再会
ぱん、と弾けるように爆音が脳を刺す。
これまでの音が籠って聞こえていたことがわかった。
世界が徐々に色彩を取り戻し、それと共に四肢の感覚も先へとのびていく。そして最後に重力によってしっかりと地に引き留められる感覚が。
机や椅子に触れていただけの足に力がかかる。
ただ積み重なっただけの不安定な足場がそれを支えられる訳もなく、ぐらぐらと揺れ動く。危うく足を捻るところだった。
足場がそれなりに安定していそうな場所に這って移動する。
窓に目を向けると外は薄暗い。丁度、落下の途中の走馬灯の部屋のような――――月光で照らされたような幻想的な明るさだった。
それでも暗すぎる訳ではなく、何処と無く陰影に欠けたような景色である。それが更に絵画のような神秘的な雰囲気を作り出している。
激しい戦闘音さえ無ければ。
ビルの中の静けさと窓の外の喧騒の狭間で、自分だけ違う世界に迷い込んでしまったように錯覚する。
自分だけ、外の世界から隔離されている。その孤独感が凍てついた心に深く染み込んだ。
逃げろ、と言われたものの逃げる気は起きそうにない。なかなか居心地がよかった。
そうは言っても想像以上に戦闘が激しそうだ。
いつ破壊されるかわからないこの場所にずっと居る訳にもいかない。
しかし誰にも見つからずにここから出る自信もない。
これがまさにジレンマというものか。出ても出なくても待つのは死。
あの少女は次死んだら終わりと言った。
次、というものがあるとは知らなかったが、もう自分から死ぬ気はなくなったのだからこの命を無駄にする訳にはいかない。
そこでふと閃いた。
この場に留まるのもこの窓から飛び出すのも駄目だというのなら、どちらもしなければ良い。つまり、建物の中を伝って動けば良いのだ。
このビルは未宇が飛び降りたビルを突き破って倒れた。
内部に人が通れる隙間があるかはわからないが、少なくとも瓦礫が外に出るときに身を隠すための障害物にはなってくれるだろう。
早速バランスの悪い机や椅子の上を這って行く。
幸い、未宇のいた部屋の入口は横にあり、当然だがビルが横倒しになって一番下になる場所にあった。
そのため死ぬような高さを飛び降りることなく壁――――今となっては床だが――――を歩くことができた。
パイプ椅子や割れて土が辺りにばら蒔かれた観葉植物の鉢植えなどが散乱している。だが障害と言えばそれだけで、想定していたより遥かにすんなりとエレベーターにたどり着いた。
もちろんそのエレベーターが動く訳などない。
扉を抉じ開けようにも、指のかかる隙間はほとんどなかった。殴ってみても凹みそうにない。
何か硬い物、と考えて落ちていたパイプ椅子を思い出した。
椅子を高く持って全力で前に振り下ろすという機会はそうあるものではない。
ガアァンと激しい音が響く。衝撃で手が痺れた。
しかし椅子のような先の細く丸い物体とエレベーターの扉のような平たい物体では、後者が負けるのは自明の理である。今度の場合も例には洩れなかった。
やっとのことで抉じ開け、投げ捨てるように放っていたパイプ椅子を捩じ込む。
疲労感がとてつもなかった。
しかし休んでいる暇などない。パイプ椅子が扉の重さに耐えられなくなる前に中へ潜り込んだ。
エレベーターの昇降路は灯りがないわりに明るかった。おかげで中の様子がよく見える。
かごは二三ほど下の階にあった。今いる場所より上階は下階に比べて少ないものの、もしかごがあればこれ以上進めないところであった。
壁際には沢山の太いロープが重力を受けて弓形に弛んでいる。足元にも数本見えるが、足を捕られる程ではなさそうだった。
それより、かごを動かすためと思われるレールの凹凸の方がよほど危険だろう。
足元に気を付けながらも、今まで知らなかったエレベーターの構造に感心する。先人はよくもこのような仕組みを思い付いたものだ。
ゆっくり歩いていたわりに、すぐに突き当たりになった。最上階まで着いたようだ。
あまりにも昇降路が綺麗なので忘れそうになるが、この外は道の反対のビルに衝突しているはずである。通れるかは行ってみなければわからない。
入った時と同じように抉じ開けなければならないかと思ったが、内側には凹凸があったおかげで、そして恐らく無理に変形させなかったおかげで、さっきに比べて遥かに軽い力で開けることができた。
案の定、外は割れたガラスとコンクリートで埋め尽くされている。
想定より酷い有り様であったが、ひしゃげながらもかろうじて立体を維持した鉄骨が完全に隙間がなくなるのを防いでいた。
安定している瓦礫を選んで足を乗せる。
重心を少しずつずらしながら新たな足場を探す。
それを繰り返して遂に未宇は、下敷きになったビルの向かい側のビル――――つまり飛び降りたビルの、その更に奥のビルの屋上に出た。
上ることを予定していた飛び降りたビルは衝突を受けて半ばから折れ、倒壊していた。
代わりと言わんばかりに瓦礫がその奥のビルに入り口を作ってくれていたのだ。
当にあの瓦礫の量にも頷ける。
階段を登って切れた息を整えながら、通ってきたビルの状態を見下ろした。
外から見ると通れたのが嘘のような惨状である。
「お~、思ってたより早かったねぇ~。早めに来ててよかったぁ」
急に背後から声が聞こえた。
「あっ、さっきの……」
「おぉ~。場所~、あってたんだ~。よかったぁ、うれしーなぁ~」
言わずもがな、あの少女である。しかし男はいなかった。
「えっと……。その、あの彼は?……の前に、なぜここに?」
まだ一人でうふふしている少女にその事を訊いて、順番が違うことに気がついた。
「あぁ~そっかぁ。さっきは信晴もいたもんね~。まぁ、答えはぁ、迎えに来たからだよ~」
「迎えに?」
「ここまで来れればもう十分合格~。しかも早いし~、手ぇ、放さないでねぇ~」
質問に答えているのか答えてないのかわからない。
話しながらもずかずかと寄って来て、遠慮なく未宇の手を掴み、翔んだ。
最初は跳んだだけかもしれなかったが、そのまま屋上に戻ることはなかった。
「は?」
未宇の反応も尤もであった。手でぶら下がっている訳ではない。未宇も飛んでいた。
何の説明もなくこんなことになれば誰でも呆けるものだ。パニックになって暴れないだけ良いのである。
ただ、これが出来るなら最初の一時間は何だったのか、とは思う。それと同時に、何にかは分からないが何処かで納得している自分もいた。
「そういえばぁ、自己紹介してないね~。わたしは杏那っていいまーすぅ。宜しく~」
杏那は文字どおり空を駆けながら未宇を振り返った。
未宇はと言えば、浮遊したまま手を引かれて滑っている。挨拶どころではない。幽霊にでもなった気分だった。
しばらくして慣れてくると周りを見る余裕ができる。
足下のビル群はいつの間にか住宅群に変わっていた。感覚的には浮かんでいるだけだったが、この短時間で随分遠くまで来てしまったようだ。
最初は周囲にビルしか無かったので気が付かなかったが、数多の住宅を見るとその異様さが際立っている。
つまり、色が無かった。
全く無いと言えば嘘になるので、色彩がほとんど無いというべきか。
建物はおおよそ薄炭色で、陰はほんのり濃いだけである。モノクロ写真に申し訳程度に色えんぴつで色を塗った、そんな印象だった。
「もうすぐだよ~」
そう言って杏那は高度を下げていった。
正直に言おう。言葉の割にすぐではなかった。
地面に降りてからというもの、あちらへ行ったり、こちらへ行ったり。角を曲がったり、家に入ったかと思えば裏口から出たり。もう散々だった。
もう一度通って来いと言われても恐らく不可能である。
「疲れたぁ? ごめんね〜、セキュリティの関係でややこしいことにしちゃって〜」
決まった手順に沿って歩かなければならないそうだ。これから行く活動拠点を幻術で見えないようにしてあるとのこと。もう何が出ても驚かない。
「部外者が入っていいんですか? それか目隠しとか」
厳重に隠してあるようだったので訊いてみると、大したことでもないようにさらりと言った。
「ま~、登録してない人が入るための形だけの儀式だからぁ、いつもは普通に入れるよ~。あと敬語はいらないよ~」
そして杏那は、今までと同じように一軒家のドアに手をかけ、開けた。
中は純白の世界だった。