本当の願い
はじめまして。久藤翼です。
初投稿させていただきました。
未熟者ですので拙いところもたくさんあるでしょうが、楽しんでいただけると幸いです。
「父さん、母さん、姉ちゃん、……ごめんなさい。さようなら」
そう言って少女は床を蹴った。
眼下に広がる都会のネオンは、相変わらず夜の闇を照らしている。
一瞬の浮遊感はジェットコースターを連想させた。
もっと低い建物にしておけばよかった、と思っても、もう遅い。心臓がはち切れそうな程に脈打っている。
徐々に近づく地面を見ていられなくて、目を閉じた。
こういうとき、何故か人は時を数えてしまう。
―――― 一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、十一、十二、
……あれ?まだ、落ちきらない?
目を開けるとそこは空中だった。
加速して限界に達した落ちるスピードも、身体を引き裂くような風も。そして何より、床を蹴って数秒後には少女の命を奪うはずだった地面からの高さも、変わらない。
まるで地面も一緒に落ちているようだ、と考えた瞬間、声が聞こえてきた。
それは、脳裏に直接響いているように思えた。
――――汝に死に場所を与えよう。
これを最後に少女の意識は暗転した。
☆☆☆
目を開けるとそこには見慣れた天井があった。月光が静かに部屋の隅を照らしている。
少女――未宇は思わず頬を抓り、これが夢でないことを知った。
「うそ……」
夢だったのだ。全て。頑張って、決意して飛び降りたのに。
時計のある辺りを見ると、壱と書いてあるはずの所をうっすらとした短い蛍光塗料の線が指しているのが見えた。
起きるには早すぎる時間だ。
再び飛び降りる勇気は、もう、ない。
夢に見てしまう程望んだはずなのに、そしてそれが夢の中であったのに、こんなに恐怖を感じるとは思いも寄らなかった。
そしてどこかほっとしている自分もいる。
まだ心の底では生きたいと強く願っているのだろうか。
目を閉じる。
ぐったりと横になっていると、次第に眠りに引き込まれていった。
★★★
突然、空中に投げ出されて落下を始めた。否、落下している途中だった。
地面と接するまで、いや、そんな生易しいものではない。地面に激突するまで、あと五秒もな
――――べちゃっ、
非常に気持ちの悪い音と共に視界がモノクロになった。体の感覚もない。
下を向いても灰色のアスファルトが見えるだけである。潰れた自分の身体など存在しない。
ただ視点だけが見ようと思うほうへ抵抗なく回った。
死んだのだろうか。死んでも、こうして意識は残るのだろうか。
そういうことを考えながらふと振り向いて、見覚えのある建物に驚いた。ここはまさに未宇が飛び降りた場所だった。
やはり飛び降りたのが現実で、あの薄暗い自室は走馬灯のようなものだったのだろうか。
「あ~、もぉ~。間に合わなかった~」
突然、背後から甘く幼い声が聞こえてきた。
「……のせいだからねぇ~」
「……何でも人のせいにするな」
今度は低い男の声。建物の陰から大小二つの人影が出てきたところだった。
「嫌われるぞ」
「ふんっ、だぁ~。どうせもう嫌われてるも~ん」
「……」
そうして二人で未宇の方へ向かってくる。次第にその出で立ちがよく見えてきた。
大きい方の人影は冬物のジャケットを着た大男で、小さい方の人影は大きなガウンを着た少女だった。共にフードを目深に被っている。
少女は少し離れた場所で止まって言った。
「えーっと~。ねぇ~、聞こえてるよね~?こっちからはどこにいるかわからないんだけどぉ~」
少女はわざとらしくキョロキョロと見回してみせる。
「ま~、ここからは結構重要だから~、ちゃーんと聞いてねぇ~」
フード越しでもわかるほど真剣な顔をして、ゆっくりと続けた。
「もうすぐ~、ここはぁ、戦場になりま~すぅ。でもぉ、あなたはしばらく動けません~。だからぁ、頑張って生き延びてね~」
真剣な顔の割に声としゃべり方のせいでさほど深刻に聞こえない。
「一時間たったら~、実体化して動けるようにはなるけどぉ、次死んだらお終いだからぁ、気をつけてね~。じゃぁ、またあとで~」
そして二人は何か言い合いながら、というより、少女が一方的に話しかけながら去って行った。
そうは聞こえないがやはり大事なことなのだろう。状況がわからないこの状態でそれは貴重な情報だった。
できればそこにいて欲しかったが、こちらの言うことが聞こえないのでは仕方がない。
『次死んだら』という言葉は引っかかるが、少女の言うことには一時間後には動けるようになるらしい。
一時間。
微妙な時間である。
夢中になれるものがあればあっという間に過ぎ去るが、そんなものがなければ終わりのないような長く退屈な時を過ごさなくてはならない。
今回は明らかに後者である。
そうは言っても考えるべきことがないわけではない。その点まだ良いことにする。
さて。その考えるべきことについてだが、今さっと思いつくだけで二つ。
まず、彼女らを信頼して良いのか、という問題について。二人ともフードで顔を隠しているなんて、怪しいったらありゃしない。
だが、これは現時点では判断材料が少なすぎて、これ以上考えても実のある結論は出ないだろう。保留。
次、彼女の言ったことが本当だとして、動けるようになったらどうするか、という問題について。
このあとここは戦場になるとも言っていたから、どうにかして抜け出さなければならない。
いや、戦場になるとわかるのならば、戦いが移動していると考えるべきだろうか。それなら、あまり目立った動きをしないで戦いが通り過ぎるのを待つのも悪くない。
我ながらやけに冷静で反ってぞっとする。身体の感覚が無いからか。思考だけに集中しているからか。
突然、爆発音が聞こえた。すぐ近くではないが、大して遠くでもない。
本当にやって来たのだ。
小さな爆発音が頻繁に、その後絶え間なく聞こえるようになった。時々初めのような大きなものも。
将に徐々に近づいて来るのが分かる。
終には金属音まで響いてきた。全ての音がクレシェンドをかけるかのように大きくなっていく。
その時、道路を挟んだ目の前のビルの一階部分が吹き飛んだ。
如何に今日の建築技術が優れていようと、それを支える基礎が無ければどうしようも無い。
土台を失ったビルの上部は真っ直ぐ落下すると、ゆっくりと、しかし明確に加速度をもって倒れ始めた。
未宇の方へ。
このままでは、ビルの下敷きになってしまう。
今は実体がないそうだからいいが、一時間経って実体化した時に潰れないだろうか。それで再び死んでしまえば、その時点で少女の言うお終いか。
死にたくない。
意識すれば飛び出してしまいそうなその言葉を意識しないために、意図的に違うことに気を回す。
そうこう考える間にも、ビルはこちらに向かって来る。後退ろうにも動けない。文字通りぴくりとも動けない。
ビルは未宇が飛び降りたビルを突き破り、互いに破壊しながら倒れてくる。
そして遂に未宇を飲み込んだ。
壁面を通過し、元は綺麗に並べられていたであろう机や椅子が、傾いて壁になった床を滑り落ちてくる。
全てが止まった時には、未宇はその下敷きになっていた。
だが折り重なったそれらに隙間はなく、本当に実体がないのだと実感させられる。
と、その時。未宇の視点はゆっくりと上昇し、ぐちゃぐちゃに積み重なったそれらの上でぴたりと止まった。
ああ、なるほど。確かにこれなら潰れない。
どのような体勢で実体化するかは知らないが、実体化した瞬間に潰れて死ぬ心配は無さそうだ。
さて、そろそろ三十分程経っただろうか。ここで再び逃げるべきか否かについての考察に戻る。
戦闘音を聞く限り移動速度は速く、規模はかなり大きいようだ。
耳を澄ましている内に、遠くの大きな音と近くの小さな音は同じようで全く違うことが解ってきた。
流れるのは速くても、規模が大きければなかなか通り過ぎては行かない。その分隠れていたとしても見つかる可能性は高くなる。
だからと言って、ほぼ確実に見つかる逃走という手段を選ぶメリットは見当たらない。
やはり潜伏するのがベストだろうか。
次々と浮かぶ考えをデメリットで否定して否定して否定して。それでもこれが一番だという考えは浮かばない。
潜伏してビルごと破壊されてはどうしようもない。
突然、視界の右上に『5』という数字が出現した。
何だろうかと不審に思っているうちに『4』に変わり、カウントダウンであると納得する。
そして『3』になったのを見て確信した。
何のカウントダウンか。そんなもの一つしかない。
復活する。
思っていたより遥かに一時間経つのが早かった。
まだ明確な方針も決めていないのに蘇生してしまう。
焦れば焦るほど頭の中はまとまらずごちゃごちゃになってゆく。
残り三十秒からは秒ごとに表示されるようになった。
そして。
遂に数字がゼロになった。