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第七部「猫の目」第5話(完全版)(第七部最終話)

「え? そうなの?」

 そう声を上げた萌江もえは、咲恵さきえとホテルのカフェにいた。

 すでにだいぶ傾きかけた陽が作る影が、中庭の印象を夜に移行させている。朝とは大きく違う雰囲気が作り出されていた。間違いなく考えられてデザインされているのだろう。同じはずなのに、まるで違う。

 長く濃い、大きな木の影が床に伸び、その影に包まれていた。

 その中でスマートフォンのスピーカーから聞こえるのは杏奈あんなの声。

『そりゃそうですよ。あんな情報は現地じゃなきゃ無理ですって。さいわいこっちの新聞社に知り合いもいたし…………』

「やっぱり使えるねえ…………報酬は私の体で払ってもいい?」

 しかし、少し間を開けて聞こえて来た声はなぜか背後から。

咲恵さきえさんの隣で何言ってるんですか」

 二人が振り返るとそこにはブーツの音と共に近付く杏奈あんなの姿。いつものカメラバッグに合わない新し目の薄手のロングコートが不釣り合いだったが、杏奈あんならしいと言えばらしくもある。

 その杏奈あんなに応えたのは咲恵さきえだった。

「大丈夫よ。私が後でお仕置きしとくから……おつかれ」

「お二人もお疲れ様です」

 そう応えて杏奈あんなは二人の向かいに腰を下ろして続けた。

「そもそも二人だけなのになんで隣同士で座ってるんですか?」

「いつも萌江もえそばにいたいから」

 平然とした顔でそう言う咲恵さきえ杏奈あんなが笑顔で返した。

「結構、咲恵さきえさんってサラッとそういうこと言いますよねえ」

「そう?」

「そうですよ」

「で?」

 そう言って二人に挟まった萌江もえはコーヒーを一口飲んで続ける。

「今朝の事件でマスコミは盛り上がってるみたいだけど…………何か裏情報は?」

「そうですねえ」

 そう言いながら前のめりになった杏奈あんなが続けた。

「警察はまだ分かりませんけど、マスコミは当然のように縁恨えんこん説一色です。元々集落の地上げに地元の暴力団が関わってたことまでオープンに全国ネットで話題になってます。あの県議会議員の過去も根掘り葉掘りと出て来てるので、もう止められない感じですね。暗黙の了解だった県警も動かざるを得なくなるんじゃないですか。このままじゃ自分たちの信頼にも関わりますし、今のネット社会じゃ昔のようにはいきませんよ。ほこらのろいと繋がるかどうかは別の問題かと思いますけど…………」

 すると、萌江もえも前のめりになって聞き返す。

「昨日もらった杏奈あんなちゃんからの情報って、マスコミと警察はどこまで?」

「私がかき集めてまとめたものですけど、なんとなく疑ってる人はいるかもですよ。地元の人たちがたむろするような居酒屋とかも行きましたけど、思ったよりみんな話に乗って来てたんで」

「へえ…………結構お金かかったんじゃないの?」

 萌江もえはそう言うと、テーブルの上で小さく折り畳んだ数枚のお札を杏奈あんなの前に滑らせて続ける。

「じゃあ、ここの美味しいコーヒーご馳走するから、もう一つ調べてくれない?」

 テーブルの上のお札を素早くジャケットの内ポケットに入れた杏奈あんなが応える。

「報酬が体じゃないならいくらでも」

 そして笑顔を浮かべた。



      ☆



 西沙せいさはホテルのミーティングルームを押さえていた。

 小ぶりな部屋だったが充分な広さはある。ホテルの豪華に見える内装の中にあって、随分とその部屋はシンプルで無機質にも見えたが、駅前のビジネスホテルという役割要素もやはり大きいのだろう。

 そこに夕方の四時から押し込められていたのは仁暮志筑にぐれしづき一人。コーヒーの追加要求もないままに時間だけが過ぎていた。

 元住民の五人がホテルの裏口にこっそりと到着したのは夜七時。

 同じ頃、西沙せいさの声がけでロビーには数人の私服警官。

 そして全員が集まった。

 志筑しづきの隣には元住民の五人。テーブルを挟んで向かい合う形で萌江もえ咲恵さきえ西沙せいさ。テーブルの上にあるのは、それぞれの目の前のコーヒーカップだけ。

 萌江もえ西沙せいさに挟まれる形で真ん中に座った咲恵さきえが最初に口を開いた。

「今日は改めて皆さんにお集まり頂きましたが、最初に結論から…………今夜でこの事件は解決させて頂きます」

 向かいの五人がザワつき出す。

 咲恵さきえが続けた。

「今回の事件の首謀者は…………一番(はし)にお座りの、仁暮志筑にぐれしづきさん…………お一人です」

 五人全員が志筑しづきに顔を向ける。

 志筑しづきは顔色ひとつ変えない。静かに目の前の冷め切ったコーヒーの表面に視線を落とすだけ。そしてすでにそれは、揺れてすらいない。

 それを無視するかにように咲恵さきえは続けた。

「ええ……分かってますよ。おかしいですよね…………実行犯の皆さん────犠牲となった六人を殺したのはあなたたち五人です」

 そして咲恵さきえの視線が、五人全員の顔をゆっくりと流れていく。

 その五人はそれぞれ視線を落とし、落ち着かない。

 やがて、洋三ようぞうが声を荒げた。

茶番ちゃばんなら…………帰らせてもらう!」

「────今朝のさあ」

 突如そう声を上げたのは、椅子に片足を乗せて膝を立てた萌江もえだった。

 その萌江もえが続ける。

「────六人目の犠牲者……二階敦彦にかいあつひこ…………殺したのは、あなた?」

 萌江もえは鋭い目を洋三ようぞうに向けていた。

 洋三ようぞうは僅かに体を震わせながら再び声を荒げる。

「やめないか! こんな侮辱ぶじょくはマスコミからだってないぞ!」

「自殺した奥さんの…………息子さん…………」

 その萌江もえの言葉に、室内の空気が凍り付いた。

「……何を……バカな…………」

 その低くなった、震える洋三ようぞうの声の中、その頭の中では様々な記憶が交錯し始めた。

 その洋三ようぞうの感情を、萌江もえが拾い上げる。

「あの議員のめかけだったってことは遺書で知っていたんでしょ? でも息子が誰なのかまでは書いていなかった。そりゃそうよ。息子を産んですぐに引き離されちゃったからね。名前すら知らない。奥さんは一度も会っていない…………これはあの家の元使用人からの情報。仕入れ先は私たちの情報屋。あなたはその人物────六人目の犠牲者も地上げに加担していたと思っていた。でもなぜそう思ったのか、が、今回の問題の核になる」

 洋三ようぞうの腰が椅子に落ちた。

 萌江もえは小さく息を吐くと、西沙せいさに視線を送って繋げる。

「少し話を戻そうか」

 すると西沙せいさが立ち上がってホワイトボードに向かう。

 犠牲者六人の名前を順番に書いて、六人目────〝二階敦彦にかいあつひこ〟の横にバツ印をつけた。

 そこに萌江もえの声が重なる。

「六人目はさっき言った通り。例え勘違いでも殺害の理由は想像出来た…………二人目の吉田春子よしだはるこ…………だいぶひどくやられたみたいね、郁夫いくおさん」

 萌江もえが顔を振るが、郁夫いくおは下を向いたまま。

「あの職場の従業員からいくつも証言が出てる。吉田春子よしだはるこからの〝イジメ〟はかなり陰湿だったみたいね…………辞める原因の一件も濡れ衣だったんでしょ?」

 西沙せいさが〝吉田春子よしだはるこ〟の横にバツ印。

 萌江もえが続けた。

「そして三人目の銀行員の奥田秀一おくだしゅういちが地上げのために頼ったのが四人目の二階睦夫にかいむつお…………暴力団を動かせたからね…………そしてその二階睦夫にかいむつおの起こした交通事故の巻き添えで亡くなった秀一しゅういちさんと幸恵さちえさんの一人息子を、ただの被害者からその被害割合を下げたのが五番目の警察官の小林豊こばやしゆたか……調べれば地方議員の息子の肩書きの影響があった可能性はもちろん出てくる…………でも地上げとか暴力団ってのは確かに酷いけど、そもそもほこらとは全員が関係ない。〝猫神様ねこがみさまのろい〟と結びつけるには無理があるよ」

 誰も何も応えない中、六人中五人にバツ印。ペンを置いた西沙せいさが椅子に戻った。

 次は萌江もえが立ち上がって続ける。

「どうしても最後まで分からなかったのはこの人────一番最初の、久宝隆史くぼうたかし

 萌江もえはホワイトボードに書かれた一番上の名前────〝久宝隆史くぼうたかし〟の名前をペンで指す。

 すると、僅かに顔を上げたのは恵美えみだった。

 それを横目で確認しながら、続く萌江もえの声。

「最初のターゲットとするには丁度良かった? まだ力の弱い子供だしね。でもどんな個人的な恨みがあってターゲットにされたのか…………その理由を知っていたのは、家に誰もいない時間を知っていた人…………進入経路を割り出せた人…………子供の実の母親だった恵美えみさんだけ」

 すると恵美えみの横で顔を下げ続けていた郁夫いくおが微かに顔を上げ、その視線が恵美えみへ。

 その恵美えみの体は小刻みに震え始めた。

 いで大粒の涙を流し始めた恵美えみが、声を荒げる。

「────仕方なかったんです! 血を絶つためなんです! 全部終わったら…………後は私が死ねば…………」

「そうだよね…………」

 そう言って続ける萌江もえの声は柔らかい。

幸恵さちえさんから聞いたんでしょ? 恵美えみさんは村を捨てた一族の血を引いてるって…………幸恵さちえさん自身もね…………その血が残っている限りはのろいは続くと教えられて、そのために血を絶やそうと考えた…………幸恵さちえさん」

 その声に幸恵さちえが思わず顔を上げる。

「あなたの隣に座ってる仁暮志筑にぐれしづきからその話を聞いたのはいつ? あなたと恵美えみさんが一族の血を引いてると聞かされたのはいつ?」

 幸恵さちえは視線を落としながら、ゆっくりと、言葉をひねり出した。

「…………ほこらが……壊されてすぐ…………」

仁暮志筑にぐれしづきと会ったことがある人は幸恵さちえさんだけね…………分かった…………」

 萌江もえは椅子に腰を降ろして続ける。

「カラクリを説明する。まず基本的な部分として、あなたたち五人と仁暮志筑にぐれしづきの目的は同じ。壊された〝ほこらの再建〟。ただこれだけ。だからこそあなたたちは工事の事故が多いことを理由に〝猫神様ねこがみさまのろい〟だと騒ぎ立てた。確かにほこらを粗末にした行政に訴えるには丁度いい。でもそもそもの大規模な公共事業。実際は動員された作業員の人数だけを見ても、その犠牲者はそれほど多い数字じゃない。でも〝猫神様ねこがみさまのろい〟の小さな報道に黙っていられなかったのが霊能力者の仁暮志筑にぐれしづき…………あの集落を捨てた一族の末裔まつえい…………」

 志筑しづきは微動だにしない。

 それでも、コーヒーを見つめる目が、僅かに開く。

 そして萌江もえの言葉が続いた。

「負い目もあったんでしょうね…………何気に行政に嘆願書まで作って出してる。もちろん遠くに暮らす霊能力者の訴えなんて、目の前の公共事業に鼻の下を伸ばした連中が聞いてくれるはずもない。そして、五人の訴えていた〝猫神様ねこがみさまのろい〟を利用しようと考えた。自分で動ければ良かったけど、タイミング悪く地元のテレビ局からのお誘いがかかったみたいね。それであなたは自分の能力を最大限に利用した。あなたとは薄いとは言っても血の繋がりのある幸恵さちえさんと恵美えみさんの存在を知り、その二人の意思をコントロールしてね…………そこから五人全員に催眠を掛け、それぞれのうらみのねんを増幅させた…………犠牲者は誰でも良かった。猟奇連続殺人事件であれば。両目はドライバー……喉はカミソリを四つ重ねて、間に薄い板でも挟んで固定すれば凶器は作れる…………警察の発表でもカミソリのような物とある…………よく考えたものね…………」

 しばらく静寂が続く。

 誰も言葉を発することなど、出来るはずがない。

 やがてそれを破ったのは咲恵さきえだった。

志筑しづきさん…………私は手で触れた人の過去や感情を読み取ることが出来る…………だからあなたに肩を触れられた時、あなたの過去も見えた…………あなたも五人と同じ。ほこらが壊されたことが許せなかっただけ。行政を許せなかった。でも……自分でうらみを晴らす勇気がないから五人を利用するなんて先祖と同じようにズルいだけ…………誰かに自分の責任を押し付けて、自分で成し遂げようとしないなんて…………あなたは自分のために五人を殺人者に仕立てた。もしのろいが認められてほこらが再建されたら、死ぬ気だったんでしょ? そしてのろわれた血を絶つ気だった……でも残された五人はどうするの? あなたのために刑務所に入るの? あなたの先祖が村を逃げたために〝のろい〟の責任を押し付けられた村人たちのように…………五人みんなそれぞれにうらみはあった。人を殺す動機は確かにある。でも殺人を犯すなんて普通の人間に簡単に出来ることじゃない。みんなそんなことの出来る人たちじゃないんです。あなたがき付けなければ、誰も殺人者になんかなっていない」

 僅かに咲恵さきえの声が震える。

 それを察した萌江もえ咲恵さきえの肩に手を置いて繋げた。

「あんたは死なせない…………あんたが一人で罪を背負って生きていけ。自分の力をそんなことにしか使えないなんて…………私はあんたみたいな身勝手な奴が大っ嫌いだ」

 そして萌江もえが立ち上がる。

 咲恵さきえが続き、西沙せいさも続いた。

 そして萌江もえ

西沙せいさ…………仁暮志筑にぐれしづきをロビーに…………五人の記憶は私が消す」

 すると、静かに志筑しづきが立ち上がった。

 そして口を開く。

「…………あなたは…………何者……ですか?」

 顔を上げ、その不思議な色の目を向けた志筑しづき萌江もえが返す。

「私は99.9%のろいもたたりも信じない能力者。だから私たちに催眠は効かないよ。普通の人間じゃないからね。もう諦めて……警察に何を言っても催眠なんか信じてもらえるわけがない。これは私たちじゃなきゃ辿り着けなかった真実だ。警察には自分がやったと自供して…………綺麗な終わらせ方じゃないのは分かってる…………でも、あなたに責任があるのは変わらない」

 西沙せいさ志筑しづきをドアに促した。

 ドアまで歩く志筑しづきに声をかける。

「警察の人にはアイマスクをかけさせるように──目を見ないように言ってあるから…………さ、行こう…………」

 ドアが開いた直後、志筑しづきの背後から萌江もえの声が飛ぶ。

志筑しづきさん…………ほこらは私が責任を持って再建する…………信じて…………だから最後に聞かせて…………あのくらで聞いた声…………あれは誰? あなたも誰かに促されてこんなことをしたんじゃないの⁉︎」

 志筑しづきは黙ったまま、横顔のまま何も応えない。


 ──……やっぱり……分かってるんだ…………


 そして小さく、うなずく。

 それだけが志筑しづきの答え。

 そして、ドアが閉まった。

 それでもいいのかもしれないと、萌江もえは思えた。


 ──……あとは……あの人の物語…………


 萌江もえはネックレスを外すと、チェーンを持って水晶を五人の目の前にぶら下げる。

「この水晶を見てて…………あなたたちは人を殺せるような人たちじゃない…………私を信じて…………凶器も血の付いた靴もただのゴミ…………すぐに捨てて…………あなたたちは誰も殺してなんかいない…………あななたたちは殺人者じゃないの…………静かに生きてっていいんだよ…………」

 萌江もえは水晶を再び首にかけると、言葉を繋いだ。

「今夜はありがとうございました。お陰で事件は解決です。ほこらも近い内に再建されることを保証します」

 五人は呆然と萌江もえを見続けているだけ。

 そして萌江もえはドアに向かって叫ぶ。

杏奈あんなちゃん!」

 ドアを開けて入ってきた杏奈あんなに続けた。

「裏にタクシー二台……札束さつたば掴ませて待たせてるけど、もうマスコミが嗅ぎつけてる可能性がある。こちらの五名を確実にタクシーで送り出してあげて」

 杏奈あんなも部屋の外で話を総て聞いていた。


 ──……とんでもない人たちに関わっちゃったのかもね…………


 その杏奈あんなは、大きくうなずいて応える。

「分かりました」



      ☆



「早いんだよねマスコミの人間ってさ」

 萌江もえ咲恵さきえの部屋に報告に戻った西沙せいさがいきなり愚痴ぐちをこぼしていた。

「あの人を警察の二人が連れて行こうとしたら、どっかから突然現れてさ…………」

 それに応えたのは萌江もえ

「いつもそんな目立つゴスロリなんか着てるからでしょ?」

「私のスタイルなんだからいいでしょ。それよりあの五人は大丈夫だった?」

 すると、ベッドの上でキャリーバッグに荷物を詰め込んでいた咲恵さきえが応える。

「そう思って杏奈あんなちゃんに任せたから大丈夫よ。立ち回りの上手い子だから」

「……って、もう帰るの? 今夜はせっかくなんだからお祝いしようよ」

 そう言う西沙せいさに即答したのは萌江もえだった。

「人一人刑務所に送って何がお祝いよ。それに…………もっと早ければ最後の一人は救えたかもしれない…………」

 その萌江もえの目は重い。

 解決はした。

 しかし良くも悪くも予測した通り。綺麗な終わり方ではなかった。

「…………ごめん」

 西沙せいさが肩をすくめ、ベッドに腰を落とす。

 すかさず萌江もえが返した。

「それに、最後の一人は私の責任…………」

 その萌江もえ西沙せいさが顔を向ける。

「どうして…………洋三ようぞうさんは奥さんの息子さんを殺したの?」

「もちろん殺人事件を継続させることで行政とマスコミを動かしたかったっていうのはあるだろうけど、多分、洋三ようぞうさんの中にある奥さんの記憶から、その存在が恐喝をしていた次男と重なったか…………殺意を増幅させられて〝のろい〟を形にすることに加担したとは言っても、その相手を決めたのは自分たちだからね…………もしくは奥さんの過去への嫉妬か……それが増幅されたほうがしっくりくるか…………大きく形を変えた感情が間違いを生んだんだ……今となれば幸恵さちえさんと恵美えみさんが本当に志筑しづきさんと血の繋がりがあったのかも分からない。そこまでは私も咲恵さきえも見えてない。でも閉鎖的な昔の村社会なら充分あり得る話だよ。もしかしたら全員がどこかで繋がってたのかも…………」

「そういえば……みんな親戚筋だったはずだし…………」

「血が濃かったのが幸恵さちえさんと恵美えみさんだったとか……そのほうがしっくりくるよ。やっぱり綺麗な終わり方じゃなかった……六人目は必要のなかった犠牲者だ…………」

「……大丈夫かな…………みんな…………」

「大丈夫だよ。これ以上は私たちが関わる部分じゃない…………それに、言ったでしょ? 我が家にも〝猫神様ねこがみさま〟がいるんだってば。早く帰らないとたたられちゃうから」

 萌江もえの目が、少しだけ軽くなった。

 まるでそれに応えるように、返す西沙せいさの声も変化する。

「そういえば、そんな話してたっけ」

「それとこれ、頼むよ」

 そう言って萌江もえは分厚い封筒を西沙せいさに渡して続ける。

「明日神社にお願い。ほこらを壊したことに抗議した神社に持っていけば、再建してくれるはず」

「あ、そっか」

「私たちの取り分も足せば結構な金額になるんじゃない? 新しいほこらを作ってもらって」

 すると封筒を覗いた西沙せいさが目を丸くして応える。

「いや……これだけでも…………」

「いいから……足しといて」

「……うん…………分かった」

「みんなに約束したからね…………問題は場所じゃないよ。大事なのはその人たちの〝おもい〟。西沙せいさなら分かるでしょ。それで工事の事故も減るから」

「やっぱり、事故にものろいが関係してるの?」

「さあね、あるとしたら、かつてあの村に暮らしてたたくさんの人たちの〝ねん〟みたいなものじゃないかな。〝のろい〟は人が作るもの…………変わるものもあれば、変わらないからいいものもあるんだよ」

 そう呟くように言った萌江もえは、キャリーバッグを閉じた。

 そして小さく繋ぐ。

「これが…………私たちの終わらせ方…………」



      ☆



「それは……随分ずいぶんと古い歴史ですよね」

 雄一ゆういち志筑しづきの話には戸惑いを隠せないまま、困惑した表情を受かべ、当たり障りのない言葉しか返せない。

 〝のろい〟というものが、その感情の欠落した雄一ゆういちの中に、ゆっくりと染み込んでいく。

 初めての感覚だった。

 それは決して自分の中には生まれ得なかったものだったはず。

「先生は…………どう思いますか…………?」

 そう言う志筑しづきの僅かに薄い目の色が、雄一ゆういちの気持ちを捉えていた。

 なぜか視線を外すことが出来ない。

 そして、何かが雄一ゆういちの気持ちの奥底に流れ込んだ。


 ──…………助けて…………


 その感情が溶け込む。


 ──……助けて…………先生…………


 翌日。

 深夜、雄一ゆういち志筑しづきを家から連れ出した。

 そのまま車の助手席に志筑しづきを乗せると、雄一ゆういちは屋敷に火をつける。

 その感情がいかなるものだったのか、それは雄一ゆういちにしか分からない。ただの同情か共感か、初めての感情に揺り動かされただけか。

 そして燃える屋敷を冷静な目で眺めていた志筑しづきの頭に、声が届いた。


   〝……血をて……終わらせろ…………〟


 誰の声かも分からないまま、それでも志筑しづきの頭からその声は離れない。

 屋敷が全焼。両親が死亡。志筑しづきが行方不明となれば、警察が志筑しづきを探さないわけがない。しかしなぜか志筑しづきにも雄一ゆういちにも捜査の手は伸びなかった。

 何かがおかしい。

 それでもやがて、その違和感の原因である自らの〝力〟に気が付いていく。

 最初は無意識だった。

 やがて明確にその〝力〟を認識するようになる。


 ──……私は……他人を操ることが出来る…………


 そして、自分が普通の人間ではないことを知った。


 ──……私は…………先生を操っていたの…………?


 無意識だったとはいえ、新たな罪の意識が志筑しづきを苦しめていく。

 それでも後戻りは出来ない。

 恐怖と疑念の中で、雄一ゆういちと共に細々と暮らした。

 裕福ではなかったが、決して志筑しづきは不幸とは感じなかった。雄一ゆういちに対しての罪の意識さえ感じなければ幸せでいられただろう。

 やがて、かつて家庭教師だった雄一ゆういちは夫となり、その夫は常に優しかった。

 そして、子供が出来た。

 しかし、二度目の流産で二人は子供を諦める。


   〝……血をて……終わらせろ…………〟


 言葉が頭に浮かぶ。


 ──……私は……仁暮にぐれ家の血を終わらせるために産まれてきたの…………?


 それからは自分の能力を利用して霊能力者の真似事まねごとのような日々。

 そして、四〇を過ぎた頃、テレビのニュースに釘付けになった。

 〝猫神様ねこがみさまほこら〟。

 涙が出た。

 止まらなかった。


 ──…………ほこらを再建しなければ……これは私の〝血〟の罪だ…………


 そして、雄一ゆういちと共に、総てを終わらせることを誓った。


 ──……仁暮にぐれ家は……私が終わらせる…………


 ホテルのロビーで刑事に腕を掴まれた時、志筑しづきの頭に浮かんだのは、雄一ゆういちのことだけだった。


 ──……ありがとう雄一ゆういちさん…………

 ──…………私は…………身勝手でしたね…………


 その夜、雄一ゆういち自ら警察に自首する。

 しかし、志筑しづきの供述の中に、雄一ゆういちの存在は無かった。



      ☆



 新幹線が駅に到着したのは、すでに深夜近く。

 木曜日から金曜日へと日付が変わろうとしていた。

 二人は駅前の駐車場に停めていた咲恵さきえの車で山の中の萌江もえの自宅へ向かっていた。

 駅を出た時から、やけにピリピリとした寒さが空気を包んでいた。

 二人の中に不安が過ぎる。仕事を終わらせた開放感よりも、気になるのは家に住み着いていた猫のことばかり。何日も家を開けたままでは縁側の下は寒いままだろうと予測は出来た。

 夜の冷たい暗さがそれを増長していく。しかも山の中に入っていくにつれて周囲の人工的な灯りが減り、頭上の黒い雲がしだいに近付くかのようだ。

 自然と咲恵さきえもスピードを上げていた。

 そして山道に入った頃から、小さな雪が舞い始める。

「今シーズン最初の雪を二人で見れるのはいいけど、何もこんな時じゃなくても…………」

 咲恵さきえが運転をしながら思わず愚痴ぐちをこぼしていた。


 家の駐車場に車が停まった途端に萌江もえは助手席を飛び出した。

 まだ縁側に立て掛けていた段ボールはそのまま。萌江もえはその段ボールのそばに膝をつき、ゆっくりと中を覗いた。

 その姿を追いかけた咲恵さきえ萌江もえが顔を向ける。

 萌江もえは口に人差し指を当て、再び覗き込む。

「……良かった…………頑張ったね…………」

 そうささや萌江もえの隣から咲恵さきえが覗き込むと、そこには体を丸めてこちらを伺う黒猫と、その体に包まれる小さな命が二つ。

 小さく咲恵さきえが声を上げた。

「……そっか……だから動かなかったんだ…………」

 萌江もえは家の中からバラしていなかった新しい段ボールを出し、バスタオルを数枚入れ、横にして猫の前に置いた。リビングのまきストーブに火をつけ、縁側の窓を少しだけ開ける。微かに段ボールの上だけが見えた。

 萌江もえ咲恵さきえはソファーでタオルケットに包まりながら窓の隙間を見つめ続ける。

「来るかな…………」

 咲恵さきえが呟いた。

「ご飯は無くなってた……多分大丈夫…………」

 萌江もえはすぐに返す。

 まきストーブからの熱と窓の隙間からの冷たい風。その風に乗る小さな雪の粒。でもそれはなぜか嫌に感じない。

 萌江もえが再び呟いた。

「……寒い中で……一人で頑張ったんだね…………暖かい部屋で休ませてあげたいけど…………」

 その時、段ボールが小さく揺れる。

 萌江もえが頭を上げる。しかしまだ様子を見ていた。

 更に段ボールが揺れ続け、やがて動きが止まる。

 萌江もえは四つん這いになって静かに縁側に出た。ゆっくりと段ボールを持ち上げると、そこには母猫と子猫が二匹。

 小さく母猫が鳴き声を上げた。

「……いらっしゃい…………」

 萌江もえがそのまま後退りをして部屋に入ったところで、いつの間にか隣に来ていた咲恵さきえが静かに窓を閉めた。萌江もえが笑顔で見上げると、そこには咲恵さきえの優しい笑顔。

 段ボールをそのまま部屋のすみに置くと、萌江もえは念の為と、キャットフードと豆乳を段ボールの前に置いた。

 不思議とお酒の気分ではなかった。

 色々な思いが頭を巡る中、二人はコーヒーを飲みながら、なぜか言葉少なに寄り添うだけ。

 外の雪はしだいに大きな粒となり、外を白く染めていく。

 しかし冷たいはずのその雪が、なぜか暖かく感じられた。

 二人は丸くなる猫を見ながら、言葉のいらない時間を過ごし続けた。





       「かなざくらの古屋敷」

      〜 第七部「猫の目」(完全版)終 〜


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