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第八部「記憶の虚構」第3話(完全版)(第八部最終話)

 そのビスクドールが作られたのは第一次世界大戦中のオランダ。

 戦後、ポーランドの資産家の元へ渡る。

 第二次世界大戦中に、ユダヤ人だったその資産一家はナチスからの迫害を恐れてイギリスへと亡命する。

 大戦中にその一家はアメリカへ移住。

 ビスクドールはアメリカ国内を転々とする事になるが、やがてとある軍人の娘の元へ。

 戦後に日本国内に作られた米軍駐屯地に配属になったその軍人は、家族を連れて日本へ。

 軍人の娘と共に日本国内に持ち込まれたそのビスクドールは、娘の病死と同時に軍人家族の元を離れ、渡り歩いた先で古美術商〝國安堂くにやすどう〟の主人、國澤瑛一くにさわえいいちの元へ。

 やがてその人形は、瑞浪みずなみ財閥の当主の妻、サトの元へ辿り着く。

 それまで人形に興味のなかったサトだが、まるで取り憑かれたように人形を溺愛した。

 それからは様々な人形を買い集めるようになる。

 それは家の家宝のように扱われていた。

 なぜそれほどそのビスクドールに魅入られたのか、それはサト本人にも分からないまま。



      ☆



 萌江もえ咲恵さきえには、同時に人形の歴史が見えていた。

「………………その子の…………」

 萌江もえの両肩に手を置き、背後から萌江もえに寄りかかる咲恵さきえがそう呟く。


 ──……病死した女の子の…………


 すると、その咲恵さきえの様子に違和感を感じたのか、萌江もえがすぐに返した。

咲恵さきえ────しっかりして。その子はもうこの世にはいない。咲恵さきえも分かってるはずだよ。物に宿やどるのは幽霊なんかじゃない…………〝ねん〟だけ」

「……ごめん…………」

 咲恵さきえは返しながらも、視線を落とし、萌江もえの背中を見続ける。

 そして続く萌江もえの声。

「その子のねんが大量の人形を集めさせた────ってのは少し単純過ぎるよ。その子だけじゃない……今までこの人形に関わってきた色んな人たちの感情が複雑に絡み合ってる。だから大きくなった。でも大きいだけ。そんなに力があるわけじゃない……そのねんを利用してる〝バケモノ〟がいる…………」

 重々しい感覚が萌江もえの中に入り込む。


 ──…………黒い…………何者…………?


 その〝形〟すらも分からない。

 ただ〝何か〟の存在を感じたまま萌江もえが繋ぐ。

「他の人形…………人形が好きだったから集めたんじゃない…………そんなに人形に興味なんかなかったはず…………守るため…………このビスクドールを〝守る〟ためにあんなに沢山の人形を集めた…………」

 萌江もえにはその光景が見えていた。

 部屋中、屋敷中を埋め尽くす人形たちの山。

 屋敷から溢れんばかりの人形たちの群れ。

 そして、その中心には、目の前に横たわるビスクドール。


 ──…………異形いぎょうの………………


 すぐ側の裕子ゆうこは何が起きているのか分からずに動けないまま。

 そして、突然萌江(もえ)が動いた。

 身を乗り出して木箱の中の人形を覗き込むと、その体の下に手を差し入れる。

「……? …………萌江もえ?」

 背後から咲恵さきえの声が聞こえる中、萌江もえは何かを取り出す。

 それは、小さく折り畳まれた紙だった。

 いつからそこにあったものか、色褪いろあせ、乾燥し、硬くなった紙。

 萌江もえは人形の上でゆっくりとそれを開いた。


 〝 october ht32 1989 / her to M 〟

 〝 watch out for S 〟


 横から覗き込んだ咲恵さきえが言葉を絞り出していた。

「…………どういうこと…………?」

「……呼ばれたね…………どこでも手に負えないわけだ…………」

 応える萌江もえの意識に、ゆっくりと〝何か〟が染み込んでいく。

 意識の中心にまで入り込むその気持ちの悪い〝何か〟が、やがて萌江もえ咲恵さきえの中で形になっていった。


 ──……面倒なことを…………


 萌江もえは顔を上げずに続けた。

「……裕子ゆうこさん…………当主の祐也ゆうやさんを……本邸で…………咲恵さきえを入れて三人だけで話したい」

 すると我に返った裕子ゆうこが慌てて口を開いていた。

「は、はい…………すぐに…………」


 本邸の広い畳の部屋が用意された。

 最初に通された所よりも広い。それでもあまり明るくはなかった。僅かに傾き始めた陽のせいだけではないだろう。障子を閉じられ、まるで何かから部屋の中を隠そうとするかのよう。

 おそらくは意識してのことではないだろう。使用人が無意識の内にやっていたとしか思えない。

 障子を通された強い陽射しが作る影は、すでに長くなり始めていた。

 そしてそこには萌江もえ咲恵さきえと、向かいに背中を丸めて胡座あぐらを描く浴衣姿の四代目当主の祐也ゆうや

 直前まで布団にくるまっていたのは浴衣ゆかたの乱れと折り目の雰囲気で分かった。何日入浴をしていないのか、髪は乱れ、無精髭ぶしょうひげの長さもバラバラ。

 全体的に薄くなった白髪は見窄みすぼらしく、六〇を過ぎた財閥の当主とは思えないほどにせこけていた。使用人に肩を借りながらフラフラとした足取りで部屋に入ってくるなり、息苦しいのか常に肩で息をする。その度に荒い息伝いが部屋に響いた。

 その姿をマジマジと眺めていた萌江もえが正座をしたまま最初に口を開いた。

「お初にお目にかかります。私たちは裕子ゆうこさんに頼まれて、この家の…………いえ、ビスクドールの問題を解決しに来た者です」

 それが聞こえているのか聞こえていないのか、祐也ゆうやは顔を上げようともしない。

 萌江もえは人形の下で見付けた紙を、開いたまま祐也ゆうやの目の前に差し出した。

 祐也ゆうやはその紙に視線を動かすと、まぶたを大きく開いて見つめ続け、その体が僅かに震え始める。

 そして萌江もえが続けた。

「……これを…………あの人形の下に隠したのは、あなたですね」

 祐也ゆうやは何も応えない。

 ただ、その唇も大きく震えていた。

 まるで何かを分かっているかのように、萌江もえの言葉は続く。

「あなたは、ある人物にこの紙を人形の下に隠すように頼まれた…………私は恵元萌江えもともえ…………しかし…………本名は、金櫻かなざくら……萌江もえと言います」

 するとその言葉に反応したのか、ゆっくりと、祐也ゆうやが顔を上げる。

 その見開かれた目は、萌江もえに向けられた。

 弱々しく、小さく震える目。

 そして、震える唇から言葉が零れ落ちる。

「……………………京子きょうこ…………」

 その目はうるんでいた。

 萌江もえは、その祐也ゆうやの目に確信を持つ。

 そして、毅然きぜんと言葉を繋いだ。

「……あなたと不倫関係にあった…………金櫻京子かなざくらきょうこの、娘です」

 すると、祐也ゆうやは荒い息を大きく吐いてから言葉を紡ぎ始める。

「…………あいつは…………京子きょうこは…………人間じゃない……〝バケモノ〟だ…………俺を離してくれないんだ…………」



      ☆



 昭和六二年。

 祐也ゆうやかよっていたスナックの新人である京子きょうこに惚れ込んでいた。

 元々のお気に入りの女の子にまで嫉妬されるほど。

 家庭はあったがいまだ子供はいなかった。不妊治療の結果、祐也ゆうやが無精子症であることが分かってから、夫婦の間もギクシャクとしたまま祐也ゆうやは夜の街で飲み歩くようになる。

 京子きょうこと体の関係になるのはそれほど時間は掛からなかった。そしてそんな関係が三ヶ月ほどした頃、京子きょうこの言動に祐也ゆうやは疑問を持ち始める。

「どうして……そんなことを知ってるんだ?」

 何気ない会話の中で、なぜか京子きょうこは、知るはずのない財閥の裏事情を話し始めた。

「だって…………見えるんですもの」

 ベッドの上で安アパートの蛍光灯を眺めながら、あっけらかんと京子きょうこは言ってのけた。

 それまでもやけに感が強い女だと感じる時はあった。まるで先に起きることを分かっているかのような行動も多く、それまではそれをミステリアスな魅力として祐也ゆうやも捉えていたが、その夜ばかりは恐怖を感じた。

 意味が分からずに何も言い返せない祐也ゆうやに対して、京子きょうこが続ける。

「あなたの家も、総て見えてる…………最初からね…………お母様が次々と人形を購入するからって困ってるんでしょ? 離れの別邸が一つ人形で埋まるくらい…………その管理だけの使用人もいるくらい」

「────調べたのか⁉︎」

「まさか……いちいち他人の家庭を調べるほど暇じゃないから…………でも、全部見えてるの」

「…………ばかな」

「〝人形屋敷〟って呼ばれてるんでしょ? …………私も見てみたいな……」

「やめてくれ!」

 祐也ゆうやはベッドから飛び降り、逃げるように服を着始めた。

 気持ちが悪かった。

 本来の〝自分の世界〟に関わっていいはずのない不倫相手の女。なぜかその女が、知るはずのない財閥と家の内状まで知っている。しかもそれは簡単に外に漏れるものではないはず。それも何の財力も持ち合わせていないように見える女が、なぜか知っている。

 冷静にいようとしても、無意識に手が震えていた。

 その祐也ゆうやがYシャツのボタンすらかけられずにいると、そこに背後から伸びる京子きょうこの手。

「やめろ!」

 祐也ゆうやは反射的にその手を振り解くと、言葉を荒げて続けた。

「……何が目的だ! 恐喝か…………金ならいくらでも────」

「いらない」

 京子きょうこはそう静かに応えると、裸のまま祐也ゆうやに近付いた。

 そしてゆっくりと祐也ゆうやのYシャツのボタンをかけながら続ける。

「……お母様が…………一番大事にしてる人形…………あるでしょ? 大きなきりの箱の、その人形の下に…………これを入れて…………」

 京子きょうこはいつの間に取り出したのか、小さく折られた紙をYシャツのポケットに入れて続けた。

「青いドレスに金髪の…………アンティークドールって言うの? フランス人形? お母様に聞いたら分かるから…………」

 祐也ゆうやがその紙を開くが、数字と英語だけが走り書きされただけの内容に意味が分からない。

 笑みを浮かべた京子きょうこの言葉が続く。

「あなたには意味なんか分かるはずもない…………もしも約束を守ってくれないと…………私とあなたの関係を世間にバラすだけ…………瑞浪みずなみ財閥が、あなたの代で終わるだけ…………」



      ☆



「あなたを夢で悩ませているのは人形なんかじゃない……金櫻京子かなざくらきょうこ、本人ですね…………?」

 萌江もえのその強い言葉に、祐也ゆうやは涙と共に言葉を零していた。

「……従うしか…………なかったんだ…………」

 そして震える声で絞り出すように続けていく。

「人形を総て処分出来れば…………それで過去も消せると思ってたのに…………どうしてあの人形だけ…………夢に……京子きょうこが出てくるんだ…………毎晩のように俺の首を絞めて…………」

 その言葉を聞きながら、萌江もえの隣、咲恵さきえの呟きが聞こえる。

「……まだ…………のろいが続いてると…………」

 萌江もえが返す。

「うん…………思い込ませるのが〝のろい〟。それが催眠状態を作り出す…………でも……なんのために…………」

「事実として……確かにあの人形だけが残った…………」

「…………何を見せたいの…………」

「直接聞くしかないか…………」

 そう言った咲恵さきえが腰を浮かして続ける。

「もう祐也ゆうやさんは充分ね…………誰か呼んでくる」

 そう言って咲恵さきえは立ち上がると、部屋を出た。

 開け放たれた障子戸から陽の光が差し込み、祐也ゆうやの姿を大きく照らす。

 萌江もえ祐也ゆうやのすぐ目の前に移動すると、その目の前に水晶をぶら下げて口を開いた。

「これを見て…………もうのろいは終わり…………総て私が引き受ける」

 言いながら、萌江もえの目には涙がにじんでいた。


 ──……この人たちの人生を翻弄ほんろうしてまで……何を……何のために………………


 駆けつけた使用人によって祐也ゆうやは自室へ。

 咲恵さきえと二人だけになったところで最初に口を開いたのは萌江もえだった。

「あのメモの意味、分かるでしょ?」

「……萌江もえの……誕生日ね…………しかも〝her to M〟じゃなくて〝Mother〟」

「〝to〟だけ逆さまにして欲しいから〝23th〟が〝ht32〟」

「シャレたお母さんね」

「〝母より〟ってことか……さすが我が母だ…………って言いたいところだけど……」

 萌江もえは声のトーンを落として続ける。

「〝watch out〟……って〝気を付けろ〟ってことだよね」

「…………そうね……」

 小さく応える咲恵さきえの声も低い。

 するとその空気を感じたからか、返す萌江もえの声は少しだけトーンを上げた。

「……〝S〟か…………どうせ今考えても分からないんだろうね。あの母親のことだし」

「そういうところ…………萌江もえらしくて好き」

 咲恵さきえも自然と萌江もえ声色こわいろに合わせていく。

 そして二人は裕子ゆうこ満田みつたが待つ別室へ移動した。

 落ち着かない様子の裕子ゆうこの肩に手を置いて笑顔を浮かべたのは咲恵さきえだった。

「……大丈夫ですよ。今日で終わります」


 ──……この人は純粋に家族のことを心配してる…………

 ──…………体調まで崩して…………


 咲恵さきえ萌江もえの隣に腰を降ろすと、その耳元でささやいた。

「もう…………救ってあげて…………」

 その言葉を受けて、萌江もえが口を開いた、

「今回の〝のろいめいた事象じしょう〟の顛末てんまつの説明をさせていただきます。お寺でも神社でも引き取りを断られる〝のろわれた人形〟の存在と祐也ゆうやさんの悪夢の話のせいで、単純にみんな〝思い込んだ〟んです。思い込むところから〝のろい〟は始まります」

「……思い……込んだ…………?」

 言葉を溢しながら半ば呆然とする裕子ゆうこに、萌江もえが繋いでいく。

うしこく参りって聞いたことはあると思いますけど、理屈はあれと同じですよ。うしこく参りって基本的には神社で行われるものです。というより元々は神社でなければ意味がないものだったんです。まず、昔の人たちにとって今より神社という場所は近い場所だった。小さな村社会の中でのコミュニティの中心です。つまり、そんな所に人の名前が書かれたわら人形が五寸釘で木に打ち付けられていればすぐに見付かるんです。でも大事なのはそこ。名前の書かれた人が誰かにのろわれていると村中に広げること。それがうしこく参りの目的…………のろわれている、と相手や周囲に思い込ませる……思い込むことで関係のないことまでのろいのせいかと考えたり、まさかと言いながらもやっぱり気持ちいいものではありません。そんな気持ちのままで精神的に追い詰められていく……思い込ませることが〝のろい〟そのもの……〝のろい〟は人が作るものなんです」

 そこまで聞いた裕子ゆうこは、まるで力が抜けたように肩を落としていた。

 萌江もえが続ける。

「最初にどこでも引き取り手が無い人形が〝のろわれている〟として認知され、次に祐也ゆうやさんの夢に人形が出てくるという話が広がる。さぞ使用人の皆さんには恐怖だったことでしょう。だからちょっとした壁や床のきしみですら人形のせいだと思い込む。それを人の声だと思い込むほどにね……事実さっき伺わせてもらった時にも結構な家鳴やなりが聞こえました。それなのにさっきは誰も気にしなかった。先入観があるかどうか……それだけなんです。どんなに立派な木造建築でも家鳴やなりはあります。むしろ家鳴やなりがあるということは木造建築がその使命をまっとうしている証拠でもあるんです」

 裕子ゆうこの肩が小さく震え始めた。

 萌江もえはなおも繋ぐ。

「ではこの〝のろい〟の発端は何か。さっき言ったように、この〝のろい〟も〝作った人物〟が存在するはず…………神社が「手に負えない」と言ったところから? もしくは祐也ゆうやさんが悪夢を見始めたところから? 違います…………形のある物は……命とは違う〝たましい〟を生むんです……人の形をしていれば特に生みやすい。そして、それを利用した人物がいます……ただその人物に関しては、私たちにあずけて頂けませんか? その代わり、人形は私たちが引き取ります。今夜から祐也ゆうやさんが悪夢にうなされることはありませんよ」

 その萌江もえの言葉に、裕子ゆうこは泣き崩れた。

 その背中に手を添えた咲恵さきえが声をかける。

「よくここまでえましたね…………」

 萌江もえはスマートフォンを取り出すと、素早く電話をかけた。

「あ……この間はどうも。早速ちょっと依頼したいことがあるんですけどね」

 相手は西沙せいさの母────さき

「私たちの無視出来ない〝訳あり〟の人形が一体…………」

 萌江もえが軽く説明すると、返答はシンプルだった。

『今夜中に持ってきてください。急いだほうがいい……こちらも急いで準備します』

 さきも何かを感じているかのような反応。

 萌江もえはその反応に、口角を上げて応える。

「助かります。では今夜」

 そして電話を切ると満田みつたに顔を向けた。

「みっちゃん、西沙せいさのいる街までって、これから駅に送ってもらって新幹線に乗るのと、高速使ってみっちゃんにかっ飛ばしてもらうのと、どっちが早いかな」

 すると、満田みつたも何かを理解したように返した。

「チケットを買う時間とちょうどいい時間の新幹線があるか分からない点を考えて…………しかもここからならインターが近い」

「頼める?」

「私のアウディを甘く見てもらっては困るよ」

 そう言って満田みつたが口元に笑みを浮かべる。



      ☆



 満田みつたがインターの料金所を抜けた辺りで、咲恵さきえ由紀ゆきに電話を掛けて店に遅刻する旨を伝えた。

「良かったの?」

 萌江もえのその言葉に、咲恵さきえはすぐに返す。

「……最後まで関わらせて。このままじゃ帰れない…………」

「…………うん」


 ──……私も咲恵さきえの人生を翻弄ほんろうしてる…………

 ──……私だって……母親の〝のろい〟にとらわれているのかもしれない…………


 移動の間に萌江もえさきに再度電話で詳細を伝えた。

 御陵院ごりょういん神社に到着したのは午後七時頃。

 この時期のこの時間はすでに深く暗い。

 さきはすでに神社の本殿で準備を整えていた。綾芽あやめ涼沙りょうさも後ろに控える。その空間の灯りは燭台しょくだい松明たいまつだけ。その灯りが暗い本殿の祭壇前を揺らしていた。

 松明たいまつの火の時折ときおり大きく祭壇を輝かせるその光景は、萌江もえ咲恵さきえから見ても神聖そのもの。

 さきはその祭壇の前に置かれた〝きりの箱〟の蓋を開けようとはしなかった。

 それでも、そのまま眉間みけんしわを寄せただけで口を開く。

「電話でも多少は感じていましたが……大変な物を持ってきましたね…………」

 それに萌江もえは笑顔で応えていた。

「でも、あの家族はもう大丈夫です。後はこの人形の〝ねん〟を解放してあげるだけですよ。そういうことは、こちらが専門でしょうから」

「それはそうですが…………京子きょうこさんは……どうしてこんな…………」

 萌江もえの母親のことでもあるからか、さきも言葉を選ぶ。

 すると、さすがに萌江もえも笑顔を消して返した。

「なんでしょうね……それだけが私にも咲恵さきえにも分からなくて…………ただ…………」

 そこに、けたたましい足音。

 息を切らして本殿に入ってきたのは、いつものゴスロリファッションの西沙せいさだった。

 連絡をしていたのは萌江もえ。その萌江もえが軽く右手を上げて声を上げる。

「お疲れ」

「お疲れじゃないでしょ。一体どうしたっていうのよ。なんだってまたここに────」

 するとそこに、さきの斜め後ろに控えていた綾芽あやめの声が響いた。

西沙せいさ! ここは本殿です! 走って入るとは何事ですか!」

 しかし西沙せいさも声を張り上げて返す。

「よく言える…………その本殿から私を追い出したのは誰⁉︎」

「────西沙せいさ

 そう発したさきの静かな低い声が場の空気を制する。

 そしてすぐに続いた。

「…………今は一刻を争います。恵元えもと様があなたを呼び出した理由を伺うことのほうが先のはず。綾芽あやめも控えなさい」

 すると、すかさずそこに萌江もえが挟まった。

西沙せいさじゃなきゃダメなんだよね」

「私じゃなきゃダメって…………」

 そしてそう返した西沙せいさは、直後、そのまま体の力を失っていた。

 まるで分かっていたかのようにその体を支えたのは咲恵さきえだった。

「早いなあ、敏感な体ですこと…………萌江もえ────」

 咲恵さきえがそう言いながら西沙せいさの体を床に寝かせると、そこに萌江もえが近付く。

「こうなるだろうと思ったよ…………」

 萌江もえはそういうと首の後ろに手を回してネックレスを外す。そのまま左手の指に巻きつけると、水晶を西沙せいさひたいに当てた。

 すると、ゆっくりと西沙せいさが口を開く。

「〝…………どうしたの……?〟」

 その声は、西沙せいさのものではなかった。

「……西沙せいさ…………?」

 思わず声を上げたのはさきだった。

「初めてですか?」

 そう言った咲恵さきえさきに顔を向けて続ける。

「……娘さんは憑依ひょうい体質なんです」

 驚いた表情のさきが小さく返した。

「……西沙せいさが……そうでしたか…………」

 そこに、再び西沙せいさの口から声が漏れていく。

「〝……待っていますよ…………萌江もえ…………あなたにたくしました…………〟」

 すると、軽く息を吐いた萌江もえが水晶を西沙せいさひたいから離した。

 直後、西沙せいさの目が開く。

 自分で上半身を起こすと、不思議そうに周囲を見渡した。

 そこに萌江もえがかけるのは柔らかい声。

「ありがとう西沙せいさ…………」

「え?」

 応えた西沙せいさには状況が理解出来ていない。

「……いつも、中途半端なんだね…………」

 そう呟いた萌江もえの背後から聞こえたのは、さきの声。

「……あなたは…………何者ですか…………」

 萌江もえは立てた膝に手をついた。

 そして口を開く。

「私は99.9%幽霊を信じていなければのろいやたたりも信じない能力者。皆さんとは対極にいる人間です。でも…………」

 そして体を起こしながら膝を伸ばし、立ち上がりながら続けた。

「この世の中に説明の出来ない不思議なことがあるのは、理解してるつもりです」

「とても、それだけとは…………」

「ただの変わり者ですよ。まあ私たちより、今回は人形をお願いします」

 すると、さきは深々と頭を下げて応えた。

「確かに御預かり致しました。御任せください」

 そのさきの口元に、小さく、笑みが浮かぶ。

 しかし、その表情は、萌江もえ咲恵さきえからは見えていなかった。



      ☆



 帰り道、再び大粒の雪が降り始めた。

 萌江もえ咲恵さきえについて店に入る。カウンターのいつもの席に座ると最近新しく入れたばかりのボトルのブランデーを多めにロックグラスに注ぐ。

 まだ他に客はいなかった。もっとも外は大雪。しかも今夜が忙しくなるとも思えない降り方。

「〝命とは違うたましい〟か…………上手うまい言葉かもね」

 咲恵さきえ萌江もえのブランデーをロックグラスに注ぎながら、さりげなく呟いていた。

 すると意外にも萌江もえの返答は早い。

「でしょ? あんなたましいなんて……ただの想像の産物でしかないのに…………〝あの人〟が利用したのはたましいねんなんてものじゃない。ただの人間の〝思い込み〟…………神社の手に追えなかったのは人形じゃない……〝あの人〟だ…………」

 萌江もえはそう言うと、まださほど氷で薄まっていないブランデーを飲み干した。


 ──……分かってて……御陵院ごりょういん神社に…………?


 そう思った咲恵さきえが言葉を投げる。

「あんまり飲み過ぎないでよ」

 そう言いながらも、萌江もえの感情的に飲みたい気分なのも理解は出来た。


 ──……親子って……嫌な言葉だな…………


 そう思った咲恵さきえに、萌江もえが歯切れ悪く返していく。

「うん……今夜、泊めてね」

「気にする仲じゃないでしょ。猫飼ってからウチに泊まってないんだから久しぶりにいいじゃない」

 その咲恵さきえの言葉を聞きながら、萌江もえは目の前のグラスに多目にブランデーを注いだ。

 そこに混ざるのは、すでに店のNo.2となっている由紀ゆき

「え? 萌江もえさんって猫飼ったんですか?」

「うん、と言っても野良猫ね。住み着いちゃって」

 そう応えながら萌江もえはまだ氷の冷たさも広がらないブランデーを喉に流し込む。

「だから最近ここにも顔出さなくなっちゃったんですか? ママが寂しがって大変なんですよ」

 そして当然のように咲恵さきえが挟まる。

由紀ゆきちゃん、やめて」

「土曜日の仕事終わりなんかニコニコしちゃって……次の日に会えると思うとやっぱり嬉しいんでしょうねえ」

「やめなさい」

 そこに応えるのは萌江もえ

咲恵さきえは寂しがり屋だからねえ」

 そう言って萌江もえは笑みを浮かべた。

 その直後、激しい鈴の音と共に店のドアが開く。

 咲恵さきえ由紀ゆきが顔を向けると、そこに立っていたのは杏奈あんなだった。

 その顔は険しい。走って来たのか、肩で息をしていた。

 最初に声をかけたのは咲恵さきえ

「どうしたの? そんなけわしい顔して」

 すると、萌江もえが小さく顔を振り、杏奈あんなに視線を向けていた。

 やがて杏奈あんなはカウンターの奥のそんな萌江もえの姿を見付けて驚いた表情に変わる。

「え? どうして萌江もえさん…………」

「何よ。私がいちゃ悪いの?」

「いや……だって、最近来てなかったから今日もいないかと…………」

「私だって色々あるの。どうした? また何か困り事?」

「いえ……今日はとりあえず咲恵さきえさんに相談しようかと思って来たんですけど…………」

咲恵さきえに? まあ……座んなよ」

 萌江もえはそう言って隣の椅子に杏奈あんなうながした。

 杏奈あんなのハイカットブーツの音が甲高く店内に響き、やがて杏奈あんながカウンターの椅子に腰を上げると、自然と咲恵さきえがコースターをその目の前に出して口を開く。

「ビール?」

「あ……はい…………お願いします…………」

 咲恵さきえが冷蔵庫に近付き、やがて杏奈あんなの目の前でせんを開けるまでの一連の流れがやけに長く感じられた。

 萌江もえは一言も口を開かない。

 杏奈あんなも目の前のコースターに視線を落としたまま。しかしその視界の中にロングネックのハイネケンのびんが入り込むと、それを一口喉に押し込んでから言葉を吐き出した。

「こうなったらもう言っちゃいますけど……西沙せいささんの実家って、もう行って来たんですよね?」

 少しだけ、その杏奈あんなの言葉に時間が止まる。

 やがて、動かしたのは萌江もえ

「うん、この間の日曜日と…………実は今日も行ってきた。今はその帰り」

「そうですか…………」

 杏奈あんなはそう返すと、大きく息を吐いてから続けた。

「……京子きょうこさんの…………お母さん…………」

 その言葉に、萌江もえは自分のロックグラスに伸ばしていた手を止めた。

 杏奈あんなの声が続く。

萌江もえさんにとっては…………お婆さんに当たる人ですが…………」

 すると萌江もえは無意識の内に、顔を窓に向けていた。

 やっとその手がグラスを掴む。

 そして聞こえる杏奈あんなの声。

「…………産まれが…………西沙せいささんの実家でした…………あの神社です…………」

 少し時間を置いて、咲恵さきえがゆっくりと萌江もえに視線を送っていた。

 杏奈あんなの言葉を、なぜかまだ咲恵さきえは完全に理解出来ないまま。咲恵さきえの感情が何かを否定しようとする。

 そこには鏡のようになったガラスに映る萌江もえの姿。

 口元に、笑みが浮かんでいた。

 その向こうに大粒の雪が降り注ぐ。

 咲恵さきえの中で何かがうずいた。


 ──……〝同じ血〟…………気付いてたのね…………



      ☆



 御陵院ごりょういん神社。

 本殿。

 本祭壇の裏。

 壁で囲まれた一室に、まるで本祭壇と背中合わせかのように作られた〝じゅん祭壇〟があった。

 この神社の人間でなければ知らない場所。

 知らない祭壇。

 その祭壇前の大きな燭台しょくだい

 いくつもの松明たいまつが赤く燃えるその中に、さきはあのビスクドールを無造作むぞうさに放り投げた。

 乾き切った青いドレスが瞬時に熱を取り込み、瞬く間に全体が炎に包まれていく。

 その光景に、さきは軽く鼻で笑うように笑みを浮かべていた。

 後ろに綾芽あやめ涼沙りょうさひかえる中、さきの低い声が静かに空気を揺らす。

「最初からここに持ち込まれることを分かった上で…………親子共々…………人ではないとでも言うつもりか…………」

 すみになりかけた松明たいまつの一つが、火のを巻き上げながら大きく崩れた。





        「かなざくらの古屋敷」

     〜 第八部「記憶の虚構」(完全版)終 〜


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