104.セイゼン教
商業国家カルバドリア
この大国にもセイゼン教は根付いていた。
首都から離れた土地にある教会、そこの司祭室で二人の男女が祈りを捧げていた。
「どうか我らにお導きを」
二人は両手を組みながら祈りの言葉を口にしている。
そこに、一人の女性が入ってきた。彼女はゆっくりと扉を閉めると、穏やかな声で語りかける。
「貴方たちに祝福がありますように」
その声を聞き、二人はぱっと顔を上げた。そこには美しい女性が立っていた。
その容姿はまさに女神と呼ぶにふさわしく、慈愛に満ちた微笑みを浮かべていた。彼女はゆっくりと歩き出し、二人の前に歩み寄る。
「あぁ……聖女様」
二人は目に涙を浮かべながら、彼女を見つめた。
「今日はどうされましたか?」
「……その、我々は一体いつ『楽園』の住人になれるのかと」
聖女と呼ばれた女性は、優雅に微笑みながら二人を見つめた。
「楽園へ至る道——それは、信仰と行いによって決まります」
彼女の言葉に、二人の男女は深く頷いた。
「我々は、信仰を捧げ、異端を排し、己の正しさを証明してまいりました。それでも、未だ楽園は遠いのでしょうか?」
男が懸命に訴える。彼の目には、純粋な信仰心と、微かな焦りが宿っていた。
「焦ることはありません」
聖女は静かに手を伸ばし、男の肩にそっと触れた。その瞬間、男の体が一瞬震える。心が安らぐような、柔らかい魔力が彼を包んだからだ。
「神は見ています。あなたたちの献身を、信仰を——全て」
「聖女様……」
二人は涙ぐみながら、崇敬の念を込めて彼女を見上げる。
聖女は微笑みながら、そっと手を引いた。
「でもね……」
その瞬間、空気が変わった。
「神は、何よりも『結果』を求めているのです」
慈愛に満ちた微笑みは、どこか冷たいものに変わった。
「異端は根絶されましたか?」
二人は息をのんだ。
「……いえ、まだ……」
「ならば、あなたたちの信仰はまだ足りないということです」
聖女の言葉は、まるで刃のように鋭く、二人の胸を刺した。
「ですが……ですが我々は……!」
「努力は認めます。でも、それは『楽園』への確約にはなりません」
聖女はそっと目を細める。
「次の異端討伐、あなたたちも参加なさい」
「えっ……!?」
「信仰を示しなさい。そうすれば、神もあなたたちの献身を評価するでしょう」
二人は戸惑ったが、聖女の瞳に宿る威圧感に逆らえず、ただ頷くしかなかった。
「……はい……」
「素晴らしい。では、共に神の意志を成しましょう」
聖女は再び微笑んだ。
その姿は、まさしく神の使徒のように美しく、恐ろしかった。
(最早狂気だな……)
シータはその横で話をきいていた。
勿論、彼女は姿を晒していない、自身の体をマナ体にし、他の背景と同化するようにしている。
聖女と信徒の会話が終わり、信徒が教会を去ると聖女はその眼を険しくしどこかへ歩いて行く。
シータはその背を追う、そして、人気のない場所につくと聖女は後ろを振り向いた。
「誰でしょうか?神の考えを否定する愚かな冒涜者の方でしょうか?」
(気づくのか……)
シータは驚きを隠しながら、ゆっくりと姿を現した。マナの流れを制御し、光を再び反射するようにすることで、徐々にその姿が浮かび上がる。
聖女は静かにシータを見つめた。その瞳には警戒の色が浮かんでいるが、恐れの様子はない。
「……貴方が異端の側の者ですね?」
「ああ、愚かしい!神の言葉すら聞けない獣風情が人間の住む国に入るなど。愚かしい愚かしい愚かしい!」
聖女はヒステリックに叫ぶ。それは、怒りと憎しみに満ちていた。
「私は、『楽園』の信徒として、貴方を浄化します!」
「うるさい……」
「この場で滅びなさい。神の名のもとに——」
その瞬間、聖女の周囲に光の魔法陣が展開された。純白の光が降り注ぎ、神聖なエネルギーが渦巻く。
「【光刹幾砲】」
「随分名前だが―――」
聖女が静かに詠唱を終えた瞬間、光が柱のように収束し、シータへと襲いかかる。
だが、シータは顔色一つ変えず、静かに手をかざした。
「相手を知れ、恥をさらすぞ」
その瞬間、光の奔流が真っ二つに引き裂かれるように消滅した。まるで見えない壁に阻まれたように、光はその先へ届かない。
聖女の顔が驚愕に染まった瞬間――シータは既に敵の懐へ潜り込んでいた。
その体に触れると同時に光の鎖が聖女の全身を拘束する。
「う、ああああああああ。やめろ触るな!汚らわしい獣が」
「叫ぶな、耳が痛い」
シータは淡々と呟き、さらに強く縛りあげた。
聖女は苦痛の声を上げながら必死に抵抗するが、抜け出すことはできない。
「神を侮辱し、あまつさえその信徒に手を出すとは」
シータの瞳には冷たい光が宿っていた。それはまるで氷のように冷たい。
「異端者め!貴様らこそ神の威光を汚す獣だ!」
「そんな事はどうでもいいさ、お前は何と繋がってる?」
シータの問いに、聖女は苦しげに睨みつけながら叫んだ。
「何と……? 貴様には理解できない! 我らは神と繋がっている! 神の意志を受け、その手足となり、『楽園』を作るのだ!」
「へぇ、そうか」
シータは冷淡に呟くと、光の鎖をさらに締め上げた。
「ぐっ……! ぁぁ……!」
聖女は激しく身をよじるが、まるで逃れることはできない。
「質問の意図が分からない訳じゃないだろう、ほら速く」
★
「助けて……ミザール様ぁ……助けて……!」
聖女は苦しげにうめきながら、誰かの名を必死に呼ぶ。
だが、シータは冷淡に彼女を見下ろしながら、ふと嘲るように口を開いた。
「……何だお前、人間じゃないか」
聖女の背から突如として純白の羽が現れ、淡く光を放ち始める。そして、その頭上には淡い光輪が浮かび上がった。
「この羽に光の輪……アリューが前に言ってた天使か」
シータは目を細めながら、興味深そうに聖女の姿を観察した。
「人間のふりをして天使が宗教活動ねぇ……。これはまた随分と胡散臭い話だな」
「ミザール、それにアリューか……随分な名を出す」
後方から声が聞こえた、シータが振り向くと誰かがこちらを向いていた。
「……誰だ?」
「俺はエルメス。安心しろ、敵対するつもりはない」
名乗ると同時に、影のように静かに現れた男は、落ち着いた声音でそう告げた。