<9>壺入り
おそらくは蛸漁の光景から生まれた言葉なのだろう。飲み屋に入り、ズゥ~~っと店に居続けて飲み明かす客の姿を指す言葉らしい。蛸が壺に入ると、こりゃ、いい塩梅だ…と思うか思わないかは別として、居心地の良さにそのまま壺の中へ入り続けるという。寛ぎ気分が味わえる格好の場所に違いない。人の場合もそうで、壺入りする・・という店は寛げる居心地がいい場所と思われる。
宇津保は常連にしている飲み屋の串九で揚げたての天麩羅串を肴に飲み明かしていた。
「いつ来ても、ここの天麩羅は安くて美味いねぇ~」
「へい、有難うございますっ!」
世辞を軽く言った宇津保に店主が、これも言い馴れた言葉で返す。カウンター席で、まずは腹を満たし、それから畳の間で夜っぴいて飲み明かす・・というのが週休前日の宇津保の日課となっていた。開店間もなくからチューハイのレモン割りを数杯飲んだ宇津保は、ほろ酔いから本格的に出来上がっていった。こうなると畳の間である。
「宇津保さん、そろそろ上がられますか?」
「ああ、そうだな…」
客がそろそろ来る頃だった。宇津保は店主に勧められフラフラっとカウンター席を立った。そのとき、ガラッ! と戸口が開き、一見客が数人、店へ入ってきた。
「おっ! 空いてるぞっ!」「だなっ!」
この段階で、すでに宇津保は奥の畳の間へと移動していた。常連の勘である。一見客達がドタドタッとカウンター席へ座ったとき、宇津保は奥の間で大の字になり、しばらく目を閉じて寛ぎ気分を味わっていた。蛸ではなく宇津保の壺入りだった。しばらく経つたあと、店主が酔ったとき用に揚げた天麩羅とレモンサワーを運ぶ手筈が定まっていた。
壺入りして寛ぎ気分を味わうには、長きに渡り、店へ足を運ぶ必要があるのです。^^
完