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第十部「鬼と悪魔の爪」第5話(完全版)(第十部最終話)

 昭和四一年。

 婿養子むこようしとして夫を迎えたばかりの一八才のフネは、母であるタネに離れの別邸に呼ばれていた。

 同じく婿養子むこようしだった先代せんだいが亡くなり、隠居に入った先代せんだいの妻がこの別邸にすまっていたが、タネの母でもあるその先代せんだいが亡くなったのは二年前。

 それ以来この別邸は使われていない。

 そして大谷城おおやしろ家では、必ず婿養子むこようしを迎え入れて祝言しゅうげんを上げた直後に、ここで言い渡される事柄ことがらがあるのが通例だった。

 呼ばれるのは女だけ。

 婿養子むこようしである男が呼ばれることはない。

 夜────静かな夜だった。

 風も無い。

 障子を突き抜けた明るい月灯りだけに照らされた中、おもむろにタネが口を開く。

「これから…………大谷城おおやしろ家の血を継ぐ者だけに伝えられる密儀みつぎを伝えます…………これは決して、外に出してはならないものです。そして、祝言しゅうげんの後にしか伝えることを許されてはおりません…………」

 その重々しいタネの言葉に、フネは乾いたつばを大きく飲み込んだ。

「よろしいですね…………?」

 タネがそう言って鋭い目を向けると、フネはその目から視線を外すことが出来ないままに応えるしかなかった。

「…………はい」

「……この家に…………男種おとこだねが無いことはすでに周知のことかと思います。大谷城おおやしろ家の男子は、産まれたとしても一才まで生きることが出来ません。そして、当然のことながら、産まれるかどうかも神様仏様しだい…………それがこの家に続く〝鬼神おにがみのろい〟です」

 もちろんそこまではフネも伝え聞いていた。だからこそ父も祖父も婿養子むこようしであり、だからこそ大谷城おおやしろ家では大事にされていることも知っている。

 しかしだからと言ってさらに古い歴史までを調べたわけではない。実際に〝のろい〟と言われてもすんなりと信じられるものでもなかった。

「もちろんあなたには、男子が産まれないことを祈っているのですが…………」

 そう続けながら、タネは畳に視線を落としていた。

 フネも釣られるように視線を落とし、自然と呟く。

「そうですね……不幸はないほうが嬉しいですが…………」

「……いえ……のろいの本当の姿は違うのです…………」

「違う、とは…………」

 反射的にフネが顔を上げると、同じように視線を上げていたタネと目が合った。

 その強い目に、フネは気持ちをつかまれる。

 そして、タネの重い口が開いた。

「これは…………これは次の世代へ伝えてもらわなければなりません…………男子は一歳まで生きられないと言いました…………しかし違います…………あなたがその命をつのです…………」


 ──…………?

 ──………………つ?


「生きられないのではありません…………あなたが殺すのです…………」

 そのタネの言葉に、フネは自らの耳を疑う。

 全く想定外の単語だった。

 しかも、あり得ない。

 思考がまとまらないままに、ありきたりの言葉が溢れるだけ。

「……そんな────」

「殺さなければ…………もっと恐ろしい〝のろい〟が降りかかります。この家は、女だけで繋いで行かなければなりません」

 タネのその強い言葉が、フネの中で完全に行き場を失っていた。

 もちろん、フネは目の前の母がその仕来たりを破っていたことを知らない。タネも決して話せないことだと思いながらも、この時は正直迷っていた。


 やがて、フネが最初に子供を産んだのは昭和四四年。

 男の子だった。

 そしてフネは、仕来しきたりに従う。

 従うしかなかった。

 どうやって従うか、日に日にいとおしさの増す我が子を見る度に、フネは気持ちを揺らした。

 半年ほど経った頃。


 ──……まだ…………一歳までは時間がある…………


 しかし、これ以上は自分の気持ちに自信が持てなかった。


 ──…………この子を…………殺せるの…………?


 お腹を痛めて産んだ我が子の寝顔を見る度に、フネはそんな感情を繰り返す。


 ──……殺せるはずがない…………


 自然な感情だった。


 ──…………でも…………殺さないと………………


 何かに突き動かされるように、おかしな感情が湧き上がる。


 ──…………誰? 誰かがいる…………


 自分の中に湧き上がってきたのは、別の誰か。

 自分ではない。

 別の誰か。

 それが誰なのか分からないまま、フネは暗い部屋の中で、寝ている我が子の顔に自分の枕を被せていた。

 そして、力を乗せる。

 小さなうめき声が枕に響いた。

 子供の手足が激しく動き始める。


 引き返せなかった。


 そのまま、フネは枕を押さえる手に力を込める。

 やがて子供が動かなくなった頃、やっと、手の力を抜いた。

 いつの間にか、フネの目から、幾つもの涙が零れ落ちていた。

 感情の行き場が分からない。

 そして、涙が止まらない。


 翌日、夜のことを母のタネに伝え、そのまま医者の診断書をもらうために大谷城おおやしろ家専属の医者を呼ぶ。タネが医者に厚い封筒を渡し、形だけの死亡診断書を出してもらい、そのまま葬儀の準備が始まる。


 翌年、フネに次男が産まれる。

 嬉しくはない。

 また同じことを繰り返さなければならない。

 男の子だと聞いただけで涙が出た。

 まだ自分の中での罪の意識が暖かい頃。

 そして、数ヶ月後。

 同じことを繰り返すなら、早いほうがいいだろうと考えていた。

 同じように、寝ている間に枕を被せようと思った。

 しかし、手が動かない。

 悩むまま、日が過ぎていく。

 あの時の、手に伝わる感覚が、忘れられない。


 産まれて三ヶ月。

 フネは心を決めた。

 古くから屋敷に勤める使用人を一人だけ選ぶと、その使用人に厚い封筒を渡す。

 信用の出来る使用人だった。フネの産まれる前から大谷城おおやしろ家を支える使用人の一人でもある。

「フネ様…………これは…………」

 しかし、フネにはその使用人が何かをかん付いているような気がした。

「……信用の出来る人にしか…………お願い出来ないんです…………」

 そう真剣な目で訴えるフネに、使用人は首を縦に振るが、封筒をフネに返して応えた。

「これ以上はいただけません…………しかし…………フネ様のお気持ちは断れません…………」

 〝これ以上〟という言葉の意味を計り切れないまま、それでもフネは深くを聞かなかった。

 翌日、使用人は隣町から幼い赤子あかごを誘拐すると、屋敷の中で窒息させて殺害。その後、車に次男を抱いたフネを乗せて屋敷を出た。

 時間はすでに夜。

 村からだいぶ離れた大きな駅。

 寒い季節ではなかった。

 タオルに包まれた幼な子は静かに眠ったまま。

 その我が子を大き目の紙袋に入れ、駅の中のベンチに座ったフネは、静かに隣にその紙袋を置いた。


 しばらく、動けなかった。


 ──…………自分の子供が隣にいる………………

 ──……立ち上がったら…………二度と、会うことはない…………


 何か声を掛けてあげたかった。

 それでも、言葉が出てこない。


 ──…………もう…………引き返せない……………………


「…………ごめん……ね…………」

 そんな、ありきたりな言葉しか出てこない。

 出てくるのは涙だけ。

 小さく、紙袋から声が聞こえた。

 聞きたくなかった。


 ──……もうダメだ……………………


 フネは逃げるように走り出した。

 駅前で待っていた使用人の車に飛び込む。

 昭和四五年。

 まだ至る所に防犯用カメラが並んでいる時代ではなかった。



      ☆



「その時のお子さんがどうなったか…………もちろんフネさんは知らないはずです…………」

 そう続ける咲恵の声が、広い座敷に広がる。

「……フネさん……ここの使用人の方々は感じのいい方たちばかりです。それは私たちも感じていました…………だからこそ、私も今……伝えることを躊躇ちゅうちょしています…………でも、あの時のフネさんの気持ちにはとても敵わない…………それを分かった上でお伝えします…………そのつもりで皆さんにも聞いて欲しいんです…………」

 全員の意識が咲恵に向く。

 そして、ゆっくりと咲恵が続ける。

「お子さんは元気です。事業にも成功されて…………ご結婚もされています…………優次ゆうじさん…………あなたです…………」

 その優次ゆうじの斜め前で、フネが畳にひたいをつけていた。

 体を大きく震わせ、その嗚咽おえつに空気が包まれた。



      ☆



 フネに長女が産まれたのは昭和四七年。

 初めて、フネは心から喜ぶことが出来た。

 名前を智子ともこと名付け、初めてフネはその成長を見続ける喜びを感じていた。

 全力で育てようと思った。

 全力で守ろうと思った。

 しかし成長と共に、やはりフネの中で膨れ上がる気持ちがある。智子ともこにも、いずれ大谷城おおやしろ家の〝仕来しきたり〟を引き継がせなくてはならない。今まで途方もないような時間の中で、何代にも渡って多くの先祖が同じ気持ちで時代をつむいできたのだろう。

 その時のことを思い浮かべながら、それでもフネは智子ともこに愛情を注ぎ続けた。

 長男と次男の分も、智子ともこには幸せになって欲しかった。


 ──…………幸せになど…………なれない…………


 終わらない現実が少しずつ近付いていくだけ。

 終わることのない〝のろい〟。しかし、もっと恐ろしい〝のろい〟を恐れ、誰も終わらせることが出来ない。


 ──……智子ともこも…………いつか自分の子供を殺す…………


 せめて、男の子が産まれない未来を望んだ。

 それしか救いはなかった。

 平成四年。

 智子ともこは会社経営者を婿養子むこようしとして大谷城おおやしろ家に迎え入れた。

 その会社は当時はまだ珍しかったコンピュータソフト会社。今でいうIT企業。当時はまだ今のようなインターネットの時代ではなかったが、成長の著しい業界でもあった。

 そして祝言しゅうげんの翌日、フネはすでに使われなくなっていた離れの別邸に智子ともこを呼び出す。

 もちろん智子ともこも〝鬼神おにがみのろい〟は知っていた。そして世間ではすでにそれが忘れ去られた歴史であることも知っている。しかし大谷城おおやしろ家ではいまだそれが現実として引き継がれていることを知ることとなる。

 もちろんフネは長男と次男のことは言わなかった。智子ともこにとっては二人の兄。

 フネにとっては唯一の逃げ道だったが、同時にどこの誰か分からない子供を殺すことでもある。ひつぎからというわけにもいかない。骨も拾わなければならない。そのための〝身代わり〟はどうしても必要だった。

「この時代にのろいなんて…………」

 智子ともこはそう言いながらも〝男の子が産まれたら、きっと殺すようにうながされるだけ〟と受け入れるしかなかった。

 〝のろい〟の真実を知りながら、その〝のろい〟の実態が人間の〝ごう〟であることを学んだ。


 やがて智子ともこは妊娠をするが、やはり本音で喜べない自分がいた。


 ──……男の子だったら…………殺すの…………?


 そう思いながら、しだいに大きくなるお腹を見つめる日々。

 まだ時代的に、出産前に性別の分かる時代ではなかった。分かるとしても、その頃にはすでに中絶の出来る期間は過ぎている。

 毎日、女の子であることを祈った。

 平成六年。

 産まれた子供は女の子だった。

 恵那えなと名付けられた。

 智子ともこはそれまで感じたこともないくらいに安堵あんどした。

 子供の成長を見守ることの出来る喜びを感じた。

 しかし同時に、いつか恵那えなにも自分と同じ不安を味合わせることの怖さ。

 この頃には、すでに智子ともこも何かに感覚をおかされていたのかもしれない。話を聞いた時には〝のろい〟など馬鹿馬鹿しいとさえ思った。しかも現代ではただの御伽噺おとぎばなしレベルのもの。村の人間で真面目に受け取る者などいないだろう。大谷城おおやしろ家の使用人が定期的にほこらを管理しているに過ぎない。

 しかし今は男の子に産まれてほしくないとしか思えなかった。

 なぜ大谷城おおやしろ家だけが〝のろい〟に苦しめられなければならないのか。理不尽だとさえ思った。今まで多くの子供たちが母親の手で殺されてきたのだろう。もしかしたら使用人の中にも殺人に手を貸した者もいるかもしれない。


 ──……このまま…………その子たちは忘れ去られていくの……?


 平成八年。

 智子ともこは二人目を出産する。

 男の子だった。


 ──……絶対に殺させない…………


 産まれた直後から、智子ともこはそれだけを考え続けた。

 フネも特別何かを言ってくるわけではなかったが、智子ともこはどうやって〝のろい〟から我が子を救うかしか頭にはなかった。

 どこかに子供を逃すとしても、死んだことを偽装するには〝身代わり〟が必要になる。

 元々一度は就職して働きに出ていた智子ともこは、決して一人で外に出ることで怪しまれることはない。その日も智子ともこは息子を抱いて外に出ていた。

 産まれてからすでに半年が過ぎていた。近くの河原まで散歩に行くことは珍しくはない。しかし智子ともこはその日に決行することを決めていた。いつものようにタオルに息子を包んで抱きながら、カバンには小さく畳んだ紙袋を忍ばせる。

 どこがいいだろうかと場所を探しながら、同時に〝身代わり〟を探す。

 計画が穴だらけなことは分かっていた。

 その穴のどこかに、色々なことの言い訳を探していたのかもしれない。自分がしようとしていることの罪の重さは理解していた。


 ──……今日でお別れ…………でも生きてさえいてくれたら…………


 それでも、いつもの散歩コースで思い出を噛み締めずにはいられない。

 そして、息子のためにも、この〝のろい〟をただの伝承で終わらせまいと誓った。

 村の外れに、小さな産婦人科病院を見つけた。

 すでに陽が傾き始めている。


 ──……ここなら…………


 智子ともこは素早く紙袋を取り出すと、息子をその中へ。

 短い手紙を添えた。

「もしも…………また会えたら…………」

 それだけで言葉を詰まらせ、入り口近くの花壇かだんすみへ、そっとその紙袋を置いた。


 ──…………私は…………〝鬼〟なのかもしれない…………


 直後、すぐそばの入り口が開く音。

 同時に聞こえるのは、胸に抱いた小さな赤ん坊に楽しげに話しかける母親の明るい声。

 何も考えなかった。

 ただ、帽子を深く被り直すと、智子ともこはその母親にぶつかるように、そのままその子供を奪う。

 そして、がむしゃらに走っていた。

 背後の悲鳴も聞こえなかった。

 もし狂ったようなその声が耳に届いていたなら、智子ともこは立ち止まっていただろう。当然、母親の顔も見ていない。

 見れるはずがない。


 ──…………私は〝悪魔〟だ…………


 足が動かなくなるほどに走ったところで、智子ともこは河原の橋の下にいた。

 すでに辺りは薄暗い。

 泣き叫ぶ子供の声を周囲に聞かれまいと、ずっと智子ともこは子供の顔を胸に押し付けていた。

 すでにぐったりと力は無い。

 しかしまだ微かに心臓の鼓動を感じる。

 その子供の顔を見ることが出来ない。

 智子ともこは子供の足をつかむと、そのまま川の水の中に子供の頭を沈めた。

 僅かな痙攣けいけんを感じ、智子ともこは自分のしていることに恐怖した。


 ──……人殺し…………


 いつの間にか、涙が溢れていた。

 そして呼吸の止まった子供を抱え、屋敷へと戻る。

 事故死の扱いとなり、翌日には葬儀が行われた。



      ☆



「ネットに〝鬼神おにがみのろい〟として情報を拡散させたのは…………智子ともこさんですね」

 そう言い放った萌江もえが続ける。

「旦那さんにお願いすれば簡単なはずです」

 すると、智子ともこは目の前に視線を落としたまま小さく応える。

「…………はい……」

 その視線の先には、兄である優次ゆうじがいる。しかし顔を上げることははばかられた。


 ──……私も…………母と同じことを…………


 そう思った時、そこに聞こえるのは咲恵さきえの声だった。

「誘拐事件の裏は取ってあります…………もう……お気付きですね…………智子ともこさんの息子さんが…………雄一ゆういちさんです」

 智子ともこは微動だにしなかった。


 ──……あんなに会いたかったのに……どんな顔をすればいいの…………?

 ──…………私は……人殺しだ…………


 その雄一ゆういちの目の前にいる恵那えなが目を見開いて口を震わせた。

 その目に、溢れそうな涙が浮かぶ。

恵那えなさん…………」

 そう言った咲恵さきえの柔らかい声が続く。

「……あなたの弟さんです」

 恵那えなは口を押さえながら、大声で泣き始めた。

 雄一ゆういちも視線を落とし、声を震わせる。

「……私が養子だということを…………私も昨日聞いたばかりでした…………でも、義理の母も、もちろん私の出自しゅつじのことまでは分からないと言っていまして…………どうして昨日になってあんな話をしたのか不思議でしたが…………」

「世の中には、不思議なことがあるものですよ…………」

 そう言った萌江もえが続ける。

「昨日、あのほこらで私たちが出会ったことも偶然ではないでしょう…………ある意味…………御寧おねの呪いは成功したのかもしれません……これだけ長い歴史の中でこの家を苦しめ続けた…………事実、ネットで広がったのろいの話だけで、なぜか息子さんたちは鬼の夢を見始めた……しかも見たことがなかった鬼の姿まで見ている…………それが同じ〝血〟のせいなのか、それは分かりません…………まるでこのために呼ばれたかのようだ…………歴史の闇に埋もれさせたくないと願った智子ともこさんの思いか…………でも、やっと親子が再会出来たなら…………そんな不思議なことがあってもいいと、私は思います」

 誰も口を開けないまま、時間だけが流れる。

 やがて、萌江もえが再び続けた。

「鬼はいない…………のろいもない…………総ては人間が作り出した…………誰もが〝のろい〟という〝悪魔〟に魅入られた…………遙か昔に自分たちで御寧おねのろいを作り出した大谷城おおやしろ家は、次に自分たちで新しいのろいを生み出した……どうして〝白か黒か〟で決めてきたんでしょうね…………他の色だってあったはずなのに…………」

 萌江もえは首の後ろに両手を回し、ネックレスを外す。

 それを左手に巻きつけると、腕を伸ばし、指から水晶をぶら下げて言葉を繋げた。

「今回の謎解きの一件を、皆さんの記憶から決してもいい…………あまりにも非情な現実だ。皆さんにはその権利があると私は思います。そして今までの生活に戻るか…………それとも過去と現実を受け入れてこれから生きていくか…………それは皆さんで決めてください」

 しかしその水晶を、萌江もえの隣で片膝を立てた西沙せいさつかむ。

 驚いた萌江もえ西沙せいさを見ると、そこには目に涙を浮かべた西沙せいさの横顔。

 そしてその西沙せいさが口を開いた。

「……あと一晩だけ…………待ってあげて…………」

 すると、萌江もえの表情にも優しい笑顔が浮かぶ。

「そうだね……分かった」

 萌江もえは手を下ろし、後ろの杏奈あんなに振り返って続ける。

杏奈あんなちゃん、明日、恵那えなさんからの連絡待ち、頼むよ」

 杏奈あんなは黙って大きくうなずく。

 萌江もえが六人に視線を戻すと、次に口を開いたのは咲恵さきえ

「では今夜は……家族だけでゆっくりしてください…………どういう結果を選ぶとしても、それは皆さんしだいです。誰にも責められることではありません……でも、最後に一つだけ言わせてください」

 咲恵さきえは視線を落としたまま、少し間を空けた。

のろいを継承けいしょうせずにこの家をやす道もあったでしょう……しかし誰も好き好んで家をつぶそうとは思いませんよね……そんな簡単なことじゃない…………でも、家の名前よりも軽い命って……何なんですかね…………」



      ☆



「……なるほど…………想像以上に重い結末だったか…………」

 夜、旅館での最後の夕食を取りながら、そう呟くように言ったのは満田みつただった。

 萌江もえ咲恵さきえが一通りの説明をすると、改めて全員の表情は固い。

 その中で口を開いたのは杏奈あんな

「あの六人…………どっちを選ぶんですかね…………」

 日中の大谷城おおやしろ家では黙って話を聞いていただけの杏奈あんなだったが、本心は穏やかではいられなかった。

 今はすでに、新しい記事にすることは諦めている。とても記事に出来るような真実ではなかった。むしろ、どうやってネットの中で風化させていこうかと考え続けていた。

 その杏奈あんなに応えた咲恵さきえの言葉は、あくまで柔らかい。

「どっちを選んだとしても…………正解なんかないのよ…………昔の人達が選んだ選択にもね…………あるのは結果だけ。だから、あとは六人が選ぶだけ…………強制は出来ない」

 そう言うと、咲恵さきえはお猪口ちょこの日本酒を飲み干す。

 そして続けた。

「…………もう、私たちの仕事は終わり……」

 その柔らかい口調の中に、寂しさが滲む。

 解決から生まれる望まれない現実。しかしそれは、解決しなければ見ることのできない真実でもある。

 咲恵さきえ萌江もえも、もちろんそんなことは分かっていた。

 真実に救われる人もいれば、その真実を受け入れられない人もいる。

 関わらなければ、知ることもない。

 しかし二人は積極的に関わってきた。

 そして同時に、地獄を見てきた。人間の人間であるがゆえの愚かさに幾度も触れてきた。決して使命感などという安っぽい言葉で片付ける気はない。しかしこの時の二人には、まだ自分たちのことでさえ見えていなかったのかもしれない。

「でも珍しいね…………」

 そう口を開いた萌江もえが、咲恵さきえに向けて続ける。

咲恵さきえが最後にあんなこと言うなんて…………」

 すると咲恵さきえは、手にしたお猪口ちょこを眺めながら、ゆっくりと言葉を返した。

「……そうだね……過去の母親の顔……みんな同じ表情だった…………誰も自分の子供を殺したかった母親なんかいなかったんだ…………きっとその母親たちが私たちを呼んだんだよ……そんな不思議なことなら、あってもいいんじゃないかな…………」

 全員が重い表情のまま、次いで満田みつたが口を開く。

「大変な話に全員を巻き込んでしまった…………この礼はさせてもらうよ」

「意味があるんだ…………」

 そう言う萌江もえが続けた。

「何か意味がある…………私たちが関わった理由がね…………」

「理由?」

「……どこかに…………何かヒントがあるはずなんだ…………」

 そこに西沙せいさが混ざる。

「考えすぎだよ。私たちには縁もゆかりも無い場所の話だ…………」

「…………ホントに?」

 その萌江もえの言葉に、全員の意識が注がれる。

 そして、その言葉が続く。

「……そうなのかな……………………それなら…………どうして?」

 突然、萌江もえの目から、一粒だけ涙が零れた。

「どうして…………夢の中の悪魔が…………お母さんの顔に変わるの…………?」

「────萌江もえ

 そう口を開いた西沙せいさの口調が強くなって続いた。

「ただの妄想だよ…………萌江もえはお母さんの顔なんか見たことない────」

「分からないと思うの?」

 即答したその萌江もえの言葉に、再び全員がその顔を見る。

「私に? 分からないと思う? 子供の頃から何度も会ってる…………いつも私の中に────」

 その目を後ろから左手で覆ったのは、いつの間にか萌江もえの背後に回っていた西沙せいさだった。西沙せいさ萌江もえを抱き抱えるようにしたまま、右手で萌江もえの首にかかる水晶をつかむ。

 その手に素早く自分の手を重ねたのは、萌江もえの隣の咲恵さきえ

 咲恵さきえはその手に視線を向けたまま、震える声で口を開く。

「…………お願い…………やめて…………」

「この水晶は────」

 瞬時に言葉を返した西沙せいさが水晶を握る右手に力を込めた時、それをさえぎ咲恵さきえの声は低い。

「────これ以上この水晶の中をのぞくつもりなら…………私はあなたと対峙たいじすることになる…………これは、あなたの手に負えるモノじゃない…………」

 すると、西沙せいさの口から言葉が漏れた。

「…………〝京子きょうこ〟…………じゃ……ないの…………?」

「やめな」

 その声に、全員に鳥肌が立つ。

 西沙せいさの左手に目を覆われたままの萌江もえの声。

 いつもの声なのに、なぜかその声に、全員がすごみのようなものを覚え、そして誰も動けなかった。

 そして続く、その声。

西沙せいさ…………怪しげな呪文じゅもんなど効かない……人間の作り出したものなんて、ただの自己満足に過ぎない…………陰陽道おんみょうどうだろうがお経だろうが……そんなものは自分たちを安心させたいだけのもの…………この世成らざる世界にとってはただの茶番だ。幽霊ものろいもたたりも…………総ては人間が作り出したモノ…………いい加減に気付け────あの世など存在しない…………あるのは目の前の世界だけ…………そしてこの世界の総ては、まやかしの世…………」

 誰の言葉なのか、咲恵さきえにも西沙せいさにも計りかねた。

 声が続いた。

「……お前たちが辿り着いた真実は…………〝ホンモノ〟なのか? 誰にそんなものが分かる…………お前たちが納得したいだけだ…………答えなど誰にも分からない…………お前たちが〝創り出した〟世界に過ぎない…………」

「つまり…………」

 呟くように口を開いたのは西沙せいさ

 萌江の背後で目を伏せ、低い声を続ける。

「…………お前も…………〝まやかし〟ということか…………」

 直後、西沙せいさは右手を開く。そして水晶から手を離すのに合わせ、咲恵さきえの手も弾けるように離れた。

咲恵さきえ! 水晶握って!」

 その西沙せいさの声に、咲恵さきえあわてて水晶を握る。

 直後、西沙せいさの右のてのひら萌江もえの背中で大きく音を立てた。

 そして、続けてその右手は、今度は優しく萌江もえの背中に押し付けられていく。

「…………戻ってきて…………例え〝まやかし〟の世界でも…………ここが私たちの生きる世界…………」

 やがて西沙せいさが左手を萌江もえの目から離す。

 すると萌江もえは、ゆっくりと視線を降ろしていった。

 咲恵さきえもゆっくりと萌江もえの首筋から手を離す。

 口角を上げた萌江もえが、小さくその口を開いた。

「……いやはや…………まいったねえ……」

 その萌江もえの声に、後ろの西沙せいさが大きく溜息をいて座り込んでいた。


 ──……覚えてる……? 乗っ取られてない…………?


 そして思わず言葉を漏らす。

「まったく…………咲恵さきえも大変な相手にれたねえ…………」


 ──今までとは違う……この違和感って…………


 すると、途端に笑顔になって返すのは咲恵さきえ

うらやましいでしょ」

「私は遠慮するわ。こんな面倒な恋人なんて」

 西沙せいさがわざとそんな返答をすると、そこに挟まったのは当の萌江もえだった。

「なに? 西沙せいさも同性愛に目覚めたの?」

「誰もそんな話はしてません」

 西沙せいさ眉間みけんしわを寄せてそう応えると、向かいの席に戻った。

 そこに杏奈あんなの声。

「こういうの、少し見慣れてきました」

「慣れるな」

 そう返した西沙せいさがお猪口ちょこの日本酒を飲み干して続ける。

「でもネタには困らないでしょ? これからも色々と頼むよ」

「お任せを。お陰で美味しいご飯も食べられるし」

「で?」

 そう挟まった萌江もえが、怪訝けげんな顔で続ける。

「何がどうなったのよ」


 ──……嘘だ…………さっきのは誰の声だ…………


 反射的にそう思った西沙せいさが目を光らせていた。

 すると、テーブルの下で咲恵さきえ萌江もえの手に自分の手を重ねて口を開く。

「後で…………」

 しかし、萌江もえの水晶が咲恵さきえのもう一つの手の中にあることには、誰も気が付いていない。


 翌朝。

 杏奈あんなのスマートフォンに、恵那えなからの着信があった。





        「かなざくらの古屋敷」

    〜 第十部「鬼と悪魔の爪」(完全版)終 〜


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