<94>方法
人によって寛ぎ方は異なり、十人十色である。ある人は釣りで寛ぎのひとときを得ようとするし、またある人は旅に、またある人は書画・骨董の収集に、またある人は盆栽に打ち興じる訳である。寛ぎ方の方法に一般常識は通用しない。本人がそれでよければ他人がどうのこうのと言う筋合いではなく、方法は勝手なのである。^^
鹿尾は寛いでいた。他人から見れば変人とも思える寛ぎ方だった。その方法は、他人が捨てた物を拾うのである。拾うだけならただのゴミ屋敷の住人になってしまうが、鹿尾は少し異なった。修理すればふたたび現役に復帰できそうな物だけを拾い、ほぼ使用前の状態になるまで修理するのである。鹿尾の作業場は作業場とは思えないほど光り輝き、高級住宅並みにあらゆる物が使用できる状態で整っていた。作業場のソファーで至福の茶を啜ることが寛ぎを得る鹿尾の唯一の方法だった。
「昭和三十年代のテレビはいいねぇ~。4K、8Kと違って映像が不鮮明なのが、また痺れる。時代劇DVDはコレでないと…」
真空管プリメインアンプで増幅された音声を掘り出し物のスピーカーで[ウーハー・スコーカー・ツイーター・スーパーツイーター仕様]楽しめば、画面は小さくとも鹿尾にとっては映画館そのものだった。
このように、世間からは異常と映っても、法律に触れない範囲の方法で寛ぎを得るのは個人の自由勝手で、他人の出る幕はない訳です。^^
完