お名前をどうぞ
ライアンは、いま聞いた女の言葉の『意味』を考えながら、また動き出した女のもつ羽ペンをながめた。
「・・・いまのはなしは、つまり・・・」
「いまのはなしもふくめて、あなたはこの先もこのはなしをほかの人間にしてはなりません。山で獣を食い散らかしたロビー・フォスターは、クスリの中毒者で、自分を『狼男』だと思い込んでいて、スーフ族の男たちを殺したのも彼。サマンサの家に現れた本物の『狼男』の記憶はあの女性たちからはとりのぞきました。 以上です。 とくに質問がなければ、いまのことに同意して、あなたの名前を宣誓してください」
「名前を?宣誓?」
「さっき言いましたでしょう?《音声認識》になって、それが《署名》がわりですの」
女がまた腕輪をならして右手をふると、手にしていた羽ペンは消え、ライアンの顔のまえにとつぜん白い紙がうかびあがった。
『紙』には女がテーブルに記した文字が浮かんでは消えることをくりかえし、ライアンにも読める字をうかびあがらせると、『ここに誓って、 と契約します』と見覚えのある形式になり、そこにはあきらかに署名の欄があった。
「どうぞ」
女が受付係のような声でライアンをうながす。
念のためジョーをみれば太い腕をくんだ男は、注射の順番がきたこどもをはげますような顔をしてうなずいている。
「 ・・・なあコーネル、ここに、おかしな空白があって、それ『と契約します』って書いてあるようにみえるが」
「『狼男』のことを誰にもいわなきゃいいだけだ。はなしたくなったらおれがきいてやる。 あと、《警備官》たちもこれと同じような『契約』を彼女としてるが、とくに支障はなさそうだ」
ローンの契約でもはなしているようなその顔をにらんでから、その視線を女へ向ける。
「おれは、あんたと、この『契約』をするってことなのか?」
一度、結婚という『契約』を、面倒な手順でおえたことを思いかえす。
「ええ。あなたたちがわかりやすいように、わたくしと」
女はにらまれているのに微笑み返す。
「あんたは何者だ?まさか、バーノルドの森の魔女か?」
「まさか。バーノルドの森になんてわたくしたちは足を踏み入れませんわ。 集まるとしたら、こんなレストランか、ホテルのスイートルームってことにしてますの」
赤く大きな口でにっこりとわらう女の横で、《魔女流》の冗談だ、とジョーが微妙な顔で笑っている。
ライアンは、『こんなレストラン』や『ホテル』に集まるのが大好きなわかれた妻と、そのまわりの女たちを思い出して、ひとり納得しながら、やけになったような大きな声で自分の名前を『宣誓』した。