121.楽しかった
「【完全集中】……来い」
少年がわずかに首を傾げる。
「ああ【雷零】」
その一言と同時に空が裂けるように雷鳴が走った。
空間を裂く閃光が、一直線にこちらを穿つ。
私は咄嗟に反応し【結界魔法】を張った。
【結界魔法】にヒビが入る。次の一撃で崩壊することは明白だった。
すぐさま抜け出し、攻撃に移る。
雷がこちらを追ってくるが、私のスピードに追い付けなければ意味は無い。
「速いな、だがなあ」
次の瞬間、少年が手を向けると私の周囲の空間が渦を巻き始めた。
「【間零】」
周囲の空間が引き延ばされていく。前に進んでいるのに私はその場で止まりかけた。
体が動かない、まるで沼に沈んだような感覚。
【転移】ですぐさまその空間から離れ、少年へ向かう。
すぐさま加速し、少年の体を貫通する。
さらに光の槍で追撃し、その体に幾つもの風穴を開ける。
「いいぞ【差零】」
少年が淡々と告げたその瞬間、私の体の右腕右脚が飛んだ。
「え……」
少年と私は同時に損傷した体を再生させていく。
「あと二十秒か……さあこれを耐えたら勝てるんだろう。やって見せろ」
「【炎零】」「【氷零】」「【嵐零】」「【埋零】」
そう呟いた瞬間、「燃焼」、「凍結」、「裂傷」、「窒息」を押し付けられる。
マナ体だろうが関係ない、物理的ではない概念を押し付けられている。
マナ体に酸素は必要ない、なのに窒息している。負傷だってそうだ、すぐ治せるはずなのにそれが与えられる。
その中で私は自分の意識が薄れていくのを感じていた。
不味い、意識が……。
「おい、しっかりろ」
その概念の押し付けが渦巻く空間の中に勇者は平然と入ってきた。
意識を失いかける直前、勇者から何かを握らされた。
その瞬間、傷が全て塞がり意識もはっきりした。
「私は……共に戦うという事が少なすぎて、思いつかなかった」
私の手には所有者に一切の傷を許さない鞘【二代目の聖剣】が握られていた。
「私以外にも鞘は握れる」
「全く、馬鹿だな貴様は」
「それに関しては同感だ」
勇者ははあ?とでも言いたそうな顔でこちらを睨んできたが気にしない。
「【極致の祝眼】」
そうシータが言い放った瞬間その眼が紅く煌いた。
「準備完了だ。【聖なる光を放つ聖剣の意】を構えろ」
勇者は指示通り、光の剣を手に取る。
「行くぞ」
「……俺を殺せる策とやらだな、来い」
勇者は少年の方に向かい剣戟を繰り出す。
それに対抗し再度少年も迎え撃つ。
そしてまた拮抗が崩れた、その瞬間。
「【現実改変】」
次の瞬間、勇者は少年の目の前で剣を突き立てていた。
すぐさまに勇者と少年も反応。
「【歪、」
言い切る前に触れればこの光に触れるすべての人ならざる者は決して例外なく死に至る剣が少年の体を貫いた。
「……ふふ、そうか。確かに不可避だな」
少年の体が少しずつ崩れ、粒子となって空間に溶けていく。
光の剣がその胸を貫いたまま、彼は薄く笑った。
「約束だ……世界を元に戻せ」
勇者が低く言う。声には怒りも悲しみもない。ただ、静かな決意だけがあった。
少年はしばし黙した後、微かに顔を上げる。
「……おい、言っただろ……」
勇者の言葉に、少年はくつりと笑った。
「言葉だろうと約束は約束。だが……それは、俺が負けた時の話だ」
「何を言って——」
勇者の言葉を遮るように、少年の眼が朱く輝いた。
「【現実改変】」
その言葉と同時に——時が反転するように、世界が巻き戻された。
勇者の剣が少年の体を貫いたはずの光景は、まるで最初から存在しなかったかのように消え失せていた。
「……馬鹿か!」
少年はゆっくりと顔を上げ、朱く輝く双眸を晒した。
瞳孔の奥で、紅蓮の光が螺旋を描いている。
それは——紛れもなく、【極致の祝眼】
「——その眼は」
「そうだ。どうやら世界は俺にも祝福を与えたらしい」
理解した瞬間、私の背筋に冷たいものが走った。
敗北――脳裏には、それだけが浮かんでいた。
もう、勝ち目はない。
だが。
勇者は迷わず、少年へと駆けだした。
「何をやって――!」
叫ぶ私の声を背に、彼は一歩、また一歩と前へ進む。
「自暴自棄、か……いや。違うな」
少年が笑う。
「これが不条理ってやつか!」
その瞬間――世界が震えた。
この土壇場に【極致の祝眼】に覚醒したのは、少年だけではなかった。
勇者もまた、世界から祝福を授かっていたのだ。
二つの【現実改変】が同時に発動し、衝突する。
結果――両者の改変は、相殺された。
そして、残る【現実改変】のストックは勇者、ただ一人。
勝敗は、決した。
勇者が最後の力で剣を構える。
光が奔り、少年の胸を貫いた。
「……俺の、負けだな」
少年は穏やかに笑った。
「一つ、教えてくれるか」
勇者が問う。
「お前は、何を成し遂げたかった?」
「そうだな……」
少年は少し空を仰ぎ、どこか懐かしむように言葉を紡いだ。
「理由は忘れた。だが、生まれた瞬間、誰かが俺に語りかけてきた。名も、声も、もう覚えていない」
彼は微笑みを浮かべたまま、続ける。
「この世のすべてが、不快だった。だから、すべてを壊そうと思った」
「だが――」
口元に、わずかな愉悦が滲む。
「お前たちと戦って、初めて愉しみを知った」
「……そうか」
勇者の問いに、少年は静かに目を細めた。
「最後に、これ以上ない愉悦を得た。……悪くない終わりだ」
「楽しかった、そんな気分だ」
そう言い残し、少年の身体は光の粒となって崩れ、風に溶けていった。
「世界を、元に戻せ!」
勇者は叫んだ。次の瞬間、空間が揺れた。星は本来の姿を取り戻し、世界は正しく構築され始める。
「約束は守るか……」
勇者はふらりと膝をつく。
私と勇者はお互いを見合い、そして意識を失った。




