華奢きゃしゃな体つき。とても大食いには見えない。二人分とはいえ、ピザを二つ、サラダは大盛り、パスタは三種類。ドリンクバーの影がかすむほど。

「こんなに食べられるんですか⁉︎」

 すでに食べ始めていた西沙せいさ杏奈あんなが声を掛けるが、西沙せいさはすぐに返した。

「わざわざこんな遠くまで来たんだからいいじゃん。旅行気分でさ」

「ファミレスですけど…………」

「まだ一九だから未成年だし、おしゃれなお店って落ち着かないんだよね」

「未成年⁉︎」

「仕事はちゃんとしてるよ」

 西沙せいさはおしぼりで指のあぶらを拭き取ると、ポケットから名刺を取り出し、それを杏奈あんなに手渡した。

 杏奈あんなはそれを見ながら返す。

「心霊相談所⁉︎ でも…………御陵院ごりょういんさんの娘なら…………神社じゃないんですか?」

「姉二人は継ぐみたいだよ。どっちかは嫁に行くかもしれないけど。私は居場所無いし」

 神社は世襲制せしゅうせいの世界。そのくらいは杏奈あんなも知っていた。アルバイトとは違う。外の人間が就職出来るものでもない。

「まあ、色々とあってさ…………養子じゃないけど身元引受人が別にいるし……それより、あの病院の一件でしょ? お母さんが絡んでることは私も知ってるし、色々と協力出来ると思うよ」

「協力って言っても…………」

「お母さんの血を引いた三姉妹の中で一番の能力者は私…………それでも心霊相談なんてなかなか仕事が無くてさ…………あなたもフリーになったばかりなんでしょ? 一緒に顔売るチャンスじゃん」


 ──……フリーになったばかりなんて昨日は…………


「なんで知ってるか知りたい?」


 ──…………あれ?


「知ってるんじゃなくて────分かるの……空腹じゃ力弱まるんだよねえ。大体はあなたの過去も分かったけど、説明する必要はないよね。とりあえず、その隣のカメラバッグは大事にしなさい。大事な物なんでしょ?」


 ──…………何者…………


「問題の中心に入り込みたいんでしょ? 真実を知りたかったら協力してあげる。私も大体の話は掴んでるよ。そしてテレビは教団を悪者にしたがってる…………何か変…………」

 西沙せいさはピンクのバッグから取り出したポケットタイプのウェットティッシュで口を吹いた。真っ赤な口紅があまり落ちていないことから、安物でないことは杏奈あんなでも分かった。日頃杏奈(あんな)が持ち歩いているような安い口紅とは違うようだ。もっとも杏奈あんなはその安物ですら着けることは少ない。

 その西沙せいさが、目付きを変えて続けた。

「確信部分は代表を突いても出てこないよ。別の人たち。お金はいらない……私は顔を売れたらそれでいいし…………それとも怪しい霊能力者は信用出来ない?」

 西沙せいさはそう言ってわずかに頭を傾ける。

 幼くも、それでいて総てを見通す目。


 ──……昨日、見た目だ…………


 そう思った杏奈あんな辿々(たどたど)しく返すだけ。

「そういうわけじゃ……ないですけど…………」

「……ま、これから色々と仲良くすることになるみたいだしさ」

 そう応えると、西沙せいさは左手でピザを持ち上げ、右手で、運ばれてきたばかりのパフェのメロンを摘み上げていた。



      ☆



 雑誌社のある場所まで、西沙せいさは電車とバスを乗り継いで片道二時間掛けて杏奈あんなを訪ねて来たという。乗り継ぎの時間を考えると妥当な時間だろう。車なら長くても一時間というところだろうか。

 ファミレスを出るのが遅くなったこともあり、すでに陽の傾きを感じ始める時間。

 西沙せいさ杏奈あんなを自分の事務所に案内した。街の繁華街の外れ。そしてその更に郊外には昨日の御陵院ごりょういん神社がある。

 古い二階建てのテナントビルの二階。一階のコンビニで食べ物と飲み物を買って事務所に入ると、西沙せいさは電気を点けて口を開く。

「シャワーあるけど使う?」

 言いながらコンビニのレジ袋をテーブルに置き、派手なカバーのソファーに体を沈めた。

「いつもなら事務の子がいるんだけど……今日はもう退社時間過ぎちゃったしね。まあ座ってよ。運転疲れたでしょ」

 その感謝の気持ちの表れか、ファミレスは杏奈あんなが支払って領収書をもらったが、下の階のコンビニは西沙せいさが支払っていた。

 杏奈あんなは装飾の激しい丸いカフェテーブルを挟んで西沙せいさの向かいのソファーに腰を下ろすと、そこで初めて体が疲れている自分に気が付いた。

 その杏奈あんなの耳に西沙せいさの声が届く。

「張り込みなんて意味ないよ」

 続く西沙せいさの言葉は柔らかい。

「今日からインターネットカフェなんかやめてここに泊まりなよ」

「いやあ……でもそこまで…………」


 ──……なんで知ってるかは聞かないでおこう…………

 ──…………ここじゃそもそも遠いし…………


「あなたは私を売り込める人…………だから声かけたんだよ。そのくらいさせてよ」


 ──……よく分からないけど…………


「ちなみに私は隣のアパートに暮らしてる。まあここはシャワーもあるし……たまには私も泊まるけど…………アパートのほうがいい?」

「え⁉︎ いや……それは…………」

「変な趣味はないけど」

「────そういうことじゃありません」

「だよねえ。からかっただけ…………とりあえず食べながら話そっか」

 西沙せいさはコンビニのレジ袋の中身をテーブルに広げる。お惣菜のパックを給湯室の電子レンジまで運びながら話を続けた。

「二人いるよ」

「二人……?」

「中心になる人物が二人ってこと。例の〝悪魔祓あくまばらい〟の犠牲者って言われてる人の孫娘と…………もう一人は元職員…………介護士っていうの? そういう人」

「……どうして分かるんですか?」

 杏奈あんながそう聞き返すと、西沙せいさは温めたパックの両端を両手の指で摘んだまま小走りにテーブルまで戻りつつ応える。

「怪しげな呪文でも唱えて〝見る〟と思った? あんなことやってるのは嘘つきな奴らだけ」

「…………そう……なんですか?」

 正直、杏奈あんなはそういったことに詳しいわけではない。オカルトライターでもなければ、今までの人生の中で心霊的な世界に触れたこともない。直接神社の巫女みこと話をしたのですら昨日のさきが初めてだ。

「こっちが意識して〝見ようとすれば見れる〟よ。私の場合は空腹の時は見にくくなるだけ。人によって違うみたいだけど。お腹空くとイライラするし、集中出来ないでしょ」

 そう言いながら西沙せいさは温めたばかりのチャーハンを口に運ぶ。


 ──……さっき食べたばっかりなのに…………


 杏奈あんなも話を聞きながら温めてもらった唐揚げを食べ始めると、西沙せいさが続けた。

「餃子も食べてよ。このコンビニの美味しいよ。デザートもあるし」

「でも……元職員なんて何人もいますよ」

 その杏奈あんなの言葉に、西沙せいさはテーブルの端にあるメモ帳に手を伸ばしてサラサラと何かを書き始め、一枚めくって杏奈あんなに手渡しながら口を開く。

「この二人」


 〝浅間美津子あさまみつこ

 〝吉原美優よしはらみゆ


浅間あさまって人が元職員。いわゆる〝悪魔祓あくまばらい〟をしたのはその二人…………法人の代表は関係ないね。でもマスコミは宗教法人っていうか……いわゆる新興宗教団体が怪しげな悪魔祓あくまばらいをしていたってことにしたいんでしょ?」

 その通りだと杏奈あんなも思った。

 マスコミの求めている〝ゴシップ〟の中心はそこにある。

 西沙せいさが続けた。

「でもそれが分かったってさ、残念なことに裏が取れなきゃどうしようもないよ。だからここからはあなたの仕事…………その二人がどういうわけか病院の中で犠牲者と言われてる患者に〝悪魔祓あくまばらい〟を行った…………その光景が見えてもその理由までは分からない。まあ私も、こんなことで自分の母親まで悪者にされたくないしね…………で? 話に乗る?」

 杏奈あんなは考えていた。

 西沙せいさの言っていることが事実かどうかは、動いてみなければ分からない。

 しかしそれでも、杏奈あんなは気持ちを決める。


 ──……求めてられているのは選択じゃない…………行動だ…………



      ☆



 吉原藤一郎よしはらとういちろうの家族が正式に病院を告訴したことで、警察が動いた。

 朝。

 西沙せいさが事務所の扉をいつもより早目に開けると、すぐに聞こえてきたのは杏奈あんなの声。

 そして入ってすぐの事務机に座り、眉間みけんしわを寄せてパソコンのモニターを見つめるのは事務員の美由紀みゆき

 その美由紀みゆきが朝から西沙せいさにらみつける。

 西沙せいさが僅かに作った笑顔を浮かべると、先に口を開いたのは美由紀みゆきだった。

「誰なの? 人を泊めるなら昨日の内に連絡くらいしてよ。私が来た時にはもう電話してるし…………事態が全く飲み込めないんだけど」

 そう言って美由紀みゆき杏奈あんなに顔を向けると、その長いストレートの明るい髪が緩く揺れる。

 杏奈あんなはソファーに座ってスマートフォンを片手に話し続けていた。そのソファーの横には小振りな液晶テレビ。映し出されているのはホスピスが正式に告訴されたニュース。誰かと電話で話を続ける杏奈あんなの表情は硬かった。

「……お願い…………難しいことは分かってる…………でも裏が欲しいの…………そっちの〝対象〟を教えて…………もう動いてたんでしょ?」

 西沙せいさに視線を戻した美由紀みゆきが続けた。

「あの事件絡み? どうしたの? あんな分かりやすいくらいのマスコミの人間を連れ込むなんて…………」

 確かに美由紀みゆきの言うことももっともで、マスコミ関係の典型的な動きやすい服装に無駄に大きな鞄。決して若い女性の好むスタイルではない。歩くことの多い外向きのマスコミ関係者であることを表すような歩きやすいスニーカー。

「連れ込むだなんて…………」

 微妙な笑顔を浮かべながら西沙せいさが続ける。

「そういう趣味はないんだけどね」

「あっても困るよ。私も無いし。〝例の事件〟?」

「まあね……お母さんの絡みもあるし…………知らないフリは出来ないからさ…………」

「でも、どうしてあの人?」

「〝見えた〟から」

「ああ、そういうこと…………」

 西沙せいさ杏奈あんなを選んだ理由は、決して杏奈あんなが母親と接触したからというだけではない。

 それは言葉で説明出来ることではなかった。

 そう感じたから────しかもそれは、毎日のように一緒にいる美由紀みゆきにとっては初めてのことではない。美由紀みゆき西沙せいさのような能力があったわけではないが、高校からの西沙せいさを見ている。西沙せいさがいわゆる普通の人と違うことで人生を翻弄ほんろうされた姿も見てきていた。

 だったら西沙せいさを信じるしかない────それが美由紀みゆきの考え方だった。

 やがて杏奈あんながメモ用紙にボールペンを走らせながら電話を続ける。

「……やっぱり……この二人で間違いないのね…………分かった。こっちも何か掴んだら連絡するから」

 杏奈あんなは電話を切ると、すぐに顔を上げた。

「朝から、ごめんなさい…………」

 そう言う杏奈あんなに近付きながら、西沙せいさが向かいのソファーに腰を降ろす。

「いいよ……警察に知り合いいるの? やっぱりもう動いてた?」

「はい…………警察がチェックしてるのも……やっぱり同じ二人でした…………」

 杏奈あんなはメモ用紙を西沙せいさに見せながら続ける。

 そこには、昨夜の西沙せいさのメモと同じ〝浅間美津子あさまみつこ〟と〝吉原美優よしはらみゆ〟の名前。

「確証の無い部分が多くて動きづらいみたいです…………それにマスコミが言ってる死亡率の高さも嘘みたいで……」

「そりゃそうだよねえ……そもそもがホスピスだし。体調が良くなって退院する患者の率は通常の病院よりはるかに低いはず…………ほとんど無いくらいにね。それにあの二人も犯罪を犯したわけじゃないから警察も切り口を作りにくいんだろうね」


 ──……もう何か……確証を持ってる…………?


 反射的にそう思った杏奈あんな他所よそに、西沙せいさが続けた。

「それに吉原美優よしはらみゆには会えそうにないよ。告訴した側の家族だし、どうせマスコミのせいで家からは出られないだろうし…………」

「じゃあ……もう一人の…………」

浅間美津子あさまみつこ…………吉原藤一郎よしはらとういちろうが亡くなった直後に退職してるはずだよ。職員のリストってマスコミは掴んでないの?」

「掴んでます────」

 杏奈あんなは再びスマートフォンを手に取る。

 西沙せいさがどうして美津子みつこの退職を知っているのかは、聞くまでもないと思った。


 ──……考えなくていい…………動け…………



      ☆



 浅間美津子あさまみつこのアパートは街の郊外。

 周囲には田畑も多い。

 病院からは少し距離があった。

 民家やアパートが並ぶ住宅街。たまに車や人影を見かける程度。

 その中でも、雨樋あまどいが所々外れかけているような、そんな古いアパート。壁の色も変わってしまったのだろう。暗くくすんだ印象が二階建ての建物全体から漂う。

「部屋は?」

 アパートの二階を見上げながら西沙せいさがそう聞くと、隣の杏奈あんなも同じく二階を見上げていた。

 そして応える。

「そこの階段を登って……一番奥の部屋です」

 言いながら足が動いていた。

 先頭に立って階段を登り始める。

「────情報ではここに引っ越したのは一年くらい前……何も変わってなければ独身のはずです…………」

 完全にびついた階段は、杏奈あんなのスニーカーでも大きく空気を揺らした。それ自体も不安定にグラつく。そのまま繋がった二階の手摺りも、すでに元の色すら分からない。おそらく今は触る人もいないのだろう。微かに積もったちりがそれを物語っていた。二階の廊下にもそれは目立つ。そのちりを見る限り、周囲に足跡は多くない。一階、二階共に三部屋ずつ。満室ではなさそうだ。二階で玄関の前に足跡があるのは、一番奥の美津子みつこの部屋だけ。

 表面が何箇所もヒビ割れ、角からびついたドア。

 呼び鈴は無かった。

 杏奈あんなは迷わずドアをノックする。

 玄関の郵便受けにはチラシが詰め込まれていた。


 ──……いるのかな…………


 ドアの奥からは何も聞こえない。

 独特の嫌な時間が過ぎていく。

 途方もない長い時間に感じられた。

 やがてドアの向こうからの小さな声。

「…………はい…………なんでしょうか…………」

 目を伏せたままの、やつれた顔がドアの隙間から覗く。

 強い影が、その顔の大半を隠す。

 杏奈あんなは、あまり意識せずに口を開いていた。

「……浅間あさま……美津子みつこさんですね…………」

 ドアの奥の影────美津子みつこはさらに深く目を伏せる。

 その表情に、杏奈あんなは慎重に言葉を選んだ。

「……病院でのこと……お話を、うかがえませんか? ご迷惑はお掛けしません…………」

「────…………すいません……………………」

 小さく低い声と共にドアが閉まり始め、さびの匂いがした時、そのドアは隙間に差し込まれた杏奈のスニーカーに遮られる。


 ──……今を逃したらもう助けられない…………


 ──……? ……助けられない……?


 美津子みつこがドアノブを握る手に力を入れた直後、杏奈あんなが続けていた。

「────本当のことを知りたいんです」

 それに続くのは、杏奈あんなの背後の西沙せいさ

「あなたは何も悪くない!」

 杏奈あんなは驚きのあまり、咄嗟とっさに振り返っていた。

 そこには、予想だにしなかった、両目をうるませた西沙せいさ

「あなたには何の罪もないの! あなたを守らせて! 美優みゆさんのことも…………」

 他人の過去、感情が見える。

 それが西沙せいさの能力であることは確かに杏奈あんなも聞いてはいた。そして美津子みつこ美優みゆの存在自体を最初に教えてくれたのも西沙せいさ

 しかし、それは杏奈あんなにとっては唐突過ぎた。


 ──…………西沙せいささん……?


 その西沙せいさは、突如として我に返ったような表情を浮かべると、そのほおを涙が一筋零れていく。

 西沙せいさにも理解が追い付いていなかった。自ら発しようとした言葉ではない。まるで誰かに言わされたように感じる。しかし感情はたかぶっていた。


 ──……守らなければ…………


 そんな感情だけが西沙せいさを包み込む。

 そして、ドアが開いた。



      ☆



 その日の夜。

 杏奈あんな西沙せいさ御陵院ごりょういん神社にいた。

 暗い本殿の中を照らすのは、祭壇前の松明たいまつあかりだけ。それが周囲の濃い影を揺らし続けていた。

 西沙せいさの実家でもあるはずだが、祭壇の前で西沙せいさが落ち着かない姿なのが杏奈あんなには気になった。

 座布団で正座をする杏奈あんなとは対照的に、西沙せいさはあぐらをかいて片膝の上で肘を立て、その手にあごを乗せている。

 涼しい夜になった。日に日にそれを感じることが増える頃。そしてそんな感情は、杏奈あんなの中に生まれた寂しさを増長するには充分だった。

 二人の間のそんな空気に飛び込んでくる声。

「安心しなさい西沙せいさ。姉たちはいませんよ」

 二人の前に姿を表したさきは、目の前の西沙せいさの姿を見るなり、そう言って祭壇に背を向けて腰を降ろした。

「──別に…………」

 小さく呟いた西沙せいさに、さきはすぐに返す。

「二人は今夜は出張です。少々面倒な依頼でしたので、まだしばらくは帰らないでしょう」

 御陵院ごりょういん神社は〝きもの〟や〝はらいごと〟専門の神社。すでに正式な巫女みことしての立場から、さき抜きで西沙せいさの姉たちが仕事におもむくことも多くなっていた。

 そしてさきは、一度杏奈(あんな)に向けた視線を西沙せいさに戻し、続けた。

「どうしてあなたが関わっているのですか? 電話の時に少々話はしましたが…………あなたにどうこうして欲しいと伝えたつもりはありませんよ」

「私も頼まれたからやってるわけじゃないよ。〝見えちゃった〟ものは仕方ないでしょ」

 強気に応える西沙せいさの口調に、杏奈あんなは二人の関係性が少しだけ見えた気がした。


 ──…………色々ありそうだなあ…………


 それでも、西沙せいさは何も言われずともみずから崩していた足を正座の形へ。


 ──……犬猿けんえんってわけでもなさそう……


 そう思った杏奈あんなに、目の前のさきの声が飛ぶ。

「では……水月みづきさん────」

 さきは気持ちを切り替えるように杏奈あんなに視線を戻して続けていた。

「今回の御用向きは…………」

 そして、杏奈あんなは語り始める。

「はい……病院の元職員の方と話してきました…………あの一件のすぐ後に退職された方です。そして、今回の問題の中心にいました」

 さきは一度も口を開かないまま、杏奈あんなの話を聞き続けていた。

 決して短い話ではない。

 しかも、西沙せいさも口を挟まない。

 俯いたまま、目の前の板間を見つめ続ける。

 杏奈あんなの話が終わると、やっとさきは視線を杏奈あんなから外した。

 そして小さく息を吐く。

 杏奈あんなは話し疲れた様子もないまま、そんなさきの姿を目で追っていた。

 そして、次に口を開いたのはそのさきだった。

「面白い話……と言ったら不謹慎ふきんしんでしょうが、珍しい方ですね…………マスコミ的にはこんな結論は求めていないはずでしょうに…………」

「娘さんのお陰です」

 杏奈あんなさきの寂しげにも見える目を見ながら応える。

 それにさきはすぐに返した。

「しかしもう一人……裏を取らなければ誰も信用してはくれないでしょう…………どうするおつもりですか? なにせ病院を訴えている側…………代表の田原たはらさんが動いたとて無駄なこと…………」

 すると、杏奈あんながわずかに身を乗り出して応える。

「……お願い出来ませんか?」


 ──……私の役目は…………


 驚き、反射的にさきが返していた。

「……私ですか…………」

「娘さんでは目立ち過ぎます」

 即答する杏奈あんなに、すかさず西沙せいさ

「失礼ね」

 しかし杏奈あんなは言葉を続ける。

「神社という後ろ盾があれば接触はしやすいはずです。マスコミの報道でもこちらの神社にバックアップされてる事実はまだ出ていません。何か適当な理由をつけて────」


 ──……ベストじゃない……じゃないけど…………


 そう思う杏奈あんなさきはすぐに応えた。

「難しいでしょうね。それ相当の理由がなければ…………私までマスコミに追われることになり兼ねません……そっちは娘にお願いしますよ」

「でも目の前に本当のことがあるのに────」

「どうにかして…………真実を伝えて下さいませんか…………私は田原たはらさんのほうが心配です…………」

 すると、床に置いてあったスマートフォンが音を立てる。

 さきの物だ。

 西沙せいさが顔を上げる。

 その西沙せいささきが手を伸ばすより早く口を開いた。

「────来た────」

 西沙せいさには何かが見えていた。

 その目が大きく開かれ、震える。

 モニターを見たさきが目を開くと、杏奈あんなの中で何かがうずく。

 それは、嫌な感覚だった。

「失礼」

 立ち上がったさきは、祭壇前から続く広い廊下へと足を滑らせる。ドアは無い。微かに聞こえるさきの声に、杏奈あんな西沙せいさは無意識の内に耳を側立てていた。

 二人の元に小さく届くさきの声は、西沙せいさの予想通り、動揺を隠せてはいない。

「…………いつ…………そうですか…………分かりました…………すぐに…………」

 やがて、そのさき西沙せいさ杏奈あんなの元に戻り、二人はさきの言葉を待った。

 空気がよどむ。

 嫌な時間。

 そして、ゆっくりと口を開いたさきの表情が曇る。

「つい先ほど…………代表の田原たはらさんが亡くなりました…………」

 電話と同時に予想出来ていた西沙せいさ

 嫌な感覚を感じながらも、何も見えていなかった杏奈あんな

 二人は共に、口を開かなかった。

 さきが続ける。

「…………ご自宅で…………自ら命を絶ったところを…………奥様が見付けられたとのことです…………」

「…………どうするの?」

 すぐ、そう小さく返したのは西沙せいさ

 そして続ける。

「病院に運ばれたんでしょ? 奥さんもそこにいるなら…………」

 そこに挟まったのはさきから視線を外した杏奈あんなの声。

「────どうせ…………マスコミが病院を囲ってる…………」

「……遺書があったということです…………」

 そう返すさきが、ゆっくりと続けた。

水月みづきさん…………病院までお願い出来ますか? 私と一緒に……あなたに真実を見て欲しい…………」

 それだけ言うと、さきは立ち上がった。

 巫女服みこふく衣擦きぬずれの音が、空気を大きく揺らす。





          「かなざくらの古屋敷」

    〜 第十二部「幻の舟」第3話(完全版)

              (第十二部最終話)へつづく 〜


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ