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第四部「罪の残響」第2話(完全版)

 その洋館は明治めいじ二五年から空き家のままだった。

 そして佐江咲さいざき平吉へいきちがその洋館に移り住んだのは明治めいじ三二年。

 平吉へいきちは大日本帝国陸軍の陸軍大佐だった。

 当地への転属を機に、かつての日清にっしん戦争での功績を評価され、空き家となっていた洋館を与えられる。

 家族は妻、帝国陸軍に入ったばかりの長男と陸軍学校へ通う次男。他は使用人が一〇人。

 最初に体調不良を訴え始めたのは使用人だった。次々とひまを与えて国元くにもとへ返し、その都度新しい使用人を入れるが、なぜか入れ替わりは激しかった。

 妻が寝込むようになり、次男も体調不良を訴え始めたのは明治めいじ三七年。

 しかしその年には、平吉へいきちと長男は日露にちろ戦争へ赴くことになる。

 二人は翌年無事に帰国するが、直後に妻と次男は病院で次々と命を落としていった。

 使用人が次々と減っていく中、平吉へいきちが体調不良を訴えたのは年号が大正たいしょうに変わった頃。

 程なく長男も体調を崩し、大正たいしょう三年、二人も病院で亡くなる。

 再び民間の不動産業者が土地と建物を買い取るが、資産価値の割には決して高くはない金額でしかなかった。





「ひ…………久しぶりね…………萌江もえ

 西沙せいさはそう言いながらも、その視線は僅かに萌江もえからズレている。

「まあ…………しょっちゅう電話で話してるしね」

 呆れ顔で応える萌江もえに、なぜか西沙せいさは近付かない。

 すると咲恵さきえ萌江もえの耳元で囁く。

西沙せいさちゃんってあれ? 面と向かうと話せないタイプ?」

「そんな感じみたいだね」

 そう返した萌江もえは大きく溜息ためいきいて続けた。

「で? なんでこんな所にいるのよ……あそこからって新幹線でも結構かかるよ」

「し……心配だから来たんでしょ!」

「でも杏奈あんなちゃんに紹介した仕事じゃん。わざわざ来るなら────」

「だって…………私だけじゃ…………多分、手に負えない…………」

 しだいに小さくなった西沙せいさの声に、萌江もえは声のトーンを柔らかくしていた。

「そんな弱気なんて珍しいじゃない」

 すると、西沙せいさはやっと萌江もえの目に視線を合わせ、大股で歩み寄る。

 萌江もえの目の前でその顔を見上げると、声を上げた。

「何も感じないの⁉︎ 嫌な予感がするんだってば! 紹介した時は萌江もえに会いに行く口実が出来るってだけ思ってたけど急に感じたんだってば!」

 直後、すぐ横から咲恵さきえの声。

「やっぱり口実が欲しかったか…………」

「あ」

 反射的な西沙せいさの反応を無視し、咲恵さきえも言葉が溢れる。

「電話であんな会話してるくらいだからねえ」

「なんで咲恵さきえが知ってるのよ!」

「だって萌江もえがスピーカーにしちゃうんだもん」

 そう言って咲恵さきえ萌江もえに笑顔を向けた。

 今度はその萌江もえが声を上げる。

「スピーカー問題よりさあ、どうしてあなたは心霊スポットの廃墟にゴスロリファッションで来ちゃうのよ」

「仕方ないでしょ! 駅からそのまま杏奈あんなの車でここに来たんだから!」

「仕方ないなあ……いつもスカートの多い咲恵さきえですら今日はパンツだよ。怪我しても知らないからね……とにかく……」

 そう言った萌江もえが無理矢理に話題を戻す。

「あまり時間無いんだよね? 杏奈あんなちゃん」

 すると、突然話を振られた杏奈あんなが慌てて返した。

「そ、そうですね…………実は三時頃には警備の警官が戻るそうでして…………」

 その言葉に、萌江もえの口元に小さく笑みが浮かぶ。

「やっぱりか……お金も掛かるわけだ…………でもこんな山の中で警備を続けるってことは、それなりの理由があるってことだよね」

 遺体が発見されたとはいえ、すでに回収済み。それからすでに何日も経過し、現場検証も終了。バリケードテープが存在することが当然とは言え、二四時間の警備体制を崩さないとなると何か隠された理由があると考えるほうが自然だろう。

 しかも周囲には他の建物が存在しない山の中。

 萌江もえの声が呟くように続く。

「何かを感じてるのは咲恵と西沙ちゃんだけじゃないしね……」

「……スピーカーはやめて」

 そう入り込む西沙せいさの声に、萌江もえはゆっくりと首を回していた。

「分かった。その代わり…………今回の解決に全面協力して。私のこれでも────」

 萌江もえは左手を広げて上げる。そこには指にチェーンを巻いた水晶が下がっている。

 その萌江もえが続けた。

「────分からないことがあるみたい。西沙せいさちゃんの力も必要になる…………私に抱かれたいなら協力して」

「いや、抱かれたいわけじゃない」

「断るのが早い」

「そっちは別に興味ない」

「まあいい…………杏奈あんなちゃん、一応聞くけど、黄色いテープの中って入っちゃダメなんだよね」

 すると、杏奈あんながゆっくりと何かを確認するかのように応えた。

「ま、まあ……普通は……ダメだと……思いますけど…………」

「じゃあ私は普通じゃないから入るわ」

 萌江もえはあっさりとバリケードテープを跨いだ。

「まあ、そうなるよねえ」

 そう言った咲恵さきえもテープを跨ぎ、進み始めた萌江もえに続いた。

「もう、凄い人たちだなあ……あ、西沙せいささん、テープ切らないようにお願いしますね」

 そして杏奈あんなも鞄から懐中電灯を取り出してテープを跨ぐ。

 取り残された西沙せいさもテープを跨ごうとするが、身長の低さがあだになった。

「んんーーー」

 どこにもぶつけようのないもどかしさ。

 何事も無かったかのようにテープの下をくぐった西沙せいさは、すぐに三人を追いかけていた。

 壁がほとんど取り除かれているとは言っても、その建物がかなり大きかったであろうことだけは分かる。一番上の屋根までが辛うじて残っている部分を見る限り、階数としては三階建て。決して上の階から崩すわけでもなく、まとめて崩している途中なのだろう。崩れた部分と残されている部分の落差が激しい。

 そんな取り壊しのため、足元となる一階部分を埋め尽くす瓦礫がれきも大小様々。歩きにくいというより、危険が伴うと表現するほうが正しい。

 そんな中を、四人は足元を照らしながらゆっくり進んだ。洋館と言っても時代的に床の木材もかなり弱っている。足を乗せる度に大きく歪んだ。いつ崩れてもおかしくないと思えるほど。それだけに神経を削らざるを得ない。

「元々さあ」

 歩きながら口火を切ったのは咲恵さきえだった。

「今さらだけど、どうしてここを取り壊そうとしたの?」

 応えるのは杏奈あんな

「ここら辺の山を削って大きな道路を通したいらしくて……つまりはバイパス開拓の公共事業ですね。行政がここの所有者を探すのも大変だったみたいですよ。あちこちの不動産屋を書類だけで渡り歩いてたみたいで、やっと見つけた時には不動産屋ですら存在を忘れるくらいに書類の中に埋もれてたそうです」

「こんな山の中だしねえ……昔ならいざ知らず、住みたがるのは変わり者だけだよねえ」

 咲恵さきえがそう呟くと萌江もえがすかさず返していた。

「変わり者で悪うございました」

「私は変わり者が好きなので」

「だよねえ」

 そこに杏奈あんなの説明が続く。

「道路工事と並行してここの解体が進んでいたようなんですけど、偶然床が崩れて地下室が見付かったそうでして」

「それがここ?」

 そう言って足を止めたのは萌江もえだった。他の三人も釣られて足を止めた。

 床の木材が大きく剥がされた跡も見えるが、それほど大きな地下室でもないようだ。深さは二メートルも無いように見える。しかも手彫りなのか、土が剥き出しのまま。

「地下室って言うより、地下空間って感じね」

 そう続けた萌江もえの左手の水晶が熱い。

 その萌江もえは懐中電灯で穴のあちこちを照らし始める。

 すぐ横では杏奈あんながショルダーバッグから一眼レフカメラを取り出していた。

 それを見た萌江もえが言葉を向ける。

「写真は出来るだけ詳細にお願い。もうここに来れるチャンスは無いしね」

「……分かりました。発見から今日まで雨が降らなかったんで助かりましたね」

 応えた杏奈あんながシャッターを推し続ける。素人目に見ても扱い慣れた印象だった。手の動きも早い。

 萌江もえは口を開き続けた。

「何か箱みたいな物を置いてたね、あそこ」

 穴の奥に懐中電灯を向けて続ける。そこには四角い物を置いていたかのように跡がついていた。

「ということは…………この地下は遺体を隠すために掘られた空間じゃない。杏奈あんなちゃん、お願いしてた白骨遺体の情報は?」

 杏奈あんなはシャッターを切り続けながら。

「警察からの裏情報なんですけど…………身に付けてた衣服からの予測だと、日本人じゃないだろうと見てるみたいです。服の年代測定は明治めいじ維新前後。遺体は男性が一人、女性が一人、子供が三人…………ここで暮らしてたイギリス人家族と一致します。でも公式にはみんな病死なんです。しかも遺骨は火葬してイギリスに送られています」

「火葬? どうして…………ウソ」

 そう、小さく、呟いたのは咲恵さきえだった。

 そして続く。

「……ああ…………分かったかも…………」

 咲恵さきえの声に、場の空気が張り詰めるのを誰もが感じていた。

 そこに切り込めるのは萌江もえだけ。

「遺体がイギリス人家族だとしたら、その後に暮らした人たちは地下の存在すら知らなかった可能性が高いよね。だから埋められたままだった……でも元々何かに使われてた空間なのにその入り口は隠されてた…………イギリス人家族が使っていた秘密の空間…………何かを隠してたか…………」

「────西沙せいさちゃん⁉︎」

 咲恵さきえの叫び声が再び空間の主導権を握り、一気に張り詰める。

 次の瞬間には咲恵さきえが倒れかけた西沙せいさの体を支えていた。西沙せいさは力なく咲恵さきえの腕に捕まりながらも、まだ意識はある。その西沙せいさが呟いた。

「……大丈夫…………あまり知られたくないみたい…………入りかけたけど躊躇ちゅうちょした…………」

 そこに声を掛けるのは、半ば呆然とする杏奈あんな

「どうしたんですか…………西沙せいささん…………」

 その声は僅かに恐怖で震える。杏奈あんなにとっては始めて見る西沙せいさの姿だった。

 それに応えたのは咲恵さきえ

「大丈夫…………この子は憑依ひょうい体質だから…………」

 そこに萌江もえの呟きが聞こえる。

「…………誰だ…………見えない…………何かを守ってる…………」

 そして、その萌江もえが突然走り出した。

咲恵さきえ! 西沙せいさを頼むよ! 杏奈あんなちゃん来て!」

「は、はい!」

 あたふたとしながらも杏奈あんな萌江もえを追いかける。

 建物のエリアから外に出た二人は、井戸の前にいた。

 周囲には何もない。その当時のことを考えると、夜は決して近付く人間はいなかっただろうとさえ思えた。

 井戸にはふたがされたまま。そのすぐ横に倒れているのは組み上げ用の機械だったのだろう。全体がび付き、所々が崩れかけている。

「ねえ杏奈あんなちゃん、何か小さい袋とか持ってない?」

「袋ですか?」

「出来ればビニール袋か、何かの容器でもいい」

「待ってくださいね」

 杏奈あんなは雑草の中で膝をつくとショルダーバッグを開いて手を入れた。

「これで大丈夫ですか?」

 杏奈あんなはSDカードを何枚も入れた小さなジッパー付きのビニール袋を取り出して続けた。

「雨で濡れると困るんでいつもこうして持ち歩いてるんですよ」

 杏奈あんなは袋のチャックを開けると中身だけをバッグの中に戻して萌江もえに渡す。

「どうぞ」

「ごめんね。助かる」

 萌江もえは汲み上げ用の機械に近付くと、膝をついて蛇口に手を近付けた。

 そして、すぐにその体が止まる。


 ──……触れない…………


 萌江もえは素早く近くの石を拾うと、蛇口にこびり着いた水垢みずあかを削り始めた。それをビニール袋に入れるとチャックを閉じ、そして小さく息を吐いた。

「ありがとう杏奈あんなちゃん……戻ろう…………西沙せいさが気になる…………」

「はい…………」

 二人が戻ると、完全に西沙せいさは意識を失っていた。

 咲恵さきえに抱えられたまま。

 その光景に、杏奈あんなが不安気に寄り添う。

 先に口を開いたのは、萌江に顔を向けた咲恵さきえだった。

「ごめん……私が無理に降ろさせた…………〝この人〟はアクセスしたがってる…………」

 そう言って続く咲恵さきえの声が僅かに震える。

「一人……見えない人がいるの…………何かを守ってる…………見られたくないみたい…………」

 それにすぐに萌江もえが応えていた。

「うん…………その人なら私も感じてた…………」

 直後、口を開いたのは西沙せいさ

 しかもそれは聞いたことのない男の声。少なくともその場の三人にはそう思えた。

「〝…………許せなかった………井上いのうえ様になんと…………報告すれば……………〟」

 そして低いうめき声。

 杏奈あんなはその光景に震えながら膝を落としている。初めてみる光景であれば無理もなかった。人間の声や表情、その雰囲気が明確に変化するというのは普通に生きていて目に出来ることではない。オカルト関係の取材をしている杏奈あんなのような人間でも、意識的にそれを取材しにでも行かない限りは見ることはないもの。テレビで取り上げられているように簡単にそんな現場は存在しない。しかもその多くは演技で作られるもの。少なくともこの場で西沙せいさが演技をする理由は見当たらない。

 西沙せいさとの付き合いの中でも何度か驚くような経験はしていたが、その時は第三者としての西沙せいさがいた。その場を掌握しょうあくする立場の西沙せいさが隣にいた。だからこそ驚きはすれど怖くはなかった。

 やがて萌江もえ西沙せいさの額に左手の水晶を当て、しばらくし、その萌江もえが口を開く。

咲恵さきえ西沙せいさを起こせる? もう行こう……多分、分かった…………」

「…………うん」

 咲恵さきえ西沙せいさの頭に手を乗せると、その体が小さく動き、その目が開く。

 一瞬だけ驚いたような顔をするが、すぐにその表情は本来の西沙せいさの顔に。何が起こったのか、西沙せいさは理解していた。分からないのはその内容だけ。

 そして萌江もえの顔を見上げて一言。

「…………分かった?」

 そしてなぜか、西沙せいさの左目から、涙が一筋。

「うん。行こう。やっぱり西沙せいさのおかげで助かったよ」

 そう言った萌江もえは、西沙せいさに優しい顔を向けながら立ち上がった。





 西沙せいさ杏奈あんなは駅前のビジネスホテルへ。

 萌江もえ咲恵さきえも一度咲恵(さきえ)のマンションに戻る。

 帰るなり萌江もえは冷蔵庫を開けた。中から缶ビールを取り出すと咲恵さきえに声をかけた。

「呑む?」

「うん……私も付き合おうかな…………」

 時間はすでに早朝の四時近く。夜形の生活スタイルとはいえ、いつもならアルコールを呑み始める時間ではない。

 それでも咲恵さきえも呑みたい気分だった。リビングのソファーに深々と腰を降ろし、大きく息を吐く。体が重いのとも違う。

 感情が重い。

 そう感じた。

 缶ビールを両手に持った萌江もえが隣に、沈み込むようにソファーに座り込むと、妙な安心感が咲恵さきえを包んだ。

 お互いにビールの一口目を喉に押し込むと、やっと言葉が溢れ出す。

 最初は咲恵さきえだった。

「まずいね…………どうする?」

 缶ビールを開けた瞬間のように、返す萌江もえの言葉にも迷いはない。

「……そうだね。でも説明しないと…………杏奈あんなちゃんも納得出来ないんじゃないかな」

「確かにね…………でも今回は手を引くでしょ?」

「引くしかないよ…………最終的に解決はない。もちろん不確定な部分はあるから憶測で埋めるしかない部分はあるけど…………もちろんさっき杏奈あんなちゃんに頼んだ分析結果が出てもそれは変わらない…………」

「私たちなりに結果を出したら終わり…………今回はそれでいいよね…………」

「うん…………杏奈あんなちゃんにもらった資料見ながら私がまとめておくよ」

 そして萌江もえ咲恵さきえに顔を向けて続ける。

「明日…………送ってもらっても大丈夫? 手間かけさせるけど…………」

「いいよ…………戻っちゃうんだね…………」

 咲恵さきえ萌江もえに軽く目だけを向け、そして小さく続ける。

 常に予測出来ていたこと。いずれそうなることが分かっていたこと。

「…………もう一日……」


 ──……子供じゃないんだから…………


 言葉と共にそう思った咲恵さきえは、唐突に笑顔を作り、自分の言葉を否定する。

「ごめん…………冗談」

「……集中したいからさ……ごめんね……一週間後にあの家で…………」

 萌江もえはビールを一気に呑み干した。

 そして、咲恵さきえの手に、自分の指を優しく絡めていく。





「はー」

 咲恵さきえの大き目の溜息ためいきに合わせるように、次いでロックグラス片手のリョウが溜息ためいきいて言葉を吐いた。

辛気しんき臭いわねえ。前のスタイルに戻っただけじゃないの」

 カウンターの中で再び溜息ためいき咲恵さきえの口が小さく応える。

「……そうだけど」

「顔に寂しいって書いてあるわよ」

「…………そうだけど」

「久しぶりに何日も一緒にいたから、前の状態に戻ったら寂しくて仕方ないんでしょ?」

「………………そうだけど」

「なんで一緒に暮らさないのよ」

「……色々あったのよ…………」

 まだ早い時間だというのに、珍しく咲恵さきえもウィスキーを舐めていた。

 そしてその言葉は嘘ではない。子供のようだと感じながらも、やはり寂しいという感情を隠すことも出来ずにいた。もちろんそれは同業者だけが目の前にいる状態だからでもあった。お互いに仕事の愚痴を溢すことの出来る数少ない間柄。

 咲恵さきえは意味もなく手を揺らし、それに合わせるようにしてグラスの氷が小さく音を立て続けていた。

「元々週に一回はその……山の中? にママが通ってたんでしょ? よっぽどだわそれ」

 そう言葉を投げかけるリョウに、咲恵さきえは素早く投げ返していく。

「何がよ」

「クールなつもりでいるのかもしれないけど追いかけてるじゃない」

「私が? 私はちょっと寂しいなってだけで追いかけてるわけじゃ…………」

「あの子と一ヶ月会えないとしたら…………耐えられる?」

「一ヶ月…………?」

「ずっと、とかって質問は極論だと思うからしたくないけど、どうよ」

「……一ヶ月は…………」

「そうでしょ? そんなに会わなかったら体がうずいて仕方ないでしょ」

「そうね…………」

「ムラムラするでしょ?」

「……そうね…………」

「我慢出来なくて深夜でも車走らせて会いに行きそうよね」

「…………たぶん…………」

「それを素直に伝えたらいいのに」

 そんなリョウの言葉に、なぜか気持ちのどこかがうずいた。

 普通の関係ではない。そんなことは最初から分かっていたこと。不思議な経験を積み重ね、気が付くと離れがたくなっていた。

 少なくとも咲恵さきえはそう思ってきた。

 しかし今はそれすらも言い訳に感じる。

 何かから逃げようとしたのか、曖昧あいまいな返答が口から零れ落ちていた。

「……あー……うん…………」

「…………それが出来たら苦労しないか」

 そして再びリョウの深い溜息ためいき

 咲恵さきえ溜息ためいきで返しながら繋いでいた。

「……ごめん…………色々と普通じゃないのよ私たちって……」

「え⁉︎ なにか……特殊な性癖せいへきとか…………」

「いや……ちがうちがう」

「男同士も色々あるけど女同士も色々あるのね…………分かるわ……大変よね」

「いや…………ええー…………」

 直後だった。

 店のドアと激しい鈴の音。

 廊下の明るい照明で逆光となり、荒い呼吸でそこに立っていたのは杏奈あんなだった。

 空気の変化を瞬時に感じ取った咲恵さきえが反射的に口を開く。

「どうしたの?」

 その声に、大きく息を飲み込んだ杏奈あんなの口が開いた。

「……西沙せいささんが…………」

 さらにその直後、杏奈あんなの背後から現れたのは由紀ゆき

「きゃー杏奈あんなちゃん! また来てくれたんだー嬉しい…………ってあれ?」

 いつの間にかカウンターから出てきた咲恵さきえ杏奈あんなの手をとって一言だけ。

由紀ゆきちゃん、ごめん…………お店お願い」

「え?」

 咲恵さきえ杏奈あんながけたたましく階段を駆け降りる音が聞こえ、店のドアがゆっくりと閉まった。

 由紀ゆきとリョウは呆然と顔を見合わせ、最初に口を開いたのはリョウ。

「……そういうことなのね…………」

「どういうこと⁉︎」

咲恵さきえ萌江もえに会えない寂しさをあの子で埋めてるのよ」

「……ええー…………会いに行けばいいだけでは…………」


 杏奈あんなの車に乗り込んだ咲恵さきえは、駅前に向かう道中で説明を聞いていた。

「昨日みたいな感じだと思うんですけど変になっちゃったみたいで…………」

 明らかにその声はおびえを含む。昨夜、西沙せいさの初めて見る姿に驚いたが、まだ杏奈あんなの中では未知の世界。もちろん対処の仕方など分かるはずがない。

「ってことは、まだ意識はあるのね」

 その咲恵さきえの緊迫感の籠った声色こわいろがさらに杏奈あんなの不安を押し上げていく。

萌江もえさんに何度も電話したらしいんですけど出ないから私に電話してきて咲恵さきえさんじゃなきゃ対処出来ないって言って」

「遠回りしすぎでしょ」

 やがて到着すると、ホテルのドアを開けた西沙せいさの顔色には生気せいきがない。昨夜と違い、まだ本人の意識はあるようだ。それでも小さな冷や汗の粒が額にいくつも浮かんでいた。

 咲恵さきえは素早く中に入ると、バスローブ姿の西沙せいさを抱えるようにベッドに移動した。

 そのまま西沙せいさはベッドに腰掛けたまま、項垂れたまま肩で息をする。

 そして咲恵さきえは立ち尽くす杏奈あんなに声をかけた。

「ごめん……冷蔵庫にペットボトルのお水とかないかな」

「はい!」

 素早く杏奈あんなはペットボトルを咲恵さきえに渡し、咲恵さきえは蓋を回した。

 いつも強気な態度の西沙せいさがまるで子供のように咲恵さきえに体を預けている。

 西沙せいさに水を飲ませている咲恵さきえを見ながら、オカルトライターとしての経験があるはずの杏奈あんなでも言葉が出ない。


 ──……すごい…………


「ゆっくり飲んで……大丈夫? 少し落ち着いたね」

 咲恵さきえはそう声をかけながら、決して急ごうとはしない。

 しかし西沙せいさが何かを伝えたがっているのは、杏奈あんなにも分かった。

「…………また……入ってこようとして…………」

 その西沙せいさの声はか細い。

 咲恵さきえは優しく西沙せいさの背中に手を置いたまま返していく。

「……ゆっくりでいいよ…………この間の人かな…………」

「たぶん…………入ろうとするんだけどやめて…………また入ろうとしてやめて…………何度も繰り返すから……気持ち悪くて…………」

「…………んー……そっか…………」

 直後、ベッド脇に置かれていた西沙せいさのスマートフォンの着信音が鳴り響く。

 画面には〝萌江もえ〟の名前。

 西沙せいさが画面に指を触れるよりも早く、咲恵さきえの指が触れていた。

「あ、ごめん、私」

 そう言った咲恵さきえは素早くスピーカーモードに。

『は? 咲恵さきえ⁉︎ なんで⁉︎』

杏奈あんなちゃんが教えてくれたの。西沙せいさちゃんが大変だからって────」

「なんで電話に出ないのよ!」

 叫んでいたのは西沙せいさだった。

『シャワー浴びてたんでしょ。三〇分の間に四一回もかけないでよね』

 そこに挟まったのは咲恵さきえだった。

「まあまあ、西沙せいさちゃんもそれだけ苦しかったってことだよ」

『そもそもこの間とは違う人じゃん』

 その萌江もえの声に、咲恵さきえ西沙せいさは顔を見合わせた。

『二人がかりで気が付かないってどういうことよ⁉︎ この間の人と関係のありそうな人だけど…………同じように知って欲しい気持ちと秘密にしたい気持ちがせめぎ合ってる…………でも完全に別人。さらに相関図は複雑になるねえ…………とりあえず、今回の仕事は相手が大き過ぎるから、二人とももう少し気持ちを引き締めて。そのくらいなら二人で押さえ込めるはずだよ。じゃ、私はこれからお酒を飲んで資料の整理に入るので、あとよろしく』

 あっさりと電話が切れた。

 その光景に杏奈あんなは思っていた。


 ──……撮影しとけばよかった…………





 伊澄いすみ十郎じゅうろうは地元ではかなり大きな地主として有名だった。

 その十郎じゅうろうが洋館の建物と土地を買い求めたのは大正たいしょう十二年のこと。

 長男夫婦に子供が産まれたことを機に、十郎じゅうろうはその洋館を長男家族に進呈する。

 街中からは少々距離があったが、それほどの立派な洋館は日本国内でも早々ある物ではない。伊澄いすみ家を継ぐ者としては恥ずかしくない御屋敷だった。

 しかし、異変は住み始めてすぐに起きた。

 長男の重信しげのぶの様子がおかしいという使用人からの報を受けて十郎じゅうろうが屋敷に向かうと、屋敷の中で一番広いリビングのソファーに腰掛けた重信じゅうろうが、頭を項垂うなだれたまま動かない。

重信しげのぶ、どうしたというのだ。お前がおかしいと電話をもらったが────」

 十郎じゅうろうがそう言ってソファーの重信しげのぶに近付く。

 そしてその十郎じゅうろうの耳に届く小さな声。

 それが重信しげのぶの声であることに気が付くのには、少しだけ時間がかかった。

 重信しげのぶは床を見つめたまま、何かをブツブツと呟いている。

 十郎じゅうろうはその姿に足を止め、狼狽うろたえた。

「────なんだ…………どうしたんだ重信しげのぶ…………」

 気持ちの奥底に湧き上がるのは不安だけ。

 そこに背後からの声。

御義父様おとうさま…………」

 重信しげのぶの妻、スミだった。少し前から体調を壊して病床に伏せっていた。十郎じゅうろうが振り返ると、そのスミが使用人の肩を借りて立ち、続ける。

「……すいません…………私がこんな体なばかりに重信しげのぶさんが…………」

「スミ……一体何があったのだ……?」

 十郎じゅうろうはそう言うとスミに近付く。

 すると、スミが叫んだ。

「私に近付いてはなりません!」

 十郎じゅうろうは再び足を止めて困惑の表情を浮かべるだけ。状況を理解することは難しかった。

 その十郎じゅうろうにさらに届くスミの声。

「私に近付くことを許しているのは、この…………」

 スミは自分の体を支える使用人に軽く顔を向けて続けた。

「…………イヨリだけです…………イヨリも近頃、体調を崩しております…………御義父様おとうさま……この家はのろわれているんです…………」

「何をバカなことを────!」

 そう十郎じゅうろうが声を上げた直後、背後で重信しげのぶの声がする。

「……………………許せなかった…………許せなかっただけなのに…………」

 重信しげのぶは肩を震わせ、その声までを震わせた。

「…………井上いのうえ様に…………なんと報告すれば……………………この国は…………これからなのに……………………」

 十郎じゅうろうはそれから何年もの間、何十人もの医者に二人を診させたが、原因が分からないままに病状は悪化の一途を辿る。それは時代が昭和しょうわに変わっても同じだった。

 そして、二人の間の息子、十郎じゅうろうにとっては初めてとなる孫も寝込むようになる。


 やがて昭和しょうわ一三年。

 重信しげのぶは最初に一九歳になる息子を刺し殺した。

 深夜、使用人もすでに三人しか残っていなかったその屋敷では、重信しげのぶが深夜に徘徊しても気が付く者もいない。

 すでに精神までも病んでいた息子は叫び声すら上げなかった。

 妻のスミも同じ。

 スミはもはや自我を持っていたとも思えないような廃人の姿。胸から流れる血と共に、抵抗もなく床に命を流すだけ。

 物音に気付いて起きてきた使用人を惨殺した重信しげのぶは、自らの喉に包丁を刺して絶命する。

 息子家族がいなくなり、屋敷が無人となっても、しばらく所有は十郎じゅうろうのままだった。

 そして十郎じゅうろうは、それから何年も調べ続けていた。

 それは息子家族を苦しめた病のことだけではなく、屋敷の歴史そのもの。十郎じゅうろうはスミの残した〝のろい〟という言葉の意味を調べていた。何を持って〝のろい〟と表現したのか。一体誰の〝のろい〟なのか。その答えを聞き出す前に、その最前線にいた息子家族は誰もいなくなった。

 やがて伊澄いすみ家の蔵の中から古い手紙を見付ける。手紙と言っても郵送された物ではない。誰に宛てて書かれた物なのかも分からなかった。分かるのは手紙を書いた人物の名前だけ。

 〝大隈おおすみ武揚たけあき〟。伊澄いすみ家の親戚筋に当たるが、大隈おおすみ家は一家離散したと聞いていた。しかもその理由は分からないまま。伊澄いすみ家としても、いつの頃からなのか関わりは持たないようになっていた。

 その手紙を見付けた使用人は、数世代に渡って伊澄いすみ家に仕えていた者だったが、同時に大隈おおすみ家の血筋の者でもある。元々大隅(おおすみ)家を哀れに思った先々代が血筋の者を使用人として召し抱えたということだった。

 その手紙の内容の大半は、大隅武揚おおすみたけあきが秘書官として仕えていた明治めいじ新政府の外国事務総監、井上実美いのうえさねとみに対する懺悔ざんげが大半だった。それと同時に、懺悔ざんげするに至る真実に十郎じゅうろうは驚いた。

 そこには一家が取り潰しとなる理由が記されており、その真実に、十郎じゅうろうは血の気が引く思いがした。いつの間にか体が怒りで震えていく。

「……のろいの家か…………」

 十郎じゅうろうは告発しようと新聞社に駆け込むが、戦争の気運が高まる不穏な時代。

 やがて告発は政府によって揉み消され、国家権力による監視が始まる。

 もちろん告発内容を口外することは許されない。

 一族に箝口令が言い渡された。

 それを理由に土地と建物は強引に徴収され始めた。

 やがて洋館の土地と建物も政府に徴収される。

 戦時中、戦争を理由に伊澄いすみ家の土地は次々と政府に徴収され続け、財産のほとんどを失うこととなった。

 そして戦後となり、洋館と土地は競売にかけられて地元の不動産業者へ。

 時代の大きなうねりの中で、その洋館は忘れられていった。

 そして、そこで暮らそうとする者は、誰もいなかった。





            「かなざくらの古屋敷」

      〜 第四部「罪の残響」第3話(完全版)

                 (第四部最終話)へつづく 〜


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