第七部「猫の目」第1話(完全版)
思えば、おかしな家だった
俗世からは完全に隔離された世界
世の中のことなど何も知らない
知らないからこそ、何も疑問になど思わなかった
☆
家の周りは林だらけ。
山の中と言われても仕方ない。
事実、標高がそれほど高くないというだけで山であることに変わりはない。
一番近い街中と言えるエリアからは車で一時間程度。しかもその半分以上は山道。明確な上り坂と共に周囲からは建物が減り始め、左右が斜面と林に囲まれた舗装道路から砂利道に入って二十分ほど。
ここより先に民家は無い。
元々どんな人が暮らしていたのかは知らなかったが、所有することになった土地自体は広い。坪数だけなら九十坪。しかしそのほとんどは林だった。小さな家と庭だけの部分で言ったら四十坪もない。
周囲の林の一部は竹林となっていた。
そのためだろうか。家の前の道路との間に申し訳程度に設置されていた柵は竹製。もちろん以前の住人が作った物かどうかも分からない。作りはしっかりしているが古さは否めなかった。何度か柵を新しくしたいとは思ったことがあるが、古い家の見た目と合ってもいるという言い訳でそのまま。
そんな家で、もうすぐ二度目の冬がやってくる。
この家での、萌江の二度目の冬。
来週の天気予報にはいよいよ雪マークが点々と付き始めた。そうなると準備するのは薪ストーブの薪。しばらく雨の降っていないタイミングを見計らって、薪になりそうな枝を集めていく。出来るだけ乾燥しているものが望ましい。もちろん近くの大木を切るような技術があるわけでもなく、足りないようならネットで購入しようかと考えていた。
そんな毎日を繰り返している内に、玄関先には結構な量の枝が積み重なっていた。雨や雪に濡れない屋根のある所となると、今のところここしか思い浮かばなかった。リビングに置くと湿度を吸い込んでしまう可能性もある。冬場の薪をおしゃれに収納したいというのが当面の課題。
──……来年も色々とリフォームだなあ…………
その日も運動目的の散歩がてら薪を集めてきた萌江は、一休みをしようとコーヒーのマグカップを手にして縁側のあるガラス戸を開けた。さすがに日中とはいえもう開け放しておける気温ではない。外の冷たい空気がコーヒーの湯気を大きくしていく。
それでも今日は天気がいい。陽当たりのいい縁側は季節を忘れさせてくれる。
──……コーヒー飲んだら薪ストーブに火をつけて待つか…………
日中とはいえ少しひんやりとする縁側に出ると、すぐにギシギシと音が鳴った。空気の乾燥してくる季節というのも関係するのか、最近の気になる点の一つ。
いつものように縁側に足を下ろして座り込んだ。コーヒーの湯気すらも暖かく感じる。
こんな冬の始まりの陽の温もりが最近の贅沢でもあった。
「ん?」
縁側の下から小さな音がする。
木の軋みとは違う。聞き慣れない微かな音。
「んん?」
萌江は体を倒して下を覗き込む。
途端に、小さく声を上げていた。
「あらま」
二つの光。
どちらも小さい。
そこにいたのは、小さな黒猫。
「どうした? どっから来たの?」
思わず声を掛けていた。
しかし当然ながら返答の無いまま、その二つの目が萌江の顔を離さない。痩せている上に首輪も無いように見えた。どこかで飼われている猫ではないようだ。そもそも近くに他の家と言える建物は無い。
「宿無し? やっとここまで辿り着いたのか…………」
攻撃的な姿勢は見せていない。
「家に入ってもいいけど…………」
やはり警戒はしているようだ。
──強引には無理か……
「ちょっと待っててね」
萌江は寝室からバスタオル一枚とフェイスタオルを数枚掴み、縁側に戻る。縁側下のサンダルに足を通すと、タオルを猫の横に広げるように押し込む。あまり刺激しないように意識した。
「無理強いはしないけど…………今夜も寒いからね。あ、そうだ」
今度は台所に移動すると、浅い皿に冷蔵庫から出した豆乳を少し注いで猫の元へ。
──無調整の豆乳あって良かった
豆乳の皿をタオルの近くに置くと、猫に話しかける。
「まだ警戒してると思うけど、よかったら飲んで」
更に縁側に立て掛けるように畳んだ段ボールを並べた。
──これでいくらか寒さしのげるかな…………
「中に入りたくなったらいつでも呼んでね。ガラスを叩いてくれたらいいから。鍵は開けとくからね…………」
まだ不安がありながらも、萌江は中に入って薪ストーブに火をつける。
──この部屋が暖かくなったら、もしかしたら床下まで熱がいかないかな…………
しかし一年前のリフォームの時に床下には断熱材が敷き詰められていた。床下からの冷気は遮断するが、同時に部屋の熱も逃げにくくする。
夜には街中と違って氷点下になる可能性もある山の中。
不安は大きかったが、かといって相手は野生の生き物。強制は出来ない。
──……頑張っておくれ…………
部屋の中に薪ストーブの熱が広がっていく。それに比例して縁側の下が気になる。
冬の訪れを感じながらホッとする気持ちもありながら、やはり猫が気になった。
──……痩せてたな…………お腹空いてそうだったな…………
萌江は冷凍庫を開けると、サラダ用に小分けしていた鳥の胸肉を取り出して鍋で茹で、軽く冷ましながらほぐしていく。
──味付きはダメなものが多そうだけど……これなら大丈夫だったはず…………
小さな皿に鳥肉を乗せると、あまり刺激しないように玄関から縁側に回った。
段ボールの横からそっと覗き込む。猫と目が合った。
「良かったら食べて」
豆乳の隣に置いた。まだ豆乳は減っていない。
──あまり構いすぎたら嫌われるかな…………
萌江はすぐに中に戻る。
ガラスをカリカリとノックする猫を想像してみた。
──……一人で……生きてきたのか…………
そして、外に車の音。
今日は日曜日。
いつものお昼過ぎ。
咲恵が訪ねてくる時間。
「猫? あら……」
我慢が出来なかったのか玄関先で萌江が報告すると、驚いた顔で咲恵がそう呟く。
元々お互いに動物は好きだった。せっかくの一軒家だからペットでも、という話は以前から出ていたが、かと言って家の中に閉じ込めておくのにもお互いに抵抗がある。同時にここは山の中。鳥以外は見たことがないが、野生動物にいつ遭遇しないとも限らない。犬にしても猫にしても難しいと考えていた。
犬か猫か、どちらを飼うか決められなかった、というのもある。
「まだ警戒してるからそっとしておいてあげたいの」
そう言う萌江に、咲恵はハンドバッグを手渡した。
「そうだね。じゃ、ちょっと見てくる」
そう言って背中を向ける。
「え?」
そんな萌江の小さな返答も気にせず、咲恵は玄関から縁側へ。なるべく足音を立てないように歩いているが、それすらも萌江には気になった。
萌江は追いかけながら自然と小声で咲恵の背中に話しかけていた。
「驚かさないでね……ちっちゃい子だから……」
「大丈夫だよ」
咲恵はゆっくりと膝を曲げると段ボールの横から中を除く。
そして小さく口を開いた。
「ホントだ、可愛い子だねえ」
黒猫ならではの大きく見える目。
目を丸くしたそんな子供のような咲恵の姿に、返す萌江もなぜか嬉しい。
「でしょ? でもまだ警戒してるから静かに…………」
「そうだね。無理させないように……近付いてきてくれたら嬉しいけど……」
「うん……でも寒さが心配なんだよね…………」
「そうね…………」
咲恵はそう応えると、自然と空を見上げていた。
そこには、今にも降り出しそうな曇り空が広がる。
雲が低い。
「やっぱり薪ストーブの暖かさは違うよねえ」
コーヒーを飲みながら、咲恵はそう言ってソファーに体を沈める。
薪ストーブから小さくパチパチと音がする中、隣の萌江も同じように体を沈めながら返した。
「んー…………」
それでもやはり気持ちが上の空なのは態度ですぐに分かる。
萌江は事あるごとに縁側の見えるガラスに目をやった。相変わらずそこからは陽射しの当たる庭が見渡せる。空気の澄んだ季節独特の美しさが広がっていたが、やはり萌江の気持ちを落ち着かせてはくれない。
そんな萌江の態度を微笑ましく感じながら咲恵が声を掛けた。
「気になるんでしょ? あの子……ここの床下だから、少しは熱が伝わるかもよ」
「だといいんだけど……リフォームなんかしなきゃよかった……」
萌江は珍しくコーヒーすら進まないままに続ける。
「断熱材入れちゃったからなあ」
「誰もこうなるなんて思わないでしょ。もしも仲良くなれたら飼うの?」
「どうかなあ…………元々野良猫だし、家の中に閉じ込める気はないけどね。好きに出入りしたいでしょ。少し心配だけどさ」
その萌江の言葉から、飼いたい方向に気持ちが動いてることは咲恵もすぐに分かった。
そしてその背中を押していく。
「でもまあ、ここなら前の道路も滅多に車なんて来ないわけだしね」
家の前には細い道しかなかったが、さらに登ってもどこかに繋がる道路ではなかった。いずれは細くなって道そのものがなくなるような所。したがって、この家に来る以外でこの道を登ってくる車は無かった。
「心配なのは野生動物だけか」
そう言った咲恵が続ける。
「でも猫は警戒心の強い動物だし、この家でご飯さえ食べられたら自由にのんびり生活出来るかもよ」
「うん、居座ってくれそうなら…………キャットフードを買おう」
「そうだね……そう言えば先週も猫じゃなかった? みっちゃんの」
「ああ……そうだったね」
先週の満田からの依頼の話だった。
最初からすぐに終わりそうだと思った萌江が、平日の夜ということもあって一人で対処した案件だった。
依頼主は満田の仕事に関係した会社の社長。
最近中古の一軒家を購入したばかり。するとすぐに、夜になると天井から足音がするという。家主は極度の怖がりでもあった。
そして萌江には結果が見えていた。咲恵が必要ないと思った理由はそれもある。
夜の八時に満田と共にその家に到着した萌江は、その足音を聞いてすぐに口を開いた。
「屋根裏に登れる所って、どこですか?」
それは二階の部屋の押し入れの中。屋根裏を覗くことになるだろうと持参していたマスクをつけ、懐中電灯で中を照らしただけで総てが解明する。
「猫ですよ」
萌江があっさりとそう伝えると、対応していた家主の奥さんが声を張り上げる。
「ねこ⁉︎」
会社の社長の奥さんと言ってもまだ若い。
「はい、子猫が見えたので家族ですね。五匹くらい見えました。きっと寒くなってきたので屋根伝いに入れる隙間を見付けたんでしょうね。この家の冬は初めてですか?」
「え……ええ……」
「もしかしたら毎年来てたのかもしれませんよ」
「……なんだか……そう聞くと可哀想ですね…………」
奥さんが困惑した表情を浮かべると、すかさず萌江が提案する。
「一冬……お願いできませんか?」
「え?」
「屋根裏に使っていないお布団とか入れてあげれば、それだけで足音は軽減しますよ。それと餌だけあげれば悪さはしません。むしろネズミは近付かないでしょうね」
「……そうですね…………なんだか追い出すのも…………ねえ」
「最初の餌代は私が出します。今回の報酬はいりません。それでどうですか?」
「いえいえ、さすがにそれは…………」
「屋根裏覗いただけですから」
そう言って萌江は笑顔を浮かべた。
その話を聞かされて、咲恵も笑うしかなかった。
「しかもその後、みっちゃんが慌ててキャットフード買ってったんでしょ?」
「うん……私を咲恵の店に降ろした後でね」
「報酬をもらわずに餌代置いてくるなんて、萌江もお人好しだねえ」
「猫も生きてくのに必死なんだよ……それにまさか屋根裏覗いただけでお金は取れないし」
「でも家主がいい人で良かったじゃない」
「そうだね。その内家の中で飼いそうだし。それならそれでいいことだよ」
「だね」
「何か食べる?」
萌江は立ち上がると台所へ向かう。さっき冷凍庫から出した鶏肉をビニール袋にしまうと冷蔵庫に入れた。
──……後で覗いて無くなってたら、またあげよう
「昨日作った鶏肉のトマト煮があるよ」
「もちろん食べます」
その咲恵の明るい声に、やっと萌江の顔にも笑顔が浮かぶ。
そして外が薄暗くなり始める頃、萌江は猫用の鳥肉を再びほぐしていた。
☆
翌日、萌江と咲恵は電話で叩き起こされる。
朝の冷え込みが強くなってきた。同時に布団から出るのが億劫になる季節でもある。夜までの薪ストーブの暖かさが僅かに残る寝室で、それでもお互いに布団から出るきっかけを探していた。
そんな時の着信音。
『これから時間ない?』
「ないなー」
西沙からの久しぶりの電話にあっさりと即答しながら、萌江はスピーカーモードに。
『早いでしょ』
「だってウチに転がり込んできた子がいるからさー」
『何よそれ! 浮気してるの⁉︎ 咲恵にバレたらどうすんのよ!』
「大丈夫。咲恵も公認だから」
『なにそれ! ドロドロしすぎ!』
隣で笑いを堪える咲恵を見ながら萌江も笑顔で返した。
「猫だよ猫、野良猫」
『そう、それ、今度は猫なのよ』
「まったく意味が分からないのでサヨナラ」
『待って待って待って駅まで来てるんだってば!』
萌江はベッドから降り、眉間にシワを寄せて返す。
「強引だなあ……合意の元じゃないと嫌われるよ」
そして真っ直ぐ台所へ向かった。
『急に大人の話にしてないで早く来てよ!』
「そんなに私に会いたいの? 強引に迫っちゃうよ」
『合意じゃないのでしません!』
「ま、迎えに行ってやるから駅前でコーヒーでも飲んでな」
そして相変わらず強引に萌江は通話を切る。
萌江は昨日用意していた鶏肉を小皿に入れて玄関に向かった。咲恵はコーヒーメーカーのスイッチを押す。
外の空気の冷たさに部屋の中の暖かさを強く感じながら、萌江はそっと縁側の下を覗き込んでいた。昨日より慎重に、そっと。雪こそ降らなかったが、かなり冷え込んだ。やはり不安のほうが大きい。
そこに昨日と同じ大きな目を見付けると、途端に笑顔が溢れた。
──……良かった……食べてくれた。まだ警戒はしてるけど…………
新しい小皿をそっと入れ、空になった小皿を取り出す。
「豆乳も温めて持ってくるね」
バスタオルに包まる黒猫に笑顔を向けた萌江は、段ボールを戻した。
コーヒーの香りが広がるリビングを抜け、電子レンジで少しだけ豆乳を温める。
そこにソファーの上の咲恵の声。
「で? 西沙ちゃん今度はなんだって?」
萌江の表情から猫が無事だったことを感じると、咲恵も自然と笑顔になっていた。
すると萌江が眉間にシワを寄せて応える。
「西沙まで猫がどうとか言ってたけど、もう駅まで来てるから迎えに来いってさ」
「困ったものねえ、強引なのは萌江だけにしてほしいわ……でもどうするの? 猫ちゃん」
「んー……外出しにくくなったね」
「仕事の依頼はいいけど、西沙ちゃんからだと、またどっかに遠出じゃ大変よねえ」
萌江が豆乳の温度を指で確認し、再び玄関へ。
西沙の暮らす街は二つ隣の県。車だと高速を乗り継いでも軽く一時間以上。確かに西沙の霊能力者としての仕事柄あちこちに出向くことも多いだろう。さらに遠い可能性も考えなくてはならない。
戻った萌江は少し考えてから。
「ま、西沙の話聞いてからだね」
そしてパソコンを開いた。
「まずは西沙よりもキャットフードだ」
二人は駅前で西沙を拾うと、喫茶店で話せる内容でもないだろうとの判断で咲恵の店へ。
いつもの夜とは違い、大きな窓から見える景色は昼間の風景。萌江でも昼間に店に入ったことは数えるくらいしかない。今回のような緊急時だけだ。
「日帰り出来る依頼限定でよろしく」
カウンターでそう言い切る萌江に、隣の西沙が噛み付く。
「そんなこと言ったって仕方ないでしょ。場所は私が選ぶわけじゃないんだから」
相変わらず西沙は派手なゴスロリスタイル。寒くなってきたせいか柄付きの黒いストッキング。やはりゴスロリでも冬のファッションコーデは重ね着があるらしく、自然と夏場よりも派手さに輪がかかった印象だった。昼間の繁華街ではかなり目立つほうだろう。
咲恵の店に移動した理由の一つにはそれもあった。
二人の前にコーヒーのマグカップを置いた咲恵が二人の会話に挟まる。
「それもそうね」
昼間だというのに自然と定位置のカウンターの中から咲恵が続けた。
「いきなり訪ねてくるなんて、よっぽど緊急なの?」
すると、西沙が待ってましたとばかりに身を乗り出す。
「連続殺人事件」
「まさか…………最近ニュースで騒いでるとこ?」
「うん……〝猫神様の呪い〟」
「あれか」
西沙の隣でそう口を開いた萌江が溜息混じりに続けた。
「テレビで霊能力者がどうとか言ってたけど、あんただったの?」
横目で冷ややかな視線を向ける萌江に、西沙も少したじろぐ。
「いや……まあ、私もそうだけど、私だけじゃなくて…………」
「みたいね。胡散臭さがプンプンしてるじゃん」
すぐに返した萌江がコーヒーを口にしながら視線を戻した。
西沙は肩を落としながらもコーヒーを一口。
萌江が一般的な霊能力者を嫌っていることは知っていた。西沙自身、初めて二人に会った時は何も言い返せないほどに打ちのめされた。ただ、だからこそ二人に心酔したとも言える。
萌江と咲恵の存在は、西沙の考えを大きく変えた。そしてなにより、そのことに西沙は感謝している。
その西沙が軽く息を吐いてから返した。
「まあ……その通りなんだけど……実際に一ヶ月で五人も死んでる…………」
「そこの街じゃちょっとしたパニックになってるってニュースではやってたけど、さすがに大袈裟なんじゃないの?」
萌江はそう返しながら隣の西沙に細めた目だけを向ける。
しかし西沙も負けじと応えた。
「まあパニックってのはさすがにあれだけど、地元の新聞とかテレビでは毎日特集してるね。一応警察としても注意喚起はしてるけど…………マスコミが煽ってる感じかな」
「西沙もそれで呼ばれたんでしょ? ギャラいいの?」
「実はね。何気にマスコミ各社の霊能力者競争になってる」
「そういうことか。あんまり関わりたくないなあ」
するとカウンターの中から咲恵の溜息が聞こえ、萌江と西沙が視線を送ると、その咲恵がゆっくりと口を開いた。
「まさか愚痴こぼすために新幹線でわざわざこんな遠くまで来たわけじゃないんでしょ? 私たちに相談するってことはそれなりの理由があるってこと?」
すると西沙はコーヒーを大目に喉に押し込んでから、ゆっくりと応える。
「あそこに呼ばれた他の同業者見てるとさ……みんないかにもな格好して数珠とか振ってるだけ…………それでも何も解決しないままに先週ついに五人目の犠牲者が出た…………お札貼って解決するならもう終わってるはず。元々は三年前に吸収合併された限界集落の祠が事の始まり────」
☆
地方とは言っても、そこは県庁所在地でもある中核都市として発展してきた街だった。
首都圏からのインフラの中継地点としての役割も担っている。そんな街が北側の山沿いに位置する小さな村を吸収合併することになったのは三年前。
起伏の激しい山間部。村とは言ってもいくつもの限界集落を抱えるような所だ。村に吸収合併を断る理由などない。むしろ表向きは歓迎された。村が市になることでお金の流れも変わる。
それでも、その中の限界集落の一部から反対が無かったわけではない。
しかしその言葉に力があるわけでもなく、吸収合併と共に市からは立ち退き要求が始まった。そのエリアは公共事業によって掘り起こされ、新しい新興住宅街を作るための計画地でもあった。もちろん金銭的にもそれなりの待遇ではあったが、そう簡単に故郷を捨てられるわけもなく、住民たちは市に対して一つの要求を出した。
〝猫神様の祠を神社に頼んで移動してほしい〟
市は快諾した。
しかし祠は移されなかった。
取り壊され、土に埋められただけ。
元住民たちが、移されたという神社に行っても何もない。そもそも移す話すらどこの神社も聞いてはいないという。住民たちは抗議したが、そもそも立ち退きで引っ越したその集落の元住民は五人だけ。しかも事を騒いでいるのはその内の三人。
行政が動くはずもない。
問題が燻り出したのはそれから。
公共事業としての新開発地区での工事が滞り始めた。あまりにも事故が多く、関係していたほとんどの業者で死者まで出す始末。二年程度の工事にしては犠牲者が多すぎた。
マスコミは当然のように管理の杜撰さを指摘するが、行政は大規模な工事だからと跳ね返し続けるだけ。
そして元住民たちが〝猫神様の呪い〟だと騒ぎ出すと、マスコミはすぐに食いつく。
マスコミとして必要なのは、それが事実かどうかではない。ネタになるかどうかということだけだった。
呪いや怨念といった、人々が興味を持ちそうな言葉でマスコミが事を大きくしていく。
地元新聞社も各ローカルテレビ局も、まるで競争でもするかのように全国から霊能力者と呼ばれる人たちを街に招いた。
西沙は四人目として呼ばれたが、若く派手な印象の西沙は当然のように注目度も高い。
同時に他の霊能力者からは良く思われていないようだった。ローカルのテレビ番組で名指しで非難されるほど。普通に見ればただのやっかみににも見えるが、マスコミにとってはそれすらもネタの一つでしかない。
もはや安っぽいエンターテイメントと化していた。
やがて、最初の殺人事件が起きる。
犠牲者は一二才の男の子。
久宝隆史。
地元で大きな地主だった家。
夜に自宅敷地内の蔵の中で殺されているのが見つかる。
死亡推定時刻はその日の一二時から一八時頃。
両目を尖った物で刺され、喉を鋭利な刃物で横一文字に四カ所切り裂かれていた。
失血死の可能性もあるが警察からの発表はショック死。
あまりに残酷な殺され方に新たなマスコミの話題となったが、その事件と〝呪い〟を結びつけたのは、あの住民たちだった。
〝まるで猫が喉を切り裂いたようだ〟
と言ってマスコミを焚き付けるが、さすがのマスコミも強引過ぎると思ったのか、あまり二つの事象を結びつけようとはしなかった。
そのマスコミが一気に食い付いたのは、二人目の犠牲者が出てから。
五三才の主婦。
吉田春子。
ごく普通の中流階級の家だ。旦那は長年公務員として市役所に勤め、長男と長女はすでに社会人として家を出ている。狭いながらも一軒家に暮らし、自身は地元のお菓子工場で長年パートを続けてきた。パートとは言ってもそれなりに仕事を任せられて人望もある。
早番の勤務が多いために、春子はいつも夕方には買い物を済ませて自宅に帰る。死亡推定時刻はその頃だろうとみられた。発見者は夜の六時に帰宅した夫。
リビングで倒れ、両目と喉から大量に出血している妻を見付けた。
マスコミでも猟奇連続殺人事件として盛り上がる。
改めて〝呪い〟の話が出始めると、話題は一気に全国区に広がった。
その時点で街に残っていた霊能力者は西沙を入れて二人。再びマスコミの脚光を浴びることになるが、新たに集められた霊能力者の参入で、側から見ればまるで町おこし。
マスコミはこぞって〝猫神様〟の歴史を取り上げ始めた。
しかし西沙は独自に調べ始める。マスコミが作り上げるものは、心霊スポットの根も葉もない噂話と変わらなかった。それまでの経験から、尾鰭をつけることが仕事なのだろうと西沙は思うようにしていた。
街の歴史を調べるために、西沙は街の大学の郷土資料室を訪ねた。
しかし限界集落に関する歴史はまばらな物ばかり。
東京の大学まで訪ねてまとめた直後、三人目の犠牲者が出る。
地元で一番大きな地方銀行の銀行職員。
奥田秀一。
三五才。
五年ほど前に結婚したばかりで、まだ幼い娘がいた。銀行に勤めてから一〇年以上。
その日も秀一は仕事を終え、まっすぐ自宅へ向かっていたと思われる。
時刻は夕方。いつも通り自宅まで街中の大きな公園を抜けて帰っている途中、その公園内の公衆トイレの中で殺害された。発見は殺害直後。殺害方法は今回も同じ。
しかし、殺された三人には何の繋がりも見付けられなかった。
それだけにマスコミの霊能力者合戦も激しくなる。
集落の祠の歴史がかなり古い出自であったことも〝呪い〟を盛り上げることに一役買っていたのだろう。
事の起こりは戦国時代。戦で城を追われた殿様と配下の侍たちが逃げ延びた所が現在の集落跡地。当時の集落の人たちとも良好な関係を築いていった。
その集落までの道案内をしてくれたのが〝一匹の黒猫〟だったということで、侍たちは村に祠を建てて〝猫神様〟として祀った────というのが基本的な歴史だった。
「でもまあ、あくまで伝承ってやつだから、そんなに簡単な話じゃなかったとは思うんだけどね」
西沙はそう言ってマグカップのコーヒーを飲み干して続ける。
「詳細は分からないけど、今のままじゃ〝御伽噺〟レベル。だいぶ作られてる部分はあると思うよ。そもそも城を追われた御殿様が誰なのかも文献には記載されていない」
そこに咲恵が声を掛けた。
「コーヒーのお代わりは?」
「お願い。あんまりコーヒーって飲まないけど美味しいね、これ」
咲恵はコーヒーメーカーのポットからコーヒーを注ぎながら返していく。
「でも、事実として古い祠はあったわけでしょ?」
「うん、写真も残ってる」
「猫を祀ってる神社なら結構あるけどね」
「そうだね。実際地元の神社からも市役所に抗議の電話はいくつかあったらしいよ。そんなことしちゃダメだって…………そこに元住民の訴えもあってさらに盛り上がってるところに、四人目の犠牲者」
四人目は地方議員の次男。
二階睦夫。
二五才。
遺体の発見は早朝の繁華街の裏路地。
検死の結果だいぶ泥酔していたことは分かったが、やはり殺害方法は同じ。
地方でも長く務めていた有名な議員の息子だっただけに、警察も今まで以上に力を入れざるを得ない。それに合わせるようにマスコミの報道も加熱した。
またしても犠牲者同士の繋がりは皆無。
そして先週、五人目が見付かる。
小林豊。
四〇才。
警察官。
発見場所は繁華街近くの公園。死亡推定時刻は発見された深夜一時の直前。
休みの前日の仕事終わり。泥酔状態ではあったが、やはり殺害方法は同じ。
「元住民は早く新しい祠を作るように行政に掛け合うんだけど、当然取り合わないまま。行政が〝呪い〟を認めるってのも、書類に判子を押す理由にはしにくいだろうしね」
そう言って西沙は大きく溜息を吐いて続けた。
「他の霊能力者はお祓いとか言ってカメラの前でパフォーマンスしてるけど、出てくる言葉は〝呪い〟とか〝祟り〟だけ。あれじゃ〝呪いビジネス〟だよ。私は何かが違う気がしてここに来た」
すると、ずっと話を聞いていただけの萌江が口元に笑みを浮かべる。
西沙が続けた。
「うまく言葉に出来ないけど……何か違うよ…………あれは完全に〝人間の殺し方〟って感じがする…………だとすれば犯人は必ずいる…………ただの〝勘〟みたいなものだけど、私だってそれなりに感じてるし…………」
「ふーん」
そう言って西沙に顔を向けた萌江が続ける。
「私たちの取り分は?」
「テレビ局には解決したらって言ってあるけど……一応一〇〇は出すって言ってるし…………二割で…………」
西沙は小さく指を二本立てて萌江の顔色を伺った。
萌江は笑顔を向けたまま何も応えない。
西沙が続けた。
「こ…………交通費と宿泊代別で…………三割…………」
「────乗った。その代わり二人で行くからホテルはいい部屋でね」
「え?」
その声は咲恵。
すぐに反応した咲恵がそのまま続ける。
「ちょっと……何日掛かるかも分からないのにお店どうするのよ⁉︎」
「大丈夫だよ。今日は月曜日。週末までには帰ってこれる」
「……まあ…………萌江がそう言うなら大丈夫だと思うけど…………」
ある程度、萌江が先のことが見えているのはいつものこと。もちろん咲恵もそこは信用していた。
「今回は咲恵がいなきゃダメ。そして遠出するならさっさと解決して帰る。我が家の〝猫神様〟が待ってるからね」
萌江が咲恵にそう返すと、西沙が呟くように挟まる。
「猫? ああ……そんな話してたっけ。でも野良猫でしょ?」
それに返すのは咲恵。
「……これが可愛いのよ」
「野良猫だったら別にそのままでも…………」
そう言った西沙に即答するのは萌江。
「やっとあそこまで辿り着いたんだよ…………ご飯くらいは食べさせてあげたいじゃん」
「萌江ってそんなに優しかった?」
「だから西沙も惚れたんでしょ」
「そういうのじゃないから」
☆
そのまま西沙は夜の新幹線で戻った。
いつものように店を他の女の子たちに任せ、萌江と咲恵は一度山の中に戻る。
途中キャットフードを買って自宅に戻ると、黒猫はそのまま縁側の下。
大き目の皿に多目にキャットフードを入れ、豆乳も多目に用意した。
「食べ過ぎちゃダメだよ。すぐに帰ってくるからね」
二人は最低限の準備だけをして駅に向かった。
すぐに解決するという萌江の言葉を、咲恵は一切疑う気はなかった。萌江はいつも先が見えている。萌江が言うのならそれほど日数はかからないのだろう。
むしろ問題は周りの霊能力者だった。そういう職業にありながら、萌江や咲恵のような人間を受け入れる人間はそうはいないだろう。西沙ですら最初は反発しかなかった。現在のような心酔ぶりまでは想像していない。
その萌江と咲恵が同じ土俵にいると気付かれると面倒なことになりかねない。西沙と行動するのならマスコミ対策も必要になるだろう。
「面倒なことに巻き込まれなきゃいいけど…………大丈夫?」
咲恵が新幹線の中で隣の萌江に声をかけると、直後、萌江の頭が咲恵の肩に乗った。
小さく寝息を立てる萌江の寝顔を見ながら、自然と咲恵の顔がほころぶ。
──……なんとか、なりそうだね…………
その街に到着した時は、すでにだいぶ遅い時間だった。
☆
思えば、おかしな家だった。
俗世からは完全に隔離された世界。
世の中のことなど何も知らない。
知らないからこそ、何も疑問になど思わなかった。
自分の家が裕福な家であることは、学校への往復の間の車から見える世界の景色でなんとなく分かってはいた。他は家も小さく、服装もどことなく自分や両親とも違う。仁暮家は特別な家なのだろうと感じていた。
それが仁暮志筑の、物心がついてからの古い記憶。
家族は両親だけ。
兄弟姉妹はいない。
そして、友達もいなかった。
中学に通うようになっても学校で会話をしていいのは教師だけ。
小学校も中学校も小さな学校だった。元々が小さな街。生徒は志筑の他は五人だけ。誰ももちろん友達ではない。そもそも友達という概念を志筑は持っていない。
ずっと、与えられる情報は両親からだけ。
そして、家族以外に唯一心を通わせられたのは、一人の家庭教師の男性だけだった。
「かなざくらの古屋敷」
〜 第七部「猫の目」第2話(完全版)へつづく 〜