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三拍一歩の渡し 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 境、と聞いたときに、君はどのようなものを思い浮かべるだろうか。

 石灰などで引いた線などは、その最たるものだろう。では自然においてはどうだろう。

 山、川、崖……足を運ぶに難儀しそうなところがあれば、これ幸いと境界線にしたくならないか? 

 苦労してまでこちらの土地に入らんとしてくる者。それすなわち、敵以外に他ならないからね。


 地域によって、それらの長短や大小はあっただろう。けれども、それに比例して力が増減したかというと、そうともいいきれない。

 遊び場に使えるような狭く、緩やかな小川であったとしても、その環境を整えれば奇と呼べる力を招き寄せるかもしれない。

 僕が最近、聞いた話なんだけど、耳に入れてみないかい?



 むかしむかし。

 川に囲まれた、輪中とも呼べる地域にあったとある村で、一時期はやったおまじないがあった。

 地域を囲う外側部分以外に、内側へ入り込み、小型化した支流はいくつかある。そのうちさほど大きくない川を使って、このおまじないは行われる。


 実行には複数名が必要。川を渡る組と、待ち受ける者がだ。

 一方の渡る組は、履物を脱いではだしに。もう一方の待ち受ける者は、やはりはだしで対岸に立つ。

 このとき、待ち受ける者はひとりでなくてはならない。そして足首より上がのぞかないよう、脚をぴたりと閉じあわせて立つ。そして、渡る者へ手招きをするんだ。

 日本でよくある、手のひらを下へ向けるものではなく、上へ。その手首より先のみを動かし、自分のもとへいざなうんだ。


 渡る者は、その手招きする者の真ん前から。一列になって川へ入り、歩み寄っていく。

 二列以上並んだり、途中で追い抜いたりすることは許されない。あくまで決まった個所を、決められた順番通りに渡っていく。

 その歩みは三拍一歩と称され、かみしめるようなゆったりしたものだったとか。

 これらの手順をきちんと踏まえると、川を渡り終えたのち、水に浸かっていた部分が一瞬冷え切ってから、ぽつぽつと暖まってくる。

 水の冷たさに抗する、身体の発熱かと思われるが、この熱さえひくと不思議と足が軽くなるんだ。

 特に顕著なのが、その速さ。川に浸かる前と後では、個人差があるとはいえ、明らかに足が速くなっている。

 どうも初速がけた違いらしい。本来なら走り始めの勢いはゆるく、じょじょに加速がされていくのだが、川を渡った者の走りは、その初めから最高に速さが乗った者。

 そうと意識していなければ、まず視界は置いてけぼりを食らう。その様子があたかも、目の前から消え失せたかのようで「神脚」とうたわれたのだとか。


 この神脚の効果は、川を渡ってより数日続くのだが、疲労までが消えるわけではない。

 調子づいて長いこと繰り返していると、本人も意識しないままに、ぽっきりと骨が逝く。

 そうでなくとも、走ってからしばらくして痛みを訴え出し、その言を裏付けるかのごとく青タンが足のそこかしこに浮かんでくるんだ。

 しかし、わきまえて使う分には、大いに助かる。

 主に子供たちが、よその村の子たちと戦ごっこをする際などは、皆がこのまじないを自身に施し、個人の速力から団体での機動力においてまで、しばしば優位に立った。

 大人たちも危急でよそへ知らせることがあると、このまじないを利用する。川に浸かる時間を差し引いても、なお目的地への到着を早めることができたのだとか。



 このまじないは、確認されてからおよそ100年、活用され続けていたらしい。その中断は急に訪れた。

 その日も子供たちが、遊びの前に例のまじないを行おうとしたんだ。

 対岸に立ち、姿勢を守って手招きする者。その元へ一列になり、三拍一歩の歩みを守って、一列にゆったりと川を渡っていく子供たち。これまで何度も繰り返されてきた光景だった。

 しかし、その足を入れる川が、変わる。

 右から左の流れに逆らい、どっと左から押し寄せるものが川の表情を冒す。

 それは毛。それは垢。それは皮……人の身につき、またはがれて、抜け落ちるべきものたちが、濁った怒涛となって水面を走る。


 渡河中の子たちは、それらにたちまち足を汚された。足にぶつかった拍子に、腰から胸にまで跳ねが飛ぶほど、勢いもすさまじかったらしい。

 予想だにしなかったことに、たちまち騒ぎ出す子どもたち。だが、その直接の被害に遭わず、対岸から招く役の子はいち早く、別のことにも気づいた。


 濁流の押し寄せた方向。そのずっと向こうの川下から、ふらつきながら寄ってくる影があったんだ。

 よろめきながらなのに、速い。見る間に大きく、そして細かなところまで見せんとするかのように、そいつの足元で川水が騒ぎ、かき分けられていった。

 その身体は、山盛りにした椀にかぶせられた手ぬぐいのごとく。上が細く、下に行くほど幅が広くなっていく三角形は、山のそれとそっくりだ。

 違うのは大きさが大人並みであること。そして本来は緑の木々に彩られるだろう山すその部分が、波打つほどに溜まった垢に覆われてしまっていることだ。


 山からは両腕が、前へ向けて突き出ている。てっぺんからは、幾筋もの長い白髪が伸び垂れて、あたかも雪が積もっているかのよう。

 顔も身体の輪郭も、山に隠されて何も分からない。ただその横振れはおさまらないまま、ついに水はねを盛大に飛ばしながら、子供たちに駆け寄ってきたのだった。

 みんなは夢中で逃げ出し、おのおのの家へ帰りつく。親たちに夢中で話すものの、いざ武装した面々が川に戻っても、あの物体はおろか、川にも汚れはかけらも残っていなかったんだ。

 ただ、その時を境に例のおまじないが力を発揮することはなくなったらしい。

 あの手招きも、一列になっての渡河も、その結果で足が速くなるのも、あの垢の山となった者の力かもしれない。


 三途の川には、死者の衣類をはぎとる奪衣婆がいるというが、あれもまた奪衣婆の一種。あるいは奪垢婆とでもいうべきものだったのではないかな。




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