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第十部「鬼と悪魔の爪」第1話(完全版)

     お前は誰だ

     お前は誰だ

     お前が見たものは、なんだ



      ☆



 なぜだろう。

 寂しいなら街中に暮らせばいい。

 しかし不特定多数の人間と関わるのは嫌だった。

 山の中に暮らし、基本的には一人。

 それでも野良猫が住み着いてからは賑やかになった。

 しかし月曜日の午後、いつものように日曜日に泊まりに来ていた咲恵さきえが帰る時。

 毎週のこととは言え、この時はやはり寂しい。

 また次の日曜日には来てくれる。

 会いたくなれば萌江もえ自身がバスで街中まで行けばいい。

 それなのに、どうして咲恵さきえの車を見送る時がこんなに寂しいのか。

 咲恵さきえに寄りかかり過ぎなのかもしれない。お互いに普通の人と付き合うことの出来ない特殊体質。しかしそれすらも最近は怪しく思えてきた。

 本当だろうか。

 もしかしたら、それすらも自己暗示なのかもしれない。

 お互いに、お互いを縛っているのかもしれない。

 そう思うことが最近増えてきた。

 あまり良くないことだ。

 感情が安定していない証拠だ。

 少なくとも萌江もえはそう感じていた。


 〝……お前は誰だ…………〟


 夢の中でそう問いかける者は誰だったのか。

 ただ、気持ちの悪い夢だった。

 それは不安の塊か。

 具現化された恐怖か。

 どんな不安なのか。

 どんな姿の恐怖なのか。

 目を覚ました直後、意識が現実を吸収するまでの短い間で感じたことはそれだけ。

 過去に何度か予知夢を見たことはある。夢でなくても度々未来を見てしまうこともある萌江もえとは言っても、総てをそこに結びつけてしまうのは早計そうけいだ。本来の夢というのは、紐解いてみればシンプルなものでしかない。したがって、未来を見てしまう理由は萌江もえの能力によるものなのだろう。しかし今回の夢は何かが違う印象だった。


 いつも隣には咲恵さきえがいた。

 怖くはない。

 望んでいた現実が、今、目の前にある。

 咲恵さきえは自分を守るだろう。

 総てを捨てても、自分を守るだろう。しかし萌江もえにとっては、そう思う自分が怖かった。咲恵さきえにとって、自分は負担でしかないのかもしれない。


 ──……私がいなくなったら…………咲恵さきえはどうするの…………


 ──…………違う…………逆だ…………


「今週は? どっかで来る?」

 車のエンジンをかけながら、いつも咲恵さきえ萌江もえにそう声をかける。

「…………んー、寂しくなったら…………」

 何となく照れ臭そうに応える萌江もえに、咲恵さきえが優しく返すのが慣例かんれいだ。

「電話くれたら迎えに来るのに…………」

「疲れてるでしょ。バスで行くから大丈夫」

 そう思うのは事実だった。

 夜の客商売の世界は萌江も知っている。例え片道一時間とは言っても、緊急事態でもない限りは無理をさせたくなかった。

 咲恵さきえが車を走らせると、バックミラーには小さく手を振り続ける萌江もえの姿。

 その姿が見えなくなっても、咲恵さきえはいつもとは違う感覚のまま車を走らせていた。

 確実なのは、咲恵さきえも何かおかしな夢を見たことだけ。

 明確なイメージが定まらない。


 ──……気持ちの悪い夢だった…………

 ──…………大きくて……黒い………………


 ──…………まるで…………悪魔のような………………


 無意識の内に、咲恵さきえは車を停めていた。

 舗装された幹線道路まではもうすぐ。


 ──……気にしすぎだよね…………過保護すぎる…………


 咲恵さきえは再び車のアクセルを踏み込んでいた。



      ☆



 それは、遥か昔のこと。

 ある時、その村に鬼が現れた。

 鬼は毎夜毎夜のように村にやってきては、食べ物を盗み、畑を荒らし、家に火をつけ、村人を殺した。

 村は鬼を退治しようとするが、その力の前に成す術もない。

 やがて、一人の巫女みこが現れる。

 〝御寧おね〟と名乗ったその若い巫女みこは、瞬く間に鬼を八つ裂きにした。

 そして山の頂上にその鬼の亡骸を埋めると、その上に祠と鳥居を建て、山を〝鬼神山おにがみやま〟と名付け、村を去った。

 そしていつの頃からか、その村は〝鬼神村おにがみむら〟と呼ばれた。



      ☆



 春まではもう少し。

 夕方から僅かに粉雪が舞っていた。それでも積もるほどの量と寒さではない。むしろ地表でその姿を消し、やがては雪が降ったことすら忘れさせることだろう。

 しかも軽い雪。上空の寒気との温度差はかなりのもの。季節の変わり目ならではだ。


 ──……もう降らないと思ったのにねえ…………


 咲恵さきえは店の準備を終えると、いつも萌江もえが座っているカウンターの一番奥の席に座り、そんなことを思いながら軽く溜息をいていた。

 窓の外には雪がまとわりつく街灯り。なんとなくその光景が、なぜか嫌ではない。

 そしていつもの萌江もえのお気に入りの席に座ることで、萌江もえと気持ちを共有しているような、そんな気持ちを楽しむ。


 ──……こんなこと、しなくたって…………


 やがてカウンターの中でコーヒーメーカーの音が静かになると、咲恵さきえも静かに立ち上がった。カウンターに入るとすぐにお気に入りのコーヒーの香りが鼻先をくすぐる。マグカップに注ぐだけで、その流れに合わせてゆっくりと香りが広がった。

 一口目の嗜好しこうは何物にも代えられない。


 ──これでまた一週間頑張れそう……


 しかしその理想は、次の瞬間には砕け落ちる。

 ドアの鈴の音。

 最近、きしむ音が気になり始めたドア。その開かれたドアから入ってきたのは満田みつた

 しかし今夜は、あまり明るい表情には見えない。

 開店前のこの時間に来る時は決まって仕事の依頼。咲恵さきえも瞬時にそれを感じた。しかしそれよりも、やはり咲恵さきえが気になったのは満田みつたの表情だ。何年もの付き合いというだけでなく、現在では仕事上の重要なパートナー。しかも咲恵さきえかんの鋭さは体質がそれを証明している。

「あら……みっちゃん…………」

 咲恵さきえは反射的にそう口を開きながらも、今朝の夢が、なぜか頭の中に顔を出す。


 ──……夢の悪魔が……どうして…………


「新しい仕事? そんな顔してるよ」

 軽く笑みを浮かべて続けたその言葉に、咲恵さきえ自身は感情を隠していた。

 満田みつたは溜息をきながらカウンターの真ん中の席に座り、そして返していく。

「まあ……そんなところだが…………なんだか今回は気持ちの悪い話でね…………」

 表情だけでなく言葉まで重く感じられた。いつもの饒舌じょうぜつな印象すらも影を潜めているほど。

「今さら? いつものことじゃない。それをスッキリさせたくて来たんでしょ?」

 咲恵さきえはあっさりとそう応え、満田みつたの後ろを通ってカウンターの中へ。

 カウンターに視線を落とした満田みつたは歯切れが悪い。

「まだ正式な依頼というわけじゃないんだが、どうもいつものようにはいかない気がしてね」

 その時、再びドアの鈴。

 反射的に顔を向けた咲恵さきえに笑みが浮かぶ。

 そこで眉間みけんしわを寄せていたのは萌江もえだった。

「いらっしゃい……いいタイミングだこと」

 咲恵さきえはそう言いながら、まるで付き合い初めの頃のように胸が高鳴るのを感じる。それでも、その胸にはなぜか夢の光景が消えない。

 その咲恵さきえの感情を知ってか知らずか、満田みつたの後ろでハイカットブーツの音を響かせ、萌江もえはまっすぐカウンターの一番奥へ。いつもより大きく響くその音に合わせるかのように声を響かせていく。

「今夜は仕事はしないよ。だめだよ。咲恵さきえに会いに来たんだから」

 萌江もえは言いながら椅子に腰を上げ、強目に愛用のサッチェルバッグを横に置いた。

 すかさず返すのは満田みつた

「明日からでいいんだけどね」

「どうせいつもののろいだとかたたりだとかそんな話でしょ? どっかの物理学者にでも頼んだらいいのに」

「冷たいことを言うねえ……それで解決するくらいならここには来てないよ」

 応える今夜の満田みつたの声には、いつもの落ち着きが薄く感じられた。さすがに萌江もえもそれにかんづいたのか、僅かに目が変わる。

 そこに挟まったのは咲恵さきえ

「まあ、それもそうね…………話すだけ話してみたら?」

 そう言いながら、咲恵さきえは何かを隠すように、萌江もえ満田みつたのボトル用のセットをカウンターに並べた。

 最初だけはすぐにお酒を注げるように、いつもロックグラスにはすでに氷が入っている。そこに多めにブランデーを注いだ萌江もえが繋ぎ、口を開いた。

「聞くだけは聞いてやる」

 冗談混じりなこんな会話はいつものことと無理矢理に思いながらも、咲恵さきえには、少し今夜の萌江もえは違って見えていた。


 ──……少しイライラしてる?


 そして満田みつたの説明が始まった。

「〝鬼神おにがみのろい〟って聞いたことあるかい?」

 すると萌江もえが大きく溜息をいて返す。

「やっぱり今回もそれかあ…………」

「伝説というか、伝承って感じなのかな」

 満田みつたは負けずに話し続けた。

「悪さをした鬼がいて、それを退治した巫女みこが山の頂上に鬼を埋めてほこら鳥居とりいを建てた…………そしてその村はいつしか〝鬼神村おにがみむら〟と呼ばれたって流れなんなんだが、昭和四〇年頃に隣の町に吸収合併されるまでは実際にその村の名前は残ってたそうだ。事実そこの山は今でも〝鬼神山おにがみやま〟と呼ばれてる。ほこらというより、山そのものが信仰の対象となってるみたいだな。面白いのは、その鬼を退治した巫女みこの名前だ」

「名前?」

大谷城おおやしろ……御寧おね

 満田みつたはそれを書いた自分の手帳を開いて萌江もえに見せながら続ける。

「この大谷城おおやしろって家は、実在する。しかもその地域には一つしかない。旧鬼神村(おにがみむら)の大地主。名字があるってことはそれなりの家だったんだろうが、神社ではない」

「でも、その……〝おね〟? って人は巫女みこだったんでしょ? 巫女みこは代々血筋で繋がるはずだけど…………」

 なんだかんだ言っても興味はあるのか、萌江もえ満田みつたの会話に食い込んでいた。

「そこがどうにも謎でね」

 満田みつたはいつもより濃い目のウィスキーの水割りを飲みながら、小さく息を吐いた。

 そこに咲恵さきえが挟まる。

「元々伝承なんてどこかで何かが都合よくねじ曲げられて伝わってるものでしょ?」

「今回もそうだよ」

 そうぶっきらぼうに返した萌江もえが続ける。

「ほとんどの伝承の鬼の正体は基本的に人間だからね。物理的な存在っていうより人間の行動そのものを〝鬼〟って呼んだだけ。今でもそうじゃん。みんなよく使うでしょ」

 鬼のように──鬼のような──あくまで例えとして使われる表現だが、日本語の中での表現としては実は歴史が長い。現在では妖怪として分類される存在だが、妖怪の多くは地域や文化に根付いたものがほとんどであるにも関わらず、鬼に関しては発祥自体も研究者によってまちまち。

 萌江もえも特別そういった分野を勉強したわけではなかったが、やはり今までの経験から伝承関係を追いかけるとどうしても詳しくなってしまっていた。

「なるほどな」

 そう呟きながらウィスキーを空にした満田みつたの前に、自然と次の新しいボトルが置かれた。そのボトルを手に取りながら続けていく。

「しかし問題はその〝鬼〟から生まれた〝のろい〟のほうだ。その大谷城おおやしろ家…………男が産まれても必ず一才の誕生日を迎える前に死んでる……女だけで血筋が繋がれてきたそうだよ。現在家にいる男たちは全員が婿養子むこようしだけ。血筋を存続させるために家に入った者だけだ…………」

「それが、今回ののろいか」

 そう言って萌江もえはグラスのブランデーを喉に押し込んだ。飲み初めにしては少しペースが早い。

 二人の飲み方がいつもより〝ハイペース〟なことは咲恵さきえももちろん気が付いていた。よくない飲み方だ。そんな咲恵さきえの心配をよそに、満田みつたが返していく。

「そうらしい……〝鬼神おにがみのろい〟と呼んでるそうだ…………男が産まれても死に絶える呪いなんて、物理学者で答えが出るとは思えなくてね」

「へえ…………」

 そう呟いて目を細めた萌江もえが続ける。

「それで、その家の人がそののろいをなんとかしてほしいって?」

「それだったら適当な霊能力者に頼むよ。今回の依頼者はその地域出身の人物だが大谷城おおやしろ家とは関係がない…………取引先の社長さんでね、ここ三ヶ月くらいかな…………〝鬼〟に殺される夢を見るんだそうだ…………」


 ──…………夢……?


 聞きながら反射的にそう思った咲恵さきえの代わりか、萌江もえが返し続けた。

のろわれる理由もないのに? それこそ同郷なら潜在意識的な面が考えられると思うけど…………」

「その人だけならね…………」

 満田みつたは新しくグラスに氷を追加しながら続ける。

「その人と同じ同郷の人で一緒に仕事をしていた人なんだが……その人も同じくらいから同じ夢を見てるのが分かったそうなんだ……しかも最近になってね。お互いにその地を離れて長い…………もちろん他にもそういう人たちがいるかどうかは分からない……でも夢を見始めたのはネットやメディアで〝鬼神おにがみのろい〟の噂が再燃した頃とも一致する。でも二人は〝のろい〟の詳細までは知らなかった。知ってるのは子供の頃に聞いた伝承と見たことのないほこらの存在だけ。大谷城おおやしろ家でのろいが続いていたことなんか誰も知らない。のろいをリアルなものと考えるほうが不自然だ。そもそも自分たちには関係がない」

「確かに複雑ね」

 そう言って挟まったのは、新しい萌江もえのボトルを用意した咲恵さきえだった。

 そして続ける。

「その大谷城おおやしろ家ののろいの事実は? どうして依頼者の社長さんが知ってるの?」

「同じ夢を見てる人間が自分以外にもいるって分かってから調べたんだそうだ。そうしたら大谷城おおやしろ家に辿り着いて怖くなったそうだよ。どこまでその〝のろい〟の情報が正しいのかは分からんがね。今のところ得られるのはあくまでネットの情報だけだ。それでも毎晩夢にうなされるからノイローゼみたいな感じなのかな……久しぶりに会った時にあまりにせてて私も驚いたよ…………病気かと思って聞いたら話してくれた……ローカルとは言ってもそれなりの規模の土木会社だ。私の家もその人の紹介の建築会社で建ててる。その時の大工の棟梁とうりょうが……今は引退してるが、二人目の夢を見てる同郷の人だ…………だから、今回は私からの依頼と思ってもらって構わない…………いくらでも出すよ」

「大きく出たね」

 返したのは萌江もえだった。

 その萌江もえが小さく続ける。

「みっちゃんからの依頼とは、世も末だ…………この店のボトル一〇本でいいよ」

「いつの間に値下げしたんだ?」

 満田みつたは口元に笑みを浮かべながら返していた。

 萌江もえもやっと表情を和らげて応えていく。

「たまにはサービス料金もいいかなって……簡単に終わりそうな仕事だし…………動きやすい所で宿の手配をお願い。明日行くよ」

「分かった…………宿代はウチの事務所で持つよ」

「さすがみっちゃん」

 そして再びのドアの鈴の音に全員が振り返った。

 そこに立つのは由紀ゆき。その由紀ゆきが声を張り上げた。

「ああ! みっちゃん! まあた出張の仕事⁉︎ ママにもファンがいるんだからあまり遠くはダメだって言ってるでしょ⁉︎」

 すると笑顔になった満田みつた

「ごめんよ由紀ゆきちゃん。今回もボトル三本で許してよ」

「まぁたそうやってボトルで誤魔化して────」

「今夜は恵元えもとさんのボトルも一〇本追加するからさ」

「ま、まあ……それなら…………」

「明日からね」

「明日⁉︎」



      ☆



     お前は誰だ

     お前は誰だ

     お前が見たものは、なんだ



      ☆



 新幹線の発着する駅から、その地域まではかなりの距離があった。

 五十年以上前に吸収合併されたとはいえ、今でもいくつかの小さな山に囲まれた閉鎖的な土地柄であることに変わりはない。もちろん今はトンネルから道路までインフラに於いて問題はなく、車さえあれば行くことが難しい場所ではない。

 しかし現在の産業といえば温泉くらいで、それ以外に観光客を呼べるだけの観光施設もなかった。

 それでも満田みつたが用意してくれた温泉旅館は立派な所だった。古めかしさがありつつも、敢えてその雰囲気を求めてくる宿泊客も多い。

 駅には旅館が用意してくれたタクシーが待っていた。

 さらには旅館に着くなり待遇の厚さの違いを感じることになる。

満田みつた様から、移動の時はすぐにタクシーを用意するようにとうかがっておりますので、いつでもお申し付け下さい」

 受付の段階でそう言われた時、さすがの萌江もえ咲恵さきえの耳元でささやいた。

「みっちゃんって何者?」

 咲恵さきえも宿の従業員にはにかんだ笑顔を見せるしかなかった。

 時間はすでに夕方。

 部屋は二人で泊まるには広すぎるくらいの立派な和室。しかも窓の外には豪華な露天風呂の温泉付き。

「一番いい部屋なんじゃない?」

 咲恵さきえも思わず笑顔で言葉を漏らす。

「とりあえず今夜は、ゆっくり体休めようか…………もうこんな時間だし」

 続く咲恵さきえのその言葉に、窓の外を眺めながらの萌江もえが返していた。

「そうだね。明日から忙しそうだ…………」

 初めて来た場所だからだろうか、少し気持ちもまぎれているのか、萌江もえの表情も幾分落ち着いて見えた。咲恵さきえもそんな萌江もえの変化に気持ちが僅かに楽になる。

 言葉を返す咲恵さきえの声も少しだけトーンが上がっていた。

「明日はとりあえず市役所だね。それから午後の四時頃には、みっちゃんが例の二人を連れてここに来るから…………」

「よく来る気になったね」

「協力したいみたいだって、みっちゃんは電話で言ってたけど…………」

「そこまで苦しんでるってことでもあるのか…………」

 そう言いながらも、萌江もえは大きな窓から外を眺めたまま。

 咲恵さきえはその隣に立って萌江もえの視線を追った。そこに見えるのはつらなる山々だけ。

 すると、萌江もえが口を開く。

「地図で確認しておいたけど…………あそこの山だね」

 萌江もえが指を差したのは、決して高い山ではない。周囲の高い山々に囲まれたような小さな山。

 呟くような萌江もえの声が続いた。

「あそこに…………鬼がいるのか…………」



      ☆



 翌日、朝食をとるとすぐに二人は動いた。

 旅館に用意してもらったタクシーで市役所の支所へと向かう。鬼神村おにがみむらだった頃の村役場がそのまま支所として使われていた古い建物だ。

 目的は大谷城おおやしろ家の戸籍。

 市役所にアポを取ったのは満田みつただった。萌江もえ咲恵さきえは会計事務所の所員という肩書きで、いつの間にか名刺まで用意されていた。

 咲恵さきえいわく〝何かの時のために用意していたのだろう〟という結論に落ち着く。

 元村役場というだけあってかなり古さがうかがえた。鉄筋コンクリートではあるが外壁の修復部分が目立つほど。中もどことなく薄暗い。最近の建物とは違って天井も低かった。旧鬼神村(おにがみむら)のエリアの現在の住民は一万人程度。人口から考えれば最低限の行政施設なのだろう。職員の数もそれほど多くは見えない。

 二人が通された部屋は小ぶりな会議室。

 対応してくれた職員は若い男性だった。

「戸籍に関する資料は以上ですね」

 重そうな幾つものファイルを机に置いた職員が続ける。

「この近辺では一番の大地主の家ですが…………何かあったんですか?」

「いえ……」

 あっさりと応える咲恵さきえが書類を開きながら続ける。

「直接こちらの家の方から依頼がありまして……家系図を新しくしたいとかで…………」

「そうなんですか…………」

「持ち出しはダメなんでしょ?」

「そう……ですね……」

「うん…………分かりました」

「…………じゃあ、終わったらまた受付で声かけてください」

 職員はそれだけ言うと部屋を出た。その仕事は最低限で無駄が無い。

 すでに書類に顔を落としていた萌江もえがすぐに声を上げた。

「持ち出しが出来なくても……撮影は出来るよねえ」

 スマートフォンを取り出した萌江もえ咲恵さきえが返す。

「まあね。暗黙の了解なのかな…………だから同席しないんでしょうね。私服で会計事務所の名刺って時点で疑いも無いし、興味が無いのもあるんでしょうけど」

「役人だなあ」

 そう言って写真を撮り始める萌江もえに、咲恵さきえも小さく溜息。

「まあね」 

「一番の大地主のことは知ってても、男がすぐに死んでるってことは有名じゃないんだね」

「まあ、一歳になる前にみんな死んでるんでしょ? それじゃ仕方ないのかもね。実際どうなの?」

 咲恵さきえもそう返しながら資料を覗きこんで続けた。

「一番最近だと平成八年…………1996年か。死因までは分からないけど確かに死んでるね。〝死亡日〟と〝届出日〟は同じ。〝死亡地〟は……屋敷の住所と同じか。〝届出人〟は母親……その二年前に長女が産まれてるけど」

「それが今の跡取りか…………」

 そこから少しずつ遡るが、確かに例外なく男は一歳を迎える前に死んでいた。記録が残っているのは明治まで。戦争での空襲等の被害がない場所でもあるため、思っていたよりも古い記録が残っていた。とは言っても明治や大正の記録となると、そもそも書式が違う。現代のスタイルに慣れている人間に取ってはやはり見にくい。読み解くだけでも時間がかかる。

 午前一〇時から初めて一番古い記録に辿り着いた時は午後の一時を過ぎていた。

「さすがに疲れたね…………」

 最初にそう声を漏らしたのは咲恵さきえだった。

「そうだね…………」

 萌江もえはそう応えながら小さく息を吐く。そして指で目頭めがしらを押さえた。

 二本目の冷たくなった缶コーヒーを飲み干して続ける。

「でも成果はあったかな……聞いてたことはホントだった…………まさか本当のことだったとはね…………」

 萌江もえはそう応えて大きく息を吐く。

 その姿に、咲恵さきえ萌江もえの顔を覗き込んで返した。

「そんなに疲れた顔見せるなんて、珍しいね…………」

 よほどでない限り、萌江もえは周りに対して弱い部分を見せようとはしない。それは咲恵さきえに対しても同じだった。たまに無理をし過ぎて咲恵さきえに怒られることがあるくらいだ。

 その咲恵さきえの強めの声が、萌江もえにゆっくりと近付いた。

「今週…………あまり寝てないでしょ」


 ──……これ以上誤魔化(ごまか)すのは危険だ…………


 そう思いながら、咲恵さきえ萌江もえの背後から首筋に両手を回して続ける。

「……嫌な夢見てるんでしょ? 私も少し感じてた…………でもぼやけててよく見えない…………萌江もえも同じ?」

 暖かい手に包まれ、つい萌江もえの気持ちが緩む。

「…………なんか…………怖い夢…………私に向かって〝お前は誰だ〟って…………でも顔が見えない…………怖い相手だってことは分かるんだけど…………」

「もしかして…………最近、毎日?」

 そう聞く咲恵さきえの腕の中で、萌江もえは小さくうなずいた。

 そして微かに震える声で応える。

「……ただの夢だよ…………ただの…………」


 ──……ただの夢で萌江もえがここまでなるわけない…………


 やはり咲恵さきえには〝ただの夢〟とは思えていない。

「怖かったね…………私がなんとかする」

 そう言った咲恵さきえが続けた。

「ご飯食べて栄養を摂取せっしゅしてからタクシー拾おっか。まだ間に合うね」



      ☆



「少し休んだら?」

 旅館に到着するなり撮影してきた写真をタブレットで見る萌江もえに、咲恵さきえが声をかけた。

「んー、何か見落としがないのかなあって思ってさ」

 咲恵さきえが入れたほうじ茶をすすりながら、萌江もえはそう応える。

 咲恵さきえはテーブルを挟んだ向かい側ではなく、敢えて萌江もえの横に腰を下ろして返した。

「栄養の摂取せっしゅって言ってもいきなりトンカツ定食大盛りとは思わなかったわ」

「頭使うとお腹が空くからねえ。それにいい油使ってたよ。ごま油の割合も多いからカラッと揚がってたし。職人の店って感じだね。あれだからローカルな店はあなどれないんだよねえ」

「とりあえず地元の人のリアルな話は聞けたけどね」

 昭和の香りのする古い定食屋。

 駅前のお洒落なカフェとは対極にあるような存在だが、当然のように客層も違う。大方おおかたの場合そういう店は常連客で商売が成立していた。それだけにリアルな地元の声を聞くには最適だ。

 お昼時を少し過ぎてはいたが、それでもそれなりにくせの強そうな年配の常連客が時間を潰していた。会話の流れから近所の農家の人たちが多いようだった。まだ春までは少し時間がある。着々と農作業の準備を進め始めているようだが、そのための情報交換にもこういう場所はちょうどいいのだろう。

 特に農家の人たちは基本的にその地に長く暮らしていることがほとんど。その地の情報や歴史にも詳しい。そういう人たちに伝わる伝承は、時として世間に広がる昔話とは異なることも多い。

「で、その鬼を退治した坊さんってのが────」

「坊さんじゃ男じゃねえか。巫女みこさんじゃなかったか?」

「どっちにしたって大谷城おおやしろの先祖だって話なんだろ?」

「ホントかどうか知らねえけどな。あの家の人間なんて見たこともねえや。殿様みたいなお屋敷の大地主様だしよ」

「まあ、あの家の昔の人が作った話なんだろうな」

「だから地主やってこれたって話なのかもな」

 ある意味リアルな情報だった。

 伝承やたたりとは言っても真剣に信じている人間など誰もいない。どこかに幽霊が出るという話でもない。心霊スポットとして取り上げられる場所が明確にあるものとは違い、あくまで裏の取れない物語。事実としてオカルトブームに乗って伝説が掘り起こされたとは言っても、それはやはり御伽噺おとぎばなしみたいなものだ。

 しかし萌江もえ咲恵さきえにとっては、そういうリアルな情報こそがありがたい。意外な部分で解決の糸口になることもあるからだ。

 それでもやはり萌江もえの疲労の具合が咲恵さきえには気になる。

 その咲恵さきえの口調は僅かに強くもあった。

「……この後のお客さんから話を聞いたら、温泉に浸かって今夜はゆっくり休むよ」

「この旅館の料理も美味しいしね」

 そう明るく返す萌江もえに、咲恵さきえが両腕を回して包み込む。


 ──……見えない…………

 ──…………何かに…………邪魔されてる…………?


「…………見えないでしょ?」

 萌江もえだった。

「ただの夢じゃないのかも…………」

 その萌江もえの声に、咲恵さきえが反射的に口を開く。

「────私が…………」

「……悪魔が見えた…………悪魔がいる…………悪魔が………………」

 咄嗟とっさに、咲恵さきえ萌江もえの首に下がる水晶を掴んでいた。

 同時に萌江もえの体が震え始める。


 ──……どうすれば…………


 咲恵さきえがそう思った直後、萌江もえの声。

「……離さないで…………」


 ──……私じゃ…………壁を壊せない…………


 そう思った咲恵さきえは、慌ててハンドバッグからスマートフォンを取り出していた。

「……ごめん……私じゃ崩せない…………お願い…………西沙せいさちゃん…………」





          「かなざくらの古屋敷」

    〜 第十部「鬼と悪魔の爪」第2話(完全版)へつづく 〜


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