ユリアーネ、入学式に行く
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慌ただしい日々を過ごす中、あっという間にガートラン王立学園の入学式の日を迎えてしまった。
首元と袖口とスカートの裾に紺色の糸で刺繍が施された白いワンピースに、紺色のボレロ。ボレロの胸元には、学園の象徴である百合の花が象られた金色のエンブレムが存在感を主張している。
そんな清楚な制服に袖を通したユリアーネは、嬉しそうに馬車に乗り込んだ。が、先に乗っていたフォルカーに「冴えないな」と言われ、気持ちが撃沈した。
男性の制服は紺のジャケットに白いズボンだ。ジャケットは騎士服のような造りで首が詰まったタイトなものになっている。悔しいことに王子様のようなフォルカーにはとても良く似合っていて、ユリアーネは返す言葉がなかった……。
今年の新入生代表のスピーチは、王弟殿下の長男であるアリスティド・ハイマイトが行うことになっている。成績はもちろんユリアーネが首席なのだが、王族がスピーチをしない訳にはいかないらしい。
ユリアーネはスピーチをしたかった訳ではないが、努力よりズルが勝つのはやっぱり納得がいかない。だから、「お手並み拝見」くらいの気持ちでアリスティドのスピーチを聞いてやろうと、ちょっと意地悪な気持ちでいた。新入生代表として名前を呼ばれて登壇したアリスティドに、人知れず厳しい視線を送ってやったのだ。
そんな荒んだ気持ちも、アリスティドがスピーチを始めるとすぐに消え去った。とにかくアリスティドを応援し、アリスティドのスピーチが無事に終わるようユリアーネは心から願った。胸の前で強く両手を重ねて祈った。
残念ながらアリスティドには、ユリアーネの応援は届かなかったようだ……。声は小さいし、ぼそぼそと話すので何を言っているのか、さっぱり分からない。おまけに所々詰まるものだから、心配のあまり思わずユリアーネまで息を詰めてしまう。
アリスティドのスピーチが終わる頃、ユリアーネの息は絶え絶えだった。しかし、それはユリアーネだけの話ではなかったようで、会場中で酸欠が起きる危機だった。
「危ないスピーチだったな……」
そこかしこでそんな声が聞こえている。
危険な入学式を終えて少し緊張したユリアーネが教室に入るなり、クラス全員の視線が集まった。もちろん冷たい視線が。
ガートラン王立学園始まって以来の最高得点で入学試験を首席でパスしたユリアーネだが、かつての優秀なことを鼻にかける傲慢令嬢の悪評が消えていないどころか大きくなっていた。一年半も王都に居なかったのに、可笑しな話なのだが……。
成績優秀者を集めた高位貴族ばかりの特別クラスで、ユリアーネは教室に入る前から既に浮いた存在だった。冷たい視線で迎えられるのなんて想定内だ。王都に戻ってから自分の評判が以前より酷くなっていたので、周りの反応はこんなものだろうとは思っていた。
しかし、領地でほのぼのとした学校生活を送ってきただけに、期待が全くなかった訳ではない。
この瞬間に期待は打ち砕かれ、三年間の孤独が確定した……。
暗い気持ちで教室内を見渡すと、不快な視線を向けられているのはユリアーネだけではないようだ。
ユリアーネに畏怖に近い冷たい視線を向けてくるクラスメイト達は、別の生徒達にはあからさまに見下す視線を槍でも降らすように向けている。
ユリアーネはその視線全てを跳ね返す優雅な立ち振る舞いで、凛と背筋を伸ばし教室内を進んだ。それは洗練された美しさで、悪意を投げつけていたクラスメイト達も見惚れてしまったほどだ。
特別クラスの席順は、入学試験の成績順になっている。ユリアーネは見下す視線を送られている一人の隣に座った。首席であるユリアーネの隣ということは、彼の入学試験の結果は次席だ。
日に焼けた丸顔に焦げ茶色の短髪、背は高くないが身体はがっしりしている。机の上で強く握られた手はごつごつしていて労働のあとが見える。ユリアーネがこの一年半を共にした領民たちと同じ手だ。
特別クラスの人数は二十人弱だ、それに対して相手は一人。数的優位に立ったと勘違いした数人が、勝ち誇った顔で言いがかりをつけ始めた。
「ガートラン王立学園の特別クラスに、平民を受け入れるとはねぇ」
「特別クラスのレベルも、落ちたものだな」
「品位がない者は、学園はもちろん特別クラスに相応しくない!」
中傷する言葉を発したのは、侯爵家の次男とその取り巻きだ。
彼等が胸のつかえを吐き出すと、他の生徒達も一緒になってクスクスと嘲笑する声が渦を巻くように大きくなっていった。数で勝る自分達が、平民ごときに負ける訳がないと馬鹿にしているのだ。
茶色い瞳は伏せられ、握った拳が震えている。彼の太い腕で殴られれば、苦労知らずの令息共など一発で倒れるだろう。だが、残念なことに、それは許されない。肉体的な暴力は許されないのに、言葉の暴力は許されるなんて理不尽だ。
社交界をのらりくらりと切り抜けようと誓ったユリアーネからすると、入学初日から揉め事を起こすのは本意ではない。だが、隣に座る彼を見捨てるのは、領民との一年半の思い出を汚すことに思えた。
最前列にいるユリアーネは立ち上がり後ろを振り返ると、クラスメイト達にとびきりの冷笑を向けた。
「本当に、特別クラスのレベルは落ちたようね?」
落ち着きを払った態度に生徒達は驚き、全員がユリアーネに注目して教室中が静まり返った。
首席であるユリアーネが自分達の意見に味方したと、侯爵家次男達も得意げな顔になっている。他の生徒達も同様だ。特別クラスに相応しいのは自分達だと信じて疑っていない。
「特別クラスのレベルが落ちたのであれば、貴方達が足を引っ張っているのではなくて? 貴方達が馬鹿にする平民が上げてくれた入学試験の平均点を下げたのは、貴方達よね?」
「…………」
ユリアーネが平民の肩を持つとは誰も思っていなかった。隣の席にいる彼でさえ、目を見開いてユリアーネを見ている。他の生徒達も然りだ。
それに、ユリアーネが言ったことは事実なだけに、誰も反論はできない。
周りから「言い返せ」と視線を受けた侯爵令息は、目を吊り上げてユリアーネと向き合う。しかし、ユリアーネの威厳ある態度に圧倒され、餌をもらう鯉のように口をパクパクさせるだけで何も言えない。
役に立ちそうにない侯爵令息に見切りをつけた公爵家の令嬢が、高慢な態度で前に出てユリアーネに苛立ちをぶつけてくる。
「ガザリス様が言いたかったのは、入学試験の成績のことではないわ。ガートラン王立学園の中でも由緒ある特別クラスに、平民がいること自体がおかしいと言っているのよ。ここにいるのは、将来ハイマイト国の中枢を担うエリート達なのよ。そのようなこの国の高みに、平民ごときがのこのこ入り込むなんて、烏滸がましいわ!」
クラス中の生徒が公爵令嬢の意見に賛同し、ユリアーネ達二人には冷たい視線を送っている。そんな孤立した場所で、ユリアーネは堪え切れず噴き出した。
「……ふ、ふふふ……。ご、ごめんなさい。仰っていることが、あまりにも可笑しくて。ふふふふふふ……」
「何なの貴方、どこが可笑しいと言うのよ! 噂通りで、本当に失礼な方ね」
公爵令嬢は顔を真っ赤にして、ユリアーネに突進してくる勢いだ。
「だって、ハイマイト国の中枢を担うエリート達が束になってかかっても、こちらの平民の方に及ばなかったのでしょう?」
「!……」
公爵令嬢の動きがピタリと止まった。
笑顔を引っ込めたユリアーネは、冷たい感情のこもらない顔を令嬢に向け、いつもより低い声を出す。
「エリートである自分達が敵わない優秀な者は、排除するの? 自分より優秀な者に対して言いがかりをつけて追い出して、存在自体なかったことにして自分の地位を守るのが、品位のあるエリートのする行為?」
声を荒げる訳でもない冷静な言葉は、教室にいる全生徒にとって痛い言葉だ。
「他国に目を向ければ、優秀な平民が国政に参加していることが分かります。貴方達みたいに貴族だからという理由だけで権力にしがみ付いていたら、他国に後れを取ることになりますよ。学園がなぜ彼を特別クラスに入れたのか、考えるべきじゃないかしら?」
似非エリート達がユリアーネの正論に反論できず、荒れ狂う怒りを体内で燻ぶらせている。
そんな殺伐とした空気の中、明らかに場違いな拍手の音がパチパチと鳴った。
「やっぱり、ユリアーネ嬢はすごいなぁ。今日のスピーチも、ユリアーネ嬢がやるべきだったよ。これから三年間、一緒に勉強できるのが楽しみだよ」
そう言ってニコニコと教室に入って来たのは、アリスティド・ハイマイト。フワフワと肩のあたりで揺れる薄茶色の癖毛に赤茶色の大きな瞳を持った彼は小柄で、少女のように愛くるしい容姿をしている。
ユリアーネの堂々とした態度に感動して思わず声をかけてしまったアリスティドだったが、周りが自分に注目している事に気づくと恥ずかしくなり、甥であるローラン・ハイマイトの後ろに隠れてしまった。
第一王子であるローランと王弟の息子であるアリスティドの登場に驚いた生徒達が、全員立ち上がり直立不動で二人に注目している。その様子を前に、ローランが心底うんざりした表情を浮かべた。
「同じ学園に通っているんだから、俺やアリスティドと一緒になることも多い。いちいちそういう態度を取られると面倒だから、止めろ」
本当に面倒くさそうにそう言ったローランは、顰め面から一転して凍傷でも起こしそうな冷笑に変わった。教室内の空気がピリッと張り詰め、嫌な予感と悪寒が足元から這い上がってくる。
「それに建前とはいえ、学園内に身分の上下は持ち込まないことになっているはずだろ?」
不機嫌さを隠さないローランが教室内をぐるりと見渡すと、全員が青い顔を隠すように一斉に下を向いた。今までの言いがかりの様子をローランが見ていたことは明らかだ。
「何だよ、さっきまでの薄ら笑いはどこにいったんだ? 俺の前で堂々と主張できないことを偉そうに言ってたってことか? 誰一人顔も上げてられないってことは、全員が役に立たねぇ選民思想の持主か。頭の足りねぇ奴等ばっかりだな!」
全く王子らしくないローランの突き放した物言いに、ガタガタと震え出している者もいる。
完全に氷に閉ざされブリザードが吹き荒れる教室の中で、ユリアーネはローランの燃えるような赤い目を真正面から見据えた。
「ここに居る全員が足りないままで終わるかは、まだ分かりませんよ? 第一王子殿下」
助けたはずのユリアーネに予想外のことを言われたローランは、真意が分からず眉を顰める。
「身分でしか人を計れず、自分の地位を脅かす者を汚い手で排除する。こいつらに、期待する価値があるか?」
「仰る通りなのですが……。それでも第一王子殿下にとって価値がある人物がこの中から育つ可能性は、ゼロではないはずです。学園生活のスタート早々に殿下に見切りをつけられては、みんなやる気が出ません」
「そのやる気が人を貶めることだけの連中なんだから、ずっとやる気を失っていた方が世の為だろ? 周りに引きずられて自分を持てない奴も、俺には必要ない」
自分は何も言っていないから無関係と高を括っていた生徒達も、ローランの言葉に打ちひしがれた。
反論しようとするユリアーネの目の前に、エリアスの背中が現れた。
「ユリアーネ、もういいよ」
エリアスはそう言ってユリアーネを自分の背中に隠し、ローランの視界から消し去った。
「これ以上、ローランを楽しませてやる必要はない。臆せず自分と話してくれる相手がいて、喜んでいるだけなんだから」
そう言われてしまったローランは楽しそうに「ナイトの登場か。ユリアーネ、またな」と言うと、ひらひらと手を振って教室から出ていった。
「ったく、ローランの言う通りだろ? こんな奴等守ってやる価値なんかあるか!」
怒りに任せて藍色の髪をかき乱してクシャクシャにしたフォルカーが、教室に入るなり睨みを利かせる。優しいはずのエリアスまで冷たい視線を教室に落とし、「その通りだね」と低く通る声で吐き捨てた。
第一王子に近い上級生にまで見放された生徒達は、もはや亡霊のように立ち尽くすか、泣き崩れているかだ。全員の頭の中は、遠のいていく出世や縁談で一杯のはずだ。
「今が未熟でも、人は変われますし、成長します。三年後が今と同じかどうかは、本人の努力次第なのです。それを第一王子殿下にお伝えしたかったのですが、言葉及ばずでしたね」
苛立ちが収まらないフォルカーが「だから、こんな馬鹿共のフォローをお前がする必要はないんだ!」と声を荒げる。
フォルカーと違いエリアスの表情は穏やかだが、怒りを込めた声で断言する。
「いくら周りが必死にお膳立てしたって、自分の能力を過信している愚か者には成長は望めないんだよ」
エリアスの言葉にユリアーネは酷く傷ついた顔を見せた。
「私は師匠と出会えたことで、自分の過ちに気づき変われました。領民達と共に学んで、少しは成長することができました……」
ユリアーネは「今日は失敗しましたが……」と呟き、悲しそうに重く深いため息をついた。
今日もコーイング家のサロンに昨日と同じ面子が集まった。
娘の学園デビューの話を聞きたくて、今か今かと帰りを待っていたクロエの身体は前のめりだ。
「学園はどうだった? 楽しめそう?」
「最速でクラスの嫌われ者になりました。声をかけて下さるのは、アリスティド殿下だけです」
娘の言葉でおおよそ何があったのか察したトリスタンが、優しく力づけようとする。
「そうか、権力に媚びる人間はどこにでもいるから、気にすることはない」
「そうは言っても、この一年半で成長したところを、みんなに見せたかったのです。教室に入るなり嫌われるなんて、以前の自分と変わらないことを証明してしまいました……」
社交界でもやっていく覚悟を見せておきながら高位貴族を言い負かした挙句、第一王子にまで意見をする始末。隣の席のキエイマを放っておけなかったにしても、さすがにやり過ぎてしまった。
うなだれるユリアーネの頭を撫でたエリアスが、今日もユリアーネに力をくれる。
「平民というだけで蔑まれ足を引っ張られる彼を助け、ローランの態度を指摘するユリアーネは女神のようだったよ。そんな顔をせずに、ユリアーネはもっと胸を張っていればいいよ。俺はユリアーネを誇りに思う」
がっかりさせたと思っていたエリアスに褒められ、ユリアーネは驚いた。『いくら周りが必死にお膳立てしたって、自分の能力を過信している愚か者には成長は望めない』という言葉が自分に言われたように思えていたのだ。違ったのかと、ホッとする。
フォルカーが右眉を上げて「何で家族でも何でもないエリアスが誇りに思うんだよ? 恋人気取りか?」と呟いたが、クロエが「女神って? どう女神だったのか事細かに説明して!」と騒ぎだしたので聞き流されてしまった。
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