詩乃
大変遅くなりました。
待ってくれている方がいたらすみません。
前回も同じことを言った気がします。
★★★
気が付くと、今朝目覚ましの音を聞いた場所に立っていた。
「夢じゃなかった……」
先ほど自室のベッドに横になり、うとうとしていたはずだ。
「ここは夢の中だよ~」
いつの間にか横にいた杏那が茶化すように笑っている。
「信じてなかったの〜?まぁ、別にいいけどね~」
周りを見ると、昨日紹介された人はほとんど揃っていた。各々が好きなように過ごしている。
しかしその中に、一人だけ見覚えのない少女がいた。未宇と同年代に見えるが実際はわからない。
杏那は直ぐに未宇のその視線に気が付いたようで、ソファで談笑している少女に後ろから抱きつく。
「あ〜、そういえば詩乃は昨日逃げてたんだったぁ」
詩乃と呼ばれた少女はびくっと肩を跳ねさせ、ぎこちなく振り向いた。
「き、気が付かなかった……」
「今日は逃げられなかったね〜。ほらぁ、自己紹介して〜」
笑顔なのに杏那の迫力が恐い。
少女はわざわざ未宇の前まで来て、少しもじもじしながら言った。
「えっと、詩乃、です。能力は……その……『盗覚』です」
「とうかく……?」
馴染みのない単語に首を傾げる。音に漢字を当てはめることができなかった。
「……ん、そう。盗覚。盗むに感覚の覚って書くの」
詩乃は淡々と言う。
どうも「かく」の音が多くて分かりづらかった。
「たぶん……造語、なのかな。シンカラの」
シンカラ。昨日もその名を聞いた。
「んーとねぇ、シンカラはうちのブレインやってくれてるひとだよ~、普段はあっちこっち行ってていないことが多いんだけどぉ。まぁ~、また紹介するよ~」
こちらの話は終わり、とばかりに杏那は手を叩いた。
そしてそのまま別の会話に混ざりに行ってしまった。
一瞬、ほんの一瞬だったが、明確に探り合う沈黙が流れる。
敗北したのは未宇だった。
「どんな能力なんですか?」
漢字から考えると、恐らく相手の感覚を奪うとかそんな感じなのだろうと予想しながら尋ねる。
「ん、と。触れた人の感覚を共有できるの」
そっちか。即座に未宇の頭に浮かんだのはその一言だった。
なるほど、だが考えてみると恐ろしい。
「視覚とか聴覚とか、あんまり使わないけど嗅覚とか、その人の持ってる感覚をそのまま一緒に感じるの。私が観ようと思ったらいつでもどこでも」
つまり、誰もいないからとやったことを知らぬ間に観られている可能性があるということだ。
「でも安心して。観れるのは私がマーカーをつけようと思って触れた人だけ。それにマーカーは一度に二人までしかつけられないの」
それがなんだ。未宇には大したデメリットになっていないように思える。
「まだ、自分の能力についてわからないんだよね?」
詩乃は先ほど自己紹介したときの様子からは信じられないほど流暢に話した。
未宇は黙って頷く。
「ちょっと、散歩しない?」
突然の提案に未宇は戸惑ってしまった。
「え?えっと、はい」
「じゃ、行こ。見せたいものがあるの」
詩乃は少し嬉しそうに未宇の手を引いた。
純白の扉を開けると、そこは昨日杏那と一緒に入った家ではなかった。
「あれ?」
思わず溢れたつぶやきに、詩乃は足を止め振り返った。そのままじっと未宇を見つめる。
微かに首が傾くのを見逃していたら、ただ恐怖を感じていただろう。
「あ、いや。昨日と違うなと思って……」
些かたじろぎながらも思うところを言う。
「あぁ、家のこと?出口はランダムなの。待ち伏せされても嫌でしょ?」
咄嗟で言葉足らずだったが伝わったようだ。
詩乃は言い終わるのを待たずに再び歩き出した。未宇も後をついていく。
それにしてもかなり用心深い。
蛍が言っていた悪霊とやらはよくわからないが、対立グループとの争いはそれほど激しいということだろうか。
悪霊について聞いていなかったことを思い出したので、話題提供がてら聞いてみる。
「そういえば、悪霊って何なんですか?」
「ぅん、みんな言ってないんだ」
今度は足を止めることはせず、詩乃は目線だけ未宇に寄こした。
「簡単に言うと、この世界にいる黒い動物のことなの。ただね、全身が帯みたいなので出来てて、近づくと攻撃してくるの」
かなり物騒だった。
しかし悪霊というくらいだから人型の何かを想像していたのだが動物とはこれは如何に。まあ、動物の霊もいるだろうが。
「真っ黒だからすぐわかるし、近づかなければ大丈夫だよ」
未宇の沈黙を怖れと取ったのか、詩乃が安心させるように言った。
そして徐ろに、横に連なる民家の塀から壁、屋根へと手慣れた身のこなしでよじ登る。
突然で、未宇は見ていることしかできなかった。
なかなか登ろうとしない未宇に、詩乃は屋根の上から手招きした。
仕方がないので詩乃が登った通りに、しかしゆっくりと慎重に登る。
詩乃は未宇が登りきったのを見ると、後ろの空を指差した。
「見て、月がふたつあるの」
指の先を追って見上げると、確かに月がふたつ、静かに並んでいる。
宵闇というには仄白い空に潜り込むような、存在感の希薄な月だった。
「不思議でしょ?片方は現実世界の月で、もう片方はこっちの世界の月みたいなの」
ふたつの月に違いがあるようには見えない。じっくりと見比べて、さらに目を凝らして漸く、一方の模様が薄い気がした。
「ああいう風に、二つの世界がぶれて見える場所が結構あるの。そしたらあっちからも、こっちが見えても可怪しくないじゃない?実際、目が合ったかと思ったら逃げられたことがあるし」
詩乃は最初のおどおどした様子からは信じられない程よく話した。
「ここからは単なる私の持論なんだけどね。幽霊ってもしかしたら、みんなこちらにいる私たちなのかなって。たまに思うの」
未宇は月から詩乃へと視線を移す。
それをどう捉えたか、詩乃は始めのような自信無さげな様子に戻った。
「あ、ごめんね。喋りすぎた。同じくらいの見た目の女の子ってあんまりいないから嬉しかったの」
確かに他の三人は見るからに幼い。
実年齢は茉莉が一つ、楓華が二つ、未宇より上と言っていたから、詩乃はもう少し上なのだろう。
しかし年下に見えるというのは、他所から思うよりも打ち解け難いのかもしれない。
何と返したらよいかしばらく悩んでいると、隣からくすくすと忍び笑う声が聞こえた。
「困らせちゃったね。でも遠慮しなくていいの」
詩乃の透き通った綺麗な瞳が未宇を貫いている。
未宇は全てを見透かされているような気分になった。
「ね、もっと未宇ちゃんを教えてほしいの」
言葉に詰まって喉から息すら出ない。
何か言わなければと思えば思う程、思考は固まってぴくりとも動かなくなった。
ほんの数秒が、未宇にはその十数倍にも感じられる。
突然、詩乃は弾けるように振り返った。
視線の先は彼方、見えないところに意識を飛ばしているようにも見える。
「えと、あの。詩乃、さん?」
「ちゃん」
未宇に目を向けることもなく、食い気味で詩乃が言う。
「さんじゃなくて、ちゃん。詩乃でもいいよ」
真剣な口調で何を言うかと思えば、呼び方が気に入らなかったらしい。
「あと敬語もやめよ」
「あ、は……いや、うん。何かあった?」
詩乃はようやく未宇の方を向いた。
しかしその目の焦点は合っておらず、表情も抜け落ちていた。
「ちょっと、まずいことが起こったの。わたしは杏那に報告しにいくけど、ゆっくり帰ってきていいよ」
詩乃は言いながら屋根から飛び降り、言い終わる頃には既に走り出していた。
咄嗟に動けなかった未宇は、その背中を見送ることしかできなかった。