第九部「蛇の見る幻」前編(完全版)
総て、幻
しかし
にも関わらずその幻は
甘い言葉を囁く
☆
まだ春と語るには早い。
日々の気温の激しい変化に巡る季節を感じる頃。
厳しかった冬の終わりを感じながら、気持ちの落ち着く頃。
それでも街中よりは標高の高い山の中。たまに降る雪の粒には明らかに水分が増えていた。故に溶けやすい。一粒一粒の重さも増す。地面に触れた雪は初めはすぐに透明になって姿を消すが、その数が増えるほどにいつしかシャーベット状となり、しだいに周囲を白く染めていく。
この時期の溶けやすい雪の影響がまさかの所に問題を発生させていた。
余程でない限り、なぜか恵元家の猫たちは毎日外で遊ぶのが慣例になっていたからだ。寒いこと自体はあまり嫌いではないらしい。例え足が泥だらけになっても、当然のように猫は家にそのまま入ってくる。
「まあたアンタたちは!」
萌江のお手製である猫用のドアから何食わぬ顔で入ってくる三匹の猫の姿に、萌江は毎日のように声を上げていた。
「こっちおいで」
萌江がそう言ってお風呂場へと促すと、猫たちもすでに慣れているのか素直に萌江の後ろを着いていく。その光景を見てソファーで咲恵が笑顔を浮かべるのが日曜日の慣例だ。そして咲恵は最近リビングに導入されたばかりの床用の雑巾を手に取ってフローリングを拭き始めた。
シャワーを浴びた猫たちがリビングを走り回ると、再び萌江が声を上げながらリビングに戻って声を上げる。
「こら! 風邪引くでしょ!」
そしてリビングにバスタオルが舞う。
二人は薪ストーブの前で、バスタオルで三匹の猫を包んでいた。
「よくお風呂嫌がらないよねえ」
咲恵がそう言うと萌江の返答は早い。
「最初の頃から入れてたからかなあ……寒い時期だったから暖かかったとか」
猫が最初に姿を表したのは、もうすぐ雪が降り始めそうな冬の始まりの頃だった。それまで、日々寒くなる山の中でどうやって生きてきたのか、萌江はそんなことをたまに思うことがある。
人であろうと猫であろうと、萌江や咲恵のような能力者がその過去の光景を例え見ることが出来たとしても、それはやはり経験とは違う。経験からしか得られないものがある。決して共感出来ない部分は存在する。それでも〝共存〟は出来るはず。萌江も咲恵も経験からそれを知っていた。だから一緒にいられた。
冬の始まり。
そんな出会いの頃を思い出しながら、思わず笑みを浮かべた咲恵が返していく。
「良かったじゃん。外で遊ぶのが好きな子たちだからねえ」
「でも不思議と敷地の柵からは外に出ないんだよね。だから安心してられるんだけどさ」
「不思議だねえ」
「外からの動物も入ってこないし……ああ、でもこの子たちは入ってきたか…………」
「何かに守られてるのかな……さ、だいぶ乾いたよ」
バスタオルから解放された猫たちは、すぐにいつものクッションの上で丸まり始め、それぞれの体を舐め始める。
二人はソファーに戻ると、溜息を吐きながら深く体を沈めた。
すると萌江が呟くように言葉を吐き出す。
「手は掛かるけど…………可愛いんだよねえ」
「そんなものかもね」
咲恵が軽く返した時、外からトラックの音。舗装道路の音とは違う、砂利道ならでは音。
「あれ?」
すぐに萌江が立ち上がって続けた。
「今日って宅配は頼んでないはずだけど」
生活スタイルの関係で外泊の多い萌江は、ネット通販の宅配は日付指定の出来る物と限定していた。しかも出来るだけまとめて注文する。こんな山の中までの配達となると再配達となった場合の申し訳なさは街中の比ではないからだ。
届いたのは重く長い箱。箱の表面に貼られた割れ物用のシールを眺めながらリビングに戻ってきた萌江が声を上げた。
「西沙からだ。日本酒だってさ」
「日本酒?」
二人で箱を開けると、日本酒の一升瓶が二本。
咲恵が続けた。
「そういえば、西沙ちゃんの住んでる辺りって日本酒有名なんだっけ」
「そうなの?」
毛筆のフォントを使用しながらも、最近増えてきたシンプルなラベルデザイン。二人も好きなスタイルだ。
萌江が続けた。
「へえ、これって有名なやつじゃん。電話しとくか」
萌江がスマートフォンを探し始めたところで、咲恵が言葉を挟む。
「この間の杏奈ちゃんの話は? まだ話してないの?」
日本酒の瓶を手に取り、ラベルを見ながら咲恵がそう口にすると、萌江の目が瞬時に変化していた。
それは少し前のこと。
萌江の依頼で杏奈が萌江の母親である〝京子〟の過去を調べていた。そこから西沙の母である咲に繋がるが、それは萌江と西沙の血の繋がりを露呈させる。京子の母は西沙の実家の出。咲が京子の過去に関わっていたことでも不思議な縁を感じていたが、それ以上の繋がりに萌江も咲恵も驚くしかなかった。
そして萌江は、未だ西沙にそのことを話してはいない。杏奈にも「自分から話す」と伝えたまま。
総てが偶然というには都合の良過ぎる事案だった。最後の最後に突き付けられた杏奈からの情報が、さりげなく萌江と咲恵の間に突然割って入ったかのように、間違いなく二人の関係性に変化をもたらしていた。
ただ、今はまだそんな感情がどんな意味を持つのか、漠然としたまま。
「んー、どうしようかなって思ってた…………」
萌江は少し気怠そうにソファーに体を沈める。
萌江の気持ちの中のそんな迷いを感じたのか、咲恵が柔らかく声を掛けた。
「いずれ、分かる気もするけどね…………萌江の水晶…………扱えるのは萌江と西沙ちゃんだけって、そういうことなんでしょ?」
「うん……なんかそんな気がして口から無意識に出たけど……そういうことなのかもね…………」
萌江はそれだけ応え、スマートフォンに指を滑らす。
☆
一週間前。
御陵院・心霊相談所。
西沙の経営する事務所だが、その経理の中心を担うのは税理士の立坂修二。
西沙の名前が中心なだけで、実質的には西沙の高校卒業に合わせて立坂が立ち上げた事業と言ってもいい。
とは言え、ある意味で西沙は自由にやらせてもらっていた。従業員は西沙の他は秘書という肩書きの久保田美由紀だけ。西沙とは高校の同級生だった。同時に唯一の友達でもあり、唯一の親友。
中学を卒業した直後から、西沙は立坂の元に預けられていた。養子ではない。立坂が身元引受人ということになる。そのまま高校に通ったが、そこで友達と言えたのは美由紀だけ。
高校卒業後、美由紀を秘書とする形で心霊相談事務所を開設する。
しかし、それは初め、西沙が望んだ道ではなかった。どうしようもなかった。本人だけでなく周囲の人間もそう思った。
普通に生きてなどいけない。
それに対しての判断を吟味する時間も見付けられないまま、西沙も流されるしかなかった。かと言って、自分で自分をどうすべきか決め兼ねたのも事実。どうすればいいのかなど、分からなかった。
もちろん事務所設立に関する総ての後ろ盾は立坂だ。
最初の頃はその立坂が紹介する仕事がほとんどだった。しかし今ではメディアでも取り上げられるような事件に絡んだことで仕事が増えてきたのは事実。それは今では大きなものから小さなものまで。
その受付窓口でもある美由紀は極度のコミュニケーション下手のためにあまり外に出ることはない。それでも、だからこそ西沙と仲良くなれたとも言える。お互いに他に友達はいない。
その日も昼過ぎに帰ってきた西沙に声をかけるのはパソコンの前に座った美由紀だけ。
「お疲れ様……どうだった?」
いつも通り、素っ気ない。美由紀はあまり感情を表に出すタイプでもない。表情の起伏も少ない美由紀は知らない人から見たら静かな性格に見えることだろう。
しかしそれに軽く溜息を吐きながら西沙が応えるのもいつもの流れ。
「今日も簡単。最近心霊と関係ない依頼が多過ぎて疲れるんだよねえ」
西沙は外から帰ると必ず給湯室のシンクに向かう。カラーコンタクトを外すと、目薬を片手に部屋に戻り、ソファーに寝転がる。
二階建ての典型的な古いテナントビル。ビルとは言っても各階にワンフロアだけ。一階のコンビニは西沙の行きつけのようになっていた。
トイレと給湯室、小さなシャワールームがあるだけのワンルーム。それでも職種的には外に出ることが多いので問題はない。
せめてもと、西沙は無機質な室内を派手に飾り付けていた。
よくあるような祭壇のような物を置くでもなく、床にはフカフカのピンクのカーペットを敷き、ソファーのカバーから壁までゴスロリ系で揃えた。
しかも美由紀もそのセンスは嫌いではない。それでも美由紀のファッションは、あくまで西沙に言わせるとだが地味だった。美由紀的にゴスロリのセンス自体は好きだったが、自分には合わないと感じていたからだ。定期的にゴスロリを着せたい西沙と恥ずかしがる美由紀の押し問答が起こるのがいつもの流れ。
「前は何でも無難にこなしてたのに…………」
パソコンモニターから目線を外さないままに美由紀はそう言うと、軽く息を吐いてから続けた。
「形だけのお祓いとかでも当事者が納得すればって言ってたのに……やっぱりあの人たちの影響?」
「まあ……ね。悔しいけどそんな感じかなあ」
西沙は確かに萌江と咲恵と出会ってから変わった。考え方が大きく変わったことは、やはり美由紀にとっては驚きだった。他人に対して強気な態度を崩さない西沙が、あんなにも簡単に他人の考えを受け入れてしまうとは想像だにしていなかった。
しかも美由紀にはそれを素直に話す。
もっとも、萌江と咲恵に関わってから、心酔するに足るだけの経験をしてきた。
もちろん西沙もそんな話をするのは美由紀くらいなものだ。不思議なほどに美由紀には自分の感情を曝け出していた。そのことには何の抵抗も無い。
そして美由紀も、なぜかそんな西沙の変化が嫌ではない。
「……偶然って……不思議だね」
美由紀はそう呟いた直後、続く言葉を西沙に放り投げていた。
「カラコン、最近新しいの買ってないけど…………」
美由紀のその声に、ソファーに横になったままの西沙はそのまま応えていく。
「ああ…………無くなる前に注文しといてー」
「はーい」
西沙は外に出る時は必ずコンタクトを着けるようにしていた。決して視力が悪いわけではない。むしろいいほうだ。ファッションとしてのカラーコンタクトという意味もなくはないが、西沙には別の理由があった。
色はダークブラウン系。少し離れた距離ではコンタクトをつけているとは思われない。そのくらいで丁度いい。例え相手には分からなくとも、西沙自身が〝裸眼〟で人と目を合わせられなかったからだ。
「まだ…………やっぱりカラコンあったほうがいい?」
そう言う美由紀に、西沙はゆっくりと応える。
「んー……気休めなのは分かるんだけどね…………サングラスってのも胡散臭いし…………」
「ゴスロリもまあ……うん…………そっか……注文しとくね」
「それより今日は相談があるの」
西沙は素早く上半身を起こして続けた。
「ここの事務所の名前ってさあ、硬くない?」
マウスのクリック音を事務所内に響かせながら、モニターを見たままの美由紀が応える。
「……まあ…………柔らかくはないね」
「もう少しオシャレな名前に変えたほうがいいと思う」
声を張り上げながら目を輝かせる西沙に対して、美由紀の反応は相変わらず。
「立坂さんが付けてくれたんでしょ? じゃあ立坂さんにも相談しないと」
「世代間のギャップはあると思うの」
「せっかく今の名前で有名になったのに…………」
「有名になったのは私の名前だし…………」
「まあ…………」
その時、美由紀の側にある事務所の電話が鳴った。
「はい、御陵院心霊相談所です…………ああ立坂さん、お疲れ様です。はい、今変わりますね────〝先生〟」
美由紀のその声に、西沙が渋々とソファーから足を降ろした。
☆
その神社は遥か昔に作られていた。
地元の大きな神社から分社する形で作られた所。一家の中で強い力を持っていた巫女の一人が作った神社でもあった。
理由は〝憑きもの〟もしくは〝祓い事〟専門の神社の立ち上げ。
その御陵院神社は代々女系で引き継がれていた。しかも必ず三姉妹。それが崩れたことはないと伝わっている。
咲も三姉妹の三女として神社を継いでいた。
二人の姉は別の神社へと嫁いだ。必ず一人が継がなければいけないというわけではなく、それまでは二人や三人で継ぐこともあったという。
そして神社を継いだ咲も三人の娘を産んだ。
綾芽、涼沙、西沙────一年違いで歳が近かったせいか、幼い頃は仲の良い姉妹だった。
咲の夫は婿養子。宮司ではなく、経営側の裏方として神社を支えていた。
過去の例に漏れず、咲の娘三人も幼い頃から勘の鋭いところがあった。その能力を維持させ、神社という特殊な環境でその能力を高めていくことが咲の仕事でもある。
ある時、一組の家族が神社に訪れた。
基本的に他の神社からの紹介がほとんどで、直接この神社にやってくる者は少ない。その家族も別の神社からの紹介だった。
お祓いではなく祈祷。家主が行方不明になったために探して欲しいとのことだった。嫁である妻と高校生の息子が二人。行方不明になっている夫の両親とで訪れる。
咲は出来るだけ祈祷や祓い事には娘たちを付き添わせた。どんなに小さな案件も決して無駄になることはないと咲が知っていたからだ。その日も小学生になったばかりの長女の綾芽を筆頭に、五才の涼沙、四才の西沙の三人は祭壇から少し離れた所で一連の流れを見ていた。まだ幼いとは言っても三人とも子供用の巫女服を着せられ、それは〝神事〟というものを常に意識してほしいという咲の考えによるもの。
しかしこの日の祈祷を始める前の時点で、咲には嫌な疑念が浮かんでいた。
──……この奥さんは、何かを隠している…………
一通りの祈祷を終わらせたが、咲の疑念は消えない。
しかしその詳細は見えなかった。
それを読み解く過程の中、やがて咲は夫の両親だけを別室に迎え入れて話を聞く。
「お応えいただける範囲で構わないのですが…………ご両親から見られたご感想で構いません。ご夫婦仲のほうは……どうのように見られていましたでしょうか…………?」
その咲の言葉に、母のほうが目を逸らした。すると父が意を決したように話し始める。
「……実は……あまり良くはありませんで……お恥ずかしながら、息子が何年か前に浮気をしまして……それからは夫婦仲は冷めていたようです。孫たちは何も知りません。そして行方不明になる少し前にも新しい浮気をしてるのがバレたらしくて…………」
父は額の汗をハンカチで拭きながら視線を落とした。
するとその言葉に触発されたのか、横の母が言葉を繋げる。
「嫁が…………興信所に調べさせていたみたいで…………」
その言葉を、敢えて咲が遮る。
「結論部分は分かりませんが…………私の見えたイメージは大きな橋です。だいぶ山奥ですね。真っ赤な橋と、その両サイドにはお地蔵さんが一体ずつ…………どちらも真っ赤な頭巾を被ったお地蔵様です。夜…………奥様と、もう一人の男性……おそらく…………私の名前を出して構いませんので、改めて警察のほうに伝えてみてください」
咲は二人を本殿に戻し、その家族全員が本殿を出ようとした時、立ち上がったのは西沙だった。
咲がその西沙に気が付いた時には、西沙の声が本殿に木霊する。
「その人が殺したよ」
家族の足が止まり、空気が凍りつく。
西沙は右手を挙げて嫁を指差して続ける。
「橋から落として殺したの。まだ旦那さんはそこにいるよ」
翌日、妻が自ら警察に自首する。その日の内に夫の遺体が発見された。
夜。
本祭壇の前で、咲は西沙を問い詰めた。
「見えたのですか?」
西沙は平然と応えるだけ。
「うん、見えたよ」
「祈祷の時?」
「ちがうよ。その前」
──…………前……?
「西沙…………見えたからと言っても、口にしてはいけない時もあるのですよ」
あの時、高校生の息子が二人いたことを咲は危惧していた。その精神的な影響はどれだけだろうかと不安があった。
──…………結果は、同じか…………
咲が続ける。
「これからは、お母さんに先に伝えてくれますか?」
「うん。いいよ」
無邪気にそう応える西沙に、僅かながら咲は恐怖を抱いた。
祭壇前の燭台からは、消えかけた松明が放つ仄かな灯火。それが浮かび上がらせる西沙の横顔が、咲には微笑んで見えたような、そんな気がした。
──……この歳で……この子は何もせずに見えている…………
咲も三姉妹の内で一番の能力を誇り、唯一、一人で神社を継いだ能力者。
それでも幼い頃から数々の修行を積んできた。中学を卒業してからは荒業も経験させられる。その上で現在の能力を手に入れた。
幼い頃に特に勘の鋭い期間というものは存在する。何もしなければその能力が薄れていくことはよくあること。
咲のような立場の人間は修行でその力を維持、そして高めていく。
その咲でも西沙ほどの力を見たことはなかった。
逆に、修行をさせることでどこまで能力が高められるのか興味も沸く。
それは巫女としてか、母としてか。
それから数年。
西沙は一〇才。小学四年生になっていた。
修行の始まる年齢でもある。もちろん、すでに二人の姉は修行が始まっていた。
しかし西沙は修行もせずに相手がどんな人物なのかを言い当てていた。その人の過去だけでなく未来も見える。咲は常々《つねづね》、小学校では出来るだけその能力を見せないように西沙に指示していた。それでも完全には隠し通すことは出来ないまま。遠慮の無い物言いのせいもあるのか、他人が知るはずのない個人情報への切り込みは薄気味わるく思われ、西沙は友達を作ることが出来ないままだった。
やがて誰からも気持ち悪がられ、それは虐めの対象となっていく。
人とは違うその体質から、西沙は完全に孤立していた。子供にとって西沙の力は〝驚愕〟するものではなく〝脅威〟でしかない。〝恐れ〟が〝排除〟という概念を生み、それは〝気持ちの悪い〟ものへと変化し、集団心理がやがて虐めの環境を生み出していく。
そして西沙自身が、初めて自分の力に恐怖したのもこの頃だった。
それは、とある平日の午後。
急遽小学校が休校になる。学校の連絡網を、やがてテレビ報道が補う。
四年生から六年生までの生徒五人が次々と二階の窓から飛び降りたという。全員が病院に運ばれて重症のまま。マスコミは〝集団ヒステリー〟〝集団パニック〟として報道を始めていた。
綾芽、涼沙はすぐに帰宅。しかし西沙が戻らないまま咲が学校に呼び出され、生徒が飛び降りた時の目撃者として、西沙は数人の生徒と共に学校で警察の聴取を受けていた。
咲の中で、疑念が無かったわけではない。
もちろん、能力があったが故に虐めという〝排除〟の対象になっていたことも知っていた。そしてそれをどうするべきか、理由が理由だけに咲自身も胸を痛めていた。学校にも相談はしていたが、学校側としても無意識に西沙に対する〝畏れ〟でもあるかのように、その場限りの対応だけ。
最大の懸念は西沙自身が力をコントロール出来ていないこと。その能力がどれだけのものか見極められていない現状で、最悪の事態を想定していない訳ではなかった。
咲も、だからこそ〝畏れ〟た。
一人の巫女としてだけでなく、一人しかいない母親として顔を背けることも出来ない。
しかし夜に西沙との時間を取ろうと考えていた咲を、逆に本殿の祭壇前に呼び出したのは西沙のほうだった。
「今日のことですね? 友達だったのですか?」
祭壇の前で向かい合いながら、咲は俯く西沙に優しく声をかけた。
自分の心臓の鼓動が速くなっているのを誤魔化そうとしているのか、それすらも認めるのが怖いままに咲が言葉を繋ぐ。
「とりあえずしばらくは学校もお休みになるみたいですから、三人でゆっくり休みなさい」
すると、西沙はゆっくりと口を開いた。
「…………あの五人…………私を虐めてた………………」
その言葉を受け、咲の耳から、聞こえていたはずの鼓動の音すらも遠ざかる。
その咲がしばらく考えてから口を開こうとした時、先に西沙の言葉が飛び出していた。
「……あの時も虐められてた…………」
嫌な感覚。
それは咲の中でも疼くものがあった。
──……この子は……何も悪くない…………
咲がそう思った時、西沙の声が続く。
「…………死んでしまえばいいと思った………………」
その両目からは、大粒の涙が零れ落ちていた。
──…………まさか…………
「……私は…………目を見ただけなの…………そしたら自分で窓を開けて…………」
──……目を見た……だけ…………
「……誰の目も見たくない…………みんな私を怖がる…………」
続く西沙の声が、涙と共に流れていく。
その西沙が辿り着いたのは、コントロール出来ないのは母親の咲だけだということ。
そして綾芽と涼沙は薄々勘づいていた。
すでに二人は西沙とは完全に距離を置き始めている。
それは咲にも分かった。
西沙が目を合わせられるのは、母親の咲だけ。
翌日、五人の生徒は一命を取り留める。
咲は西沙に、他人と目を合わせないように指示するしかなかった。
☆
街の基幹産業の一つは日本酒だった。
元々県そのものが米所として知られ、県内には多くの酒蔵が存在したが、その中でも歴史の長さと件数でその街は群を抜いていた。
蔵元をそのままに古くからの手作業のみでブランドを生かし続ける酒蔵ももちろんいくつか残ってはいたが、ほとんどは機械化をして工場として創業をしてすでに長い。その多くは高度経済成長時代からの流れだ。そうしてこの地は、米所、酒所としての地位を守ってきた。
その酒造会社も一〇〇名を超える従業員を抱える歴史の長い蔵元だった。多くの酒造会社と同じく代々の血筋で繋がれ、その名は全国的にも波及していたほど。
機械化しているとはいえ、古くからの職人が関与せざるを得ない部分は確実に存在する繊細な世界。人の手で行わなければならない部分も多く、従業員は頭数ではなく〝人材〟として扱われていた。
当然一人が体調不良で一時的に現場を離れたからといってラインがストップするというわけではなかったが、続けざまに五人の従業員が休むとなれば不穏な噂話も浮かぶもの。
最初に目眩がすると言って早退したのは三〇代の男性従業員。
体調が優れないままに連休明けに電話を受けたのは現場主任。
「そうか……仕方ないな……無理をせずに休んでくれ……なに、現場は何とかするよ…………いやいや────」
すでに一〇年以上働いていたベテランでもあった。ズル休みをするような従業員でもない。事実、体調不良で休んだのは初めてのこと。病院に行っても貧血のようなものだろうと薬をもらうが一向に良くなる気配はないという。
休みも三日目となり、さすがに会社としても不安が過った頃、二人目が同じ症状で休み始める。あれよあれよと一週間ほどで五人が同じ症状で休むことになった。
そして、いずれは八代目として会社を継ぐことになる若い専務に社長から調査の指示が飛ぶ。
休んでいたのは男性が四名、女性が一名。いずれも一〇年以上の勤務経験を持つ中堅社員。
それだけに会社としては体調不良以外の要因を疑わざるを得なかった。待遇への不満があるのかとも考えたが、それよりも社長が恐れていたのは他社からの引き抜き。
専務は個別に多くの従業員から情報を聞き出すしかないと判断した。
「降霊術⁉︎」
昼休みに捕まえた従業員の言葉に、思わず専務は声を上げていた。
「五人が仲がいいのは知ってますよね」
そう言って従業員の若い男性が続ける。
「しかもみんな〝オカルト好き〟で有名だったんですよ。しかも休み始める何日か前に、降霊術がどうとか話してるのが聞こえましてね。面白そうだったんで聞いてみたんですけど〝コックリさん〟をやった話をしてて…………」
「そんな馬鹿げたことで体調不良なんて…………」
あまりに予想外な情報に、専務もそう応えながら、もちろん信じられるはずがない。
それからどの従業員に聞いても、五人は共にオカルト好きとして社内では有名だったという話ばかり。その五人が降霊術をすると盛り上がっても、仕事に真面目で社内での信頼も厚かった五人を咎める者は誰もいなかった。
それで何かが起こるなどと真剣に考えもしなかったのは自然なこと。
それでも五人が定期的に降霊術を行なっていたという話が広がり始めたのはここ最近のことだったという。やがて気が付いた時には社内にオカルトじみた噂が蔓延していた。
専務を含め会社的にそんな話を鵜呑みにするわけにいかないまま手を小招いていた頃、次々と他の従業員も目眩を訴えて休み始める。
おかしな噂が世間に広がる前に、会社としては問題を解決したかった。
しかし休む従業員が二〇名を超えた時にはさすがに工場のラインにも影響を及ぼし、一時的に操業を停止する決断をせざるを得ない現状の中、もはやおかしな噂話も無視は出来ない。
やがて会社の専務が相談を持ちかけたのは、会社と古くから繋がりのある税理士、立坂だった。
「かなざくらの古屋敷」
〜 第九部「蛇の見る幻」(完全版)後編へつづく 〜




