私のアダ名は「居眠り姫」である。
突発的に書いた短編なので、頭を空っぽにして読んでください。
こういう感じのぼんやりぽやぽや主人公が好きです。
※7/31記載 日間総合ランキング1位、ありがとうございます。とても嬉しいです。
私の名はエマ・アシャール。
この国に住まう貴族、アシャール公爵家に生まれた娘。
アダ名は「居眠り姫」である。
そう呼ばれている理由はといえば、単純に「いつも寝ているから」の一言に尽きる。
さすがに学校の授業中は起きているが、休み時間は大抵おやすみの時間。長めのお昼休みなどは木陰でいつもスヤスヤしているのが常だ。
そういった姿を他生徒に見られていたのだろう。いつしか私のアダ名に、「居眠り姫」というのが誕生した。
(眠り姫とかでもよろしいのに……)
居眠りと聞くと、ちょっと素行が悪いように聞こえるではないか。授業はきちんと起きて聞いているというのに。
とは思うものの。
(…………まぁ、いいか)
考えても面倒なだけなので、やめた。
ふぁぁ、と口に手を当て欠伸をする。
難しいことを考えると私はすぐ眠たくなってしまうのである。
何故私はこんなにも眠るのが好きなのか。
何故どこでも寝れてしまう性格なのか。
これは昔からの謎で、未だに解明されていない。
両親は一時期何かの病気なのではないかと考え、様々な医者に見せてくれたそうだが、結果はどこも同じ。
『身体には異常ありません。お嬢様が単純にそういう性格をなさっておいでなのでしょう』
ちなみにそう診断が下され、両親が頭を抱えていた時も、幼い私は頭をうつらうつらとさせていたらしい。眠かったからあんまり覚えてないけど。
兎にも角にも、これは私の持って生まれた性質なのだ。
私は早めに諦めて、眠い自分を肯定した。というか、眠りを我慢して完璧な淑女に! だなんて、思うだけで眠気を誘ってしまうくらい退屈である。そんなことなら、どんな寝方が一番寝やすいかとか、どんな場所が快適に眠りやすいのか、とかを考えた方が断然よい。
ちなみに、そんな私を最初は何とかしようとしていたらしい両親もその内諦めた。「健康に育ってるならそれが一番よね」「うんうん」といったような感じで。
眠くなればどこででも寝てしまうという特殊な性質を持つ娘に対し、心優しい家族でよかったなぁと私はしみじみ思ったのだった。
(ああ、そういえば。王宮のお庭はとっても寝やすい所だったわねぇ……)
ぼんやりと思い出す。
こんなねむねむな私ではありますが、実は、第二王子殿下の婚約者なんてものをやっておりまして。
その方と初めてお会いしたのが、その第二王子のパートナーを決めるためのお茶会に参加した時だったのです。
その時も私は大変気が乗りませんでした。
王子様とのお茶会だなんて、考えるだけで疲れます。嫌です。家で寝ていたい。
だけれど、私の将来を心配する両親の手前、行かないというわけにもいかず。パッパカパッパカと馬に連れられ、王宮へと向かったのですが。
やはり我慢できませんでした。
お茶会もそこそこの時、私は第二王子が他のご令嬢に詰め寄られている間にこっそり抜け出して、まるで迷路のような王宮の庭を探索しておりました。
そうこうしている内にいつもの眠気が来て。
気付いたら、知らない男の子の膝に頭を乗せて、私は眠っていたようでした。
『起きたか?』
黒髪に青い目。その外見を見れば一目で誰か分かりそうなものを、眠気眼な私はぼーっとただ眺めているだけでした。
『まさかこんな所で寝こけるご令嬢が居るとはな。……名は?』
『はぁ、エマともうします』
『エマ……、アシャール家の令嬢か。そういえば、姿が見えないとは思っていたが……。何故ここで寝ていた?』
『お茶会がたいくつだったからです』
『ほう。退屈』
にやりと笑みを浮かべる少年。何で笑ってるんだろうと思いましたが、そんなことより、「誰だろう。もうちょっと寝たいなぁ」と思う割合の方が大きかったです。こういう所が私のいけない所なのでしょうね。
『何が退屈だ?』
『全部です。にこにこ笑って知らない人とお茶を飲まなきゃいけないのも、王子様によい顔をしなければならないのも、ぜんぶ……。私には、たいくつで面倒なだけです。
だからこっそり抜けてきたんですけど、やっぱり眠くなっちゃって』
『……アシャール家の令嬢は酷い眠り癖を持っているという話を聞いたことがあるが、本当だったとは。
そんなに寝るのが好きか』
『はい! それはもう!』
『急に元気だな』
寝ることに関しては、ええ、私を置いて右に出るものなどおりませんとも!
少しだけ晴れた眠気と共に、どれだけ睡眠が幸福かということをその少年に語ると、少年は『ぶはっ』とおかしそうに吹き出しました。
今思えば当然のことではありますが、当時は何が面白いのか、私にはさっぱりでした。
『こんな茶会、俺には不要で、煩わしいだけだと思っていたが……、思わぬ拾い物をしたな』
『拾い物、ですか。落ちているものを食べてしまうと、お腹を壊す可能性がございますよ。一度やってみましたがいい結果にはなりませんでしたので、ご忠告しておきます』
『やったことがあるのか! 本当に変な女だな、お前は!』
けらけらと笑われ、よく分からないまま首を傾げましたが、相変わらずぽかぽかと差し込む日差し、綺麗に整備された庭とお花のいい匂いという空気に、私の眠気はまたゆらりと姿を現してきました。
『ふぁー……』
欠伸を一つかませば、少年はくつくつ笑いを漏らしながら、こう言ってきます。
『俺はノア。ノア・デ・ベルクールだ』
ぱちくり。
眠気で下がってきていた瞼がほんの少しだけ上がりました。
そう。この時の少年こそ、今の私の婚約者、ノア第二王子殿下だったのです。
回想終わり。
ところで皆さん、私が今どこに居るのか、お分かりだろうか?
自身が通っている王立学院の、中庭にある廊下辺りである。
「エマ様! よいのですか、あれは?!」
「あのマリンとかいう女子生徒、あんなに第二王子殿下にベタベタして……!」
周りには私の学友の人達が居て、何やら怒ったように話している。
まぁ、確かに言われてみれば。
最近途中編入とやらで入ってきた、市井育ちのマリン・ブルジェ男爵令嬢は、私の婚約者であるノア殿下の腕に絡みついて嬉しそうに話をしている。
対するノア殿下も笑顔だ。
その周りには第一王子殿下、宰相子息、騎士団長の息子などなど。
上位貴族に入る、校内でも人気の方々がブルジェ男爵令嬢を囲っていらっしゃる。
私は頬に手を当て、「あらまぁ」と呟いた。
「マリン様は凄いのですね。あんなに男性から好かれるだなんて……、きっとあのお可愛らしいお姿と、天真爛漫な雰囲気が殿方を魅了しているのでしょう」
「エマ様?! 敵を褒めてどうするのですか!!」
「敵?」
きょとん、と目を丸くして学友達を見つめる。
敵。敵とは何ぞや。ええっと、自分に攻撃を仕掛けてきたり、危害を加えてきたりしてくる人のこと……。
「私、マリン様に攻撃されたりしたことなんてございませんよ?」
問うと「違います!!」と強めの否定が入ってくる。
何が違うのか、よく分からない。
「いいですか、あんな風に婚約者の居る男性を侍らせるのは宜しくないことなのです!! それを平然と、しかも複数人においてやっているあの男爵令嬢は、今や女生徒みんなの敵なのですよ?!」
「そうなの? 私は特に、あの方に対して敵だと思ったことはないけれど……」
「エマ様ぁ〜〜!! あなた様は確かにぼんやりしていらっしゃったり、いつ見ても眠たげな表情を浮かべていることが多いですが……! 危機感をもっと持たなくてはなりません!!」
「ききかん……」
はぁ、と、分かっているのか分かっていないのか、よく分からない声が出る。
それに学友達はがくりと肩を落とした。
(危機感……)
言われた言葉を頭の中で反芻してみた。
ええ、言っていることは一応私にもわかります。
このままでは、あの男爵令嬢に婚約者を奪われてしまう。そんなことを彼女達は危惧して、言葉をかけてくれているのだろう。
だからこそ休み時間中におやすみモードに入っていた私をここまで引っ張ってきたのだろうし。
でも。
(別に、構わないといいますか……)
だって、自分は別に、ノア殿下のことを男性として好きというわけではないのだ。
よいお友達とは思っているが、そもそもの話、こんな居眠り姫などと呼ばれる自分が王族と結婚なんて無茶だと思うのである。外面的にといいますか。なんというか。
だから前々から「この婚約……無くならないかしら」と思っていたのだが、さすがにこれは言ってしまうとまずいことは分かっているので、胸の内だけに置いていた。
だから。
仮にこれでノア殿下に、「ブルジェ男爵令嬢が好きになったから婚約を破棄してほしい」と言われても、私は表情一つ変えずに了承するだろう。
このいつも眠たそうだと言われる紫の瞳には、動揺の色も見せず。
ふと、中庭の方を見やる。
そこには男爵令嬢と共に微笑む婚約者の姿があって。
(頑張ってください、ノア殿下)
人知れずやる気のないエールを送る。
身分差などの問題もあるだろうが、まぁそこは殿下が何とかするだろう。あの方、実はちょっと強引な所があるし。
え? どういう所が強引なのかって?
……まぁ、それは後々のお話ということで。
「あの、ところで。申し訳ないのですが、そろそろ教室に戻って寝ても大丈夫でしょうか?」
「エマ様ーーーーッ!!」
*
「アドリーヌ・クレージュ! 私は今ここに、お前との婚約を破棄を宣言し! このブルジェ男爵令嬢に求婚する!!」
事件が起きたのは学園の卒業パーティーだった。
皆が華やかな服に身を包み、パーティーを楽しんでいたところ。そんな鋭い大声が突然聞こえてきたのだ。
「あれは……」
確か、第一王子のセドリック様。
金糸の髪に青い目をした彼は、普段の優しげな雰囲気を影に潜め、厳しい表情でクレージュ公爵令嬢を睨んでいる。
「まさか、本当にやるだなんて……」
ひそ、と隣に居た友人の一人が囁く。
「仕方ありませんわよ。今世界は空前の「恋愛結婚」ブームですもの。恋のためなら何をしてもいい、そんな考えが我が国にも入ってきてしまっているのですわ」
「隣国でも王太子が婚約破棄されたという噂ですし……、……エマ様?」
「あらまぁ……そうなの」
驚いている間に、この間見た宰相子息や騎士団長の息子もそれぞれの婚約者に別れを告げ、ブルジェ男爵令嬢の所へ駆け寄っていた。
ブルジェ男爵令嬢は顔を真っ赤にして慌てているようだ。……時折、唖然としている婚約者の女性たちを見て、口角をにやりと上げているのは私の気のせいだろうか?
「折角のおめでたい日なのに、勿体無いわ」
「のんびりしている場合ですか?! エマ様、あなた様にもたった今危機が迫っているやもしれないのですよ?!」
「あらあら、クロエ様は私の身をいつも案じてくださって……、お優しいのですね」
「え、エマ様……! って、違います違います、そうではなく!!」
いつも通りの忙しなさである。
もっとのんびりしたらよろしいのに、というのが素直な意見だ。貴族令嬢たるものいつも背筋を伸ばし、美しく気高くありなさいとはいうものの。私だったらそんなもの、面倒臭くて背筋の時点で伸ばしていられない。
柔らかい芝生の上でごろんと寝転がり、眠気に誘われるまま目を閉じるのが至高の幸せではないか。
(でも、……そうねぇ)
騒然としてきた周りを見る。
この流れならおそらく、私もここでノア殿下に婚約破棄を宣言されるのだろう。
何もこんな所で、と思わなくもないが、ここであの軍団に割って入らねば、ブルジェ男爵令嬢を他の男性に取られてしまう。それなら仕方が無いのかも。
(ああ、こんなの見たらお父様もお母様も倒れてしまわれないかしら……。私は別に構わないのだけれど、私より余程あの二人がショックを受けそうで……。そうなった時はきっと数日寝込んでしまうでしょうから、私も体調が悪いと言って一緒に寝てしまうのが最善…………)
「エマ」
と、そこで。
背後から声をかけられ、思考に釣られて寝てしまいそうだった意識を引き戻し後ろを振り向く。
「ノア殿下」
サラサラの黒い髪に蒼いサファイアのような瞳。
あの時、初めて王宮の庭園で見た時と変わらない。いつまで経っても、この方はお美しい。
この美しさには、素直に見惚れる。
じぃっと眺めていると、「何だ」とおかしそうに笑われた。
「そんなに俺を見つめるなんて珍しいな。何か俺の顔についているか?」
「いえ、そうではないのですけれど……」
あら?
目が合った瞬間に話を切り出されると思っていたけれど、違ったのかしら?
もしかして、ノア殿下はお優しい方だから、中々言い出せないのかもしれない。
そう思い、「あの……」と声をかける。
「殿下、あちらの方々のことなのですが……」
「ああ。……全く、こんな日にあんな騒ぎを起こすなんて。頭が痛いな」
あらあら??
何だか思っていたのと少し違うような。
「頭が痛いのですか? 少し休まれた方が……あ、その前にノア殿下のお話を聞いた方がよいでしょうか」
「話? ……ああ、卒業後の俺達の新婚生活についてか?」
??????
いよいよ何を言っているのか分からなくなってきた。
こくりと顔を傾げると、ノア殿下もつられて不思議そうに首を傾ける。
「新婚生活……? なぜ?」
「何故って、それこそ何故だ? お前は俺の婚約者だろう?」
「殿下は私に婚約破棄を命じられるのではないのですか?」
「はぁあ?? 何でそうなる」
何でって。
だって、あんなにも男爵令嬢と楽しそうに接していたではないか。恋人といっても差し支えがないほど。
「だって、今しがたあちらで……」
「……まさか、俺があのバカ集団の一員に加わるとでも?」
思わぬ言葉に目が丸くなる。
バカ集団……。
相変わらずハッキリ物を言う御方である。
「私はてっきり、そうなるものかと……ああいえ、決してノア殿下をおばかと呼ぶわけではないのですが」
口に手を当て言うと、はぁーッ! とノア殿下が深く大きなため息をつき、頭を片手でがしがしと掻いた。
「今着ているドレスは誰が贈った物だ?」
「ノア殿下……ですね」
「そのドレスの色は?」
「青です」
「そうだ。俺の瞳に極力近くなるよう、色味に拘って作らせた。そしてお前を彩る宝石の数々は」
「……殿下にいただいたもの……」
あれ。
と、その辺りで違和感を覚えてまた首を傾げる私を、ノア殿下は呆れたように見下ろす。
「ようやく学園も卒業できたし、お前にはそろそろ、俺の愛を心身共にきっちりと教え込まないとな。……その前に」
「その前に……?」
「いい加減あいつらを黙らせてくる」
そこからは何だか怒涛の流れだった。
未だ婚約破棄だの求婚だのと騒いでいる第一王子らの所にズンズンと歩いていったかと思えば。
「国庫の無駄遣い」「国宝の無断持ち出し」「複数の異性との不純交友」「自分より身分の高い者に関して虚偽の申告をする」などなど。出るわ出るわの罪オンパレードを、ノア殿下は高らかに彼らへ告げた。
簡単に説明すると、ブルジェ男爵令嬢は私が思っていたような「可愛らしく天真爛漫な少女」ではなかったし、第一王子殿下やその他の男性達はそれにすっかり騙された挙句、男爵令嬢への貢ぎ合戦のため、国のお金にまで手をつけていらっしゃったらしい。
それらを調べるため、敢えてノア殿下は男爵令嬢を取り巻く輪の中に入っていたとのこと。
罪状を突き付けられた男爵令嬢は顔面蒼白。
男性陣は顔面蒼白のちに喧嘩三昧。ブルジェ男爵令嬢は取り巻きの方々を含む色んな異性と不純なことを行っていたが、他の方にはバレないようそれぞれ巧妙に隠していたため、真実が暴露されたことにより男性陣の間で争いが勃発した模様。
それもノア殿下が呼んだ衛兵達によって呆気なく取り押さえられ、皆さんそれぞれどこかへ連行されていった。
男爵令嬢を虐めたと糾弾されていた元婚約者のご令嬢達は屈辱に泣きながらも、ノア殿下の手によって疑いが晴れた事により、ある意味命が助かったといえるのか。彼に丁寧にお礼を述べていた。
特にこの騒動に関係していなかったパーティーの参加客は、ポカーン、とするしかなく。
さすがの私も驚きを隠せないまま、大騒ぎの卒業パーティーは終わったのでした。
そして、その後はというと。
「さぁ、エマ。俺をあんな女に騙されきったバカな浮気男だと勘違いしていた責任はどう取る?」
恐ろしいオーラを身に纏いながら迫ってくるノア殿下に、私はどうしようもなく怯えて縮こまるしかなかった。
「も、申し訳ありません……。その、ノア殿下が私と本当に結婚する気でいらっしゃったとは、思いもよらず……」
「何を言ってるんだ。初めて会った日の茶会が終わった後、すぐ求婚の手紙を書いて送ったのは俺だぞ。惚れた女以外にあんな連絡するわけないだろう」
「ほれた……」
ほれた、掘れた? いいえ違いますね。じゃあつまりそれは、惚れたということで…………、……え?
「……またピンと来てないな。よし、じゃあ俺がお前を初めて見た時どう思ったか、教えてやろうか」
「……はぁ……?」
「『妖精みたいだ』って思ったよ。
真っ白な長い髪と、伏せられた睫毛に隠されていたお前の紫の瞳は美しく、神秘そのものだった。そこからお前は俺の中で『妖精姫』になったんだ」
妖精姫。
初めてだ。そんな風に言われたのは。
ずっとずっと、私は「居眠りをする姫」として皆に見られていたのに。
……まぁ自分に改める気が無かったのだから仕方無いのだが。まさかの呼び名に逆に申し訳なくなってくる。
「その妖精の姫が、茶会は退屈だ、王子に会って良い子にしていなければならないなんて眠くてしょうがない、と。まさかの王子本人に言ってくるなんてな! 姿に似合わず、豪胆で面白い女だと感じたその時から、お前を俺の嫁にしようと決めていた」
「……ええ、で、でも……」
私は王族の人と結婚するなんて大変で、そんなことになったら外面もさすがに考えなくちゃいけないからもう更に眠さ倍増で。
そんな私の馬鹿げた思考を読み取っていたのだろう。あの出会った日と同じ、にやりとした笑顔でノア殿下は言う。
「安心しろ。俺も王位なんて継ぐ気はない。
今までは第一王子が居たからよかったが……あのバカは見事にやらかしてくれたからな。王位は俺の弟のアベルが継ぐことになったよ」
「そ、そうなのですか……?」
「ああ。元々俺は王になんぞなるつもりは更々無いと口酸っぱくして言っていたし。
だから、面倒な妃としての仕事も、王妃になることに比べれば全然マシな方だ。休む時間なんて山程ある。……俺の言ってる意味が、わかるな?」
つまり。
つまりそれは。
「……ね、寝る時間も……、たくさん……?!」
「そうだ」
なんてことだ。
それなら、下手すれば他の家に嫁ぐよりも楽であるし、大好きな睡眠を取れる時間も用意されているではないか。
グラグラと心が揺れ動く。
……で、でも。
私はノア殿下のことを、「別に婚約破棄されても構わない」といったように思っていたくせに……、そんな都合のいいこと、許されるわけが……。
「余計なことは考えるな、エマ」
くい、とノア殿下の大きな手が私の顎にかかる。
「お前はただ「YES」と答えればそれでいい。男女の愛なんてその内ついてくるものだ。……いや、俺が、ついてこさせる」
「……で、殿下」
「まだまだ情緒の育っていないお前を、俺が優し〜く、丁寧に教育してやろう」
美しく、そして底冷えのする微笑みは、まるで悪魔か野獣かを思わせるようなそれで。
……結局、私はノア殿下の手から逃れることは出来なかった。
いや、逃れたかったというわけでもないのだけれど。殿下が良いのであれば、私も別にそれで構わないのだが。
ですが。
「よし。じゃあ俺の作らせた特別室に今日から来い! なんならずっとそこで俺の帰りを寝ながら待っているだけでも構わないぞ!」
殿下。監禁まがいの新婚生活は、やっぱりちょっと抵抗あります。