119.零点
私は光の残滓を追い、雲を突き抜けて空の彼方へ――。
常人なら荒れ狂う風が顔を裂き、呼吸さえ奪っていく。
呼吸が必要で体をマナで強化できないなら大変な場所だ。
視界の先に見えた。 雲海の上。 青を越えた蒼穹の只中で、二つの影が衝突していた。
二つの影が衝突していた。
閃光を纏い、剣を押し込む勇者。
その一撃を受け止め、淡々と剣を振るう少年。
力と力が噛み合うたび、空が軋み、音を置き去りにする衝撃が連鎖する。
蒼穹が割れ、光が奔流となり、空気が悲鳴を上げる。
「……勇者、やっぱり来たか」
私は思わず呟く。
「おい、そこの獣人。引け。こいつは私がやる」
まるで戦場に転がる雑兵にかけるような言葉。
……獣人。
こいつにとって私は覚えるに足りない存在だという事か……
だが、今は気にしている場合じゃない。
二人をまとめて討ち取る方法を探す――そう考えた瞬間。
「【凍零】」
そう考えている時、少年が言葉を紡いだ。
少年が紡いだその言葉はあまりにも異質だった。
だが少年が放ったその言葉と共に冷気が吹き荒れる。
雲海を裂き、氷雪の嵐が勇者に迫る。
勇者は剣を横薙ぎに振るい、空気ごと冷気を叩き切った。
「【聖なる光を放つ聖剣の意】」
人間以外の万物を決して例外なく死に至らせる光の剣は勇者に確かに握られた。
その異常を感じ取ったのか少年の目がわずかに細められる。
「【二代目の聖剣】」
勇者が続けた放った言葉で所持者に一切の傷を負う事を許さない鞘を手に握る。
「死を与え、死を拒む……か。矛と盾を同時に握る気か」
少年が呟く。
声には嘲笑でも怒気でもなく、ただ冷たい理解だけがあった。
勇者は答えず光の剣を振るう、振るうと同時に巨大に広がる光の剣は少年の逃げ場を無くした。
その一撃に逃げ場はない――はずだった。
「【歪零】」
少年の声が重なった瞬間、世界が捻じれた。
光の軌跡が歪み、勇者の剣は空を切り裂くに終わった。。
少年は間髪入れず、再び言葉を紡いだ。
「【歪零】」
空間が二重に歪む。
その揺らぎが勇者の腕を絡め取り――
聖剣を包んでいた鞘【二代目の聖剣】を、強制的に弾き飛ばした。
「……っ!?」
勇者の表情が初めて揺れる。
「どうだ、こんな事は初めてか?」
「【風零】」
少年の掌から解き放たれた風が、暴風を超えた奔流となって勇者を飲み込む。
空気の層が裂け、雲海が吹き飛ぶ。
勇者の体が蒼穹を弾丸のように貫き――遥か下方、雲の底へと叩き落とされた。
少年は、少し自分に驚いたように動きを止めた。
次の瞬間、少年は私に狙いを定め――一閃。
剣が走り、光の波が空を切り裂く。
それを回避し、私は距離を離す。
「お前達は……何をしている。変化を拒むのではないのか?なぜ共に戦わない」
少年は少し疑問を含んだ言葉を発しながらも手を緩めることは無い。
剣を握る指は滑らかに動き、何度も幾度もその異常な攻撃が放たれる。
「答える義理は無いな」
「【不倶戴天】」
光線が稲妻の様に少年へ降り注ぐ、避けてもいなしても躱した先にも光線が落ちてくる。少年は光の雨を見上げながら、一瞬だけまぶたを閉じた。
――次の瞬間、空そのものが裏返った。
「【歪零】」
光線は彼に届く前に軌道を歪め、互いに衝突し、少年を避け地面に向かい。
消滅していくものもあった。
「悪くない」
少年の足元に浮かぶ魔方陣がひとつ、ふたつ――いや、数え切れないほど展開される。それらは線ではなく、立体。幾何学的な結晶構造を描きながら周囲の空間を覆っていく。
「なるほどな、なるほど。これが感情か、いいな。実に気分が良い」
少年はそう言って笑った。
無邪気で残酷でどこか虚無的な微笑。
魔方陣から溢れる光の粒子が螺旋を描きながら舞い上がる。
「なあ、徐々にだが楽しくなってきた」
少年の周囲に展開された無数の魔法陣が、青白く光を放ちながら脈動を始めた。
「楽しく……」
「ああ、なんだかな。どうも戦いに愉悦を覚えている」
「興が乗ってきた、そう言える」
その瞬間――
無数に広がっていた魔法陣が、脈動を止めた。
空気が収縮し、光の粒子が一斉に中心へ吸い寄せられていく。
少年は静かに右手を掲げた。
「『零点』」
光の粒子が一点に凝縮し、世界が軋む。
「【九天衝——
次の瞬間――空そのものが爆ぜた。
圧縮された光が爆発的に弾けた。視界が白く塗り潰されていく。
全身で感じる悪寒。
鼓膜を打ち破る轟音が遅れて響き渡り、全てを消し飛ばした。
余りの衝撃か、意識が残っているように感じる。時空が歪んでいるような。
だがすぐに意識も消えていくのを感じる。まだ、だ。【現実か、へ】
――何も起きなかった。
★
「お前は本当にどうかしているな」
「貴様に言われたくはないがな」
星々が遠くに散りばめられ、彼方に青く輝く惑星が見える。
それは空間、ただそうあるだけの。
実際には何もないかもしれない、そんな場所。
「はあ、こちらはもう力も少ないと言うのに」
吐き捨てるように言う。確かにその身体には亀裂のような跡が走り、光で縫い合わされた痕跡が見える。
「その少ない力で、世界を元に戻せるか」
「……ああ、当然だ」
少年は短く応えた。
「なら、私のやる事は決まった。貴様を打倒し世界を元に戻させる」
少年は深く息を吐き、肩の力を抜くと、口元に小さな笑みを浮かべた。
「許可しよう、お前が勝てば世界を元に戻そうじゃないか」
「ただし、俺が勝った場合――貴様はどうする?」
「私が負けた時など考えるだけ無駄だろう。貴様の好きにすればいい」
少年は楽しそうに笑う。この状況を楽しむように。
「そうかでは始めよう」




